はじめまして。 私は82年〜91年位まで写植関係の仕事をしていた42歳になるものです。 「さよなら写植」はショックキングな内容でした。今は印刷とは全く関係無い仕事をしてますので、この世界の事情には疎かったのですが予想は出来ていたとは言え手動機はおろか電算機ですらDTPに取って変わられている時代になっていたんですね・・・。
私の現役時代は手動機で写植の基礎を覚えた後に、当時、会社に出来たばかりの電算部に配属されました。 とは言えあるのは富士通オアシスのみ(ワープロですね。でも当時は100万円位でした)。 ワープロの練習を2ヶ月程した後にリョービ、レックス200システムが導入されました。 レックス200は電算機の特徴を持ちながらも出力機は手動機の文字盤を使用出来るというのが特徴の(写研文字盤使用可)ちょいと変わった機種です。 入社後、半年も立たない新人に2000万円からする機械を与えるのですから20人程度の会社としては、大きなカケだったのだと思います。
その後、まだまだ未完成だったレックス200と格闘しながら、数年後に退社、電算写植用のPCソフトの製作会社に転職したのですが・・・。
話せば長いので、この辺りにしたいと思います。 時は80年代、日本はバブル景気を一気に登っていく時代で私は20代の青春時代を常に写植と過ごしていました・・・。
つまらぬ個人的な話を長々とすいませんでした。 又、寄らせて頂きます。
No.22 DATE:2005/06/15(Wed) 00:05 |