●takkaさん: コラム完成のご報告ありがとうございますー♪ 実は夕べ(25日)、読ませていただいてたんですよ。 写研の書体に対してお思いのことがよく分かり、 なるほどなるほどと一字一句噛みしめながら拝読しました。
DTP(パソコンで印刷物を編集・出版すること)が普及し出した1995年頃、 今まで見てきた安定感のある書体と組版ではない(という印象を受けた)印刷物を見て 「何だろう、この素っ気ない感じは」と思っていました。 その翌年、我が家にMacがやってきて、DTPというものがあることを知り、 もちろん私も取り組むことになりました。 そうした中での実感として、書体の違和感は拭いきれませんでしたし 組みについてはものすごく努力しないと電算写植や活版のような質の高い、 読みやすいものは作れないんじゃないかと思ったんです。 (QuarkXPressで一文字分のテキストボックスを作って、それを沢山並べて行にすることで 思い通りの組版を実現させた人もいたようです。)
ただ逆に、設備が今までの組版システムより安く、書体や組版への敷居が低くなったのと 創意工夫次第で写植版下時代にできなかった表現ができるようになったのは DTPが普及したことによる利点だと思いますし、私も恩恵を享受しています。 それに、10年前と比べれば使いでのある書体も随分増えましたし レイアウトソフトも大分真っ当な組みができるようになってきたと思います。
そうとはいえ、活版・写植時代までに培われてきた組版や書体に対する美しさの追求が 文字に携わる人個々のレベルで十分に引き継がれてこなかった(ように感じる)ことがとても残念なんです。 “組版感”のある(プロじゃないとできない! と思うような)版面が 当たり前だった時代のノウハウ(大袈裟に言えば文化)を継承できる時間は それほど長く残されていないはずです。
写研の書体はたいへん美しく、かつ文字を効果的にいろどるものだと思っていますが この“優れた表現の選択肢”が次の世代に知られることもなく、時代なんていう言い訳で 消えてなくなってしまうにはあまりにも惜しいです。 かつて程とは言いませんが、表現の手段として写研の書体を選んで使う人が増えることを願っています。
話が逸れかかっている気もしますが、takkaさんのコラムを拝読して 思ったことを指の赴くまま書かせて頂きました。 (私も時間さえあれば絵を描いてみたいところです)
No.63 DATE:2005/08/27(Sat) 01:33 |