ちょうど34年前の1983年12月30日に聞いていたラジオでは、夜中に雪が降っていると告げられています。 そのアナウンスを聴いて窓を開けたら、自分の住むところでも雪が降っていたことを今でも記憶しています。 そんな録音を聞き直していた翌日の今日は大晦日ですが、2017年のこちらも寒い日となっています。
私は中学生のころから「心象を勝ち取るには他の人とは別の土俵で戦う」のだと心に刻み込んできました。 自分の人生はまだまだこれから何にでもなるのだと思い描いていた10代でしたが、やはり何にもなれずに妥協を重ねて今に至ります。 ですがそうしたなかでも、土俵というのはわりと自分で選べるもので、それが処世術のようにもなっています。 そのひとつには「やるときにはトコトンやる」というのがあります。
私も2007年と2011年に国家資格を取得しています。 前者は50.4%、後者は28.1%の合格率でした。 前者は半年、後者は1年半の勉強を強いられました。受験資格要件が揃わなかったので1年半になりました。 どちらのときも同一の勉強支援サイトを利用して教材を購入しましたが、後者のときは教材が不十分となり、自分で勉強して築いたものが元の情報量のおおよそ2倍にまで膨らみ、せっかくなので受験後にサイト主に無償で提供しました。 大学で学んでいたときとは比べ物にならないくらいに身に着いて自分のためとなった勉強でした。
このふたつの受験勉強を挟んで、父の遺品にインデックスと付加価値を加えるための情報集めと整理を行っています。 延べ10年ほどは自分の生活を削っていました。
それでも脱帽してばかりで、写植に関しては亮月さんには太刀打ちできないように、膨大な所有量だと思っていたカセットテープの種類数も、私がアーカイブスしたラジオ番組の数も、他の人が供出した驚異的なコレクション数の前では霞んでしまっています。 そうまでして身に着けた専門知識も、自分が一番なんてことはありません。上には上がいるのです。 そして私と同じように「人類の財産」だとか「産業遺産」「文化遺産」だとか思って考えて活動しているのです。
ですので、それぞれの人にはそれぞれの持ち味と強みがあるので、だからこそ同じ土俵ではなく、自分の土俵の上で自分にしかできないことを突き詰めていく、その研鑽を積み重ねていくしかないのです。 人と人は異なるということを前提にして、そのうえで補完し合って協働していくのです。
プロの仕事ってスゴイですよね。 職人芸だった過去の印刷業界を見知って咀嚼し到達した私の「仕事への姿勢」の見解です。 そこらにある何気ない田畑でも神社仏閣でも、その土地で築いてきたものが見え隠れして、それを紐解いていくとあちらこちらの土地や人に関係がつながっていくので、興味は尽きません。 ドラマの「北の国から」はそういうものでしたね。
亮月さんの活動停止を見守り、暮れ正月にはと思ってアクセスし、ようやく読めた「亮月だより」から感じたことを、この掲示板の閉鎖を見込んで綴りました。 そんなプロが積み上げていった跡を見て回っている亮月さんへ私からの問いです。 ただの懐古主義ではないですよね。
No.834 DATE:2017/12/31(Sun) 12:47 |