亮月写植室

ミニレポ
タイポグラフィの世界5―小宮山博史との対話 対話2 文字を味わう

2016.10.15(土)
於:阿佐ヶ谷美術学校 2階422教室


●全てが2年振り

 亮月写植室では年に数回現地取材や聴講を行(おこな)ってきましたが、2014年に発生した事柄にどうしても集中しなければならなくなり、同年9月の「moji moji Party No.9 漢字書体の変遷とその復刻展」を最後に遠方での聴講は見送っていました。以降、幸い(というべきかどうか)写植に関する催しはこの「moji moji Party」が開催されるぐらいでしたので、写植の研究に大きな穴が開くようなことはなく、サイト内の記事の見直しや近県での案件に絞って活動してきました。

 活動縮小を始めてから2年が過ぎた2016年夏の終わり頃、写植書体に関して言及する講義が開かれると風の便りで知りました。
タイポグラフィの世界5―小宮山博史との対話 対話2 文字を味わう」と、「和字書体のすがたカタチ」という二つの講義です(※本稿は前者のみのレポートです)。
 前者は活字書体研究者・書体デザイナーである小宮山博史さんと「文字の食卓」の正木香子さんとの対談で、後者は活字書体設計師の今田欣一さんが講師をされるという。しかも、それぞれが10月15日と16日に行われるとのこと! どちらかだけだったら諦めたかもしれない、しかし連続して写植のことについて話が聴けるなら!……1週間以上、頭の中がこれらの講義のことでいっぱいになるほど悩み、聴講の締め切りぎりぎりで参加を決めました。

 2016年10月15日(土曜日)。
 2年振りの新幹線、2年振りの東京、2年振りの聴講。この2年間で写植書体に対する世の中の見方はどうなったのか、私の感じ方はどう変わったのか。緊張しながら会場である阿佐ヶ谷美術学校に到着しました。

〈タイポグラフィの世界5―小宮山博史との対話〉「対話2 文字を味わう」

 会場の案内を見て「ここだ」と確かめてから会場へ入るまでの緊張感と気分の高まり。2年振りの感覚がたまらない。しかも今日は初めてお姿を拝見する小宮山さんと、3年近くお会いすることができなかった正木さんだ! 講義室の前の方に席を取り、配布された資料から講義の内容を想像するなどして開講の時刻を待ちました。

※以下、講演内容は非公開のため、講演の題目とそれに対する筆者の所感のみ記載しています。ぶつ切りかつ筆者の独り語りのようになってしまっておりますが、何卒ご了承ください。

●書体の作り手 対 読者

 13時半前、小宮山さんと正木さんが着席。講義が始まりました。

 書体の作る側と書体を使う(読む)側という正反対の立場から写植を再評価しようという新たな切り口です。膨大な知識とともに書体を作ってこられた小宮山さんと、膨大な本を読んでこられた正木さん。
 書体は作り手や使い手(紙面をデザインする側)の自己満足ではいけないのであって、本の読者を始めとする文字を読む人に対して、つまり広く社会に対して影響する文化的なものだと私も思っているので、どのように写植書体が語られるのか、聴講メモを必死に取りながら、軽快に進むお二人の会話に耳を傾けました。

●読者にとって『書体』の違いとは何か?

 大半の(書体に関する知識がない)読者は、書体やその用途・役割を知っていて印象を想起しているのでは当然なく、文字の見た目から無意識のうちに印象を受けているのではないでしょうか。

●『文字の食卓』で書けなかった“牛乳の文字”

●1990年代の多書体文化

 1990年代は写植の円熟期。現行の写植書体がほぼ出揃い、あらゆる印刷物が様々な書体によって彩られるようになりました。そしてDTPへの移行に伴い、世の中で使用される書体が変化し、また一時的に種類が少なくなりました。これは筆者もリアルタイムで経験したことで、写植書体を見掛けなくなっていくとともに、強い違和感と味気なさを感じながらDTPで制作された印刷物を読む日々でした。

 しかし時代が進むにつれて書体を取り巻く技術は進歩し、書体は人々にとって身近なものになりました。しかしその一方で、書体の役割や効果を知らなくても何となく使えるようになり、書体に携わる職業の人達にこれまで脈々と受け継がれ磨かれてきた書体の使い方が蔑ろにされているという面もあります(この原因は書体の大衆化によるものだけではありませんが)。書体をもっと大切に、よく考えて使ってほしいと筆者も思います。

●“絶対フォント感”とは何か

 書体の違いがあるということを、書体という概念を意識しない人は言葉にする術を知らないし、敢えて言葉にしようともしない。それでも世の中にこれだけ多くの書体があり、使い分けられているということは、そういった人達が書体の違いを感じていることを言葉にしようとしまいと、受ける印象が書体毎に確かに異なっていて、読み手に何らかの効果を与えているからなのではないかと筆者は思います。

*“絶対フォント感”という言葉の発祥
筆者も、この言葉を言い出したのは府川充男さんなのではと思い、手元にある府川さんの著書を見てみたところ、『真性活字中毒者読本』(柏書房・2001年)p.15の「はしがき」に「『真性活字中毒者』とは、活字書体ソノモノに中ってしまっている連中、何というか『絶対文字感』の持ち主のことである。」とあり、書体を見分ける眼がある人のことを指していた。“絶対フォント感”と言い回しは異なるが、この概念を初めて言葉にしたのは府川さんだったのだ。

●書体の時代性

 書体がデザインされ、作られ、活字や文字盤やデジタルフォントにされ、使われ、読まれる。それらの全ては、その時代によって技術や使われる媒体、作り手・読み手の感性が絶えず変化しているのだとしたら、同じ書体であっても時代に相応しく変化するのは自然なことだと思います。時代を捉えた、時代に相応しい書体作りというのは、「分かる」(言語化できる)ものではなく、時代を感じ取って形にできる人だけのものなのかもしれません。そうして出来上がった書体が、新たな時代を作っていくのだと思います。

 お二方の書体に対する立場(関わり方)が端的に出た話題だったと思います。例えば秀英初号明朝は歴史が長く、活字書体史上「古い書体」です。一方で、初号明朝のデザインそのものを見てみると、瑞々しくて勢いや躍動感がありつつも重厚さを持っているとは感じても、このデザインから「古さ」は想起されません。
 作られた時代や使われた時代による新旧の分類と、書体のデザインそのものから受ける印象はイコールでは決してなく、秀英初号明朝に対するお二方の所感が異なったように、別々に論じる必要があると筆者は思っています。大多数の人はそれを混同して、現在使われなくなった書体を「古臭い」と言っているのでしょう。それは書体のデザインから受ける印象を述べていることにはなりません。そういう意味でも、正木さんの「書体を見て新しいとか古いとかは思いません。」というお話に深く頷きながら聴いていました。

 ここで一旦休憩。フル回転だった右手と脳を休ませました。文字の催しでよくお見掛けする方達と2年以上振りにお話するなどして過ごしました。

●読み心地とは何から生まれるのか?

 15時15分、講演が再開されました。

 折しも、NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』(2016年4〜9月)の放映から間もない時期でした。元になった雑誌『暮しの手帖』の企画“商品テスト”のように、実際に使われる状況で大量に使われてみないと、その性能や効果は判断できないというのです。正木さんは幼少の頃から相当な数の本を読み、そして大量の文字や書体を処理してきた筈。そういう方だからこそ書体の味わいを的確に言葉にできるのであって、その言葉を伝えるために、書体の作り手や使い手に近い場所にいてほしい人なのです。
 書体のデザインは制作者の腕に左右されるものではなく、相応しい場所で適切に機能させるべく客観的な視点に繰り返し晒されて磨かれなければならないのです。
 書体を制作する場合も、使う場合も、実際に使われた時の状態、もっと言えば読み手に与える効果や影響を検証し、最適な状態にすることが必要なのです。
(なお、蛇足ですが、『とと姉ちゃん』の作中に出てきた小道具や家電等の時代考証に賛否両論あるようですが、作中の雑誌『あなたの暮し』の本文や表紙、出版社の看板などには明らかにデジタルフォントが使用されるなど、決して褒められたものではありませんでした。昭和時代の雑誌の本文に「平成明朝体」が使われたらおかしいというのは、小道具を作る際、この書体を選ぶ時に名前で分かるでしょうに……。)

●本文をデザインするということ

 本文書体の話題に戻りました。

 本文書体として最適な太さは、書体が使われる条件の厳しさ(速く読めること、見ていて引っ掛からないこと、文字が小さくても判読できること、画線がちらついて見えないことなど)から自ずとその範囲は限られてきます。活版の時代であれば、当然本文に適した設計になっていた訳ですし、DTPの時代になってウェイトを細かく展開したところで本文に適したウェイトはかなり限られる(もっと言えば、従来の太さのものがあれば足りる)のです。

 お二人は、書体を使う側(デザイナー)の意識についても言及されました。

 筆者は、デザインとはある目的を的確に伝達し、また効果を発揮させるために必要な表現・設計だと思っています。目的とその効果、そして伝達の方法を理解し実現させる(実現方法をよく検討する)ことが必要なのであって、特定の人がやらなければならないということはありません。しかし、様々な制約がある中でこれらのことを実現させようとした時、編集者、ブックデザイナー、あるいは出版社など、誰が行うかを検討しなければならないのだと思います。

 どのような職業でも、前例踏襲だけでは進歩も発展もありません。過去の仕事や他者の仕事に目を向け、目の前にある課題に対して自分だったらどうするかを考え、実現することが、進歩や発展に繋がるのです。これを疎かにした産業は、必ず衰退します。

●写植書体を再評価する〈1〉文字とレイアウトについて

 手動写植機が現在よりも多く活躍していた2000年代前半辺りまでは、デザイナーと写植オペレータが協同して美しい紙面を作り上げている雑誌が多くありました。目次として読みやすく、かつ見た目も美しい。その拘りが上質で豊潤な雰囲気を作り、心地良い読書の時間を与えているのです。

●写植書体を再評価する〈2〉石井明朝体について

 石井明朝体OKLは1970年代に大量に使用された、手垢がついた書体でもあります。しかしそれは、作者の人格が現れた、優しく魅力的な書体だからでもあったのです。1990年代以降の写植組版に於いて、定番中の定番となっていたこの書体が能動的に選ばれたかどうかについては、よく考察する必要があるのかもしれません。

●デジタルフォントとの比較

 写植組版による雑誌の本文に於いて、その本の人格を決定してきたというBM-OKLとMM-OKLですが、1990年代後半から急速に訪れたDTP化の波により、この2書体が使用できない環境では類似の書体が使われるようになりました。

 游築五号仮名もこぶりなゴシックもそれぞれ石井明朝体OKLと石井ゴシック体の衣鉢を継ぐデジタルフォントです。但しいずれも石井書体よりも画線のメリハリが少なく、骨格も整理され、熟成というよりは若々しい印象です。石井書体にはないこのような特徴もまた、新しい雑誌の人格を作っているのです。

●写植書体とデジタルフォントの組み合わせ

 最後は貴重な例でした。大見出しと小見出しは石井太ゴシック体、本文はこぶりなゴシックW6、図版のキャプションはモリサワの太ゴB101と思われる書体(不鮮明で特定不能)で組まれています。DTP用書体と写研書体が共存し、使い分けられている誌面。この資料を見た瞬間、「こうだったらいいのになあ!」と心の中で叫びました。

●今でも使われている写植書体

 現在でも写植書体は使用できます。書体アウトラインサービス、電算写植、手動写植のいずれも現役で稼働しています。正木さんは今回の講演にあたり、それぞれの代表的な提供者に対し写研書体の受注状況を調査しています。

 写研の書体は使いにくくても代わりがないから、類似の書体では満足できないから使うんだというデザイナーの明確な意志が感じ取れる一方、ディスプレイ書体は特定の書体しか使われていない(その書体が生まれた頃に爆発的に使われ、時代の空気を帯びてしまったからか?)など、写研書体が置かれている現状をよく表した結果だと思いました。

●写植の「葬式」……いや「残していく」んだ!

 本講演で、作り手や読み手から見た書体の違いとは何か、時代と書体の関係性、本文書体の読み心地比較、写植書体の再評価……と議論を深めてきたお二人。それでは、今後の写植書体はどうあるのがよいのでしょうか。

 小宮山さんから、写植はまだ総括がされていないという趣旨で「やっぱりちゃんと葬式はしてやらないと可哀相ですよね。」とご発言があった瞬間、思わず「いや、写植は生きています!」と発言してしまいそうになりました。と同時に、「いや生きてますよ、生きてますって。」と正木さんが言葉を挟みました。
 この時の心強さ、そして「生きている」と言わないと生きていると認識してもらえない哀しさといったら。どうしたら写植書体が生き続けられるのか(DTP用に移植せよということは分かり切っている。それが叶わない現状で使ってもらうにはどうしたらよいかということ)、そして、私の活動の在り方について大きな課題を頂いたように思いました。脈々と受け継がれてきた活字文化の歴史のうち、写植の時代だけがぽっかりと抜け落ちることだけは何としても避けなければなりません。今後文字に携わることになるであろう未来の人達の為にも。

 写植書体の魅力や価値を知っていて、それらを活用してきたことを実体験として語ることができる世代は既に40〜50代以上に限られています。一方で、写植の時代に生まれ育ち、その時代の育んできたものが突然断たれたことを肌で感じてきた、正木さんを始めとする私達(執筆現在30〜40代辺り)だからこそ語れることも間違いなくあります。それを更に若い世代へ語る機会も今後増えていくでしょう。
 写植で活字文化を創ってきた世代から、それを受け取っていた世代へ。その歴史を知り、価値や価値観を共有し、形がある状態で引き継げるうちに引き継いでおかなければなりません。次の世代へとバトンを渡すテイクオーバーゾーンは、もう始まっているのです。

 ここで時間切れとなりました。聴講者からの質問を受け付け、数人からの発言に対してお二人からコメントを頂きました。株式会社イワタの技術部・狩野宏樹さんが最初に発言され、以降主にイワタ書体に関する話に。
 筆者からも、写研版の岩田細明朝体にについて、「1979年に改訂があって文字の品質が向上し、書体コードが『ILM-A』と改訂記号のAが付いたので、写研の岩田細明朝体でも発行された時代によって読み味が異なる筈です。」という補足をしました(→参考再掲:書体のはなし・岩田細明朝体の「モリサワ版と写研版の違い」)。
 小宮山さんから、「岩田明朝体の活版時代の見本帳には、AとBがあります。Bはベントン用、Aは手彫りの字だと聞いたことがあります。今の説明でよく分かりました。」と更に詳しくご説明を頂きました(ベントン用の原字は彫刻、母型、活字鋳造、印字と多くの過程を経るため、予め細くなっているということ)。ありがとうございました。

●時代が変わっても、人の心のぬくもりは変わらない

 終演後は有志で近くの中華料理店に向かい、懇親会を行いました。運営側の方々や連続して聴講されている方の中に混じらせていただきました。懇親会の参加も2年以上振り。お酒の力もあり、写植について声が嗄れそうになるほど話してしまいました。

 日下潤一さんと名刺交換させていただき、「写植を残していきたいのであれば、打てるだけでは意味がない。組まなければ。高々500年のことだから、タイポグラフィの歴史も学んでほしい。」と激励の言葉を頂きました。
 当方が持参した名刺に住所を載せていなかったので、日下さんにお渡しした名刺に手書きしていると、正木さんがやってきて「亮月さんの筆跡初めて見ました! 意外じゃないかも。」と言われ何だか照れる。そして「日下さんと名刺交換したんですね!」とグータッチ。少し改まって、「会場でご挨拶できずすみませんでした。帰られてしまったのかと思っていました。今日のセミナーは亮月さんが来てくれたらいいなと思っていました。話しているとき、亮月さんが頷いてくださるのが見えたときが何度かあって、とても心強かったです。来てくださってありがとうございます。とても嬉しかった。」とおっしゃっていただき、私も感激しました。

「もしかして亮月さんですか?」と声を掛けてくださったのは20代の男性の方。
「質問コーナーで『岐阜の亮月写植室』と聞いて、もしかしてと思いました。10年以上前に掲示板に書き込んでいた小学生です。」……当時その方とやり取りしていたことを私もはっきりと覚えていました。彼は当時の私の年齢になっていたのです。私が知る限り最年少の書体制作者だったのでとても印象に残っていて、時折「どうしているんだろう」と気に掛けていましたが、10年以上越しで本人にお会いすることが叶い、とても感慨深く、嬉しかったです。
 懇親会に参加するに当たり、かつてサイト上で実施した自主企画『文字盤プレゼント』を現地ですることにしていました。所有する文字盤のうち、重複するものを差し上げるというものです。つめ組み用文字盤のサブプレートをぴかぴかに磨き上げて10枚ほどを持参しました。文字盤を見たことがない方が大半だったようです。鳥海さんに「どうやって手に入れたの? おれ、写研でつめ文字盤の配置を作っていたんだよ。」と声を掛けてくださいました。
 つめ組み用文字盤を差し上げた方が熱心に写植についての話を聞いてくださり、運営の方の二次会にも誘っていただき、最後は筆者の宿がある場所まで案内してくださいました。本当に本当にありがとうございました。

 参加や上京自体が2年以上振りだったこの講演を通して、写植が現在置かれている状況と今後の課題を明らかにすることができました。本稿は聴講ノートをを基にまとめていますが、その過程で私の思いや考察も掘り下げることができました。
 そして、文字を愛する人達とのあたたかい交流もありました。時代がどんなに変わっても、そこにいる人達の心のぬくもりは変わらない。小宮山さん・正木さんを始め、このとき関わらせていただいた全ての方に感謝します。ありがとうございました。

【完】


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