舞台『アジアの女』観覧記

2006年10月7日(土曜日)・於:新国立劇場

 2006年10月7日午後。東京見物の後、富田靖子さんが主演の舞台『アジアの女』を観に初台の新国立劇場に向かう。到着したのは開場10分前の17時20分。舞台がある小劇場の入り口には未だ数人しか集まっておらず、(大丈夫だろうか?)と心配してしまうほど閑散としている。だが開場時刻を過ぎると堰を切ったように観客が来始めた。パンフレットを買い劇場の高い飲み物(500円)を飲んで士気を高める(やっぱりか)。

 小劇場は長方形の部屋の中央にT字型の舞台がはまっていてそれを挟むように客席がある。300席ぐらいでそれほど大きくないが奥行きはある。筆者の座った「B2列7番」はT字の縦画左側の前から4番目、右から2番目の席で予想よりも舞台がかなり近くて驚く。客層は20代から40代と思われる人が満遍なくいて、お年寄りもちらほら。心配していた座席は開演直前には95%ぐらい埋まっていた。

 舞台装置は、席から見て上手[かみて]に手前へ傾いた2階建ての古いアパート、下手[しもて]に主人公・麻希子(富田さん)達が住む1階が押しつぶされて2階だけ残った家がある。中央は広場のようになっていて、隅に畑のようなものがある。T字の縦画部分は花道のようで石畳の下り坂になっている。席から間を置かずに舞台になっているので、ここを富田さんが通るのだろうか……とひそかに楽しみにしていた。

 18時過ぎ、開演。近未来、震災によって破壊された東京でひっそり暮らす兄妹のもとに知人の作家がやってきて次第に色々な出来事に巻き込まれ……というのが大体の流れ。震災で日常が一度に崩れ、心に傷を負った兄妹や周りの人達を丹念に描く。気持ちが壊れてしまった人を演じることはとても難しいことだと思うが、殺伐としたやり取りにこちらが辛い気持ちになるほど生々しい演技で、自分も同じ場所で暮らしているような錯覚に陥る。とはいっても全編暗い雰囲気というわけではなく、中盤あたりからは笑い声もよく聞こえた(村田役・菅原永二氏のツッコミが特によかった)。序盤では嫌な奴だと思っていた登場人物にいつしか親近感が湧いていた。心を閉ざしていた麻希子が次第に心を開き、彼女の純粋な気持ちがやがて強い信念になり、積極的に生きるようになっていく過程が震災からの復興を象徴しているようだった。ただ、クライマックスでは暗転後に誰もいなくなっていて、カーテンコールもなく開場のアナウンスでやっと終演を知り拍手するという今まで体験したことがないもので、仄かな未来への希望とともに後味を残す舞台だった。

 富田さんは物語の主軸になる大切な役柄で、重いテーマを背負いつつも独特の持ち味を発揮しているようだった。真剣に話す場面はしっとりと抑揚をつけて“女優・富田靖子”を十分に堪能させてくれた。それに、富田さん達が席の真右で演技する場面があったのでとても嬉しかった。手を伸ばせば届いてしまう距離に富田靖子がいる! と感激もひとしお。確か口論の場面だと思うが、富田さんが台詞を言う度に(※あまりきれいな話でなくてすみません→)暗い客席の中ライトに照らされて口から唾が飛んでいることがよく判った。体面を気にせず100パーセント演技に集中していたからだと思うし、人間なら当たり前の生理現象であるが、こんな女優さんが……と不思議な気分だった。裏を返せば“迫真の演技”だったということだが。また、今回の舞台はコメディーではなかったが、明るく話す時は口調のあちらこちらにおちゃめさが出ていた(笑)。口をすぼめて喋るような感じ(?)。……以前書いたかもしれないが、演技が上手いだけだったらファンにならなかった。たとえ真剣勝負の場であってもどこか三枚目っぽい所があって人間くさいところを見せてくれるから富田靖子から目が離せないのだろう。

 20時過ぎに終演、舞台が間近にあるのでセットをじっくり眺めたり少し触ったりしてから劇場を出る。アンケートを書いているうちに人がどんどん少なくなっていき初台駅への道は寂しいものだったが、今回もこの上ない充実感を持って帰ったのであった。【完】

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