おかげさまでサイト開設10年を迎えた亮月製作所。
これほど長く続くとは思いませんでした。
この長い時間の中で色々なことがありました。
トップページの画像とともに、大まかに振り返ってみたいと思います。


●1999.5.26(開設)〜2000.2.13

 亮月製作所最初期の姿。管理人はまだ10代でした。

 大学の授業に「ホームページ作成」があり、それを利用してこっそりこのサイトを立ち上げたのです。素材は自宅で用意しておいてフロッピーディスクで持って行き、HTMLをタグ打ちしたものを大学のサーバにアップしていました。

 デザインは雑多な感じで、イラストがメインのサイトでした。ゲーム『マリーのアトリエ』のファンページもありました。
 現在も不定期連載を続ける「書体のはなし」は、活動報告誌(機関誌)の中で書いていたのでそれを流用しました。
 写植書体を使うなど、既に現在に通ずるこだわりがありました。

 ちなみに2001年頃までは「桂光亮月」を[けいこうりょうげつ]と読んでいました。

当時好きだったもの
 マリーのアトリエ、エリーのアトリエ

当時始めたもの
 オリジナルイラスト、コピックスケッチ使用、写植屋さんの利用


●2000.2.14〜2001.8.7

 デザインに凝ってみようと思い、これまでのものを下敷きに改訂したもの。

 自作MIDIデータを掲載した「音楽制作部」を設立したのはこの頃です。「おたよりコーナー」(掲示板)も開設。まだ友人知人との交流が主でした。

 アクセス数は年間1000回ぐらいでした。

当時好きだったもの
 テイルズシリーズ

当時始めたもの
 
携帯電話使用、歌謡曲鑑賞


●2001.8.8〜2004.3.30

 これまでのデザインがまだまだ改善の余地ありと思い、ゼロからリニューアルしました。各項目の書体はモリサワの「見出ゴシック体MB31」。このレイアウトに見覚えがある方もいらっしゃるのでは。

 夜空に浮かぶ月の光を表現した“亮月マーク”が登場したのもこの時です(2003年1月制定)。“写植ファンサイト”というキャッチコピーも同年4月頃から使い始めました。

 写植オペレータだった方との交流が増えました。また、写植を調べにこのサイトをご覧くださる方も増えた為、2003年10月に「写植とは」コーナーを新設しました。

 オーディオにはまったり、つじあやのさんに熱を上げたり、知り合いの写植屋さんが廃業して写植が使えなくなったり、ネットを通じて出会った友人が初めて出来たり……激動の時代でした。

 2003年3月いっぱいで大学を卒業した為、サーバから引き払い、“アパート暮らし”(レンタルサーバ利用)となりました。
 念願の10000アクセスを迎えたのは2003年12月25日でした。

当時好きだったもの
 フルーツバスケット、っポイ!、おまけの小林クン(白泉社の少女漫画にはまった)、犬夜叉、猫の恩返し、つじあやの、手書きフォント(「すずこん」さんのファンになる)

当時始めたもの
 
中古オーディオ、手動写植機の使用、ウクレレ演奏


●2004.3.31〜2004.9.3

 現行のレイアウトがほぼ完成。各項目の書体は写植屋さんに印字してもらった「ゴナDB」。写植ファンサイトらしくなってきました。

 イラストを描き始めて10年経ったので、特別企画として「十年展」を半年にわたり開催しました。

当時好きだったもの
 SWING GIRLS


●2004.9.4〜現行

 現行のレイアウトです。これ以上大きく変えることはないと思います。

 これまでトップ画像とメインページが分離していたものを統合しました。トップ画像は全て管理人が撮影又は描いたものです。気まぐれに変えています。

 この辺りから活動が活発になり、「写植屋さんに行こう」「さようなら写植。」といったレポートものが増えていったので「写植レポート」というコーナーを開設しました。

 2007〜2008年には歌うソフトウェア音源であるVOCALOIDの「初音ミク」らを迎え、2008年に写研の『写植のうた』を復刻、音楽制作活動も大きく前進したように思います。

 文字関係の方々との交流が増え、“日本で唯一の写植ファンサイト”という地位が確立できたように思います。

 これからの展開はどうなることやら……と思いますが、これまでの10年のように好きなことをマイペースに続けていけたらと思っています。それがサイト長寿の秘訣なのかもしれません。

 今後ともよろしくお願いいたします。

好きになったもの
 遊佐未森、ハチミツとクローバー、湯川潮音、初音ミクほかVOCALOID、こうの史代、狼と香辛料、写植のうた、東方Project

始めたもの
 一眼レフカメラの使用、ヴォーカル作品制作、亮月研


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