2014.1.9(木)株式会社星海社「ジセダイ」主催
於:ジュンク堂書店池袋本店4階
●文字食さん、書体を語る
2013年の暮れも押し迫った頃、筆者の許に1冊の本が届きました。 『本を読む人のための書体入門』。
書体に対する“食感”を言葉で表現した『文字の食卓』※の作者である正木香子さんが、書体に対する思いを新書に纏められたのです。(※→サイト →書籍紹介)
その発売記念イベントが開かれるらしい、そして星海社の催しとしては最速の予約の埋まり具合らしいと風の便りで知った2014年正月。本書を読み進め、感銘を受けた筆者は葛藤していました。催しの開催は木曜日の晩。開催地は勿論東京。岐阜の人間が行くことはできない……いや、どうしてもこの目と耳で、正木さんの思いを観たい、聴きたいんだ。
次の瞬間には東京在住の知人に頼み込んでいました。「どうか私の代わりに正木さんのお話を聴いておいていただけませんか」と。そうすることしかできないだろうと自分に言い聞かせるようにしながら苦渋の判断を下しました。
翌日その知人から連絡があり、「聴講の申込期限ぎりぎりでしたが何とか席を確保できました。2席取れたので誰かと行けるのですが決まっていないんですよ。」とのことでした。考えること数秒……「分かりました。仕事帰りに行きます!」
●「文筆家・正木香子」
2014年1月9日、木曜日の夕方。仕事の服装のままで降り立った東京には冷たい風が吹き荒れていました。東海地方とはまるで違う東京の平日の表情に溶け込もうとしながら池袋へ向かいました。仕事や移動のことを忘れられるような期待感とは裏腹に、体の芯まで冷えきるような寒い宵の始まりでした。
会場であるジュンク堂池袋本店には思いの外早く到着してしまいました。
入口手前の掲示板に目をやると……
おおお、正木さんのお名前がある! 著名な方達と同じ土俵に立っている!
「文筆家・正木香子」さんの活躍を我が事のように嬉しく思いました。
扉の前にもこの催しが大書された案内が出ていました。店内にも本書を飾る黄色い“猫帯”を模した告知ポスターがあちこちに張り出されていました。(店内のため撮影しておりません。)
会場である4階の喫茶では準備中。「正木さんが」「紺野さんが」と仕切りの中からスタッフの方の声が聞こえていました。
入場の受付までまだ時間があったため、新書の階で本書の復習をしているうちに同行人さんも到着。写植や書体の話をしながら、19時の開場をほぼ一番乗りで臨むことができました。
会場である喫茶は奥行が浅く、演者から見て客席が横長の配置。聴講は普段なるべく演者に近い所からするようにしていますが、今回は演者の席から最短で数十センチと非常に近い位置関係だったため、目立たないように、正木さんが見付けて負担にならないように、隅っこからこっそり見守らせていただくことにしました。
受付で頂いた印刷物は3点。この催しの概要を記したチラシ。「本日のおしながき」と題され、「本を読む人のための書体入門」という文字が30種類の書体で印字されたもの。そして罫で囲まれた「今年の抱負をお書きください。」という紙。30書体の中から正木さんと吉岡さんが抱負に相応しい書体を選んでくれるということでした。
あたたかいコーヒーを頂きながら開演時刻を待っていると、少しずつ聴講の方が入ってきて、40人の座席が埋まっていきました。年齢層はかなり若く、20代から30代くらいが大半。そして女性が多いと感じました。お会いしたことがある方もちらほら。まさか岐阜の田舎者が仕事帰りに来ているとは思うまい……(笑)。
●はじめまして、文字食です
そして19時30分。会場の空気がふわっと静まったかと思うと司会の方の進行が始まり、講演者のお三方が登場されました。本書の装幀を行ったブックデザイナーの吉岡秀典さん、フォントディレクターの紺野慎一さん、そして正木さん。筆者にとって半年振りの正木さんは変わらず、しかし輝いて見えました。
※以下、聴講メモから書き起こしたものであり、内容を正しく再現しているかについては保証できません。悪しからずご了承ください。
まずは自己紹介から。
「はじめまして。文字食です。」と少し照れくさそうに正木さん。「父兄参観みたいな気持ちで観ていただいている方もいると思います。文字っ子の方から私のいとこまで来てくださってありがとうございます。」
“文字食”。個人的な印象ではありますが、「読んでいる文字をむしゃむしゃと食べてしまいます。」と、ある物語のエピソードに似たこの一言を必ず思い浮かべてしまうのです。正木さんは本を読んではあの書体を「おいしい……」と味わっているのではないだろうか、と妄想。
吉岡さんがこういった場でお話しになることはあまりないとのこと。また、星海社新書を創刊して2年経つものの、紺野さんがこうしてこの新書についての話をするのは初めてだそうです。とても貴重な機会でした。
今回の目玉は、先程配布された今年の抱負を使っての書き初めならぬ「書体初め」。この“文字食ライブ”とも言える企画は正木さんの発案だそうです。 伝え手と受け手のどちらもが立場を超えて協同し、この場でつくり上げ共有する喜びを欲していることに、来場者に手動写植機で自分の打ちたい文字を印字していただく体験と相通ずるものを感じました。
●星海社新書・装幀のポイント
読み手とデザイナーとでは視点が違うということを念頭に置きながら、紺野さんが吉岡さんに質問。「この本の表紙の題名は漢字と仮名とで書体が違いますが、これは敢えてそうしたもの。背表紙は漢字と仮名が同じ書体。その意図は?」と。タイプバンクゴシックの漢字と游築初号ゴシックの仮名という珍しい組み合わせです。
吉岡さんによると、「新書が各社から色々出ている中で何故今新たに出すのか、どういうものとして作るかを編集長に尋ねたら、20・30代の若い人に向けての新書ということでした。新書というと年齢の高い方が読むもので地味というイメージがあって、全く違うものにしたいと思っていました。書体を明朝にするのかゴシックにするのか、縦組み・横組みにするのかというやり取りもしました。講談社の現代新書は題名がゴシックなのが現代的でいいと思っていましたが、上役の方に他の新書と見比べていただいたときは基になるもの(既存の概念)があったからか『あまりよくない』という反応がありました(笑)。」とのこと。
正木さんはこの装幀について「書店で見ているときは『変わってるな』と思いました。吉岡さんの(上のような)お話は嬉しい。選ばれなかった無数の書体を感じている、ということを本に書いたのですが、吉岡さんは書体を選ぶことについて計算されてるなと思いました。どんな風に読まれたがっているかを伝えるために書体があると思っているので、必然性がちゃんとあると思います。」と。
正木さんが新書本の装幀を「普通じゃない」と思うようなところが普通じゃない、と感心する紺野さん。印刷物のデザインに職業として関わっていない読み手がここまで書体の使われ方を意識していて、それを書体の使い手に直接伝えているこの会話、これまでにあったでしょうか。
題名の書体を漢字と仮名で変えたことについては、吉岡さんは大きな見出し等でいつも普通にやることだそうで、他の組み合わせも試す中で現代的な雰囲気を作るときに「古風な骨格が入っても洗練されている」という雰囲気があると新しく見えるのではないかと思ったとのこと。文字の太さなども気になる所があると弄りたくなるそうです。
●本として出来上がるまでに
正木さんがこの本の原稿を執筆してきて初めてレイアウトが上がってきたときのことも語ってくださいました。
「新書としてはあり得ないくらい写植を使っているのですが、進行の都合上写植の箇所は最後の最後まで文字が入っていなかったので、妄想の中でのやり取りだったんです。佳境になって写植の文字が入ってきたときは面白かったですね。」と。
吉岡さんの当初のアイディアではページ毎に書体を変える案もあったそうです。書体が変わったときのショックを読者に味わってほしいという思いによるものだったものの、正木さんが校正を読めないから一つの書体にしてほしいと申し出て現状のようになったとのこと。確かに本文が毎ページ違う印象ではそれを読まされる側も辛いし、作業的にもものすごく大変なものになったのでは……(笑)。
本が出来上がった当時、正木さんはどうしちゃったのというぐらいそわそわしていたとのことで、発売されて間もないにも拘らず反響があってほっとしているご様子。実は『文字の食卓』の書籍化が決定する前から本書の準備をしていて同時進行だった(!)のだとか。偶然そうなった2冊の刊行のタイミングのお蔭で『文字の食卓』の行間を本書で埋めることができたのだそうです。
元々、星海社新書で担当された柿内芳文さんが「書体の本を作りたい」という思いを持っていて、正木さんもデザイナー向けではなく読者に一緒に考えてもらったり書体について語りたくなったりするような本を書けたらと思っている中で、2013年1月頃に正木さんが紺野さんにその思いを話したら柿内さんと引き合わせてもらえたという。
紺野さんによると、正木さんの文章はサイト「文字の食卓」の頃から読んでいて「何も心配していなかった」とか。
●書体名を言ったら怒ります!
ここでトークはひと区切り、この催しの目玉である“書体初め”に入ります。
この日のために正木さんが選んだという「“文字食パスポート”……言いたかった(笑)」というおしながきの30書体は「書体の名前はそんなに重要じゃないという思いから書体名は敢えて入れていません。知っていても言っちゃダメですよ。……言ったら……私が怒ります!」ということで書体毎に番号が振ってあり、ここからは書体名発言は禁止に。紺野さんから「文字食LETS」とフォローが入り、正木さんも反復していました。本文・見出し・デザイン系と様々な種類・太さの書体が選ばれていました。
聴講者が書いた抱負を正木さん達が見て一番相応しい書体を選び、ソフト上でリアルタイムに文字を打ってプリンターで和紙に印字、正木さんが落款を押して完成、という流れでした。書体選びの過程は常時プロジェクターで壁に映し出されていました。まさに“文字食ライブ”!
例えば「吞みすぎない。」という抱負。すぐに「ととのいました!」と正木さん。正木さんは5番、吉岡さんは26番を選んでいました。「浮世離れしていて、道楽っぽく、洗練っぽくもありつつお酒っぽいかな。(漢字の横画がポキッといきそうで)危ういですね。でも確実に吞みますね(笑)」と。抱負を書いた方の思いを聞きながら丁寧に書体を選んでいきました。
その人が感じてきたものや思っていることを、選んだ書体を通じて現在進行形でより深く共有しているという新しい感覚を味わいました。後述のように、これだけでも催しが充分成立するのではと思うほど楽しくて興味深い時間でした。
●質問コーナー
書体初めはとても盛り上がり、4人の方の抱負を打ち終えたところで時間いっぱいに。続いて正木さん達への質問コーナーが始まりました。
・星海社新書の試し読みをウェブサイト上でできますが、実物とレイアウトが異なるものがあります。何故でしょうか?
→(紺野さん)あるタイミングまではビューワー用にデータを作成していましたが、現在作成している試し読み用のデータは書籍と同じレイアウトで読めます。
・文字から色を感じることはありますか?
→(正木さん)色は感じません。音や感触はあります。なんででしょうね?(※筆者註:正木さんの twitter の2014年1月11日9時14分・15分の記事に補足あり。)
→(吉岡さん)確かに言われないと思い浮かばないですね。
・おしながきの書体名を知りたいです。
→(紺野さん)知りたい方いますか?(半分くらいは挙手)一覧を用意します。(※2014.2.2追記:正木さんのブログの本日付け「【書体初め】本日のおしながき解答」に掲載されました。)
・絶対音感のある人は音色で音階が分かるのですが、人の名前で書体が浮かぶようなことはありますか?
→(正木さん)思い浮かばないのです。書体初めは「双方向のイベントをしませんか」と星海社の広報の方から相談があったのですが、当初、提案していただいた企画は名前に合う書体を選ぶというものでした。それだと太った人なら太い書体とか単純になりそうでしたが、その人が考えた言葉と気持ちがかけ合わさって書体を選ぶ行為になるなぁと思ったので、新年の抱負をテーマにすることにしました。来年も集まってやりたいですね(笑)。(紺野さん)これだけで2時間余裕でできますね。
●文字食さんの眼に
ここで正木さんからお土産が。紅白歌合戦を見ながら夜なべして作ったという、おしながきの30書体に合わせて書いた言葉をその書体で刷り込んだ特製の「文字食おみくじ」! 終演後の帰りがけに一人一本引くのだそう。
最後にお三方からご挨拶。
吉岡さん「ここまで文字に感性を持った方がいるんだなと驚いています。ホリエモン(堀江貴文氏)の『ゼロ』の帯を柿内さんが担当して、iPhone の画面に小さく書影が映っているのを正木さんが「写植じゃないですか!」と気付いたとき。誰も気付いてあげられなかったことに正木さんは気付いていたり、色々なことに驚かされたりして、この本に関われてよかったなと思っています。ありがとうございました。」
紺野さん「類書がないものができたと思っています。あるようでないじゃないですか。これからも長く読み継がれていくんじゃないかなと思います。ありがとう。」
そして最後に、正木さん。「こんなに多くの人に来ていただけるなんて思っていなかったので、本当にありがとうございます。周りの人、書体に興味のなさそうな人に薦めてください。猫帯も見せびらかしてください。ありがとうございました。」……正木さんは感極まりそうになっているようにも見え、ここに至るまでのことと彼女の気持ちを推し量りながら、ただただ拍手を送るばかりでした。
サイン会の前に文字食おみくじを引かせていただくと、運勢は大吉でした! たった2行の言葉だけれども、何か物語が始まりそうな、想像の広がる世界観が書体とともにありました。今年もよい年でありますように。
サイン会の長い列は少〜しずつ進んでいきました。熱心な“文字っ子”さん達に丁寧に応対する正木さんの人柄。この本にこの人あり、だなと思いました。
筆者はできる限り後ろの方に並んでこっそりサインを頂くつもりでした。緊張しながら正木さんの前へ。きっと感想を沢山頂いたのでしょう、正木さんはまだ涙ぐんでいるようにも見えました。筆者も泣いてしまいそうだったので、できるだけ平静に「来たよ」と声をかける。
「会場に入って2秒で気付いたよ! 視界の真正面にいるから、ずっと心強かったです。」
バレバレだったのです(笑)。
あぁ、これはもう、正木さんに参りましただな〜(?)と思いながらサインを頂き、あたたかい気持ちとともに開場を後にしました。店舗の外へ出ても、東京の冬枯れの寒さを感じなくなっていました。
同行人さんと書体や写植を肴に美味しいお酒を頂く。(その節はありがとうございました! あの時はすっごく驚きました!←私信)
こうして一年の初めに活動の大きな力を頂いた半日でした。
正木さん、吉岡さん、紺野さん、そしてこの本に関わられた皆様。素敵な御本を作られ、このような催しを開いてくださって、本当にありがとうございました。
【完】
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