亮月写植室

写植レポート

写植について取材を行った時のことをまとめた活動報告です。
見出しをクリックすると記事が読めます。年月日は取材日です。

※記事での筆者のコメントは、執筆時点での見解です。ご了承ください。


写研が動いた日2024 よみがえる名作書体
2024.2.22

邦文写真植字機特許出願100周年を迎える2024年。記念すべき年に発表されたもう一つの報せは、石井書体の改刻のみならず他の名作書体が写植時代そのままの形状でOpenTypeフォント化されるということでした。長年待ち望んだその日はもうすぐです。写研社内の催しで踊られたという幻の『写研音頭』も本邦初公開! お祝いにみんなで踊りましょう!(2024.4.16掲載)


2023.4.2

亮月写植室は3台の手動写植機を所有しています。そのうちの1台・SPICA-AHは2013年から貸し出していましたが、10年振りに返還いただくことになりました。久し振りに還ってきた写植機を前に、筆者は何を思うでしょうか。(2023.4.28掲載)


2022.11.27

2022年11月、写研はDTP用フォントのリリース第一弾として石井明朝・ゴシックを予定しており、モリサワと字游工房の手によって改刻中であるとの発表がありました。石井書体は“令和の改刻”によってどうなるのでしょうか。様々な気持ちが入り混じった、8年振りの聴講レポートです。(2023.2.22掲載)


2022.10.14
恥ずかしながらモリサワの写植についてあまり知見がない筆者。ある日届いた「写植機を処分したい」というメールには、見たこともないモリサワ手動写植機の最高機種の名が! 最高機種はどのような所で使われていたのでしょうか。どうしてもこの目で見てみたいという気持ちが抑えられず、久々に遠方へ取材しました。(2022.11.4掲載)
学校に忘れ去られていた“幻の銘機”PAVO-J詳細解説
2021.4.26
写研が公式サイトを開設し、ネット上にアーカイブを公開すると発表した2021年春。筆者は今後も活動を続けるかについて悩みました。そんな中、ある大学から「写植機が見付かりました」とメールが。見たこともない機械式の「PAVO-J」があるとのこと。見に行かねば!(2021.6.6掲載)
おとうさんの写植機〜レオンマックス1型詳細解説
2020.7.18
亡き父が愛用していた写植機をお譲りしたい、一本のメールをきっかけに、見たこともない写植機との出会いがあり、何気ない言葉の中から家族にとっての写植や家業とは何であるかを感じることができました。(2020.8.8掲載)

2019.10.14
(※PDFを掲載)「稀代のヒットメーカー」と呼ばれた作曲家・筒美京平。氏が残したシングル作品は1960年代から2010年代までに1100枚を超え、多くの大ヒット作を生みました。時代とともに変遷したのは楽曲だけでなく、使用された書体もそうでした。そこでジャケットに使用された書体の傾向を探るため調査を行い、レポートとして纏めました。※初出:大阪DTPの勉強部屋『文字と組版、印刷展』パンフレット(2019年10月14日発行)(2022.2.23掲載)
ミニレポ
写真植字機、空を飛ぶ
2019.2〜3
管理人の自宅新築構想とともに持ち上がった“新社屋”計画。幸いにして実現し、あの重い写植機も移動することになりました。あっけないほどに、しかし力強くダイナミックに、写植機は新しい住まいへと移っていきました。(2019.3.7掲載)
テレビと写植
2008.7、2011.9、
2013、2018.7
いつの間にかテレビ画面からも消え去ってしまった写植書体。その直中にあった2008年、あるテレビ局でテロップ作成を請け負っている方からその内情を伺い、何度となくやり取りをさせていただきました。2018年、幸いにも別の方から客観的資料の提供を頂き、こうして日の目を見ることができました。10年越しの取材と研究により、半世紀に亘りテレビ画面を彩った「テレビ写植」の姿が見えてきました。(2018.7.22掲載)
神戸から写植の灯が消えても
2011.9.30〜10.1
「阪神大震災をともに乗り越えた写植機ですが、処分することになりました」……写植への思いが溢れる何通ものメールに心打たれ、神戸へ。写植に人生を捧げた社長さんが、その道のりや苦労、喜びを、ユーモアたっぷりに語ってくださいました。当時写植機を導入したばかりだった筆者も、その思いを実感として分かち合うことができました。(2018.1.7掲載)
ミニレポ
岐阜で時の過ぎゆくままに
2016.5.2〜11.13
(※写植室日報を再構成)筆者が住む岐阜県にも、写植は確かに生きていた。我が県庁所在地に残されていた写植機は、間もなく取り壊されるという社屋の中で、時の過ぎゆくままに立ち尽くしていました。長年放置された PAVO-KY の復旧方法も必見!
moji moji Party No.7 今田欣一の書体設計
2014.6.28〜29
 写研出身の書体設計師・今田欣一さんが還暦を迎えられました。文字にまつわる展覧会「moji moji Party」にて、今田さんの長きに亘るご活躍を間近で見聞きすることができるという貴重な機会に恵まれました。その充実した催しを詳細レポート。
鳥海修の文字塾[特別編]
2014.1.19
「書体初め」が大阪にもやってきた! 書体デザイナー・鳥海修さんの講演の特別編としてゲストに招かれたのは『文字の食卓』の正木香子さんとフォントディレクターの紺野慎一さん。この三人が書体についてのびのびと語らう半日間。笑いあり涙あり、文字への深い思いを感じました。
―新春!書体初め―『本を読む人のための書体入門』 発売記念イベント
2014.1.9
 2013年12月25日、『文字の食卓』の正木香子さんが本の読み手側の視点から書いた書体の本『本を読む人のための書体入門』 が発売されました。その記念イベントが催されると聞き、平日ではあるものの思い切って仕事帰りに行ってきました。
ミニレポ写真用印画紙を写植に使う
2013.12.25
 2013年初秋、「写植用印画紙が生産終了」との悲報が届きました。このままでは印字ができなくなり、写真植字が完全に過去のものとなるのではないか……と波紋を呼んだ写植業界。そこで、代替となる写真用黒白印画紙はないかと考え、印字を試みました。
写植への想いは海を越えて
2013.8.3
 見学希望のメールを頂いた相手は何と海外の方!  非常に驚きつつも熱い想いを感じて引き受けさせていただきました。海の向こうの写植はどうなっているのか、そして日本の写植をどのように捉えておられるのか。当室初の国際交流レポートです。
moji moji Party No.4 写植讃歌 〜mojiから伝わる音色〜
2013.6.1〜2
 6年前、表参道で開催された写植だけの展覧会が帰ってきた! 前回同様機械と書体の両面に迫る展示に魅せられ、あの方の驚くべき展開に筆者は仰天。写植ファンにとって幸福だった二日間をレポート。
熊本にも越された「写植屋さん」
2013.5.11
「熊本の実家にモリサワの写植機があります。近々処分したいのですが」……熊本、モリサワ、処分の予定……今見に行くしかないと思い訪れた先には、現役時代そのままの「写植屋さん」の姿がありました。
ミニレポPAVO-JV バッテリー交換
2012.9.19
 譲って頂いた時から電源を切る度に設定値を忘れる持病を抱えている PAVO-JV。印字に支障はないものの、電源投入の度に不調を訴え、設定をやり直さなければならないため対処法をご教示いただき、自力での修理を敢行しました。
書体開発とタイポグラフィ
2012.9.15
「鳥海さんが写研での文字づくりについて話してくださる予定とのことなので、大変貴重な機会だと思います。」この一言にコロリとやられてしまい、急遽赴くことになった武蔵野美術大学。42年間に亘り同学でタイポグラフィ教育に携わられた大町尚友氏の軌跡と書体開発に関するシンポジウム。ただならぬ何かを感じ取っていた筆者、どうなる……?
「写植の時代2」〈書体・組版〉展
2012.5.26〜27
 2012年2月に開催され好評を博した「写植の時代」展。今回は写植の書体にスポットを当てた展示会とのこと。前々から気になっていた「文字の食卓」さんの展示も併設されるということだったので、万障繰り合わせて行ってまいりました。
「写植の時代」展
2012.2.21
 藤田重信氏の講演を聴いて以来、写植室見学ツアーを開いていただくなど何かとご縁のある「大阪DTPの勉強部屋」で写植に関する展示会を開催するというお知らせが。稼働する機械式手動写植機「MC-6」による“生きた写植”の姿や非常に貴重な資料の数々。その熱意と写植への深い愛情に迫りました。
ミニレポはじめての見学会
2011.8.20〜21
 亮月写植室設立直前に参加した「大阪DTPの勉強部屋」でお会いした代表のえむさんから「亮月さんの街で勉強会を開きたい」とのお話を頂きました。亮月写植室を設立したばかりだったため非常に驚いた管理人。そんな中で行われた見学会と1泊2日の勉強会。その概要と写植に関する質疑応答の記録です。
写研が動いた日
2011.7.9
「第15回電子出版EXPO」に写研が出展すると聞き、何らかの動きを期待していた筆者。そして開催初日、多くの反響がネット上に溢れました。当時の筆者は非常に都合が悪く、行くのを躊躇っていましたが、写植ある所に亮月あり。どうしても会場で起こっている事が知りたくて半日間の東京行きを強行しました。
筑紫書体はどうやって、なぜ生まれたのか
2011.6.4
 元写研の藤田重信氏が携わっていることもあり発売前から気になっていた筑紫書体。独特なデザインに敬遠がちでしたが、何故あのようなデザインになったのか興味があり、「大阪DTPの勉強部屋」での作者ご本人の講演に足を運んでみました。
電算写植はこうしてできた
2010.11.27
 サイト移転後初の写植関連イベント参加。これまで手動写植機ばかり追いかけてきたので、電算写植がどのような経緯でどういう考えのもと開発されたかを知ることができ、見識が深まりました。
わたしの馬棚
2009.7.11
 活版デザイナー・澤辺由記子さんが活版技術のアーカイブ活動の一環として制作した「わたしの馬棚」。写植を後世に伝えたい筆者としては行かずにはいられない催し。澤辺さんとは2年ぶりの再会でした。
ベタ組みではダメなの?
2009.1

 DTP専門誌『DTPWORLD』に掲載された文字組についての記事がどうしても気になり、編集部に問い合わせてみました。そこから見いだすことができたものは……?


写植機おもいで40年
2008.4.13

 40年以上前から写植に携わっていたという方の所に伺いました。写植が最先端だった時代から衰退しきった現在まで、その想いを語ってくださいました。


書体と組版の魅力とこれから
2008.3.29

 DTPでも写植のようなやわらかくやさしい書体が増えてきました。それらに相応しく質の高い組版は写植時代に学ぶことができるのではないか。そう思い、手動写植オペレータの方に書体と組版の魅力やアドバイスを伺いました。


書体デザインの新潮流
2008.3.10

 書体デザインの過去・現在・未来を、著名な書体デザイナーやメーカーが語るという貴重な講演会。一番尊敬している書体デザイナーが講師をされるということで、行くしかない! と思い切って聴講してまいりました。まさに夢のようでした。


写植機カタログ閲覧会
2007.12.30

 ネットオークションで譲って頂いた貴重な写植機のカタログ。自分だけで見るのは勿体ないと「閲覧会」を開きました。


文字の引力2
2007.8.4〜6

「写植屋さんの見学が4年ぶりにできる!」と、そんな気持ちだけで再び行くことになった東京。しかし予想以上のことが待っていました。身に余る貴重な体験、文字どおり“文字づくし”の3日間でした。


文字の引力
2007.5.26

 亮月製作所に舞い込んだメール。そこには「写植だけの展覧会をやります」と。行くしかないと思った管理人と、引き寄せられた物事や人達との不思議な“引力”を感じた一日をレポート。


文字の楽しみ方
2005.11.12

「Apple Store で講演会をやりませんか」。驚くべきお誘いにたじろぐ管理人。しかしこんな機会はないと引き受けてみたら……。初のイベント参加をレポート。


さようなら写植。
2003.5.12〜6.21

「写植屋さんに行こう」で見学した会社が写植を廃業されると知ってから写植機が解体されるまでのドキュメンタリー。写植が消える時、人々は何を思うのか。


写植屋さんに行こう
1999.10.8

 中学生の時から興味があった写植。父の仕事先に“写植屋さん”があることを知り、大学(当時)のサークルの先輩達と見学させて頂いた時の記録です。初めて手動写植機に触り、印字までさせて頂きました。


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