書体のはなし ヒラギノ明朝体

●大日本スクリーン製造/字游工房 1993年

●デジタル時代に求められた明朝体

 かつて、書籍など商業用の本文組版は活版印刷によって行われていましたが、写真植字の技術を応用した電算写植システムが1960年代に実用化され、大量な印字処理が可能となりました。
 入力された文字データを印字する装置は、文字円盤を使用した自動写植機からデジタルフォントを使用したCRT写植機・レーザー写植機へと進化し、並行して組版能力やレイアウト能力も飛躍的に向上しました。
 仕上がりの状態を確認するには、実用化の当初は手動写植機と同じように実際に印字するしかありませんでしたが、最終的には現在のDTPのように、画面で見たままを印刷物にできるような性能に辿り着きました。
 こうして、1980年代には電算写植システムが文字組版の主流となりました。写真植字機メーカーだけでなく、印刷機器や情報処理機器のメーカーも多数参入しました。

 印刷機器メーカー「大日本スクリーン製造」*も例外ではなく、自社のデジタル組版システムを持っていました。他社の書体のライセンスを受け、その書体の文字盤をスキャンしてデジタルフォント化していたといいます。
 そのフォントの品質は十分なものではなく、ライセンス料も非常に高いものだったため、自社の機器用のデジタルフォントの制作を外部に依頼することになりました。仕事を受けたのは「字游工房」でした。
 字游工房は、写真植字機メーカー最大手の写研の社員だった鈴木勉氏・鳥海修氏・片田啓一氏が独立し、1989年に設立した書体設計会社です。1990年に同社が総力を挙げて制作に着手し、1993年に完成したのが「ヒラギノ明朝体」でした。
 大日本スクリーン製造のフォントシリーズには「ダイゴ」「ケアゲ」「オイケ」というように京都市内の地区の名称が付けられており、ヒラギノは京都市北区の「柊野」地区に由来しています。

*大日本スクリーン製造
2014年10月1日、大日本スクリーン製造株式会社の持株会社化に伴い、フォント開発部門は「株式会社SCREENグラフィックアンドプレシジョンソリューションズ」が承継しましたが、本稿および当サイトではヒラギノ書体開発当時の「大日本スクリーン製造」で統一します。

●「読む」より「見る」を想定

「ヒラギノ明朝体」を制作するに当たり、大日本スクリーン製造からは「写植機メーカーが書体を全てDTPでも使えるようにしたとしても生き残れるような書体にしてほしい」と要望があったといいます。
 字游工房は、要望に適う書体の方向性を探るため、様々な印刷物に使用されている書体を調査しました。印刷物の種類や使われている書体の適性を分析した結果を踏まえ、大日本スクリーン製造が印刷機器メーカーということで、雑誌やパンフレット、カタログなどのカラー印刷に適した、現代的でスタンダードなヴィジュアル向けの明朝体とすることにしました。

 上記の方向性を基にして制作されたヒラギノ明朝体は、既存の明朝体とは異なる特徴を持っています。
 画像や紙面のデザインを重視した印刷物と組み合わせて使用することを想定しているため、漢字と仮名といった文字の種類の違いや、あるいは文字の違いによって濃度ができるだけ変化しないように設計されています。読まれることよりも、文字を紙面のパーツとして全体的に見せることをより意識しているということです。
 文字の濃度を均一にするために、文字の懐(画線と画線との間にある隙間)の大きさを均一にし、印刷した際に文字の中のどこかが偏って黒っぽくならないようにしました。
 また、字面率を大きく取ることで字間が空かないようにし、漢字と仮名の大きさの差も少なくしました。こうすることで縦組みにも横組みにも適した書体としました。
 これらの特徴は、現代的で明るい印象を与えるものではありますが、小説など単行本の本文など長文には向かないものでした。長文では漢字と仮名の大きさや、文字毎の形の違いを無意識に判別し、読むための助けにしているからです。1998年に追加されたウェイトW2は書籍向けの太さであり、デザイナーからの要望で漢字と仮名の大きさの差がW3〜W8よりも強めにつけられています。

ヒラギノ明朝体W2とW3の比較
ヒラギノ明朝体W2とW3の仮名の比較
W2は本文向けということで、W3よりも字面が若干小さく、文字本来の形により近付き、始筆部の横向きのアクセントが強く、伸びやかさが若干抑制され、まるっこくなっている。

 ヒラギノ明朝体のそれぞれの文字の表情に着目してみると、漢字のエレメント(構成要素)はやや硬質な印象です。具体的には、曲線を深く曲げ込まずあっさりさせていること、点や払いを長くしていること、点を三角形に近いような形にしていること、画線の強弱を整理して曲線を滑らかにしていること、仮名も漢字に合わせて表情を付け過ぎていないことなどが挙げられます。こういった特徴も、ヒラギノ明朝体の現代的でシャープな印象作りに寄与しています。
 一方で、それぞれの文字は文字本来の形を活かした素直な形状であり、縦長の文字は縦長に、横長の文字は横長に設計されています。仮名の制作を担当した鳥海修氏によると、平安時代の上代仮名を意識して制作されたとのことです。筆遣いを意識しつつ奇を衒うことなく基本に忠実にまとめられ、どのような用途にも対応できるような普遍的な形にデザインされています。

 このようにして、ヒラギノ明朝体は“現代的でスタンダードなヴィジュアル向けの明朝体”というコンセプトを実現しました。

ヒラギノ明朝体と他書体との比較
ヒラギノ明朝体と他書体との比較

●MacOS Xに搭載、美しくも日常的な明朝体へ

 ヒラギノ明朝体が生まれた1990年代は写植からDTPへ移行する過渡期にありました。大日本スクリーン製造はヒラギノフォントを自社の組版システムに使用するだけでなく、DTP用デジタルフォントとしても販売しました。
 日本語DTPにおける業務用デジタルフォントは、黎明期からデジタルフォントを開発していたモリサワの書体が大半のシェアを占め、1990年代に入り参入したフォントワークスが二番手、そして大日本スクリーン製造ほか多数が追いかけるという構図でした。そのような状況の中、ヒラギノフォントの美しさは「写研の元社員が作った」という一種の価値も手伝って広く認知され、徐々に普及していきました。

 2000年、ヒラギノ明朝体にとって大きな追い風となる出来事がありました。MacOS X に標準搭載されたのです(ウェイトW3とW6。他にはヒラギノ角ゴシック体W3・W6・W8、ヒラギノ丸ゴシック体W4)。
 業務用と同等の書体がオペレーティングシステムに附属することは今までになかった画期的なことで、Macユーザーなら誰でも美しい書体の恩恵に与れるようになりました。それとともに、ヒラギノ明朝体の使用頻度は一気に上がり、画面表示や簡単なプリントから本来の目的だった商業印刷まで、日常的に使われる書体になりました。

 写植の時代を悪い意味で引きずった書体環境を抜け出した新しい明朝体の世代は、この書体から始まったのです。そして制作当初の願い通り、ヒラギノ明朝体は写植由来の書体に負けないような美しくスタンダードな明朝体として活躍を続けています。

ヒラギノ明朝体ファミリー見本
ヒラギノ明朝体ファミリーの見本
(※筆者の手持ちフォントで印字したため、ウェイトによりフォントのヴァージョンが異なります)

【管理人のコメント】

 ヒラギノ明朝体は、「字游工房には美しく独自な書体を精力的に追求する姿がある」と強く感じる書体です。既存の写植・活字書体の復刻もぜひ進めていただきたいのですが、その一方で、この書体のように長く未来に残る(スタンダードとして使われていく、普遍的な美しさを持つ)新しい書体を作っていくことも大切だと思います。
 ヒラギノ書体が MacOS X に標準搭載されているのはとてもありがたいことです。個人にも美しい書体を使う機会が広く与えられていることは、写植や金属活字が全盛の頃には考えられなかったことなのですから。
 私が知る限りで一番多くの人に知られている使用例は、「はちみつきんかんのど飴」(ノーベル製菓)だと思います。

●ファミリー

書体名
発表年
ヒラギノ明朝体W2 1998
ヒラギノ明朝体W3 1993
ヒラギノ明朝体W4 1993
ヒラギノ明朝体W5 1993
ヒラギノ明朝体W6 1993
ヒラギノ明朝体W7 1993
ヒラギノ明朝体W8 1993

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