わたしの馬棚

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筆者、御堂筋にはまる!

 トークイベント開演まで1時間。書店を探すが辺りはオフィス街。暇に任せて歩ける所まで行ってみた。
 淀川を越えて中洲へ。やがて梅田の賑わいが感じられる所まで来た。なーんだ、歩いて行けるやん!(しかしその判断はのちに間違っていたことを思い知る。)関西弁が聞こえてきて、熱気が伝わってきて、妙に気分が高揚した。
 ここで折り返し、東に古そうな橋と建物が見えたので行ってみた。淀屋橋と、その北端に建つ日本銀行大阪支店の石造りの建物。
 そこに通るのは、御堂筋。
 6車線以上のとても太い一方通行路で、心太を突くように車が動いたり止まったりしている。しばらく観察していると、御堂筋にある信号機は一斉に色が変わっていることに気がついた。これは面白い! こんな大量交通が信号機の意の儘なんて!


赤赤赤赤赤……

 奥まで見通す限りの赤信号の連続。アホやと思いつつ、横断歩道を渡りながら御堂筋の真ん中で一枚。自動車が歩行者の為に一斉に止まっているようで、ちょっと快感。「全部青」もまた見ていて気持ちがいい。

 こうして大阪の街を楽しんでいるうちに開演の時刻が迫ってきたので会場へ戻る。

 17時45分。会場はまだ空いていた。入場料と資料、飲み物を貰って席に着くと、人がどんどん入ってきた。若い世代、それも女性が多いような気がする。活版印刷はそういう匂いがするのか、お店が魅力的だからか。およそ35人も座ると会場はいっぱいになった。

●活字との出会い

【註:トークイベント内の文言は筆者のメモに基づいたものであり、事実関係を検証しておりません。誤り等ありましたらお知らせください。】

 18時10分、トークイベントが始まる。
 まず阿辻教授が簡単な自己紹介。中国の文学とその歴史を研究していらっしゃるそうだ。実家が活版印刷業を営まれていたということで、幼少の頃から活版とは深い繋がりがあったそう。「今、活版印刷が絶滅しかけているのを思うと、そういう家に生まれたのは幸せだったのかもしれませんね。」

 続いて澤辺さんと活版との出会いについて。
 ある人に「きっと気に入るから行ってごらん」と言われ、印刷博物館で出会った馬棚。「馬棚と目が合った。まず見た目に惹かれました。一目惚れでした。」
 それがきっかけで印刷博物館に就職、活版印刷の職人からの技術伝承やワークショップに励まれたそうだ。

 阿辻教授が活版屋の息子としての思い出を語られる。
 中学生ぐらいまでは馬棚のある所へ入ると怒られたという。はしゃいで積んである活字を崩されたらたまったものではないからだ。
 活字を販売している店へ何度も買い物に行かされ、「五号明朝を何本」とか、小学生時分に読めない漢字の注文にも行っていたそうだ。
 そうして活字に慣れ親しまれたからか、中学時代には自分の年賀状、高校時代には名刺を自作していたそうだ!

 活字やのお話が出たところで、「活字は専門家だけでなくて誰でも買えるんですよ」と澤辺さん。彼女が懇意にしている「佐々木活字店」の紹介があった。
 佐々木活字は今でも鋳造を行っていて、手彫り師もいらっしゃるそうだ。一番大きい初号で1本720円、小さいほど安くなっていくらしい。ファクシミリでも注文を受け付けているそうだ。
 活版業界も昨年からの大不況の影響を受け、倒産してしまった会社が多いそうだ。苦しいのは写植だけじゃないのね。

●馬棚と活字の並び方

 阿辻教授曰く、「職人は体で馬棚にある活字の配列を覚えていますが、経験のない人でも数カ月で覚わりますよ」と。
 馬棚での金属活字の並び方は原則旧字体での部首に基づいているとのこと。例えば「与」は旧字体が「與」なので「臼」の部にあったなど。これは康煕字典に基づいたものであって、印刷所によって配列に違いがあると活版職人が混乱するので統一されていたのだそうだ。ちなみに仮名はイロハ配列だそう。

 澤辺さんによると、仮名が五十音順に並んだ現場はないそうだ。但しワークショップなどでは配慮して特別に並べることがあるらしい。
 この活字の並びが右から左という順でなかなか慣れなかったのだそう。1行1字の縦書きと捉え、右手で活字を拾って左手で文選箱を持つという暗黙の了解があったようだ。
 また、文字の使用頻度によって、「袖」「大出張」「小出張」「泥棒」とグループ分けがされていて、活字を取りやすい位置には使用頻度が高いグループのケースが配置されているそうだ。写植の文字盤の配列みたいだ。

●活字の部首と新旧字体

「そういえば、部首は学校でしっかり習った覚えがないのですが」と澤辺さん。
 これには複雑な経緯があったということを阿辻教授が説明される。
 戦後、GHQが日本語には仮名を使うようにとしたが、当面は「当用漢字」(1946年)1850字を使うことになった。その際、漢字の簡略化によって、教育上の配慮から部首が大きく変わってしまった。その部首は出版社毎に創意工夫がなされ、統一性がなくなってしまったのだそうだ(特に三省堂は大きく変えたらしい)。
「印刷博物館を退職したら部首の並びを忘れてしまったんですよ」と澤辺さん。それで実験として、原稿にある漢字の部首を予め調べておいて活字を拾う試みをしたそうだ(その結果効率が上がったかは失念)。「大出張」などグループ毎にマーキングの色を変えて分類していた、それが「わたしの馬棚」に繋がっていったらしい。
 なお、文選を続けていくと文選箱は相当な重さになる。それでうっかりひっくり返してしまい取り返しがつかなくなったことがあるそうだ。そうなった活字はスダレケースに戻すのはあまりにも手間なので、「滅箱」と呼ばれる文字どおり使わない活字を入れる箱に捨て、溶かして再利用するのだそうだ。それにしてもすごい名前……。

 旧字体については、阿辻教授が高校生頃の岩波文庫などは戦前の紙型(金属活字の版を保存するのは重くて嵩張り大変なので、版に厚手の紙を押し付け型を取ったものを保存しておき、これに鉛を流し込んで再版に使う)が使われていて、旧字体が使われているのをよく目にしたそうだ。

 澤辺さんから質問が。阿辻教授の「辻」について、内外文字印刷の小林社長は「二点しんにょうのしかない」と仰ったのですが、と。
 これについて、「伝統的には二点しんにょうです。1948年の当用漢字字体表では点ひとつとして表現されたもので、小林さんが『一点しんにょうの辻はない』と仰ったのは正しい。でも『犬』『太』のように点によって意味が変わってしまう訳じゃないから、どちらでも構わないと思います」と阿辻教授。

●活版の意思を継ぐために

 活版印刷の版はインクの付く所だけでなく空間になる部分にもぎっしりと込めものが詰まっている。大きなものを「切り餅」、その4分の1の大きさのものを「羊羹」と言ったりするらしい。このように活版由来のものには愛称のついた様々なものがある。「ゲタ」や「トンボ」、「ルビ」などなど。
 ルビについてはフジテレビの番組『トリビアの泉』で「かつて活字は貴重で、大きさにより宝石の名前が付けられていた。和文の読み仮名に相当する大きさのものをルビーと呼んでいた」と澤辺さんが答えたらしい!

 ところで、澤辺さんが内外文字印刷を取材したのは、まだ若い息子さんが活版印刷を継ぐ意思があり、しかも3.5から42ポイントの岩田明朝があるという貴重な貴重な存在だからだそうだ。
 2007年に岩田母型が廃業し、小林社長がその殆どを買い取られたことについて、「母型が流出したとき時代が変わると言われています。岩田明朝の母型が内外文字印刷に移ったのは大きな出来事ではないでしょうか」と澤辺さんは熱っぽく語った。
 小林社長は1本(1字)8000円もする真鍮製の母型を今でも作り続けているという。まさに「活字と心中するつもりの男」だ。

 澤辺さんは活版レシピについて「活版印刷はあくまで産業であり、大量生産の為のレシピがあります。だから選ばれた特別な人がすることなのではなく、料理のように誰でもできることなのです。それは家庭でも再現することができるのではないでしょうか」と思いを語られた。

 締めくくりとして阿辻教授から「中国の言語学の中で漢字の研究となると、書家の歴史もしくは甲骨や金文の歴史が殆どでした。しかしそういった人達だけでなく、どんな人でも文字を書いていたはずです。文字は人間との関係によりその歴史が作られていきます。これからの文字と我々の暮らしについて考えていただければと思います」とメッセージを頂いた。


おつかれさまでした……

●宴は永遠に?

 終演後。「折角ですから一緒に食べていきませんか」とお誘いが。
 待ってましたとばかりの筆者である。会場で同席した皆さんと、近くの飲食店で懇親会と相成った♪

(つづく)


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