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今回は、筆者の趣味生活(?)にとって欠かせない時代について展示する。2つのゲーム作品が様々な影響を及ぼしたのだ。『マリーのアトリエ』と『エリーのアトリエ』。これらがそれからの筆者の価値観や好み、絵柄まで変えてしまったのである。現在の桂光亮月(かつらいりょうげつ)に通じるルーツとも言えるイラストを、エピソードとともにご覧頂きたい。(※今回は特に「濃い」解説です。分かる人にしか分かりません。申し訳ございません。)
1枚目は参考出展で、「旧亮月」時代の最後に描かれたイラスト作品である(旧亮月31)。よくも悪くもその時の自分らしい絵柄だが、描きたい絵とのあまりの差に嘆いていた。この時熱中していたのが『マリーのアトリエ』で、ほのぼのとした雰囲気や桜瀬琥姫先生による“アールヌーヴォー”を取り入れた美しい絵、錬金術の調合を題材にした斬新さなど、それまで楽しんできたゲームとはひと味違っていたのだ。 それからは、どんな絵柄が描きたい絵柄なのか悩みに悩んだ。筆者と同じく絵を趣味とする妹とも相談した(やっぱり情けない?)。そして……見付けた。 次は、『マリー』を通じて知り合った方へ送ったイラスト(複製・RY2)である。というのも、このゲームを題材にしたラジオ番組があり、その録音テープを貸して欲しいと雑誌に投稿したところ、一人の方から手紙が届いたのだ。(テープは勿論、『マリー』『エリー』関連の品々や手紙をやり取りさせて頂き、毎年年賀状も交換していますが、未だ顔すら見たことがありません。どんな方なのか気になります。)他にもアルバイト先の人が実は『マリー』好きで、たちまち友達になった。また、深夜に放送されていた『美樹&つむぎ・エリーのアトリエ』というラジオ番組ではがきが読まれ、とても感激したことを今でも鮮明に覚えている。こういったことが続き、運命的なものを『マリー』『エリー』に感じた。 その次は、受験が迫ってきた頃に息抜きとして描いたものである(RY3)。見ての通りだが、何かと辛かった(けど、とても楽しかった)当時の心境がよく表れている気がする。(地球儀をボタン連打で廻しまくって壊した人、手を挙げてっ!) 2作は年賀状にも採用された。右はこの時期に描かれた数少ないカラー作品である(RY4・再展示)。いつの間にか落ち着いた色遣いが好きになっていた。眼の縦長具合や口の描き方などに以前の絵柄の名残が見られるが、時間をかけて丁寧に描いたのは事実で、色鉛筆での彩色にも気を使った。年賀状は自分を代理して新年の挨拶をしてもらうものだと知ったからだ。 最後は受験直前の2月に描いたものである(RY無番)。半ば投げ遺り(≠槍投げ)な内容なのに、デタラメに描けないのが自分らしいといえば自分らしい。このころは勉強しかしていなかったと言っても過言ではない。そのうち、勉強が楽しくなるなどという妙な現象も起こった。辛いことさえ楽しんでしまえる、前向きすぎるくらいの自分がいたのは、「立派な錬金術士になるんだ」というエリーの強い意志にいたく共感しかたらかも知れない。そういう意味では、『エリーのアトリエ』は親友のような存在だ。今でも心の作品として、大切にしている。 そして1999年春、見事に希望は叶った。 * |
旧亮月31(参考出展) RY(無番) RY2 RY3 RY4 RY(無番) |
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