2014.6.24(火)〜29(日)株式会社文字道主催
於:東京都文京区根津 Gallery cafe 華音留
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●涙のボカッシイ(続き)
では後半を。第1部がちょこっと残っているので、パパッとやって後半に行きたいと思います。やります? ボカッシイ。3分間でやります。ウルトラマン。
ゴシック体の書体でも起筆と収筆があるというのをこの書体の中でやろうとしたんですね。それで送筆があって、筆の先が真ん中を通るということです。隷書の碑を参考にして、起筆は力が入るので強くなって、段々弱くなってまた強くなると。隷書の碑をゴシック体の線の中に表現しようと思って作りました。真ん中が一番深くて、ここからここまでが強いというのを、印刷の単線スクリーンの手法を取り入れて表現したのですが、掠法(左払い)の線が一番苦しくて、微妙に沿わせるように調節しながら作るということで何とか表現しました。
これがコンテストに応募した時のもので、会社で企画会議をやった時に、ここは隷書なので強くていいんですけど、楷書のイメージが天の声であったらしく、「ここをもっと細めろ」ということでしたが、実際の制作ではここを細めるとあまり良くないというので、少しだけ太くしました。「東」という字の払いの先を見てもらうと、左払いの先がちょっと開いてて、若干細めになっているんです。右払いは割としっかり入っています。今思えばどっちも同じ強さでよかったかなと思うけど、そんな工夫をしていました。
細かい所でかなり苦しいことを、48mmサイズで作っています。理屈が理解できないと、色んな人で(原字を)やったんですけどなかなかできなくて、最終的には調整する羽目になりました。横線があって、その中に縦線を一本通そうとするのが難しかったです。
●いまりゅうと今宋
「いまりゅう」と「今宋」をぱっぱとやります。
いまりゅうの印画紙(印字:株式会社文字道)
いまりゅうは横組み用書体ですが、基本になったのは昔の書写の書体です。縦組みの場合はこういう(左払いから「の」の字に続くような右回りの螺旋状の?)リズムでできるんですけど、横組みの場合はこういう(左回りの螺旋状の?)リズムでできないかと思いました。欧文は m とか d とか、こういうリズムでできるんですけど、和字の場合はそもそも横になっていないので、こういうリズムがなかなかできないし、どうしても無理があるので、こういうリズムでできないかと考えたのがいまりゅうです。
元々全角じゃなくて、それぞれセットがついています。漢字自体に14/16emのセットがついているんですけど、それが大問題になってしまいました。
それで、写植機の機能に合わせて、自動送りでもうまく使えるように直してあるんです。従って、いまりゅうという書体をデジタル化しようとしても、写研の機械用にデザインしてあるので、すぐにできない。それが写研の三位一体の法則で作っていたということです。いまりゅうは典型的で、写植機の機能に合わせてデザインを変えている書体です。 いまりゅうの仮想ボディは14/16emになっています。14/16emの設定で送るとすると、他の機能が全部狂っちゃう。それを14/16emのセットのまま自動送りができるように、欧文とかつめ組み用の和字を使えるようにしています。それは文字盤上というか、書体の設計上そうしているので、写研の機械じゃないとうまくできない。最初はひらがな・カタカナとか欧文も16ユニットシステムの通りに作っていたんですけど、社内の誰か、印字部とかから「使いづらい」という声が聞こえて、文字盤の方で何とかしろということで、書体のデザインをそういう風にしました。
デジタルになって、和文書体でもプロポーショナルができるようになったという風に書いている人もいたんですけど、いまりゅうは最初からプロポーショナルで作っていました。最初のコンテストの応募の時も13/16em基準でやっていたんですけど、全体的に他の書体に比べて文字が小さいと言われて、14/16emにしたんですよね。コンテストの応募の時の方が効果がもっと出ていましたが、詰められて伸びやかさは失われてしまいました。こう回ってこう来るようなリズムを出してみようかなという書体です。あんまり売れなかったんですけど。
写研の「今宋」広告(日経デザイン1993年5月号掲載)
逆に、次の今宋は縦組みのリズムで、ひらがな・カタカナも全部直線にしようとしました。これは、10/16emぐらいの字幅を持った書体で、払いの先がボディより飛び出している形です。ですので、右払いがかなり伸びやかになっています。
ということで、楽しい写研の話は以上で、楽しくはないか。結構楽しかったんですけどね。
書体の企画だけじゃなくて、お祭りというかイベントの企画もやってまして、さっきの曲もそうですけど、「写研祭」という会社のイベントとかで踊る盆踊りの曲を作ったんですね。その歌を聴きたいという人がいたので、BGMで流しつつ次の準備をします。『写研音頭』いきます。
(写研音頭再生) アレンジは亮月さんです。(一同笑い)
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◉第2部 欣喜堂、百花繚乱
●今田欣一デザイン室設立
写研を退社して、1997年に「有限会社今田欣一デザイン室」として独立しました。その中に受注制作(カスタム・メイド)というブランドがひとつあります。「ほしくずや」というブランドがひとつあって、「欣喜堂」というブランドがひとつあります。
社名の頭文字をとって「typeKIDS」、正式に言うとタイプケーアイディーエスなんですけど、勉強会の名前にしました。
●ほしくずや
会社を辞めてから最初にやろうとしたのがほしくずやです。以前『文字の星屑』というのを自費出版で出したんですが、杉浦康平さんが『文字の宇宙』というのを写研の創立記念に出していたので、じゃあ星屑だという、宇宙の中の星屑のようなものだということで、『文字の星屑』というものを書きました。前は「星屑工房」と呼んでいましたが、今はほしくずやというブランドで作っていて、全部のカテゴリーをやろうと思って始めました。
●吉備楷書(旧欣喜楷書)など
かつて無料配布されていた「欣喜書体」
最初はまだダウンロード販売をやっていなかった時代で、漢字も含めて各企業に売り込もうという構想でいたんですけどなかなか上手くいかなくて、今日会場にいらしている佐藤豊さんがダウンロード販売を始めたので、それで自分もやろうということで、「欣喜楷書」を無料で配布したんです。無料でしたが、全部作るのに時間がかかって途中で断念しました。
無料で配布したものが今でも残っていて、実際に使われた本を見付けて、じゃあもう一回何かしようかなということで、ほしくずやブランドでやっています。
当時は「欣喜楷書」と言っていました。今日みえているタイププロジェクトの鈴木功さんが「都市フォント」というのを始めたので、「田舎フォント」にしようかとか、色々考えて(一同笑い)、田舎フォントはちょっとなので、まだ発売はされていないんですけど、吉備楷書・吉備行書というものを作っています。
「欣喜楷書」使用例
駒村吉重『お父さん、フランス外人部隊に入隊します。』(2012年)
無料で出していた頃のものが2012年に、10年経って何故か使われていました。これは元々は石井賞の第14回で原字用紙に描かなきゃいけなくて、でも Mac が行き渡っていた時代に作ったものでした。
自宅では Mac を使っていたので、手で描いたものをスキャンして Mac でアウトライン化して、指定の原字用紙にプリントして切って貼って出しました。この書体が2位に入っちゃったもんで、それを自分の所で発売する訳にはいかないんで、もう一回新たに描き直しました。これが欣喜堂というかほしくずやで一番最初の書体です。
●「くみうた」クラン
それからそれぞれの書体をやろうということで、「くみうた」というシリーズで、「ゆきぐみ」「つきぐみ」「はなぐみ」という書体を作りました。
ほしくずやの書体は、楷書体、行書体、草書体、明朝体、ゴシック体をひとつのグランドファミリーで捉えようというもので、漢字も含めて考えていったんですけど、そこまでやる時間と余裕がありませんでした。なので、ひらがなとカタカナだけやろうということで、まず最初は楷書・行書・隷書・明朝・ゴシックをひとつのグランドファミリーとして捉えて、明治時代の教科書をベースにして作ろうと思いました。
明治時代の教科書を見ると、手紙文が行書なんですね。普通の文章が楷書体。地図とかが手書き風隷書体文字ということで、それをベースにして、サイズを変えることによって明朝体とゴシック体にも使えるようにしたのがこの「くみうたクラン」というシリーズです。組見本を見て楷書体・行書体・隷書体・明朝・ゴシックまで揃っているのが、多分イワタとモトヤしかなくて、モトヤは無料で1000字ぐらいの漢字を提供してくれているので、モトヤでテストしています。 隷書・草書・行書という筆書系の文字と、明朝体・ゴシック体という書体をひとつの統合された書風でやろうとしたのが「くみうたクラン」です。これはほしくずやで販売しています。実際の使用例は見付けていませんが、ほんのそこそこ売れています。筆書系と言われている行書体と楷書体と明朝ゴシックを同じ思想でまとめたものです。
●「ときわぎ」クラン
どちらかというと「くみうた」は筆書寄りの書体なので、本格的な明朝体・ゴシック体、今のイメージの本文用が組めるというのを構想しているのが「ときわぎ」というシリーズです。
常盤木学園高校というサッカーが強い高校があるんですけど、その名前を貰って「ときわぎ」にしました。これはまだ販売されていないんですけど、「游明朝体R」が合っているかなと思います。ときわぎは昭和30年代の活字の書体だと思います。かなり強い形の漢字の書体です。
昨日、「文字の食卓」の正木香子さんがみえて、「この書体がすごくいい」と言って褒められたので、これはいけるかなと密かに思っています。
これは明朝体とゴシック体と同じく三大書体と個人的に位置づけているアンチック体、それに宋朝体も合わせてひとつの考え方でまとめたのが「ときわぎ」です。明朝体とゴシック体を一緒に組むこともあるんですけど、それにアンチック体も含めようということで今作っています。これが第2の路線です。
●「みそら」クラン
第3の路線が「みそら」といいます。 明朝体のひらがな・カタカナは楷書が四角くなったような形なので、明朝体の描き方でそのままひらがな・カタカナを描いてみたらどうかという試みをやっていまして、もうちょっと何とかなるかなと思ってやったのが「セイム」という書体です。
見本の文章のジョバンニの「ニ」は明朝体の漢字の「二」とほぼ一緒です。これがいいのかどうか分からないですけど、分かりにくいと言い出したらゴシック体なんて全然分からない。見た目が同じものになっちゃうけど、文列とサイズで見分けがつくかなと。
こういう試みは昭和40年代にやられていて、例えば大蘭明朝体用の和字の中にこういうタイプのものもあります。これを本文用でやりたいと思っていて、一番最初に作ったんですけど、当時は平成明朝体や平成角ゴシック体が主流というか一番使い易かったので、ウェイトを合わせて作っています。「平成アンチック」というのは平成シリーズにはないので、勝手に独断で「疑平成アンチック」を作って試してみました。
「ウダイ」という書体はゴシックの漢字と組むしか今のところありませんが、アンチックの漢字を構想で入れています。アンチックという名前はついていますが、今言われているところの横太明朝とほぼ同じかなと思います。でも横太というのが言葉として好きじゃないので、アンチックの方がいいかなと。まあ、セイムが今の明朝体の和字というイメージじゃないので、これぐらいやってもいいかな思います。
セイムとテンガとウダイというものを作りました。漢字で書くとセイムというのは星の霧。テンガというのは天の河。ウダイというのは宇宙の宇に内外の内。それをカタカナで書きました。これがほしくずやの三本柱です。
あとは見出し用として色々なものを作ったんですけど、それは、漢字書体があってひらがな・カタカナがない書体を作ろうかということで、「みそらクラン」とか「ときわぎクラン」に出てこなかった丸ゴシック体に合わせたものと、漢字書体にしかない痩金体と魏碑体に合わせたものです。魏碑体に合わせたものはまだ発売されていませんけれども。
そういうのを「ほしくずやコレクション」ということで、ダウンロード販売だけで最初「DL MARKET」という所でやってて、他の所でも出したいということで、順次他のダウンロードサイトにも拡大して売っていまして、そっちの方が(販売数が)出ているという感じです。
欣喜堂は復刻がベースだったので、復刻といえばさっきの(明治時代の)教科書をベースにしたものと同じなんですけども、その書体の復刻から更に発展させた形ということで別にほしくずやコレクションとしました。
●欣喜堂
もう一つの大きなブランドとして「欣喜堂」というのがありまして、過去のものを現在のデジタルタイプに甦らせるというプロジェクトです。これを話すと膨大な量になってしまうので、詳しくはブログでということなんですけども。
●漢字書体二十四史
具体的に言いますと、一番最初に作った「金陵」という書体のベースになったのが、南京国子監の明の時代の明朝体……という言い方も変ですけど、明の時代の刊本書体。宋の時代の刊本書体が宋朝体、清の時代の刊本書体が清朝体。これは中国の言い方とは異なるし、日本の言い方でも、近代の明朝体を明朝体と言ってしまうと、今の明朝体に名前の付けようがないので、明の時代の書体を明朝体ということにして、そこから発展してできたものを過渡期明朝体、清の時代の後半になって日本に入ってきたものを近代明朝体と、欣喜堂の中では呼んでいます。できればそういう風にしてほしいんですけど、なかなか変えられないですね。
漢字書体は24書体試作しているんですけども、取り敢えず8書体は選んで作ることにしました。単独の漢字書体は中国の北京北大方正電子有限公司と契約を結んでいます。日本語書体は方正では作らないということで、日本語の権利は欣喜堂で保有しています。
●和字書体三十六景
ひらがな・カタカナの書体を「仮名」と漢字で書くと仮の名であまりいいイメージじゃないし、「仮名」(かめい)というのと混合しちゃうのもあるので、表記上は「和字」と書いています。
辞書でも、「和字:1、ひらがな・カタカナのこと。2、日本で作られた漢字。」と出てくるんですけど、日本で作られた漢字まで和字と呼ぶとややこしくなるので、それは置いておきます。ひらがな・カタカナのことを和字と書いて、仮名という表現になっているので、和字と書いてかなと読んでもいいかなと考えています。
ということで、細かく説明をし始めるととんでもない量になるので、詳しくはブログでということになるんですけれども。
これらの書体の制作過程については、和字36書体を事細かに説明していくと一日では終わらないので、 今日は少しだけにしておきます。
和字書体の「あけぼの」という書体は、文字塾関係で出た「こうぜい」と同じ資料『粘葉本和漢朗詠集』です。こうぜいは連綿を中心に再現していましたが、こちらは本文用でやりたかったので、一字一字独立したものを中心に拾っていったというところが違うかと思います。
その次の「やぶさめ」という書体は、アドビの西塚涼子さんが作った「かづらき」と同じ藤原定家の筆跡で、かづらきも少し連綿が入っている形なんですけど、やぶさめは一字ずつ作って、これを本文用と言い切るのも何ですが、一応本文用で使ってほしいなということで作ったものです。使用例も少なからずあります。
次の「ばてれん」というのは切支丹版の書体です。これも連綿は置いておいて、一字ずつ切り取った書体です。
その次が「さがの」という書体。嵯峨本の書体で、どこかで「嵯峨本フォント」というのを出しているんですけど、それよりも早く書体にまとめまして、これも使用例が結構多くて、特に、坂野公一さんがデザインしたシリーズで、この前ツイッターで作者の人が「次の新刊も出ています」と出していましたけど、このさがのという書体をずっと使い続けているようです。
●日本語書体八策
漢字書体は中国の刊本とか活字書体にあるので、そこから復刻するということにしました。ひらがな・カタカナは中国の漢字書体に合わせて新たに作ると、和字は歴史がなくて新規に描き起こすというのも変なので、実はひらがな・カタカナも平安時代からずっと続いてある訳で、それを何とか発掘して漢字書体に組み合わせようとしました。 明の時代の明朝体では、日本では時代が違うんですけれども、明治時代の明朝体とか楷書体とかで組み合わせた書体を使おうと思いました。
その前の時代の宋朝体は、宋朝体という書体が中国にはあるんだけど、日本には中国から入ってきたもの以外は当然ないので、何を合わせようかと思った時に、江戸時代の木版の刊本に宋朝体のようなかなり切れ味の鋭い書体があったので、それを組み合わせることにしました。宋の時代の宋朝体と日本の江戸時代の国学系の刊本書体を組み合わせていって、なぜ国学系かというと、ひらがなを本文で使ったのは国学系が一番多くて、しかも木版の書体なので、彫刻刀の味が残っているので、宋朝体と江戸時代の書体を合わせることにしました。 明の時代の書体と明治時代の書体、過渡期の明朝体は昭和初期の書体、近代の美華書館以下の明治時代からの書体は、日本でいうと昭和20年から30年代の書体という組み合わせていくということで作っています。
漢字書体は漢字だけでは日本では販売しても意味がないので、ひらがな・カタカナと組み合わせて、「日本語書体八策」という、取り敢えず8書体はやろうとしました。
●使用例を見てみよう
一番使われているのは、展示会場を見てきていただいた方は、「たおやめ」とか「ますらお」とか「くれたけ」とかが本文用に使われていた例が結構あったと思います。
総合書体の中で「きざはし金陵」だとか「かもめ龍爪」だとかの本文用使用例がいくつかありまして、そういう書体で本文を組むという例があまりないと思うんですけど、明朝体以外の本文用書体の使用例を探すと大体欣喜堂書体に突き当たるというぐらいそこそこ使われているんじゃないかと思います。使用例が展示会場にありますので、4時も廻ったことだし、そろそろ終わりにして、そちらの方を見ていただきたいと思います。
ということで、最後駆け足になってしまったんですけども、漢字もベースにした書体の由来とかがブログに書いてありますので、詳しくは Web でということでよろしくお願いします。
●おわりに
自分で紹介して自分で始めて自分で休憩してという感じでたいへん慌ただしかったんですけども、今スライドをやってくれている劉慶さん(Eric Q. Liu →Type is Beautiful →青山ブックセンターの記事)が翻訳した、小林章くんの『欧文書体』が中国で大人気です。私の書いた『活字書体の基礎講座』も中国語に翻訳してくれました。 私のブログで「文字の食卓」に対抗して「文字の厨房」というのを書いてまして、文字の食卓というのは大人気なんですけども、文字の厨房というのは誰も書籍化の話がないという寂しい状態です(一同笑い)。ブログがありますので全部読んでくださいということと、あと「欣喜堂通信」というのもやってます。
それからですね、『活字書体設計入門』というものを今書き始めています。今までの欣喜堂書体の歴史的な背景と造形的なバックボーンと今後どのように使われていくかというのをリサーチして、まとめようとしていまして、ゆっくりやっていて暗礁に乗り上げてどうまとめていけばいいか分からない状態になっていますが、ライフワークとしてやりたいと思いますので、ぜひアドバイスとか頂ければ。
バックボーンが、私が学生時代に参考にした桑山弥三郎さんの『書体デザイン』という本です。この本を買って、初めて書体デザインというものを知ることができた本で、この本の中で歴史的な背景とか細かいことになると弱いんですけれども、こういう本のようなことが『活字書体設計入門』の中でできればいいかなと思って、今ブログ上なんですけれども、始めていますので、興味のある方は見ていただければと思います。質問がある人は、ギャラリーで書体を見ながらでも、ゆっくりしていってください。
最初この展覧会をやるきっかけも、4月に「moji moji Party No.6」というイベントにふらっと行っただけなんですけれども、主催者に「6月にまたやるから今田さんもなんかやろうよ」とか言われて、「なんかやろうよと言われても……」って渋ってたんですけど、その気にさせられて、亮月さんが振り回されて(笑)、こんな事になってしまいました。
今まで聴いたことのない話も結構したと思うので、来てよかったと思っていただければ幸いです。
どうもありがとうございました。
(トークイベント終了)
*
●興奮冷めやらぬ終幕後
16時。今田さんのトークイベントが終わり、聴講者も含め全員で会場の片付け。
そして再び展覧会場の「Gallery cafe 華音留」へ。今田さんお手製のポスターが雨に濡れていた。
確かに展覧会場へ戻りたくなるような名残惜しさはあったが、小雨が降っていることもあって、十数畳の会場内には30人弱がひしめき合っていて超満員だった(実際に数えた)。書体好きの高校生からベテランの方まで、垣根のない交流が生まれていた。お酒が振る舞われるなどして更に盛り上がっていた。筆者はあまりの混雑に外へ避難し、お馴染みの方と近くにいた猫を見ながら和んでいた。恐らく折り畳み傘が取り違えられたのはこの時だと思われるが、まだ筆者の許へは還って来ていない。とても残念。
17時半、会場内の人数が少しずつ減り、残った方達で今田さんを囲む懇親会を近くの飲食店で開いた。
お約束ではあるが、絶対にここへは書けないような秘密の話や本音トークが繰り広げられ、痛快で楽しかった。そして何よりも、今田さんの控えめで温和なお人柄が、打ち上げに参加した全員がそれぞれ書体への愛を語り合いたくなるようないい雰囲気を作っていたように思う。
個人的には、著名な書体デザイナーの方や元写研の方など、独力ではお会いすることが出来なかっただろう方とお話したり、裏話をお聞きしたりすることができ、とても貴重な機会だった。あの方とあの方が深く語り合っていて、思いがけずその場に居合わせることができたという邂逅! 録音機を回していなかったことがとても悔やまれるような、内に秘めたる想いが行動の燃料となる寸前の、瑞々しくて熱い人間の姿を見させていただいた。エネルギーの塊のようなその方は、私のような凡人とは明らかに一線を画した考え方をし、世界観を明確にし、それを確実に実行して生きていることをはっきりと感じ取ることができた。
●今田書体の「居心地の良さ」
翌2014年6月29日。会場でゆっくりと過ごした。昨日見ることができなかった資料を時間をかけて読んだり、この記事のための撮影取材をしたり。会場では『写研音頭』を始め、主に今田さんが作られた写研関係の歌も流れた。『写研音頭』のインパクトが強く、覚えてというか脳裡にこびり付いた方も大勢いるのでは。
今田さんがお土産に持って来られた草加葵の「海千楽」。ここにも今田さんの書体が使ってあった。殆どの人が気付かなかったとしても、自分の仕事が地元に残るのはいいなぁ。
主張が強く目立つものをちやほやすることは簡単だ。しかし、我々が培ってきたものを後世へ遺し、地道に歩き続け、日常にさりげなく寄り添うものに光を当てようとすることは少ない。だが、私達のアイデンティティーや暮らしの大半は後者にある。本当に大切にしなければならないものは、目立たぬ所にあるのだ。
今田さんが作る書体に派手さはないが、書体が地に足をつけて良い仕事をしているという印象だ。前頁で「今田さんの書体は独自の魅力を発揮しつつ、見ていると気持ちが落ち着く。」と書いたのは、そういった所によるものだと思っている。今田さんの温和で控えめなお人柄も、作られてきた書体や制作に対する姿勢に表れていると思う。
今回の「moji moji Party」は会場に写植機がなく、筆者もいち観覧者の立場だった。今田さんがずっと会場にいらっしゃったので、名残惜しくて新幹線の終電に間に合うぎりぎりまで会場にいた。長居したくなるような、居心地の良い場所だった。
19時半、閉まったギャラリーを後にし、解散。
今田さん、還暦おめでとうございます。そして本当にお疲れ様でした。たいへんお世話になりました。
主催の株式会社文字道・伊藤さん、展覧会場の「Gallery cafe 華音留」さん、お馴染みの方から初めての方まで、お会いできた多くの方々に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
【完】
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