わたしの馬棚

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 新幹線で名古屋から1時間。大阪に降り立つのは生まれて初めてだった。
 ごちゃごちゃしているけど何だかほっとする。おいしそうな匂いがする。今までに味わったことがない街の感覚であった。

 宿に荷物を降ろし、長い地下街のあやしさに見惚れながら地下鉄へ。モリサワの書体がよく似合う。
 肥後橋駅から程近いビルディングに会場はあった。


ビルディング入口の案内黒板

「カロ」は本屋さんとカフェとギャラリーがひとつになったお店だそうだ。どんな風なんだろう? 吸い込まれるようにしてカロのある5階へ上る。


「カロ」店鋪入口

 店鋪に入ると、右側のギャラリーに「わたしの馬棚」を使って実寸の馬棚を再現したインスタレーションが目を惹く。左手にカウンターがあって、女の人3人が話をしている。
「はじめまして。岐阜の○○(本名)と申します……」
「お話は伺ってましたよ。」と店員さん。岐阜から来ると聞いて、どんな変人だろうと思ったに違いない(嘘です)。
 その奥に澤辺さん。2年ぶりの再会だ。

 すぐに文字談義が始まった(笑)。今回の展覧会について、どういう思いで制作にあたったのか、澤辺さんの言葉には力がこもっていた。
「活版がなくならないうちに、今のうちに残していきたいんです。『わたしの馬棚』は、活字を拾う朝練を印刷所でしていたんだけど、それが家でできたらいいなと思って作りました。なかったら自分で作ればいい。」
「ないものは自分で作ればいい」というのは、全国に一人しかいない(と思う)写植ファンとしていたく共感できる。わたしの場合は「何もないから全部自分で作らざるを得ない」に等しいのだが。それはそうとして、これが創作の原点だと思う。


わたしの馬棚」
現役の馬棚を撮影した写真を印刷したものが16枚入っています
大出張、小出張、泥棒、袖……
これを壁に貼れば自分用の馬棚の出来上がり☆

 ギャラリーには馬棚のインスタレーションの他、壁に男性の絵が描かれたパネルのようなものが架けられている。
「この方が内外文字印刷の小林敬さんっていって、21世紀も活版印刷を続けているすごい人なんですよ。」
 絵は澤辺さんが描いたもの。これをひっくり返してもらうと、パネルだと思っていたのはスダレケースの裏側だった。「活字と心中するつもりの男」というキャッチフレーズ(?)が具体化したような作品だ。
 澤辺さんによると、小林敬氏は、2007年の岩田母型廃業の際に殆どの母型を買い取ったのだそうだ。「歴史的な出来事だと思うんですよ。岩田の母型を残した男って。これから何十年か経って、書体史に残るような人になるんじゃないかな。」


『金属活字活版印刷ものがたり』temp press 限定版
岩田母型から譲り受けたというほぼ全ての文字を収録。
紙函には小林氏のサインと肖像画があります

 この展覧会で販売されている『金属活字活版印刷ものがたり』(内外印刷株式会社刊)はその母型を使い、大見出しからルビまで印字可能な文字を全て印刷したという岩田明朝体の全数見本帳のようなもの。これはすごい、と感嘆。
「すごいでしょ! 亮月さんならきっと好きそうだなーと思って。ここで買うとおまけ(別冊の見本帳)がつくよ?」
 ……という誘惑に負けて、もとい、こんな大規模な見本帳はないと思い買ってしまったのであった。

 お店の奥には漢字約1万字が並んだ印刷物が貼ってあり、所々蛍光ペンでマークしてある。「わたしの馬棚」は色刷りがされていてそれと対応した色になっているという。
 馬棚には文選職人それぞれ専用の領域(これが「わたしの馬棚」にあたる)と、共用の領域とがある。「わたしの馬棚」にある漢字は使用頻度が高いもので、ほぼそこにあるもので文章が組めるということらしいが、1万字の漢字から見たら実に少ない。長年の活版の歴史の中で厳選された漢字なのだそうだ。写植の文字盤のメインプレート・サブプレートを連想した。
 この貼ってある印刷物もインスタレーションになっていて、四眼に改造した双眼鏡で部分を覗くことができるようになっている。漢字全体の中の部分を見つめることが馬棚を使って文字を選ぶことなのかも知れない。
 ちなみに四眼になっているのは、中国で漢字を作ったとされる蒼頡[そうけつ]が4つの目を持つと言われていることに由来するそう。壁に澤辺さんが描いた四眼の女性の絵が架けられていた。う〜ん、どこまでも奥深い。

 このあたりで、トークイベントを一緒にされる阿辻哲次教授(京都大学大学院人間・環境学研究科教授・中国語学専攻)がお見えになる。
 お店もトークイベントの準備ということでそろそろ一旦閉店。会場の写真を撮らせていただき、外へ出て大阪散策に向かったのであった。

→つづく


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