●その9(最終回)
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●あの子の帰り道
京都市内観光をしつつ最後にやって来たのは藤森(ふじのもり)。京阪藤森駅を出るとすぐに、『たまこまーけっと』のあの風景が広がっていました。
第1話冒頭、たまこ達3人が下校途中に渡る橋です。名神高速道路の高架から橋の脇にある階段まで非常に忠実に描かれていたことが分かります。時刻は15時過ぎ。今にもたまこ達が下手から上手へはしゃぎながら歩いてきそうです。
階段に接近。たまこ達の通学路は橋を駅(西)方向に渡って手前(北)側です。
たまこ達と同じように、疏水沿いの道を北に進んで振り返って撮影。自動販売機やその横にあるごみ箱もそのままです。
一方、進行方向には桜並木が。番組中でもそうであったように、桜の季節はさぞ綺麗なことでしょう。
疏水を渡る橋。番組には登場しなかったと思いますが、親柱の「疏水」やコンクリート製の欄干の意匠が古めかしく、絵になる光景でした。
第1話でたまこ達が日向を飛び越える場所です。
まさに女の子達の青春を感じる瑞々しい場面でとても印象に残っています。幸いにも番組とほぼ同じ角度に陽が差していて、筆者も飛び越えてみました。日向の幅は1メートル以上あり、たまこ達にとっては結構な難関なのかもしれません。
ごくありふれた住宅街の景色ですが、作品にすることによって景色や日常そのものが持つ美しさが昇華されているように感じました。
疏水の橋を渡って深草商店街に入ります。
北進の一方通行の細めの道ですが自動車の通行量はかなりあります。ごく普通の商店街です……が。
たまこ達が通う「うさぎ山高校」のモデルになった「聖母女学院」が突然目の前に開けました。写真には写っていませんが、手前の道路にある横断歩道もそのままあります。1908年に旧陸軍の庁舎として竣功、緑青が噴いた銅板葺きの屋根に煉瓦造りの赤い外壁。これは確かにモデルにしたくなる学校建築だ……。
取材日は日曜で生徒さんが出入りするようなことはなくこうして撮影できましたが、正門のすぐ脇と校庭が広がる直前には守衛さんが詰めていました。不審な行動は厳に慎まなければなりません。
聖母女学院を過ぎて更に南進すると、商店に混じって古い住宅も残されていました。
この住宅も、作中第3話で史織さんがデラちゃんをバドミントンのラケットで受け止める場面に登場しました。番組では玄関の左脇に赤い郵便受けが付いていましたが、訪問した時には取り外されていました。人が住まなくなったのかもしれませんが、歴史を感じる雰囲気はそのままです。
更に南進して深草小学校の前までやってきました。
ここも史織さんがデラちゃんを受け止める場面。青緑色の柵3スパン分ぐらいが場面の再現ですが、その南にあった紀元二千六百年の石碑とお地蔵さんの佇まいが良かったので、撮影は景色を優先しました。
再び藤森駅前の橋に戻ってきました。
ここを毎日渡っているんだなぁ……(妄想)。何だか好きな人の通学路を通ってみちゃうような、甘酸っぱい感覚に包まれました(笑)。
同じく第3話で史織さんとデラちゃんが別れる場面に登場した藤森駅の改札口です。私達もそろそろこの思い入れ深い土地とお別れです。
*
ロケ地巡りとは関係ありませんが、京都駅への途中に伏見稲荷大社があるので寄ってみました。
二日間、道中無事であったこと、様々な素晴らしい場所や人々との出会いがあったことをお狐様に報告し、そして感謝しました。
京都駅前で同行人さんと小打ち上げ。一日炎天下の中で歩き通しだったので言葉数は少なくなっていましたが、丸二日間好きなものを共有し、やり遂げられた喜びを分かち合いました。こういう事がずっとしたかったんです。某県のKさん、本当に本当にありがとうございました。
●いつか終わるもの
19時、京都駅にて別れの刻。振り返っては手を振り。そうしてまた一人に戻りました。
帰りの新幹線と電車では色々と思案を巡らせていました。
何故これらの作品にこれほどにまで心を惹かれてしまったのか。
いつか終わるものの美しさとそれを惜しむ姿。
これは私が本能的に魅力的だと感じてしまう、一生背負った宿命のようなものです。活動の軸にしている写真植字はまさにそのものです。『けいおん!』シリーズと『たまこまーけっと』では上記の概念が特に丁寧に描かれていると私は捉え、いつの間にか深く感情移入していました。
いつかは終わってしまうことを自覚しているからこそ、今を大切に精一杯生きたいと思うことができるのです。例えば自分が高校生であること。毎日会う仲間がいること。おじいちゃんがいること。家族揃って夕食を食べられること。娘が家業を手伝ってくれること……。
『けいおん!!』(第2期)後半は卒業を強く意識し、「このままであってほしい」と思う気持ちとそうではない現実とのギャップを登場人物の振る舞いとして表現していました。作中で文化祭終了後に泣く軽音部のメンバーの場面は一番観たかったし、本作を通じて言いたかったことを端的に表したものだと思いました。
次第に終わりに近付く様子と今を楽しむ様子を時間をかけて見せること、その情景や言動の一つ一つに大きな意味はないかも知れませんが、その集積こそが生きるということなのです。割とどうでもいいような細かな物事が思い出の本体であり、一番懐かしさを感じる、つまり大切だと思っている所なのです。
なんて楽しくて、幸せで、……とても寂しい作品なのだろう。
それら全てをありありと描いた作品をずっと観たかったのです。深く共感し、自分の生き方を見つめ直し、糧となる存在です。だからこそ、現地を観て、それを誰かと分かち合いたいと希求するに至ったのです。
管理人日記には到底書ききれる分量ではなかった為、このように特別編を組みました。なるべく淡々とレポートしたつもりですが、このような思いを抱きながら二日間を過ごしていました。そこには新鮮で深い感動があったことを未来の自分と同好の士に伝える為ここに記録し、筆を置かせていただきます。
2ヶ月弱に亘る長期連載、最後までお読みいただきありがとうございました。
【おしまい】
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