2025.8.14(木)〜15(金) 1405 混沌と静謐の記憶
【日録】親族が住んでいる岐阜市へ小旅行に出掛けた。
カメラは先日導入したばかりの富士フイルム「FinePix S5Pro」をお供にした。フィルムらしい写真を見せてくれるかどうか。

富士フイルム FinePix S5Pro・TAMRON SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(以下同じ)
全員集合し、お昼を御馳走になった。
その後道の駅へ行くなどしたがとにかく蒸し暑い。そして例によって子供達は全力疾走するので安全確保の為追い掛け回り、疲れ果てた。自覚はなかったが酷い顔をしていたようだ(元々か)。その後親族宅で休憩(子供達はネットで映画を観る)の後、夕方から乾杯した。レバニラ炒めとビールが体全体に沁み渡った。
県内なので日帰りできるが、毎回振り回されてへとへとになり帰路の運転が大変なので泊まることにしている。しかし今年の異常な暑さで「うちは暑過ぎて眠れないから泊まらない方がいい」と言われてしまったので、止むなく宿を取っておいた。岐阜市内の宿はこれ迄泊まったことがなかったので、折角ということで奮発した。

何と10階が取れていた!

上品ないいお部屋。
カーテンを開けると……

長良川、鵜飼、河原町、十八楼、金華山、そして岐阜城の夜景!
こんないい眺めが市内にあったなんて知らなかった。

金華山の西側、岐阜駅の方からは花火が小さく見えた。どこの花火大会だったのだろう。

美しい景色に心が落ち着いた。
我が子も特別感を感じたようで、ホテル備え付けの便箋で手紙を書いていた。
翌朝5時半、我が子がカーテンを開け、眩しくて目が覚めた。

夜明けの岐阜を見たかったらしい。
少しずつ朝陽に照らされ、闇が解けていく。長良川に映る空の赤さよ。
しばし我が子と日の出を見守り、そして写真を沢山撮った。

外から視線を感じた。緑の中に白い看板のようなものがあり、赤いものが掲げられている? 不気味だと思ってカメラで撮って拡大してみたら、「バーミヤン岐阜公園前店」の看板だった。あんなに目立つものを高く掲げなくてもいいのに。

6時半から朝食ビュッフェが始まった。どこかのリゾートに来たような雰囲気。

美味しそうなものばかりで欲張ってしまった。とても元気が出た。

早めに出発して向かったのは各務原市川島(旧川島町)の「世界淡水魚園水族館アクア・トトぎふ」。
開館30分前に到着したが既に長い行列が出来ていて、しかも快晴で早くも厳しい日差しが降り注いでいた。

館内も酷い混雑で揉みくちゃになり、先の行列で体内に熱が溜まった私は人の少ない場所から、我が子と家人の見学を見守った、というか、身の危険を感じたので退避した。

従って水族館内のことは余り覚えていないが、辛うじて写真は撮っていたようだ。最大の目玉である巨大魚のピラルクーは人垣が出来ていて近付くことさえ叶わなかった。

この子達が一番可愛かった。但し大きさは1m以上ある。
お盆の時期には絶対に観光地へ行ってはいけないと身を以って感じた。灼熱地獄の中で人混みに晒されると身体的にも精神的にも著しく制限され、どちらも逃げ場がなくなって危険な状態になる。もう開放感のある所にしか行かない!(泣)
抜け殻状態で小牧市まで運転。拠点にしている喫茶店「グランチェスター」を目指したが、本当に調子が悪いらしく方向感覚を失い迷子になった。唯一場所が勘で分かる「ぼだい樹」を本能で目指していた。

無事到着。ログハウスの素敵な佇まいを見て心の底からほっとした。

バジルのパスタ、手作りパン。このお店の料理は特別な深みがある美味しさで、軽井沢のレストランをいつも思い出す。我が子もあまりの美味しさに初めてパスタやコーヒーゼリーを食べた。

ここのお楽しみは料理だけでなく、お庭散策もある。




すっかり心落ち着き、自分を取り戻していた。私には騒がしくて人が多い所よりもこういう静かで穏やかな場所が合っている。
そういえばS5Proの試し撮りも兼ねた旅行だった。
ホテルでは照明や朝陽が白飛びすることなく滑らかで、夜景もノイズが少なかったし色も鮮やかだった。
空や水の青さも富士らしい自然な色。植物の色はNikon機では黄緑になってしまうが、S5Proならフィルムで撮った時と同じく青みが入った緑で撮れ、花の色も鮮やかなものから淡いものまでそのまま写してくれた。そして一番気に入ったのは、人物がそこに居るかのように写してくれること。NikonのCMOS機(D800、Z fc)では顔が橙色でべったりしてしまい、CCD機(D200、D80)なら大きく改善するが滑らかさが足りない。しかしS5Proは肌色を立体的に描き切ることができる。ここが素晴らしいと思った。写真館で使われていただけある。優れた道具には選ばれる理由があるのだ。日々の思い出を美しく残したいと願っていた私にとって、理想的なカメラに出会えた。
2025.8.13(水) 1404 貴重な「富士の一眼レフ」
【日録】またまた新しい(?)カメラがやって来てしまった。

Nikon D800・AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED(1・2・5枚目)
富士フイルム「FinePix S5 Pro」様!!
CCDを搭載したデジタル一眼レフの写真をネット上で鑑賞していくうちにこの機種の記事を見付け、フィルムで撮った写真のような美しさに魅了されてしまったのだ。(→銀の備忘録 【レビュー】FUJIFILM Finepix S5 Pro ①概要)
私もフィルムカメラは何台か所有しており、一時期はリバーサルフィルムでしか撮らない程熱を入れたことがある。その為フィルムならではの写真表現や色の出方に思い入れがあり且つ基準になっていて、デジタルカメラで撮る写真の綺麗さや緻密さを認めつつも物足りなさも抱えたままになっていた。つまりは「デジタルでもフィルムのような写真を撮りたい」という欲張りな考えだ。
富士フイルムのカメラならそれが叶うのは、「X20」を長年愛用しているので良く知っている(購入時 →2014.3.9の記事参照)。富士は現在もミラーレス一眼かめらなら開発し続けている。しかしそれに手を出すことはXマウントのレンズにも手を出すことであり、大変な泥沼(レンズだらけになること)が容易に予想された(苦笑)。
一方デジタル一眼レフはFinePix S Proシリーズのみで、S1(2000年)、S2、S3と続き、S5(2007年)が最終機種だ。FinePix S Proシリーズは富士のCCDを搭載しながら手持ちのNikon Fマウントが使えるので私にとっていいとこ取りができ、S5なら「最初から上がり」を狙える。
それで中古の本機を探していたところ偶然程度がとても良い個体を見付けることができ、導入するに至った。

Nikon D200をベースにしており筐体はほぼ同じ。ロゴと、D200にはあるグリップの赤いラインが黒くなっているのが異なる。機械的な性能は全く同じだが、当然ながらCCDは富士独自のものを搭載し、メニューも全く異なる。混乱するのではないかと思ったがすぐ慣れた。
早速庭の朝顔を撮影してみた。

富士フイルム FinePix S5Pro・TAMRON SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(3・4枚目)
これはリバーサルフィルムの色だ。どしっとして濃厚な、透明感がある色合い。紛れもなく富士フイルムの製品が出す色だ。

露出アンダーの傾向もあってか、階調はとても滑らかで、殆ど白飛びしない。18年も前のCCDカメラのダイナミックレンジとはとても思えない。寧ろ現代のカメラと比べても遜色がないのではないか。

シャッター動作回数は購入時点で718oo(約7万1800)と表示された(上の写真は旅行へ持って行き200枚程撮影した後のもの)。純正バッテリーも劣化度は0で、全く問題なく充電でき突然電池切れになるようなこともなかった。
年式の割にとても程度が良く、使用感はあるものの傷は見当たらない。どこかの写真館で大切に使用されてきたのか、フィルム時代から風景写真を撮っていた人が引退して手放したのか……。いずれにしてもとても貴重な富士フイルムの一眼レフである。今度は引き継いだ私が大切に使っていかなければと思った。
2025.8.10(日) 1403 建物探訪、科学体験
【日録】豊田市の「とよた科学体験館」へ行ってきた。

Nikon Z fc・NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR(以下同じ)
写真と内容が合っていないような気がするが、科学体験館と同じ敷地に「喜楽亭」という元旅館を再建築した建物があり、まずここを見学させてもらったのだ。
喜楽亭は明治後期に旧挙母町(現豊田市)で創業し、大正末期にこの建物を新築。その後発展とともに増改築を繰り返し、1967(昭和42)年に廃業した老舗料理旅館だった。その後所有者が住宅として使用し、1982年に豊田市へ寄附、一旦解体されて翌1983年に現在の位置へ移築されたという。貴賓や著名人が宿泊したという由緒正しい旅館だったそうで、管理人さんが詳しく話してくださった。その歴史は次の資料が詳しい。(→日本女子大学学術情報リポジトリ『喜楽亭の変遷と保存手法に関する研究』PDF)
私は親族のルーツに旅館があり、生まれた頃から遊び場や食事の場、団欒の場として古い旅館建築が身近にあった。その為親族の旅館が私の木造建築観の基準になっており、古くてよく手入れされている建物を見ると入りたくなってしまう。

玄関から内部を見た様子。三和土(たたき)の正面、お客さんが初めて上がる場所が畳張りになっており、凝った障子が嵌められている。見上げると格天井。この旅館の品格を感じた。

二間続きの座敷は如何にも旅館という感じの凝った造作がされている。

松皮菱の明かり取り。四隅は型板硝子、中央は障子という趣向を凝らした造りだ。普通の木造旅館ではまず見ることがない。

船底天井に床の間の不定形な落掛(おとしがけ)、欄間障子。この部屋は旅館が営業していた当時の造りではないとのことだが、旅館の発展期にあった昭和15年頃に増築された「奥棟」の2階客室(現存せず)に使われていたものをここへ復元したものだという。当時の最高の技術と最高のおもてなしを感じ、宿泊して寛いでいる気持ちになってきた。

階段には大きな擬宝珠(ぎぼし)が設えられ、手摺は鑿(のみ)によって滑り止めを兼ねた装飾が施されている。この急な階段も昔の旅館らしい。

2階、3部屋続きの廊下。親族の旅館もこんな感じで、かつて親しんだ風景が蘇ってきた。

堂々たる客間。ここで錚々たる人達が宴を開いていたと思うと、その一員の見た風景や高揚感、緊張感が伝わってくるようだった。

1階の鏡には右から「喜樂亭」と書かれていた。この百年間、どんな人のどんな顔を見続けてきたのだろう。栄華が去った寂しさを慰めるかのように、千日紅の赤い花が添えられていた。
本題の科学体験館は大変な混雑で、特にプラネタリウムの長い行列が出来ていた。予約なしでは入場できないので鑑賞は断念。終演後は大勢の人が出て来ることを予想して、かなり早かったがレストランで昼食を摂った。まだがらんとしていてゆっくり過ごすことができた。私達の昼食が終わる頃には満席になっていた。
館内は入場無料で、様々な体験コーナーを楽しむことができた。写真は沢山撮ったが人物が主なので掲載できない。決して楽しくなかった訳ではない(笑)。我が子は木球が仕掛けを通過していく「かべコロ装置」がいたく気に入り、30分以上も繰り返し球の行方を追っていた。
最後は100円の体験講座に参加。手袋とフェルトを使って縫いぐるみを作る。
我が子は疲れていたのかフェルトだけ担当し、結局本体は私が作る羽目になった。

名付けて「ペンオ」。剽軽な顔立ちである。
我が子は帰途でこの子を懐に抱えながら、すやすや眠るのであった。
2025.8.7(木) 1402 石と森の一日
【日録】家族・親戚で休みを合わせ、一同で中津川〜恵那へ。

Nikon D800・SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM(以下同じ)
まずは中津川市蛭川(旧蛭川村)にある「博石館」へ。地名は「ひるかわ」と読むが、地元の人は「ひるがわ」と濁って読むことが多い。一時期この近辺に転勤したことがあるので、今でも蛭川は「ひるがわ」、中津川のことは「なかつ」と言ってしまう。
博石館は岐阜県東濃地方在住の者なら誰もが知る石のテーマパーク。私が幼かった頃の当館のB級スポット的な印象が強く、「あんなとこ行くの?」と言ってしまったが、正直な所一度も行ったことはない。行って判断することにした。
なお写真の上下が円形に黒く切れているが、これはレンズがイメージサークル(レンズが結像する範囲)が狭いAPS-Cカメラ用だからだ。お気に入りの「SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM」を35mmフルサイズ判の撮像素子を持つD800に装着して撮影したらどうなるかという実験的な側面も個人的にはこの小旅行にあった。以降の写真はカメラ側でDXフォーマットにクロップ(トリミング)した状態で撮影したものである。

生憎の大雨の中、石だらけの世界に突入する。

雨宿りがてら本館の展示に見入る。展示点数はかなり多く見応えがある。

しかし子供達は敷地で一番目立っていたピラミッドへ駈けて行った。
その割に我が子は暗くて狭い通路を進みたがらず、終始不安そうな顔をしながら皆の後ろをついて行った。今地震が来てこの巨大な石が崩れて出られなかったらどうしようという不安は私にもあった。パンフレットに迷路の地図が載っているのに参照せず、20分かけてやっと脱出した。

広い空を見てほっとした。雨も小降りになった。

敷地内は最近整備されたと思われる部分が多く、意外にもきちんと作られていて若いお姉さん達も来ていた。B級スポットなんて言ってすみませんでした。

昼食は勿論、博石館名物「ピラミッドカレー」!
高温多湿で汗だくになったこともあり、結露するほど涼しい「喫茶MW(ムウ)」
でのカレーはとても美味しかった。食べていたら雨が止んでガラス張りの店内に陽が差し込み、あっという間に暑くなってしまった。

再度敷地内を巡る。日本庭園が造られ紅葉が植えられている。11月はきっと綺麗だろうな。

開館当初からあった本館周辺も再整備が行き届いており、若い人も楽しめるようになっていた。現状維持に甘んじず、時代に合わせてアップデートされている印象だった。
子供達は一通り敷地を廻ると空中の渡り廊下を見付け、工場だった建物を改装した「鉱山体験館」へと吸い込まれて行った。足速いって……蒸し暑さで参っていてとても追い付けない。

館内は雰囲気が一変し、「インディー・ジョーンズ」の世界観のような設えがされていた。

通路に青竹踏みのような綺麗な石の突起が埋め込まれていて、家人の足裏に激痛が走った。
ここでは宝探しゲームなどわくわくする体験コーナーが多くあり、一同で時間制限の中必死で砂を掻いて鉱石を探し出した。子供達が自分で取った石を持ち寄って交換しているのが微笑ましかった。
続いては、博石館から車で10分程の場所にある恵那市の商業施設「銀の森」へ。
こちらも東濃地方の人なら誰でも知っていると思われるが、私は訪れたことがなく、予備知識も敢えて入れていなかったので、買い物するだけの場所なのではないか、と思っていた。

敷地の大半が山の傾斜の中にあり、その殆どが庭園だった。しかも私が好きなイングリッシュガーデン! 平日で人もおらずゆっくり散策したかったが、子供達は案の定遠くまで走って行ってしまい、危険がないかを見届ける為追い掛ける羽目に。夏の日照りが復活してしまっており更に疲れ果ててしまった。家人の呼び掛けに碌に応じていなかったらしい。

空いていたカフェでお茶の時間。ここで自分を取り戻した。

和洋折衷とも言える庭園の風景。見えている範囲は全て銀の森の敷地で、奥まで歩いて行ける。できれば歩いてゆっくり植物達を鑑賞したかったが、この写真も追いかけっこの途中で撮っている。

各所、木漏れ日がスポットライトのようで美しかった。

緑に包まれる中、一点だけ赤い。誰も気に留めなかった、私だけの記憶。

そんな素敵なお庭を歩いていると、一行は青い建物を見付けた。

「PATISSERIE GIN NO MORI」とある。
窓はカーテンで締め切られている。ドアから中は見えない。やっているのか?
……と思ったら、子供達は入って行ってしまった!
お菓子のお店だった。撮影禁止かと思い写真は残っていないが、薄暗い部屋の中央から銀色の木が生えており、ランプがぶら下げられている。床のタイルから壁、ショーウィンドウまで真っ青だ。アンティークのソファーも置かれている。極めて女子力が高く、とても居心地がいい。……えっ? 何か間違っていますか?

お店のドアからの景色。宿根草が奥に従って高くなるように植えられており、控えめな色合いも美しい。我が家の玄関先にこのまま移植したいぐらいだった。お庭、お店、お菓子。ここを再訪したい理由ができた。

日が傾きかけて少しだけ風が涼しくなった。お別れの時間だ。
恵那からの帰り道も私が運転した。大変な一日だったが、家人と我が子の寝顔をバックミラー越しに見て佳き日になったと思った。
2025.7.22(火) 1401 目立たず活躍
【日録+園芸部】我が子が台所の流しを使ってお手伝いや箸洗いをするようになったが、蛇口のレバーが短く手が届かないので踏み台を調達した。
自宅の景観に合わせようとすると樹脂製は生活感が出るので不可、既製のものは安っぽい感じで主張が強い意匠だったので、例によってCreemaで希望の寸法や形状の踏み台を作ってくれる人を探した。

富士フイルム X20(以下同じ)
Asukayama Woksさんの作品。SPF無垢材(北米産のトウヒ属・マツ属・モミ属の木材)の踏み台は丁寧に面取りや木栓、塗装がしてあり、まるで何十年も前からここにあったかのような自然な佇まいだ。部屋の片隅に置いてあっても気にならないような小ささと優しい形状も好き。自作ではなかなかここまで出来ない。良い意味で目立たず、我が家の風景に溶け込みながら活躍してくれることだろう。

外を見上げると、軒一杯まで朝顔が蔓を伸ばし、夏を謳歌していた。これを見たかったのだ。 |