2024.10.14(月祝) 1338 語りかけようセイコーに
【日録】SEIKOのトランジスタ時計「TTF-531」を中古で入手しました。
Nikon D800・AF-S Micro NIKKOR 60mm f/2.8G ED(以下同じ)
所謂「バス時計」で、かつて観光バスなどに掲げられていた防塵時計です。
既に1台、2011年に旧亮月写植室(実家の離れ)を竣功した記念に現行機種の「KS474M」を購入しました(→2011.1.18の記事参照)。現在は別の場所に新築した自宅の居間に掛けてあります。
この時計の歴史は長く、1964年の初代トランジスタ式「TF-531」に始まり、二代目トランジスタ式「TTF-531」、
そしてクォーツ式に変わった1977年の「QA513M」、年代不詳「KS451M」、2007年に現行の連続秒針式「KS474M」と変遷しています。
では、なぜほぼ同じ時計を、しかも古い機種を入手したのか。
それは単純に、私が一番好きなデザインの時計であるということもありますが、「トランジスタ式」というムーブメントの駆動方式にとても興味があったからです。
2012年に伊勢旅行で立ち寄った食堂「若草堂」に、40年はそのまま掛かっているだろう赤い枠の時計があり(→2012.5.4の記事参照。2024年現在も掛かっているようだ)、その文字盤に「TRANSISTOR」と書いてあったことが興味の始まりでした。トランジスタで動く時計って何だろう? と。
当時調べてみたところ、トランジスタによる発振回路で電磁石を働かせ、天桴(てんぷ)を動かす仕組みの時計だということが分かりました(→参考:時計の心臓部〈テンプの動き〉)。ぜんまい式機械時計のぜんまい(動力)をトランジスタ発振回路と電磁石に置き換えたものと言えます。機械式でもあり、電子式でもあるのです。1950年代に特許出願され、1960年代に普及が進んだものの、1970年代前半にはクォーツ式が擡頭(たいとう)し、1980年代にはトランジスタ時計は終焉を迎えたようです。
当時の私は、自分がトランジスタ時計を維持するにはハードルが高すぎると感じ、興味はあるものの手元に置くことはないだろうと思っていました。
現在進行中の計画が完了した時、あの場所に掛けたい時計を探していました。現代の無機質なデザインは似合わないし、クォーツ式では芸がないので、必然的に昭和生まれの情緒がある機械式時計を選ぶことになります。機械式時計の精度の低さ(日差数秒程度)は腕時計(SEIKO PRESAGE SARY103。→2020.2.1の記事参照)を4年半使用して許せるようになったとはいえ、壁掛け時計で数日に一回ぜんまいを巻くのは大変なので、機械式かつ電池で動作するトランジスタ時計を探すことにしました。
あれこれ似合いそうなトランジスタ時計を探しましたが、如何にも昭和な家具調のものか派手なものが多く、なかなか私好みの意匠のものは見付かりませんでした。そして辿り着いた(戻ってきた)のがバス時計でした。私が好きな顔の掛け時計はこれしかないと思いました。
ネットを彷徨うこと1ヶ月。非常に状態が良い個体が売りに出されていました。写真を見る限り外装も中身も殆ど錆や傷がなく、正常に動作しているとのこと。一つだけ気になったのは「1日に1分ずれる」というコメントでした。トランジスタ時計のムーブメントは遅れや進みの調整ができることを知っていましたし、最悪調整できなくても機械式だからそのぐらいずれてもいいや、ということで購入に至りました。売主さんはきっとクォーツ時計の精度(月差±20秒≒日差1秒未満)を期待していたのでしょう。
9月30日、私の手元にやってきた「SEIKO TTF-531」は、ただただ美しかった。
薄緑の枠に薄い肌色(昭和時代の色名。「薄橙」って何の色ですか)の文字盤、そこに鮮やかに映える真っ赤な秒針が魅力的です。
数年前に製造されたと言われてもおかしくないほど傷みがなく、穏やかな場所で長い間大切にされてこられた時計なのだと感じました。
金属板に書かれた黒い数字と「SEIKO」の細いロゴ。いずれも書体が現行機種と微妙に異なります。
当時最先端技術だったトランジスタ式であることを示す「TRANSISTOR」が誇らしげ。小さく記された「JAPAN」も嬉しい。
6時の位置には現行機種にないつまみが出ています。ムーブメントに直結していて、簡単に時刻調整をできるようになっているのです。裏返せばトランジスタ式時計はそこまでの精度がなく、頻繁に時刻合わせが必要だったということでもあります。
裏返すと、確かに活躍していたことを物語る壁掛けの傷跡が付いていました。
そして、正面から見て左側のつまみを回して裏蓋を開けると……
→トランジスタ時計の針の動き、蓋開け(MOV、16秒、23.6MB)
中央にムーブメントが取り付けられています。クォーツ式よりもずっと大きい、紛れもない機械式のムーブメント! 壁掛け時計では初めて見ました。
ムーブメントの右上には進みや遅れを調整できるねじが出ています。「α=3sec/24h」とあり、ひと目盛で日差3秒の調整ができます。
先の「1日に1分ずれる」というのが気になったので、精度を管理してみました。
以下、引き渡しから現在までの調整ねじを回した目盛数とその結果の日差です。
当初 -11〜-12秒
+4目盛 -10秒
+4目盛 +2〜+3秒
-1目盛 -4秒
+1/2目盛 -1.5秒
+1/4目盛 -3秒
+1/4目盛 -1秒→-3秒(この辺りから気候が再び蒸し暑くなる)
+1/2目盛 -4秒
+1目盛 (観測中)
こうして見ると、調整ねじは機能していて、気候にもよりますが日差は概ね±4秒まで抑え込めることが分かりました。
高級腕時計のグランドセイコーの規格が平均日差-1〜+10秒、クロノメーターの認定基準が平均日差-4〜+6秒ですから、TTF-531のムーブメントはこれらに伯仲していて、製造当時の技術的水準からしてもかなり精度が高く、とても優秀だったと言えます。遅れや進みを自分で調整できないクォーツ式よりもトランジスタ時計は精度を出しやすく、運用しやすいかもしれません。こんないい時計を手放してしまうなんて、前所有者さんはなんていい人だったんだろう。
プラスチックのカバー越しに、「SEIKOSHA JAPAN 4 JEWELS」の文字が見えます。精工舎! 日本! 4石! 物作りへの自信が漲っています。因みに機械式時計での石数とは、軸受に使用された宝石(人工ルビー等)の数のことです。
やや右側には円盤状のものが2枚、軸に挿さっていることが分かります。これが重要な天桴で、黒い永久磁石が貼られています。その間には茶色いコイルがあります。トランジスタによって制御された電流によってコイルに磁力が生まれ、天桴の永久磁石を引き寄せ、天桴のひげぜんまいが巻かれた力によって逆回転することを繰り返し、左右に往復回転運動をして歯車を一歯ずつ回し、時計の秒針を動かします。
→トランジスタ時計のムーブメント動作(正面から)(MOV、16秒、23.6MB)
天桴を下から見たところ。「チッチッチッチッ」と4分の1秒毎に軽快な音を立てています。
→トランジスタ時計のムーブメント動作(機構を拡大)(MOV、1分06秒、95.6MB)
この個体の初めての電池交換は(昭和)61年11月15日だったようです。生産時期(1964〜1977年)と噛み合いませんが、街の時計屋さんで売れ残っていたものを何年か経って購入したのかもしれません。道理で状態が良かった訳です。とは言っても始動から40年近く経っています。
トランジスタ式のバス時計のもう一つの魅力は、風防ガラスが曲面であることです。現行機種は真っ平らなので、質感が全く異なります。かつては高度な技術の象徴だった時計。その分作りにもお金がかかっているように感じます。
再び正面からじっくりと。赤い秒針が小刻みに動いている様子を眺めているだけで幸せな気持ちになります。機械式時計は「生きている」感じがします。
この時計の生い立ちから真面目な印象もありますが、写真に撮ってみると独特な色気のようなものも感じます。
僅か20年ほどで失われてしまった技術・トランジスタ時計。すっかりその魅力に取り憑かれてしまいました。
現行の「KS474M」(下の写真左)と「TTF-531」(右)を比べてみました。
枠の色や形状、大まかな意匠は殆ど同じですが、まず秒針の色に目が行きます。そして文字盤に記された数字やロゴなどの書体や配置も異なり、風防ガラスの面形状(平面か曲面か)もあって、表情は随分違うことが分かります。KS474Mは武骨で引き締まった印象、TTF-531は穏やかな印象です。
試しに居間のKS474MをTTF-531に掛け変えてみました。メルヘンハウスな我が家にはよく似合うかもしれません!
壁に掛かって時を刻んでいるだけでいい。そこにいるだけでいい。
そう語り掛けるとまるで時計が○○みたいですが、私にとっては同じような気持ちにさせてくれる時計なのです。『語りかけようセイコーに』(歌:佐良直美・シンガーズスリー、作詞:薩摩忠、作曲:小林亜星 →YouTube)というCMソングを思い出します。歌の中のセイコーは腕時計ですが、トランジスタ時計にも同じような豊かな世界観を感じるのです。
……などとうっとりしていると、家人から「文字盤がくすんでいて見にくいから元の時計に戻して。写植室が似合うんじゃない?」とご指摘。少々浪漫に過ぎたようです。居間の時計はKS474Mに戻し、TTF-531は当初の計画通りの場所に掲げることにしました。
2024.10.6(日) 1337 幼い記憶の復習
【日録】瀬戸市の「瀬戸蔵ミュージアム」へ行ってきました。
Nikon D200・タムロン SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)(以下同じ)
入場すると本物の「瀬戸電」の車輌が迎えてくれます。
車内はやや薄暗くも温かく照らされ、当時の雰囲気を伝えてくれます。
木でできた床。
針式の圧力計とブレーキレバー。人間が全てを制御し、人間の五感に直結していたのです。
車輌を降りると、時代を遡ったような改札がありました。
読みやすくも趣深い大時計。現代の公共の時計も見習ってほしい。
駅舎から出ると、かつての外観を完全に再現していることに驚きました。
1971年の尾張瀬戸駅。堂々としつつも可愛らしく、乗客をあたたかく迎えてくれるような懐の深さを感じます。世の中の駅舎が、全部こういった外観だったらいいのに。懐古趣味なのではなく、人間の心に与える影響を大切にしてほしいという話です。毎日の通勤通学や旅の区切りとなる場所は深く心に刻まれるから、何十年も通用する普遍的なものでありつつも、美しくて五感に響くものであってほしいと私は思うのです。現代の駅舎は機能的かもしれないけど、今だけを切り取ったデザインだし、情緒がなくて冷たすぎる。
駅舎の近くには、焼き物の工場(こうば)を再現したセットが展示されていました。岐阜県東濃地方も焼き物の産地です。親戚の家がこんな感じだったことを思い出しました。
精工舎のぜんまい式振り子時計。正しく時を刻み続けていました。古いものが大切にされながら現役で活躍している姿が大好きです。
窯も街並みも、かつての様子をほぼ完全に再現していました。
昭和50年代生まれの私はかつての時代の雰囲気を辛うじて知っている世代なので、瀬戸蔵ミュージアムの展示は幼い頃の記憶を復習するような感じがして居心地が良かったです。
我が子にとっては大昔のことですが、昔のものは「見れば解る」ので、案外楽しく過ごせたようでした。
帰宅してからも焼き物作りの工程を描いたりしていました。瀬戸はここ以外にも見所が多いので、また訪れたいと思います。
2024.9.29(日) 1337 思い出を引き継ぐ・その2
【日録】名古屋市の「東谷山フルーツパーク」へ行ってきました。
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 28-70mm f/2.8D(IF)(以下同じ)
私が住む岐阜県東濃地方から比較的近く、ここには子供の頃から何度も訪れています。愛岐道路を通って、途中の料金所や「名古屋市」の標識を見るとわくわくしたものです。
フルーツパークの名の通り、この公園は豊富に果樹が展示されています。
レストランもあり、季節の果物が添えられていました。昭和の味がするカツカレーも、私の幼い記憶を刺激しました。
フルーツパークで一番の目玉は、ドーム型の温室です。
様々な熱帯植物が迎えてくれました。
今日は瀬戸市の「瀬戸蔵ミュージアム」へ行く予定でしたが、市内に入ったところ物凄い人混みで、大渋滞に巻き込まれてしまいました。丁度祭りの日だったようです。私達家族は人の多い場所が大の苦手で、そもそも駐車場も満車なのに列ができている状態だったので諦めてフルーツパークを訪れることにしたのです。こちらは人が少なく穏やかな雰囲気で、初めてだった我が子も気に入ってくれました。季節を変えて再訪したいです。
2024.9.25(水) 1336 独特なカルタ
【日録】我が子がカルタを作ってくれました。
「かはプロレスラー」「たくさんたんぼ」「こんにちはとあいさつ」「しんかするだんだんと」「てはなくないたらへんなおばけ」「ささっとヒーローてきおたおす」「なんと!? ねるともにZ」「きんたろうってきまずい」「けんはみんなのブき」「エプロンってながすぎない!?」「くさいはなちょうちん」(以上ママ)
感性が独特で面白いです。どんな世界を持っていてどんな事を頭の中に描いているのか、これからも楽しみにしています。
2024.9.23(月祝) 1335 SONY MDR-CD900STの修理・三たび
【日録】普段使いしているSONYのモニターヘッドフォン「 MDR-CD900ST」のイヤーパッドを交換しました。
本機は業務用機種で、音楽スタジオにはまずあるという基準のようなヘッドフォンです。音に癖や色付けがなく客観的で、細かな音まで聴き取れ、高音は特に緻密なので、全ての音を平等に聞き取る私には最適なヘッドフォンです。それだけでなく、部品が継続的に供給されているため、その部品だけ取り寄せて自分で修理することができるのです。
私の個体は2009年6月に購入し、2016年9月と2020年4月にイヤーパッドを交換しています。今回は3回目の交換です。おおよそ3年から4年で寿命が来るようです。
毎日のように使い込んだイヤーパッド。目を背けたくなるほどぼろぼろです。
サウンドハウスで取り寄せました。
2つで2360円也。
古いイヤーパッドを側面の切れ込みから脱がせるように取り外し……
同じように切れ込みへ少しずつ嵌めていくようにして新しいパッドを装着します。今回はここまで10分足らずでできました。
新しいものと古いものを並べてみました。こんなになるまで使用していたなんて。使用中はあまり気にならなかったのですが、比べてしまうとよく分かります。これでまた何年かは気持ち良く音楽を聴けそうです。安心して重使用できる。業務用機器の大きな魅力だと思います。
2024.9.22(日) 1334 幻の写植書体と出会う
【日録】我が子は最近、図書館で本と沢山借りてくる。
ブックスタンドから溢れてしまうほど。
大人が見ても気になる本がある。
しりあがり寿『はしるチンチン』(岩崎書店、2009.5.1初版)。写植の印字は今はなきエスコーツ。
父が好きな漫画家で、私も幼い頃からしりあがり先生の作品に親しんできた。
表紙に大きく印字されたのは、何と「キッラミンL」(1991年)!!
手動写植の時代最晩年に発表され、使用例は数える程しか見付かっていない。最も有名な使用例は小沢健二のCDアルバム『LIFE』(1994年)のブックレットか。
この絵本は2000年代(ゼロ年代)に発行されているので、私が知る限りキッラミンLの最も新しい使用例だ。
表紙の文字は数センチ角。キッラミンLをこんなに大きく見たのは初めてだ。横画は直線ではなく、終筆部が僅かに太くなっている。写研書体は幾何学的な書体でも、錯視の調整や光学的処理のためこういった繊細な処理がされて品質が高められており、また大きく使っても鑑賞に耐えられるようになっている。素晴らしいの一言だ。
もう一冊は『しょうぼうじどうしゃ じぷた』(福音館書店、1963.10.1初版)。
これもとても驚いた。
!!!
何と本文は登場人物(?)以外は全て旧「太ゴシック体」で組まれているのだ。
この絵本の発行は1963年、旧太ゴシック体から石井太ゴシック体への改刻は1960年頃とされているので、改刻後もある程度の期間は旧太ゴシック体が使われていたという客観的な資料だ。
そしてこんなに大きく旧太ゴシック体を見たことは勿論ない。それぞれの文字の味わい深さ、上下左右に揺れる文字列。写植黎明期の人間臭くも深みがある文字。決してお会いできないと思っていた。
我が子のお蔭で思いがけず珍しい写植文字と出会うことができた。
図書館は本と出会うことで自分の世界を大きく拡げてくれる。これからも、我が子とともに通い続けたい。
ところで
NHKみんなのうたの6時35分枠(旧作の再放送)で8〜9月の歌として流れている畑亜貴さんの『図書館ロケット』
(2013年)がすっごく癖になる!
私は地声に近い自然な声が好きだと思っていたが、久々に聴いたああいう声。分かっていても心惹かれてしまう。アニメ声の人が大好きなんだ。ヲタクからは足を洗った筈だったが、体がしっかり覚えていた。封印しだだけだったんだ。……歌詞も考えさせる内容で、現在の世相に鋭く響く。今だからこそ、痛烈な批判を表現したものとして放映したのかもしれない。
畑亜貴さんの歌詞は一見“狙った”ようにも見えるが、そういった本質を貫く力が秘められていると思う。
2024.9.21(土) 1333 幻燈機を作ろう
【日録】最近我が子が熱中している遊びがある。
幻燈機遊び。
薄いテーブルクロスの切れ端を映画のフィルムのように数センチ幅に切って、油性ペンで齣と絵柄を描き、電燈で照らして壁に投映するだけ。
それでも、自分でテレビ番組を作っているような気持ちになり、とても楽しいらしい……というか、
私もとても楽しく、油性ペンの限界に挑戦した絵柄を描いて投影してみたくなる。「しばらくおまちください」、最近見なくなったなぁ。
映った!
この喜びは、手描きでないと味わえない。動画制作だと、「映って当たり前」だから。自分の手を使って、制約がある中で工夫して、何とか映し出すことを考える所に幻燈機遊びの醍醐味があると思う。
コンピュータやスマートフォンで何でも出来てしまうこの時代だからこそ、我が子には手作業で達成する喜びを知って欲しかったのだ。
2024.9.7(土) 1331 残暑厳しくも
【日録】夕方になると少しだけ涼しくなるようになったので、我が子と散歩に出掛けた。
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 28-70mm f/2.8D(IF)(以下同じ)
百日紅の季節だ。
チョウトンボも沢山見掛ける。
帰り道、映画の一場面のような夕焼けに包まれた。エノコログサが赤銅色に輝いていた。
2024.8.29(木) 1330 パンドラの箱
【日録】最近は、某所で深く語らうことが日々の楽しみになっている。
そこで知ってしまった、あの人のこと。
思った通りこんな人だったんだ。もっと沢山話しておけばよかったなあ。もっともっと知りたかった。
心の奥深くに押し込めて、厳重に鍵を掛けておいた筈が、洪水のように溢れ出てきてしまった気持ち。莫大な無念さ。
確か「毎日を一生懸命に生きて、遠くから恩返しをしたい」と誓った筈だ。そうすることしか、私にはできない。
2024.8.25(日) 1329 もう一つの基準
【日録】仕事で議事録を作成することがあるため、私物のイヤフォン(MDレコーダーに付属していたもの)を使用していたのですが、とうとう紛失してしまいました。このイヤフォンは性能が良くなく、人の声がモゴモゴと聴き取りにくいので音量を上げて必死に言葉を見付けなければならないようなものでした。私の耳が低性能で、高音から低音まで聴き取れないと何の音かが判らないからかもしれません。電話の音声(300〜3400Hz)を聞いても誰の声なのか判らないぐらいです。
それで、イヤフォンを更新する良い機会と捉え、高性能なものを購入することにしました。
SONYの「MDR-EX800ST」です。
型番の末尾に「ST」が付く通り純然たる業務用モデルで、以前購入した「MDR-CD900ST」(→2009年6月16日の記事参照)と同じモニター機種です。高音から低音まで飾り気なく鮮明に聴こえる。私にはそういう機材が必要なのです。
外箱は真っ白でした。1年間の保証期間もなし。その代わり部品単位で購入でき、自力で修理が可能です。それも大きな魅力でした。
中身は、本体、イヤーピース(L/Sサイズ)、キャリングケース、取扱説明書のみ。業務用の機材なので素っ気なくて当たり前ですが、なかなか手厚いと思いました。
本体は独特な形状で、耳に差し込む箇所とコードの間に16mmのドライバーが円い形のまま収められています。コードの付け根はねじ込み式の端子になっていて、竜頭の部分は滑り止めの凹凸が刻まれています。そしてドライバーに記されたLRと型番、JAPANの文字。分かり易く、そして格好いいです。業務用機材の虚飾がない機能美と、耐久性を最優先した武骨さが好きです。
早速議事録作成に使ってみたら、あまり音量を上げなくても誰がどこで話しているかがはっきり判り、今迄よりも楽に文字起こしができるようになりました。そしてイヤフォンなのに低音がかなり多く出る印象もありました。以前使っていたイヤフォンが貧弱すぎたのかもしれません。
そうなると音楽鑑賞も期待できる訳で、自宅でも使ってみました。やはり低音がかなり多く、反対に高音はあまり聴こえないように感じました。私自身の難聴を疑い、他のヘッドフォンと聞き比べをしてみたところ、私が基準として普段使いしているMDR-CD900STはいつもの刺さるような高音を効かせてくれ、MDR-MV1(→2024.1.5の記事参照)は高音と低音のバランスが程良く聴こえました。つまり私の難聴ではない。そうするとEX800STはモニター機種とはいえあまり高音が出ないということかもしれません。CD900STのような音を期待していたので、少々残念に思いました。
しかし日を変えて何度も使用していると、難しい装着の感覚が分かってきたような感じがして、次第に高音の解像感も見えてきました。EX800STはライヴなどステージでの使用を想定しているので、演奏の音をそのまま演者に届けるような音作りなのでしょう。CD900STのように録音スタジオで音の観察をするような音作りではないと思われます。そういった意味ではEX800STは自然な音を出してくれる、私にとってもう一つの基準になってくれそうです。
2024.8.17(土) 1328 我が子が見ている世界を初めて見た。
【日録】我が子が目標をやり遂げたので、お祝いの品を贈りました。(ご褒美という言い方はあまり好きではないのです。)
Nikonの「COOLPIX S30」(2012年)です。
見ての通りの中古品です。トイデジタルカメラは新品があるものの、そういうローファイ(低品質)や所謂アナログ感(←ううむ、私には理解できない。アナログ媒体はどこまでも忠実で深みがあると思うのですが、色転び・粒状感・不鮮明がいいとは……どうしてこうなった)を売りにしたものではなく、きちんと作られた「カメラ」を使ってほしかったのです。子供騙しな物はすぐ子供に見抜かれてしまうので。しかし新品の子供用カメラというものは既に流通しておらず、中古の中から探すしかありませんでした。
後継の機種はS31(2013年)、S32(2014年)、S33(2015年)、W100(2016年)、W150(2019年、シリーズ終了)と豊富にあるのですが、では何故一番古い機種にしたのか。それは、S30は無駄がなくカメラらしい長方形のデザインで、唯一単3乾電池に対応した機種だからです。我が子にもどうしてもカメラらしいカメラを持たせてやりたかった。後継機の出っ張りがあるぬるっとした形は美しくないと思った。電池切れになっても単3充電池を入れ替えればすぐ使え、専用充電池のように生産終了を気にしなくてよいものがよかった。写真を撮る者なら美意識と道具としての実用性を大切にしてほしいという思いをこのカメラに託したのです(大袈裟)。
高さ0.8mからの落下に耐える設計になっているのですが、それに甘えて落とされては困るので、子供用の携帯電話ストラップを用意して首に掛けるよう言い聞かせることにしました。SDカードは無線LANを内蔵したものにし、携帯端末から操作して我が子が撮影した写真を取り出せるようにしました。新品は怪しい中華製しかなかったので、東芝の今は無き「FlashAir」の中古を入手しました。コマーシャルのかすみちゃんと「かすみドール」が可愛かったなぁ(←分かる人にしか分からん)。
そして迎えたプレゼントの日。
包みを開けるなり「わーい!」と大喜びし、基本的な操作を教えたら私達を始め周りのものをパチパチ撮り続けました。
ここからは我が子が撮った写真です。
Nikon COOLPIX S30(以下同じ)
教えた訳ではないのに写真としての勘所を押さえていて、構図もきちんとしているので感心してしまいました。
そして何より感動したのは、我が子がどのような景色を見て何を感じているのかが分かったことです。低い位置から撮った背が高い私達の姿。玩具に思い切り近付いた時の綺麗な色味。自分(我が子自身)に向けられている笑顔。そういえば私達も子供だった頃、そうだったかもしれない。あの頃のことを思い出したような、幸せで懐かしい気持ちになりました。
幼い頃に見て感じた情景をそのまま残した写真は本人にとっても掛け替えのない宝物になる筈です。まだあの子はそのようなことは分からないかもしれないし、まだ分からなくてよいかもしれないけれど、残された写真を大きくなってから見て振り返った時、「カメラを貰って良かった」と思ってもらえたら嬉しく思います。
2024.8.13(火) 1327 奇跡の最終到達点!
【日録】Nikon D200を中古で入手して1ヶ月余り。ISO感度が1600までというのは暗い場所でシャッタースピードが稼げないので被写体ぶれが気になり(高感度ノイズはあっても気にならない)、唯一所有しているDXフォーマットの明るい(絞り値が小さい大口径の)ズームレンズ「TAMRON SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)」を付けっ放しにしています。レンズが明るければシャッタースピードを遅くしなくて済み、結果被写体ぶれを防げるからです。純正のDXフォーマットの大口径ズームレンズ「AF-S DX Zoom-Nikkor 17-55mm f/2.8G IF-ED」
も気になりましたが、メインカメラはずっと前にすでに35mm判フルサイズ化済で、今更DXフォーマット専用の高性能レンズを買うのは気が引けました。
それなら、フルサイズ用の明るいズームレンズを買えばいい!
Fマウントの現行大口径標準ズームレンズは「AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR」ですが、
Zf本体が買えてしまう高さです。私としてはそこまでは求めていないし、出来ることならマニュアルフィルム一眼レフのNewFM2でも使ってみたいので絞りリング付きのAi AFニッコールがいい。そしてゆくゆくは先のZfを導入してFTZを介してオートフォーカスで使いたいのでAF-S(超音波モーター内蔵)レンズがいい。超音波モーターは大型で高速なものがいい……そんな欲張りな要望を満たすレンズが一本だけありました。
Nikon D200・タムロン SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)(以下同じ)
Ai AF-S Zoom-Nikkor 28-70mm f/2.8D(IF)様!!
1999年発売の高性能ズームレンズです。こちらもD200のように、中古は定価の数分の一で購入することができました。当時はプロも使っていただろうに!
調べてみるとこのレンズには持病があるとのことでした。「AF鳴き」といって、超音波モーターが経年劣化によりキーキーと不快な音を立てるとのこと。ネットで注文して店頭で引き取れる「カメラのキタムラ」で状態が良さそうなメンテナンス済の個体を取り寄せ、最寄りの店舗で動作確認をさせてもらいました。25年経過したと思えない外観の綺麗さもさることながら、AF鳴きも全くなく異常は見られなかったので、購入に至りました。
本体が美品であるだけでなく、元箱、レンズケースCL-74、フードHB-19も付属した完品でした! きっと前所有者さんに大切に使われてきたんだろうな。私の手元にやってきたのが奇跡のようです。そして久々に見たこの時代の化粧箱。ニコンらしい幾何学的で力強いデザインが恰好いいです。
早速D800に装着してみました。
フードも付けるとまるで“パズーの大砲”です。以前「Ai AF Zoom-Nikkor ED 80-200mm F2.8S」を中古で購入した時(→2021.2.27の記事参照)にも感じたあの重厚感です。それでいて細部までとてもよく作り込まれていてがたつきは全くなく、過剰なまでの堅牢性が確保されています。これぞニコン! この生真面目さにニコンファンは惚れ惚れする訳です。私は生真面目な人が好き(←訊いていない)。
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居間に掲げてあるセイコーの時計「KS474M」を試し撮りしてみました。
シャッターボタンを半押しするとレンズが「クっ!」と一瞬で合焦し、このレンズは撮りたい瞬間を撮れると直感しました。AF-Sレンズは沢山持っていますが、どれも小型モーターで、「ミュイミュイ」という不思議な音と共にゆっくりピントが合うような印象だったので、この速さと静かさにはとても感動しました。
そして合焦した部分は撮像素子の限界まで解像したかのような繊細さで、被写体の質感が手に取るように分かりました。硬質な写りのレンズかと思いきや、合焦部分から離れていくにつれふんわりと広がっていくぼけも素晴らしく、巨大であることを除けばもう何も言うことはなく、紛れもないフラッグシップ。最終到達点のようなズームレンズでした。
D800を購入した2012年当時、フルサイズ判用の初めてのレンズとして「AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR」を選びました。裏返せば撮りたいものが定まっていなかったので、汎用性が高い標準ズームレンズを選んだのです。今思えば初めからAF-S 28-70mm f/2.8Dを購入すればよかったのですが、やっと露出のことが分かり、写真を思うように撮れ始めた頃だったので、レンズや機材の知識は十分ではありませんでした。まして中古レンズの目利きはできず、マニュアルレンズ以外手を出せませんでした。そう思えば、写真を思うように撮れ、カメラやレンズの知識も増えた今このレンズが手元にやってきたのは必然だったのかもしれません。
やっとお会いできた高性能レンズ様。しばらくカメラに付けっ放しにしてその効果を見たいと思います。使いこなせるようになったら、大切な人の姿や写植の記録をより鮮明に、より美しく残していきたいです。
2024.8.11(日) 1326 思い出を引き継ぐ
【日録】家族で岐阜市科学館へ行ってきました。
私にとって科学館と言えば、5歳の時に初めて連れて行ってもらった名古屋市科学館です。知的好奇心がくすぐられる大好きな場所で、子供時代はよく行きました。私の親ともいまだにプラネタリウムのことを語り草にしているほど思い出深い場所です。
しかし名古屋市科学館は休日はものすごく混雑するため、我が子とはなかなか行けないでいました。そこで、もう少し規模が小さいであろう岐阜市科学館へ行ってみることにしたのです。
私が住む街から約1時間半、科学館に到着しました。
Nikon Z fc・NIKKOR Z 26mm f/2.8(以下同じ)
プラネタリウムは定員200名の中規模なもの。名古屋市のものは350席ですから、意外と大きいと感じました。
投映が始まるまで、我が子はドームを見上げたりして新鮮な風景を興味深く観察していました。そして少しずつ暗くなって投映開始。視界一杯に星空が広がり、まるで宇宙空間の中に漂っている感じがしました。ぼろぼろの岐阜市の夜景のポジフィルムや、穏やかな解説の声、「→」の懐中電灯による指示が私を子供時代に連れて行ってくれました。あの時私はこういう気持ちで、両親はこういう気持ちだったんだ……。40年振りの感動を味わい、そして幼かった私を科学好きにしてくれた両親への感謝の気持ちが込み上げ、涙が出ました。
一番感動したのは、昨夕西の空に出ていた月のことです。欠けた月の左上に明るい点があることに気付き、家人や我が子に「月のすぐ近くに明るい星が見える!」と話していました。二人には見えなかったようですが、その正体が判ったのです。それはおとめ座のスピカでした。昨日は月がスピカを隠す「スピカ蝕」の日だったとのこと。昨晩はたまたま夜に出掛け、少し散歩をした際に見付けただけだったのですが、それが今日の伏線になっていたようで感動しました。
プラネタリウムの投映が終わると、我が子はすぐに次の展示に向かっていました。
写真だけだとよく分からないと思いますが、『地球をめぐる水の旅』という水の循環(雨→川→海→雲→雨)を学ぶ映像作品です。水になって旅をするというコンセプトで自分の顔がキャプチャされて嵌め込まれるというもので、カメラが捉えた我が子や私、家人の顔がランダムに切り替わってものすごく可笑しかったです。大切な水の循環のことについて全然頭に入ってきませんでしたが、笑いが止まらなくなるほど面白いので、館内で一番お薦めです!(笑)
屋上にある望遠鏡も覗かせてもらいました(昼間の星を見る会)。
熱心に覗いた我が子はよく分かっていなかったようですが、太陽の黒点やプロミネンスが観測でき、初めて太陽を望遠鏡で観た私は感激しました。
様々な展示をじっくり楽しんでいたら、すっかり夕方の日差しになっていました。夕食は帰りの道中で摂ることにしました。
木曽川沿い、犬山城が見える県道沿いに……
瀟洒なレストラン、「ボンムウ」があります。(→各務原市の取材記事)
自宅から岐阜県庁付近へ向かう際、一番信号が少ない経路が木曽川右岸(北側)の堤防道路兼県道で、犬山城が見える一番いい場所にお店と駐車場があるのでずっと気になっていたのです。
1974年創業のこのお店、50年の年月をたっぷり吸い込みながらも掃除が行き届いた店内の、長年変わらず大切にされてきた素敵な雰囲気にまず感激しました。大切な人と一緒に来たい(そして本当に来ることができた)と思いました。
料理も深みがあるのにくどさがなく、沢山食べても飽きないような気品のある味で、また来店したいと思いました。思わずオーナーシェフに「美味しかったです。また来ます!」と直接伝えてしまいました。
犬山からの帰り道は我が子も家人もぐっすりと。それでも眠くならないまま運転を続け、充実感を噛み締めながら帰途に就いたのでした。私が子供の頃そうであったように、我が子にとっても科学館は好きな場所になったようです。家族にとって思い出に残る一日になりました。 |