●写植は“文字の写真”
「しゃしょく」(または「しゃちょく」)と読みます。
正式には「写真植字」といい、写真の原理を用いて印字する方法のことを指します。いわば文字の写真で、文字の形を撮影して感材に焼き付けたものも写真植字(写植)と呼びます。
印字するには「写真植字機」(写植機)という専用の機械を用います。
印字される感材には主に「印画紙」が用いられ、通常は白い紙に黒い文字として現れます。これを「版下」という印刷原稿の台紙に貼り込み、版下をもとに製版し、印刷します。
写植は基本的に黒い文字と記号のみを扱うことができ、写植機の機種によっては線を引くこともできます。カラー文字や写真のようなものを写植機で打つことはできません。
漫画の吹き出しの文字を俗に写植と呼ぶ場合がありますが、これは漫画の原稿に写植の印画紙を貼り込んで版下としたことに由来しています。
漫画での写植使用例
森生まさみ『おまけの小林クン』12巻より
(左:イナクズレ 右:石井太ゴシック体+中見出しアンチック いずれも写研)
なお、人間が写植機を使って一文字ずつ文字を打つものを「手動写植」、コンピュータを用いて入力やレイアウトをし、文字円盤やデジタルフォントによって印字・出力を行うものを「電算写植」と呼びます。
●歴史の概略とおもな用途
写真植字は19世紀中頃からイギリスやアメリカで研究・試作されていた技術です。しかし、アルファベットは文字毎に幅が異なり、単語間にスペースがある等複雑な組処理が必要で、しかも行頭行末揃え(ジャスティフィケーション)は印字する文字が見えない写真植字では困難でした。これが欧米に於いて写真植字の実用化を阻んできました。(ただし、欧文のジャスティフィケーションについて、現在の空印字に相当する考え方で対応しようとした者はいた。)
海外でのそういった事情の中、写真植字を初めて実用化したのは日本人でした。石井茂吉氏と森澤信夫氏が1924年に特許出願し、1929年に実用化しました。
戦前は活版印刷が大勢を占めており、写植は軍関係や映画の字幕等の特殊用途以外では殆ど使われることがありませんでしたが、戦後は広告・カタログ・パンフレット等の「端物」と呼ばれる印刷物の需要増加や印刷のオフセット化が進み、文字で多彩な表現ができる写植が一気に普及しました。活版印刷の独擅場だった書籍の組版も写植が取って代わり、1990年代中盤までは広く印刷用の文字として使われました。
以降DTP(パーソナルコンピュータを使って原稿を作り印刷・出版すること)が主流になってからは需要が激減しました。2000年代中盤までは漫画の吹き出しの文字として一般的に用いられていましたが、こちらも現在では写植による組版は少数派となりました。
しかし現在でも、美しさが要求される本の装丁等では写植が用いられる場合があり、完全に消滅した訳ではありません。
装丁への写植使用例
中西秀彦『活字が消えた日』カバー見返し部分より(石井中明朝体OKL・写研)
※写植文字紹介のための画像掲載ではありますが、もし著作者様側に不都合であれば、削除いたします。 |