亮月写植室

「写植の時代」展
2012.2.21(火)大阪DTPの勉強部屋主催
於:メビック扇町


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●MC-6が伝える“生きている写植”の姿

 そして本展の目玉、モリサワの手動写植機「MC-6」を拝見させていただいた。

MC-6
武骨なる鉄の塊が聳え立つような風情のMC-6

モリサワ手動写植機「MC-6」全景
MC-6全景

「MC-6」は1967年から1982年にかけて販売されたモリサワ最後の機械式の機種で、生産終了までに1万台を売り上げたというベストセラー機とのこと。森澤信夫氏が開発した「MC型」の直系で、その完成形である。
 えむさんが当初印字不可能な「MD-M」型を確保していたところに稼働する MC-6 を持っている方とのご縁があり、譲って頂いたものだそうだ(そのエピソードが感動的だったが、詳しくは失念してしまった)。
 この個体は1978年製で30年以上を経過しているが、前所有者さんはいつでも動かせるようメンテナンスを怠らなかったそうで、こうして現役で動き続けている。
 電気が必要なのは光源と文字枠固定とルビ用写口の移動だけという単純な装置なので、電子回路に頼り切った後年の機種よりも維持がしやすそうだった。

MC-6文字盤とレンズ
モリサワ手動写植機「MC-6」の文字盤とレンズ
MC-6は主レンズが2段式である。上段が7〜20Q、下段が24Q〜62Qと70〜100Q用拡大レンズ。ターレットは電動ではなく、ターレット上の突起に噛んだ爪を外して手で廻すようになっている。
どちらかのターレットだけを使用するため、レンズが入っていない素通しの筒が上下段にそれぞれある(ターレットの黒い鏡筒)。レンズの位置に黒い線とQ数が入っており、「レンズが光源から近いほど印字する文字が大きくなる」という原理が目で見て判るようになっている。

横用ラチェット
(左から)横用ラチェット・送り歯数指示目盛台・変形レンズ選択ダイヤル

横用ラチェット
横用ラチェット
大きな歯車のようなものが横用ラチェット(写研では「ダイヤルインジケータ」)。写植の「歯」という単位はまさにこのラチェットの歯に由来している。一周200歯あり、10歯毎に目盛が刻まれていて、白い部分にダーマトグラフ等で印をつけ、行頭や行末の位置を記しておく。
電子制御式だと位置情報はデジタル数字による表示なので数字を見た後に計算が必要だが、ラチェットは見れば残余歯数が一目瞭然なので慣れれば考えなくても割付が出来たのではないだろうか。その辺りはパンフレットp.23に詳しい解説が掲載されている。
改行等で行頭側へ印字位置を戻す場合、ラチェットに噛んでいる爪を解除する。ぜんまいの力によって自動的に戻ろうとするが急激に移動して危険なので、ラチェットに2箇所あるつまみのどちらかを持ちながら「ぐるぐるぐる……」とゆっくり移動させる。

送り歯数指示目盛台
送り歯数指示目盛台
横送りの歯数を指針の位置で設定する。5〜28歯。ここから左のラチェットに棒が伸びていて、ラチェットの歯を押さえている爪に連動している。設定した歯数に応じて爪が解除されるタイミングが変化するようになっている。

変形レンズ選択ダイヤル
変形レンズ選択ダイヤル
長体・平体とも1〜4番を選択可能。


縦用ラチェット周辺
横用と同様に扇形の目盛りの位置で送り歯数を設定する。ラチェット左にある金属の出っ張りが縦1歯戻しレバー(横用ラチェット周辺にも横1歯戻しレバーがある)。頻繁に押されたため周囲の塗装が剥がれている。

主レバー
主ハンドル(その1)
モリサワの多くの機械式機種の場合、主ハンドル(写研では「主レバー」)は2本ある。左が横用、右が縦用。握りのてっぺんのMマークが微笑ましい。
主ハンドルの下に出ている金属の棒は「空送りハンドル」で、送り歯数指示目盛台で設定した歯数を空送りする。
主ハンドルを押し下げる場合、空送りハンドルと接する位置辺りで文字枠が固定され、更に押下するとシャッターが切れ、空送りハンドルも一緒に押し下げることで指示された歯数が送られる。印字と送りを機械的に同時進行できる優れた機構だが、28Qより大きい文字を印字する場合、更に空送りハンドルで次の文字の位置まで移動してやらないと文字同士が重なって印字されてしまうことになる。

主ハンドル
主ハンドル(その2)
主ハンドルの根元に立ち上がっている円弧状のレバーは「1歯送りレバー」。側面の「微動送り調節ダイヤル」で送り歯数を1〜4歯に設定可能。
非常に見にくいが、縦横の主ハンドルの間に「シャッターレバー」があり、送りを行わず印字だけすることができる。

MC-6の文字枠
文字枠
MC-6 には、最大でメインプレート2枚とサブプレート8枚を装着可能。

MC-6点示ロールとマガジン
点示ロールとマガジン
点示ロールの奥、同軸上に印画紙の入ったマガジンを装着する。合理的な設計。

 このように MC-6 は機械式故全ての設定をオペレータ自らが行わなければならない。1行バラ打ちするだけでも、機械のあちこちの操作に注意を払い、文字盤から文字を探し出し、どこまで打ち終わってこれからどのように打つのかを把握しておくことになる。機械式なので電子制御式のような座標記憶も自動割付もない。とてつもない集中力と記憶力が必要なのだ。古い文献を繰ると、電子制御式の機種が発売されたばかりの頃の広告には「今日からあなたも名オペレータ」のような売り文句が掲げられている。それだけ旧来の手動写植機の習熟は大変で誰もが一朝一夕にできるものではなく、極めて職人的な技術だったと言うことができる。
 来訪者の方が写植の印字体験をされる時、度々えむさんや大石さんのご教示が入ったが、文字盤の中から見付けたい文字をすっと採字し、無駄のない滑らかな手つきで写植機を操作している姿が美しいと思った。やはり写植は機械と人とが一体になって成立するものなのだ。

●写植の時代を語る

 19時半からは座談会「写植の時代を語る」。写植全盛期のエピソードや思いを写植に深く関わられた方3人に存分に語っていただくものだった。元モリサワの小谷氏、印刷会社代表の新井氏、同じく松井氏。えむさんが司会進行役を務められた。
 際どいお話もあったので、差し障りのない範囲でお話の内容を記録しておく(筆者の聴講メモより。誤りがありましたらご指摘ください)。

・モリサワは午前零時でも写植機の修理の対応をするなど、何でもやる会社だった。今でも無理を聞いてもらえる。
・モリサワは人間味があり、写研は冷たい印象。写研は代金を全額支払わないと写植機を納めてくれなかった。身元保証がない人には売れないとか……。
・文字は文化や。縦でも横でも綺麗に組めるのが「いい書体」。そういう意味で写研書体は素晴らしい。
・大阪で写研書体でなければならない人は20%ぐらいだったが、どちらでもいい人は写研の写植機を買った。
・モリサワ機に写研の文字盤を装着できるもの(改造した文字枠?)が非公式に売られていた。
・写研は文字盤だけを売ってくれない。写植機1台に文字盤1枚というのを写研がチェックしていた。複数台写研機がある会社は常に台数分の文字盤が必要という訳ではないから……ごにょごにょ。
・MC-5 の頃、一日2万字ぐらい打った記憶がある。徹夜で印字すると頭がボケてきて、暗室の電気を点けて現像してしまったことがある。そのぐらい忙しかった。息を止めて印字するほど精神を集中させていた。残業が月に100〜150時間は当たり前だった。
・ページ物は原稿を分担して印字し、暗室は取り合いになるような忙しさだった。割付と印字の担当を分けるなど工夫していた。
・MC-6 は120kgある。2人だけでこの機械を5階まで階段で上げたら手が震えて設置後の調整ができないほどだった。
・今回展示した MC-6 は豊中から運んだ。搬送に来てくれたのは、まさにこの機械を前所有者が購入した時にそこへ搬入した方だった。長年写植機の搬送に携わられて機械の「顔」を覚えていて、見ただけで機種が判る方だそうだ。
・指定通り組めたら余分に1000〜5000円くれる時代があった。忙しくて仕事を断るほどだった。写植機を現金で買うとか。オペレータの給料が8000円の時代、MC-5 が40万円台、MC-6 が60万円、写研機はその3〜4割増しだった。給料は倍々に上がっていった。その時代、スチュワーデス(航空機の客室乗務員)の次に給料が高かった。「いい時代」は1965〜1980年辺り。写植機で言えば「MC-P-III」ぐらいまで。
・刑務所では保安のため印字する人と現像する人は別だった。写植室だけ冷暖房完備だった。機構が油圧式なので暑すぎても寒すぎてもいけないから。会社でも冬の朝は主ハンドルを何度も下げて温めた。
・電算写植の入力機は、フルキーボード式で一日3万字ぐらい入力できた。熟練するとブラインドタッチが可能でかな漢字変換よりも速かった。
・技術に普遍的なものはなく変化していくもの。商売の先はナンボ分かっとっても一歩先ぐらいがいい。
・土台となる技術力が今の若い人達は不安定。アプリケーションを買ってくれば始められる。独学でできるから価値が下がっている。「上手い人」はいっぱい居るが何が「いい」のかが分からない。職業としてのスキルを高めるための社員教育が必要なのではないか。
・困難の経験が強くしてくれた。やる気のある人には応援してくれるねん。

 ここにはとても載せられないような秘密の話や写植を知る人にとって痛快な話など当事者ならではのお話が繰り広げられ、漫才のようなやり取りに笑いが度々起こりさすがは関西といった感じだった。

●筆者、MC-6に苦戦

 筆者も MC-6 で印字してみた。
 機械式で全て自分で設定しなければならない本機に悪戦苦闘。大石さんのご指導を頂きながら操作していくのだが、殆ど写植機がやってくれる手持ちの PAVO とは大きく違うため理屈を理解するのに時間がかかった。周囲に多くの人が居て赤っ恥をかいた。印字している人間が写植ファンサイトの管理人だと気付いた人は殆ど居ないとは思うけど。
 まるでかつて筆者がデジタルカメラしか使っていなかった頃にフィルムの機械式マニュアル一眼レフを使い始めた時のような感覚。機械の仕組みを完全に理解して初めて使えるようになるのだ。だからといって物凄く複雑ということはなく、直感的に操作できる分慣れてしまえば電子制御式よりも楽かも知れない。

MC-6で印字した印画紙

 初めてモリサワの写植機で印字した印画紙。古い機械だが手厚い整備がされているため文字は黒々とし、ぼけ足もなくシャープである。品質は現役そのものである。先のマニュアル一眼レフで写真を撮った時のような、人間の感覚に直接訴えかけるような喜びがある。
 MC-6 は28Hまでしか一度に送れないので、写真のように56Qの印字が半分重なってしまった。書体は「見出明朝体MA1」と「細ゴシック体BC1」。このBC1のようにDTP用として発売されていないモリサワ書体には味のあるものが多く、寧ろそちらをリリースした方がいいのではと常々思っている。

●「写植からDTPへ伝えたいコト」とは

 写植に代わりDTPが普及して20年近くが経過した。
 その初期段階に於いては使用できる書体が限られ、組版ソフトも未熟で写植の代替と言えるものではなかったし、携わる人間も必ずしも書体や組版に通ずる訳ではなく、誰もが自由に文字を組める事が利点とされた。否、されてしまった。そしてDTPの導入期は現在まで長く続く不況の入口だったことも不幸であった。ひたすらコストダウンを強いられ、組版に対価が認められなくなっていった。
 現在は新しい世代の書体が切磋琢磨の中で生まれ、ソフトの性能も向上し、ユーザーの意識の高まりも感じ取れるようになってきた。
 しかし、本当に写植時代に培われた財産は充分引き継がれたのか?
 ある面では肯定できるが、どのような書体を選び、どのように組むことが最適かを考察し、実践することは、残念ながら一部の意識が高い人達にしかできていないと思う。
 世の中に溢れる印刷物が雄弁に語っている。ダブルクォーテーション「“”」を縦組に無理矢理使い、三点リーダー「…」ではなく中黒「・」を3〜6個並べる無神経さ。デフォルトで搭載されている小塚書体ばかり使ってしまう、読み手に伝わる的確な商売道具選びの放棄。いわゆる“学参フォント”を一般印刷物で使ってしまう・そもそも作ってしまう、書体の存在意義の根本からの否定。……、いけない、悔しくて語気が荒くなってしまった。
「写植からの不連続」を一番感じているのは、写植時代を基盤に持ち、DTPの意識と技術向上に尽力されている主催者や参加メンバーの方々だ。だから今、過去の資料を開示し、書体と組版の原理が体で分かる機械式の手動写植機を実演展示し、誰でもそれらに接することができるようにして広く世の中に問うたのだ。
「写植って何?」という好奇心からでもいい。書体を選び、文字を組むことがどのようなことなのか、本展が嚆矢となって写植が意識され、醸成されてきたDTPのノウハウとともに参照され、よりよいものづくりに貢献することを願ってやまない。

 主催のえむさん、大石さん、出会った皆さん、本当にありがとうございました。

モリサワ手動写植機MC-6の主レバー
「MC-6」の主レバー

【完】


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