亮月写植室

書体開発とタイポグラフィ
(「タイポグラフィ教育1」展)

2012.9.15(土)武蔵野美術大学 美術館・図書館主催
於:武蔵野美術大学美術館


2/2

←その1に戻る

●大御所ご登場!

※シンポジウムの内容は聴講メモから書き起こしたものであり、内容の裏取りは行っておりませんので、ご発言を正しく再現しているかについて保証できません。悪しからずご了承ください。

 15時半、美術館ホールにてシンポジウムが始まりました。
 講演者は大町尚友氏(武蔵野美術大学非常勤講師)、高岡昌生氏(嘉瑞工房)、鳥海修氏(字游工房)、 司会は後藤吉郎氏(武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科教授)です。

 高岡氏から本展について「長い間教えてこられた学生の作品を、大町先生が全て保管しておられました。学生への愛情を感じます」と感想を述べられ、お話が始まりました。
 鳥海氏からは「私は京都精華大学で2年生を教えていますが、大町さんは1年生と3・4年生の授業をやってこられました。先生の授業を3年受けることができたのです。大町さんに教わり、現在文字を作っている方も多いです。」と大町氏の功績に付いて述べられました。

 ここで、ドイツにおられるという小林章氏とスカイプが繋がっているということで、プロジェクター上に登場されました。どよめく客席。
 まず小林氏がこれまで製作してこられた作品について説明がありました。「スタイルに拘らず見出しも本文も全部好きで作りたいと思ってきました。作ったことがないスタイルのものを作っていたらこうなりました。」とのこと。先月(2012年8月)もヘルマン・ツァップ氏に会われたそうです。
 大町氏から「ツァップ氏やアドリアン・フルティガー氏とはどういった仕事をしているのですか?」と質問があると小林氏、「書体のリデザインをしています。オプティマなどは、デザイナーの目から見ると改良の余地があるらしいのです。デジタルフォントだから改めることができます。活字や写植のように制約がないから。デジタルフォントの出来には満足しておられますが、お二方とも自分が制作した書体をもっと良くしたいと思っています。」とのお答え。
 再び大町氏から「欧文書体のトレンドは?」との質問が。
 小林氏、「これというのはありませんが、角の丸いゴシックが多い。Avenir Next Rounded などですね。」とのことでした。

●大町氏の文字開発略史

 後藤氏から「大町先生、今日的観点から文字開発について伺いたいのですが。特にデジタル時代について教えていただけたら。」と質問がありました。
「私がタイポグラフィの道に進んだのは、1966年に武蔵野美術大学を卒業し、佐藤敬之輔氏宅へ伺ったのがきっかけです。この年佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所に入り、沖電気の電算の漢字表示について通商産業省の命を受け、沖電気の嘱託になりました。そして20ドットフォントを作りました。これは左右に1ドットずつスペースを設けたものでした。真空管の時代で、四畳半の広さを使った装置で漢字を表示していました。1970年の大阪万博でも同じようなもの(光点文字)が使われていました。
 1976年頃ライトパブリシテイに移籍し、東芝の仕事をしました。1978年にはワードプロセッサ用のフォントを作りました。同年に制作された16ドットJIS字形と1983年に制作した24ドットJIS字形は定着しましたね。その後ドット数を上げていき、アウトラインフォントへと繋がっていったのです。
 平成書体は1988年頃から国が高度情報化社会に備え、51社が開発会員となり、会費を出してフォント開発に当たりました。平成明朝体にはリョービの案を採用、ゴシック体には日本タイプライターの案を採用しました。その後「次はどういう書体を開発するか?」という話があり、アンケートには『ナール(のようなもの)を開発してほしい』という声があったのです。教科書体の要望もありました。それで、ナールに準じて写研を指名し、丸ゴシック体を作ったのです。」と大町氏。まさに日本に於けるデジタルフォントのあけぼのからアウトラインフォントの普及、そして現在まで携わられてこられた歴史の生き字引たる方なのです。

●写研の文字作り

 鳥海氏からも写研のデジタルフォント制作に関して解説がありました。筆者として最も気になっていた話題です。
「私が写研に入社したのは1978年です。写研に10年、字游工房に22〜23年いる計算になります。写研に入社した当時はビットマップフォントの存在を知らず、アナログ的な手法で書体を制作していました。墨をすって原字を書いていたのです。
 石井賞創作タイプフェイス・コンテストの第1位の賞金は第1回は100万円でしたが、第3回からは400万円に引き上げられました。タイポスを皮切りとして石井賞とともに多書体化していく時代の中で入社したことになります。オフセット印刷、カラー刷り、写植の普及とともに雑誌ブームが起きていました。
 ゴナは内製的にデジタル化が進んでいました。イカルスシステムを使っていました。新聞社に〓〓(聴講メモから読み取れず)っていて、本蘭明朝やゴナをそれで作っていました。原字の版下はデジタルで作りましたが修整は筆でした。」

字游工房・溝引き定規と墨入れ
筆とガラス棒を同時に持ち、溝引き定規にガラス棒を滑らせながら筆を操るのが写研流(再現)。写真の原字は48ミリ角(2007年8月6日、「文字の引力2」の取材で字游工房にて筆者撮影。以下同じ。)

 もう一つ鳥海氏から、字游工房が書体を制作する手順について解説がありました。筆者は字游工房にお邪魔してその現場や制作手順についてお話を伺ったことがありますが、復習であるとしても直接解説していただけるのは貴重な経験でした。
「企画がまとまったら試作します。漢字・仮名・約物で50〜100文字作ってみる。初めに見本として12文字作って印象を確認し、漢字の種字として388文字作り、JIS第1水準、第2水準……と進めていきます。種字から1500文字を生成し、それ以外は微調整が必要です。
 写研では文字盤書体は5000〜6000文字、電算写植用のデジタルフォントでは2万字を必要としています。写研には文字のデザインをする人が30〜40人いました。朝墨をすり、品印の筆ほか用具を準備する。48ミリ角の原字用紙は本文書体用、80ミリ角は見出し書体用でした。48も80も、写植システムが1/16em単位であるため、16で割り切れるようにするための値です。
 漢字一文字を30〜40分かけて描きます。当時写研はフィルムで原字を作っていました。旁と偏など切り貼りして写真部にネガ作成を頼み、出来上がったネガをオペーク修整してポジフィルムに返す。その後ゲージを当てて字面のセンターに目打ちを入れ、原字用紙に貼ってフィルム化したら原字の完成です。

字游工房の原字用紙
字游工房の原字用紙。写真は故鈴木勉氏が描かれたという80ミリ角のもの

字通工房・原字用紙
原字にゲージを当ててセンターを出す(再現)

字游工房・原字用紙
センターを出し終わった原字用紙

 字游工房も設立当初は紙に描いていましたが、1990〜1991年頃から墨入れが勿体ない(無駄)と考え、下描きをスキャンしてイカルスシステムに持ち込むようになりました。字游工房は社員6名ですが、筆記具を使うのは私だけ。Windows マシンと「BE Editor」を使って書体を制作しています。

字游工房・鳥海氏の机
字游工房の鳥海氏の机にはトレース台が置いてあった。手描き時代の道具も保存しているそうだ

 1〜2万字の書体を作る場合、本文用は20ミリ角の原字用紙を用い、一文字20〜30分で描きます。種字から漢字を生成するのに5分ぐらいかかり、作成した文字の両端に「東」を置いてバランスを見ます。1ミリ方眼の用紙を20ミリ毎に区切り、鉛筆で骨格から肉付けしています。墨入れにはポスターカラーを使います。これを48ミリ角の原字用紙に転写し(?)スキャンして BE Editor 上で修整するという流れです。
 フォント化はエンジニアがやっていて、100文字単位のファイルをツールに流し込むと簡易的なデジタルフォントが出来ます。」
 ……本稿では聴講メモから文章を起こしているので文が堅くなってしまいましたが、鳥海氏は時折冗談を交えながらざっくばらんにお話され、とても楽しく聴講させていただきました。2007年8月に取材させていただいたとき(未レポート)もあたたかく深く受け入れていただき、居心地が良かったことを思い出しました。

 アドビの服部氏からも「かづらき」の OpenType 作成プロセスの話がありました。
『土佐日記』等をスキャンしたものを Illustrator でベクトル化し、まずは「FontLab Studio」で Type1 フォントにする。これを「Adobe Font Development Kit for OpenType」(AFDKO)で CID フォント化してラスタライズデータを付加。そして「makeotf」*で OpenType 化しているそうです。

*makeotf
「しろもじメモランダム」さんの「AFDKO入門《CIDキー方式のOpenTypeフォントの作り方》 後篇:makeotf」という記事が詳しい。

●デジタル時代の欧文組版の問題点

 高岡氏は「文字は組まれて意味を持ちます。特に欧文は、組んだ状態で意味を判断しています。どういう風に組むかが大切です。」と話され、欧文組版でポイントとなるものを具体的に示されました。
・アポストロフィやクォーテーションを正しく使う
・「f」の合字を使う
・テキストを流し込んだとき、レタースペースにばらつきが出来ないようにする。ソフトは優秀になったが、人間がきちんと設定しなければならない。
・ライニング数字とオールドスタイル数字を使い分ける
・ハイフネーションでレタースペースを揃える
・明らかに「インデントしている」と感じるのが心地いい
・大文字の「I」が行末に来てはならない
・「AからB」を表す時、スイングダーシではなく半角ダーシを用いる
……といったもので、書体をどう使うかはどう作るかと同じぐらい大事だと述べられました。

●タイポグラフィ教育のすがた

 時代により学生が制作に使う道具が変わったことについて、大町氏は、「コンピュータが導入され始めたのは2000年近くになってからで、今は1年生でも半分ぐらいは自前のものを持っています。1年生にいきなりタイポグラフィを教えるのは負担かと思い、楽しみながら文字を作ろうという方針でやってきました。Mac 研修を行ってスキルを上げてもらっています。」と述べられました。

 大町氏は「目と手と耳」に拘った教育をしてこられましたが、「手」の表現運動についてコンピュータと手のレタリングとに違いを感じるか、という質問に対しては、「描くことで目が認識し、手を助ける。コンピュータは便利な道具ではありますが、書く(描く)こともコンピュータでするのはどうか。仕事ではいいのですが在学中は手でしっかり描き、頭で考えたものを手で表現し、形にした上で修整にコンピュータを使うのがいいのではないでしょうか。」と述べられました。人間の思い描くものをそのまま出力する(下書きや案出しなど)のは、コンピュータを操作することにより発生するタイムラグと操作に意識を向かわせる必要がない手作業がいいと筆者も思っているので、すんなり肚に落とすことができました。

 大町氏の授業を受ける学生はタイポグラフィが確信的に好きな人が多いといいます。その理由や、苦手としている人をプラスに向けるアイディアを本学の田中氏が尋ねられました。
「タイポグラフィは組版に依存するものです。ノウハウや成果を評価するものです。緻密なものですが、書体・字間・字詰といった基本的なものができればそれほど難しいものではありません。
 低年次では難しくならないよう、文字好きになってもらいたいという思いでやってきました。かつては目と手の訓練をやっていましたが、今はプライベートタイプフェイス(自作書体)を作らせています。それによって造形力をつけさせているのです。タイポグラフィが嫌いな子を如何に好きにさせるかに力を入れてきました。」

 ここでシンポジウムの為の時間が尽きてしまいました。皆さんまだまだお話が続きそうなご様子でしたが、ここからは場所を移してレセプションを行うのだそう。筆者は次の用事があったので会場を後にしようと思いましたが、シンポジウムの解散の時、「文字の食卓」の正木さんと「文字道」の伊藤さんが手を振ってくださっていることに気付き、急遽レセプションにも参加させていただくことにしました。正木さんとこんな所で再会できるとは! とても驚きました!

●再会、そしてまた再会

 12号館8階に移動してのレセプション。大町氏の関係者や教え子の方達が大勢詰めかけ、たいへん賑やかな会場でした。文字好きの方達も引き続き参加される方が多かったようです。
 大町氏の功績を讃える挨拶があった後、一同で乾杯。
 大町氏とお話させていただくことは叶いませんでしたが、文字関係の催しでよくお目にかかる方とお話することができました。写研の方もご出席されていて、思いがけない邂逅に胸が躍りました。色々とお話させていただきありがとうございました。
 先程の正木さんとも杯を交わすことができました。正木さんとは2012年5月の「写植の時代展2」で初めてお目にかかって以来約3ヶ月半振り。ここで初めてきちんとお話させていただくことができました。
 ……と、筆者には次の予定の時刻が迫っていたのでおいとましなければならず、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にすることにしました。正木さんと両手で堅く握手。再会を誓いました。

武蔵野美術大学・夕方の正門

 会場を出てからどのように次の用事に向かうべきかと考えたり準備をしたりしているうちに時間が経ってしまい、本学の正門付近から中央本線の駅までバスが出ているらしく行列のあるバス停を見付けて待機しました……が、20分待ってもバスが来る気配がなく、行きのように駅まで歩こうかと決断しかけた時です。
 筆者の前に並ぶ女性の方達もなかなか来ないバスを気にされ、タクシーを呼ぼうとしている様子でした。その方が振り返ると、正木さん!?
 すごく驚きました。全く申し合わせていなかったのに行列の隣同士にいたなんて! ……地理が全く分からなかったので東京人である正木さんの人脈に甘えさせていただき、最終的に正木さんとご友人と筆者でタクシーを相乗りして駅に向かうことになりました。
 渋滞でなかなか進まないタクシーの中、30分から40分ぐらいでしょうか。正木さん達とずっと書体の話をしていました。自分が二人いて会話をしているような不思議な感覚。やっと思いを共有することが叶ってとてもとても楽しくて嬉しかったです。こういった偶然を筆者はよく経験しますが、再会を誓って別れた後でまた再会するなんて、話として出来過ぎているというか、ただならぬ偶然に心から感謝しました。正木さん、ご友人さん、あの時は本当にありがとうございました!

 次の用事には大遅刻してしまい先方様にはご迷惑をおかけしてしまいましたが、その方も写植が大好き。深夜まで写植を肴に美味しいお酒を頂いたのでした。Mさんありがとうございました!

武蔵野美術大学・正門石盤

 今日一日の様々な出会いに感謝……。

【完】


→写植レポート
→メインページ

© 亮月写植室 2011-2023 禁無断転載