連続ドキュメンタリー
さようなら写植。

第4回 6月1日・『遺されたもの…“写研の字を忘れんうちに”』


 今日は知り合いの会社の引越しの日。写植業は取引先の関係で20日まで延長されたそうだが、社屋としては写植機を残して近くのマンションへ。既に会社の方や印刷会社の方、大工さん等、多くの人が集まっていた。
 荷物を運ぶ手伝いと並行して、会社で要らなくなったという物の中から欲しいものを選ばせて頂いた。写植室に入って大きなショックを受けた。写植機は2台あったのだが、そのうちの学生時代に使っていた手動写植機「PAVO-KVB」がバラバラに解体されていたのだ。思い出の愛機は鉄の塊といくつかの小さな電子回路の残骸、そして光学レンズだけになっていた。あまりのあっけなさに涙も出なかった。Mac室にあった電算写植機「サイバートH202」も基盤の山を築いていた。その机だけは社員の方の作業卓になった……。フロントパネルだった青い鉄板の「SAIVERT-H202」というロゴが泣いていた。
 そんな写植機たちの残骸の中から、とても古いソフトと写研(写植最大手の会社)の書体見本帳、級数表(級数=文字の大きさ)、PAVOやサイバートの取扱説明書、ロットリング(精密製図ペン)等を頂く事にした。ロットリングについては、印刷会社の方達が「懐かしいなあ……インクがよく詰まったんだよ、0.1ミリのは特に。手ぇ真っ黒にして洗ってさ。高かったからね。今の子は知らないだろうな……Macになっちゃったから。懐かしい……。」と感慨深げに話して下さった。聞いていると涙が出そうになった。この引越しが何を意味するのか、ロットリングを懐かしむ人がいるという事がどういう事か、分かってしまったからだ。
 あっという間に正午を回り、皆で近くの食事処へ。やはり昔はどうだったかや写植の文字盤の話になった。社長と親交の深い元写植オペレータの女の人は、写研のMacフォント参入について、「もう遅い。モリサワ(写植のシェア第2位だったフォントメーカー)がシェアを握って、そのモリサワですら危ないんだから。写研がモリサワの半額とかでフォントを出さん限り、駄目だろうね。でもまだ写研の書体が好きな人って多いと思うよ。綺麗でよく出来てたからね。だから皆が写研の字を忘れんうちにフォントを出してほしいってのはあるね。」と。……デザイン業界全体が、「書体はどうでもいい」という風潮になりつつあるとテレビの字幕や印刷物から感じているので、もう一度美しい書体と組版が蘇って欲しいというのは強く思う。今の若いデザイナーは書体についてどう思っているのだろうか。「写研の字を忘れんうちに」か……。
 夕方になると引越しも大方済んだ。写植機と文字盤だけが残された旧社屋は意外と広い所だった事に気がついた。老朽化した旧社屋と、寝泊まり出来そうに綺麗な新社屋があまりにも対照的だ。そこでeMacは新しい生活を知り、PAVO-KYはあと20日の命を知るのだろうか。写植機が本当に不憫でならない。持って帰りたい。壊れるまで使ってやりたい。そう思ってもどうにもならないのが切ない。

▲学生時代に愛用していた手動写植機「PAVO-KVB」。1983年製。
右上に印画紙を収める「マガジン」が、その下に各種文字組みや位置記憶のボタンが、さらにその下に級数や変形レンズを指定するキーが、その左に白い印字キーがある。
その隣には黒い円筒状の級数レンズ(文字の大きさごとにレンズがある)が、その下には文字盤を置くための文字枠がある。
その下から光を透過させ、レンズへ導き、最終的にマガジンの中の印画紙に感光させるという仕組みになっている。
最新型のPAVO-KYと殆ど同じだが、両機の違いは、 CRT 画面が白バックではなく黒バックに緑文字である事と、変形レンズを指定した時につまみが回転し、レンズ変更の動作がはっきりと確認できる事か。
KVBには出来ないがKYには出来る複雑な組みもあったと思う。
だがKYよりも個性があって好きだった。2003年5月下旬、解体処分。(写真:桂光亮月)

→第5回 6月14日・『回顧・PAVO-8(パボエイト)』

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