連続ドキュメンタリー
第5回 6月14日・『回顧・PAVO-8(パボエイト)』
昼から写植屋さんへ。今回は写植機の撮影がメイン。しかしこれがおそらく最後の顔合わせだろうので、自分の名刺の完全版下を印字。写植の優しい文字だからこそバッチリ決まるのだろうか。別れを惜しむように一文字ずつ心を込めて打った。あと1週間で、この当たり前の風景が二度と帰って来なくなる事が信じられない。こんなに普通で、身近で、日常的なのに。
休憩の時、社長と社員のYさんがかつての写植機について語って下さっだった。お二人の思い入れが特に強かったのは「PAVO-8」(パボエイト)*1。今の「PAVO-KY」のように画面がある訳ではなく、代わりにガラスに打たれるインクの点で印字位置を示す装置があったのだそうだ。「印字が全部終わったらガラスを裏から拭いてインクを消した」とYさん。くい込み等の詰め印字は、見当をつけて歯数(写植の長さの単位で、1歯=0.25ミリ)を決めていたのだそうだ。そして印字されたレイアウト全体を頭の中に描き、全てを把握しながら仕事をしていたそうだ。まさに神業、職人の技。そんなPAVO-8でも、鉄と歯車の塊だった以前の写植機(SK-3RYなど)と思うと画期的な進歩だと思ったそうだ。
その後、PAVO-KYが出た時はもっと感動したらしい。インクの点ではなくて画面にそのままの大きさ・書体で表示されるのだから。……その中間には「PAVO-JV」という、詰め印字用の小さな画面が付いた機種もあったそうだ(「工房井上」さんで写真が見られます)。他にも卓上型写植機の「SPICA」*2もあり、50級(写植の字の大きさの単位で、1級=0.25ミリ)までの大きさの字が打てたそうだ。スピカ用の文字盤はPAVO用とは違い、ガラスの片面が書体のフィルム剥き出しで傷付きやすかったそうだが、安価なのであまり使わない書体には重宝したらしい。また、Yさんは4年前までリョービの写植機を使っていたが、「同じ内容を何回も印字する時、書体さえ自分で替えて字を打てばあとは写植機が字の位置と級数を自動で選んでくれるような、リョービにあって写研にはないような機能もあった」のだそうだ。
Yさんは写植を使わなくなる事にあまり抵抗はないようだが、社長はこの30年近くの付き合いのためか何だか寂しそうだ。文字盤を社長室の机に敷き詰めたり、PAVOの説明書をとっておいたり。……かつてこの会社には手動写植機が5台あり、サイバートもあり、会社の人も10人近くいらっしゃったそうだ。社長曰く、「写植でビルが建つ」、と。深夜の残業はよくあった代わりに、給料は1時間当たり六千円だったそうだ(!)。そんな時代もあったという……。
それが今ではMacに変わり、メンバーは社長とYさんの二人。写植機もあと1台。切なくなった。21日はPAVO-KYの最期の日。もう会えなくなってしまうのだろうか。
*1 PAVO-8は1969年に発表された初代PAVO型の一つ。SK-3RYの機械剥き出しのデザインから箱の集まりのような筐体へ一新されてすっきりし、本体の左にあるガラスパネルに文字の位置を示すインクの点が記される。
*2 卓上型写植機「SPICA」の派生機種であるテレビ字幕用写植機「スピカテロップ」(写真が「写植機探検隊」さんにあり)。NHKと写研が昭和39年頃共同開発したそうだ。裏文字でない五十音配列の文字盤(通常は「一寸ノ巾」という文字の形別に並べられている配列で、光学上の都合で裏文字になっている)や、大きさの単位である1級が通常の2倍の0.5mmなど、テレビ用独特の仕様だった。「SPICA」はこれの基となる機種で、本文組版用として1960〜70年代に普及した。「スピカテロップ」の後継機には、テロップ送出コンピュータである「テロメイヤ」がある。
→最終回 6月21日・『さようなら、写植……』
→『さようなら写植。』目次
→写植レポート
→メインページ |