2 文字の道をゆく。


「プロスタディオ」を後にし、次は文字道の伊藤さんが『文字の先と端〜100%写植〜』という講演会を開かれるということで、「文字の引力」でも訪れた東京ミッドタウンの「デザインハブ」へ急ぐ。複雑な地下鉄を乗り継いで会場に辿り着いたのは開演時刻の10分後! 司会の方のイントロダクションが始まっていた。

 司会の原研哉氏による、写植がどういうものであるかの解説、伊藤さんの紹介と本講演の主旨説明がある。話し手は「オールライト工房」の高田唯氏、デザイナーの梅原真氏。高田氏の進行で講演が始まる。

(※以下、筆者の講演メモを元にまとめたものです。伊藤さんが話した内容そのものではありません。ご了承ください)

●1 活版から写植に移行した背景

 印刷業界に入った17歳(30年以上前)の時には既に写植が主流でした。写植は金属活字と違い、レンズによって文字を変型することができるという表現の多彩さがあり、文字盤一枚に2862文字収められるので場所をとらない。これが大きな要因だと思います。


写植のレンズによる拡大縮小・変型
※A3の紙をカメラ撮影したため、黒みのむら・文字の歪みがあります

 写植に惹かれた・始めた理由は、叔父貴が写植屋で、大日本印刷の漫画の吹き出しを印字していました。そこで写植を始めました。活版の記憶はあまりありませんが、活版の植字の人から「なんで文字を詰めるんだ」と言われたりもしました。

 写植は1924年に石井茂吉さんと森澤信夫さんによって発明されました。日本で発明されたものです。それぞれが「写研」と「モリサワ」を創りました。写研の書体は機械と書体が一体であるという考え方で自由に使えませんが、できれば開放してもらいたいですね。

講演風景

●2 写植の魅力(1)

 光による歪みや滲みが微妙にあり、それが味になっています。デジタルフォントでは直線的ですが。写植の魅力を説明するのはなかなか難しいですね。

●3 写植の現在

 装丁家がよく使います。モリサワではなく写研の書体が使いたい場合。あとは漫画の吹き出しですね。印画紙で使うのは少しだけですが。あとは拡大したときの滑らかさから、作家さんが使われます。

 メジャーでなくなってしまったのはあまり知られてないからだと思います。若い方は殆ど知らないんじゃないかな。(写植を知っている人に手を挙げてもらうと、3割ぐらいの人が知らなかった。ちなみに聴講生は半分以上が若い人だったがベテランと思わしき人もいた)

●2 写植の魅力(2)

 (梅原氏から「もう少し写植の魅力について話してほしい」と要望があり、戻って話題を続けることになった。)

 写植は全て手作業ですから、作った人の顔が見えるところが魅力だと思います。また、活版に比べ、書体や大きさ、変型などの多様性があります。活版ではあまりにも小さい文字だと彫ったり作ったりするのに限界がありますので書体デザインが級数(文字の大きさ)に依存しますが、写植は文字をレンズで拡大・縮小しますので大きな文字でも小さな文字でも同じ書体を使うことができます。

●4 印字のメカニズム

 (配布されたプリントの図やプロジェクターで投影された写真で解説された)


配布された資料から

 このように、一文字を印字するまでに様々なレンズやミラーを通っているのです。

 かつて、写研の「SK-3RY」という写植機は、仕上がり確認用のモニターがついてなく、出来上がってくるまでどのように印字されてくるか判りませんでした。

 そんな中で、デザイナーとオペレータの暗黙の了解(ツメ印字の具合など)や信頼関係がありまして、頭の中に仕上がりのイメージが出来ていて、それに向かって印画紙を作っていくのが喜びでしたね。

 DTPではモニター上で試行錯誤しながら作っていくことが多いと思いますが、「SK-3RY」の頃は初めからイメージがあったことが大きな違いだと思います。

●5 文字の種類・特徴

 (配布された手製の書体見本を身ながら)


配布された写植書体見本(一部)

 これは写植屋さんで打っていただいたものですが、こうやって見るとひとくちに書体と言ってもそれぞれに顔があります。もちろん文字はひと文字ずつ手で描いて作っています。文字を作る人がいるということです。「光朝」は田中一光さんの作品ですね。

●6 注文のしかた

 写植は写植屋さんで打ってもらいます。私は八丁堀にある会社に印字を頼んでいます。手動写植の書体なら写研・モリサワ・リョービのどの会社の書体も全て印字できる所です。

 活版印刷では「パピエ・ラボ」で印字を斡旋していますので、写植でも同じようなことをぜひやってほしいですね。

 原稿の具体的な書き方についてはお配りしたプリントをご覧ください。書体の名前、級数、行間などを指定します。 印字の値段は、1ページ1万円の時もあれば3万円の時もあります。


出典:写研「写真植字」P.1『写植の指定』(クリックで拡大)

(※筆者注:私が実際に印字を発注したときのものがこちら(イラスト制作部内)にありますので、ご参照ください)

 オペレータは注文を受けるだけではなく、「こうしたらもっと良くなるのでは」と提案もしていました。そのせめぎ合いや切磋琢磨の中から素晴らしい作品が出来ていきました。

 最近思うのは、目次がきちんと組まれていない雑誌が多いということです。広告の後に目次が隠れていることがあって迷ってしまいますね。目次は本の顔ですから、写植の時は何種類も案を作って検討していました。読ませるということを考えることが大切です。

●7 今後の写真植字

 若い人の中で活版印刷が盛り上がっていますが、一方写植は知らない人が多い。ですから見学会やこういった講演などで知らせるのが大切だと思います。「写植はこういうものですよ」と言えばやってみたいと思うデザイナーがいるんじゃないでしょうか。8月10日から表参道の画廊で写植関係の展示もしますので、実際に触れてみてください。

 文字盤を捨てるのは勿体ないという精神で写植に関するものを保存しています。人の手によって作られたものには魂が込もっていると思うんです。

「スピカ」という主婦の内職でよく使われた小型の写植機があるのですが、文京区では税務署が入るぐらい稼いだ奥様がいたそうです。活版の鑽孔機、手動写植のスピカ、電算写植の入力、そして今のDTPというように、印刷に女性の活躍は欠かせないものです。

●原氏のまとめ

 かつて、金属活字によるタイポグラフィの情熱がありました。そこへ写植が登場し、仕上がりを想像したり表現方法を試みたりするなどの大きな盛り上げが起こりました。そして現在のDTPでは誰でも扱える、自由な使い方へと変化していったという流れがあります。

 しかしながら、1970年代から1980年代のグラフィックデザインはある完成度を持っていたように感じます。それは写真植字に要因があるのではないでしょうか。杉浦康平氏をはじめとするデザイナーの斬新な試みや雑誌のようなマッチョなタイポグラフィが存在していました。

 これを見ていないと写植組版がノスタルジックに見えてしまうのです。しかし既に博物館的・歴史的なものになりつつあるのが現状です。

 途中の休憩時間と講演が終わってからは伊藤さんが持参された写植の文字盤や写植機の部品を展示しながら解説されていた。伊藤さんの周りには若い人達が集まり、熱心に質問する学生さんに丁寧に答えていらっしゃった。写植について知らない人が多いとはいえ、写植に対して興味を持っている人が多くいることを見てとても嬉しくなった。伊藤さんも絶えず笑顔だった。

 写植がどのようなものであるかはなかなか言葉で説明しにくい所があるが、文字盤やレンズなどの実物を見て触ってもらうと仕組みが理解しやすいと思う。そして伊藤さんの親しみやすいお人柄もあってか、聴くだけの一方通行的なものではなく、写植を知らない人と知っている人が交流する場にもなり、これまでなくなる一方でしかなかった写植を盛り上げる一つのきっかけになったと思う。

 原氏がおっしゃったように、DTPによる“自由な”タイポグラフィが当たり前になったからこそ、制約の中で工夫や挑戦・切磋琢磨して築き上げてきた写植による組版を再確認する時期が来ていると思う。より美しいものを求める力に溢れていた時代とその生き証人を過去へ忘れ去るのはあまりにも勿体ない。具体的に持っているイメージを形にするのが写植。機械やソフト任せでなく、あくまで作り手が主体という考え方は必要だと思うのだが、いかがだろうか。

 おそらく写植についての大規模な講演はこれが初めてだと思うので、今後このような講演が催されることを期待したいし、自分もそれに協力できるのであればしたいと思った。


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