写植機おもいで40年

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●写植が最先端だった頃

H ただ、今思い出としてね、実際楽しかったなーって言うのは、テロップをやってたんですよ。テレビ局の○○(録音から聞き取れず)が立ち上がった時ですから、あんな立派な所じゃなくて、矢場町に「Tビル」っていうのがあったんですね。そこの一室が事務所だったんですよ。
 そこから速報が入ると……FAXはなかったと思ったんですけど、電話が入るとテロップのカードを打ってテレビ塔まで走って持ってくんですよ。車だと時間がかかるっていうんでバイクで行って、テレビ塔をストレートに上げてもらえるんです。それが思い出にはなってますねぇ。楽しかったっていうか。普通上げてもらえない所に上がれるのが若い時にとっては格好いいなってとこがありましたね。
的 報道の最前線ですからね。
H それでしばらくして自分の所でテロップ専用の機械を入れるという事で、そういう仕事も段々なくなっていきましたね。それは……今で言うと“3K”のうちに入るんじゃないですか? そういうね、自分達の持ってる格好良さって言うのかなあ、報道に関わり合っているのはすごく格好いいっていう思いは持ってたんですが、時間がね、いつ事が起きるかは分からんものですから、そういう事を考えると非常にきつい仕事でしたね。
 なぜその仕事をやらさせてもらったかというと、私の一つ先輩がニュースカメラマンやってたんですよ。僕が高校1年の時に伊勢湾台風が来て、その時に下半身水の中に入ってカメラ回してたって事で、そういうのをテレビで見たりとか話を先輩から聞いたりしてめちゃめちゃ格好いいなと思ったんですよ(笑)。
 それで先輩から「こういう仕事があるからお前やれるか?」って、「やります」って言ったんですけど、今になって思えば、やる所(業者)がないんですよ。そんなしょうもない仕事を。先輩に調子づけられてね、調子に乗っちゃってやったんですけど、今思うといい加減な事ですよね、はっきり言うと。
的 写植を始められて少し経ってからですね。
H 1・2年すれば写植なんていうのはね、一人前とは言いませんけどある程度は出来るようになりますもんね。毎日やってれば体が覚えるし、やらなければお客さんに叱られるし(笑)。
 あとは、Hさん(スーパーマーケット)……Yさんの前身ですね、あそこのチラシをやらさせてもらったのも思い出になってますね。
 今はD印刷さんに吸収されちゃったんですけど、K印刷さんっていうのがあったんですよね。私の同期の連中も何人かお世話になったんですけど、そこがY社の仕事をやってらっしゃって、チラシのデザイン・レイアウトをして作るという仕事をやらさせてもらったんです。それは本当に……下世話な話なんですけど、夜は寝れないし、営業の方がみえて、打ち上がるのを待ってるんですね。それでそれを持って走ると。で、値段が決まんないんですよね。品名とかは打ってて、値段だけはよそのスーパーさんのを色々リサーチして決めるっていうのがあったんです。
的 昔もそうなんですね。今でもそうですね。
H やっぱりね。ギリギリになって決まって貼り込んで送ると。その時には2交代を誰もやる人がいなかったもんですから私が夜その仕事をやって、朝渡して、布団に入るんですけど、寝れないですよね、外は明るいですからね。そんな事もやってましたね。
 やっぱりミスがちょこちょこありましてね、0を1個忘れちゃって、よく見てらっしゃる方がいて、今でもそうかなー。
的 高い方はいいんですけど安いのは……。
H 差額分を我々が出してね、印刷屋さんとうちが。1ヶ月分の利益が飛んじゃいますよね。安いものだったらいいんですけど、高額なものですと……。よく叱られましたね、「辞めちまえー!!」って。夜も寝ずに一生懸命やってね、利益が全部カットなんてね、ありましたからね。
 ……まあ、あとは平々凡々のお仕事。カタログ作ったりね、というのが多かったですかねぇ。大体そんな感じじゃないかと思うんですけど。
 何かお気付きの事がありましたら。なかなか思い出そうと思ってもね、正直言って昔の事だから忘れちゃって(笑)。

●見えないものを組む

亮 SK-3RYですと画面は勿論なかったと思うんですけども、ツメ組みっていうのはやられた事はありますか? ベタで打っておいてあとでカミソリで切って詰めるやり方だったんですか?
H ある程度やってますとね、感覚で判るんですよね。例えば20Qなら20歯で、レバーが縦送りと横送りとあって、1歯送りのレバーがあるんですね。ツメ打ちの場合は半分……20Qの文字なら字送りを10歯の目盛りに合わせておいて、通常打つ時は2回、1回打って1回空送りして20歯送りますね。それもレバーを下げて上まで上げると全部行っちゃいますから、ギアだけ送るには途中で止めてもう1回やってやると空送りすると。あと1歯とか小っちゃいやつは1歯送りのでやる。例えば20Qの場合、0.5くらい詰めようかなという時は、1回打ってあと6歯かな、16歯送ればいいですから、6回送ってやると。そういう事はやってましたね。
的 切らずに。
H だから2回やれって言っても勿論出来ませんよね(笑)。その時の勘でね、やっていきますから。
亮 写植を始めたての頃は勿論出来なかったんでしょうけど、繰り返し打ち上がったのを見て「これは何歯ツメぐらいが綺麗かな」っていうのを考えてたんですね。
H そうですそうです。何年かかけないと出来ないですね。勘でやるっていう。昔はそんな事ぐらいしかないですよね。その辺の所で会社の中で競ってるっていう(笑)。
的 切って貼って大変だったっていう方もいらっしゃいますよね。
H うん、いますね。でもツメで20歯送りを18にしたり16にしたりした方が切らなくて済みますしあと楽ですからね。
 新しい機械になってからは使えませんからそういう事は分かりませんけど、そういうやり方の人と、もう一つは「この字とこの字の間隔は18歯だから」ってゲージを18にしたり戻したりするやり方ですね。その方が間違いないですよね。僕らでもやってて、1、2、3、4、5、6ってやってて、誰かが何か言うと「ハイ?」って幾つやったか忘れちゃってね(笑)、やっちゃった〜っていう事はよくありましたね。ふっとよそ事考えると忘れちゃったりとかね。5だったか6だったかなーって。こうしてやられる方の方が堅実じゃないですかねぇ。
 僕の場合ですとそういう事が出来る方と一緒に仕事をやってましたから、「こうやってやるともっと速いよ」とか教えてもらって、かなり当時は写植のオペレータは技術持ってましたからね、「先生」か「師匠」かっていう。親父から言わせるとね、まあ「主任さんとペーペー」なんですけど(笑)、僕らから言うと師匠ですよね。
 そんな事で退職されて独立されてね、今と違って昔はね、横のネットワークがありましたからね、強かったですね。“渡り職人”さんが何人かうちに来ましたけど、当時は新聞で写植の求人をしてましたね。履歴書なんか殆ど見ないですよ、もう人が欲しいばっかですから。

→つづく


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