写植機おもいで40年

 2008年4月13日
 於:H様社屋(名古屋市)
 取材・文・写真:桂光亮月+的場仁利(文字の旅人)


 以前の取材のご縁で、名古屋市内で40年以上前に写植を始められたという方をご紹介いただきました。
 まだ写植が広く普及する前。当時の最先端だった手動写植機SK-3RYを使い、様々な業種から印字を受注してこられ、やがて写植機は電子制御になり、そしていつの間にか写植が過去のものになっていった過程を見続けてきた方です。

 今回取材させていただいたHさんは写植の道を進んだ思い出と現状に対する想いを丁寧に語ってくださいました。
 PAVO世代よりも前のオペレータさんの声は貴重だと思います。40年前の写植はどんなものだったのか、衰退しきった今をどう見ているのか、お読みいただけたら嬉しいです。


→1 写植との出会い
→2 写研へ、そして就職/SK-3RYの不確かさ
→3 写植が最先端だった頃/見えないものを組む
→4 写植が使えない苦しみ
→5 かつての書体事情と組み方/文字組に対する意識の現状
→6 窓際のPAVO-KVB
→7 捨てられない写植機
→8 “活版ブーム”と写植、そして次世代への継承(最終回)


→写植レポート
→メインページ