試作第1号機 1925年8月

●写真植字の歴史の始まり。
 イギリスの研究を基に石井・森澤が共同発明。

試作1号機写真

スタンダード35変形レンズ4JQレンズ1〜3ルビ±99H送りQ数連動ベタ送り欧文自動送りインチ送り1/32em単位送り字づら検出1H送りレバー送り1・2キー1/16em送りキー1/4歯送りキー割付計算座標記憶欧文ベースライン自動調整くり返し印字折り返し印字水平組円組・斜組像回転スポット罫線線長補正斜線・円・楕円点示板ダイヤルインジケータLED表示なし印字キーキー入力

●石井氏と森澤氏の出会い

 東京帝国大学を卒業し神戸製鋼所に勤めた石井茂吉氏は、第一次世界大戦後の不況による営業不振と母の看病のため同社を退職、実家から通える職場をということで星製薬に就職しました。当時の星製薬には最新の外国製製薬機械が次々と輸入されており、高度な技術を持つ技術者が求められていたのです。
 ここで出会ったのが森澤信夫氏でした。森澤氏は大阪の馴染みの薬店で貰った招待状で星社長の歓迎会に出掛け、そこで社長と会い、就職を取り付けていたのです。森澤氏は社長直属の技術者として活躍していました。

●イギリスの写真植字研究を知り、共同で発明へ

 1923年、森澤氏が星製薬図案部の長沢角三郎部長から「イギリスの『ペンローズ年鑑』で写真の原理を使って印字する機械の研究が紹介されている」という話を聞き、自分でもやってみたいと石井氏に提案しました。
 石井氏は写真植字機が実用に値するか調査を始めました。和文タイプライターを基にしようと考えたため、タイピスト養成所でタイプライターの機構や効率について調べ、和文と欧文とで同じ意味の文章を印字する場合の能率に大差はないことが判明しました。また、欧文組版では文字毎に幅が異なり、単語間にスペースがあり、行末にハイフンを入れる場合にも制約がある等複雑であるのに対し、和文組版では原則正方形の活字を並べていくだけでよいため、和文の方が能率的であると判断しました。
 石井氏はこうした調査の上で写真植字機は実用性があると考えて森澤氏の提案を承諾、図面や特許についての助言をしました。その後両者は星製薬を退職、石井家に同居しての研究の末、1924年7月24日に「写真植字機」として特許出願、1925年6月23日に「写真装置」と名前を変更して許可が下りました。

●メートル法を採用

 文字の大きさの単位には、将来的には主流になるであろうと見越して合理的なメートル法を採用し(1921年、度量衡法によって尺貫法を廃止しているが、一般にはメートル法よりも尺貫法が多く使われていた)、最小送り単位を1/2mmと定めました。文字盤に収録する文字の大きさはタイプライターの4号と5号の中間に当たる4mmとしました。
 文字盤には活字の清刷り3000文字をガラス湿版に撮影したものを用いました。主レンズは4本で、市販されている拡大鏡のものを流用しましたが、像がぼやけてしまい検討の余地を残しました。その他、円筒形の点示装置と原稿板も備えていました。

●その他の機能、仕様

寸法  
質量  
所要床面積  
機械内容 主レンズ 4本
変形レンズ
文字枠収容文字盤 1枚(約3000字収録)
収容感材寸法  
ファインダー

 

点示筒
電源、光源  
環境条件  
価格  

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