2022年10月14日
於:長野県岡谷市
題字 写植の印字:駒井靖夫(プロスタディオ)
●モリサワの最高機種が現存している!?
筆者は写植を研究しているといえども、モリサワの写植に関してはあまり取り扱ってこなかったため、恥ずかしながら十分な知見を持ち合わせていません。書体見本やカタログなどの紙資料は多少あるのですが、モリサワ書体の文字盤は一枚も持っていない状況が長く続いていました。
しかし2022年に入りモリサワ書体の文字盤をある程度譲って頂いたのをきっかけに、「モリサワの写植についてもきちんと残し、纏めていかなければならない」と思うようになりました。写研については写植の代名詞と言えるほどよく知られた存在ですが、モリサワによる写植とはどのようなものなのかが語られることは写研のそれよりもずっと少なく、残しておかなければ本当に誰も分からなくなってしまうのではないかと思うのです。
モリサワの文字盤の収集を始め、モリサワの写植について少しだけ分かり始めた2022年9月、一通のメールを頂きました。
「現在、モリサワ写植機ROBO 15XY II、ROBO 15XY IIIの文字盤含めた処分を検討しています。処分業者を探していたところこちらのウェブサイトを見ました。約1ヶ月程度を目処に処分をしますが、必要であれば返信ください。」
モリサワの手動写植機は大阪DTPの勉強部屋様所蔵の「MC-6」と、2013年に熊本で取材した時(→写植レポート)にしか見たことがありません。モリサワの写植機の実機が見られる! そしてモリサワの最高機種はどのような場所でどうやって使われていたのだろう。この眼で見てみたい!
先方様によると動作確認はできないとのこと。twitter上で譲渡先の募集をかけましたが反応はありません。だからと言って私が引き取ったとしても印字できなかったら元も子もありません。引き取るのは難しい。でも二度と「II」と「III」には会えないかもしれない。会っておいた方がいいんじゃないだろうか。
幸いにも、写植機がある場所は隣県とのこと! 筆者は子供がまだ小さく、家では自分の処理能力を超えて家事育児に専念しておりほぼ“引退”状態なので、活動するには平日に休暇を取るしかありません。平日の取材をお願いしたところ、お時間を頂くことができたので伺うことにしました。
●堂々たる威容
2022年10月14日(金曜日)。
現地へは鉄道で伺いました。数年振りに「特急しなの」に乗り、家人には申し訳ないと思いつつもちょっと旅行の気分を味わいました。よく晴れて暖かく、とても美しい車窓でした。それだけで莫大な解放感がありました。
岡谷駅に到着すると、先方様(以下「Hさん」)が迎えに来てくださり、現地まで案内してくださいました。Hさんは印鑑やゴム印などを扱う、いわゆる「はんこ屋さん」を営まれていて、そこで写植機を使っていたということでした。
店舗に着くと、早速奥に設置してある写植機を見せてくださいました。
ROBO 15XYが2台並べて置いてある! しかも「II」と「III」だ。すごい!!
カタログでしか見たことがなかったモリサワ渾身の写植機が揃い踏み。堂々たる威容に感激してしまいました。最高機種が印章店で使われていたとは!
「II」は1990年5月、「III」は1992年2月に製作されたと銘板にありました。
「当時パソコンではガタガタの文字しか印字できなかったので、綺麗な文字を作る為に写植機が必要でした。でもROBOが活躍したのはほんの数年でしたね。「III」を買ったと思ったらパソコンの時代が来て、しばらくはパソコンと並行して使っていたのですけど、やっぱりパソコンの方が楽で。写植機が壊れたから使わなくなったのではなくて、自然と使わなくなっていったという感じです。」
事前に「II」と「III」についての予習をしていたのですが、写植機の限界に挑戦するような高性能・多機能機で、仮印字中に文字の位置や文字数の編集もできるというDTPに近い操作感を実現していたと思っていました。しかしパソコンの進化は写植機以上に速く、自由に試行錯誤でき、文字入力が簡単で印字も滑らかになってしまっては流石の高性能写植機も敵わなかったのでしょう。
●ROBO 15XY IIと対面
Hさんのお仕事中にお邪魔したので、「私達は仕事していますので、自由に触っていただいていいですよ」ということで、じっくり写植機を見させていただくことにしました。
まずはROBO 15XY IIから。
ROBO 15XY II全景。機械的な部分がなるべく見えないよう、しかし重要な機構は見えるような外装で、まさにロボットのようです。
操作パネルとキーボード。平面的な盤面に各種ボタンが所狭しと配置され、高性能機であることがよく分かります。
電源を入れてみます。
電源スイッチを入れると橙色のランプが点灯し、通電することが判りました。このぼんやり灯る電源ランプが、写植機が生きているような気持ちにさせてくれます。しかし「ピー」というエラー音を発したまま全てのボタン操作を受け付けず、画面も点灯しませんでした。残念ですが、印字はできそうにありませんでした。
Hさんが本体の下に潜り込み扉を開けると、ROBOの心臓部が露わになりました。電子部品が整然と接続されていました。
「これが部品なんですけど、使わずじまいでしたね。」とHさん。モリサワ機のメンテナンスの知識がある方がいれば再起できたでしょうか。それも叶わぬまま役目を終えそうです。無念でなりません。
●徐々に目覚めていくROBO
それではROBO 15XY IIIはどうでしょうか。電源を投入します。
本体には3.5インチのフロッピーディスクドライブが搭載されています。システムがフロッピーディスクに記録されていて、電源を投入してもフロッピーがなければ起動しないという、往年のパソコンのような仕組みでした。
→ROBO 15XY III 電源投入(7秒、6.6MB)
→ROBO 15XY III フロッピーディスクで起動(17秒、17.6MB)
→ROBO 15XY III 起動中の画面(24秒、26.2MB)
→ROBO 15XY III 起動終了(18秒、19.9MB)
電源を投入すると「ピッ」という音がしてファンの音が高まります。そのままでは動作しないので、フロッピーディスクをドライブに挿入すると(通常は挿入したまま)システムを読み込みます。画面には「プログラム ロード中」という文字が点滅し、ある程度読み込みが進むと画面に「(C)1985 MITSUBISHI ELECTRIC CO. OSはMITSUBISHI ELECTRIC CORPORATIONが、MICROWARE SYSTEMS CORPORATIONとのUNDER LICENCEにより製作しました。」とクレジットが表示されます。更にシステムの読み込みが進むと機械部分の動作確認が始まり、「入力初期設定中」と画面に表示され、主レンズターレットが回転したり動作音がしたりします。動作確認が終わると「ピーッ」と音がし、印字画面が現れます。
ここまでおよそ2〜3分。現代のパソコンの感覚では起動にとても時間がかかっているような印象でした。しかし一連の動作を続けて見ているとかつてのSF映画に出てくるコンピュータシステムを彷彿とさせ、近未来的な恰好良さもありました。時間をかけて起動するROBOはまるで徐々に目覚めていくようで、「何て恰好いいんだろう」と気持ちを昂らせる筆者がいました。
画面は真っ白に発光してまだ若々しく、十分に寿命が残されているように思いました。
それではお待ちかね、採字して文字を画面に表示させてみましょう。
→ROBO 15XY III 印字キー押下(6秒、6.7MB)
「ピピピピ」とエラー音がしてシャッターを切ることができませんでした。
画面のコメントには「[041-00]シャッターオープンエラー発生中」とありました。取扱説明書を読むと、このエラーメッセージは「シャッターが正常に動作していません。」とありました。つまりはシャッターの故障です。シャッターの予備はありませんし、仮にあったとしても交換の方法が分かりません。本機は印字できないことが判りました。シャッターが切れて画面に文字が現れるようだったら、私がこの写植機を引き取っていたと思います。本当に残念でなりません。
「電源を入れたのは20年振りぐらいだと思います。使い道がゴム印の版下ですから、印刷所や写植オペレータのように酷使しなかったので使用時間は少なかったです。だから状態は綺麗ですし最後に使った時は正常でしたが、やっぱり機械は動かさないと駄目になりますね。」とHさん。
●ROBO 15XY III 詳細解説
印字できないと判ったので、可能な限り記録に残すことにしました。
ROBO 15XY III全景。モリサワ手動写植機の集大成に相応しい、近未来的な風貌です。
主レンズのターレット。モリサワ伝統の2段式で、上段が7〜24Q、下段が28〜100Qです。上下段に1本ずつ素通しの筒(緑色の横線が引いてあるもの)があり、片側のレンズだけに光を通すようになっています。レンズの選択は勿論電動式で、「○○級」とキー入力すると自動的にターレットが廻り所定のレンズがセットされます。
→ROBO 15XY III 主レンズ選択(50秒、52.4MB)
上下段が別々に最短ルートでターレットを回転させる様子を見て、20年振りに起動したROBOが「どう? すごいでしょ!」と誇らしげに動いてくれたように感じて嬉しく思いました。本当に恰好いい!「機械のモリサワ」は最高機種でもそれを体現していました。
残念なことにこの動画を撮影した後はうまく動作しなくなり、滑らかにターレットを廻す姿は二度と見ることができませんでした。ROBOが最期の時を悟り、力を振り絞って私に見せてくれたのかもしれません。写植機に心があり、血が通っているようにしか思えませんでした。「ああ、このまま処分されるしかないのか」と不憫に思いました。
ROBO 15XY IIIの操作パネルとキーボード。写植機でできることを全て詰め込んだ、密度の高い盤面です。直感的に分かるようなものではありませんが、機能毎に纏められていて、操作に慣れた人が効率よく作業できるようになっています。この個体は使用頻度が少なかった為汚れや色褪せは殆どなく、30年の年月を感じさせませんでした。
幸い、送り操作は可能でしたので、キーボードを触ってみました。キーを押すごとに「ピッ」と音が鳴り、パルスモーターが送り操作を行う音が聞こえます。
→ROBO 15XY III キーボード送り操作(24秒、24.8MB)
印字キーの手前には右手をこのように置きます。人差し指から小指にかけてを使って印字キーを操作していたと思われます。印字キーは光接点(フォトダイオード?)によるもので半押し感は軽く、指先を軽く乗せるような感じでした。写研機の印字キー(掌の腹でぐっと押し下げる感じ)とは全く異なります。
メイン文字盤とサブ文字盤の文字枠。メインが2枚、サブが6枚載せられます。
画面のコメントは3種類あり、倍率は等倍と1/2倍が選択できます。
印画紙を収納するマガジンだけは過去の機種を概ね踏襲しているようで、「MC-6」のような菊型のノブが印象的でした。この機種のシリアルナンバーが刻印されていました。
●ゴム印の作り方
このころちょうどお昼時になり、Hさんのお誘いで街の中心部にあるお店で一緒にお昼ご飯を頂くことになりました。
「来々軒」の排骨麵(パーコーメン)、唐揚げがさっぱりしていて美味しかったです!!
昼食への道中でも色々お話をし、ゴム印の作り方を教えていただきました。ゴム印も版下や製版が必要で、製版フィルムが入手困難になってきて遠方の同業者から「分けて欲しい」と依頼があったとか……。かつて写植でも印画紙の生産終了に伴いかなりの影響がありました。現役の写植屋さんに印画紙をお譲りしたこともありました。それと同じようなことが起こっているようでした。
お店に戻ってからその工程を見せていただきました。
※写真は一部画像処理をしてあります
まずは版下を作ります。写真は1990年代(郵便番号が3桁であることから1998年2月1日以前か)に写植機を使って印字し、台紙に貼って版下としたものです。
角印のように所定の大きさの正方形に文字を変形させながらきっちり収めることや、指定した太さで任意の半径の円や楕円を描くことは高性能機でないとできません。角印に必要な篆書体は、写植ではモリサワ書体にしかありません(中印篆)。印章店がモリサワの最高機種を必要としていた理由が見えてきました。
版下を作成したら、それを元に製版カメラで製版フィルムを作ります。
本体下にある黒い原稿台に版下を置き、ライトで照らして、本体上部に製版フィルムをセットし、暗室内で感光させ、現像します。
※写真は一部画像処理をしてあります
そうすると、製版フィルムに白黒反転した文字などが写ります。(※写真は写植時代のものではなくデジタル移行後のもの)
出来たフィルムを版材に密着させ……
この装置を使用します。
フィルムを上、版材を下にして重ねて紫外線を当てると、フィルムの透明な部分(文字)を紫外線が透過し、版材に当たります。版材は紫外線が当たった部分が硬くなります。
この版材をブラシの付いた台を使ってお湯で洗うと……
紫外線が当たった部分だけが残り、それ以外は洗い流され、凸版(文字の部分が凸になっている)が出来ます。
次は、プレス機を使います。
黄色い樹脂板は母型(ゴム印の型)を作る材料です。先程作った凸版の凸部が黄色い樹脂板に当たるように密着させ、プレス機で150℃の高温と圧力をかけます。
母型(文字の部分が凹になっている)が出来ました。
母型の上にゴム片を乗せてプレスすると、ゴム印の印面が出来上がります。これを台木(手で持つ部分)に貼り付けて完成です。
●なぜ最高性能の写植機が必要だったのか
このようにゴム印は、版下→フィルム製版→凸版→母型→印面 と何度も反転を繰り返すという多くの工程を経て作られているのです。ゴムの印面を直接焼き切って彫るレーザー彫刻もあるそうですが、耐久性があまりないため、旧来からのこの方法で作るのが大半とのことでした。
いずれにせよ、ゴム印の製作は手作業による長年の熟練の技の結晶で、文字組はその仕上がりを左右する重要な初めの一歩だということが分かりました。ゴム印は小さな面積の中に必要な文字を詰め込みます。精密なレイアウトと文字の配置が求められるため、それを実現できる機材が必要なのです。かつてそれを担っていたのが、高性能な写植機だったのです。
写植機の引き出しから、日付印などでよく見られる円と楕円のレイアウトが出てきました。円の中心を基準に、H数が細かく書き込まれていました。これを基に写植機で線を描画させ、画面を見ながら円組機能を使って文字を円に沿って印字していったものと思われます。先述のように、円や楕円の罫線や円組は限られた高性能な写植機でないとできません。モリサワの最高機種がここにいた理由がはっきりと分かり、とても納得しました。
●ROBOとの別れの時
→ROBO 15XY III 電源を切る(10秒、9.9MB)
ROBOの電源スイッチを切ると、「ピッ」と短く鳴り、ファンの音が小さくなっていきました。二度と電源を入れられることはないだろう、哀れな写植機。その最後の稼働をまた見届けることになりました。好きなものなのに、一番見たくない筈の最期の場面をこの20年余りで何十回も見てきました。私は何と業が深いのでしょうか。
取材が終わってからも何となく写植機から離れがたく、何も語らなくなったROBO達の前に立ち尽くしていました。
「写植機は買った時に何百万円もしましたからね、処分してしまうのが忍びなくて、今まで置いたままにしていました。」とHさん。「部品取りだけでもしてもらえたらと思いましたが、難しそうですね。写植機は近いうちに処分します。文字盤は一枚だけ手元に置かせてください。お客さんに説明する時必要なんです。」
Hさんが残した文字盤は「リュウミンL」。DTPでも使用できる書体です。文字の形があるものをお客さんに見せることで、ゴム印にその形が写る(移る)ことを感覚的に理解しやすくなるのだと思います。そして、Hさんが写植に対して愛着を持ち、これからも岡谷の街では写植の魂が生き続けていくであろうことが分かり、いち写植ファンとして嬉しく思いました。
●生きた写植の姿を残すとは
今回の取材を通して、あまりよく分かっていなかったモリサワの写植機とはどういうものであるかをある程度把握することができました。幸いにも最高機種と巡り逢うことができ、「機械のモリサワ」の矜持を味わうことができました。
最高機種が使われた場所の一つとして印章店があることも分かりました。筆者は、このような機種は腕利きの写植オペレータが所有していて、複雑な版下を作成しているのではないか、そういう人(会社)でないと所有しないだろうと想像していました。しかし印章店は写植オペレータのみを生業としているのではなく、工程の一つに写植があるという位置付けであり、文字の配置や作図に高い技術が求められる為に高性能な写植機が必要とされていたのです。
ROBO 15XYIIの印章店向けチラシ
写植に関する資料を読めば、写植がどのようなものであったかはある程度把握できます。しかしそれはあくまで概要であり、生きた写植の具体的な姿までは見ることができません。どこでどうやって、何故使われていたのか。それは現場に赴き、当事者の声を聞くことでしか知ることができません。
標本として見るならば、資料や文字盤だけを残せばよいのかもしれません。しかし私は生きた写植の姿を残したい。現場で活躍していた写植とはどういうものだったかは資料からは聞こえてきません。だからこそ私は取材を重ね、現場で見聞きし、その記録を誰でも読める方法で公開し、それを続けているのです。やらないと、本当に誰も分からなくなってしまう。写植に関わった人達の営みや記憶、思い出はなかったことにされてしまう。生きた写植の姿を残すとは、人間が生きてきた道を残すことでもあると思っています。だから誰かが記録して残さなければならないのです。
冒頭に書いたように私はほぼ“引退”状態であり、思うように活動できないことを歯痒く思っています。あと幾つ、生きた写植の姿を記録できるか分かりません。あまり多くないかもしれません。それでも与えられた境遇の中で精一杯やることが、私がしたい事ですし、しなければならない事だと思っています。少しでも多く写植の記録を残したい。それが私の願いです。
そのような思いを抱く中、今回はご厚意により最高の写植機と巡り逢うことができました。とても実りある一日になりました。取材を快く引き受けてくださった岡谷市のHさん、ご親切にしていただき本当にありがとうございました。そして私の活動を理解し、この取材旅行を承諾してくれた家人にも心から感謝しています。
【完】
→写植レポート
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