亮月写植室

写研が動いた日2022
石井書体の改刻プロジェクト
2022年11月27日
於:IGAS2022 モリサワブース(ネット聴講)
題字 写植の印字:駒井靖夫(プロスタディオ)


2/2

←前半へ戻る

●石井ゴシックの改刻の考え方(漢字)

 続いて原野氏から、石井ゴシックの改刻の考え方について説明がありました。

・石井ゴシックはウェイトによって印象が異なっているため、一つの骨格をベースにウェイト展開するか、ウェイト毎に骨格を変えるか検討したが、使い勝手やファミリーとしての統一性を考え、改刻版の漢字は石井中ゴシックの骨格をベースとし、そこから両端のマスターを制作、ウェイト展開することとした。

・石井ゴシックはストロークに強い抑揚があるのが特徴となっている。改刻版でもそれを保つようにした。
・他の文字と比べて抑揚がきつい箇所は控えめになるよう調整した。
・柔らかい印象を保つため、縦画や横画に直線に見える箇所をなるべく作らないようにした。
・エレメントに統一感が出るよう整理した。

【筆者のコメント】「歪になっているアウトライン」については石井明朝体の項目でも挙げたように電算写植用アウトラインフォントの設計の古さに起因するもので、手動写植機用の文字盤や印字されたものでは輪郭は滑らかに変化しています。【筆者のコメント終】

・他の文字と比べて極端に骨格の印象が異なる文字は、組んだ時の見え方や空間の空きを考慮しつつバランスを調整した。オリジナルの雰囲気を保ちつつ、より高品質に見えるようにするため。
・黒み・大きさ・線質の調整を行った。

・明朝と同様に、全体の形や黒みに影響しすぎないようなごく僅かな角丸処理を施した。これによりアウトラインの尖りが緩和され、より柔らかい写植の雰囲気が再現できるのではないかと考えている。

【筆者のコメント】角丸処理についての検証と所感は、石井明朝体の項で述べた通りです。【筆者のコメント終】

●石井ゴシックの改刻の考え方(仮名)

 石井ゴシックの仮名の改刻の考え方についても説明がありました。

・石井ゴシックの仮名は漢字以上にウェイトによる印象の違いが大きいため、どのウェイトをベースに改刻を進めるかはかなり議論を重ねた。結果、人気が高いウェイトであり見出しで活きる書体とするため、石井太ゴシックを全体の骨格のベースとし、細いウェイトでは本文向けの要素を取り入れ汎用性を高くするため、石井中ゴシックの要素を取り入れることとした。

・細いウェイトでは、字面の大きさを、現在の環境での使い勝手を考慮し、小さく見える文字は大きくするなどの調整を行った。

【筆者のコメント】率直に言って「随分変わるな」という印象を持ちました。画線の空きを均等にし、さっぱりとさせたような字形です。


※画像をクリック/タップすると拡大します

 改刻後の石井明朝の仮名はオリジナルの形状を尊重したもので、新旧を重ねてもほぼ重なった一方で、改刻後の石井ゴシックの仮名は印象が変わるほど大胆に手が入っているように感じます。

モリサワの見本画像に合わせて印字したこぶりなゴシックW3とニューセザンヌM

 改刻版の見本を見る限り「こぶりなゴシック」や「ニューセザンヌ」のようだと思いました。【筆者のコメント終】

・ファミリー書体を制作する際は細いウェイトから作り始めることが多いが、今回は全体のベースを太ゴシックとしたので、全体の印象を摑むため太いウェイトから作り始めることとした。

【筆者のコメント】こちらも見本を見る限り画線の空きが均等になっており、確かに現代的にはなりそうです。


※画像をクリック/タップすると拡大します

 ただ石井書体の仮名は、石井茂吉氏の書道を根底とした絶妙なバランス感覚の上に成り立っています。不均等が故にバランスが成り立っているとも言えます。鳥海氏が冒頭で「いい所は残して繋いでいくことを一番大事に考えたい」と仰っていたように、石井氏が大切にしていた“味”や、表情、情緒が引き継がれることを願っています。
 均質に整理するという考え方は従来の書体制作の価値観ですが、ここ数年のゴシック体の傾向としては「A1ゴシック」「NPGクナド」のようにクラシカルで人間臭い形状を敢えて整理せず、表情が豊かなものが脚光を浴びているように感じています。ですから現行の石井ゴシック体が持っている特徴は、これからの時代大きな長所になっていくと考えます。改刻を担当したモリサワはそこを分かっていると思っていたのですが……。個人的には、石井ゴシックファミリーの骨格は変えないでほしかったです。整理され過ぎたものよりも人間がその手で作ったと判るものに強く惹かれます。
 これもこぶりなゴシックW6、ニューセザンヌDBと比べてみます。

モリサワの見本画像に合わせて印字したこぶりなゴシックW6とニューセザンヌDB

 とはいえ、石井太ゴシック体は1932年の誕生以来、何度も改訂を受けている書体です。大雑把に言って2回の字形改訂があり、更に1回文字品質の改良を受けています(変遷についてはminosuke氏の「石井太ゴシック体の変遷をたどる」が詳しい)。


石井太ゴシック体の大まかな変遷
※改刻後の画像は「石井ゴシック/組見本」の画像から拡大した。特太ゴシックと思われるので、あくまで参考である。改刻版の「と」は1画目に突き出し(アクセント)が加えられていることが分かる。2画目の終筆部も伸びている。

旧「太ゴシック体」の文字盤
旧「太ゴシック体」の文字盤(柳亮・中田功『レタリング』/美術出版社/1963年/本編p.58より)
現行の石井太ゴシック体は、旧太ゴシック体から見れば大きな改訂を受けていることが分かる。

 どうしてもこれまで見慣れた字形に執着しがちであり、変更には抵抗したくなります。しかし今回の改刻も石井太ゴシック体の長い歴史の中の変遷の一つであり、時代に合わせて移り行くスタンダードの姿として見守りたいと思います。【筆者のコメント終】

・原野氏は主に仮名の改刻を担当した。組んだ時のバランスを考慮して、細部の形や太さを整えつつ、手描きでデザインされたからこその形を削ぎ落とさないようにした。手描き由来の形や、綺麗にしすぎると機械的な印象になって温かみがなくなる箇所は残せるよう、鳥海氏に細かく監修いただきながら丁寧に調整を進めた。

・開発中のためウェイトを揃えて見せることはできないが、イメージとしてはこのような感じになる。

【筆者のコメント】改刻版の見本は、太いウェイトは特太ゴシックだと思われますが、細いウェイトは中ゴシックと共通するデザインのものが存在しなかった細ゴシック相当と思われます。石井新細ゴシック体の改刻後の姿でしょうか。元となる書体の特徴を継承したまま新たなウェイトへ展開することができる技術力に目を瞠りました。

石井ゴシック体ファミリーと改刻後の新細ゴシック?を比較
※文字盤から撮影したものもあるため、字面の大きさは正確ではありません。

 ただ、改刻後の新細ゴシックと思われる見本の「て」は横棒を傾け過ぎのように思います。折り返した後の円弧状の部分も大回りに見えます(私だけか?)。従来の石井新細ゴシック体の感覚で述べてはいけないのかもしれませんが、使用頻度が多い文字なだけに、とても気になりました。【筆者のコメント終】

●次の時代へ残すために

 最後に、担当するタイプデザイナーの方々から改刻に対する思いや意気込みが語られました。
 伊藤氏、原野氏は、「同じ部首でもバランスが一文字ずつ違うので、どこまでを直すべきでどこまでを残すべきか、鳥海さんを交えデザイナー同士で認識合わせをした。当時の写植の手描き作業を追体験するような作業だった。改刻に携われるのは光栄なこと。現代の環境においてより使いやすい書体を目指したので、無闇な改変にならないよう心掛けている。オリジナルの魅力を保ったまま、より魅力を感じていただけるよう素直な気持ちで取り組んでいきたい。今回モリサワを通じて提供できるのは、歴史的意義があるしターニングポイントになる。これを機に日本のフォント業界が盛り上がって欲しい。改刻に携われるのは責任を感じつつも嬉しく思う。」(要約)と、改刻作業の大変さと意気込みを語りました。
 鳥海氏は、「写研書体は圧倒的なシェアを持っていた。広く使ってもらえるプロジェクトは重要だ。歴史的な意味があると思う。私が監修という立場にいて思うことは、写研とモリサワへの感謝。石井書体を通して書体設計とは何かを教えてくださった方達への期待を裏切らないよう真摯に向かっていきたい。」(要約)と総括されました。
 他、写研文字部、岩井悠氏(字游工房)、中野正太郎氏(字游工房)、木村卓氏(モリサワ)、小針優弥氏(モリサワ)のコメントも読み上げられました。

 なお、改刻版の石井明朝・石井ゴシックは、モリサワの「Morisawa Fonts」にて提供するとのことでした。

【筆者のコメント】2011年の写研の発表の際に写研の営業の方から聞いたお話では、「買い取り方式とライセンス方式の併用については非常に多くの要望を頂いている」とのことだったので、買い取り方式による写研書体の提供を大いに期待していました。しかし今回、写研へ代金を支払うのではなく、モリサワによるライセンス方式(所謂サブスクリプション)のみでの提供と判りました。モリサワも改刻に当たっては多くの人員や費用を投入していると思われるので、その回収のために必要な手立てだというのは理解できます。自社に利益がなかったら、営利企業たるモリサワは改刻に参加しなかったでしょうから。
 ここからは個人的な事情ですが、筆者は出版印刷やデザインを業としておらずデジタルフォントの使用頻度は低く、また家計を預かる者でもあります。年額数万円を毎年払い続けることは経常的に家計を圧迫しますし、10年で数十万円と大きな額になってきますので、導入は困難です。買い取りだったら、一回払えば後は負担がないのに……。本当に残念です。【筆者のコメント終】

 以上で講演内容のレポートは終わりです。ここからは将来の展望と筆者の率直な感想です。

●写研書体が開放されたらどうなるか

 石井茂吉氏が遺した書体を現代の水準に於いて数十年振りにより良くし、再び広く使えるようにすること。そして私達はその歴史的転換点に立ち会っていること。これは作り手のみならず、使い手、読み手にとっても大きな期待を持っていることです。皆が同じ方向を向いて2024年を待っている。この時代を自分の体験として共有できることをとても嬉しく思いました。

 それでは2024年以降、写研書体が順次一般開放されてDTP用デジタルフォントの一員となったとき、どのようなことが起こるでしょうか。
 私の想像だけでは限りがあります。幸い私が漠然と思っていたことを全て言葉にして整理され、公開されている方がいらっしゃいましたので、参考にしながら述べていきます。参考にさせていただくことについて快諾くださった今市達也様、ありがとうございました!
→今市コレクションtwitter(@ima_collection)/2021年1月21日付「写研の書体がデジタル化されることでどんな未来になるのか想像してみた」

◯写研書体の複雑な境遇(DTPでは使用できない)が解消される

・写植屋さんでなくても写研書体が印字可能になる。
 これは二つの面があると思います。
 一つは、写植オペレータの廃業が更に加速するのではないかということです。
 これは分かり易いのですが、これまで写研書体は同社の独自のシステム(手動写植機・電算写植機)でないと出力できなかったため、写研書体を使う手段としての需要がこれらにあったということです。しかし写研書体がDTPでも使用できるとなれば、写研独自のシステムに拘る必要はなくなります。自分でも印字できるのであれば、写植オペレータなど専門業者に頼む必要がなくなり、廃業が更に加速するのではないかと懸念しています。
 しかし写植オペレータはただの印字の手段(文字通り機械の操縦者)ではなく、組版の深い知識や、経験に裏打ちされた書体や文字組への深い審美眼を備え、それを具体化できる専門性の高い職業です。自分で写研書体を打つよりも遙かに高品質な文字組を提供してくれます。写植は書体だけで成り立っている訳ではない。そのことを忘れてほしくありません。

 もう一つは、オリジナル書体を尊重する人達の需要が写植にはあるのではないかということです。
 DTP用の写研書体は従来の写研書体から改刻されることで、上に述べたように現代的な整理がなされます。一方で人間らしさや情緒、“味”は薄れるため、オリジナルが持っている魅力を尊重する人にとって改刻版は物足りなく感じるかもしれません。 そういった人達の需要を写植は引き続き満たしていってほしいと思います(希望)。
 また、DTP用フォントが登場したからといって、写植の本質的な魅力が失われる訳ではありません。写植は人間の手によって物理的・光学的に文字を発生させるという、人間の五感に寄り添った仕組みです。デジタルフォントでは味わえない生身の感覚が写植にはあることをもっと多くの人に知ってもらいたいです。

・電算写植システムからDTPへの移行が行われる。
 電算写植システムが現役で使用されている案件はまだある程度あります。専門的な書籍や連続帳票などです。いまだ写研システムが使用されている理由は私には分かりませんので、写研書体がDTP用フォント化することをきっかけとしてDTPへの移行がどの程度行われるかはコメントできませんが、開発が終了している電算写植システムの保守が今後も継続されるとは考えにくいため、いずれはDTPへ移行するものと思われます。

・「書体と組版は一体」というかつての写研の方針は反故になる。
 写研の専用機でなくとも写研書体を扱えるようになり、写研が育んできた組版言語「SAPCOL」は更に顧みられなくなると予想します。これからは書体が一人歩きすることとなり、不適切な組版や使われ方を許容せざるを得なくなります。そのような使用例を目にすることも多くなるでしょう(写植時代も下手な印刷物はよく見掛けましたが)。

◯写研書体そのものの価値が発揮できるようになる

・写植の時代を経験した人達が、再び写研書体を使うようになる。
 これは言うまでもないことですが、写研書体の魅力や長所を知る人がまだ多くいますので、写研書体がDTPでも使用できるようになったとすれば、採用する人がいることは自然なことです。2024年という時期は写植世代(写植オペレータ経験者は現在50代以上、写研書体で読んだ世代は平成初期生まれまでか)がDTPで写研書体を使用する動機付けの最後のチャンスと言ってもよいタイミングであり、写研書体が世の中に再び溢れる強い原動力になることを期待します。

・写研書体をDTP用書体で代替してきたが、これを写研書体に戻す。
 ゴナ新ゴで代替した事例は相当多くあるのではないでしょうか。こういった、DTPで写研書体が使えないことを原因としたDTP用書体への置き換えが1990年代後半以降行われてきました。一般の印刷物は言うに及ばず、鉄道や高速道路などのサインシステムやテレビの字幕など印刷文字を使用するあらゆる場面に及び、影響は甚大でした。
 しかし例えばサインシステムではその写研書体が相応しいから選ばれた筈であり、一旦DTP用書体で代替したとしても再び写研書体に戻す事例が発生するかもしれません。あるいはそのままDTP用書体の使用が継続するかもしれません。その結果によって、やはり写研書体が良かったのか本当は類似の書体でも何でも良かったのかそのDTP用書体を意図を持って選択したのかが見えてくると思われ、今後の各使用例の動向が注目されます。
 個人的には、道路標識に使われているナールファミリーはDTPフォント化まで何とか持ち堪えてほしいです。

・現在印字困難な写研書体は稀少性・特殊性を持って一定の人達に選ばれ使われているが、再び誰でも使えるようになる。
 かつては書体のシェアが80〜90%程度あったと言われる(※)写研書体ですが、DTP用書体として開放しなかったため、1990年代後半から次第に使用されなくなっていき、2020年代ではその姿を見ることは殆どなくなりました。一方でその「稀少価値」から敢えて写研書体を採用する例もありました。
 写研書体がDTP用フォント化され、(対価を払えば)誰でも使えるようになることにより 「稀少性・特殊性が失われる」と考えると写研書体の価値が低下するような気がしますが、「珍しいから使う」という動機は本来不健全で、用途に相応しい書体が選択できて使えるのが健全ではないでしょうか。これからは写研書体も本来の在り方(健全な状態)に戻ると捉えたいです。

※筆者が2019年に調査した、筒美京平氏が作曲した楽曲のシングルレコード・CDシングル全1100枚余りのジャケットの書体使用状況では、1974年頃から1992年頃までは写研書体のシェアは9割程度だった。また、写研が1974年に新聞広告を対象に行った調査では、写研書体のシェアは85%程度との結果がある。詳しくは大阪DTPの勉強部屋『文字と組版、印刷展』パンフレット(2019年10月14日発行)の拙稿『ヒットメーカーを支えた書体たち』を参照されたい(→PDF 2.2MB 提供:大阪DTPの勉強部屋様)。

◯写研書体の新しい使い方が登場する

・写植全盛の時代を再現・表現するために写研書体を使えるようになる。
 写研書体はDTPで使用できなかった結果として1970〜1990年代の印象を纏ってしまいました。この時代を考証する際、写研書体は欠かせないものですが、これまでは使用が困難で、当時のものを完全に再現するためには多大な手間と費用が必要だったこともあってか、書体の時代考証は殆ど顧みられませんでした。これからは各年代に相応しい書体選びが可能になります。これを機に書体の時代考証が行われ、違和感なく当時のものが再現されることを期待します。

・写研書体を知らない人達が新書体として使う。
 写研書体が多くの既存フォントと同列に並ぶことになり、ようやく公平に評価できるようになりますが、その中で写研書体はどう位置付けられるでしょうか。その魅力が広く認められて再びシェア首位に返り咲くのか、マニアックな書体として好事家だけに細々と使われるのか。新しい世代の発想により、写植の時代には思いもよらなかった斬新な使われ方が見られるかもしれません。

・写研書体が写植時代に使われなかった用途で活躍する。
 これは前項とも関連するのですが、ゲームや動画など、時代的に写研書体が使用されなかった分野でも使用されるでしょう。書体にも作品にも新鮮な印象を与え、新たな表現をもたらすのではないでしょうか。「ボカッシイG」など写研独自の書体はとても面白い効果が出せると思います。

●2024年が待ち遠しい!

 約1時間の講演を聴き終え、2024年が更に待ち遠しくなりました。
 殆ど見掛けなくなった写研書体が少しずつ姿を現し、次第に世の中に溢れていく様子を想像するだけで、写植ファンの私はとても嬉しい気持ちになります。様々な既存の書体に混じり写研書体も活躍する風景。私がずっと見たかった世界です。
 私は写研書体の発展期に生まれ、全盛期に育ち、青春時代には写植と写研書体の衰退をずっと見続け、喪失感を味わい続けてきました。社会人になると写植は過去のものになりつつあり、それなのに強く惹かれ、気付けば写植ファンになって30年が経っていました。そんな写植と写研書体の盛衰を見続けてきたからこそ、この講演のことは是非ともレポートしなければと思ったのです。資料や文字盤をひっくり返して参照しつつ、賞讃も戸惑いも語らずにはいられませんでした。私のコメントに対しても異なるご意見があるかもしれません。私は写研書体偏愛者に過ぎません。冷静でいられないまま書いてしまったのは分かっています。自分の意思ではどうにもならない、湧き上がってくるものがあったのです。
 ですが、ここをお読みになった方なら写研書体に何らかの思いをお持ちなのではないかと思います。厳しい物言いをしたかもしれませんが、写研書体が誰でも使えるようになることを心待ちにしているのは私も同じですし、多くの人と分かち合える感情だと思います。先にも少し書きましたが、2024年の写研書体開放の日を指折り数えて待つこの時代を自分の体験として共有できることを幸福に思います。ゴールが見えてきたこの日まで諦めずに生きてきてよかった。そして2024年のその日まで自分も頑張って生きていこう。生きる希望を今回の発表から貰いました。
 改刻に携わられる方々に於かれましては本当に大変なことかと思いますが、石井書体をより良くして誰でも使えるようにすべく前進していかれることを心から応援しております。
 その日を迎えたら、皆で思い思いにお祝いをしましょう。とても楽しみにしています!

【完】


→写植レポート
→メインページ

 
© 亮月写植室 2011-2023 禁無断転載