亮月写植室

神戸から写植の灯が消えても
2011.9.30(土)〜10月1日(日)
於:兵庫県神戸市内 某社


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●遙か彼方の神戸から

 2011年。7月の写研の「フォント開放の試み」の熱が9月の涼しさとともに落ち着いた頃、神戸の方から1件のメールを頂いた。
 1980年代中盤に脱サラして中古の「PAVO-JL」とともに起業。機械や文字盤を購入して事業を拡大しながら借金返済の日々。阪神大震災の被災と奇跡的な復興。そして写真植字の衰退とDTP化。写植とともにある人生だったとのこと。
 そういった経緯もあり、これまで処分に踏み切れなかった手動写植機を、会社の移転を機にとうとう処分されるそうで、なんとか譲渡先を見付けたいということだった。
 数回に分けて頂いたメールには写植への想いが溢れていた。「秋の夜長を美酒を酌み交わしながら、思い出話も悪くないですよね」。筆者も是非お会いしたいという思いが募った。しかも筆者が知る限りでは関西で最後の手動写植機である可能性が高い。神戸へ行くしかない!
 2011年9月30日(金)から10月1日(土)、泊まりがけで神戸を訪問することにした。

 9月30日(金)14時過ぎ。
 新神戸駅に降り立つ。こうして新幹線で訪れるのは二十数年振りだ。両親の友人が六甲山ホテルで結婚式を挙げたという、幼き日の記憶が強く残っていた。
 改札口を出ると、「亮月製作所 ○○(本名)様」という紙を掲げた男性の方が。社長のAさんだ。まるで空港の人待ちのようで、このような待ち合わせ方は初めてでとても驚いたが、照れくさくもあり嬉しくもあった。遠くへ来たんだなという旅心をくすぐった。
 会社は神戸市内にあるということで地下鉄を経由してご案内いただいた。下町情緒溢れる賑やかな商店街の一角にある小さなビルの一室。そこが事務所だった。玄関には「定着液」とシールが貼られたポリタンクが置かれている。今ではDTPのみで営業されているそうだが、そこには確かに写植の痕跡があった。
 事務所にお邪魔して少しの後、奥へ案内いただいた。そこには、まだ充分動きそうな手動写植機「PAVO-KY」が鎮座していた。更に奥には暗室と富士フイルムの自動現像機「FG-360」がある。部屋にはキャビネット数杯分の文字盤が整然と保管されていた。

AさんのPAVO-KY
阪神大震災に遭いながらも活躍してきたAさんの「PAVO-KY」

 早速お話を伺うことにした。
(※以下、会話形式でお送りします。取材の臨場感と会話のニュアンスをお伝えするため、当時の発言のままお送りします。)

●関西最後の手動写植機!?

A 今触ってはるのはPAVO-J……
亮 JVです。
A JVの方はよう知らんねんやけどねぇ。
亮 JLの画面付きの機種です。出来ることは殆ど一緒ですよ。
A これ(PAVO-KY)の前にKVBがあったでしょ。それの前ですよね。この辺(本体の向かって左下)に画面が付いた……僕その機械だけ知らんのですわ。他の機械は大体知っとるんやけど、何でもそうやねんけど、例えば車で最初の1号のやつはあんまり買わん方がええよとかって言われとったんで、あのやつ(JV)は多分改良されてもうちょっと画面大きなって出るやろうないうのがあったから、僕はちょっと手ぇ付けへんかって、その後にすぐKVBが出たんですよね。この(KYの)横にKVBもあったんですわ。KVBとKYと。震災の時に持ってきたんです。KVBはちょっと仕事もないし、2台も持っとるというのはあかんから、自分で分解して全部部品バラバラにしてほって(捨てて)しまったんです。だからね、その時のカメラ(写植機内蔵のもの)だけ残しとんですわ。写研の人が「カメラ置いとった方がええよ」言うて、このカメラ(KYとKVBとで)おんなじらしいんですわ。中に入ってるカメラがね。

(見せていただく。PAVO-KVBに内蔵されていたディスプレイ用のカメラとハーフミラー。)
奥さん(以下「奥」) これ何か知らんかったわ。いっつも見てたけど(笑)。
A 記念に置いといたんやわ。KVBのやつ。
亮 これ(KY)……使える訳ですね。
A どっか調整したらいけるかも分からへん。
奥 懐かしい音が。
A フッフッフッフ(笑)本人も(操作が)分かれへん!(笑)もう12年から13年触ってないから。
 一時ね、タイトルだけ打ってほしい言うて頼まれとったんですわ。ほんで3本か4本100Qで打って渡しとったんですけどね、30cmの印画紙の、大きい方で。
奥 でももうその人もそのまま(版下に)貼るんじゃなくて、それを取り込んでMacに持っていって使うみたいなね。そういう使い方されてたと思うんですよね。
亮 製版もアナログからデジタルに変わっちゃいましたからね。
A こいつは……あんまり僕最後の方触ってないんやけど、円描けたり楕円描けたりしましたね。この機械からなんですよね。うちはこれの後に電算入れたんですわ。サイバート(SAIVERT-H202。実書体表示の入力校正機)を。
奥 これでもこう円に沿って文字を打ってたような気がするなあ。
亮 はい、できますもんねこれ。

SAIVERT-H202
SAIVERT-H202(写研カタログより)

亮 そうですか……。関西で最後の手動機ですもんね。
A そうなんですわ。多分ね。写研ももう知らへんと思うんですわ。写研ってまだあるんですかね?
亮 あります。大阪は……(※筆者註:2011年当時はありました)
奥 私は電算の講習に何回か行ったことがあるんですよ。GRAFっていう電算の(編集端末)ね。すごいビルなんだけど、もう何階と何階は誰も居なくて電気が消えてるみたいな、ちょっとね、寂しいような感じだったからね。

●阪神大震災に負けず

被災当時の写真

(阪神大震災の被災当時の写真を見せていただく)
A これがね、震災の時の、これ載ったんですよ、うちが。前のビルなんですけど、こういう状態やったんですよ。これ2階なんですわ。1階がぺしゃんこになってしまって、その2階を借りてたんやけど、ドスンと落ちてきたもんやから、うちの床に1階のものが……。写研がわざわざ撮影に来たんです。即来よったんですけどね。
 これがうちの事務所の前の散髪屋さん。これが前のアパートなんですけどね、ここもぺしゃんこになってて。
社員Nさん(以下「N」) 機械立ち上がった? 点くの?
A いや点いたけどおかしいで。画面が使いもんにならへんみたい。まあ触っとったら直ってくるやろ思うねんけど。
N 接触かな。
A 懐かしい音やで。
N (笑)
A こういう(1階にあったもの)のが出てきとるんですわ。どう出てきたのかよう分からへんのやけど、下からバーッと出てきて。これがうちの看板。この頃はまだ写植が全盛でやっとったんですけど、手動機と電算と両方やっとったんです。人も雇って。
 要は床が抜けてしもたから全部ガタガタになってしまって。斜めになっとるんですよ。だから中入ったらね、気分悪なってね、でも写研の人が必死になって探して。ちょうどこれ朝やったんですよ。その朝僕、連休明けやったんですわ。前が連休やって、朝ちょうど仕込みっていうんか、ストーブつけたりなんかしてたらドーンと来たんですわ。結構古かったんですこのビル。窓なんか普通開かないのにその振動で窓が開いて(笑)。手で開かへんかったのにね、その振動で窓が全部開いとるんですわ。すっごい力やったですけど。古いからどうしても鉄筋いうても中に入ってるのがちゃっちいもんで、だからようこの状態で落ちてくれたなあって思て。ぐちゃぐちゃに潰れとったらもう今この世におらんとこやったけどね。こういう散乱した状態やったです。ちょうどこっから10分ぐらいのとこなんですけどね。
 ずーっと神戸じゅう事務所をすぐ探したんやけど、全部大手が押さえてて、使える所が。僕なんか個人で、不動産屋何軒か行ったけどもうビルなかったですわ、事務所の。それでたまたまここを知り合いの伝で行ってみたらたまたま空いとったんですわ。それで貸してもらってそのまま居候ですわ、15年かな。
亮 ということは震災でそれだけ多くの建物が潰れちゃったっていうことですか。
A そう。何にもなかったんです。一帯何もないです。だからこういうこんなビルでも後からプレハブで建てはったからね。あの大きいビルも震災後やからね。集合住宅みたいになって、そういう人ばっかしが入って。でも今はもうがら空きみたいなんよ。

震災当時の写研飛脚便
震災当時の写研の機関誌「写研飛脚便」
116号(右)の表紙を見ると、1階が潰れて傾いたビルの2階に梯子を掛けて入り、そこからユニックを使って写植機を運び出していることが分かる。

亮 しかしこうやって見てみると、建物の中身の被害状況はあんまり見たことはありませんでしたけど、本当に凄まじかったんですねぇ。
A コピー機がひっくり返って端の方に行ってしまってるんです。駒ついとったからね、全部端の方に行ってしまって。
 写研がこれ持って帰ったでしょ、2台修理するからと言って。これとサイバートと。サイバートはすぐ戻ってきたんやけど。
亮 やっぱりPAVOはこういう光学レンズとかの関係もあって調整が難しいんですかね。
A そうそう。多分あかんやろうって言われてたけどね、なんとか直してくれて。一番に来てくれたもんね、写研が。結構うち写研にヨイショしとったから、今でももし担当者居てはったらうちの事知ってはりますわ。何回もしょっちゅう来てはったからね、東京から。
 2年に1回ぐらい担当者変わってたから、僕はちょうど始めた頃にすごい気に入ったいうか先生っていうか写研の人なんですけど、これ(写植)教えてくれた人なんですけど。その人の影響がすごいあるんですわ。機械全部教えてもらったんで。最初機械入れたら講習ありますよね、1週間程。その講習はその方がずっと付きっきりやったんで、サイバートもそうなんですわ。その人の影響を結構受けてて。しょっちゅう文字盤も入れるし、あとの方は講習行くんやけども、周りの人は初めて講習来てはんのやけど、僕は何回も行ってるから、助手みたいな形でごっつう使われとったん(笑)。

→つづく


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