亮月写植室

神戸から写植の灯が消えても
2011.9.30(土)〜10月1日(日)
於:兵庫県神戸市内 某社


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●開業、電算化、そして

(ビジネス学校のパンフレットを見せていただく)
A これが僕の原点。ここに行っとったんです。今はもうなくなってるけど。一寸ノ巾からやらされて、行ったらいきなり「一寸ノ巾次の日までに覚えてこい」って言われて。そんなん仕事しつつできる訳ないやん(笑)。「それ言われへんかったら教えへん」って言われて。徹夜して覚えていった記憶があんねん。
亮 また一寸ノ巾は変な所に字があったりしてなかなか難儀ですね。
A そうでしょ。一つ探すのに一日以上かかった頃もあるもんで。もう文字盤の中全っ部探したもんね。それでもまだ分からへん。

A 『魔女の宅急便』のタイトルって知ってはります?
亮 スーシャLみたいなのですか?

魔女の宅急便ロゴを岩田新聞明朝で再現
『魔女の宅急便』ロゴを岩田新聞明朝で再現(細部は異なります)

A あれ新聞明朝なんですよ。斜体がかかっとるやつやねんけどね。あんなとこで写研の文字が出てくるのは、「あれーっ」と思ってね。あれからテロップにごっつい興味持ち出してね、写研にテロップの機械見してくれって言うたことあるんですよ。でもその時はもう機械をあちこちで持ってたからね。
 漫画の字ぃ打つ機械なんか、写研専属の機械があるんやけどね、知ってはります?
亮 それ知りません。
A 漫画用に作った機械なんですよ、電算みたいな(「ハヤテ」システムのこと)。手動機あかんかったからね、そっち移ろうかなと思ったんやけど。

A 電算もたっかい書体が。もう嫌やってん。
亮 一書体何万何十万とかですか。
A 一書体で売らへんのですわ。タショニムいうてパックで最低55書体で買わなあかん。欧文だけ単体で売っとったんですわ。まだうちにあんねんけどね、もうあれ使いようないと思うねんけど3.5インチ(フロッピーディスク)の文字種(もじだね)。GRAFって機械があってね、それ用の文字種は持っとるんですけど、将来こっちで使われへんかなと思って、Windowsで。そやけどもうあかんようになってしまって。(PC-)98の時代のやつやから。たぶんあかんねんやろうけどね、あれなんか使われへんかなと思って。めっちゃ高かった。1枚3万かなんかすんねん。1書体。それ入れんことには……3.5インチやなくて5インチか、そしたら。もうドライブがないんちゃうかな。
亮 紙の箱に入ったようなやつですか?「C FONT」とか書いてある黒い函の。
A そうそう、そうです。電算は……(使たことあるの)?
亮 電算はサイバートを解体する現場に立ち会ったことはあって、物は見たことがあるんですけど、稼働している所は見たことがないんです(→写植レポート「さようなら写植。」2003.5.12〜6.21取材)。
A 邪魔なるから思て全部ほってしまったんです。机だけ置いてる。机と文字入れるあれだけは持っとるんですけど。
亮 あれ頑丈ですもんね。
A めっちゃくちゃ重たいんですよ、フフフ。ほられへん(笑)。どないしよかな思て今ごっつい悩んでんねんけども。業者に「持って帰ってやー」言うて。

A もし……叶わぬ夢やねんけど、この機械置かしてもらえるんやったら打ちに行ってもええかなと思っとったんやけど。
 今やったら盛り上がるやろうね。周りに写植打たれてた方はおられるんですか?
亮 はい、名古屋なんですけど一人。
A そうなんですか。今その方何されてます?
亮 今Macでデザインやってます。Aさんと同じような。
A (笑)うちと一緒やん。DTPでやってはる。
亮 やっぱり組みがめちゃくちゃ綺麗なんですよ。写植で入った人なんで、詰めとか染み込んでてきちんと組まれるんで気持ちがいいです。やっぱり写植の良かった所っていうのは組みをきちんと教室や学校で学んだりとか、お客さんからもかなり厳しい要求を受けたりとかして、きっちりやってましたんで。
A 電算になってからやね、ちょっと僕も横着になったのは。計算せんようになって。電算で結構計算してやってくれますでしょ。多少無茶な詰めも全体的にやってくれるから。でも手動機の場合絶対できひんから、打っていかなあかん訳やから仮打ちせなあかんから。あの辺からちょっと横着になった気ぃすんねん。それまでは文字の拘りいうのがあって。だからさっき言うたように「し」と「て」とかね、電算でも詰めてたけど。あと英語の詰めなんかもね、結構やった記憶がある。
亮 大文字で「A」と「V」が来るとちょっと詰めるとか。
A そうそう。絶対詰めとったからね。「お前詰め過ぎや」ってよう言われたけど。その人のオーダーした人に合わせて僕は打っとったんやけどね。ベタでええ人はほんまにベタにしとったんやけど。
亮 お客さんによって好みみたいなのがあって、それによってオペレータさんが打ち分けていたって話は結構聞きますね。東京でも今でもやってらっしゃる方はデザイナーごとに詰め方を変えてるんだって言われるんですよ(→写植レポート「書体と組版の魅力とこれから」2008.3.29取材)。
A 一回現場見てみたいな。またそのうち寄せてください(笑)。
亮 うちで思う存分打ってください。
A まさかこの年になって写植でこんな甦るいうことは考えてもみなかったからなぁ。ほうってよかった感じやったけども。一時手放すつもりやったからね。

●電車で一寸ノ巾

照相排字機中文文字配列表
照相排字機中文文字配列表
よく見たら中国語用の文字盤の配列表だった。

(文字盤配列表が出てくる)
A ほんま夢に出てきとったからね、文字盤が。
亮 一寸ノ巾なべぶたしんにゅうははこがまえ。
A もう泣いたねん。ちょうどサラリーマンしてた晩にね、習いに行く電車の中でずーっと見とったんですよ。皆変な顔して見とって。こんなん分からへんからね。「こいつ何しとんやろ」って。ほんで字も反対向いてますやん。「何を読んどるんやろな」ってよう言われたもん、電車ん中でね。一回ですぐに説明できへんやないですか、写植ってこんなもんいうのが。「これは仕事で使うもんです」とは言うとったんやけど。
亮 写植っていうのがなかなか説明しにくいんですよ。友達に「休みの日何やっとるの?」って聞かれると、「写植」っていうんですけど、「写植って何?」って。ホント変態ですよ。
A そこまでは言うとらへんけど(笑)。もうほんまにあの連中(スタッフさん)でも、さっきも言ったけど、昔からよう言われとった。「こっち(仕事)よりも文字盤集めるのが趣味やろ」って言われとった。多かったらしいよ。僕は多いとは思わへんかったけど。
 この界隈はね、どっちか言うとモリサワが地場やったんですよ。ほんで僕が初めて写研で来たんで、かなり叩かれたんですけどね。そのうち皆うちが文字盤結構あるよいうのが口で伝わってったから、あちこちから、姫路の方からも来てはったん。写研もうちには結構肩入れしてくれとったみたい。新しい書体出るとか、見本市が大阪の南港であったんやけどね、そこのブースなんか行った時に組合(写植組合)の写真に出すから写真撮らせてくれ言うて来たこともあったし。結構皆写研のこといいように言いはらへんねんけど、僕はそうでもなくて、金額的には別やけどね、中身としてはそんなに悪い印象はないんやけどね。皆写研はあかんあかんいうてすごい言いはんねんけど。付き合い方やと思うねんけどね。我ばっか通すんじゃなくて、やっぱし商売って推して引いての繰り返しやから。
亮 お互いの立場があって一番いい所を見付ける訳ですからね。
A 写植屋さんって結構強引って言うとおかしいけど、職人気質っていうか、堅物っていうか。僕もそうやけどね、一種の堅物なんやけど(笑)、なっかなか融通が利かへんっていうか、言い出したら聞かへんじゃないですか。ほんまに聞かへん。頑として譲らんっていうか。それでないと商売はやられへんねやけどね。

●ゴナのお蔭で生き延びた

A なんかそやけど、活かす方法ってないんかなぁ。こんだけ書体ねぇ。ナールなんかものすごい読みやすいんやけど、文章にしたら縦でも横でも。特に年寄りなんか喜ぶのにね、あんなけ大きい字なら。ゴナも。
 ゴナの事言うたらね、うち震災あったでしょ。震災の後復活はさせたんやけど、結局周りが、今の東日本大震災みたいに周りに何にもない状態やから仕事なかったんですよ。ところがね、電算があって、手動機も(製版用の)フィルムは出せるには出せるんやけど、時間かかるんやけどね。
 ○○(相手先の会社)がね、今でこそMacの新ゴになってるけど、昔あれゴナやったんですよ、指定が。それでああいう文字関係一切全部ゴナやったんですわ。ほんで、○○の工場から写研に問い合わせがあったらしいんですよ。どっか写研の文字のフィルムの出せる所をってね。でうちサイバートをその時持ってたから、「こういうとこあるよ」って紹介してもらったんですよ。○○の仕事はいっぺんにごそっと。サイバートとGRAF2台あったんですけど、それで半年ぐらいかな、その仕事で助かったんです。それで生き延びたっていうか。ちょうどそれが毎日変わるんですよ、震災の後やから。一晩で作らなあかんかったんです。
亮 ええーっ!?
A すごかった。4人でフル回転で。その時に出力センターにフィルムを出しに行ったんがうちだけやったみたいで、月50万ぐらい出してた。フィルムだけで。それでちょっとうちの名前が有名になったんですけど、「写研やってるんや」いうて。だから○○様様やねんけどね、うち。だからああいうの全部納めてたんですよ。すごかったんです。センターもびっくりしてたもん。フィルムが足らんようになったぐらい。シルク印刷でやってたからね、向こうが。大きい字やったらそのまま出してたから、電算250Qまで出してたからね。すごかったですわ。GRAFはいっぱいやし、僕はあんなんとか、名札もやったんです。全国の。何人やったかな。6000人。それ3日ぐらいでやってくれ言われて。電算やから出来たけどね。電算は文字はテキストで叩いたら全部いけとったから、その型組んで、殆ど引っ切りなしにフィルム出してたから。センターが、他の所が全然来てないんでうちだけやったから、「買うたらどないや、中古の扱いするから」言うて、いいとこまで話しいきかけてんけどね、到底手が出るような額ちゃうかったからね。
亮 中古でもやっぱり高かったんですか?
A もう1億近かったからね。それに場所がすっごい必要で。一つだけでもこれ(手動機)ぐらいの大きさやったからね。それが何台連なったんかな。ちょっと魅力あったけど、いつまで続くか分かれへんしね、あの時は助かったんですわ。
亮 ○○っていうとありとあらゆる。
A ようこんだけ仕事あるなぁいうくらいあったんですわ。うちそやから○○だけで飯食ってたんです。だから写研やっててよかったいうのはそこですわ。あれモリサワやったら話ないからね。今の○○のロゴも元々ゴナやったんですよ。あれと△△銀行のロゴもゴナやったんですわ。けっこうだからデザイン文字は写研が多かったみたいやね。今でも……今はどうなん。レタリングする人っていてはらへんちゃいます?
亮 殆ど居ないんじゃないですか。
A 珍しいでしょ。昔はね、3種類か4種類打ってくれってよう言うてきてはったけど、あれは楽やったですわ。デザイン料取ったりするのが。詰めんでもええから(笑)。うるさい奴がおってね、「もうええやんか」いうぐらいうるさかったなぁ。

●写植の話が通じる嬉しさ

A もう一回打ちたいなぁいうのがありますよ。実際やってはる人いうのはいないんですか?
亮 周りはもう……趣味で打ってる人は自分しかいないです。仕事でやってはるっていう人が東京に2、3軒ありまして、手動機で。
A まだやってはるんですか?
亮 飯田橋に1軒、武道館の近くにあるんですけど(プロスタディオさん)。
A そこに行かれました?
亮 行きました。行きましょうよ、とか言って(二人笑)。その人もやっぱり60〜70代ぐらいの方でして、写植40年やってらっしゃるんですけど、Aさんと同じように詰め具合とか考えて。
A 今でもやってはるんですか。印画紙あるんやなぁ。
亮 私も印画紙買ったんですけど、富士フイルムが写植用の四つ切りのを作ってまして、8月に料金改定で2割増になっちゃったんですけど、まだ作ってますよ(取材当時。2013年10月生産終了)。なので当分は大丈夫かなぁと。
A そうなんですか。これ(PAVO-KY)の仕入れ先に聞いたら、もうそんなんやってないって言われて。昨日か一昨日なんですわ。うちが引越しするから言うたら慌てて見に来よったんですけど。
亮 直接富士フイルムに問い合わせたんですよ。写植用の印画紙がどうしても欲しいんですがって聞いたら「まだ作ってますんで、印刷資材の業者に送りますからそこに注文してください」っていうことで取り寄せてもらいまして。

A 現像液どうされてますのん?
亮 現像液は白黒写真用の「パピトール」ってありますよね、あれ使ってます。今でも売ってますよ。写真屋さん(家電量販店など)に置いてますよ。
A そやけどあれいびつにならへんですか?
亮 大丈夫です。初めはちょっと変かなあと思ったんですけど、綺麗にかき混ぜてやれば普通に使えますよ。
A あの定着がなかなかでけへんもん。現像液はすぐ混ざってくれんねんけどね、定着は嫌いでなっかなか混ざらへんから、混ぜんでいいやつ、これ(自動現像機)用のやつね、あったんですわ。今でもあるんかな。
亮 液状のやつ。
A ちゃんと混ぜてくれてあって、薄めるだけのがある。3倍かなんかに薄めるやつがある。
亮 フジフィックスとかそういうのですよね。
A そうそうそう、懐かしい名前や(笑)。今でも道具あんねんけどね、混ざらへんからもう腹立つから。結構時間かかるでしょ? 現像はね、そんなにかからへんねやけど、定着は、ましてや粉やったからね、すぐ固まるでしょ。黄色なってしもてね。これは優れもんやったなぁ。
亮 自現いいですねぇ。
A 自現。楽やったですもん。大体1ヶ月ぐらいもつんですわ。液一旦落としといてね、また戻せるようになっとるんで。大体これ使う時は毎日使うからそれはなかったけど、結構持ちが良かってん。自現でない時はもう苦労して苦労して。現像液がすぐへたってしまうんですよ。
亮 全然黒が出なかったりとか。
A だからもう何回も買いに行ってやった。僕も皿現(皿現像。現像から定着まで機械を使わず、バットに液を張って手で行うこと)何回かやったんやけどね、やっぱし混ぜるのが嫌で嫌で。
亮 めんどくさいですよね。
A (笑)よう分かってくれてん。こんな話誰も通じいへんからね、ウッフッフ(笑)。ほんま嬉しいわほんま。この歳になって。
亮 私も面白いです。最近になって現場の事をやるようになったんで、話がこうやって通じるっていうのがすごい面白いんですよ。
A 苦労話はねぇ。大体いい事はあんまり覚えてないんやけど、苦労話はなかなかねぇ。

皿現像の道具
皿現像の道具
現像液「パピトール」の粉末、定着液「スーパーフジフィックス」の原液、液を貯蔵するポリ瓶、竹バサミ、バット。手前の赤い円筒は、印画紙を感光させないために赤く光る安全灯。

(奥さんからお茶菓子を薦められ、頂く)
A (奥さんに)東京でまだ写植打ってはんねんて。俺もこれ(文字盤)持って東京行ってこよかな。商売できるかもわからへん(笑)。珍しいで。文字盤でいうたら結構勝負できるよ。
奥 元々レタリングはデザイナーさんがしてはって、活字屋さんとセットでやってたのが写植になって、両方いっぺんになって、ていう感じですもんね。
A (筆者が)ごっつ自覚してはんで。悪い方に言うてないで(笑)。珍しいのは。
亮 今もご主人と話がすごく合うんで、面白いなあって言ってたところなんですよ。
奥 最初自分も活字から変わって写植にしましたけど、最初Macが出てきた時にすごいMacのことをけなしてて(笑)。
A 今も触ってないでMacは(笑)。あれを敵対視してんねん。
奥 書体にうるさいから、こうしたらええとか。テレビ見てても「お、この書体」とかって言うてたから。
A 一緒や一緒や。それが合うねん。
亮 テロップばっか気にして。「あ、今度何々書体や」とか言ってますもん。
A よう言うとったなあテレビ見ながら。今でも言うけど。それしか楽しみないで(笑)。
 これ(文字盤)何かほんま使い道ないんかいなあ。
亮 ひとつ使えるとすれば、デジカメで接写すると文字が使えないことはないんですよ。マクロレンズで文字盤をライトテーブルで照らして、文字が白い光で出ますよね。
A ライトテーブルが出てくるか! あっはっは!(笑)
亮 文字盤を一文字ずつ撮って、Macで合成して、プリントアウトして使ったことがあります。
A すっごい! 凝ってるなあ!(笑)そこまでやるか!
亮 そこまでしたかったんです。写研の文字がどうしても使いたくて。「写植の代わりやー!」とか言って遊んでしました。
A なるほど、よっぽど……いやそっから先は言われへんけど(笑)、よっぽどやね。すっごいなーそやけど。

写研「写真植字」No.45
筆者が父に買ってもらった『写真植字』No.45

亮 それもまたおかしなことに、この書体見本帳を誕生日のプレゼントに中学生の時に買ってもらったんですよ。多分私があまりにも文字に拘りを持ってるんで、ちょっとおかしいなと思われたのか(笑)。
A あっはっは!
亮 それで父が買ってきてくれたんです。それでこれに載ってる文字と売られてる本に使われてる文字が一対一で判るようになって、「あ、これはナカフリーや、石井太ゴシックや」って照らし合わせて見るようになって全部覚えましたもん。中学生の時に。
A 中学生かー! 俺の子供やったら継いでもらうのにな!(笑)今時写植なんてせんけど……。
奥 書体に拘りをね、持ってるんですよね。モリサワよりも写研?
A モリサワは取っ付かへんねんなー言うてん。やっぱちゃうやん、新ゴと。新ゴの訂正で「ゴナでやってくれ」言われたけど全然合わんかったもん、大きさも。字送りも全然ちゃうかった。丸ゴなんか酷かったもんな。さっきも言うたんやけどこの辺がモリサワの地場やったから、写研は……もう一件あったんや。震災で辞めた。

●電算写植で震災復興

奥 震災でね、神戸の写植屋さん、活字屋さん全部ね、辞めたんですよね。
亮 先程も写真を見せていただいたんですけど、殆ど潰れちゃって。
奥 でもこの機械は丈夫でね、他のダメでも。割とコンピュータ丈夫やったから商売続けれた。コピーとかは色んなもんダメになったけど。
A ○○のお蔭やて。絶対○○のお蔭。あれだけやったやんうち。
奥 家の方に機械運んで、自宅の方に女の子来てもらって、一生懸命打ってもらって。あれでもったんやね、きっとね。
A あれがゴナの指定やったから良かったんや。今新ゴになっとると思うけどな。
奥 全部うちに出してくれてたもんね、関西のを。
A こないだ電話かかって来たで。「写植打ってくれ」言うて。お前今更そんなん言うなやて(笑)。
奥 落ち着くまではそれで、落ち着いたら自分ん所で。
A 自分んとこでやっとったやん、シルク(印刷)でダーッとやって。途中からMacに変わって「Mac出来ますか?」言うて来とって、Macを教えに来てへんかった? 派遣してくれ言うて。
奥 中でMacで作るようになって、だから(○○の仕事は)やらなくなったけど。
A そやから今でも行ったらあるんかも分からんけどな。
奥 あの時すごい助かったのはうちと出力センター。
A うちだけでもっとった。あのフィルムの出しようは凄かったからなぁ。
奥 でもそれがなくなってからはうちも出さなくなって。
A そやからうちに「機械買え」言うて来たやん。見に行ったやんわざわざ。ええとこまで話行っとったやん、ほんで値段聞いてやめて(笑)。どれぐらい言うてくるかな思て中古やから言うさかいに。そのままの値段で言うてきよったもん。
奥 この機械もね、高いから。殆どあれやわ。一生懸命働いて一生懸命機械買ってた(笑)。
亮 稼いでは買って稼いでは買って。
A 一つファミリーだけでも100万以上かかっとったからねぇ。
奥 「ベンツ乗ってる」言うとったから(笑)。
A それも言うた(笑)。ベンツより高かったんちゃう、当時。
奥 機械だけでそやったからね。
A サイバートが800万やんか、GRAFが300万なんぼで2台あったし、その前にワープロの機械があったんですよ。ワープロはね、その当時1台、こんなしょうもない機械が100万しよった。
亮 ハーっ!
奥 NECのPCの前に。
A 100万やで! いわゆるワープロ。OSじゃなくてワープロ打つだけの機械がパナソニックであったんやけど。あの頃よう言うとったやん、テキストって何やねんって。当時分かれへんかってん。今でこそテキストいうのは大体意味分かってきとるけど。それも2台なかったらあかんから言うて2台買うたもんな、家とこっちで。
奥 最初リコーのワープロやってんけど、パソコンでワープロも打てるっていうのんで買って、それの代わりにワープロと違うのは通信が出来るようになって、初めてメールじゃなくて通信してたね。それでワープロ(ソフト)入れてた人にデータ貰ったりとか。
亮 モデムで繋いで送ってたんですよね。
A 泣いたなあ、あのモデムも。いごかへん(笑)。
奥 ナントカ通信言うてたね。今のメールの雰囲気や全然なかったね。それしか送れないみたいな。バーッと送ってる最中に一文字だけのちっちゃな窓があって、文字送ってんのが見えるの。「あー、この辺送ってる」って。今じゃあ信じられへんけど。
A そやけどこれは現像がなかったらもうちょっと手軽に出せる方法があったらね。現像するからええんかも分からへんけどね、くっきりいうか。
亮 写真ならではの滑らかでくっきりしたのが。
A 「ノッチ」の分かる人が(笑)。(大木こだまのような口調で奥さんに)分からんやろ〜、ノッチ〜。
奥 嬉しいやろ(笑)。
A 嬉しいんねや俺は。今日はもう満足の、天下を取ったような。はっはっは!(笑)
奥 (手動機を)ちょっといっぺんやってみよかなと思って、前に座ってやってみたことあるけど、すごいうっかりが多いから、今だと“コマンド+Z”で取り消しできるでしょ。出来ないから私にはダメで(笑)。電算とかあっちの方ばかり。
亮 私もMacやってるんで、写植機に座ると思わず左手が“コマンド+Z”やりますもん。「あ、間違えた! ボタンないわ!」って。そういう風になっちゃうんですよ。
奥 しかも車の運転と一緒で、いっぱい色んな事同時にしなあかんから。神経集中せなあかんもんね。
A この事務所の中で写植のこと言うたらごっつ肩身狭なるから言えへんねんけど(笑)。皆馬鹿にしとるから。だって思うとっても言えへんだけで(笑)。奴らは(うちらが)今何を話しとるか興味津々ちゃうか。
亮 だって実際すごいと思いますよ、今のお話お聞きしてると。
A そんな大したことないねんけど。

→つづく


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