豊郷小学校旧校舎群見学レポート

●その1

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 2012年8月18日(土曜日)、友人との関西旅行の中で、かねてから行ってみたいと思っていた滋賀県犬上郡豊郷町の「豊郷小学校旧校舎群」に行ってきました。
 1937年にアメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計のもと建設された鉄筋コンクリート造の学校建築。1990年代終盤からは解体問題で物議を醸し、そして2009年に耐震補強及び大規模改修によって当時の姿に甦った美しい建築です。
 じっくりと見学してまいりましたので通常の「亮月だより」の分量を遥かに超えてしまい、特別編としてレポートすることにしました。
 亮月だより第760回。撮影画像は今回に限り RAW データから“現像”して筆者の印象を再現し、大きなもののみ掲載しました。実際に見学しているつもりでご覧いただけましたら幸いです。

 →2013年6月15日、再訪しました!

撮影機材:Nikon D80・AF-S DXニッコール16-85mm F3.5-5.6G ED VR

●「来るな」!?

 大阪から自動車で現地へ向かう道中。名神高速道路は通過に2時間を要する渋滞、迂回した京滋バイパスも自然渋滞で車列が動かなくなるほどでした。
 八日市インターで降りる頃から激しい雷雨に見舞われ、どう考えても外へ出るのは危険な状態に。「豊郷に『来るな!』と言われてるんじゃ……」と不安が募りました。

 予定より大幅に遅れて到着した豊郷町。
 雨脚は幾分穏やかになり、町内を散策する観光客もちらほら見掛けるようになりました。同じ目的で来ているのだろう、と。
 ほどなくして旧正門に到着しました。
 運転していた友人は特に興味がないということでここで一旦解散、私だけが残されました。
 周りを見渡すと、熱心に写真を撮る人達、派手なステッカーで装飾した自動車(婉曲表現)、どこかから流れてくる「知ってる音楽」。あゝ、来てしまったのだなと実感しつつも、逆に私が周りから浮いているような気がしてきました。

旧豊郷小学校正面

 状況把握が終わって写真を撮り始める頃には雨はすっかり上がり、青空が見え始めていました。どうやら旧校舎は私を受け容れてくれたようです(笑)。
 正面玄関の噴水附近に進むと、若い男性のグループに「写真を撮ってもらえませんか」と声を掛けられました。どういう訳か昔から見知らぬ人に道や切符の値段を訊かれたり、写真撮影を頼まれたりすることが多い筆者、何故だろうと思いつつも引き受けさせていただきました。彼らの良い思い出になりますように。

●これは確かに見た景色だ

旧豊郷小学校噴水と正面左

 鯉の像が中央にある噴水の奥には、中央が3階、左右が2階の旧校舎が。縦長の窓を多数配置し、垂直水平を基調とした質実剛健かつ落ち着いた外観です。「白亜の教育殿堂」と称されたその美しさと、「これは確かに見た景色だ」という感慨にしばし見惚れていました。

 それでは、建物の中へ入ってみましょう。

旧豊郷小学校1階廊下

 1階の廊下です。木製の内窓枠やドア、重厚な梁が見える天井、幅の狭い楢木材によって構成された床材。図書館や教育委員会、シルバー人材センターなど役場の機関が入居し、現役で使用されています。

旧豊郷小学校内部ドア

 ドアの把手は小学生でも開けやすいよう幾分下の方に取り付けられています。廊下にはドアの回転半径上に黄色い線が描かれ、ドアが急に開いてもぶつからないよう注意が促されています。他の古い学校建築は分かりませんが、非常に特徴的です。ドアの脇には色褪せた告知ポスターが……。私が来るまでに長い時間が流れてしまっていました。

旧豊郷小学校廊下窓

 廊下と教室を隔てる窓。中に見える図書館も建築当初の意匠を尊重するように造作されていていい雰囲気です。

旧豊郷小学校1階廊下と階段

 2階への階段に向かいます。

 手摺には『うさぎとかめ』のブロンズ像や円い小窓が配され、学校建築とは思えないような凝った造作がなされています。手摺の立ち上がりや踊り場の壁面は優美な円弧を描いています。

参考ページ
豊郷小学校校舎の保存活用に関する要望書」/日本建築学会/2001、2003年
TOYOSATOSHO MEMORY」/滋賀県犬上郡豊郷町/2009年〜

その2へつづく→


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