●光学系の難しさを乗り越え実用化
写真植字機の開発には多くの課題が依然として残り、それをひとつひとつ解決していかなければなりませんでした。
要となる主レンズのために石井氏はレンズ設計の専門書を読み漁り、大学教授等の助言のもと1年半をかけてレンズを設計、製作を日本光学が行い1929年春にレンズが完成しました。しかし思うような精度が出ず、旭光学の協力のもとで仕上げて完成させました。レンズは1番(4.5ポイント活字相当)から10番(31ポイント活字相当)までの10本を搭載しました。
文字盤に使う文字も非常に高い精度を要するので、築地活版の12ポイント明朝活字を4倍に引き延ばして墨入れしたものを原字に使用しました(仮作明朝体)。配列は初め日本タイプライターのものに準拠しましたが、習熟に時間がかかるため各種配列法を検討したうえで種田豊馬氏考案の「一寸ノ巾」配列を採用しました。
試作機では1枚の大きなガラス板だった文字盤ですが、原字を撮影するレンズの収差による誤差の影響が大きいため小さな文字盤に分割し、それを文字枠に収める方式としました。6.5×10.5cmの文字盤に縦13×横21=273字を収録し、これを20枚収容しました。
こうして1929年10月、共同印刷に実用機第1号が納入されたのを皮切りに大手印刷会社や軍からの受注生産が始まり、産業としての写真植字が動き出すことになったのです。
●旧満州国への進出、変形レンズ、ルビ装置の追加
1932年の旧満州国建国に伴い、同国の印刷局から写真植字機の注文があり、1934年5月には改良された本機が出荷されました。縦送りの最小単位を1/4mmにし文字盤を32枚に増やしたもので、満州国での印刷物制作に大いに活躍しました。
同時期に変形レンズが開発され、1936年にはルビ装置が特許出願されて現在の写真植字機の基本となる機能がほぼ出揃いました。
なお森澤氏は、海図用写真植字機の製造を依頼してきた海軍水路部の担当者から「助手」であると言われ心証を悪くし、これをきっかけに石井氏との擦れ違いが始まりました。そして1933年春には石井氏と訣別、この写真植字機とタイトル専用機を持って大阪へ帰郷しました。
●その他の機能、仕様
寸法 |
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質量 |
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所要床面積 |
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機械内容 |
主レンズ |
10本 |
変形レンズ |
有(1935年〜) |
文字枠収容文字盤 |
スタンダード文字盤 20枚
スタンダード文字盤 32枚(1934年〜) |
収容感材寸法 |
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ファインダー |
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点示板 |
有 |
電源、光源 |
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環境条件 |
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価格 |
3800円(1929年) |
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