写植機おもいで40年

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●写研へ、そして就職

H それで写研さんの研修所へ入ったんですよね。2ヶ月ぐらいですか。機械買うと一人研修受けられるっていう。東京の……大塚で下宿みたいに間借りして、2ヶ月行ってそれこそ手取り足取り。
 当時は生徒が私を入れて10名いなかったと思うんですよ。北海道、秋田、あとは東京近郊の印刷関係の方がいらっしゃった。急な話だったんで泊まる所がなくて、社員の方の寮の2階に泊めてもらったんですよ。そこで北海道の方と秋田の方と私と3人で共同生活してました。岐阜の方もいらっしゃったか。
 それで仕事教えてもらいました。そこを出てから(名古屋市北区)黒川の辺でM写植のFさんという、お兄さんが神田で写植屋さんをやられるという。で、弟さんと私がたまたま写研さんでご一緒しまして、名古屋へ帰ってからも機械がすぐ入らないという事で何ヶ月先になって、帰ってもしょうがないし教えてもらった事も忘れちゃうしなので、そこ(Fさんのお兄さんの所)へ来いやという事でそれこそまた寝る所がないもんですから、蕨のそこの方の下宿でご一緒させていただいて、写植屋さんでお仕事させてもらいました。勉強ですね。で、お給料はまあ、なしですよね、勉強ですからね。その代わり寝る所は確保してもらって。親から仕送りを貰って3ヶ月お世話になったかな。それで機械が入るもんですから、それじゃあ帰ろうという事で、(Fさんと)名古屋へ帰って来た訳ですね。それから写植屋さんを始めたんですよ。
 ところが伝がないですからお客さんも分からないし何も分からない。そしたら、父の友人でもあったんですけど近所の方で製版屋さんの営業をやってらっしゃって。遊びにみえたときに父が「息子が写植屋をやり始めたけど全然分かんないと。何かいい案ない?」っていう話になって。「じゃあ俺来てやるわ」って。その方が(仕事を渡すために)来てくれて、製版屋さんとかの仕事をちょぼちょぼ頂いて。沢山頂いても出来ないものですから、本当にやれるだけ頂いて、勉強ですわ。それで「これもサービスね、あれもサービスね」って教えてもらって。そのうちにオペレータの方が来て……っていう風にやってはきたんですね。だからオペレータとして関わったっていうのは割と短いんですよね。あとは外(営業)ばっかりなんですよ。それで3RYが3台ぐらいかな、それからスピカでやらさしてもらって、それでPAVOが出て。

●機械式写植機・SK-3RYの不確かさ

H ……まあ、3RYっていうのはどうしても機械的な機種なもんですから綺麗じゃないんですよね。例えば写植の文字枠を固定するのは全部非常に単純で、ギアの谷間に歯がピシッと両サイド入って固定する訳ですよね。で、カシャッとなって一つの文字を印字する*っていうやり方ですよね。縦横でね。3RYもそうなんですよ。ただ、それが半分機械的っていうんですか、電気的じゃなくて、歯が谷間にスパッと降りないで、やり方によってはこういう所(山の中腹)に入っちゃったりして。で、シャッター落ちる頃にずれて文字が変な風になるとかね。だから皆さん打つ時にね、何度もカシャカシャカシャッて……PAVOですと(印字キーを押せば)一回でポンッと落ちますけど、昔のやつは手でカチャカチャ何度もはまり具合を確認して……原始的な方法で。だから端から見てるとめちゃめちゃ速いんですよ。でも現実は3回に1回ぐらい採字していく。こうキチンと入っていくのがラックを持っていると判りますから、ちょっとおかしいと動きますから、固定する位置を見付ける為に無意識にやってたような気がするんですよね。だから非常にいい加減な機械でした。自分達でバラして掃除してみたり、分解まで全部教えてもらってますから、どこが壊れても何しても自分達で直せるようになってたんです。
 それが今からひと昔……ふた昔ぐらい前の話で、そんな感じでやっていましたね。それからPAVOに変わって。PAVOの使い方全然分かんないんですよ。(2階に置いてある)PAVO-KVBの枠固定*が外れないんです。
 まあ、割と楽しくやってましたねぇ。写植ってのはねぇ。当時の印刷関係ではわりかし前方向にいましたから。

*ギアの谷間に……印字する
 写植機で印字する際、文字盤によって投影された文字の形を印画紙に感光させる原理のため、印字の際に文字盤がぶれてはならない。
 このため文字盤を装着するための「文字枠」にラック(歯)が設けてあり、印字レバーを押し下げた時にこれを固定する。そしてシャッターが切れ、印字されるという工程がなされる。

*枠固定
 手動写植機PAVOシリーズに於いて、文字枠が固定された状態。またはその機能。

的 最先端といいますか。
H それからマッキントッシュが出て来てガラッと変わって、写植も過去の遺物になってしまったという事ですね。
 手動機があってPAVOのような半自動、それから電算に変わって……今も多分あると思うんですけど、印刷関係の道具は形が変わっちゃったというのが現状ですよね。ですから過去数年の技術になってしまったという気がしますけどね。ただ今でも私写研の石井文字は好きですね。綺麗だと思ってます。
 で、しばらくして写植をやりかけて、名古屋はやっぱりモリサワ系が多かったんですね。モリサワの機械を入れる所がね。モリサワさんの機械も一時入れようかと思ってね、それでモリサワと写研と両方やっていけたらいいかなと思った時もあったんですけど、モリサワさんには悪いけど、文字が気に入らなかった(笑)。メカチックはモリサワさんの方が優れてると思ったんですよ。機械的にはいいんですけどー、文字がね、何か気に入らないと。で、使い方があったみたいなんですよね。プレート(文字盤)が、モリサワさんの方が大きかったんかな、文字枠が。だから写研の文字盤の端っこに膨らみを厚くしてやれば(モリサワの写植機に)収まるという事は聞いたりしたんですよ。
 写研でもそうですけど、PAVOになってからは一枚のプレート……スピカでもそうですけど、我々が使ってた頃(SK-3RY)は枠はあるんですけど一枚ずつが全部別物なんですよ。だからそのまま文字盤を購入して乗っけてもガタガタなんですよね。だから自分で全部縁を黒い紙で枠を作って、一枚ずつセンターに来るように……文字盤の端っこの方に「+」のセンターの印があるもんですから、それを合わせる。紙を貼ったり切ったり。
的 写研の機械対写研の文字盤でもそうだったんですか。
H そうです。ですから文字盤もガラスが2枚サンドイッチになってて、非常に粗雑な……シンプルなものだったんです。そこを全部、印画紙が入ってる袋に黒い紙が入ってたんですよ。これを3ミリから5ミリぐらいに切りましてね、糊を付けてそれを加えて厚みを出して規定の大きさにしたというやり方をしてましたね。だから人によってかなり違ってくるんですよ。大雑把なもんですから、打った文字の並びが微妙にぶれてる、ガタガタになってるって事はありましたね。
的 ガラスに枠がついてて、それを嵌めただけではグラグラしてしまうので更にその外に……
H 紙を当てて枠に合わせるってことをしてましたね。
的 しっくりくるように。
H 今はピンがあってそこに嵌めればいいですからね、それがスピカの時からなりましたね。
亮 スピカもPAVOと共通の文字盤ですもんね。
H スッゲーなーと思ってね(笑)。
亮 枠も文字盤もサイズとしては曖昧な状態で送られて来たんですか。
H 枠はきちんとしてたと思うんです。機械だけはきちんと入ってますからね。中の文字盤が大雑把〜っという感じでしたね。僕が関わったのが45年前ですから、当時はそんなんじゃないですか? 機械としてはよく出来てたんじゃないですかね、非常に原始的でしたけど。
 お客様にE社ってありましてね、16ミリとかのね。そこの方がみえましてね、コピーのお客様でお世話になってましたけど、写植機を見て「何だこりゃー!」って言ってましたね。「こんなもんで?」なんて事を言われたんです。当時の彼らは16ミリとか8ミリとか二眼レフを作ってて、原理としてはあまり変わらないですよね。それでそれ(写植機)を見て「こんなんでこんなに高いのか」って言ってみえましたね。原理としては非常に単純な機械でしたね。それが段々とPAVOになってくると僕は全然分からんのでね、(KVBの)ラックが外れえへんとどうしたらいいかしらんと思ってね。
亮 逆に電子制御になって直したりできなくなっちゃったというところがありますね。
H Mさん(「写植機カタログ閲覧会」参照)からもちらっとお聞きしてたんですけどね、もしみえたら壊れてもいいから何でも好きな事やってもらって、てな事も言ってたんですけど、その前で今の話(枠固定)になっちゃったもんですから、弱ったなーって思ってたんですけど。
 そのぐらいですかね。あとはMさんがお話しになってた事……メーカーの違いはありますけど、Mさんのお話の方がより現場的な考え方でいると思うんですよ。我々には殆どそういう考え方はなかったね。

→つづく


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