亮月写植室

写植への想いは海を越えて
向照相排字的感情越過海

2013.8.3(土)
亮月写植室にて


●海外からのメール!

 2013年2月の終わり、一通の丁寧なメールを頂いた。

「台湾人のタイポグラフィファンです。タイポグラフィに興味を持って以来、写植についても見学してみたいと思っていましたが、台湾の写植会社は壊滅状態で、写植機は博物館にありますが稼働されずに置かれているだけです。台湾で印字可能な所は一軒も残されていないことが分かりました。今年中に亮月写植室へ見学に行きたいと考えていますが、よろしいでしょうか。」(※筆者による要約)

 写植室は騒然となった(一人で)。日本国内の遠方からお越しいただくことはあったが、台湾の方が見学を希望されているとは!
 海外の方と個人的に交流するようなことはこれまでなく、見学を引き受けるべきか悩んだが、「台湾には現役で稼働する写植機がもうない」という事実とこの方の「日本へ行ってでも稼働する写植機を観たい」という熱意に心打たれ、お迎えすることとした。
 幸いにもこの方は日本語が堪能で、メールで何度か打ち合わせをして無事日取りが決まった。

●緊張の夏、日本の夏

 2013年8月3日(土曜日)。晴れ。気温34度。
 昼過ぎに最寄りの駅へ到着するとのことだったので、車でお迎えに上がった。
 遙々台湾から写植の為に日本の、しかも岐阜の山奥まで来られるとは、どのような方なのだろうか……。想像もつかないまま、緊張しながら『写真植字』の青い見本帳を持って改札の外で出迎える。
 定刻になり電車からばらばらと人が降りてきた。
 ……心臓の脈動が高まる。

 私の前で足を止めたのは、想像していたよりもずっと若い方だった。
 挨拶を済ませ、早速車で亮月写植室へ向かった。駅前通りは夜の祭りの準備で提灯が飾り付けられており、浴衣姿の人も散見された。まさに日本の夏。良いタイミングでお迎えできた。
「日本も暑いですけど、台湾はもっと暑いんですよ。夜になっても32度ぐらいあります。夜は祭りがあるんですか! 行きましょう! 焼きそば食べたいです〜。」
 日本語が堪能なのは留学経験をお持ちだからということで、その後も何度か来日されているそうで語彙も新しく、日本人として会話をするような感覚でお話させていただくことができた。私は標準語と東濃弁(岐阜の方言)しかできないので、海外の方と意思の疎通が完全にできるのはとても嬉しかった。
 道中お話を伺うと、私と同年代で職業とは別に活版印刷に関するボランティアをされているとのこと。中高生の頃校内新聞の編集に携わり、版下を扱ったことがきっかけで写植に興味を持ったそうで、詳しく調べていくうちに当室を見付けられたのだそうだ。活版印刷の保存や実用が進む中、写植がかなり冷遇されているのは台湾でも同じらしい……。

 そして亮月写植室に到着。

亮月写植室前の朝顔

 亮月写植室の前では、沢山の青い朝顔が出迎えてくれた。

●台湾の写植事情

※筆者註:台湾に関する情報は筆者が当日聴き取ったものであり、事実関係は確認しておりません。悪しからずご了承ください。)

亮月写植室内
(ご来訪前に撮影)

 写植室に入っていただく。
 先述のように台湾に現役で稼働している写植機はないとのことなので、電源を投入する前から興味深く観察いただいた。木造の個人宅に写植機が3台置いてあることにまず驚かれた。台湾は高温多湿のため、腐り易い木造家屋は少なく、多くがコンクリート造りであるという。
 台湾で入手された資料の写しを頂いた。写研の書体見本帳『照相排字』No.8 ほか、1980年代後半から1990年代にかけての書籍に記された写植に関する記事である。

台湾写植資料

『照相排字』No.8 を見ると、表2には日本語版と同じく写植についての説明があり、機種の例として海外仕様の「PAVO-KYE」の写真が掲載されている。機種の分類としては全自動機には CRT 写植機「SAPTRON」と レーザー写植機「SAPLS」、手動機には「PAVO」と「SPICA」が掲載されているが、台湾で SPICA は発売されなかったのか、見たことがある人は殆どいないらしい。
 見本帳の「愛のあるユニークで豊かな書体」に対応する文言には、例えばナールDならば「娜爾D是冩研的字體」と印字されている。これは「ナールDは写研の書体です」という意味だが、次のような経緯がある。
 台湾が2002年に世界貿易機関(WTO)に加盟するまでは他国の著作物に対して著作権保護の義務がなかったため、事実上コピー商品の蔓延が野放し状態になっていたことにより、写研の書体に関しても同様の状況になっていたのだという。写研としてもその状況を認識して先のような文言を書体見本として採用したのではないかと見ている。
 見本帳の表4には「写研の新書体はよく盗用され、文字盤が偽造されています。偽造された文字盤を使用することは道義精神に反し、写研の立場としても、使用しないでください。」(※この方の訳を聴き取った筆者の記憶です。厳密な翻訳ではありません。)という意味の注意文が書かれている。

 また、台湾で写研書体と認識もしくは印字見本等に表示されていても実際には写研以外の書体であることもあったそうだ。

台湾の写植書体見本
台湾の写植書体見本
朱介英『美術字技法』(美工圖書社、1990年)p.201 から引用

 頂いた書籍の写しの印字見本にも「冩研最新電腦機種植字」と印字されているにも拘らず、ナールスーボに並んでモリサワの「M70」や「ビッグ」、「アローGラインシャドウ」が掲載されているという有様だった。
 しかし台湾でもモリサワよりも写研の書体の人気が高かったそうで、1980年代には“ナールブーム”が起こったらしい。日本の雑誌でナールが多用され、その雑誌が台湾に入ってくると、服飾の流行とともにたちまち書体も流行したそうだ。
 雑誌だけでなく漫画やアニメーションも台湾に輸入され、それに伴い日本の写植の書体も見掛けるようになったという。来訪者様は『らんま1/2』のキャラクターソング集の歌詞カードにゴカールが使われていたのでかなり思い入れが強いのだそう。

 台湾ではDTP化が日本よりも非常に速く進行したそうだ。というのも、写植文字はどうしても日本で制作されたものをベースにするため、台湾人の感覚ではおかしな文字もあったそうだ。一方DTP用の書体は写研書体には劣るものの、そういった難点を解消することができ、急速に置き換わったのだという。そのため台湾で写植を知る人は40代以上に限られるそうだ。
 そういった経緯があり台湾の写植に関する資料は殆どが破棄されてしまい現存するものはごく僅かで、調査研究をするにもこのように日本へ出向く必要があるのだそうだ。筆者も少しでもお手伝いができればと思い、台湾では特に資料が少ないというモリサワの書体見本帳の重複しているものを差し上げた。先の M70 やビッグ、アローGラインシャドウもこの見本帳で初めて書体名が分かったそうで、とても感動されたご様子だった。

●百聞は一見に如かず

 稼働する写植機をご覧になるのは初めてとのことだったので、原理や各機能について、機械や操作を見ていただきながら説明させていただいた。
 例えば変形レンズについて。

SPICA-QD用変形レンズ

 PAVO-JV の変形レンズは操作パネルを開けないと見ることができないので、SPICA-QD 用の変形レンズを使って説明させていただいた。

SPICA-QD用変形レンズNo.3 60度長斜体

 変形レンズ No.3 の60度長斜体の再現。蒲鉾型……をアーチ状のレンズと説明し、この角度を変えることによって長体・平体・斜体を作り出せることを直接レンズに触れていただくことによってご理解いただけた。
 主レンズもズーム式ではなく、それぞれのQ数に1本ずつレンズがあることや、印画紙を入れるマガジン、空印字(ジャスティフィケーション)、欧文のプロポーショナル組みや仮名のつめ組み用文字盤など、写植のあらゆる概念や PAVO-JV の機能について説明させていただいた。「実際に物を見ながらだと、サイトに書いてあったことがよく分かります」と仰っていただけた。

欧文文字盤とつめ組み用文字盤
欧文文字盤とつめ組み用文字盤
文字盤の右側に記された赤い数字の単位は1/16em。字幅毎に分類して配置してあり、その位置を写植機が読み取ってマイコンが必要な送りH数を計算して送ることによってプロポーショナル組みを実現している。

 また、写植機で複雑な印字をするには指定原稿が必要なので、筆者が昨年印字した際の印画紙と指定を見比べていただき、印字する位置の座標やQ数・送りH数、変形レンズの要否、書体を事前に紙に書き出しておけば印字が楽になることを説明した。 「印字の方法はアナログでも、送りの概念はデジタルなんですね。」とすぐにご理解いただけた。

→写植室日報・2012年6月16日(指定原稿と組み打ちの結果)

●印字してみましょう!

 一通り説明を終え、写植室内の写真を撮っていただいたところで、実際に印字していただくことにした。
 お名前や印字したい固有名詞に日本では使用頻度が少ない漢字が含まれていた。一度も使用したことがなかった四級漢字のサブプレートと、昨年神戸で最後の写植屋さんから頂いた中文(簡体字ではあるものの、ご所望の文字が収録されていた)のメインプレートが初めて役に立った。こうして台湾から見学に来られなければずっと写植室の片隅で眠っていたかも知れない。

亮月写植室のサブプレートケース

 サブプレートは先日全ての整理が終わったばかりで、どの文字盤がどこに入っているかを把握しているので、すぐに見付けることができた。写真は一部で、まだ暗室と SPICA を置いている台車にも沢山ある。検索は簡単だが取り出すのに一苦労。これ以上は改善できないと思うけど。

石井中明朝体・四級サブプレート

石井中明朝体の四級サブプレート
読みも意味も知らないような使用頻度が特に少ない漢字が収録されている。四級でも見付からなかった文字は作字するしかない。

簡体字石井太ゴシック体第1メインプレート

簡体字石井太ゴシック体第2メインプレート

中国簡体字石井太ゴシック体 PRC-BG-B
使用頻度の高い第1メインプレート(上)と使用頻度の低い第2メインプレート(下)に分かれ、更に頻度の低いものはサブプレート6枚に納められている。

 漢字に対応した文字盤を探し出したので、あとは所有する文字盤の範囲で好きな書体を指定していただいた。来訪者様は日本語の読み書きも完全にできるので、お好みの和文書体を選んでいただいた。

 指定原稿を作ったら、いざ写植機の前へ。
 文字盤の一寸ノ巾配列は漢字が読めない人でも採字がし易いと書籍で謳われているが、一寸ノ巾の配列のルールが複雑で分かりにくく、説明自体も非常に難しいため、文字を探し出すのに一苦労。筆者も文字探しを手伝って少しずつ印字作業は進んでいった。
 印字を始めてから約1時間半で印字作業が終わり、暗室で現像を行った。来訪者様のご希望で暗室に入っていただき、当室で初めて現像作業もご見学いただいた。1畳しかないため非常に狭くてすみませんでした。

 そして出来上がった写植は……

出来上がった写植の印画紙
(一部画像処理をしてあります)

 ゴナU石井太ゴシック体、ルリールB、イナミン、ゴナB+ゴカールBといった写研らしい書体がお好みとのこと。そしてやはり顔マーク「記号BA-90」もお好きだそうだ。台湾の漫画雑誌でもよく使われていたらしい。印字に「今でしょ(う)!!」がある辺り、本当に日本が好きで、最近の事もよくご存知なのだろう。
 日付は左付きの半角数字を使用しての印字キー半押し+「1/2 SH」(半角送りシャッター)キー押下という指がつりそうな難しい操作だが、折角なのでと果敢に挑戦し、見事印字に成功された!
 右下には小さく筆者のメッセージ。職業オペレータさんには全く敵わないが、私にも少しずつ一寸ノ巾の感覚が身に付いているのかあまり時間をかけずに採字できた。但し最後の最後、デステップの印字の際につめ組み用文字盤の字づら検出を切らなかったため、字づら検出相当の送りしか出来なかったという失敗をしてしまった。手動写植機の操作にはあらゆる面で気の緩みは許されない事を痛感した。調子に乗ると必ず痛い目を見るものなのだ。

SK-3RY用文字盤ケースと写研の紙袋

 SK-3RY 用の文字盤ケース。台車を付けて来客用のテーブル代わりに活躍してもらっている。文字盤ケースでお茶を頂いて写植談義をするなんて、なんという贅沢!(←私だけか。)
 文字盤ケースの上に載っているのは写研謹製の紙袋で写植機の部品が詰まっている。来訪者様曰く「肥料の袋みたい」(笑)。写研のロゴが大きく配置されているところが特に良い。

石井太丸ゴシック体・SK-3RY用文字盤

 文字盤ケースの中には約40〜50年経過したと思われる SK-3RY 用のスタンダード文字盤が納められているので、ライトボックスで照らしてご覧いただいた。台湾の博物館で静態展示されている写植機もこの形式の文字盤だそうだ。
 どのような大ネタ小ネタにも反応してくださる来訪者様。私に負けず劣らず、いや私以上に写植が好きなのかも知れない。他の国の印刷技術について、その国の人と対等に話ができるのは、深い知識と強い情熱がなければできない。写植ファンサイトを運営している筆者ですら写植を充分に分かっているとは言えないのに。

●国は違っても

 見学が終わると18時を廻っていた。ちょうど駅前の祭りで盆踊りが始まった頃。駅へお送りしがてら祭りの会場をご案内した。
 地元の祭りに行った記憶がこの10年では全くない。久々の会場は思っていたよりも多くの人達でごった返していて、狭い道に立ち並んだ出店辺りでは進むのも難しいくらいだった。ご来訪者様がお住まいの街には夜店が毎日出る地区があってやはりとても混むのだそうだ。花火の多くは台北で行われるらしいが、最近は各県を年ごとに巡回するものもあるとのこと。台湾の祭りはここのものよりも宗教色が強いのだそうだ。
 ご希望だった焼きそばも無事購入でき、盆踊りと花火を同時に楽しめて座れる場所を見付けたのでしばし鑑賞した。盆踊りの様子を動画に収めておられた。日本の夏を少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いである。そして筆者も、この日本に生まれてよかったと改めて思った。

 20時前、祭りの喧噪を後にし、帰る人がまだ少なく静かな駅前でお別れ。
 半日をご一緒させていただいて分かったのは、国が違っても想いは同じだということ。生きた写植が既に失われた台湾では、その想いは日本にいる私達よりもっと切実なものだと思う。今日交わした会話の一つ一つに深く共感できるものがあった。何気ない話までもがこれほど「通じる」とは。それは言葉の意味が解るということ以上に、気持ちが同じ方向を向いているということなのだ。それを特別に意識しなくとも、こうして楽しく時間を共にすることができたのは、本当に尊いことだ。
 名残惜しかった。来訪者様が遠くから来られたことを分かっていながらも、いつも国内から見学に来てくださった方に話すように「また遊びに来てくださいね!」と声を掛けた。「(今度来るとしたら)通訳で来ます!」と。余韻を残してのお別れとなった。筆者の背後にはスターマイン。遠くに聞こえる祭り囃子と花火の響きの中で。

 ご来訪いただいた台湾のB様、遙か遠くからお越しいただき、写植を通じて楽しい時間を過ごさせていただきまして本当にありがとうございました。心から感謝しております。

写植機、おやすみなさい

 今日も写植機たちの活躍に感謝。おやすみなさい……。

【完】


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