2012年
2012.12.9(日)
遅ればせながら、KKITT出版部さんの同人誌『写真植字の本(仮)』を購入しました。私が知る限り、写真植字のみを題材とした日本初の同人誌だと思います。
表紙がうちの PAVO-JV だ!
9月に取材にお越しいただき、その時撮影された手動写植機を掲載していただきました!
自分が写っている訳ではありませんが、普段使っている機械や部屋の様子が本になったのはちょっと照れくさいです。でもとても嬉しいです。大阪DTPの勉強部屋さんの MC-6 も掲載されています!
本誌は他に、写植屋さんに印字を依頼したという書体見本や文字盤リスト等、雉子捏造さん渾身の写植に関する図版やデータが満載です。
“写植本”(写植に関する同人誌)を一番読みたかったのは私だと思っています。本誌はパイロット版のような位置付けで、正式版を「2013年内の発行に向け、現在準備を進めています。」とのこと。とても楽しみです。亮月写植室は『写真植字の本』の制作を応援しております!
2012.12.8(土)
手動機のカタログや書体見本帳を大量に頂きました。
本当に手動機のカタログでしょうか……?
モリサワの「MC-6」と「MM」のカタログでした。1972年3月発行。手動機のカタログらしくない非常に洗練された表紙です。コーヒーポットの輪染みのようなものがありますが、第一級の貴重な資料であることには変わりありません。
MC-6 は「大阪DTPの勉強部屋」さん所有のもと1978年製のものが現存しますが、このカタログの写真はそれより旧く、本体を支えるのはスチールの事務机のようなものではなく無垢の木製机でした。
他、主にモリサワの手動機のカタログや書体見本帳を頂きました。MC-101 や同60、ROBO 等、主要な機種を網羅しています。
「ROBO V」のカタログから。モリサワ機のカタログの傾向としてデザインや写真に非常に力が入っていて、印刷物としても美しいと思います。メカニズムの解説が多いのもモリサワらしいです。
写研の「PAVO-K」のカタログもありました。カラーでその姿を見るのは初めてです。写研機として初めて送りが電子制御された機種で、印字キーやキーボード、電球が仕込まれた押しボタン、座標記憶、おそらく蛍光表示管によると思われる7セグメントデジタル数字による座標と残余字数の表示等、後のPAVO型の源流となる機能や装置が搭載されました。
カタログ表紙のロゴには金色の箔押しがされていて、最上位機種であることを訴求しています。解説も詳細で、自動禁則処理、ジャスティフィケーション(空印字)、フリーランニング、全角・半角・四分・十六分送りボタンがある等これまで不明だった機能があることが判りました。
手動写植機の歴史やそれぞれの機能を探るには、こうした当時の資料が必要です。モリサワ機については断片的にしか判らない状態でしたが、これでかなりの部分が明らかになりそうです。→写真植字機機種総覧〈モリサワ編〉
お譲りくださった東京のSさん、本当にありがとうございました!
2012.11.4(日)
土日とも見学のお客さんをお迎えするという亮月写植室の短い歴史で初めての“フル稼働”をした週末でした。
3日(土)は所属の写真サークルのメンバーが来てくれました。
午前中は市内の旧建築探訪で写真サークルらしい活動をしました。私にとっては見慣れた地元の風景ですが、メンバーは手動ポンプの井戸や人一人がやっと通れる路地、とても古い住宅など味のある風景を見付けてはシャッターを切っていました。私は各所の旧建築を案内するだけでしたが、皆の方がこの街の魅力的な箇所によく気付いていたようです。
道中写真を撮っていると通りがかりのお婆さんが挨拶して話しかけてくれたり、立ち寄った和菓子店の店主さんが親切に見所を詳しく教えてくださったりと、住んでいても知らなかったこの街の良さを知ることができました。よくあるぶらり旅の番組のようではなく、演出なしで偶然そのような場面に出会ったことに感動しました。
昼食後は亮月写植室の見学です。印刷に関係のある人は一人だけ、写植機を初めて見る人ばかりではありましたが、写真サークルだけあって写植機が大雑把に言って文字を撮るカメラであることをすぐ理解できたようです。
それぞれ自分の名前や好きな言葉、記号をQ数や変形も入れながら、わいわいと楽しみながら印字してもらうことができました。人気はパイナップル(BAの文字盤に入っているが青い見本帳には載っていないようだ?)と「記号BA-90」でした。
私達のサークルらしく、印字が終わったら楽器の合奏が始まるなどしてあっという間に日が暮れていきました。みんなありがとう!
*
4日(日)は人伝に当方を知ったという DTP に関係する方8名様に2班に分けてお越しいただきました! 中には近い所にお住まいの方もいらっしゃり非常に驚きました。写植オペレータだった方もいらっしゃり、より現場に近い写植の姿に私も感動しました。写植の話が通じるって……嬉しいです……(涙)。
生業で文字に関わられている方をお迎えするのは、いち写植ファンという立場でしかない私としては緊張しますが、写植は口頭で説明するのが難しいので実際に印字していただくのが一番です。Mac で簡単に文字を打てる現在から見ると手動写植機で採字するだけでも非常に大変で、写植オペレータがどのようなものだったかを感じていただけたと思います。
不思議なもので自分の名前を交替で印字していただくうちに「一寸ノ巾」の配列が何となく分かるようになってきて、「『ノ』にある!」「それは『土曜日』ですよ」と配列表を見ながらの協力体制が出来上がっていました。すごい!
実は昨晩現像液と定着液を交換したので、最高の状態の写植文字をお持ち帰りいただけました。出来上がった写植の滑らかで黒々とした文字を皆さんがじっと観察されていて印象に残りました。夕べお風呂に入りながらパピトールの粉を溶いて現像液を作った甲斐がありました。
現像液交換後の黒々とした印字テストと今回改製した『見学のしおり』
少しでも多くの方に「生きた写植」を知って頂きたいと思っていますので、今日のご来訪はとても嬉しかったです。このような小さなサイトを見付けてくださり、写植に興味を持っていただきありがとうございました!
2012.10.3(水)
文字盤の把握を進めていると、時折珍しいものに出会います。
通常のサブプレートのように見えますが……
文字盤のガラス部分を取り外すことができるのです!
SK-3RY 用のスタンダード文字盤を PAVO・SPICA 用のサブプレートの枠に嵌め込んで使用する為のアタッチメントなのです。写研がかつてスタンダード文字盤をサブプレートに改造するサービスを行っていたという記事を文献で読んだことがありますが、このアタッチメントが写研純正のものかは分かりません。
入手した当初は写真のように YEG-L-18(新聞特太ゴシック体・拗促音)が嵌められていました。新聞向け書体のため拗促音が小さく、4倍と6.5倍の約物が収録されています。YEG-L は1977年に一般印刷向けとして改訂された YSEG-L へと置き換えられてしまった為、この文字盤自体も貴重だと思います。
ということは、手持ちのスタンダード文字盤で印字ができるということです。
早速嵌め込んでみました。
「改定教体」のNo.6 です。片仮名と二級漢字が収録されています。全ての書体にコードが割り当てられたのは1965年のことで(『写研』No.6 で確認)、この文字盤は非常に古い時期に製造されたと思われ、経年劣化のためガラスの内部は黄色く変色しひび割れています。
実際にこの文字盤で印字してみました。
(画像をクリックすると拡大します。濃度はレタッチ済)
何とか印字できましたが、スタンダード文字盤特有の位置合わせ問題が解消できず文字が欠けています。先述のように文字盤内部が黄色くひび割れたような状態なので濃度は薄く、文字もひび割れたように印字されました。おそらくこの文字盤は30年以上振りに印画紙へ姿を残したと思われますが、実用には厳しい品質でした。
こちらは文字盤の名称すら不明の欧文文字盤。自動プロポーショナル送りに対応していない写植機用のRタイプ欧文です。
モリサワ用のサブプレートもありました。
ギリシャゴシックメジュウム(RGK9[189])です。自動プロポーショナル送りを実現するため写植機に装着する「検出板」付きでした。モリサワのE欧文の文字盤は書体毎に送りem数の配列がまちまちで、それぞれに検出板が附属していたようです。
新たな発見もありました。
歴代の「郵便記号」文字盤(SM-B、SM-C、SM-D)を並べてみました。
SM-B は1968年7月1日に実施された郵便番号制度に合わせて発売された文字盤です。顔郵便マーク「?」(←うまく表示できないかも)もこの時誕生。
その後1989年4月の消費税導入とともに変更された官製はがきの様式に則った SM-C を発売、下2桁の枠も上3桁と同じ大きさになりました。文字盤では使える数字書体が変わり、 OCR-B が追加されました。○に〒マークが引退。
1997年8月1日告示、1998年2月2日実施の7桁郵便番号に対応した SM-D は枠の書式が大きく変わり、7桁化に因んだ新キャラ「ポストン」が文字盤にも登場しました。(個人的には旧来の顔郵便マークの方が好きで、今でも愛用しています。SM-B の味のある数字書体も素敵!)
手持ちの SM-B は製造年月不明で丸C表記は1968年、SM-C は1989年8月製で丸C表記も同年、SM-D は1997年12月製で丸C表記も同年でした。
つまり、写研は少なくとも1997年までは新たな文字盤の開発を行っていたと言うことができます。1990年代終盤も葉書のような端物ではまだ手動写植の需要がありましたが、電算写植に舵を切り終えたと思っていた写研が手動機ユーザーにきちんと対応していたことに頭が下がる思いでした。
最後は幾ら調べても全く分からなかった文字盤です。
文字盤コードは「ZA」。おそらく学参用の記号を纏めたものだと思いますが、手持ちの文字盤見本帳の1971年版にも1992年版にも載っておらず、どのような名称なのか判りませんでした。側面に通常貼られている文字盤名はシールではなく、初期の PAVO 用特有の黒いダイモなので相当古いと思いますが、当時の文献を繰ってもこの文字盤は見当たりませんでした。
昨晩印字してみました。色々と気になる記号があります……。
辞典に使いそうな記号です。「同意」の「意」の字が現代のゴシック体と異なる処理で、この文字盤が古いことを物語っています。
「善=生」「悪=死」でそれぞれ一文字分。これは一体……? じっと見ていると段々怖くなってきます。
そして本命は、これです。
石井太ゴシック体が1960年に改正される前の旧「太ゴシック体」の平仮名の字形がこんな所に遺っていました!「は」「に」「ほ」の1画目のはねは尖り、「と」の1画目は突き出ていて、「り」は一筆書きです。こんな鮮明な状態で見るのは初めてです。特に「と」。ずっと探していました。
現行の石井太ゴシック体に無理矢理混植してみました。上が石井太ゴシック体+同つめ組み用文字盤(印字後無調整)、下はそれを一部旧太ゴシック体に置き換えたものです。
「と」「り」「い」だけなので旧太ゴシック体を満喫とはいきませんが、洗練されすぎない素朴さが感じられます。スタンダード文字盤しか存在しないと思いますが、一度ぜひ使ってみたいです。やっぱり「と」がいいなぁ。
以前も使ったこの文言、あらゆる em/16 の幅を持つ仮名を満遍なく印字でき、書体を見分けるのに必要な文字種を大方押さえていて、拗促音、濁点、句読点も網羅しているのでつめ組み用文字盤の詰め具合をテストするには最適なのです。ふざけている訳じゃありませんよ!(笑)
いずれにしましても、貴重な文字盤をくださった皆様、本当にありがとうございました!
2012.9.22(土)
昨年取材させいていただいた神戸で最後の写植屋さん(DTP へ転向済)から荷物が届きました。
会社で使っていた全ての文字盤と、愛機だった PAVO-KY から取り外したマガジンや部品、資料が段ボール箱18個口で届きました。四畳半の写植室はたちまち満杯になってしまいました。
このままでは印字もままならないので、開封してなるべく纏めることにしました。
メインプレートから手を着けたのですが、非常に貴重な文字盤も幾つかあり、思わず「おおーっ」と声が出てしまいました。
これは数式組みメインプレート MA-B です。1996年3月製。数式に対応できるよう購入したそうですが、あまり出番はなかったようで、外箱付きのほぼ新品の状態でした。
こちらは中国簡体字石井細明朝体第2メインプレート。SK-3RY 用の「SKメイン」の文字盤のように269文字毎にグループになったものが集合しています。こちらも出番はあまりなかったようで、1985年7月製とは思えないような真新しい状態です。
文字盤はメインプレートだけで88枚、サブプレートは未開封ですが9箱分あり、数百枚はあると思われます。早く中身を集計して重複したものを何とかしなければ。
ほか、写植に関する大量の資料や部品等も一通り開封して整理しました。
中でも有難いと思ったのは……
PAVO は写真のように座席附近が奥へ引っ込んでいるのですが、この部分に文字盤等を仮置きできるトレイを頂きました。
PAVO 本体は茶色い外装パネルがネジ止めされているのですが、このネジ穴をうまく利用してトレイを嵌め込むことができるのです。取材時にそれを見付け、解体の際にはぜひ譲って頂きたいとお願いしてありました。
こんな感じに凹みにぴったり収まり、色も本体と同じで元々そうであったかのような一体感です。
文字盤や画引き索引帳、電卓や筆記用具のような比較的軽いものを手許に置いておくことができるようになりました。
写植機を実用していると頻繁にサブプレートを交換する機会が結構あり、その度に引き出しにしまったり本体の平らな所に置いたりして不便と危険を感じていたのですが、これで完全に解消しました。
21日の修理と相俟って更に使い易い写植機になりました。亮月写植室が行っているのは動態保存ではなく印字の為の実用ですのでただ動いていればいいのではなく、快適に使えることも非常に重要だと思っています。
これで荷物は3分の1に小さくなり、残るはサブプレートの山となりました。印字ができる空間はできましたが暗室に入る為には段ボール箱を移動させなければなりません。できるだけ早く所有している全ての文字盤の台帳を作り、重複しているものを「文字盤プレゼント」企画なりでお裾分けしたいところです。
神戸の写植の火を受け継がせていただいたというつもりで今後も活動していきたいと思います。大量にお譲り頂きありがとうございました!
2012.9.21(金)
再起不能となった SPICA-AH と並行して、PAVO-JV の不調についても原因と解消方法をご教示いただき順次取り組んでいたのですが、この度 PAVO-JV の自力での修理に成功しました! ばんざい!
一言で言えば設定記憶用 RAM のバッテリーバックアップの復旧で、作業としては蓄電池を交換するだけでしたが、自ら写植機のカバーを開けて配線を切り、部品を交換するのは踏み込んではいけない領域に入るようで不安でした。
しかしながら機械というものは理屈が分かっていればそれほどおそろしいものではなく、丁寧な説明と指示を頂いた上で的確な作業に取り組むことができました。
写植室に本機が据え付けられて以来の問題で、電源を投入する度に「ピコピコ」とエラー音を発して不調を訴えているのに何もしてやれないのが何だか不憫でしたが、これで安心して実用していけます。
他の電子制御式の PAVO にも有効な対処方法ですので、同じ症状でお困りの方の為に「写植レポート」にミニレポとして掲載しました。よろしければ参考にご覧くださいませ。
→ミニレポ・PAVO-JV バッテリー交換
2012.9.9(日)
朝から昼過ぎにかけ、見学にお越しいただきました。
写植に並ならぬ想いをお持ちの方で、以前から資料や文字盤のご提供を頂いてきたのですが、管理人と同じように仕事以外の目的で手動機を自宅に導入して自家印字をされてきたとのことでした! そういう方には初めてお目にかかりました。自分だけじゃなかったと分かりとても嬉しかったです。
1999年に手動機による自家印字を開始し、電算の入力機も導入して出力センターに通われていたなど管理人の何歩も先を行っていらっしゃいましたが、残念ながら昨年の故障を以て自家印字から引退されたとのこと。まるで自分の未来を見ているかのようでした。私も頑張らなければ! ふんす!(鼻息)
という訳で写植室では手動機3台の見学や資料の閲覧をじっくりしていただきました。印字も慣れた手つきでされ、四つ切りの印画紙2枚がすぐに一杯になりました。
お薦めの写植関連本や写植機の細かな操作のこと、デステップ文字盤の使い方、版下作業のこと等、普段の見学よりも踏み込んだお話を伺うことができました。貴重な資料も沢山頂戴しました♪
お互いが写植好きだと分かっているだけあって二人とも夢中になっていたようで、朝からお越しいただいたにも拘らずあっという間に正午を迎え、予定の時刻を大きく超えてご滞在いただきました。
私と同じく写真と旧建築が好きとのことだったので、帰りがけには私の住む街の古い建物にあちこち寄って鑑賞しました。
時間が幾らあっても足りないほど楽しくて濃い時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。ぜひまたお越しくださいませ。
2012.9.7(金)
SPICA-AH が再起不能であれば、残る2台でどうするかを考えなければなりません。
とはいえ、実用印字の殆どは PAVO-JV で行っているので今まで通りということになりますが、本機も電子制御ゆえいつ使用できなくなるか判りません。なるべく稼働させつつ、デジタル化されていない手動機専用書体を中心に印字して残しておこうと思います。
以前大量に頂いた未開封の印画紙の試し印字がてら貴重と思われる書体を打ってみました。
カナモジカイのミキイサム氏が手掛けた「アラタ」「ホシ」「アラタフトジ」です。文字盤コードは KA。写研初の仮名書体でした。発売年は諸説ありますが、1965年の見本帳に掲載されているのでそれ以前だと推測されます。SK-3RY の現役時代には既にあった仮名書体! ぐっと来る!
頂いた印画紙は三菱の「写植印画紙 PTS-MR75」で既に廃番です。原因不明の光線被りが盛大に発生しました。印字品質そのものは非常に良好で黒々としています。
普段使用している「富士写植ペーパー」と同様の条件で現像したら、デステップが9段階まで視認できるほど露光していました。富士の場合、現像液に浸す時間は2分間。液温は20度が適温ですが夏場はやむなく室温の30度前後で行っています。10〜20秒ほどで印画紙に文字が現れます。
このことから、今回使用した三菱の印画紙は非常に高感度だと分かりました。暗室のセーフライトの光量を下げ、現像時間を半分ぐらいにしてみたら光線被りも発生しないかもしれません。
「アラタ」は横画のラインを揃え幾何学的且つゆったりとした曲線を描くことで、欧文のように分かち書きをする時の文節毎の「語形」を作りやすいようになっています。エレメントには起筆や脈絡も感じられ、いかにも昭和レトロといった趣です。「ホシ」はアラタの丸ゴシック版で、一昔前の官公庁等から送られてくる郵便の宛名にこの書体が使われていました。
これらの書体は全角よりも横幅が狭く左付きで文字盤に配置されているので、送り量を調整する必要があります。20/32em送りでは詰め過ぎ、24/32em送りではややゆったりしているので、22/32em送り辺りが最適でしょうか。なお、写研が推奨する送り量に関する資料は見付かっていません。
ホシをナールDと混植。霞のかかった「☆」は記号SA-4-67。平成生まれの新しい記号です。
こうして見ると、レトロというよりも寧ろ最近のデザイン感覚に近いような気がするのですが、いかがでしょうか。
SPICA-AH は身を以て現在に於ける写真植字システムの危うさを教えてくれました。写真植字機に大きく依存する技術ですので、機械が修理不能になった時点が写真植字の終わりです。安定してそこにある書体やフォントとは違って写真植字はその瓦解を待ってくれません。「その日」が来るまでにできる限りのことをしておかなければなりません。
私には写真植字の知識や感覚がまだまだ全く足りていないので、どんなに泥臭くても実機や物品に悪戦苦闘することが最高の研究材料です。「暇があったら写植機に向かう」というつもりで取り組んでいきたいです。
2012.9.6(木)
SPICA-AH が故障した件についてです。
昨日の一部始終を写研の方に報告しました。
写研でもこれ以上は手の施しようがないとのこと、SPICA-AH の再起不能が確定しました……。
尋ねてみると写植全盛期にも本機のマザーボードの不調はよくあったそうで、当時はマザーボードの交換で対応していたとのことでした。現在は勿論在庫はないそうですが、廃棄される写植機の部品を取っておくことはあるようです。
とても残念ですが、写研自ら判断を下していただけたので諦めがつきました。
そうなると主力で使っている PAVO-JV のことが心配なので、今確認できている不調について尋ねてみました。
・電源を入れると原点検出の動作をして印字位置が一旦原点に置かれるのですが、すぐに右下の隅(座標の最大値)まで勝手に移動し、「ピコピコ」というエラー音を発する。
・電源を切る度に記憶させた座標の位置を忘れる。
・電源を切る度に字づら検出の設定が出鱈目になる。
これらについてはすぐに原因を特定いただきました。
4V の Ni-Cd 電池が RAM の記憶保持に使われていて、それが劣化しているとのことでした。電池は汎用品なので半田ごてが使えれば交換できるそうです!
このことについては追ってレポートしたいと思います。
これが解決しても残る不調は、
・ヴィジュアルディスプレイに何も表示されない(CRT の寿命で多分修理不能)
・JQレンズが使用できない(ヴィジュアルディスプレイに連動している? ので使えない?)
・寒いと点示器が点示しない(経年劣化で止むを得ない?)
・拭けるレンズと鏡を全て拭いても、印字した文字に小さな白点が入る(拭けない光学系がある?)
といったところです。
実用上致命的ではありませんが、何とかできるものならしたいです。こちらも併せて尋ねてみようと思います。
……こうなると案外、最後まで生き残る手動写植機は機械式の SPICA-QD かもしれません……。写植室の本機は1972年製、とうとう40年を経過しましたが快調に動作しています。
1986年に製造されてあるお店で十数年活躍し、写植室に導入して僅か半年で天寿を全うした SPICA-AH。実は3月3日の試し印字を最後に印字に使ったことはありませんでしたので非常に無念です。26年間お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください。合掌。
2012.9.5(水)
SPICA-AH が故障した件についてです。
その後写研の方と連絡を取ることができました。
私が報告した症状から推測するに、原因は内蔵マイコンのマザーボードが腐蝕したことにより誤動作しているのではないかとのことでした。こうなると「修理は不可能」とのこと。
但し、経験上このマザーボードのソケットが接触不良を起こして悪さをしていることがあるそうなので、最後の手段として本体を開けてマイコン基板を引き抜き、その接点をアルコールで磨くことをご指示いただきました。
キーボードの下にあるマイコン基板
マザーボードとマイコン基板を接続する端子
因みに管理人が当初原因と見ていたキャビネット内の回路は殆どが電源ユニットとフラッシュの発光回路とのことで、これが原因となる例は極めて少ないとのことでした。
マイコン基板・表
マイコン基板・裏
確かに引き抜いたマイコン基板には埃や虫の屍骸があるなど厳しい状態で、接点には緑青のようなものが噴いていました。ブロアーで埃等を落とし、接点を磨き上げました。
マイコン基板には日立の集積回路も見られます(中央下)
「CPU I/O SHA-KEN 部品面」
端子には緑青のような汚れが……
アルコールで磨くと綺麗になりました
結果……表示パネルには若干変化が見られましたが、復旧しませんでした。デジタル数字が消灯、キー入力は一切受け付けなくなりました。
このことを写研の方に報告し、再度指示を仰ぐ予定です。
復旧の見込みは限りなくゼロに近いですが、その宣告を聞くまでは、取材と後学の為という意味も込めてできる限りのことはするつもりです。
2012.9.2(日)
昨日の見学の熱気冷めやらぬ写植室、後片付けと写植機の手入れをしました。
点検のため再度写植機の電源を投入したところ、大変なことが判りました。
SPICA-AH が正しく動作しないのです。
電源を投入すると印字位置が自動的に機械原点へ移動するのですが、原点の検出に失敗しているのか原点から縦のマイナス方向に移動しようとし、歯車が滑るような異音を発したままになります。
そうでない場合もありますが、特定のボタンが操作を受け付けなかったり座標のデジタル数字が印画紙の大きさよりも大きかったりしており、印字キーを押し下げると文字枠固定はするのですが印字はできずエラー音が鳴ります。送りIや1/2、1/16、1H送りも操作不可、フリーランだけが辛うじて反応するという状態です。数字キーは入力音がするのですが、表示されているデジタル数字は出鱈目で受け付けているのかよく判りません。
このような場合、唯一ユーザーで対応できるのがヒューズの交換です。しかし全てのヒューズを新品に交換しても症状は治まりませんでした。写植機本体の各機構は昨日まできびきびと動作していたので特に異常はないと思いますが、何らかの原因で制御部のどこかに異常が発生したものと思われます。メカではなく回路の異常という意味です。
見学前の点検でも以前から見られた字づら検出のできない箇所があり、2箇所から3箇所に増えて不穏な動きを見せていましたが、見学での動作をやり遂げた後に故障してしまったようです。
SPICA 型の最終機種でありレンズと字づら検出板の選択以外は電子制御され、制御部のキャビネットには複雑な基盤がひしめき合っています。素人の管理人が手を出せるようなものではありません。
非常に困りました。何とかして修理できる方、もしくは回路図のように修理の手掛かりとなるものを探さなくては。
このようなネットの辺境から訴えかけても仕方がないかも知れませんが、手掛かりをお持ちの方、ぜひ情報をお寄せいただけましたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
2012.9.1(土)
遠方から見学にお越しくださいました! 写植機が3機態勢になってから初めてのお客様です。
KKITTの雉子捏造さんとシロウトデザインワークスのぶなさん。ありがとうございます!
午前のうちに到着され、写真植字機3機の観察と撮影、資料の閲覧、そして PAVO-JV による印字もありで日没近くまで滞在いただきました。暑い日が予想されましたが、途中強い通り雨が降るなどして涼しく過ごすことができました。
お二人のお話や見学される姿に熱い思いを感じ、とても心強く思いました。「ここにしかないものがあるから来ました」とのぐっと来るお言葉を頂き嬉しかったです。
ぶなさんが入手された写植関連の資料を拝見しました。
モリサワの古い見本帳や書体のパンフレット、写真植字機研究所による『写真植字機のすすめ』など、非常に貴重な印刷物です。
その中の『写真植字』というモリサワが1964年頃発行した書体見本(写真中央下)に、興味深いものがありました。
太ゴシック体に注目していただきたいのですが、「ら」の点が細く、「り」の1画目がかなり下の方まで伸びています。「満」の字体も現在一般的に使用されているものと異なります。
「太ゴシック体B1」と明らかに異なる箇所があり、初期のこの書体が印字されたものなのか、あるいは印字されたものが確認できていない「中ゴシック体BB1」なのか、非常に興味をそそられます。
写植機ので印字では、ねつぞぉさんは一寸ノ巾の心得があるだけあってスムーズな採字と操作をされていて、その背中はまるで現役のオペレータのようで素敵でした。写植機は印字する過程に機械が動いているのが実感でき、メカ的な面白さがあるのも魅力だと思います。
※撮影したものを補正したため歪みがあります
秀英明朝(SHM)のつめ組み用文字盤併用による印字。ねつぞぉさんの詰め印字では起こしの括弧の次の文字が離れてしまいおかしいなと思っていたのですが、私の印字でも読点がベタ送りになっていました。どうやら文字盤の 8/16em の位置だけ何らかの原因で検出できていないようです。SPICA-AH と同じように字づら検出機構のどこかが不調なのかもしれません。点検修理できる方を早く見付けなければ……!
7時間超のご滞在でしたがあっという間に過ぎていき、私もとても楽しかったです。ねつぞぉさん、ぶなさん、ありがとうございました! そして行き帰りの道中本当にお疲れ様でした。
写植機も再び眠りに就きます。今日の活躍に感謝。
2012.7.17(火)
文字盤用の棚のニスが乾いたので、洗浄しておいた SK-3RY 用の文字盤を収納しました。
14日に写植室へ持ち込んだ直後は汚れまみれでボロボロだった事を思うと見違えるほど綺麗になり、息を吹き返したような感があります。
残存していた書体名のラベルも白さを取り戻し、見やすくなりました。
ピカピカになった文字盤と飴色のニス塗りが修復された棚。「ふえぇ……」などと声を挙げ悲惨な状況に苦しみながら作業した甲斐がありました。
写植室は四畳半で非常に狭く、PAVO-JVの周囲の隙間も収納として活用しています。隙間に置きっぱなしでは活用するのが大変ですし点検や掃除の際に支障になるので、物の下に台車を敷いて移動しやすくしてあります。サブプレートを大量に納めたボックスが文字盤600枚分ぐらい。すごく重いので、台車がないと声を挙げて持ち上げることになります。今回の文字盤の棚も例外ではありません。奥の物を取る為に常時移動できる状態にしておかなければなりません。
重ねた棚と台車の寸法が PAVO-JV の横の隙間と本体の袖の高さにぴったりで、文字枠の移動の邪魔になりません。偶然こうなりましたが、気持ちがいいほど上手く嵌まりました。この寸法の台車は100kgに耐えるものしか選択肢がなかったので、棚に対してかなり武骨ですが仕方ありません。本来業務の中で重い物の下に入れて運ぶ為の物なので傷ついてもいいように生木の色のままです。暇な時に藍鼠を塗ってみましょうか。
2012.7.16(月祝)
一昨日頂いた文字盤をこの連休で全て洗浄し終え、資料として観察できるようになりました。
これは石井横太明朝体(当時の呼称は「横太太明朝体」)のスタンダード文字盤No.1です。
このように書体名と文字盤ナンバーが記載されています。丸C表記は’59年です。
一方、拗促音や記号が収録されたNo.18は……
書体コード「YM」と文字盤ナンバーが記載されています。丸C表記は’66年です。
このように、SK-3RY 用の文字盤はある書体として同じ中枠に納められていても制作時期がまちまちで、仮名の大小や品質改良、配列変更のあったものだけ差し替えて納めるようなことがあった模様です。
ちなみに書体コードが初めて見本帳に掲載されたのは1965年のことです。そうすると今回頂いた文字盤はその端境期に購入された可能性があります。50年近く前の文字盤が現存するなんて……改めて深く感動しました。
石井教科書体の文字盤には「改定教体」という名称が記載されています。丸C表記は’59年で、今回入手したスタンダード文字盤ではどの書体もこの年が一番古い年式でした。改定教体とは? 1959年に何があった? など、謎は深まるばかりです。
*
文字盤が綺麗になったところで、附属している棚2台も復元することにしました。前所有者様によると純然たる文字盤用の棚らしいです。写研謹製!?
しかし埃や各種汚れまみれでとても黴臭く、そのままでは絶対に使いたくない状態だったのでこれも丸洗いし、2日に亘って天日干ししました。
そのうちの1台は飴色のニスが傷つきボロボロになっていて可哀想だったので塗り直しました。
ラワン合板製の普通の棚ですが昔の日本製らしくしっかり造ってあり、傷ついたり壊れたりしても簡単に手当てできるので、ニスと刷毛代数百円+家にある接着剤だけで復元しました。今国産で同じようなものを買うときっと高いだろうなぁ。
捨ててカラーボックスのような今様のもので代用するよりも、維持管理がしやすいこちらの方が長く使えるし、機能=デザインで断然美しいです。こういうものは古びないし、現代の什器のように経年劣化して見窄らしくなることもありません。むしろ時間を帯びた物としての味わいが増してきます。
作業はこんな感じで。入口のドアを全開にすると気持ちいい風が入ってきました。
もう1台はペンキが施されています。藍鼠(あいねず)の色合いがとっても素敵!
こちらも塗装の傷やひび割れがありますが、実に良い色調ですし全部剥がして塗り直すのは大事(おおごと)になってしまうので当面はそのまま使うことにしました。
飴色の棚のニスが乾くのが楽しみです! 何十年か振りに甦る SK-3RY 用文字盤の佇まい……懐古は私の主義ではないのですが、ちょっとそういう薫りも味わってみたいです。
2012.7.14(土)
4年前に取材させていただいた方から「引越すことになり、社屋の物を処分することになりましたが写植に関する物はいりませんか?」と連絡を頂き、今日伺ってきました。
普段遠方へは殆ど鉄道で出掛けるのですが、大荷物になることが予想されたので車で片道2時間ほどの道のりを向かいました。
写植の全盛期に建てられた社屋はその頃の活気があり豊かな雰囲気を内装の造作に残しつつも、あらゆる物品や機材が放置され、夢の跡のような有様でした。
その一番奥に PAVO-KVB が忘れ去られたように鎮座しているのです。
4年前と変わらず厚く埃を被った哀れな写植機。KVB の再起はとうとう叶わずとも、文字盤など関係する物だけでも……と思い4年振りにご連絡をくださったようです。
KVB には文字盤が装着されたままで、電源スイッチを投入しても動作しませんでした。文字盤は埃と煙草のヤニで文字枠に固着し、二人で引き剥がすように取り外しました。引き出しにしまわれていた文字盤は昨日も使われていたかのように綺麗でほっとしました。
引き取ったのは車のトランク1杯分。長い時間運転してきた甲斐がありました。
汗だくになってまで対応してくださった社長のH様、本当にありがとうございました! そして間もなく解体される PAVO-KVB に合掌。
*
頂いた物の大半は文字盤でしたが、かなりの出色でした。
仮名の大小が未整備だった頃の中ゴシック体(MG)や太ゴシック体(BG)、そして細ゴシック体(LG)! LG は後年になって LG-KS と呼称され、仮名が戦前の制作当時の素朴で味のある趣を持っているものです。文献を繰れば写研自らその書体の効果に疑問を抱き、後年 LG-KL、LG-N と矢継ぎ早に改良してしまったほどなのでメインプレートとしての販売数は少ないと考えられ、入手は困難だと思います。
更に驚いたのは、これです。
棚にしまわれている黒い物を引き出すと……
これ、SK-3RY 用の文字盤なんですよ。すごいと思いません!?
このようなものが今までよく遺っていました! 所有者様も存在を忘れていたそうですが、それでもこれだけ大量に現役当時の状態のまま遺されていたのは奇蹟的です。
PAVO・SPICA用とは異なり、サブプレート大の「スタンダード文字盤」を「中枠」と呼ばれる文字枠に15枚装着し、書体毎に一度に文字盤を交換する「中枠交換方式」です。こうやって説明しても誰も価値を分かってくれないという写植ファンの遣る瀬なさ!(笑)
書体は細・太・横太明朝体、細・中・太・特太ゴシック体、細・中・太丸ゴシック体、細教科書体、教科書体、そして……な、ナールD!? 3RY の販売期間から考えればナールDのスタンダード文字盤が存在してもおかしくないですし文献にも文字盤の発売が謳われていますが、この13枚のラインナップの中で異彩を放っています。
棚から引き出してみました。
ふえぇ……触りたくないよぉ……。
覚悟を決めて、洗うことにしました! KVB に装着したままだった文字盤も相当なものなので、一緒に丸洗いしてしまいましょう!
お風呂に入ってもらいました(笑)。枠は鉄なので水につけるのはまずいような気がしましたが、こうでもしないと汚れが取れなそうだったので。
更についでに、石井太丸ゴシック体にも入浴してもらいました。ガラスが光沢を失うほど汚れが堆積しています。
書体コードや「石井」が記載されていないことと PAVO-KVB の発売時期から推定して、製造から40年超、使われなくなってから30年ぐらいといったところでしょうか。
浴槽用の洗剤で丹念に磨き上げると、驚くほどピカピカになりました! 文字盤もまさか洗われて再度光沢を取り戻すとは思っていなかったことでしょう。
ナールDの文字盤は比較的新しいからか、新品同様に甦りました。
(一部を撮影)
この文字盤は中央の使用頻度が高い9枚分が1枚のガラスになっています。写研では「SKメイン」と呼称していました。SKメインと左下1枚を除くスタンダード文字盤は接着され、従来の中枠のようにユーザーによる文字盤の位置の調整をしなくて済むようになっています。
因みに脱着可能なスタンダード文字盤は、
枠がなくガラス板に書体のフィルムが挟まれている状態で、周囲は黒い紙を糊付けして文字枠への装着位置を微調整していました。
今回洗浄したのはナールDと石井太丸ゴシック体だけで残る11枚はまだ涙が出るほど汚い状態です。装着できる写植機がないので使うことはできませんが、いつご覧いただいてもいいように、この休みにできるだけ綺麗にしてしまいたいと思います。
ともかくも非常に貴重なものをお譲り頂き、ありがとうございました!
2012.7.4(水)
宿題になっていた例の件を完結させました。
→2012.6.10(きっかけ) →2012.6.16(写植機で組み打ち)
管理人による写真植字の印画紙で再現
(画像クリックで拡大)
『太陽曰く燃えよカオス』ジャケット裏面から引用
(C)逢空万太・ソフトバンク クリエイティブ・名状しがたい製作委員会のようなもの
管理人の写植の印字を基に再現したものは印字の位置を一切修整していませんので、オペレーションのまずさがよく判ります。手持ちの PAVO-JV はJQレンズが使えないので中間Q数が出ず、「太陽曰く〜」の文字が若干大きくなっています。角丸数字の背景色透過は諦めました(笑)。
こうして見ると、ゴナで組んだからといって世に言われるように印刷物の印象が全く“古臭く”なっていないし、今様のデザインの紙面にゴナが使ってあっても違和感のあるものではありません。新ゴの方が相応しい事には変わりありませんが。
『ニャル子さん』で実証したかったのは、写研の書体を“古臭い”と感じるのは単なるノスタルジーの裏返しであり、現在のデザイン手法にそれらの書体を導入しても書体そのものから懐古的な印象は喚起されない、ということです。「最近使われていないから古臭く感じる」のは書体そのものを観察していないから言えることなのです。
書体そのものの印象を語るについて、タイプフェイスデザインと書体の使用頻度は分けて考えなければならないと思います。ごっちゃにするから「写研の書体は古臭い」などと言ってしまうのです。自動車のモデルチェンジと同じで、新しいことや旧いことによって美しさや受ける印象が規定されるものではありません。
2012.6.16(土)
今日の予定がキャンセルになったので、写植機でやってみたかったことに挑戦しました。
1枚の印画紙を切り貼りなしでレイアウトの指定通り印字する“組み打ち”です。今迄は単語や短い文章などの“バラ打ち”ばかりだったので、纏まった時間が取れる日を待っていたのです。丁度打ってみたい題材もあったので決行しました。
昼食後に開始。NHK-FM で「今日は一日“アニソン”三昧Z」が放送中なのでそれを BGM にしました。33年前のラジカセ「SONY CFS-V1」にごく久し振りにご出勤戴きました。同じ年に発売された「PAVO-JV」の隣にあるとなかなかいい雰囲気です。
印字の題材にしたのは……
「亮月だより」の投函で取り上げた、あの曲です。
「ゴナで組んでみたものも見てみたい」と思っているものの、お金を払ってまで依頼するのもどうかと思ったので自分で組み打ちしてみることにしたのです。
CDジャケットの裏のデザインが程良く複雑で、良い練習になりそうでした。
*
前もって現物を採寸し、Illustrator で指定を作っておきました。手動写植機での印字は位置の情報と送り歯数が命なので、座標もできるだけ細かく記入しておきます。
(画像クリックで別窓に拡大表示します)
この指定を見ながら写植機を操作していきます。
まずは罫線から。座標記憶機能を活用しながらスポット罫線を引きます。
PAVO-JV には0〜7番地の記憶が3ページ分あります。このうちの0番地と任意の番地(今回は1番地)に罫線の始点と終点の座標を書き込んでおいて、スポット罫線を引く際にこの二つの番地を使います。
書込/読出スイッチを書込側に倒しておいて番地のスイッチを押し下げると「ピョ」と音がして現在位置の座標が書き込まれます。0番地と1番地に座標を書き込んだら読出側にスイッチを戻し、座標を参照させるため各番地のスイッチを上に倒しておきます。
あとはけい線スイッチをONにし、20Qの主レンズを選択、スポット罫線用の文字盤上で印字キーを押下すれば罫線が引けます。
0番地は原点に設定されているので、0番地の座標を変更すれば1〜7番地の座標も相対的に変更されるようになっています。始点終点を逐一記憶させるよりも大分楽ですが、それでも書込/読出スイッチや0番地のスイッチを頻繁にパタパタと倒したり押し下げたりしなければなりません。
そこだけ見ていると熟練したオペレータのようで悦に入ってしまいそうですが、決してそうはいきません。一度でも失敗したら最初からやり直し……なのです。番地の座標値や送り歯数をぼそぼそと口に出しながら間違いのないように操作していきます。
スポット罫線を引くだけで1時間半かかってしまいました。BGM にしていた「アニソン三昧」で「放課後ティータイム」の曲がかかったので甘いものが食べたくなり、お茶の時間と相成りました。
*
引き続き文字打ちに入ります。
和文書体は全てゴナMで、欧文は従属のE74-14、「CD」「DVD」は見た目の印象が近いE102-32(ユニバース67・デミボールド・コンデンス)にしました。四角入り数字は手持ちの文字盤が限られているので、角丸タイプ・ゴシック体数字のFP-4-323に甘んじました。「曰」が三級漢字で、ゴナMの該当するサブプレートが自室の奥深くにしまい込まれていたので泣きを見ました。
指定通りに打てばいいので、送りの設定さえきちんとしておけば印字位置に関してはそんなに大変ではありません。「太陽曰く〜」の80Qの文字は縦横とも送り約86Hなので、縦横の「送りI」キーに86をセットし表示単位スイッチを「H」に。横の「送りII」キーには欧文スペースのため3(×1/16em)をセットしました。
PAVO-JV の印字キー(左)とボタン操作パネル
ボタン操作パネル
写真左側から、送りI、1/2、1/16、送りII、フリーラン。上が縦用、下が横用で、CRは復改、Rはマイナス。
その右にはテンキーと方向ボタン。
その右にIS、IISボタン(送りI、IIをセット)、Q・H・長体平体、クリアボタン。
その右にBS(欧文ベースラインシフト設定)ボタン、JQレンズ、カーソル等ディスプレイ関係のボタンがある。
指定に書き込んだ座標値に注意しながら印字していきます。「ニャル子」等キャラクター名は18Q、曲目リストは9Qで括弧部分は7QつめS、場所によっては30/32em送りをつめSと併用したり長体1番2番をかけたりととにかく込み入っていて、設定忘れや解除忘れをしたら一瞬で苦労が水の泡という厳しい条件です。このような仕事をしていた写植オペレータはたいへんな緊張を強いられていたことでしょう。
一番複雑だったのは「DVD」欄の5〜6曲目で、文字の大きさが9Q→8Q→7Qと変化し、四角数字以外の和文は長体1番、欧文は長体2番、送りはつめSと30/32em送りを併用というものでした。
点示板が点と線だらけになりました。
*
印字に取りかかってから1時間55分。その結果……
ミスもなく指定通りに印字できていました! でも、スポット罫線がめちゃくちゃ薄い! あれだけ難儀したのに……(泣)。
(画像クリックで別窓に拡大表示します)
ほんの十数年前であればこのように組まれたであろう『ニャル子さん』のジャケット。ゴナMだと説得力があって、真面目で、気品があるので、やっぱり新ゴLの方が相応しいような気がします。ジャケット通りにデザインやイラストを再現したらまた違うかもしれませんけど。
*
四つ切りの印画紙を入れていたので枠外で遊んでいたのですが、緊張が解けたのか送りがみっともないことになっていました……。
需要があるとは決して思えませんが、秀英明朝とスーボで印字・Photoshop で位置を調整したものを掲載しておきます。600dpi 相当に拡大しますので、よろしければご鑑賞ください……。
秀英明朝 SHM+「!」のみ大見出しアンチック KE-A(画像クリックで超拡大)
スーボ BSU(画像クリックで超拡大)
一点しんにょうの「這」は写植では外字扱いで、そのサブプレートを持っていないため使用できませんでした。SHMの「!」は何故か明朝体のエレメントを活かしたディスプレイ用のものが従属していますので、大見出しアンチックの大きくて滑らかなものを混植しました。
こうして見ると、零れそうなほどの色気をたたえた写研の秀英明朝は彼女にはちょっと勿体ないかもしれませんね。逆にスーボは「うーにゃー」言わしてもそのポップな性格を活かしきっているようで古臭さが全くなく、寧ろ最適という感があります。
2012.5.9(水)
印字のお仕事を初めて頂きました。
依頼主様がある印刷物に使われるということで、組み方の指定付きで文字列を印字しました。
写植機の操作技術としては初歩的なものでしたが、間違えないよう完成形を図示して送り量等を書き込んで入念に原稿を準備しました。依頼されたものの通りに印字するのはやはり緊張しました。
印字が終わってスキャンしたデータを無事納品し、ほっと一息。ご依頼ありがとうございました!
写植(写植書体)の印字はぜひ本職の写植屋さんやアウトラインサービスに依頼していただきたいのですが、簡単なもの(バラ打ち、つめ組み用文字盤の指示通りの詰め印字程度)でしたら亮月写植室でも可能です。本業を抱えている身なので、のんびりお待ちいただけるようなご用命がありましたらご相談くださいませ。
2012.4.25(水)
亮月写植室が撮影した写真を書籍に使っていただきました!
教育画劇『新聞を読もう! 3 新聞博士になろう!』です。
小学校児童向けに、新聞とはどんなものかを解説した全3巻の書籍です。
24〜25ページは「新聞印刷の歴史」ということで、活版から写植、コンピュータによる組版までを大雑把に解説しています。
その中の写植に関する部分に3点、写真をご使用いただきました。
手動写植機の写真は管理人が保有する写研のカタログからの転載ですが、この書籍の制作会社が写研に問い合わせて許可を得ています。
ファインダーと文字盤は取材先で撮影したものです。こんな風に印刷物で使っていただけるとは思っていなかったので、お話を頂いてとても嬉しかったです。しかも「写真提供:亮月写植室」とクレジットしていただけました!
担当してくださったD社のN様、ありがとうございました!
2012.3.3(土)
石井新細ゴシック体(つめ組み用文字盤併用)
SPICA-AHの印字テストをしました。
動作確認ではフラッシュランプが力強く点滅していたので多分印字できるだろうとは思っていましたが……
印画紙全体(約15.2×25.4cm)
7Qから62Qまでくっきりと、埃の影響や光線漏れもなく正常に印字できました!
早速、先日の「写植の時代」展で買ってきたつめ組み用文字盤(以下「つめ文字盤」)を試してみました。
ナカフリーB+ルリールB
ナカフリーとルリールの混植はどんな手書き風書体よりも最も自然に手書き感を再現できるのでつめ文字盤は必須です。SPICA-AHは字づら検出対応機種なので上のように気持ちよく組めました。「ィ」の採字に失敗しているのは目を瞑っておいてください。
操作していて分かったのは、つめ文字盤(字づら検出板3S)使用時に9/16emと13/16emの位置でエラーとなり、印字キーを押し下げても印字できないことです。その部分はつめ文字盤ではなくかな集合文字盤(仮名書体のサブプレート)を使用しました。
なんとなく脳裏をよぎった言葉を印字してみました。50Q秀英明朝と16QナールLのつめ文字盤。
すみません、秀英明朝様でこんなことをして……。
字づら検出ができない9/16と13/16emの部分はメインプレートの仮名を採字し、つめ文字盤記載のem/16を50Qでの送りH数に換算して50Qとの差を2で割り、文字の前後でその数値をマイナスに送って詰めました*が、マイナス送りを忘れたり計算を間違えたりして所々おかしなことになってしまいました。
*2012.8.8補筆
このことについて、記事の掲載当初は下のように説明していました。
全角仮名をつめ文字盤と同様に詰める場合に必要なマイナス送りH数の算出式
{Q数−(Q数×つめ文字盤記載のem/16)}÷2
全角仮名は仮想ボディの中央に配置され、つめ文字盤は組み方向の頭付きのため、全角仮名の組み方向の頭にある空間はつめ文字盤の送りH数とQ数との差の半分です。 |
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しかし「なんでやねんDTP」の大石十三夫さんから、「文字は仮想ボディのセンターに配置されているとは限らない」ため、「この理解からはまっとうなツメ印字は無理です。」とのご指摘をいただきました。
印字中に思い付いたとはいえ、考えがあまりにも簡単すぎました。
実際にきちんと詰め組みをする為には全角の仮想ボディ上に配置された字面の左と右(もしくは上と下)にある空間のem/16数を計測しておき、隣り合う文字の間にある空間のem/16数の合計×Q数で算出したH数を詰めることになろうかと思います。em/16単位でなくとも、全角に対する割合が判ればよいと思います。
詳細な解説は『写植の時代展』第1回のパンフレット中、大石さんの『手動写植機の進化に伴うツメ印字方法の変化』p.27をご参照ください。
大石さんありがとうございました!
手動写植機の印字は人間の記憶を総動員して行うため、文字盤上の文字を探すのに時間がかかったりすると送りを忘れるようなことになってしまいます。どこまで印字が終わっていて、今何の文字を探していて、どんな指定がされていて、どのような操作をしなければならないかを全て把握しておかなければならないのです。しかも今回は指定を作った訳ではなく、思い付きで打ったので更に間違いやすい状態でした。
逆に考えて、指定をしっかり作って操作の忘れがないよう逐一チェックできるようにしておけばミスが減るということを学びました。
印字の依頼が来るようになりましたが、先のMC-6の印字体験では大勢に囲まれる中でまごついて赤っ恥をかき、持っている写植機でさえこのような有様です。写研の「写植教室」のテキストを持っているのでそれを1から勉強した方が良さそうです……。
2012.2.29(火・閏)
25日に運び込んだSPICA-AHを実用できる位置に移動し、清掃を行いました。
SPICA-AHをキャスター付きのプリンタラックに仮置きしていたのですが、制御ユニットを内蔵したキャビネットと接続しないと使えないこともあり、SPICA-QDと位置を交換することにしたのです。SPICA-AHは95kg、同QDは60kg。一人では持ち上がらないので家人に手伝ってもらいました(心から感謝!)。
SPICA-AHはPAVO型同様メインプレートを2枚載せられるので、横の占有幅は1.1m、文字枠の移動に必要な幅は1.8mあります。それでもうまく設置することができました。
上の写真で向かって右が写植室の玄関、左奥が自宅への通路ですが、どちらの通行も妨げることなく置くことができました。本体の右にあるのが制御キャビネットです。本来SPICA-AHのキャビネットは本体の両袖にあって跨がせるように置くものですが、オリジナルの状態よりも四畳半という狭さの中でも使用できる状態であることを優先しました。
左からSPICA-AH、PAVO-JV、SPICA-QD。四畳半に写植機が3台、我ながらよく入ったものです(笑)。いずれも状態が良く印字可能というのも私にとっては奇蹟です。
SPICA-QDはプリンタラックへ移動しました。附属の机に載った状態が最も美しいのですが、3台とも実用する以上背に腹は替えられません。
菅沼タイプライターがあった位置にすっぽりと。今までは30kgのタイプライターが載った机を動かすことは困難だったので本棚の資料が取り出しにくかったのですが、可動式になってすごく楽になりました! この状態ではSPICAの文字枠を横に動かせませんが、使用する時にラックを引き出せば大丈夫です。事前に寸法を計算してレイアウトや備品選びを考えたとはいえ、少しでも大きかったら上手く置くことができなかったので冷や冷やものでした。
なんかちょっと恰好いいなと思ったのでアップで撮ってみました(笑)。
亮月写植室の写植機がこれ以上増えることはなさそうです。物理的にはまだ入りそうですが、写植室の雰囲気を壊しかねない(倉庫のようになってしまう)のでこれでおしまいです。
SPICA-AHは卓上型なのに電子制御という面白い機種なので、機械式のQDやほぼ同じ機能を持つPAVO-JVと比較してみるのもいいかもしれません。よろしければ見学にお越しくださいませ!
2012.2.26(日)
昨年11月半ばのことでした。関東在住の方から一通のメールを頂きました。
「使わなくなりましたSPICA-AHが保管してあるのですが、なかなかゴミとして処分することも憚られ、部屋の隅に保管してあります。そちらでお役に立てる事は可能でしょうか?」
既に2台を所有しているので悩みました。四畳半にもう1台は入れられないのではないか、いや稼働するSPICA-AHなんて滅多に手に入れられるものではないから備品のレイアウトを変えてでも譲って頂いた方が良いのではないか……と葛藤しました。
持ち主様の建物に置かれていたSPICA-AH。1986年11月製。(2011年12月)
悩んでいても埒が明かないので、12月上旬に持ち主様の所へ伺い、SPICAの状態と動作確認をさせていただきました。大切に使ってこられたとのことで酷い汚れや目立つ傷はなく、キー操作に対して的確に機構が反応し、要のフラッシュランプも元気よく点灯しました。印画紙や暗室はなかったため印字の確認は出来ませんでしたが、おそらく印字も可能だろうと判断しました。変形レンズや字づら検出板などの附属品も揃っていました。
SPICA-AHの印字キーと操作パネル(2011年12月)
これまでのやり取りの中で寸法やおよその重量等を把握させていただき、写植室の場所のやりくりはつきそうだったので、この動作確認によって譲って頂くことを正式にお願いしました。「もし亮月さんのお話がなかったら、今頃は廃品回収に出してしまっていたかもしれません」と持ち主様。
去る2月18日にはいよいよ持ち主様の会社から搬出ということで私も立ち会いました。依頼した運送業者さんがキャビネット2台と本体に分けてトラックに運び込んで行きました。運賃は……2011年3月にPAVO-JVを滋賀から運んだ時よりも安かったです。長年連れ添った主に別れを告げ、見知らぬ土地で余生を過ごすことになったSPICA-AHを見送りました。廃棄寸前のぎりぎりで繋がったご縁に心から感謝。
そして25日、亮月写植室にSPICAが到着しました。
それを見越して今年の初めから亮月製作所(自室)の大規模な整理を進め、菅沼タイプライターとその机を写植室から製作所へ移動しておいたので、これまでとほぼ同じ空間を保つことができました。
届いた当日はキャビネット2台の汚れを落として磨き上げ、1台を暗室の文字盤置場へ収納、もう1台は制御ユニットを内蔵しているのでSPICA-QDを少し移動してその横に置きました。本体は予め買っておいた100kgまで耐えられる移動式のプリンタラックへ。磨き上げる時に指をあちこちに擦ったり重いものを持ち上げたりしたので私の両手はボロボロのヒリヒリです。
亮月写植室にて動作確認中……
翌26日は引き続き清掃と動作確認で一日が終わりました。運送に当たり一部分解してあったものを組み立てる時、ネジが機械の中に落ちて取り出すために更に分解して2時間……(泣)。
譲渡前と同様に動作することを確認できました。勿論フラッシュランプも明るく点灯します! ちょっとだけ撮影しました。
PAVO型のような印字キーと操作パネル、LED表示部。
SPICA-AHの“形式写真”こと、文字盤とレンズターレット部分。
ターレットを覆う金属板があり、まるで鉄仮面のような表情。
文字枠右側に取り付けられている「字づら検出板」。
二進数の穴が開いた部分を写植機が読み取り、プロポーショナル送りを実現している。
1S、2S、3Sがあり、幅の細い欧文、通常の欧文、つめ組み用かな文字盤に対応。
60cm幅のプリンタラックにSPICA-AHを載せると本体の両足が半分ずつはみ出るという不安定な状態でした。しかもAHはメインプレートを2枚載せられる文字枠で本体よりも幅があり、移動できるとはいえ暗室のドアを阻むようにしか置いておけません。
これではまずいし、使う度に制御部のキャビネットとのケーブル接続を付け外しするのはとても面倒です。AHよりやや小振りなSPICA-QDに附属している台は60cmよりも幅があり、逆にQDをプリンタラックに載せても寸法上問題がなさそうなのでそれぞれの台にを置くものを入れ替えたいと思います。試し印字はそれまでお預け……かな。
ともかくも、SPICA-AH導入です! ばんざい!
2012.2.5(日)
所属の写真サークル関係の人達が見学に来てくれました!
駅まで車で迎えに行くと、名古屋から来た4人は駅を降りるなりすごい興奮ぶりで駅舎をバックに激写(そこはタクシー列のすぐ横だった)、満面の笑顔で私の車に近付いてきました(笑)。これは早くもえらい事になりそうだと予感する管理人。
賑やかなまま車に乗ってもらい自宅へ。早速写植室に入っていただきました。車も写植室も狭くて申し訳なかったです!
いつもお客さんをお迎えした時のように写植や写植機についての説明をする隙もなく、写植機や和文タイプライターなどあらゆる備品に反応する一行。写植機をじっくり見たことがある人はいなかったようで、沢山写真を撮ってくれました。あまりの食らいつきぶりに私が驚きました。
自宅ゆえ家人も居た訳ですが、途中から“隠れ家訪問”になったりお茶の時間に合奏したりとかなりのフリーダムぶりを見せる一行(私もか)。父は音楽も本職にしているので自分にとっては恐れ多い存在なのですが、お茶の時間に巻き込まれて一緒に演奏してくれました(すまぬ父上、こういう仲間なんです)。Rさん、楽器持って来るなんて反則だよー!(←「わかってたよ!」と読む。管理人は嬉々として自室から楽器を取って来た。)
お茶が終わったら写植室に戻り、ちょっと写植の話をと思いましたが色々な物に興味津々の皆の前では無理でした。こうなると思って前日の晩に作っておいた「見学のしおり」が役に立ちました。印刷・デザイン関係が本職のメンバーとはちゃんと話が通じました。ありがたし。
お土産の“Rさんと愉快な仲間たち見学記念 2012.2.5”印画紙と『見学のしおり』
実物は皆にあげてしまったので、失敗印字と試し刷り。
しおりは急遽前日の晩にMacで作成。題字に使った太い筑紫明朝って豊潤な輪郭でいいなぁ。しかも詰めるととても気持ちいい!
印画紙は新聞特太ゴシック体と大見出しアンチックKE-Aのつめ組み用文字盤併用、そして写植と言えば記号BA-90。小さな字はファニー、鼻息のような記号はルリールBのもの。字づら検出と行送りに失敗してずれている。
写植機よりもむしろ原理が目で見てすぐ分かる和文タイプライターの方が面白かったようで、Rさんはたちどころに「菅沼タイプライター」の採字と送り操作をマスター、歌詞カードを作成していました。インクリボンが終わってしまったので製作所で普段遣いにしている小型の「パンライター」を出したら女子に人気でした。「『和文タイプ打ちに来てよ』ってどういう口説き文句やねん」と突っ込まれる管理人。
Iちゃんがお土産にくれた製版フィルム用の遮光テープと修整ペン!
……そんなこんなで写植あり、和文タイプあり、合奏あり、お茶の時間ありのとても充実した一日でした。本当にありがとうございました!
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