2013.5.28(火)〜6.8(土)株式会社文字道主催
於:Gallery cafe 華音留
●帰ってきた展示会
2013年春、いつも写植についてたいへんお世話になっている株式会社文字道の伊藤さんからご連絡を頂いた。「写植の展示をすることにしたんですよ。亮月クンも協力してもらえないかな。」
「ぜひ協力させてください!」
そう、2007年5月に伊藤さんと衝撃的な出会いを果たした、素晴らしい写植の展覧会が6年振りに帰ってくるのだ!(→写植レポート・文字の引力:現在は前半のみ公開。)伊藤さんからご連絡を頂いた当時、筆者は自分の時間の殆どが失われた状態だったが、何とか時間を捻出してパネル展示という形で本展に関わらせていただくことにした。
「写植」と聞いたらどうしても現地に赴きたくなる筆者、今回も万障繰り合わせ、同じく伊藤さんからご連絡があったという「文字の食卓」の正木さんをお誘いし、15時からパーティーが開かれるという6月1日(土)に会場へ伺うことにした。
●猫路地の奥は写植の桃源郷?
(※一部「写植室日報」の内容を再掲しております。ご了承ください。)
期待感とともに迎えた当日。
昼過ぎに東京に着き、JRと地下鉄を乗り継いで根津に辿り着いた。根津は狭い道路に商店や住宅がひしめき合う賑やかな下町。自動車が通れないような路地を入り、会場を目指す。
猫路地と呼ばれているらしい。そんな細道を進むと……
真新しい画廊に出された、「写植展」の看板!
13時半、入口の前で待ち合わせをしていたフォント好きの友人と挨拶を交わしているとすぐ「おー、亮月クンようこそ!」と主催の株式会社文字道・伊藤さんに見付かり、二人で会場へ入らせていただいた。
大変な歓迎ぶりで恐縮した。こういう催しや活動をされている方が素晴らしいのであって、筆者はその事実を記録し、生きた写植の姿を形のあるものや文章として残しているだけなので、自分には勿体ないほどだった。
所狭しと置かれた文字盤や写植機の部品、関連書籍や印字物の拡大掲示! 一つ一つじっくりと拝見させていただいた。貴重な文字盤や珍しい書体の掲示、現役の写植オペレータであるプロスタディオの駒井さんが印字された印画紙の実物等、写植ファン垂涎の展示ばかりである。友人と文字談義をしながらじっくり見学。
30分ほど見学していると、見たことのある方が外から手を振っている……!
正木さんだ! 手を振り返す。
正木さんはおひと方を伴っていた。都市出版が発行する月刊誌『東京人』の編集者さんだったのだ! つまり本展の取材に来られたのだ。以前正木さんが『東京人』に記事を書くと伺い仰天したが、それが本当であることに改めて驚いた。筆者の友人と正木さん、編集者さんと筆者とで襷掛け(?)にご挨拶。
正木さんは鞄から一眼レフカメラを取り出し取材モードに。丁寧に撮影したり熱心にお話を聞いたり。その姿に「写植について伝えたい」という真摯な思いが表れていて心打たれた。
取材モードの正木さんの取材をさせていただきたい気持ちもあったが(笑)、雑誌の記事の為なのでお邪魔にならないよう、友人と一旦会場を後にして近くのコーヒーショップでお話した。
友人もフォント好きだけあって話題は尽きず、「自我が形成されると筆跡が変わる」「個人サイトからSNSの時代に変わって素材を自作しなくなり、個人がフォントを使う機会が減ったように思う」「タイプバンクの『かなバンク』の書体が可愛いから見本帳もらっちゃった」というような興味深くて楽しいお話をすることができた。あっという間に1時間以上経っていた。(短い時間だったけど楽しかったです。ありがとうございました!)
●とっておきの話
15時半近く、友人と別れて会場に戻ると、正木さん達の取材も一通り終わったご様子だった。タイミング良くパーティーが始まるところだったようだ。
ワインなどのお酒やお菓子が振る舞われ、この場に居合わせた方達で写植を肴に宴が始まった。筆者はそれが嬉しくて気持ちよく飲んでしまい、見学や取材の為に来ていることを忘れて記録やメモを取り忘れてしまうほどだった(笑)。
通りがかりの年配の方が「写植? 懐かしいね」と写植のことをご存知だったり、学生さんと思しき若い方もみえたり、勿論オペレータを経験された方や現役で文字に携わられる方、そして写研の方までもがお越しいただいていた。
パーティーに残ったのは数人。本稿には絶対に書けないようなとっておきの話も沢山飛び出し、写植ファンとして今日ここに来て本当に良かったと思った。
少しお酒が進んだ頃、写研の書体に関して本当はどう思っているかについても正木さんと語り合い、全く同じ思いを抱いていることが分かってとても嬉しかった。以前のレポートで「自分が二人いて会話をしているような不思議な感覚。」と書いたが、再び同じ気持ちを味わった。
正木さん達は早めにお帰りになるということで、「ありがとうございました!」と両手で堅く握手。再会を誓った。
この晩は「今後写植を知ってもらうとしたらどうしたらよいか」というテーマに沿って熱く話し合い、様々な考えをお聞きすることができた。『写植のうた』を伊藤さんと歌ったり、一つの写植書体について「こういうところがいい!」とフェティッシュな感覚を共有したりしながら、写植づくしの夜は過ぎていった。
*
●美しく貴重な展示群
翌日、6月2日(日)。
2日は開場前に伊藤さんとお会いし、コーヒーショップで写植談義をした後会場の準備へ。下の写真は6年前に開催された時に度肝を抜かれた「□写植□写植……」ポスター。私の希望で貼っていただいた(笑)。
開場後はまだ人が少なく、写真を撮らせていただくにはもってこいだった。
解体された手動写植機「PAVO-KY」の部品。主レンズのターレットや光源など、写真植字が光学的な技術によって支えられていることがよく分かる。なお、これらの部品は販売されていて購入することができた。
部屋の隅にぎっしり置かれた写研のサブプレート。亮月写植室には写研のサブプレートの大半が揃っているが、それでも欲しくなってしまう。こちらも販売していて購入することができた。
「石井細明朝体縦組み用かな」(LM-KPT)のかな集合文字盤(サブプレート)。実物は初めて見た。実用することはないかも知れないが、とても欲しくなった。
「石井太丸ゴシック体」のスタンダード文字盤。平仮名と主要な漢字が収められた、文字盤コード「BR-1」。PAVO や SPICA では使用することができないが、「SK-3RY」等の機械式機種でしか使用できないスタンダード文字盤とは思えないほど外観が新しく、手に取って眺めているだけで喜びを感じる。
欧文のスタンダード文字盤。書体は「オルタネイトゴシック・セミボールド」(書体コード E07-34)。機械式の欧文対応機「SK-4E」に関する注意書きが文字盤に記載されている。実際に同機で使用できるE欧文の文字盤は初めて見た。
PAVO-KY の部品が並べられている会場の床。写植全盛の世を謳歌し、やがて役目を終えた写植機の亡骸ではあるが、こうして自らの体躯を以てその仕組みを大勢の人に知らせることに役立っているという意味では、廃棄されてしまった仲間よりは幸せであるのかも知れない。
PAVO-KY の主レンズターレット。
造り付けの本棚には写植に関する書籍やカタログ、書体見本などが収められていた。棚の隅にはプロスタディオの駒井さんが手掛けられた写植の印画紙や指定の入ったクリアフォルダもあった!
壁には所狭しと印画紙の拡大コピーが掲示されていた。
「点線がな」「ピコ・カジュアル36」「みやび」といった稀少書体を印字したものの拡大掲示。これは文字盤が現存するという意味でもある。使用頻度は無きに等しいかも知れないが、現役書体であると言えるのは心強い。
プロスタディオの駒井さんによる「写植見本」のポスター。
駒井さんは長年著名デザイナーの仕事を引き受けてきた。そのため、受注ではなく駒井さん自身がディレクションしても、培われた美意識によりこのような美しい紙面が誕生するのだ。
写植ファンだったら部屋に飾りたいと思うに違いない。少なくとも筆者は写植室に掲げておきたいと思った。伊藤さん、売ってください!(笑)
こちらも駒井さんの手による「かな(カタカナ)の成り立ち」。罫線も含め全て一体印字。ミス部分以外は切り貼りが一切なく、非常に美しい印画紙である。
同じく駒井さんによるメインプレートの文字配列表。書体は「石井太明朝体OKL」。文字盤の四隅のマークや印画紙が存在することから、手動写植機で印字されたことが分かる。たいへんな労作だ。
「ノアザーク」さんによって印字・アウトライン化されたモリサワの「太ゴシック体B1」と写研の「今宋M」。レイアウトデザインは伊藤さん。手動写植専用書体の近年の使用実績としてはB1が最も多いのではないかと感じている。一方今宋Mは三浦しをん『むかしのはなし』の表紙でしか見たことがない……。
そして『写植のうた』の歌詞を印字したものの拡大掲示。
書体は「秀英明朝」(SHM)+「広告見出し用かな」(KM)。
筆者が年表の内容と写植機の写真を提供させていただいた「写真植字のあゆみ」。
全長約2.5メートルに写真植字90年の歴史の概略を見ることができる。モリサワ機の写真のうち不足分に関しては「大阪DTPの勉強部屋」の宮地さんから写真のご提供を受けたとのこと。
年表は1995年で途切れている。「DTP普及により写真植字の需要が減少する」と……。筆者の原稿では当時の実感を反映して「写真植字が急激に衰退する」だったが、表現がきつかったからか印字の段階で校正されていたようだ。
約20年の空隙を超えて現れた2014年は写真植字発明90周年。果たしてどのような展開になるのか、何も起こらないのか、私達はまだ知らない。写植に思いを抱く人がまだ大勢いるうちに、私達が何かしなければならないのかも知れないと、ふと思った。
お昼が近くなると次第に訪れる方が増えていった。両日ともお会いできた方とか、ネット上で度々お見掛けしていた方とか、この日も良き出会いに恵まれた。昼前にはおいとまするつもりだったが、居心地が良くて15時までつい長居してしまった。
写研(左)とモリサワのメインプレート
主催の伊藤さん、会場オーナーの華音留さん、会ってくれた友人、正木さん、二日間にお会いできた全ての方に感謝申し上げます。ありがとうございました!
【完】
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