2013年
2013.12.26(木)
「写植レポート」に「ミニレポ・写真用印画紙を写植に使う」を掲載しました。
先日の写植展「moji moji Party No.5 写植讃歌 Part 2」で現役の写植屋さんとお話する機会があり、「富士写植ペーパー」の生産終了についても話題になりました。印画紙は生物(なまもの)で使用期限があるため買い溜めがあまり利かず、殆どの方が困惑のご様子で、写植業の存続に関わる深刻な問題であると感じました。
そこで、現在も供給が続いている黒白写真用の印画紙に着目し、代替となるものがないかを探ってみました。万が一写真用の印画紙も生産終了となると写真植字の歴史は本当に終焉を迎えますが、銀塩写真の歴史も幕を閉じることになるので、当分はその心配をしなくても良さそうです。
全ての現行印画紙を試した訳ではありませんが、実用する上での一定の成果を挙げることができました。現役写植オペレータの方、オペレータの知り合いの方、自家印字をしている方(いないか)必読です! まだまだ写真植字は終わりません!
2013.12.8(日)
2日(月)から7日(土)まで表参道画廊にて開催された「moji moji Party No.5 写植讃歌 Part 2」のため、6日から8日まで泊まりがけで取材に行ってきました。
今日会場での撤収作業を終え、無事帰ってまいりました。
12月3日付の朝日新聞夕刊等にこの展覧会のことがカラー写真付きで掲載されたためか、予想以上に多くの方が来場されている印象でした。
こっそり取材に来ているだけの予定でしたが、大盛況により人手が足らず、私も急遽写真植字機についての説明を行うなど表立って関わらせていただくこととなりました。印字体験に於きましては手際の悪さにご迷惑をお掛けし、お会いした方々とも充分にお話する時間を取ることができなかったなどたいへん多くの失礼があったと思います。何かと至らぬ人間で申し訳ありませんでした。伏してお詫び申し上げます。
SPICA-AH による写植印字体験では、写植機を実際に操作して印字していただくだけでなく、おそらく日本初であろう写植の現像工程の体験もしていただきました。暗室に入って写植文字が印画紙に現れる様子を観ていただき、驚きと感動の声を何度も聞きました。
また、会場に掲げられた年表「写真植字のあゆみ」に書かれた来場者様の沢山の写植への思いを感じ、写植を知らなかった方もかつて深く関わられた方も同じ場所で直接話すことができ、写植を通じた交流の場となっていたこともとても嬉しく思いました。
この写植展は主催の株式会社文字道・伊藤義博さんの写植に対する熱意と深い愛情による所が非常に大きく、会場の表参道画廊様をはじめ搬出入や会期中に関わられた方、そして来場された方々一人一人の写植への思いや興味によって日毎に素晴らしい展覧会が作り上げられていったという印象でした。伊藤さんをはじめ会場で関わらせていただいた皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
ある会社で廃棄される筈だった SPICA-AH。
十数年振りに目を覚ましたら、そこには多くの人の笑顔があった。
この写植機が本来の役割を果たすことはもう二度とないだろう。
しかし、このような形で人の役に立つということも、
この機械にとって幸せな晩年なのではないかと思った。
6日間、お疲れ様でした。
★お願い
会場で写真や動画を撮影いただいた際に私が写り込んでいる場合、当方の活動の都合上、ネットその他の媒体での顔出し(顔など個人が特定できる状態で掲載すること)はご遠慮いただきますよう切にお願い申し上げます。
★レポートリンク
→「写植讃歌Part2展」に行ってきた(暇なおじさんさん)
→写植讃歌Part2 に行って来ました(Mojinoさん)
→写植体験(印刷博物館ブログ いんぱく通信)
※レポート上の私の発言の文責は筆者様にあります。ご了承ください。
写植展のお知らせ |
2013.11.12 掲載
今年の初夏に好評を博した写植展が大きくなって帰ってきた!
◉moji moji Party No.5 写植讃歌 Part 2
会期 2013年12月2日(月)〜12月7日(土)
会場 表参道画廊+MUSEE F
東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
時間 12:00〜19:00(最終日17:00まで)
オープニングパーティ 12月2日(月) 17:00~
企画・主催 株式会社文字道
→moji moji Party 公式サイト
「写植機(スピカAH)、写植文字盤、写植機の部品(主にレンズ)と写植文字盤で創った作品等を展示販売いたします。」とのことです。
今回は稼働する手動写植機「SPICA-AH」が展示されます。
生きた写植に触れることができるたいへん貴重な機会です。ぜひお出掛けください。
→表参道画廊+MUSEE Fの告知ページ
写植印字体験の予約もこのページからお願いします。
→「moji moji party No.4」の写植レポート |
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2013.11.9(土)
中村征宏さんの書体「ナディス」を印字。
昨年の11月に作った現像液が寿命のようで、濃度が上がらなくなってきました。
早くお風呂でパピトールを溶かなければ……。
この冬は何だか忙しくなりそうです。
2013.10.20(日)
きのう。
きょう。
「富士写植ペーパー」ラストオーダーのお知らせ(受付終了) |
2013.9.10 掲載
富士フイルムの写植用印画紙が生産終了とのことです。
・PL100WP 23.0cm×27.0cm 100シート 10,830円(税別)
・PL100WP 25.4cm×30.5cm 100シート 13,460円(税別)
【ラストオーダー期限】
富士フイルム宛て代理店の発注期限
2013年10月15日(火)まで
【納 期】
2013年12月~2014年3月を予定
発注は富士フイルムの販売代理店にて。
(取引がない方は亮月写植室にご連絡ください。ご紹介します。)
写植機の修理等でお世話になっている方から富士フイルムの上記情報を頂きました。ありがとうございました。 |
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2013.7.28(日)
岐阜県内のある法人様が写真植字機をお持ちとのご連絡を頂きました。
今となっては使い方がよく分からないことと、不具合があるのではないかとのことで、前日の用事と絡めて泊まりがけで行ってまいりました。
一室に鎮座していたのは、写研最後の手動写植機「PAVO-KY」でした!
写植機の隣には写研純正の文字盤収納棚「サガサーヌ」がありました!
管理人が実物を見たのは生涯2度目です。就職活動中に大量のサガサーヌを見たきりでした(どういう就職活動なのだ・笑)。
「サガサーヌ」と「SHA-KEN」のエンブレムです。写研が一番元気だった頃の匂いがします……。
サガサーヌの中には傾斜したスリットが作られていて、サブプレートが80枚収納できるようになっています。書体と文字盤の種類が書かれたシールが貼られていて、文字盤を整理し易くしてあります。ここでは位置が守られていませんでしたが……。
了承を頂いて写植機の動作を確認してみました。
電源を入れるとファンの音の高まりとともに「ウイーン、ウイーン」という機械原点検出の動作に入り、連動してマガジンの左横にある歯車が廻るのが判りました。原点検出の音は私の PAVO-JV とは若干異なり、PAVO-KY の方がちょっと情けない感じというか、音程が人の声により近く、動物の鳴き声のように抑揚があります。経験則であって理由は分かりません。
通電し、起動はしましたので、本機の要である画面を観察してみます。
※見易いように画面内のみ諧調を補正しています
この機種が発表された1987年製だけあってかなりお疲れのようでした。画面の下側に「コメント」の焼けがあり、明るさのヴォリュームを最大にしてやっと視認できるぐらいでしたが、夜間なら実用に支障を来さないでしょう。
→正常な PAVO-KY の画面表示(「ディスプレイ装置」のページ)
十字に二重の正方形が表示されているのはピントスイッチを入れた際に現れるチェック用の表示です。文字枠を動かすとリアルタイムで画面に表示される文字が上下左右に動きます。パラパラと遅延が発生するのは画像メモリの限界による仕様だと思います。
現場に居た時は故障かと思っていましたが、帰宅してからピントスイッチのことを思い出し、慌てて先方にお伝えしました。すみませんでした。
ピントスイッチを切った時の動作は未確認ですが、おそらくコメントが表示された通常の印字画面に切り替わる筈です。ただしこの個体は印字キーの操作を受け付けず、Q数を入力しても「ピコピコ」とエラーを返し、操作パネルのLEDは点灯しているものの押下に反応しません。機械と電源は生きているようですが、回路あるいはバックアップ用のバッテリーに何か支障が出ているような印象でした。私の SPICA-AH が故障した時と同じものを感じました。
ピントスイッチを切った時に正しく動作しなかった場合、私にはこれ以上はお手上げです。
たいへんお忙しい中ご対応いただき本当にありがとうございました!
*
写真植字機は機械工学と電子工学の急速な進歩と共に進化してきました。しかしそれが却って仇となり、生き長らえることを困難にしているとも言えます。長年放置されてきた機械式の SPICA-QD が40年以上経過しても元気に動作している一方で、25年前の電子制御の最高機種が使用できない状態にあるという逆転。プリント基板や集積回路に不具合が起これば、私達には手の施しようがありません。複雑な電子回路が駄目になると機械を動かせないというメカトロニクスの弱点と悲哀を感じました。
こういう時、「亮月写植室は無力だ」と強く感じます。
写真植字を末永く残していきたいという思いとは裏腹に、自分の力では残せる状態へ向かわせることができない、事態を改善させることができないという現実。
当室の活動が消えゆくものを惜しむ心や過去への懐古であると言われればその通りです。特に否定はしません。
ですが、私だって未来を展望してみたいです。未来を望みたくても望むことができない現場の様子を全国のあちこちで感じ続けてきました。単純な「写真植字という古い技術への憧れ」だけでこの活動をしている訳ではありません。あらゆる無念さを引き受けながら、どのようにすることが写真植字にとって建設的であるのか、未だ模索しながら活動しています。それが懐古にしか見えないのであれば、当室の活動に足りないものがあるのであって、致し方ありません。
「写植を残していくにはどうしたらいいと亮月さんは思いますか?」と尋ねられたことがあります。私は答えられませんでした。
2013.7.15(月祝)
激しい雨が降るなど天候が良くない三連休だったので、文字盤と資料の大整理をしました。
写植室と製作所(自室)にある文字盤はあちこちから頂いているので無秩序に保管してあり、必要な時すぐに取り出せない状態が続いていました。見学に来られた方がお名前を印字する際、「文字盤を持っているのにどこにしまってあるか分からないのでその書体では印字できない」という失態を演じたこともあります(申し訳ありませんでした)。
これまでに欧文550枚・特殊400枚・記号B350枚・仮名350枚のサブプレートを順次整理してきましたが、最後まで手を着けられなかったのが正字・三級漢字・四級漢字・汎用外字のサブプレート約1400枚。これを種類別・書体コード別・改訂順に並び替え、重複したものを除き、必要なものだけを再度文字盤ケースに収め直しました。
文字盤ケースはプラスチックの箱に櫛形の隙間が作られていて20枚を立てて納めておけるのですが、その構造上どうしても埃の混入が避けられません。頂いたままの文字盤ケースは長年の使用と保管により埃まみれだったのでお風呂に入ってもらいました。古い物を扱う以上仕方がないことですが、今回も例によって「ふえぇ……」と半泣きになりながら作業しました。
以前も書きましたが文字盤ケースの保管には蓋付きのボックスコンテナが最適です。埃が入らないようにでき、縦に積めば場所も取りません。但しものすごく重くなるので縦積みの塊毎にキャスターをかませて移動しやすいようにします。
……それだけで丸一日かかりました。外出も憚られる悪天候に感謝。いい天気だったら出掛けたくなったでしょうし、第一写植室が暑過ぎて長時間居ることができません。
文字盤を大量に保管したい方がいるかは分かりませんが、アイリスオーヤマの B-21 というボックスコンテナは文字盤ケースがちょうど6個入る寸法で、無理なく持ち上げられる最大の容量だと思います。
*
もう一日かけて、これまでに頂いた資料や書籍の整理をしました。
写植室の本棚が既に満杯で製作所の机に資料が山積みになっていたので、写植と直接関係のない書籍を製作所に移動し、その代わりに写植の資料を本棚に納めました。
5月の熊本取材ではモリサワ関係の資料、6月にはご厚意で写研とモリサワの1980年代以降の資料を大量に頂いており、メーカー別の発行年順に閲覧できるようにしました。
ただし原本の閲覧にはとても気を遣います。発行当時は読み捨てられただろうカタログも今となっては貴重な近代化遺産です。ファイルからそっと取り出して折り目が付かないよう慎重に広げて読んでいます。
そんな中、先日富士通から「ScanSnap SV600」という非破壊スキャナなるものが発売されたのを見て、写植機のカタログだけでも電子化してタブレット等に保存しておけば気楽にどこでも「写植機カタログ閲覧会」ができるな~などと思いました。閲覧したい人がいるかは分かりませんが、私は見たいです。タブレットもスマートフォンも持っていませんけど!(笑)
2013.7.7(日)
ある法人の方々に見学にお越しいただきました。
使い方が分からないまま写研の手動写植機を保管されているとのことでした。今後の稼働のために、写植とはどのようなものであるか、そして手動写植機はどのように使用するか、どのように保守するのかについてお伝えいたしました。
「写植は文字の写真です。文字を打つ機械が写植機で、パソコンのフォントに当たるのが文字盤です。云々かんぬん」などと口頭で説明してもその概念はなかなか掴めません。実際に写植機を操作しながら好きな言葉を印字していただき、写植というものを五感で体験していただきました。写植を理解するには実際に使ってみて体験するのが最良の方法なのです。
受注した組版を手動写植機で印字するには綿密な指定原稿と写植機の正確な操作が必要で、DTP のような試行錯誤は困難です。また、文字盤上の文字の配列にも充分習熟していなければなりません。発注者の頭の中には完成形があり、オペレータの頭の中には印字中の版面の状態と並行して採字する文字に意識があるというように、莫大な想像力と記憶力が必要とされていたのです。仮名漢字変換に慣れた私達にとっては、打ちたい文字を『画引き索引帳』から見付けた時の喜びは格別なものです。
ご見学いただいた皆さんは DTP の心得をお持ちとのことでしたので、現在とはまるで異なる写植時代の組版への取り組み方を楽しみながら(苦しみながら?)知っていただくことができたと思います。
沢山の写真や動画も撮影していただきました。お役に立ちましたら幸いです。(※写植室内の撮影は可能ですが、管理人の顔など個人を特定できる写真や映像・音声をネットをはじめ不特定多数が閲覧・視聴できる媒体に掲載することはできません。悪しからずご了承ください。)
長時間に亘るご見学でしたが、私自身も楽しく過ごさせていただきました。たいへん暑い中でしたが、お越しいただきありがとうございました!
2013.7.4(木)
都市出版株式会社が発行する月刊誌『東京人』8月号に驚くべき記事が掲載されました。
『写植の時代が教えてくれること』!
「文字の食卓」を運営される正木香子さんが写真植字について取材され、写植というものの概略や写植に関わられる方達の姿勢を8ページに亘り纏められています。4人の方が登場しますが、写植に携わられている(いた)それぞれの立場から伝えたいことが文中に凝縮されています。
5月28日から6月8日にかけて東京の根津で開催された「moji moji Party No.4~写植讃歌 Part 1~」の取材に伺った日(未レポート)、正木さんが編集者さんとこの展示会を取材される様子を拝見し、「『東京人』に載せていただけることになったんですよ!」とお聞きしました。それ以来本誌が発売されることを心待ちにしてきたのです。
恐れ多いことですが、ご縁があってこの記事の扉に私が撮影した写真を2枚使っていただきました。当サイトのトップ写真として使用している「SPICA-QD が照らす文字盤」と「写植機の原理」に掲載している「文字盤と主レンズ」の縦位置写真です。
誠に誠に恐れ多いのですが、正木さんのお名前の下に亮月写植室のクレジットまで入れてくださいました。雑誌に当方の名が載るのは亮月製作所時代を含めても初めてです。
写真植字が雑誌にこれだけ大きく取り上げられるのはここ十数年では見たことがなく、近年の写植界では一大事だと思います。私の写真は別にいいのですが、正木さん渾身の記事です。ぜひ手に取ってご一読ください。
2013.6.3(月)
6年前に開催された写植の催しが帰ってきた!
東京・根津の画廊にて開催中されました!
私も1日(土)から2日(日)にかけて取材に行ってきました。
1日の昼過ぎに東京に着き、JRと地下鉄を乗り継いで根津に辿り着きました。根津は狭い道路に商店や住宅がひしめき合う賑やかな下町。自動車が通れないような路地を入り、会場を目指します。
猫路地と呼ばれているらしい。そんな細道を進むと……
真新しい画廊に出された、「写植展」の看板!
入口の前で待ち合わせをしていた友人と挨拶を交わしているとすぐに主催の株式会社文字道・伊藤さんに見付かり、会場へ入らせていただきました。
所狭しと置かれた文字盤や写植機の部品、関連書籍や印字物の拡大掲示! 一つ一つじっくりと拝見させていただきました。貴重な文字盤や珍しい書体の掲示、現役の写植オペレータであるプロスタディオの駒井さんが印字された印画紙の実物等、写植ファン垂涎の展示ばかりでした。
30分ほど友人と見学していると、見たことのある方が外から手を振っている……!
っと、ここからは書いていいのか分からないので、会期が終わったら「写植レポート」の記事にしたいと思います。
いや、いつも取材では記録を取っているのですが、冷静さを欠いてメモを取ることをすっかり忘れ、あのお方は驚くべき展開で、15時からのパーティーではここには絶対に書けないような話がバンバン出て、私も飲み過ぎてしまい核心に迫る会話を殆どできず非常に心残りで、現時点ではレポートに出来ないんですよ! すごくいい時間を過ごせたので、宿で思い出し思い出し取材メモを書き残しました(泣)。
2日は開場前に伊藤さんとお会いし、コーヒーショップで写植談義をした後会場の準備へ。写真は6年前に開催された時に度肝を抜かれた「□写植□写植……」ポスター。私の希望で貼っていただきました(笑)。
両日ともお会いできた方とか、ネット上で度々お見掛けしていた方とか、この日も良き出会いに恵まれました。昼前にはおいとまするつもりでしたが、居心地が良くて15時までつい長居してしまいました。
今回の催しでも多くの方とお会いすることができました。主催の文字道伊藤さん、画廊の華音留さん、一緒に観覧してくれた友人、お馴染みの皆さん、初めての方々、本当にありがとうございました!
2013.5.12(日)
11・12日、熊本市内にある元写植屋さんの取材に行ってきました。
→写植レポート・熊本に残された「写植屋さん」
元写植屋さんの様子は記事を見ていただくとして、ここでは熊本観光の記録をしておきたいと思います。
1日目は熊本に着くなり取材先に向かい、夕方までお世話になりました。
宿でチェックインを済ませてからは中心街へ。「下通アーケード」は幅・奥行ともにとても大規模で人通りが多く賑やかでした。
夕食後は酔った勢いに任せて歩いて市内散策。いつの間にか「くまモン」探しに熱中していました(笑)。翌日採集したものも含めて一挙公開。本当にどこにでも描かれているので驚きました。
市街を徘徊すること約2時間。アーケードの端から端までだけでなく熊本城のライトアップや裏通りにある手取菅原神社、市電の走る通町筋等、数キロは歩き廻ったと思います。どうやら私、酔うと長距離歩く癖があるようです。ついでに市電の撮影ポイントも見付け、いいロケハンができました。
翌日はまず熊本城へ。
ものすごく立派! 天守は1960年に外観が復元された鉄筋コンクリート造りで、中は資料館になっているのでした。個人的には木造のまま遺る宇土櫓にぐっと来ました。滑らかな石垣も素晴らしい。
天守の前で写真を撮っていたら、何グループかに記念撮影のシャッターを押すよう頼まれました。昔から知らない人によく道を聞かれたり、切符の買い方を尋ねられたり、カメラのシャッター係を頼まれたりするのですが、私から何かそういうものが出ているのかしら?(笑)
熊本でもう1箇所行ってみたかったのは阿蘇山でした。普段取材へは綿密な下調べをして出掛けるのですが、旅心を満たすべく、行き当たりばったりで目指してみることにしました。
市電で市役所前から新水前寺まで。車内は寿司詰め状態でしたが、熊本の活気の象徴であるように感じました。
新水前寺からは豊肥本線で阿蘇を目指します……が、電車は途中の肥後大津駅で終点。ぽつんと下ろされ「阿蘇へは何時間かかるでしょうか……」と半泣きで駅員さんに尋ねる管理人。ここから1時間ちょっとであることを教えていただき、近くのコンビニで食事を買って阿蘇行きの列車を待つことに。不安。店内放送で流れてきたのは『恋は渾沌の隷也』。わけが分からない!
駅で昼食を終えると阿蘇(宮地終点)行きのディーゼルカーがやって来ました。発車するとすぐにカーブと坂だらけ、両側から木が迫るようなローカル色満点の趣に。無事今日中に帰れるだろうかと不安を募らせながらも、やがて車窓から見えてきた発電用の風車群や立野駅のスイッチバックといった珍しい見所があり、旅情溢れる道のりでした。
阿蘇山外輪山の風車群。相当に大きいだろうものが何基も山中でグルングルン廻っている様子に興奮を覚えた
立野駅に到着したキハ200系
「DIESEL CAR」「200DC」そして小さなツバメロゴ。
「列車が恰好いい」って子供の時以来久々に思ったかもしれない
普通の気動車なのにデザインに気合いが入っている!
車輌に対するJR九州の愛情を感じる
気動車が全開でZ型のスイッチバックを登りしばらくすると景色が開け、カルデラの内部に入りました。大きな平原に木のない山。阿蘇山に来たー!
しかし阿蘇駅に着くと、今日中に帰れる最後の列車までに残された時間は40分。火口へ行くのは諦め、駅から最寄りのお寺までを散策して戻りました。特急を使わず普通列車で行くには、朝から熊本市を発たないと火口の観光は無理だったようです。でもこれまでの風景だけでも今日来た価値は充分にありました。
朝から歩き通しだった上移動時間も長かったので、帰りの列車ではぐっすり眠れました。新水前寺駅からは満員の市電に乗り換えて熊本駅へ。豊肥本線に乗っていれば熊本駅へは到着するのですが、市電の雰囲気を納得いくまで味わっておきたかったので。
という訳で2日間の熊本取材旅行、写植も観光もたっぷり堪能してまいりました。
写植はこの街から失われてしまいましたが、あの美しい風景を観に、また訪れたいと思います。
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