2011年
2011.12.31(土)
「財団法人日本地図調製業協会」という地図関係の業界団体から写真提供の依頼を受け、この度機関誌『地図ジャーナル』No.170(2012新春号)に管理人が撮影した写真を掲載していただきました!
地図業界も印刷技術が関わる以上DTPのような技術革新は免れず、様々な器具装置を伴う手描き+写植版下の時代からコンピュータによる制作へと急速に変化したとのことで、それを象徴するような写真を使いたいということでした。
以前撮影した手動写植機「PAVO-KY」の主レンズと文字盤の写真を使っていただきました。表紙に採用いただき驚きました。写真の右下には「写真提供:『亮月製作所』桂光亮月」のクレジットも。
こんな事は初めてだったのでとても嬉しかったです。お話をくださった担当のT様、本当にありがとうございました!
2011.10.29(土)
「手動写植機ゆずります」を締め切りました。
予想はしていたものの、応募者はゼロでした。
「印刷博物館が既に4台の手動写植機を倉庫に保管している」という未確認情報を頂く等、気に掛けてくださっている方もいました。ありがとうございました。
応募がなかったのは手動写植機に興味がある人が誰もいないという事ではなく(そうであって欲しい)、個人が事業以外で写植機を持ち、維持することには多くの困難が伴うからだと思います。
幅1800×奥行1300mmを必要とし、330kgの巨体を支え搬入できる家屋であることが最低条件です。それだけの条件に適う建物を持っているか借りるかしないと手動写植機を置いておくことすらできません。恐らくこれが最大の障壁だと思います。私はどうしても手動機が欲しかったので建てましたが……。そして輸送費も相応にかかります。
現像のための暗室も水道込みで附属しないと不便(部屋でなくても暗幕で完全に遮光できればOK)です。現像用品や印画紙も勿論必要です。
そうして手動写植機で印字する態勢を外面上調えたとしても、今度は維持のための物品や知識が必要になってきます。例えば現像液や印画紙に新品を使っても黒々とした正常な「写植」が印字できない場合、何が原因かを探って解決しなければなりません。原因は単純に現像液の温度や時間や調合の問題か、光源が寿命なのか、主レンズ・JQレンズ・コンデンサーレンズ・ミラーに積もった埃なのか、あるいは他が原因なのか……。写植機についてある程度分かっていても、取扱説明書や資材カタログ、保守部品がないとお手上げです。私も中古の手動機を購入してから正常に印字できるまでに5ヶ月かかりました。
このように個人で手動写植機を持つことは現実的でない面が多く、応募なしは真っ当な結果だったと言うことができます。一線を越えると私のような変態に、いや、後戻りできなくなります。
所有者様によるとこの写植機は11月にも解体・廃棄されるとのことです。写植について強い想いをお持ちの方ですが、取材で充分にお話されたようで未練はなくなったとのことでした。
こうして神戸から手動写植の火が消える。
好きなものが衰え死んでゆく様をこの眼で仔細に見続けなければならない、それが写植ファンの宿命です。書体が生き残ったとしても、写真植字というシステムにはもう未来がない。我ながら大変なものを好きになってしまったと思います。
未来があるものを胸躍らせながら採り上げてみたかった、そう思うこともありますが、やはり私には写植しかない。去りゆく者に光を当て、当時を知る人達と共にしみじみと、かつ鮮明にその記憶を遺す作業というものもまた、独特の愉しみと充実感があるものだと私は感じています。
2011.10.11(火)
亮月写植室保有の文字盤は全国各地の方のご厚意で頂いたものが殆どです。
東北から沖縄まで、写植業を営んでおられた方が大切にされてきた文字盤を引き継がせて頂いております。思いが詰まった文字盤ですので出来るだけ活用できる態勢づくりをしています。
7月に頂いた写植屋さん1軒分の文字盤の大半が未整理で、ケースにバラバラに収められた状態だったので、先の連休の1日を使ってサブプレート全600枚を連番にしました。
サブプレートは20枚立てられる樹脂製のケースに収納されているのですが、長年使用されなかったことによって隙間に埃が溜まってしまい、念入りに清掃しないと使えない文字盤が多くあります。文字盤ケースは業務で頻繁に使用されることが前提のものなので、埃が被るほどの長期保存は想定されていないのです。しかも蓋がないので積み上げると文字盤に直接負荷がかかり、不安定で限界があります。
そこで今回、密閉できる透明な工具用ボックスコンテナに文字盤をケースごと収納し、埃を防ぎながら大量に積み上げられるようにしました(今までは文字盤ケースが新聞紙に包まれた状態で壁と写植機との隙間に山積みだった。危険!)。
さらに収納されている文字盤をボックス毎に写真に撮って台帳化し、必要な文字盤をすぐ使用できる状態にしました。それに伴って「保有書体文字盤一覧」も集計完了です!
使用できない状態で死蔵(コレクション)する余裕は四畳半の写植室にはないので、あくまで「実用する」のが私の姿勢です。重複する文字盤がありそうなので、また頃合いを見て「文字盤プレゼント」企画を開きたいと思います。
2011.10.2(日)
一昨日から昨日にかけて、神戸にある元写植屋さんの取材に行ってきました。
並々ならぬ写植への想いをお持ちで、会社が阪神大震災によって被災してビルが潰れた中で救出され生き残った手動写植機 PAVO-KY と非常に多くの文字盤が今でも大切に残されていました。
関西での経験者の方の取材は今回が初めて。ユーモアたっぷりにお話しくださりとても楽しかったです。この二日間のことは追って詳しくレポートしたいと思っています。
PAVO-KY については譲渡先を探しているとのことでしたので、特設ページを作りました。→手動写植機ゆずります
*
膨大な文字盤の中からずっと欲しかった書体をお土産に頂きました。その中から幾つか珍しいものを。
「ファニー」メインプレート(部分)
佐藤豊さんのサイト*で紹介されていた「ファニー」(1972年)です。
このサインペンで書いたような書体は写研から正式に発売されながらもいつの間にか手動機用の書体見本帳から姿を消し、印字されたものは見掛けるのに名前が分からないという状態でした。10年程前に佐藤さんの文章でこの書体を知った私は文字盤として現物を見たことはこれまでなく、長年どうしても手に入れたい書体でした。実際どうかは別として、私の感覚では「めっちゃくちゃ貴重!」です。
*タイプラボ→考えたこと考えていること→ランダムノート 中『消えた書体?』(1988年3月)を参照。
この文字盤は1986年7月製。書体見本帳に掲載されなくなってからも販売は継続されていたようです。
「ファニー」の3級漢字のサブプレート。こちらは1991年5月製でした。
他にもこんな文字盤が……。
楽譜組み用文字盤MU-V-1〜3です。1997年6月製。ディスプレイ付き機種専用とのことです。ある程度の音楽の知識が要求されます。
文字盤としては珍しい、冊子状の取扱説明書がついていますが……、
なんと罫紙に手書きしたもののコピーでした。相当需要が少なかったのでしょう。
最後の一枚は特段稀少でないように見える文字盤ですが、マニアックな部分で非常に珍しいものでした。
タイポス1212です。ビニール袋に入ったままで、購入したまま使わずじまいだったそうです。
外観は普通のかな文字盤です。しかし、
文字盤に記された数字は「0206」です。2002年6月ってこと!? そんなに最近まで写研が文字盤を作っていたという話は聞いたことがありませんが、それを否定する資料も手許にはありません。外観は昨日買ったと言われれば信じてしまいそうなほど経年劣化がなく、若さを感じます。
他の文字盤と見比べて状況証拠を探ります。
写真はサブプレートの角付近を撮影したものです。手前が先程の楽譜組み用文字盤(1997年製)、奥が問題のタイポス1212の文字盤です。
長方形の中に「15」という刻印があります。これは1990年代前半辺りまでに製造されたサブプレートには刻まれておらず(先述の「ファニー」にも無し)、この刻印があることはかなり最近になってから製造された証であると言えます。つまり、今回見付かった「0206」はやはり2002年6月を意味すると推測できます。
写研から直接回答を頂くことは、7月の「写研が動いた日」で取材した時の質問が未回答であるように期待できません。真相を知るにはまだ時間がかかりそうですが、写研が21世紀になっても文字盤を作っていた可能性が高いというのはなかなかぐっと来るエピソードだと思いません? 私だけ?
2011.9.21(水)
印画紙の購入でお世話になった業者さんから電話がありました。
富士フイルムが8月に印刷関連材料製品の価格改定を行ったとのことで、印画紙は24%、処理薬品は20%の価格引き上げがされるということでした。それで従来の価格の在庫を買っておきませんかというものでした。
処理薬品は黒白写真用の「パピトール」が使えるのでまだまだ心配は要らなそうですが、印画紙は送料込みで8740円から11000円ぐらいへの大幅増(→従来の価格設定)。
しかしまだ頂いた印画紙や先日購入した印画紙が3箱弱残っているので当分は大丈夫そうです。新鮮な印画紙を使うのに越したことはありませんが、まず古いものを使い切ってから購入を考えることにしました。
大幅な価格上昇は消えゆく写真植字にとって致し方ないものです。寧ろこのような時代になっても写植用の印画紙を作り続けてくれる富士フイルムには深く感謝せざるを得ません。
「写植レポート」の『はじめての見学会』でも書きましたが、写植最大の課題は資機材の維持にあります。機械はとっくに製造終了で部品も払底、印画紙が作られなくなった時点で写真植字の命脈は絶たれます。
いまだ活況の活版印刷は紙とインキと活字があれば文字を発生できるので、さして維持に問題はないように思います。文字発生に関する重要な資材をメーカーの振る舞いに依存する写植の方が先に消えてしまう可能性は充分にあるのです。
2011.8.26(金)
ちょうど1週間前の19日、亮月写植室に新しい備品が届きました。
BARIGO というドイツの計器メーカーの温湿度計です。伊東屋のネット通販で8400円でした。
写植室は建物の構造上夏蒸し暑く冬寒いため温度計が欲しいと思っていましたが、なかなか購入には至りませんでした。
今回「大阪DTPの勉強部屋サマースクール」で大勢の方を迎えるということで、室内の空気が心地良い状態になっているかを確認できるようにするため温度と湿度が同時に判るものを探しました。
以前新築に相応しい掛時計を選ぶ時に相当厳しく吟味した(→2011.1.18参照)ので、今回も時間をかけて最適だと思うものを選びました。
BARIGO というメーカーやドイツ製だから選んだのではなく(知らなかった)、画像検索で最も自分の好みに近いものを選びました。品質の高さや評判の良さは買おうと決めた後で詳細を調べていて知りました。それが購入の後押しになりました。
では、どこが気に入ったのか。
まず選択の前提として、以前書いたように機能を体現したデザイン(機能美)が好きです。
本機は温度と湿度を表示するという本来の機能に徹し、無駄がない。無垢のステンレスでできた円形の筐体に針と数値と目盛りしかない。虚飾がなく主張しないということは、他とよく調和するということです。写植室にはそういうものを備え付けることにしています。
BARIGO の計器には何種類かありますが、今回機械式の指針が交差する機種を選んだのは、一目見れば直感的に今の気候が判るからです。
交差する指針が上寄りなら蒸し暑く、下向きなら冬の乾いた寒さ、というのが見た瞬間に判る。その具合を詳しく知りたければその後で針が示す値を見ればいいのです。
デジタル表示式のものも考えましたが、表示を数値として認識→その数値から温度や湿度を知る→この2つの値から気候を判断する、という過程を経るため私にはまどろっこしい。まず知りたいのは正確な値ではなくておおよそ蒸し暑いか寒いかどうかなのです。だからデジタル表示は却下。
できる限り国内メーカーのものを買おうと探しましたが、これほど質素なものはなく、どこか「飾り付けたい」ような印象のものが多くて諦めました。安価な機種にこのような虚飾がないものがないのは何故なんでしょう?「飾られた」ものが好きな人が殆どで、シンプルなものは売れないから作らないってこと? 掛時計の時も同じことを思いましたが、不思議です。
そういう訳で妥協せずに選んだら想定していたよりもかなり高い買い物になりましたが、何十年と使い続けるものなので何も後悔はありません。本棚にちょこんと鎮座し、今日も静かに写植室の気候を教えてくれています。
*
写植室の入口の庭に植えていたゴーヤが育ち、今日(26日)最後の収穫の時を迎えました。
植えてから今日までに20cm台の実が延べ10本程収穫できました。チャンプルーやカレーの具にして家族で美味しく頂きました☆
育ちが早く、日除けとして涼しく実は美味しくと夏を乗り切るのに貢献してくれたゴーヤさん。来年また会いましょう。
2011.8.21(日)
「大阪DTPの勉強部屋」さん主催のサマースクール(勉強会+亮月写植室見学)が無事終わりました。
岐阜の山奥までお越しくださったのは大阪、奈良、京都、東京、愛知から10名、様々な世代の男性女性の方でした。遠くから、そして近くからもありがとうございました!
1日目午後の亮月写植室見学では3班に分かれてご参加いただき、写植の説明や写植機・資料の見学と閲覧、そして一人ずつ写植機を実際に操作して印字も体験していただきました。オペレータ経験者である「なんでやねんDTP」の大石さんによる詳しい解説と操作の補助があり、皆さんに写植を楽しんでいただけたと思います。
それぞれの見学時間が大幅に超過してしまい、「セラトピア土岐」へ移動してからの勉強会の時間が少なくなってしまいました(すみません)。その中で私が『写真植字がある日常。』と題して1時間強お話しさせていただきました。話し手なのに××そうになるなど綱渡り状態でした。
勉強会終了後は懇親会に参加させていただき、文字に関わるそれぞれの立場からのとても濃密なお話を伺うことができました。話題は尽きず、私よりもずっと熱意のある方達ばかりでした!
2日目は1日目に続き勉強会ということで、参加された方が一人ずつ発表をされました。DTPといっても様々な業種がある訳で、なかなか知ることができない仕事の内容や改善への取り組み、本音を聞くことができ、非常に興味深かったです。また、「しろもじメモランダム」のmashabowさんによる即席フォントづくりでは、参加者全員の書いた文字から仮名フォントを作るという面白い試みがされ、原字を書いてから30分程でフォントが出来上がり文字が打てた時は感嘆の声が上がりました。
昼食は地元の「ちゝや」という独特のタレがかかったカツ丼が名物のお店へ行ったのですが、前日「コメダ珈琲店」でカツサンドを食べられた方もいたのですね。私はというと食事中からものすごい眠気に襲われていて碌にお話もできずじまい、どちらもすみませんでした(>_<)
亮月写植室を設立して初めての見学だったり、6年振り2度目の講演をさせていただいたりということで、普段催しに出向く側の者が来ていただく側で臨むという非常に新鮮で刺激的な体験でした。
準備に1週間半しか時間が取れず、見学も講演も手探り状態で至らぬ点が多々あったと思います。遠くにも関わらず岐阜の山奥で勉強会を開こうと企画された主催のえむさん、写植に関して全面的に助けてくださった大石さん、不慣れな私を寛大に許してくださり、あたたかな言葉をかけてくださった参加者の皆さん、本当にありがとうございました。
写植室の見学は随時受け付けていますし、今後もこういった活動をしていきたいと思いますので、またよろしくお願いいたします。
2011.8.14(日)
3月の購入以来写植室のPAVO-JVを少しずつ整備してきて、ディスプレイ以外は完動になったとはいえ、光学系の不安は拭いきれていませんでした。
これは5月時点の露光状態です。10段階の透過率を持つチャートが収録された「デステップ」という文字盤を、光源への出力電圧を変えて印字してみたものです。
本機が1988年に納品されたばかりの時に写研の担当者が印字した印画紙が残っていて、これを見ると45ノッチ前後で十分印字できる状態だったようです。また、PAVOの日常保守説明書によると、露光状態の点検は35から60ノッチで行えば適正な状態が現れるようになっているようです。
一方、写植室のJVは90ノッチまで上げないと適正に印字できないような状態で、光源調整ダイヤルはレッドゾーン、取扱説明書には「著しく光源の寿命を縮める」旨が記されています。譲渡元の印刷所の方も「かなり電圧を上げないと印字できないよ」と仰っていました。この印刷所の点検でも90ノッチ前後で印字された印画紙が残っていました。以来遠慮がちに本機を使ってきて、不安が払拭できない状態が続いていました。
しかしこの状態は明らかにおかしいので、できる限り原因を探ることにしました。
まずは光源ランプを疑ってみます。ランプを未使用のものと交換し、同じノッチ数でファインダーを開いて明るさを比べてみました。……全く違いはありませんでした。ランプの寿命ではなかったようです。
次は光路にあるレンズ群です。光源から文字盤までの光学系は手の届き易い位置にあるので既に清掃済ですが、手を入れるのに時間がかかる主レンズとJQレンズは手付かずでした。
前面パネルを開けて写植機の中を見てみると、JQレンズは光沢が全くなく薄い布を被せたようで、触ると指に黒い粉が付いてきました。長い間清掃されていなかったようです。湿らせたティッシュとシリコンクロスでこの塵を取り除き磨き上げました。
ということは主レンズも同じ状態になっている可能性が高い。湿らせた綿棒で拭いてみると、やはり黒い粉が沢山付いてきました。前所有者の時代からレンズに塵が積もった状態を知らずに使われてきたなんて。
レンズを清掃しても直らなければ私ではどうしようもありませんが、取り敢えずは試し印字です。
(画像クリックで拡大)
おお!
今まで印字していた90ノッチでは明らかに光量過多で、60〜65ノッチあれば十分な濃度が得られるようになりました。納品時の45ノッチには至りませんでしたが、ランプの寿命を著しく縮めるような使い方はもうしなくて済みます。
今週末には写植室の見学+印字体験を控えているので、これで心置きなく写植機を使ってもらえそうです。
2011.7.31(日)
遠方から「写植機が故障して文字盤が要らなくなったので差し上げますよ」と連絡があり、全て引き取ることにしました。
メインプレートが100枚弱、サブプレートは600枚ぐらいとのこと! 段ボール箱9杯分あるということで一度は辞退を考えましたが、手持ちの文字盤は書体が不十分なので譲って頂きました。
1日かけて荷を解きました。取り敢えず和文書体だけは整理しました。
ゴナやナール、石井書体のように重複するものも多かったですが、写研の青い表紙の見本帳に載っていないような書体もありました。「(読売)新聞明朝体」「同ゴシック体」はとても稀少だと思います!
譲渡元の方は古くから写植業を営んでいたようで、「KL」「KS」の区別がなかった時代の「中ゴシック体(MG)」「太ゴシック体(BG)」もありました。MGは仮名のはねが尖っています。
サブプレートも充実していました。中でも「広告専用見出し書体」シリーズが殆ど揃っているのは驚きでした。
中村征宏さん作「ナディス」(1976年)。極細と極太の画線によるコントラストが面白いポップな書体です。
ゴナUより太い画線にゴナM辺りが隠されているような、中村さんらしい書体です。もちろんこの書体の発売当時は細いゴナは開発されてもいませんが、ナディスの細い部分を後年のゴナファミリーと比較して見ると設計が殆どぶれていないように思います。
もう1枚、どうしても手に入れたかった稀少書体もありました。
「広告用太ゴシック体」(書体コードKK、丸C表記は1966年)です。1975年に品質改良される前のものでした。
広告用に太ゴシック体の字面を大きくしたものですが、石井太ゴシック体が1960年に現在のデザインになる前の形状が色濃く残る過渡的な書体です。
はねが尖っていたり、起筆部に強い角立てがあったりと、ゴシック体が書体のデザイン的にも写植機の性能的にも十分完成されていない時代の設計です。ただしデザイン改正前の石井太ゴシック体やモリサワの「太ゴシック体B1」よりは洗練されていて、どうしてこのような状態のものが文字盤化されたのか不思議です。
石井ゴシック体はウェイトや仮名の大小によってデザインが異なり、一定の法則を持って変遷しているように見えます。とても興味深いです。
広告用太ゴシック体を同系統の書体と比較
広告用太ゴシック体は、太ゴシック体B1と改正後の石井太ゴシック体の中間のようなデザインです。全体としては石井中ゴシック体(MG-KS)に近い印象です
*
文字盤を送って頂く中で最も恐れていたことが起きてしまいました……。
輸送中に無理な力がかかったのか、数枚のメインプレートが割れていたのです。手持ちと重複するものばかりでしたが、無惨で心が痛みました。
合わせガラスの片面に書体のネガフィルムが密着しているような状態で、このようにフィルムもくっついて割れてしまいます。かつて府川充男さん宅に伺った時、「写研の文字盤は割るとバラバラになってフィルムだけは取り出せないよ」と仰っていたのを思い出しました。
文字盤の取り扱いにはくれぐれもご注意を。
重複している文字盤については今後集計し、また「文字盤プレゼント」なり見学会なりで欲しい方を募ってお譲りしたいと思っています。
2011.6.25(土)
PAVO-JVの整備を進める中で最後まで手つかずだった箇所である点示装置を修理しました。
写真の点示器は修理後のものです。印字位置の移動に機械的に連動して鎖とレールによって動き、印字の際には白いインク溜めが下部の支点を軸にキツツキのように動くことでガラス製の点示板に点を残すようになっています。
修復前の写真を撮っていなかったので前後を比較できませんが、譲り受けた直後は点示器のインクが溢れていて至る所が真っ青に汚れ、生乾きになって粘度が増したドロドロのインクが支点に入り込んで固着しているという酷い状態でした。そのため「パチッ」と音はすれども点示することはできませんでした。
そこで今日、アルコールを染み込ませたティッシュで粘るインクを根気よく落とし、きちんと動作させられるようにしました。
このように印字(シャッター)毎に点示されます。恥ずかしながら私、初めて点示する様子を見ました。長い間ディスプレイ付きの写植機しか見たことがなかったのです。
点示板の表は磨りガラス状、裏は滑らかな面で、インク点は布やティッシュで簡単に拭くことができます。かつて写植屋さんの廃業に立ち会った際、思い出話の中に出てきた点示板の記憶そのものです(→写植レポート「さようなら写植。」第5回)。
ディスプレイの不動は諦めなければならないかも知れませんが、他の機能は全て動作可能な状態になりました! これで万一オペレータ経験者の方が操作することがあっても不自由なく印字していただけると思います。
*
写植室はめちゃくちゃ暑いので、対策としてゴーヤを植えました。
プランターに植えてからひと月弱でこの状態。まだ向こうの景色が見えますが、ここ最近の雨と高温で随分成長しました。真夏には綺麗な緑のカーテンになっているといいな。
2011.6.15(水)
※本日付までは「亮月だより」から抜萃し、加筆修正したものです。
かねてから取り組んできた自家印字に向けた準備について建物や資材が調い、今後継続して活動できる目処が立ったので「亮月写植室」という写植専門の個人サークルを新たに設立しました。同時にサイトも開設しました。
昨年からその準備を進めていました。自動車を買い替える代わりにその費用で写植の為の部屋を建てればいいと思い立ち、秋から冬にかけて離れを建築、手動写植機を広く募集して状態の良いものを譲り受け、その整備と環境づくりをしてきました。
離れは建ったものの写植機が手に入らないとか、印字できない写植機を譲り受けてしまうとか色々と想定しうる危険があったと思いますが障壁は何もなく、とても幸運だったとしか言いようがありません。
4月からは殆ど時間が取れない状態が続いていて、その中で少しずつ少しずつ歩みを進めてきました。当初は亮月製作所のサイト開設日に亮月写植室を創立したかったのですが忙しすぎて成らず、キリのいい6月1日に遅らせても間に合わず、こんな半端な日になってしまいました。
長かったです。
それでも無事に形にすることが出来てほっとしています。
建物にもサイトにも写植しかありませんが、よろしければご覧くださいませ。
ともあれ、私とて写植機の操作はまだまだ見習いの初歩レベル、写植に関する見識もこの通りで実(じつ)が伴っていませんが、建物や写植機といった実体があるものを拠り所にできるのは亮月製作所時代とは最も異なるところで、亮月写植室最大の特徴だと思っています。
亮月製作所がそうであったように、亮月写植室も写植を愛する人達によって作られていく場所でありたいと考えています。一人でも多くの人に写植を知ってもらい、懐かしんでもらい、できる限り残るものとして留められるようにしたいです。
亮月写植室、はじまります! どうぞよろしくお願いします。
2011.6.1(水)
自家印字を継続的に続けるために必要なPAVOの光源ランプは幸運に恵まれ新品を3本入手でき、残るは印画紙を確保するのみとなっていました。
5月15日の投函で書いたように現在でも富士フイルムからの供給は続いていて、岐阜県内に取次業者があるということだったので直接連絡を取り、富士から取り寄せてもらったものを送って頂きました。
写植ペーパー「PL100WP」の23×27cm。丈夫な厚手のボール紙で出来た函です。中に黒いビニール袋に入れられた印画紙が100枚入っています。
使用期限は2013年12月です。私の使い方だとよほど贅沢に使ってもまだ余りそう。推奨セーフライトは「富士フィルターNo.2A(黄緑色)」とのこと。写植屋さんの見学の記憶から赤色を買ってしまったけど大丈夫だろうか?
代金は送料込みで9240円。1枚92.4円で写植が打てると思えば安いものですが、無駄にしないようにしていきたいです。
これで自家印字態勢が調いました! 商売で写植を始める訳ではありませんが、建物を含め形のあるものが構築できたので、新しい活動の場として動き始めようと思います。
2011.5.22(日)
前回心配していた光源ランプについて、以前稼働する手動写植機を募集した時に連絡をくださった方のご厚意で譲って頂くことができました!
PAVO用の未使用光源ランプを3本も! 他にも写植機の取扱説明書や書体見本帳、Q数スケール、ヒューズ等の交換部品もくださいました。(本当にありがとうございました!)
仕事で使う訳ではないので1日当たりの点灯時間は短いため、3本あれば当分の間使っていけそうです。写植機をこの時代に維持する場合に直面する一番の問題がこの光源ランプだと思うのでほっとしました。といっても他の部品が故障する可能性はある訳で、全く気を抜ける訳ではありませんが!
光源ランプをじっくり見てみました。
ソケット側です。位置決め用の軸を持つ4端子。定格は20V、4Aのようです。底面をよく見ると赤色で「や3」の印字があります。
先端側には「Sha-ken」という写研の旧ロゴが刻印されています。やはり汎用品ではない模様?
フィラメントはタングステンの針金を細かく折り返す平面的な形状です。写植機にはこの平面状のフィラメントの面積を活かす位置関係で装着します。この写真では画面の奥から手前が光軸です。
光源ランプは幾つあっても困るものではないので、引き続き譲ってくださる方を募集します。引き出しの奥に眠っているランプをお持ちの元オペレータさん、ぜひご連絡ください。
2011.5.15(日)
今後手動写植機による印字を続けていく為に必要な消耗品が幾つかあります。
現像液等の写真用品は白黒写真が廃れない限り入手できるでしょうけど、問題は写植用の印画紙と光源ランプです。
先日、大手家電量販店に行き、写植用の印画紙を取り寄せてもらえるか尋ねたところ、「業務用品なので当店では取り扱っていない、個人には販売していない」というような回答でした。
そこで今回、写植用の印画紙を唯一製造しているとみられる富士フイルムに入手方法を問い合わせてみました。「富士写植ペーパー PL100WP」と高感度タイプの「富士レーザーペーパー PR-H100WP」です(→富士フイルムのサイト)。
富士フイルムの回答によると、岐阜県では岐阜市内に取り次ぎ販売店があるとのこと!(株式会社光文堂 岐阜営業所)
・PL100WP 23×27cm 100枚入り 8,740円/箱(税抜き)
・PL100WP 25.4×30.5cm 100枚入り 10,860円/箱(税抜き)
・PR-H100WPは感度波長粋がパンクロ*の為、お勧めできない
これで印画紙については確保の目処が立ちました。数年前の印画紙でも充分使用できることを自家印字で確認しているので、買い置きしておけば安心です。
あとは光源ランプですが……予備が手に入れられるまでは気が抜けません!
*パンクロマチック〈panchromatic〉
可視光線の全ての波長に感光する感材の性質のこと。
手動写植機による印字に用いる印画紙は通常赤色に感光しない為、暗室のセーフライトに赤色を使用している。この場合、パンクロマチックの印画紙をセーフライトに晒すと感光し、現像すると黒くなってしまうことになる。
2011.5.3(火祝)
PAVO-JVに続いてSPICA-QDの自家印字に挑戦しました。
譲り受けたSPICAは1972年製。光源のフラッシュランプは点灯し動作にも異常がないとはいえ、製造後40年を経過しようとしている機械式の写植機がそのまま使えるとは到底思えません。マガジンに張ってある遮光用の布は動かすとガサガサと嫌な音がし、パッキンに使ってあるモルトは溶けている部分があります。光線漏れが起こるだろうな、と思いながら印画紙をマガジンに収め、印字に取りかかりました。
例によってデステップ文字盤を使用し光源の明るさを変えて印字しておきます。本機には24Qまでの主レンズが装着されているので、このQ数で書体も変えて印字してみました。本機はメインプレートが1枚しか装着できないので書体の頻繁な変更はなかなか厄介ですが、文字盤を8年も押し入れの肥やしにしていたので使いたくなるのが人情というものです。
機械式のSPICAはQ数の変更と送りの変更が連動しないので、主レンズを変えたことを忘れて今までの字送りのまま印字してしまった箇所がいくつか出来てしまいました。スピカさんは進言することなく、あくまで主の意思に忠実に従う姿勢なのです。
こうして打ち終えた印画紙を現像します。印字は多分無理、だけど僅かな希望に懸けたいと思いながら。
20℃の現像液に浸して2分。
なんと!
黒々とした文字が印字できていました! 予想外です!
今回もやや光量不足でしたが(コンデンサ:Bマイクロ、光量:10ノッチ)、光線漏れはなくきちんと印字できました。ゴカールやオクギといった新書体も印字できています。SPICAはPAVOと文字盤の規格が共通なので当たり前ですが、とても古い機種で印字できるのは不思議な気持ちになります。
仔細に見てみると、文字の中心辺りの光量が不足して白っぽくなっています。大きなQ数ならスキャンした画像を補正すれば対応できる濃度ですが、15Qのデステップでは白く飛んでしまっています。光路上に障害物があるか、フラッシュランプの寿命かのどちらかだと思われます。後者だったらどうしようもありません。
出来る限りの手当てはしようと、本体のカバーを開けてフラッシュランプ周りの清掃をしました。ランプも反射鏡も減光用のNDフィルターもノーメンテだったようで埃にまみれていました。綺麗に拭き取ったので多少は良くなるでしょう。
せっかくなのでSPICAの光源ランプをじっくり見てみました。
写研謹製のフラッシュランプ。元写研のサービスの方によると汎用品での代替はできないとのこと。上部が黒ずんでかなりお疲れのようです。労って大切に使わなきゃ。
ソケットは8端子のもの。うち3端子を使用して発光を制御しているようです。
ついでに採字用の螢光管も綺麗にしました。三菱製のFL6W型。これは現在市販しているもので代替できます。
という訳でSPICAでも自家印字に成功しました。但し光源が弱っているように見受けられるので、フラッシュランプの替えが見付かるまでは(あるんかいな)なるべくPAVO-JVを使うようにしていこうと思います。
それにしても、SPICAも印字ができる状態だったとは。前の持ち主様が手厚い保守をしていたとはいえ、40年前の写植機が現役で使えることには驚くほかありません。
2機とも印字可能であることが確認できたので、あとは継続して使っていくことを考えていきます。頂き物に頼っている印画紙を取り寄せ、将来に亘って使い続けられる態勢を調えたいと思います。
2011.4.30(土)
昨日買い揃えた道具を使って試し印字をしてみました。
今回導入した中古の手動写植機PAVO-JVは目玉機能である5型画面以外は全て機能する状態であることが確認できているので安心して操作することができました。ブラウン管が生きていれば最善でしたが寿命は他の機構より短いことが予想されたので、点示板付きの機種を選んでおいてよかったです。
現像液「パピトール」の条件は20℃2分間に固定しておき、光源の明るさを任意に変えて適正な光量を探りました。「デステップ」という文字盤には10段階の透過率を持つ四角形が収録されていて、これを光量ごとに印字します。5番目がはっきり識別できる状態が適正光量です。
デステップ文字盤
透過率が異なる10段階の四角形の他、現像時の条件などをメモできるように数字とアルファベットの一部、及び必要な漢字が収録されています。
余白ができたので、Q数や書体を変えたり好きな記号を印字したりして遊んでみました(笑)。点示板の動きを見る限りは送りが乱れることなく印字できている筈……。
さあ、現像してみましょう。
PAVO-JVに装着されているマガジン
完全に遮光できる金属の箱で、この中のドラムに印画紙が巻かれています。
暗室に現像液と定着液を張ったバットを用意しておき、印字が終わった印画紙をマガジンごと持ち込んでセーフライトを点灯、暗室のドアを閉めて遮光します。
マガジンを開いて印画紙を取り出します。セーフライトの光が強すぎたり暗室が遮光できていなかったりしていたらここでお釈迦です。
取り出した印画紙を現像液入りのバットに浸します。印画紙に液が満遍なく行き渡るように竹ピンセットで印画紙を動かします。これを2分続けます。
さて、うまく感光しているでしょうか……。
出たーっ!
前回の投函で心配した光線漏れなどの光学的な問題はなく、写植機も正常に動作しているようで、私が操作した通りに印字されているようです。文字の重なりは写植機特有の“センター・センター方式”(座標が文字の中心にある)に不慣れな筆者の不手際によるものです。
明るい所で印画紙を見たいとはやる気持ちを抑えながら、停止液の代わりに水洗い、定着液に2分浸し、最後に水洗いして写植として完成させました。液さえ予め用意しておけば、あとは温度と時間を守って印画紙を浸すだけ。暗室作業は思っていたよりも簡単でした。
生まれて初めて、自分の写植機で、自力で、印字した写植。
光源の光量不足と現像液の温度低下のため文字は薄く、デステップも3段階目までしか見えませんが、それ以外の問題はありません。初めての自家印字はおおよそ成功でした。
昼から外出したので、夜に再度印字の薄さを解消すべく挑戦しました。光量を多目に設定し、現像液は湯煎をして20℃を保ちました。印画紙を現像液に浸してからは祈るのみです。これで真っ黒な文字が印字できますように……。
私が知っている「写植」が出来上がりました!
真っ黒で滑らかな写植の文字。
中学生の時に初めて写植機を見てから十数年。写植ファンサイトを開いて12年。長い長い道のりを歩き続けてやっと辿り着くことができました。とても感慨深いです。
喜びに浸るのは後にして、印字されたものを細かく検証してみます。
1行目の文末「PAVO-JV」は字づら検出機能によって欧文自動字幅規定装置が作動し、プロポーショナル組みが行われています。但し、字づら検出は文字盤の種類を「E欧文」ではなく「つめ組み用かな文字盤」に設定したままだったので詰め過ぎになっています。
2行目はデステップの印字結果。4番目がごく薄く印字されているので若干光量不足ですが、3行目のナール(一番細く、手動機専用のもの)も飛ぶことなく綺麗に印字できています。
4行目の黒い横線はスポット罫線です。罫線に挟まれた文字列が半角左へ飛び出しているのは、センター・センター方式である事を忘れて印字してしまったからです。
次の行は100Qの記号BA-90とBA-88。ぼけ足(滲み)は殆ど見られません。「亮月製作所」と重なってしまい残念。脳内に印字状態が思い浮かべられるようになるまで精進します(笑)。
「ひかりをあびて とろけるみたい」は石井中明朝体OKL(MM-OKL)のつめ組み用文字盤と字づら検出によるプロポーショナル印字(つめS)です。ディスプレイを備えた機種による手詰めと比べると不自然な部分がありますが、試し印字をして送り量を加減すれば対応可能です。「『プリコグ』より」も石井太ゴシック体のつめ組み用文字盤。12Qの小さな文字でも仮名が綺麗に詰まります。花澤さんの「澤」はメインプレートにないので正字が収録されたサブプレートから採字しました。
と、これだけ打つだけでも写植機の操作についてかなり勉強になりました。
8年間出番を待っていた文字盤たち(一部)
文字盤は数年前に廃業した写植屋さんから丸ごと譲り受けたものをこの日を見越して保管していたので和文が30書体ぐらいあります。印画紙は写真用のものでも使うことは可能(研究中)だし、現像液や定着液も写真用としてありふれた安価なものです。しかも液は疲労するまで繰り返し使えます。
写植機さえ動いてくれれば殆どタダで写研の書体が打ち放題……いやいや、しっかり組版するとなると習熟が必要なので、込み入ったものは今後も写植屋さんに発注するつもりです。ただ、写植屋さんがいつまでもいてくれる訳ではないので、いつかは自分で組むことになるのでしょうけど。
今日に至るまでにはとても多くの人のお世話になりました。いくら感謝しても感謝しきれません。そういった方々の写植への想いが亮月製作所を作っていると私は思っています。
今迄は写植の実体験が殆どないまま写植と関わらざるを得ず、根無し草のようで我ながら説得力がないなあと思いながら活動していました。しかしこれでようやくスタートラインに立てた感があります。
自家印字に先立って、プロスタディオの駒井さんから「最後の写植職人でいてください。」とのお言葉を戴きました。今後写植を維持することは更に困難になり、印字できなくなることも考えられますが、お言葉に恥じないよう前進していきたいです。
2011.4.29(金祝)
写植の印字に必要な道具を買いに行ってきました。
写植オペレータの方にどのように現像しているかを詳しく尋ね、同じものを揃えることにしました(プロスタディオの駒井さん、ありがとうございました!)。
現像液「パピトール」、定着液「スーパーフジフィックス-L」、液の保存用のポリ瓶2本、現像・停止・定着・水洗に必要なプラスチック製バット4枚、竹製のピンセット3本、暗室用のセーフライトです。合計約15000円也。
現像するには液に浸す時間と温度を厳密に管理する必要がありますが、温度計と時計は手持ちのものを活用することにしました。停止には本来酢酸やクエン酸を用いますが、流水でも差し支えないとのことだったので購入しませんでした。暗室には水道を引いて流し台を用意したのでこれだけあれば写植機で感光させた印画紙を写植にすることができる筈です。
この形式のセーフライトは感材から1メートル以上離して設置する必要があります。それでも手元や文字が見える程度には明るさが確保されています。
こんな感じに見えます。この灯りの中で印画紙をマガジンに装填する練習もしました(笑)。
パピトールの粉末を水に溶いて現像液を完成。印画紙は数年前にある文字好きの方から頂いたものを保存していたのでこれを活用。
あとはマガジンに印画紙を装填して実際に写植機を使って文字を打ってみるだけです。
多分これからの光学的・化学的な要素が一番難しい問題だと思います。光源ランプが弱すぎて感光できない・光路が写植機内のどこかで遮断されている・レンズが印画紙に像を結ばない・マガジンが光線漏れしている/送りが写植機の動作に連動しない(多重露光)・印画紙が既に感光している/古すぎて現像できない……等いくらでも思い付きます。はてさて、どうなることやら。
2011.3.24(木)
前回「SPICA-QD」を譲って頂いたと書きましたが、昨日もう一台の写植機が届きました。
5型画面搭載の手動写植機「PAVO-JV」です。
PAVO-JV全景(亮月製作所別棟にて)
機械が組み上がった頃には夜遅くになっていました。柱の時計「KS474M」に注目。
昨日の夕方に到着し夜中までかけて仮組み立てと簡単な清掃を行ったところで、通電と主要な機能のみ動作確認を行いました。
1988年製で型式の割に新しいのですが、動作しなかったり不安定だったりする機能がある模様です。本機については今後少しずつレポートしていこうと思います。
これで別棟への備品搬入は全て終わりました。しかしこれからが肝腎なのです。自家印字が最大の難関であり目的です。印字が不可能だとしてもできる限り整備・清掃して、動作する写植機と資料を擁した小さな写植資料館のようなものとしてやっていきたいと思います。
2011.3.20(日)
友人2人が19日から20日に泊まりがけで別棟の新築祝いに駆けつけてくれました!
前日にSPICA-QDの清掃が隅々まで終わり、部屋も片付いたばかりで綺麗な状態を見学してもらうことができました。この友人達は長い付き合いで私が写植好きだということはよく知っているのですが、動作する写植機を使って説明できるのは説明する側もされる側も意思疎通が楽でした。例えば「パソコンのフォントに当たるものが文字盤だよ」というのは言葉を並べるよりも実物を見てもらった方が仕組みを理解し易いのです。
新築祝いということで、この部屋で飛騨牛のしゃぶしゃぶを振る舞ってくれました。
新しい建物で好きなものと友人に囲まれて美味しいものを食べる。私は幸せ者です(涙)。初めてのお客さん、本当にありがとう!
2011.3.17(木)
写真植字機を導入する為に昨年から色々と準備をしてきました。
木造家屋の2階にある亮月製作所に機械を入れることは事実上不可能だった(床が抜ける)ため、写植機の設置と資料の集約の為にかねてから別棟の建築を計画していました。
同年9月からはそこにあった使わない倉庫の解体を行い、別棟の建築を開始。重量物が床に載る事や暗室も含め施工し、写植機による自家印字が出来る態勢を調えていたのです。
今年1月に電気工事が終了し、別棟が完成しました。
そして3月に入り、ある印刷所から卓上型手動写植機「SPICA-QD」を譲って頂きました。
写研「SPICA-QD」(譲渡元にて筆者撮影)
1972年5月に新調したという本機はあまり活躍することなく印刷所の片隅に眠っていたとのこと、交換レンズや点示板の予備インク、貴重なイロハ配列の文字盤、本体カバーに至るまで殆どの付属品も現存していました。電源を入れると採字用の蛍光灯が灯り、縦横送りも正常に動作しているようでした。
本体だけで60kgあるため家人の協力を得て搬出、亮月製作所へやって来るに至ったのです。この印刷所をはじめ関わってくださった方々にはたいへん親切にしていただき、感謝に堪えません。
主レンズと操作部
点示板と点示器
SPICA-QDは物凄い埃にまみれていたので40年分の汚れを落として磨き上げ、取扱説明書に従って一連の動作確認を行いました。
縦横任意H送り・1H送り可、点示器動作、主レバー縦横とも印字可、電源ランプ・採字用蛍光灯・電圧計動作、光源調整ダイヤル動作、カウンター動作、縦横復帰可、ルビ用採字マスクペダル動作、文字枠ストッパーボタン動作、フラッシュランプ点灯(!)。
フラッシュランプが生きていることにとても驚きました。他の機構も完動で、あとはレンズや遮光に問題がなければ印字も可能かも知れません。
光源と文字盤、主レンズターレット(24Qを選択)
この光学系から現像までが一番厄介で、場合によっては自家印字に至らないかも知れません。しかし、写真植字機としてほぼ完動の機体であり、「生きた写植機がある」ことは何よりも貴重な資料であると思います。
また、この印刷所からは廃棄予定だった1960〜1980年代の写植や和文タイプライターに関する資料も多数頂き、詳細な研究ができそうです。
写研が本社をどうにかするらしいという話を目にしたという話題は以前しましたが、仮に亮月製作所で自家印字ができなかったとしても、岐阜の田舎にも小さな写植の資料館のようなものがあっても良いかなと思っています。
現在のところ別棟には写植に関する書籍や資料を集めた書架と和文タイプライター2台、SPICA-QDがあることになります。写植を経験された方や文字好きの方等に公開できるよう更に準備を進めてまいります。
2011.2.21(月)
亮月製作所トップページの写真にパンライターを使うため、初めて長い文章を印字しました。
12ポイント細丸ゴジック体横打、字送り4mm(固定)、行送り4段階(8mm)
本来なら原稿を書いて割付までしてから印字するものなのでしょうけど、打ちながら言葉を選んで“箱組”にしてみました。印字時間は30分強でした。
今回は見出し盤にある文字だけを使ったので「無だ」「きょう体」と交ぜ書きになっていますが、別途用意されている「貯蔵庫」の活字を使えば、日常的な文章なら殆ど漢字に困ることはないようです。
私のパンライターには日本タイプライターの活字「細丸ゴジック体横打」の12ポイントが装着されていて、基になったであろう写研の「石井細ゴシック体」のようにクラシカルな雰囲気の文書が作成できます。
この書体、「グリコ・森永事件」の脅迫文に使われたのですよね……。あちらは9ポイントだったようですが。「どくいり きけん」云々と打ってみるのは止めておきました。
手持ちのパンライターはインクリボンが使える状態で入手できたので、印字した文字は紙の上ですぐ確認できるのですが、菅沼タイプライターはカーボン紙を挟んで使っているので印字した文字を見ることができず、印字位置をよく失敗します。手動写植機に画面や点示板が装備されている有難味がよく分かります。
2011.2.13(月)
先週の日曜日の話ですが……。
日本タイプライター用の未使用盤面活字がネットオークションにごく安価で出品されていました。オークションには盤面全体の詳細な写真が載っていたので、パンライターの盤面とよく見比べて規格が合いそうだと判断し購入してみました。
「明朝体横打用」ということで、手持ちのパンライターとは違う書体を使ってみたかったのです。それにしても、外箱まで残っているのは貴重です。こういう機会は滅多にないと思うので、少しずつ梱包を解く過程をレポートします。
外箱を開けると、発泡スチロールに護られた内箱が。内箱には「必ずこの面を上にしてバンドを切って下さい」とあります。逆にすると収められている活字がもれなくこぼれます。
内箱をさらに開けてみました。チャック付きポリ袋で密閉された盤面活字(写真右)の下には真新しい冊子『文字索引』が収められていました。
ポリ袋の中身です。防錆紙が乗った盤面活字本体(右)と保護用の段ボール(中)、見出し盤用の活字シール、活字盤を保護するアルミの板(左)です。
活字シールです。使用頻度の少ない文字を別途購入して盤面へ追加した時に、見出し盤に貼っておくものです。
そして盤面活字が出てきました。日本タイプライター用「2376標準配列」の「明朝体横打用」9ポイント活字です。パンライターの盤面活字と形状が非常によく似ています。使用感は全くなく、活字が青白く輝いています。
側面には書体名・配列・製造番号のシールが貼られています。シールの直上にあるレールにボールゲージと呼ばれる四角柱状の滑り車を45度に噛ませ、タイプライター本体へ装着するようになっています。
整然と並ぶ新品活字たち。美しいの一言に尽きます。
盤面の仮名活字を拡大してみました。第637回の投函で紹介した、朝日新聞の1倍活字によく似た扁平明朝体でした。あの時書体を調べて以来使ってみたかったんだー♪
しかし。
パンライターに装着しようとしてもうまく入りません。両者を比べてみると今回購入した盤面(写真上)は短辺の寸法が3ミリ程大きく、ボールゲージがつっかえてしまいます。ボールゲージを省略してパンライターに装着するとザザザという金属が擦れる音がして明らかにまずい状況でした。最後の最後まで来て規格が違う事が判るとは……。もしや、同じパンライターでもPLUS製と日本タイプライター製では盤面の大きさが変えてあるとか……? はまり過ぎると還って来られなくなりそうなので、問題提起だけにしておきます(笑)。
そのままでは使えないのは残念ですが、レポートを続けます。
活字の形状を比べてみました。写真左は菅沼タイプライター用活字で、中央は今回買った日本タイプライター用盤面の活字、右はパンライター用の活字です。
日本タイプ用とパンライター用は全く同じ形状でした。(という事は、「日本タイプ用」には菅沼と互換性がある大きいものとこの形状のものの2種類ある?→このブログによると、「日本タイプの製品で、パンライター・ネオライター・スーパーライターは同じ活字だが、モジテックと言う機種はまた違う」とのこと。)
指でつまんで接写。上がパンライター用の12ポイント細丸ゴシック体、下が日本タイプ用9ポイント明朝体横打用です。活字の寸法は同じですが、彫られた文字の大きさだけ異なります。パンライター用の盤面に移植すれば問題なく印字可能です。とても手間がかかるので私はやらないけど。
左は今回入手した文字索引(1983年8月30日初版)、右はパンライターについてきたもの(1976年9月7刷)です。
音訓・部首・総画で文字の配列位置が引けるようになっています。巻末には日本タイプライターで使える全文字の配列表が載っていました。これによると活字は2書体6種あり、
・明朝体横打/細丸ゴジック体横打(12ポイント)
・明朝体縦打/細丸ゴジック体縦打(12ポイント)
・明朝体横打/細丸ゴジック体横打(9ポイント)
とのこと。半角の「アラタ」や変体仮名等もあるようです。和文タイプマニア垂涎の冊子でした!(←居る……よね?)
この冊子の巻頭に、平成改元に伴う配列変更の案内が挟まっていました。
平成を迎えて間もなくに生まれたものの顧られる事なく今に至った哀れな盤面活字。私も本来の用を為させてやることはできませんが、貴重な資料として持っておきたいと思います。
2011.2.3(木)
菅沼タイプライターの盤面活字に収録されておらず、どうしても必要だった活字を買い足しました。「亮」「桂」、自分に関する漢字1字、横組用の読点「、」、「,」、「※」、「*」です。
自分の名前(桂光亮月)が印字できないのはとても気になっていたので、早々に対処する事にしたのです。ついでに私がよく使う記号も求めました。アスタリスクは本来のそれではないような気がしますが、これはこれで可愛らしいので良しとしました。
先述の「日本タイプライター」用の新品活字で、1本500円也。
実際には“イワタ特細明朝体”の新品活字があると聞き、平仮名全文字を注文したついでだったのですが、届いたものは昭和60年代以降の文書でよく見かけた懐の広い現代的な明朝活字でした。
タイプライター店の方には見本の画像を送り、何度も確認してから注文したのですが、どうやら「明朝体」より細分化された認識はお持ちでないようでした。恐らく和文タイプライターが全盛だった時代も売り手・使い手ともに書体に対する認識はこのぐらいのものだったのでしょう。残念ですが、平仮名は返品する事にしました。(この明朝体の出来も、決して悪くはありません)
新品の和文タイプ活字を見るのは初めてなので、そのまま返してしまうのはちょっと悔しい。という訳でじっくり見てみました。
拗促音には「H」「2」という刻印があります。
「っ・ゃ・ゅ」には2の刻印、「ょ」にはHの刻印があります。刻印された文字にどのような意味があるのかは今の私には分かりませんが、興味深いです。
今回購入した日本タイプライター用の活字は活版印刷用の金属活字と異なる特徴を持っています。(「パンライター」も日本タイプライター製ですが、また異なります)
同じ活字を向きを変えて撮影してみました。ボディの切り欠き(ネッキと呼んでよいものか)の深さが左右で異なっています。ボディの中心辺りで深さが変化しています。
一方、菅沼タイプライター用活字は、
ボディの右側に深い溝が彫られ、中空に近い状態になっています。ネッキは深い溝がある面の両側にあり、反対側には刻まれていません。これは確かに特殊だ。
盤面活字の空白部分に、購入した日本タイプライター用活字を装填してみました。高さは全く同じ、当たり前ですがサイズも同じです。印字も菅沼用の活字と変わらない感覚ででき、菅沼タイプライターに対して互換性がある事が実証できました。
写真ではうまく色が出ませんでしたが、使い込まれて黒っぽくなった周りの活字に対し、真新しい活字が白く目立っています。
自分の名前の活字が新品で売っていて、それを使えるようになったというのがこの目で見える状態なのが嬉しい。活字を少しずつ買い揃えて充実させるこの感覚は、画材の「コピック」をいつの間にか何百色も揃えてしまうのに似ています。これは危険だ……(笑)。
自分の名前が印字できるようになったので、かなり活用の場が広がったと思います。名刺とか葉書に使うと面白そうだ!
2011.1.26(水)
亮月製作所にもう1台和文タイプライターが届きました。
PLUSの小型和文タイプライター「パンライター」です。
日本タイプライターから同名で発売されていた機種のOEMと思われます。横組ベタ送り専用の簡易なものですが、その分機構は単純なため操作は簡単で、鋳物の筐体とはいえ抱えて持ち運べるほど軽量です。パンライターは緑色のものが多く出回っているようですが、この機体はくすんだ青色。主張しすぎなくて好感が持てます。
実は昨年末に中古屋から2000円で譲り受けたものです。オークションでよく見かけるのは錆びたり見出し盤に書き込みがあったりするもので、ゴミに出されて雨に当たったりかつて酷使されたりしたと考えられるため手を出しにくいのですが、この個体は外観に殆ど傷みがなく、あまり使われないまましまい込まれていたのだろうと推測し、購入に至りました。ただし送り主の荷作りが不適切で活字の3分の2がバラけた状態で届きました。無惨で涙が出そうでした。
そこで例によって和文タイプライターの修理業者を見付け出し、盤面活字の復元と修理一式を頼んでいたのです。
丁寧に修理してくださり、全ての機能が滑らかに動作するようになりました!(ありがとうございました!)
→株式会社東京タイプライター商店
使い方は菅沼タイプライターとほぼ同じで、印字したい文字を見出し盤からカーソルで選び、印字レバーを押し込むだけです。パンライターでは見出し盤の下に盤面活字があり、長いアームでカーソルと盤面活字とが繋がっていて連動するようになっています。
パンライターの操作部です。下から順に、採字をするカーソル、ベロのように出ているのがスペース兼バックスペースレバー(倒す方向で変化)、その左に印字レバー、上の長いものが改行レバー(4段切替)、奥に僅かに見えているものが復帰レバーです。これだけ。枡目に文字を入れるような感覚があれば簡単に操作できます。
見出し盤の配列は読みの五十音順で、初めての私でもすぐに採字できました。仮名や英数字、漢字や記号を2205文字収録。
では、印字してみましょう。
見出し盤から打ちたい文字を選び、印字レバーを押すと……
盤面活字から活字を1本くわえ、せり出してきます。
せり出した活字はインクリボンに当たり、その背後にある紙に打ち付けられて印字されます。これの繰り返しです。
印字される文字は前回紹介した「細丸ゴシック体」でしたが、見出し盤は例の朝日新聞風の明朝体でした。なお、見出し盤最奥の英数字を採字すると本体からカチッと音がし、自動で字送りが半角になります。ひそかな気遣いに感動。
という訳で操作も採字も簡単、軽量で取り扱い易いので、和文タイプライターに入門したい方にお薦めです(←誰もおらんか)。ネットオークションで程度の良いものを粘り強く探してみてください。
本機購入の際、ビニール製の本体カバーと文字索引の冊子と昭和58年付けの原稿が同梱されていました。これらから判断するに、このタイプライターは1976年から1983年の間に製造されたと思われ、とある官公庁の施設で活躍していたようです(罫紙の欄外に「○○県」と印刷されていた)。予想通りぞんざいな扱いは受けていなかったようでほっとしました。
足りない活字の補充を含めた修理代はウン万円。今の時代にこれだけ投資して和文タイプを始めるのは我ながら変態だと思いますが、アナログ印字の魅力には替え難いのです。どうぞ変態と呼んでください(笑)。でもこれ以上和文タイプは買いません。コレクションでも動態保存でもなくて、実用目的なので。
パンライターがやってくるのを見越して用意しておいた電気スタンドと木製机とともに。どちらもシンプルで機能的なデザイン。良き相棒となりますように。
→HERMOSA「SNIF デスクランプ」
→ニコルソン家具店「レトロ ワークデスク」
夜も更けてまいりました。おやすみなさい……
2011.1.24(月)
19日付の投函の中で「和文タイプライター用の書体には明朝・ゴシックほか何種類かある」と書きましたが、手元の資料から可能な限り拾い出してみました。
画像をクリックすると拡大します
現時点で4書体が確認できました。
1は先日購入した盤面活字の書体。岩田細明朝体(イワタ明朝体オールド)に非常によく似ていますが、「あ」の傾き具合や濁点の位置等が異なります。
2は“イワタ特細明朝体”。dreamoclortv 氏の flickr から引用して集字しました。岩田のオリジナルなのでしょうけど、秀英体の流れを感じます。「の」の折り返しが尖っていて払いがくっつきそうなところがいい。
3は平体のかかった明朝体。朝日新聞の1倍活字にかなり近いデザインですが細部が異なり、「た」「に」等の脈絡が切られています。戦後生まれっぽいモダンなデザインです。
4は「パンライター」という日本タイプライターが製造していた和文タイプ用の活字。細丸ゴシック体なのですが、石井細ゴシック体にそっくりです。ただし「さ」「そ」のようにオリジナルと思われる形の文字もあります。アヤシイ。
得体が知れないのか私の勉強不足なのかは分かりませんが、4書体ともデジタルフォント化はされていないと思われます。これらの味わい深い書体のために和文タイプライターを使ってみるのもいいかも知れません。
“イワタ特細明朝体”について、盤面活字を譲っていただいたタイプライター業者さんに尋ねてみました。
「新品は1本500円、中古は探してみます」とのこと、ただし菅沼用のものは特殊で在庫がないので日本タイプライター用のものから流用するそうです。話によるとタイプライター用の活字は日本タイプ・日経・東和で互換性があるらしく、これらの活字を菅沼に使うことは可能、その逆は活字の長さの関係で不可能とのことでした。文字盤の配列も菅沼だけ特殊だとか。
どちらにしてもこの書体を購入し使うことはできるということで一安心。新品を揃えると平仮名だけで立派なDTP用フォントが買えてしまうので、できれば中古で安く購入したいところです。
2011.1.23(日)
19日付の投函の中で「菅沼タイプライター12号-3000D型は送りが16段切替」と書いたものの、どのように送りが変化するのか分からなかったので印字して一覧にしてみました。画像の数字は「横ピッチダイヤル」に刻印されているものに対応しています。
画像をクリックすると拡大します(実寸・240dpi)
手持ちの活字は五号で15Q相当なので、ベタ送りは3.75mmピッチとなります。横ピッチダイヤルを「10」に設定した時がほぼベタ組みのようで、ダイヤルの数字の増減に正比例して送り量が変化している模様。数字が1変わると14文字の行長が約5mm変わるので、1文字につき 5÷13≒0.3846mm≒五号の1/10 ずつ送り量が変化するようです。
なお、これは12号機の場合で、10号機の場合はこの倍のピッチになる代わりに10段切替となります。送り量は縦横共通です。
取扱説明書の解説は「分かっている人向け」だし、和文タイプライターの実用上の資料はネット上に殆ど存在しないので、こうして遊びながら掲載していきたいと思います……って、誰が得するのっ?
2011.1.19(水)
和文タイプライターを購入しました。
菅沼タイプライター株式会社製「12号-3000D」型です。
銘板を見ると1975年10月製造の刻印があり私よりも年上です。最後のオーバーホールは平成2年とあります。よくこれまで故障もなく綺麗な状態で生き残ってくれました! 付属品がほぼ全て揃っていたので、きっとどこかの事務所で大切に使われていたのでしょう。
和文タイプライターの存在は、高校生の時に文化祭のパンフレットがタイプ打ちだったのがきっかけで知り、実物は10年程前に郷土資料館のような施設で初めて見ました。それ以来何故かあまり興味が湧かず、関わることはないだろうと思っていました。
しかし昨年のサイト再建の際、手動写植機は和文タイプライターを参考にして発明されたと知り、どういうものであるのか使ってみたくなりました。
和文タイプライターは既に生産終了しているので中古を探しましたが、出回っている殆どが英文タイプライターで、「何で日本なのに英文タイプばっかなの!?」と理不尽さを感じ憤りもしました。
探し続けて1年弱、北海道のリサイクルショップから完動品を5000円で譲り受けました。やはり和文タイプライターに需要はないのか、この店で1年半買ってくれる人を待ち続けていたようです。
本機は電源を必要としない手動式で、複雑な電子回路を持たない分構造が単純で修理し易く、殆どが金属部品でかなり頑丈に作られています。そのため一人では持ち上げられないほど重く、家庭用の机に置いたら多分崩壊するので、今は床に直置きしています。
しかし届いた機械には活字が収納されておらず(写真の白い円筒の下にある茶色い場所)、このままでは絶対に印字できません。やられた(?)と思い挫けそうになりましたが、現在でも和文タイプライターの保守をしている店を探し出し、盤面活字一式を取り寄せました。
約2500文字がびっしりと収録されている。活字は固定されていないので、ひっくり返すと大変な事になる。中央付近に予備の活字を入れるための空白が確保してある
盤面活字の拡大。活版印刷と変わらない風情
これでようやく印字するに至りました。
画像をクリックすると拡大します
※見出し盤は後述の「土地家屋調査士・司法書士用」ではありません
手前の「見出し盤」に印刷された文字を中央の小さなカーソルで選ぶと奥の盤面活字も連動して動き、左右にあるレバーを押し下げると活字を拾ってプラテン(白い筒状の物)に打ち付けるようになっています。
手動式の和文タイプライターは裏文字になった活字を直接見て文字を打つ方式のものが多いようですが、菅沼タイプライターは発明当初から伝統的に見出し盤を備えているため採字(って写植以外にも言うのかな)しやすく、両手式の印字レバーや機構の配置等の左右対称デザインも美しく、購入の決め手となりました。電動式じゃないというのも後押ししました。
付属していた取扱説明書によると12号-3000D型は最上級機種だったらしく、偶然とはいえ良いものを手に入れる事ができとても嬉しいです。
試しに印字してみました。
送られてきた盤面活字は土地家屋調査士・司法書士用で、「雑種地」「根抵当」といった熟語が採字し易い位置に配置されています。登記事務に使われていた関係でアルファベットや横組用記号は収録しないという実に漢らしい仕様。人名漢字にも未対応(予備活字は購入していない)でした。
一般の漢字の配列は五十音別かつ画数順のようで(未確認)、言われているほど採字に時間はかかりません。写植の「一寸ノ巾」配列はある程度慣れないと素速い採字はできず、私はしょっちゅう写植機を前に唸っています。そう思うと、和文タイプは初めての私でも5〜30秒ぐらいで採字でき、かなり楽だという印象です。
和文タイプライター用の書体には明朝・ゴシックほか何種類かありますが、私が欲しいのは“イワタ特細明朝体”と呼ばれている書体です(リンク先は dreamoclortv 氏の flickr、画像の出典不明)。
一筆書きのように繋がり、大きくうねる平仮名の画線が魅力的。実はこの書体も和文タイプライターを買う動機でした。職場に保存されている古い文書でこの書体を見付け、「使いたいなぁ……」とうっとりしてしまったのです(笑)。
12号-3000D型は縦横組可能で、送りは縦横とも16段切替です。タブも可能。活字の大きさには四号・12ポイント・五号・9ポイント・8ポイントがあるようです。使いこなせれば初期の「スピカ」並みの組版ができると思います。
慣れるまで遊んでみて、書体も少しずつ揃えていきたいと思っています。印字の依頼が来るようになったら面白いだろうな、きっと(←需要はあるのだろうか)。
2011.1.18(火)
亮月写植室用の掛時計を新調しました。
SEIKOの「KS474M」という防塵時計です。
掛時計は滅多に買うようなものではないので、折角なら妥協せずに選んでみようと思いました。
私の好みは「機能美」で、ごちゃごちゃと飾り付けられたりデザインしようと思ってデザインされたりしたものよりも、虚飾を排して斯くある姿(時計なら時計としての機能)を体現したものが好きです。
「耐久性」という言葉も大好きです。頑丈で故障がないように作られているかだけでなく、年を取って今の自分とは違う嗜好や感覚を持つ自分になっても愛用していられるかも考えます。その上材料が劣化して見た目が見窄らしくなったり、デザインに作られた時代の息がかかっていて古臭く感じるようになったりするのは嫌なので、少なくとも20〜30年以上使うことを想定して選ぶようにしています。
あちこち探して外観でまず候補に挙がったのは、WaveTrance の電波掛時計でした。できれば電波時計がいいと思っていたので、シンプルで今風デザインの香りがないこの時計は買いだ! と思いました。逆に、電波時計には何故こういうタイプのものが殆どないのでしょう?
詳細を見たら3000円台で中国製。なんかアヤシイので一応の仮押さえとして、もっと良いものがあるかも知れないと思って探していたところにKS474Mを見付けてしまったのです。
あまりに気に入ってしまったので、注文して届いたらすぐに激写。
文字盤の数字や目盛りは平面ではなく浮き彫りになっている
くすんだ薄緑の金属筐体と3時の位置にある三日月型の断面をした可愛らしい蝶番
蝶番の反対側にある留め螺子。ムーブメントは金属筐体の内側にあるので、電池交換や時刻合わせのときはこの螺子を廻して裏蓋を開ける
開腹状態。質実剛健な外観からは想像できないシンプルな部品構成
裏蓋は中心がプラスチック、周囲がゴム製。留め螺子により金属筐体と密着し、塵の侵入を防ぐ
壁掛け用の穴がくの字になっており、バスや船舶等揺れのある環境に掲げられても簡単に外れないようになっている
これぞ時計という無駄がなく素っ気ないデザイン。読みやすく癖がない書体。可愛らしい薄緑のスチール筐体。過酷な環境で長年の使用に耐える防塵設計。電波時計ではないし定価15000円という実用時計としてはかなり高いものなのですが、媚びのない真面目な意匠と金属製のしっかりした造りにひと目惚れでした。LOVEずっきゅんなのです(←分かる人にしか分からん)。
電波掛時計が980円で買える時代に1万数千円もする普通のクォーツ掛時計を買うのは限りなく道楽に近い気がしますが、どうでもいいような安い時計を買って3年ぐらいで壊れて買い直すのを繰り返すよりも、造りがしっかりして飽きのこないデザインの時計を何十年も大切に使う方が一生を通しての満足感が高いと私は思うのです。それにこの時代、物を使い捨てているような場合ではないですし。
KS474Mの系譜を調べてみると、バスや船舶用の時計として1964年にトランジスタ式・単1電池使用の初代を発売、その後クォーツ式に変わり、1977年に単2電池使用の「QA513M」、そして最近まで販売されていた秒刻みの従来型「KS451M」、2007年に秒針が滑らかに動くスイープセコンドの現行型「KS474M」へマイナーチェンジ、というように何度も仕様を変更されながら、外観のデザインを殆ど変えることなく現在に至るという超ロングセラーでした。
“バス時計”としてレトロ方面で語られることが多いようですが、古めかしいからいいというよりも、デザインをこれ以上変えようがないから四十数年間変えなかったという完成された安定感がこの時計の魅力だと思います。
容姿は今風でなく自らの本来の使命に徹するタイプの一見地味な子ですが、薄緑の外装や蝶番、平体がかかった書体の文字盤などに可愛らしさが仄見えるところがいい。長いお付き合いになりそうです。
CITIZENの防湿・防塵時計「リフレM293」も可愛い子やな〜。こちらもバス・船舶用でKS474Mより手頃な値段、アイボリーのプラスチック筐体。防塵に加え防湿仕様にもなっているので、台所や洗面所にも掛けられるところもいい。
※追記
KS474Mについて語るブログは多くありますが、この時計のムーブメントについて記している所はないのでここで取り上げておきます。
私が購入したKS474MのムーブメントはSKPという銘柄で、SEIKO製ではあるのですが生産国は中国でした。
上部をよく見ると、「SKP/NO(0)JEWELS/CHINA」と読み取れる
NO JEWELS とは、軸受けに摩耗防止の宝石が使われていないという意味
SKPの掛時計用ムーブメントを部品として買うと国産でも中国産でも1500円*。純国産時計だと思ってKS474Mの購入を検討されている方は注意されたし。買ってみないとムーブメントの生産国は判らないのでどうしようもないですが、私は中国産の物で痛い目に遭っているので、正直言って長年の動作に耐えるか不安です。生産国がどこであろうと耐久性に大差はないのでしょうか。
*有限会社岡山時計部品センターの通販サイトを参照。 →楽天市場
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