亮月写植室

ミニレポ岐阜で時の過ぎゆくままに
2016.5.2〜11.13
於:岐阜市 某社


(※本稿は「写植室日報」を基に再構成しております。ご了承ください。)

●2016.5.2(月) あの街にも、写植は生きていた。

 最近廃業したという岐阜市の写植屋さんのご子息様から「建物も老朽化し取り壊すことになりました。内部には写植機や文字盤、DTPに使用していたパソコンなどがあります。ゴミとして捨てられる前に、引き取っていただけそうなものがありましたら」と連絡があり、様子を見に行きました。
 同じ県なのに遠く感じる我が県庁所在地。かつて住んでいた時には電算写植の出力センターが1軒現役で、そして廃業した写植屋さんの建物がそのまま残っていたぐらいしか知らず、もう手動写植は全く残っていないと思っていたので、とても驚きました。もし当時知っていたら、入り浸っていたかもしれません。

 80代の社長さんが直々に案内してくださり、その長い道のりの一端をお聴きしました。「新聞社に勤めていましたが、写植という新しい技術があると聞き、これからは写植の時代だと思い50年ほど前に会社を興しました。お蔭様で会社も大きくなって、全国の方にお世話になりました。写植は10年以上前にやめてしまいましたが、今でも交流がありまして、団体の役員をさせていただくなど、現役でやっております。」と。はっきりとした口調でお話しされる社長さん。これでおしまいというよりは、ご自身が次のステップに進まれるために、過去のものを清算されるご様子でした。
 旧社屋には書類の山の奥に、疲れ切った様子の手動写植機と貴重な自動写植機の姿があり、文字盤も最後の仕事をそのままに埃を被っていました。
「全部持って行っていいよ」と社長さん。今回はお話を伺い、写植機の様子を拝見するだけでしたが、引き継げるものは何とか引き取り、できれば写植機もどこかで生きる道があれば……と心の中を滾る(たぎる)ものがありました。

●2016.6.25(土) 生きていたPAVO-KY

 再び、この会社に伺いました。

廃業した写植屋さん

 現像液の匂いがまだ残る中、沢山の機材や書類、文字盤をそのままにして全てが終わってしまったかのような社屋の片隅に、写植機はあります。

埃をかぶった写植機

 この PAVO-KY は10年以上使用されていなかったとのこと。時の過ぎゆくままに、文字盤や本体は厚く埃をかぶっていました。私にとって一番見たくない、しかし何度も何度も見てきた風景です。
 今回は手動写植機のメンテナンスに通じた方から、長年放置されてきた PAVO-KY の点検方法を事前に教えていただいていたので、正しく動作するかどうかを確認しました。全国にまだあるであろう PAVO-KY のために、頂いたメールの一部を掲載します。

1. オペレーション・ロックが掛かり、全く動作を受け付けません。
 (バッテリィ切れで、設定が保持されていない為に毎回おきます)
 【対策】 → パネル右上の赤いスイッチ「OL/E」スイッチをOFF
     (スイッチのランプが消え、操作全般の動作が可能になります)

2. テレビの全画面が黒いシマシマになります。
  (画面記憶のバッテリィ切れで、データが異常でシマシマです)
 【対策】 → 「OL/E」隣の「DE」(デリート)を押します。
      続いて、キーボードの赤い「C」を2秒以上押し続けます。
      画面のシマシマが消えます。

3. H送りや縦横の送り方向・記憶字面など全ての設定がデタラメになっていますので、主レバーで印字しようとしても、エラー「ピピピッ」でシャッターが切れないハズです。
 【対策】 → 記憶や送り方向、その他の設定を正しくします。

4. TVに文字盤で押さえた文字だけが写らない場合(コメントは写る→TVは生きている)
 【対策】 → 光源ダイヤルの光量を確認(50~60位が一般です)
 【対策】 → ファインダーを引っ張り、文字が写っているか?
        (写っていなければ、光源ランプがNG?)
 【対策】 → TVのピントボリュームを右に回しながらシャッターを切る

 上記、対策で原点復帰さえ行えば動作するものと思いますのでお試し下さい。
 なお、上記対策はバッテリィを交換しない限り【毎回必要】な儀式です。

 これだけ放置され、無惨な状態になっている PAVO-KY。果たして動くでしょうか……。

 電源プラグは差し込まれっぱなしでした。電源を投入します。
「ガシャン!」という文字枠固定の音。通電はしました。
 ファンの回転が高まる音がし、光源ランプと採字用の蛍光灯が灯りました。
 ウイーン、ウイーンという PAVO-KY 特有の少しふにゃっとした原点復帰の音がしました。
 操作パネルの赤いLEDも点灯しています。
 起動は成功したようです。

 画面は……。

動作したPAVO-KY

 生きていました! この PAVO-KY は生きていたのです!!
 最初の起動では画面表示が出鱈目な砂嵐のような画面でした。写真は「長年放置されてきた PAVO-KY の点検方法」に従って処置した後のもので、メインの表示スペースも画面下部のコメント欄も正常に動作しました。

動作したPAVO-KY(近景)

 送りボタン各種も印字キーも正常に動作しました。Q数選択のキー入力をすると、初回はモーターが唸って主レンズターレットが回転しませんでしたが、手で介添えしたら動き出し、次の回からは介添えなしで動くようになりました。
 レンズに埃が大量に積もっているようで、画面に表示される文字は掠れ気味でしたが、綺麗に掃除すれば正しく表示されることでしょう。(※いずれも完全な動作を確認したものではありません。)

現況写真(クリックすると拡大します)

PAVO-KY PAVO-KY
PAVO-KY画面 PAVO-KY操作パネル

現況動画(2016年6月25日撮影)
→起動の様子(MOV形式、42MB)
→画面の様子(MOV形式、107MB)

動作状況 
キー入力・主レンズ選択・縦横送り・印字キーの動作確認済。
・主レンズ・JQレンズ・コンデンサーレンズ・反射鏡は要清掃(ユーザで可能)。
光源ランプおよび採字用の蛍光灯点灯。
ディスプレイはやや薄暗いが点灯し、写研の方によれば明るさは調整可能とのこと。
・ 本体のバックアップ電池切れのため起動時に画面が乱れるが回避方法あり。バッテリー交換で復旧可。
コメント1と2は正常表示。
空印字スポット罫線等種々の機能の動作は未確認。
・マガジン及び本体光学系の光線漏れや光軸のずれ等は未確認。

 放置されて動かなくなってしまった写植機も沢山見てきましたが、それでも PAVO-KY という機種は(画面以外は)丈夫だという印象です。こんなに過酷な状況に10年以上置かれていながら、それに耐え、生きていたのですから。
 写植機も機械なのでこう言うのも何ですが、人が操作すると音を出しながら一連の動作をするのを見ていると、写植機には血が通っているのではないかという気持ちになります。
 こんな状態になってしまってもなお動作する姿は健気でもあり、不憫でもあります。持ち帰って綺麗に磨いてやりたい、印画紙を通してもう一度綺麗な文字を打たせてやりたい、という気持ちが止めどなく押し寄せてきました。

納品書と印画紙
写植機の納品書と納品当時のテスト印字の印画紙
このようなものを見ると、「この機械にも新しかった頃や活躍した時期ががあったんだなあ」と、時の流れの残酷さを感じる。

●2016.10.8(土) あと1ヶ月半の命

 前回に引き続き文字盤を頂くということで、今回を以て全ての文字盤を運び出すことができました。メインプレートが65枚、サブプレートが877枚ありました。前回伺った時に探していなかった場所に文字盤が埋もれていて、大幅に枚数が増えました。
 会社には動作が確認できた PAVO-KY の他に、リョービの自動写植機(手動機の文字盤を使用する方式)「LP250U」とその入力校正機「EP220K」が複数台あります。

リョービLP250U全景
リョービ「LP250U」全景

リョービLP250U操作部
LP250Uの操作部

リョービLP250Uの側面
LP250Uの側面
写研用のメインプレートとサブプレートを装塡できるようになっている。

リョービLP250U内部
LP250Uの内部
上部に主レンズのターレットが固定されており、下部に自動で縦横に動く文字枠がある(左下の白い文字盤の箇所)。

リョービEP220K
リョービ「EP220K」全景

 82歳になる社長さんは「ここにある機械は全部償還したんですよ。名古屋にも会社があるんだけど、そこだけじゃなくて全国と仕事してました。写植機はこのままにしておきますから、好きにしてくださいね。全部持っていっていいですよ。リョービは高かったよ。1500万円ぐらいしました。随分仕事させてもらいました。だから勿体ないです。これは多分使えるよ。持ってってください。」と、リョービの自動写植機にお気持ちを傾けていらっしゃいました。けれども、この機械に掛けるロール状の印画紙も、入力校正機で使う5.25インチのフロッピーディスクも、もう作られていない……。それを社長さんに伝えることはできませんでした。
 社長さんから大切なことを告げられました。
「この建物ね、12月上旬に壊すことになったんです。それまでに持っていってくださいね。
 2階には製版カメラも現像機も残ってます。これも処分するんです。写植機はまだ使えるから、特にリョービのはもう日本のどこにもないでしょう? だから持っていってくださいね。持って行けなかったら、建物と一緒に潰してしまうので……。」

 この写植機たち、あと1ヶ月半の命かもしれないのか……。

 特に PAVO-KY は生きているので何とかしたい、でも、自分は既に1台 PAVO-JV を持っていて写植室に入れることはできない。どうしたらいいのだろうかという気持ちが駆け巡り、大きな焦燥感と無力感に包まれました。
 一方で、この廃墟のようになった社屋に取り残されていた写植機や文字盤は、私が見る限り長い期間使われた形跡がなく、埃を被り、書類に埋もれ、ここに書けないような状態になっているものもありました。私から見れば、全然大切にされていないじゃないか、と思うことは簡単です。しかし、ある意味で執着を離れ、価値はあるけどもう惜しくないから放っておかれ、私にくださると仰っているのかもしれません。
「もし私がいなくなっても、これ私の息子ですから、息子に全部任せますから、よろしくお願いします。今後も、建物がなくなっても、連絡してきてください。」と息子さんを紹介してくださいました。
 取材当日は文字盤の搬出で気を張っていたのですが、こうして文字にしてみると、社長さんのお気持ちがとてもよく分かり、どうしようもなく寂しい気持ちになりました。

 写植機たちをどうしたらいいのか。それだけで頭がいっぱいです。

●2016.10.8(土) もういちど光を 

 頂いた文字盤は、その日のうちに写植室へ運び込み、ある程度分類しました。

頂いた文字盤の山

 メインプレートとサブプレートを合わせて自分の車のトランクと後部座席にいっぱいになるほどありました。
 どのような文字盤があるのかをリストアップするため、全ての文字盤に目を通したところ、非常に貴重なものがありました。

スタンダード文字盤の箱

 機械式手動写植機「SK-3RY」等に使用する「スタンダード文字盤」のケースに、使用頻度が少ない四級漢字の文字盤などが収められていました!
 貴重なのものにも拘らず保管状況はここに書けないほど悲惨なものだったので、ケースも含めて丸洗いしました。

スタンダード文字盤丸洗い

 例によってお風呂に入ってもらい、浴槽用洗剤とスポンジでよく磨きました。(※私は一緒に入っていません・笑)
 ついでに、所有していなかった書体のかな集合文字盤のサブプレートも見付かったので、まとめて洗いました。

スタンダード文字盤洗浄後

 素手で触るのが嫌なぐらい汚れていた文字盤が、新品の輝きを取り戻しました。

スタンダード文字盤ケース洗浄後

 よく乾かし、同じく洗っておいたケースに収納し直しました。昭和30年代から40年代の写植の風情です。
 幸いスタンダード文字盤をサブプレートの枠に嵌めて使用できるアタッチメントも多数頂いたので、これらの文字盤も印字が可能です。

●2016.11.3(木祝) 写植機を残すということ

 伝(つて)を辿って写植機を引き取っていただけないか打診するも、どなたも都合が付きませんでした。自分達で運び出して保管することも考えましたが、現状の写植機は埃や汚れが酷く、今回は動作を確認できたとはいえ、仮の保管先へ移動させたとしても次に写植機が動作する保証が全くないこと、私自身写植室の拡大は当分見込めないこと、そもそも運び出す日程を取ることができないことなどにより、この写植機は自分達で引き取ることができないことが確定してしまいました。(そのためもありこのサイトでも引き取り手を募集しましたが、問い合わせは1件もありませんでした。書体デザイナーの佐藤豊さん、メールマガジン「タイプラボ・フォントNEWS」第155号で取り上げてくださってありがとうございました。)
 依頼主様には引き取りを期待させておいて本当に申し訳ない思いです。写植機がどこかで復活すればという希望があったと思うと本当にむごい。そして、日本中で今すぐどうしても写植機を使いたい人は誰もいないということが分かってしまいました。勿論、引き取るには場所や金銭の都合をつける必要があり、その為には時間がかかることは承知しているのですが……。
 今回の件はとても残念ではありますが、写植機を残すことの過程やその困難さ、何を準備すべきかや、写植機の需要のなさなどがよく分かり、今後の活動の大きな糧になりました。

●2016.11.13(日) 写植機がなくなっても 

 写植機の持ち主の方に、引き取れない旨のご連絡をしました。
 社長さんは怒りも悲しみも表されず、「建物の解体が迫っていますので、処分の手続きをします。自動写植機の中に残っている文字盤はまだ使えますから取り出しておきます。その時また連絡しますので引き取ってください。写植機や建物がなくなっても今後ともよろしくお願いします。」とおっしゃいました。たいへん恐縮しました。
 自分の意志で写植機を使えないようにする(ようなものだと私は思っている)のでとても悔しいし、勿体ないことだと思います。それでもどうしようもなかったとも思います。ご縁はあったもののタイミングが良くなかったのかもしれません。
 金銭や場所の都合が付けば写植機が欲しいという方が日本にどれだけいらっしゃるかは分かりませんが、できればそういった方にこのような写植機を使っていただきたい。その方法をよく考えていきたいと、今回の活動を深く反省しております。

【完】


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