亮月写植室

写植室日報

2023.9.8(金)

 モリサワのMD型用の文字盤を譲っていただきました。

 MD型用はその小型な本体に合わせ、文字盤が縦3枚×横4枚に並べられています。MC型用よりも個体数は少ないように思います。

 こちらはMC型用のWサイズ文字盤です。Wサイズというのは、本来縦4枚×横3枚に並べられている文字盤について、縦2枚分を1枚のガラス板にしたものです。桟だった部分にも文字が収録されているため収録文字数はWサイズではない文字盤よりも多くなっています。

 今回頂いたメイン文字盤は、ABB1、MB31、BBB1、BDB1、CB1、行書1、E1でした。相手方は印章店様だったため必要最小限のラインナップでしたが、貴重なMD型用の文字盤を頂いて嬉しいです。
 サブ文字盤で目を惹いたのは……

 ルビ文字盤(写真はL1)でした。一見地味な存在ですが、

 細明朝体AC1のようでいて異なる独特な字形でした。初期のモリサワ書体らしいやや稚拙な明朝体の字形がそのまま遺されているとは……! 積極的に使いたくなるものではありませんが、写植史の1ページに必要な存在だと思います。
 モリサワの写植書体は、写研のそれと比べて公に知られていない領域が多く、文字盤に出会う度に新鮮な驚きがあります。これからもモリサワの写植書体も積極的に保存と活用を進めていきたいです。お手元に使わなくなった文字盤をお持ちの方、是非ご連絡ください!


2023.8.27(日)

 モリサワ用の文字盤を譲っていただきました。
 主にディスプレイ書体を頂き、モリサワの手動写植機用書体の全体像が徐々に見えてきた気がしました。
 他にも頂いた中で気になった文字盤は……

 K4は地図記号ということになっているのですが、四角や丸に囲まれた漢字や学参ものの記号、略字や異体字、特殊な字形など雑多に収録されていました。

 「缶」や「第」の略字、「近鉄」などは画線の抑揚が強く、現行の書体という感じがしません。もしかしたら太ゴシック体B1や中ゴシック体BB1だったりして……。いつかはこの字以外だけでなく全体を文字盤で拝みたいものです。

 そして大本命は……

 太明朝体A1のかなつめ文字盤!!
 A1様のことはずっと捜していました。私の憧れの書体。仮名だけとはいえ、私の許へやって来てくださったことにとても感激しました。学生時代、広告の名作集の書籍でその存在を知って深い味わいに感銘を受け、2005年のDTP用フォント化の際は発売日直後に購入しましたが、かなり改変・加工されてしまい残念な思いを背負ったまま今日まで生きてきました。オリジナルのA1様を自分で活用できる日が訪れたことは本当に感慨深いです。


仮名:太明朝体A1、「!」:K4
ツメ具合はA1が活躍していた1970年代風(かなりきついツメ)にしました


2023.6.21(水)

 書体に関する本が立て続けに発売されたことを風の便りで知り、私の手元にもやって来ました。

(写真左上から時計回りに)『書体のよこがお』、正木香子『タイポグラフィ・ブギー・バック』、高田裕美『奇跡のフォント』、阿部卓也『杉浦康平と写植の時代』です。いずれもとても濃厚で、どんどん読み進めていきました。『タイポグラフィ〜』は書体に興味が全くない家人も興味深く読んでいました。『杉浦〜』は情報量が莫大で、つまみ食い状態です。

 これらの本を読んでいて、とても嬉しいことがありました。

『書体のよこがお』の参考文献に、私のサイトの記事が掲載されていたのです!(よく見ると「ことり文字ふぉんと」の「ことりのことり。」さんも一緒に掲載されていて、それも嬉しい。)

 更には『杉浦康平と写植の時代』にも私のサイトについて言及がありました。
「その量および質は、現在の日本で、写植研究においてまず参照するべき基礎的データベースと呼びうる規模を有している。」……身に余る光栄です。

 私はただ写植が大好きで、それでも詳しく知ることができなくて、自分で調べたり取材したりしたことを纏めてきただけなのですが、このネットの辺境の更に外れにある私のサイトを見付けてくださったことも嬉しいですし、更には専門家の方にとって私の活動が有意義であることを書籍という形のあるもので示していただいたのは初めてでした。
 無名かつ匿名で細々と活動してきたので、たいへん恐れ多いです。
 専門家の方達がここを見ているかもしれないというだけで身が引き締まります。
 これからも誰かのためになるよう、それに耐えうる活動を続けていきたいです。


2023.2.22(水) 

写植レポート」の新作『写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト』を公開しました。

 2022年11月24日に印刷機材の展示会「IGAS 2022」のモリサワブースで開催された講演会「写研書体の開発プロジェクト “至誠通天” 受け継がれる石井書体」の聴講レポートです。
 この講演会が開催されると風の便りで聞いた時、歴史的な出来事を同時代の者として体験できる貴重な機会だから聞き逃す訳にはいかないと思いました。DTP用に書体を解放しなかった写研がモリサワや字游工房と手を結び、改刻をも許してOpenType化を図るというのですから。俄には信じ難い、夢のような出来事です。
 聴講して歓喜し、驚き、そして落胆さえもしました。とても心を揺さぶられる、鮮烈な講演でした。 書体は写研のオリジナルのまま開放されるのではなく、現代的に再設計され、特に石井ゴシック体ファミリーは目に見えて変化することが判りました。時代の流れに抗ってもいられないのですが、長年オリジナルの「あの形」に慣れ親しんだ私にとってはショックでした。そうは言ってもDTP化が進展して写植が衰退したおよそ30年間使用が難しかった写研書体が(対価を払えば)誰でも使えるようになることは悲願と言ってもよいことであり、大きな喜びと疑問が綯い交ぜになった複雑な心境です。だからこそどうしても記事にしたかったのです。
 講演の内容を書き留め、私の視点から補足することで、どうしてこのような心境になったのかが整理できました。そして未来の様子も何となく見えました。そういった意味で、今回のレポートはとても有意義なものになりました(私にとっては)。

 聴講直後からどうしても記事に纏めたいという気持ちは止めどなく湧き上がっていたのですが、家事と育児をこなすだけで時間も処理能力も限界まで使い切っていて余裕がありません。言ってしまえばほぼ「引退状態」です。亮月としては、もう動けないも同然です。
 活動に割ける時間は一日15分程度がやっとで、文章を一段落書けるぐらいです。簡単な図版であっても数日に跨って作らなければならない状況でした。連続した時間が必要な作業は睡眠時間を削ってやらざるを得ませんでした。そのため、執筆に3ヶ月もかかってしまいました。しかし限られた時間を毎日積み重ねてでもこの出来事を自分の言葉で残しておきたかったのです。
 どのくらい需要があるかは判りませんが、いち写植ファンから見た石井書体の改刻とはどのようなものなのか、よろしければお読みください。

→写植レポート*写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト


2022.7.23(土) 

 大量に頂いたモリサワの文字盤を整理することにしました。

 送られてきた段ボール箱に入れっ放しになっていて、場所を取る上活用もしにくい状態でした。
 モリサワの文字盤はおよそ幅35cm、縦30.5cmで厚みがあります。うまく収納できるものはないかと探した結果、レコード用の棚が丁度いいのではないかと考えました。LPレコードの大きさは30cm四方なので、レコードを収納しても余裕がある内法の棚を探しました。結果、ディスクユニオンのレコードラックが条件をほぼ満たす内法だったので購入しました。

 白い4ますの棚がレコードラックです。文字盤の方が若干幅(棚の奥行き方向)が長く少しだけはみ出しましたが、段ボール箱だらけだった写植室がすっきりしました。文字盤の間に白くはみ出しているのは新聞紙や段ボールです。こうしないと文字盤のガラス面が他の文字盤に接触し、傷が付いてしまうのです。
 文字盤を段ボール箱から棚へ移す時に慎重さを欠いてしまい、複数枚を一度に持って棚へ収めていました。その時「パキッ」と嫌な音がしました。文字盤の盤面を見てみると、ガラスの隅にひびが入っていました……。
 写研の文字盤は複数枚持ってもひびが入ることはまずありません。モリサワの文字盤は思っているよりも脆いようです。また、文字盤の枠にはマイナスねじが多数使われており、慎重に取り扱わないと棚板など周囲の物を傷付けてしまいます。モリサワの文字盤は一枚ずつ丁寧に慎重に取り扱いましょう!!


2022.3.14(月) 

 とても久し振りに文字盤を大量に譲っていただきました。


Nikon D80・AF-S Nikkor 20mm f/1.8G ED(以下同じ)

 段ボール箱が8箱届きました。
 早速全ての文字盤を確認し、リストアップすることにしました。大きい文字盤が30枚、小さい文字盤が355枚ありました。
 未知のものを探求するようなこのわくわくする感じ。初めて文字盤を手にした時と同じ感覚が蘇ります。

 細ゴシック体BC501様! そう、今回は亮月写植室にとって初めてモリサワの文字盤を譲っていただいたのです!
 どんどん梱包を開けていきます。

 じゅんゴシックNo.2! 見本帳でしか見たことがなかったのですが、やっとお逢いすることができました。

 OH No.2の枠なし文字盤です。モリサワも写研のようにガラス板だけで枠がない文字盤を供給していたようです。

 そしてモリサワの手動写植といえばイラスト文字盤(K13)。独特なゆるさがモリサワらしいです。

 新ゴMの手動送り用欧文文字盤(SGM-LE)。DTP用デジタルフォントの従属欧文とは異なり英数字とも全角に近い字面です。言葉でうまく表現できませんが整っている感じがします。写植用の新ゴの印字物を見ると和欧混植でも字面が揃っていて、欧文は程よく詰まっていて格好いいのです。DTP用にもこれを採用してほしかったな。それだけでDTP用の新ゴに対する印象は随分違ったと思います。

 家人が寝静まった深夜のお楽しみは、ライトボックスを取り出しての撮影大会です。


Nikon D800・Ai AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D(以下同じ)

「昭和」が文字盤の一番いい位置(No.1〜2)にあるところに時代を感じます。

 モリサワのゴシック体の全角の「2」が好きです。

 カメラのファインダー越しに文字盤を愛でる。至福の時間。こんなことをするのはいつ振りでしょうか。すっかり遠ざかってしまっていました。

 夜中に一人、煌々と照らされながらガラス板の文字を眺める。まるで「禁」じられた遊びをしているかのようで、ふと我に返り、現実の世界へ戻っていったのでした。僅かな時間でしたが、本来の自分を取り戻したような至福のひとときでした。


2021.9.27(月)

 ある方から和文タイプライターで印字できないかとの相談がありました。しかし私の所有しているものは旧社屋(実家)に置き去りにしたままになっていました。
 2台所有している和文タイプライターのうち1台の「菅沼タイプライター」は活字や機能が豊富で主力にしていたのですが、盤面活字を含めて30kg以上あり一人での移動は危険なため持ち出しを諦めました。もう1台の「パンライター」は10kg程度で簡単に持ち運べるため、“新社屋”(現在の自宅)へ持っていきました。

 10年前に中古で購入した当時と変わらず、滑らかに動作しました。電源が必要ない純機械式の道具の強みで、仕組みが単純なので余程なことがない限り故障しません。左手と右手の操作のリズムと手応えが心地よいです。
 A4用紙半分の原稿を2時間半かけて印字しました。漢字は音読み配列なので採字は簡単でしたが、同じ行を2回打ってしまったり、行送りが乱れたりと不慣れが出てしまいました。

 印字したもののスキャンデータを依頼主様に納めさせていただきましたが、音沙汰がありません。ここをご覧になっていましたらご連絡くださいますようお願いいたします。(※2021.10.3追記:依頼主様からご連絡を頂きました。ありがとうございました。)


2021.1.8(金)    

 2019年2月に“新社屋”へ手動写植機2台を移動したのですが、写植機を据え付ける位置に若干の指示間違いがあり、少しだけデッドスペースができており、片方の写植機(SPICA-QD)を正面に向けて置けなくなってしまいました。
 保管する分には問題ないのですが、旧写植室では2台とも正面に向けて置いていたのでやはり気になるものです。何とかならないものかと悩んでいました。
 重量物の運搬はピアノ運送業者など専門の人に任せるものだと思っていました。しかし最近になって、自力で重量物を動かす道具を見付けました。

らくらくヘルパー

 大洋精工「らくらくヘルパー」です。
 梃子の原理で重量物を少し持ち上げ、そこへ台車を差し込んで転がすという仕組みです。こんな簡単なもので330kgの写植機が移動できるのかと不思議に思うところもありましたが、理屈の上では移動できる筈です。購入して実際にやってみることにしました。
 手伝ってくれる人はいなかったので、実施にあたっては万が一写植機の下敷きになったことを考えて出入口の鍵を開け、ポケットに携帯電話を入れてすぐに119番通報できるようにしました。

らくらくヘルパーを写植機に差し込む""/

 写植機「PAVO-JV」の本体が乗っている引き出しの足元に「らくらくヘルパー」の台車を差し込みました。梃子のレバーを押し下げるとグググと写植機が持ち上がり、簡単に台車を入れることができました。これを8箇所行いました。

 さて、移動できるでしょうか……。

→写植機を手押しで移動する(MOV形式、7秒、7.5MB)

 写植機が(物理的に)動いた!!
 一人で写植機を移動できるとは驚きです。1mは移動できそうな感覚でした。床がフローリングブロックという硬い木なのがよかったのでしょう。絨毯やクッションフロアなど柔らかい材質の床材では移動できないと思います。

正面を向いた2台の写植機

 こうして2台の写植機を正面を向けて設置できるようになりました。ほんの少しですが部屋が広くなり、すっきりしました。写植機を僅かに移動したい方がいらっしゃるようでしたらお薦めです(いないか)。ただし重量物なのでご自身の責任で実施してください。


2019.9.1(日)    

 関東地方の学生の方から「写植について詳しく知りたい」とのご連絡を頂き、遥々お越しいただきました。
 勉学の中で写植のことを知る機会があって興味を持たれたのだそうですが、既に歴史上のこととして取り上げられているだけで、写植機の実物に触れたりじっくりと話を聴いたりする機会がなかったとのことで、私のサイトを見付けて見学を申し込んでくださったそうです。
 活版から手動写植、電算写植、そして DTP へと移り変わっていった様子や、写植時代の豊富な書体のことなど、深い興味をお持ちの方で、写植機の電源を入れて動かしながらお話ししました。「この機械を見たら若い人も興味を持つと思います!」と話してくださいました。
 見学の後半はやはり写植の印字体験です。写植を知るには、写植機を自分で操作して印字し、現像が終わって写植が出来上がるまでを五感で感じることが大切だと思っています。簡単な割り付けや採字、行送りなど、写植機の基本的な使い方を体験していただき、その大変さと写植機のメカニズムの面白さを感じていただきました。普段の印字体験では、暗室の現像作業は私一人でしているのですが、今回は一緒に入っていただき、現像して印画紙に文字が浮かび上がってくる様子や水洗いをした直後の艶やかな写植文字を見ていただきました。とても感動されていて、私もとても嬉しかったです。現像して文字が現れるところを見るのは、写植の醍醐味の一つだと思っています。

点示板のインク跡

 来訪者様が自ら印字された跡が点示板に残りました。文字が「物として残る」、それも写植の魅力です。「印画紙を額に入れて飾ります」とおっしゃっていました。

 旧写植室時代の来訪者様は写植を経験された方が大半で、当時のお話を聴くなどどちらかと言えば受け身で、受け取ったものを残していくことが私の活動だと思っていました。しかし最近は学生の方など写植の時代に生まれていなかった若い方が増えてきました。私の生きる時間にも限りがあります。写植を長く遺していくためにも、これからは私がそうしてもらっていたように、若い人達へ伝えていく役割も担っていかなければならないと思っています。
 私にとっても気付くことが多い一日でした。来訪者様、本当にありがとうございました!


2019.5.1(水)

 新しい時代を迎えました。

 新居への引越しにより1月から写真植字機による印字を休止してきましたが、少しずつ“新社屋”の整理を進め、この長い休みを利用して自家印字の再開を試みました。

 原稿を書き、書体とQ数を指定し、印字位置を決めるため割付計算をしたらいよいよ印字です。印画紙をマガジンに装塡し、PAVO-JV に装着したところで用事が入ってしまったので、翌朝に持ち越しました。
 新しい時代の清々しい早朝、朝焼けを受けながら PAVO-JV の電源を入れ、印字位置をテンキーで入力……できない!?
 「⇔」「4」「0」「H」と入力しても「ピコピコ」とエラー音を発して受け付けません。縦方向も同じ。フリーラン(印字位置を数値入力するのではなく自由に移動)はでき、主レンズの変更はできます。しかし印字位置を厳密に決めなければ、印字位置が印画紙をはみ出したり、文字同士が重なったりするなどの支障があります。

 まさか、PAVO-JV、故障した……?

 あれだけ前所有者様のところで手厚い整備を受け、私も写研の方のご助言を頂きながらできる限りの整備をし、埃を溜めないように綺麗に清掃し、旧写植室では8年間、画面以外は何ら問題なく動作を続けてきたのに……と背筋が凍る思いでした。
 しかし印字位置「だけ」が入力できないのは不自然な故障の仕方なので、しばらく使用しなかったことでバックアップ用のニッカド電池の充電が切れたことを疑いました。電池切れや充電池が不調を起こすと写植機の設定が滅茶苦茶になり、正しく動作しないことがあるのです(→写植レポート「PAVO-JV バッテリー交換」)。
 電子制御式の PAVO 型には、印画紙の大きさ(印字可能な範囲)を初期設定できる機能があり、この設定が電池切れで失われたり乱れたりしてマイナスの値が入ってしまうことがあります。これを疑いました。
 マガジンの横にあるクラッチレバーを2秒間倒せば(写植機の歯車とマガジンの軸を切り離せば)印画紙の大きさの設定をクリアできます。
 しかし……レバーが倒したままになっていました。倒したままというか、昨夜突然中断したのでクラッチを繫がないところで作業が止まっていたのです。
 これが印字位置変更不可の原因でした。あまりにも間抜けです。写植機を8年も使ってきてこんな初歩的なミスに悩むとは……。という訳で戒めのためにここへ記録しておきます。

 という訳で動作の不調は解決し、少し緊張しながら印字と現像を進めました。

自家印字再開しました

 よかった! 印字できた!

 現像のときは何度やってもドキドキします。印字できていないんじゃないか、現像液が劣化してないか、印画紙が裏返しだったのではないか、と不安になってきた頃にじわっと黒い文字が現れてくるのです。今回こうして新しい写植室でも印字できることを確かめられて本当によかったです。

朝日を浴びるPAVO-JV

 印字を終えるとすっかり明るくなっていました。
 朝日を浴びる PAVO-JV。写植も共に令和という新しい時代を迎えることができました。新しくなった写植室でも末永く活躍できるよう、大切に使い続けていきたいです。


写植書体に関する催しのお知らせ

2019.4.4 掲載

名古屋では初めての書体に関する催しが開催されます!

「中村書体と筑紫書体」

 写植書体『ゴナ』『ナール』等の作者である中村征宏さんと、筑紫書体シリーズの作者である藤田重信さんが、それぞれの書体についてお話しし、しかも対談もされるとのこと!
 中村さんは愛知県在住で名古屋はまさにお膝元です。名古屋市営地下鉄には「ゴナ」によるサインシステムもまだ生き残っています。
 終演後には懇親会もあります。
 名古屋では滅多にないたいへん貴重な機会です。ぜひご参加ください!

●開催日
 2019 年4月21日(日)14:00〜(13:30受付開始)
●開催地
 国際デザインセンター 6F セミナールーム3
 名古屋市中区栄三丁目18番1号
●受講料
 3,000円
●申込締切
 4月19日(金)
●お問い合わせ
 名古屋意匠勉強会ナルホ堂 事務局(TIPTOP内)
 TEL:052-229-8445
 e-mail:naruhodo.nagoya@gmail.com

→申し込みフォーム


2019.3.8(金)

 “新社屋”への移転作業が一段落したので、「写植レポート」にまとめました。現在トップページを飾っている、あの場面についてです。
 個人で大型の手動写植機を運ぶのは不可能ですが、大型機械を得意とする運送業者さんが比較的安価に(小規模な引越し程度の代金で)やってくれます。レポートした内容はあくまで私の場合であって普遍的な方法ではないかもしれませんが、参考にはしていただけるかと思います。
 写植機の搬出に困っている方や、写植機が欲しい方(いてほしい)にお薦めのレポートです。私も初めて写植機を譲り受ける時は写植機のことがよく分からず不安しかありませんでしたが、その時調べたことが今回の移転でもとても役に立ちました。写植機の外部的な構造や移転のノウハウはお教えすることができますので、ご希望の方はご連絡ください。

移転完了した写植機

 移転した写植機の動作は確認することができましたが、備品や資料、文字盤が非常に多く、整理にかなり時間がかかっていますので印字はまだすることができません。気長にお待ちいただけたらと思います。


2019.1.14(月祝) 写植機使用休止のお知らせ   

 一昨年末から計画を進めてきた新しい自宅が完成し、少しずつ引越しの作業を進めています。
 写植室も新居に設けることができ、“新社屋”での活動に向け備品を移し始めました。亮月写植室は法人でも個人事業主でもありませんが、新社屋と呼びたくなってしまいます。

車に乗せたメインプレート

 車のトランクは文字盤でいっぱいになりました。
 2ℓペットボトル6本入りの段ボール箱が最適ですが、30枚近くメインプレートを入れると運ぶ時に腰を悪くしそうなくらい重いです。写っている箱は全てメインプレート入りで、満載しては新社屋へ運ぶのを数回繰り返します。サブプレートは蓋付きのボックスコンテナ(アイリスオーヤマの「B-21」にちょうど6ケース入る)に収め、車に満載して3往復しました。まだ現像用品やメンテナンス部品、書籍などの資料、書棚が残っているので、完全移転には時間がかかりそうです。

一部解体したPAVO-JV

 愛用の PAVO-JV も移転に向けて一部解体しました。幸い搬出入を引き受けてくださる業者さんがあり、その日を待っています。

 そのため、亮月写植室の活動のうち、写植機を使った実作業ができなくなりました。印字のご依頼は当面受けかねますので、写植屋さんをご案内いたします。
 その他の活動はできる限りこれまで通り続けます。ここ2〜3ヶ月は写植に関するお問い合わせがかなり多い状況です。引越しの都合上、資料がしまい込まれて一時的に参照できないなどはあるかもしれませんが、私の頭の中に入っていて裏が取れる限りは対応いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 現在の写植室は2011年1月に完成しました。広く知らせず、個人で細々とやっているにも関わらず、これまでに国内外から40名もの方が訪ねてくださいました。ここから始まったご縁も多くあります。初めて自分用の写植機を導入し、写植について実感を持って深く知ることができました。全国の方から沢山の文字盤や資料、そして写植機を頂き、写植への思いを引き継ぐことができました。真夏の蒸し暑い中も、年末の冷たい中も、このちいさな一室で写植とともにある日々でした。実り多き、そして思い出深い8年間でした。
 さようなら! 思い出の写植室
 ありがとう! 初めての写植室
 “新社屋”への完全移転と印字再開の時期は未定ですが、いつかまた写植機の音を響かせ、写植の文字を新しく生み出していきたいです。


2018.12.16(日)

 某所から依頼があった写植の印字をしました。

亮月写植室のPAVO-JV

 写植オペレータの方はまだまだ東京にいらっしゃいますので、何社かをご案内したのですが、恐れ多いことに「亮月さんに印字していただきたい」とご指名を頂戴しました。来年早々に印刷物で使っていただけるとのこと……ありがとうございます!
 夕食後に印字を始め、ついでに自分自身が発注者の印字もしたので、終わったのは22時半でした。12月の寒い中で写植の印字をするのが亮月写植室の年末恒例行事です。

亮月写植室のPAVO-JV

 この PAVO-JV の2018年の仕事はこれでおしまい。お疲れ様でした……。


写植に関する催しのお知らせ

2018.8.9 掲載

株式会社文字道の伊藤義博さんが、写植機の実演を行われます。
同日13:00-13:50には、書体設計師の今田欣一さんが 「活字書体をつくるひと」と題して講演されます。

學のまち kawagoe  講演&ワークショップ
「文字のこと、本のこと。」

■写植機(スピカ)の実演!
日時/8月17日(金)12時~16時30分
場所/ウエスタ川越 多目的ホールA・B
  川越市新宿町1-17-17  Tel. 049-2449-3777

◎会場の関係上、薬品を使用する事ができないので暗室はなく
現像や体験しませんが、少しでも写植文字を知ってもらえばと思います。
以下関連のHPです。ご参考ください。
https://manabinomachi-kawagoe.jimdofree.com/

●お問い合わせ/
文字道
Tel: 090-4963-0599
E-mail: info@mojido.com


2018.6.3(日)

 珍しい文字盤を入手しました。

岩田新聞明朝体INM文字盤

「岩田新聞明朝体」(書体コードINM)のメインプレートです。
「岩田新聞明朝体の書体コードは ISNM(Sが付く)じゃないの?」と思うかもしれませんが、この書体は元々1967年に INM として発表され、1977年に ISNM へと全面改訂されているのです。※
 写研の機関誌『写研』48号(1979.12.15発行)p.49によると、この改訂は、新聞用の文字コードである七単位符号体系(六社協定新聞社用文字コード)を標準統一化するに当たり、従来の CO-59 から CO-77 に改めるために書体を対応させたものでした。また、四級漢字の文字盤(ISNM-19〜33)や従来なかった CO-77 漢字を収容した文字盤(ISNM-CO-77補)を新しく制作、記号BのNo.2文字盤(ISNM-SB2)を制作し、CO-77 関係の記号を収録しました。合わせて漢字の字体を写研新聞標準字体に統一し、全文字を再デザイン・新規デザインして文字品質を高めてあるとのことです。

※蛇足ですが、 ISNM はその後、1990年に「岩田新聞明朝体大かなB」(K-ISNM-KLB)の文字盤が発表されています。ISNM 本来の仮名に比べて字づらや懐が大き過ぎ、やや太いので違和感がありますが、電算写植では一足早く SAPLS 用に従属仮名としてデジタルフォント化されていたようです(その時期は不明。文字盤化は写研『QT』77号、1990.1.1発行、p.28に記事がある)。その姿は『タショニム・フォント見本帳』でも見ることができます。

岩田新聞明朝体INM文字盤

 この文字盤、何故か取っ手が左右の端にねじで取り付けられています。

岩田新聞明朝体INM文字盤

 裏面の四隅にはフェルトが接着されています。カフェなどでお盆として使用されていたのでしょうか……いや、そんなマニアックなカフェはないか。
 盤面のガラスに損傷はなく、最大限敬意を払って加工されたものと思われるので、貴重な文字盤に何てことを、とは思いません。本来の用途でなくともこうして何らかの形で役に立っていただろうことは嬉しいです。
 写真では見えませんが、裏面右上には「8305」の白い文字があります。1983年5月製造と推測され、書体改訂後も旧書体である INM が継続して製造・販売されていたことが分かります。

 INM と ISNM の文字盤を並べての精査や印字はまだ行っていませんが、今日だけでも多くのことが分かりました。非常に貴重な文字盤です。研究が捗りそうです。


2017.12.26(火)

 4月から休止していた活動ですが、本日付で復帰しました!

 休止とはいえ写植に関する問い合わせや依頼はいくらかあり、全く活動しなかった訳ではありませんでした。今田欣一さんの『欣喜堂ふたむかし』や株式会社洋泉社『市川崑『悪魔の手鞠歌』完全資料集成』など、大きな企画に参加させていただくことができました(本当にありがとうございました)。
 復帰に合わせて記事を多数掲載しました。
写植とは」のコーナーは2010年5月のサイトリニューアル時に開設しましたが、この7年半で資料は当時と比べものにならないほど集まり、管理人の見識も深まりましたので、それらを基にできる限り執筆し、既存の記事の不足も補いながらまとめました。写研の手動写植機の機能はほぼ全て押さえたつもりです。
保管資料一覧」も、この9ヶ月で非常に多くの資料が集まりました。写植経験者の方からお譲り頂いた印刷物や資材だけでなく、同好の士だった方からも大きな段ボール1箱分の非常に貴重な資料を頂きました。「Mコレクション」として大切に活用させていただきます。
 長らく新作を発表できなかった「写植レポート」も、ミニレポですが2本書き下ろしました。2016年の小宮山博史さん×正木香子さんの対談に対する管理人の所感と、岐阜市で廃業された写植屋さんの現場レポートです。また、来年1月には長い間お蔵入りしていた長編レポートを連載でお送りする予定です。

 2017年もあと僅かとなってしまいましたが、これからも亮月写植室をよろしくお願いいたします。  


亮月製作所/亮月写植室 活動停滞のお知らせ
(2017.12.26復帰しました)

2017.4.1 掲載

 どうしても集中しなければならない案件が発生したため、亮月製作所および亮月写植室の活動が停滞します。

 期間 2017年4月1日から当分の間(復帰は2017年度内を目処)

 管理人日記をはじめサイトの更新頻度は著しく下がると思います。メールの閲覧はできる限り行いますが、十分なご対応ができない場合があります。完全に活動を停止する訳ではありませんので、写植機の維持は続けますし、取材や聴講等の現地活動に関しては個別に判断したいと思います。

 たいへん申し訳ありませんが、ご理解くださいますようよろしくお願いいたします。

亮月製作所/亮月写植室 管理人 桂光亮月


2017.2.19(日)

 先週、写植の自家印字に失敗してしまいました。

現像液入れ替え前の印画紙

 印字した印画紙を現像液に何分漬け込んでも文字が現れないのです。写植機が故障したのか、印画紙の表裏を間違えたのか、それとも……。
 寒くて真っ暗な現像室で15分ほど粘りましたが、文字らしい文字は確認できませんでした。それでも希望を捨てきれず、通常通りの工程で、水洗い→定着→水洗い→乾燥と進めました。

現像液入れ替え前の印画紙

 結果、うっっすらと(誤字ではない)しか文字が出ていませんでした。
 文字が一応出たということは、原因は写植機の故障でも印画紙の裏返しでもありませんでした。そうなると印画紙が古過ぎるのか、いや、現像液が疲労しきっているのか……と思い、現像液を新たに作ることにしました。
 現像液を作るのは、亮月写植室を設立してから3度目です。2年に1回の計算で、とても長いスパンのように思うかもしれませんが、個人で自家印字する程度の使用頻度ならこのぐらいなのです。
 亮月写植室で使用している現像液は富士フイルムの「パピトール」です。

パピトール袋

 近隣にはどこにも売っていないので、家電量販店の通販サイトで取り寄せました。今後入手困難になった時の備えで3袋購入。
 密閉できるポリ瓶に熱湯を入れ、A剤・B剤の粉末を順に少しずつ溶かしていき、これを所定の濃度(8倍稀釈)に薄めて出来上がり。
 早速、先週失敗した内容と同じものを印字しました。

現像液入れ替え前後の印画紙

現像液入れ替え前後の印画紙

 くっきりとした黒い文字が浮き上がりました。印画紙全体が黒っぽいのは、かぶっている(感光している)古い写植用の印画紙を使っているからです。印画紙そのものでなくデータで納品するものは、スキャンして補正後に納めるのでこうしています。それでも鮮明さやコントラストは保たれているので充分です。写植用の印画紙はもう製造されていないため貴重なのです。
 これまで通りに印字できるようになってほっとしました。写植に関する資材は年々手に入りにくくなっています。二度と印字できなくなったらどうしよう、とヒヤリとした一週間でした。


2016.12.18(日) 

 年賀状に使う写植の印字をしました。
 今回は、電算写植でも使える書体はアウトラインサービスを発注し、手動写植機専用の書体は自家印字することにしました。殆ど忘れ去られてしまったであろう、非常に美しい細身の書体です(ナールではありません)。
 亮月写植室の気温は数度。以前、石油ファンヒーターを焚いたら写植機の金属部分や基板が結露して大変なことになったため、上着を着込んで電気ストーブで足元を温めながら印字を進めました。
 年賀状用以外の印字も含めて約2時間。現像に取りかかりました。
 通常は1分も経てば印画紙に黒い文字が浮かんでくるものですが、全然文字が現れません。裏表を間違えて印字してしまったのか、いやそんな筈はない……と我慢すること数分。じわ〜っと文字が浮かんできました。現像液の温度は適正よりやや高い25度でしたが、マガジンの金属製のドラムが冷えきっていたため、印画紙も冷たくなり、化学反応が進まなかったのかもしれません。
 現像と定着を終え、乾燥を進めると、印画紙は紫に変色してしまいました。
 昨年の秋には真っ白なまま真っ黒な文字が印字できた写真用の印画紙です。確かに亮月写植室は夏は暑く冬は寒い過酷な環境ですが、写植用の印画紙よりも写真用の印画紙の方が足が早く、使用限界は2年程度のようです。尤も、今回使った「フジブロWP KM4」は、パッケージに記載された使用期限が2014年7月でしたが……。
 年賀状は毎年枚数を限って送っています。届いた方はご笑納くださいませ。


2016.11.13(日) 

 写植機の持ち主の方に、引き取れない旨のご連絡をしました。
 社長さんは怒りも悲しみも表されず、「建物の解体が迫っていますので、処分の手続きをします。自動写植機の中に残っている文字盤はまだ使えますから取り出しておきます。その時また連絡しますので引き取ってください。写植機や建物がなくなっても今後ともよろしくお願いします。」とおっしゃいました。たいへん恐縮でした。
 自分の意志で写植機を使えないようにする(ようなものだと私は思っている)のでとても悔しいし、勿体ないことだと思います。それでもどうしようもなかったとも思います。ご縁はあったもののタイミングが良くなかったのかもしれません。
 都合が付けば写植機が欲しいという方が日本にどれだけいらっしゃるかは分かりませんが、できればそういった方にこのような写植機を使っていただきたい。その方法をよく考えていきたいと、今回の活動を深く反省しております。


2016.11.3(木祝) 

 進行中の写植機引き取りについてです。
 伝(つて)を辿って写植機を引き取っていただけないか打診するも、どなたも都合が付きませんでした。自分達で運び出して保管することも考えましたが、現状の写植機は埃や汚れが酷く、今回は動作を確認できた仮の保管先へ移動させたとしても次に写植機が動作する保証が全くないこと、私自身写植室の拡大は当分見込めないこと、そもそも運び出す日程を取ることができないことなどにより、この写植機は自分達で引き取ることができないことが確定してしまいました。(そのためもありこのサイトでも引き取り手を募集しましたが、問い合わせは1件もありませんでした。書体デザイナーの佐藤豊様、メールマガジン「タイプラボ・フォントNEWS」第155号で取り上げてくださってありがとうございました。)
 依頼主様には引き取りを期待させておいて本当に申し訳ない思いです。写植機がどこかで復活すればという希望があったと思うと本当にむごい。そして、日本中で今すぐどうしても写植機を使いたい人は誰もいないということが分かってしまいました。勿論、引き取るには場所や金銭の都合をつける必要があり、その為には時間がかかることは承知しているのですが……。
 写植機を引き取って使うには、その状態を把握することが必要です。このことについて、ある写植経験者の方は「写植機が大切にされていたかは、文字盤を見れば分かるよ」と言っていました。文字盤が綺麗に磨いてあれば、大切に使われて仕事も丁寧にしていた証であると。そういう会社に置いてある写植機は状態が良かったのだそうです。確かに私が今使っている PAVO-JV は画面以外は完動です。大きな印刷所から頂いたもので、分厚い保守点検の納品書が付いていて、大切に綺麗に使われていたのです。
 今回の件はとても残念ではありますが、写植機を残すことの過程やその困難さ、何を準備すべきかや、写植機の需要のなさなどがよく分かり、今後の活動の大きな糧になりました。


PAVO-KYゆずります(終了しました)

2016.10.17 掲載
2016.11.13 募集終了

「父が会社を廃業したのですが、建物も老朽化し取り壊すことになりました。内部に手動写植機や電算写植機、文字盤が残っています。ゴミとして捨てられる前に引き取っていただけませんか。」とのおたよりを頂きました。
 そこで、手動写植機を今後使用される方・動態保存したい方等、ご活用いただける方を募集します。詳細は下記のとおりです。

〆切:(2016.11.13 募集は終了しました。)
※置かれている建物は12月上旬に解体されます

機種 写研 PAVO-KY(1989年10月製)→主な仕様

現況写真(クリックすると拡大します)

PAVO-KY PAVO-KY
PAVO-KY画面 PAVO-KY操作パネル

現況動画(2016年6月25日撮影)
→起動の様子(MOV形式、42MB)
→画面の様子(MOV形式、107MB)

動作状況 
★本機の完動は確認できておりません。
キー入力・主レンズ選択・縦横送り・印字キーの動作確認済。
・主レンズ・JQレンズ・コンデンサーレンズ・反射鏡は要清掃(ユーザで可能)。
光源ランプおよび採字用の蛍光灯点灯。
ディスプレイはやや薄暗いが点灯し、写研の方によれば明るさは調整可能とのこと。
・ 本体のバックアップ電池切れのため起動時に画面が乱れるが回避方法あり。バッテリー交換で復旧可。
コメント1と2は正常表示。
空印字スポット罫線等種々の機能の動作は未確認。
・マガジン及び本体光学系の光線漏れや光軸のずれ等は未確認。

機器の所在 岐阜市中心部

その他
・譲渡希望のご連絡やお問い合わせは亮月写植室までメールにてお願いします。
・譲渡希望のご連絡を頂いた場合、現所有者に亮月写植室からその旨連絡し、その後は現所有者と直接連絡を取り合っていただきます。
・現状有姿の引き渡しとなります。必ず事前に現物をご確認ください。
・使用による傷や汚れ、約10年間使用されなかったことによる埃があります。
・印画紙及び現像用の薬品はありません(どちらも写真用で代替可・新品で購入できます)。
・文字盤多数及びキャビネットが数台あります。こちらも譲渡可能です(文字盤は亮月写植室が引き取っております)。
・機器はビルの1階の奥に設置、クレーンを入れることはできません。
・機器の搬出や輸送その他、及びそれに関する費用負担や日程等については現所有者とご相談ください。
・亮月写植室は写植機の動作や譲渡に関する一切の責を負いません。悪しからずご了承ください。


2016.10.8(土)

 頂いた文字盤は、その日のうちに写植室へ運び込み、ある程度分類しました。

頂いた文字盤の山

 メインプレートとサブプレートを合わせて自分の車のトランクと後部座席にいっぱいになるほどありました。
 どのような文字盤があるのかをリストアップするため、全ての文字盤に目を通したところ、非常に貴重なものがありました。

スタンダード文字盤の箱

 機械式手動写植機「SK-3RY」等に使用する「スタンダード文字盤」のケースに、使用頻度が少ない四級漢字の文字盤などが収められていました!
 貴重なのものにも拘らず保管状況はここに書けないほど悲惨なものだったので、ケースも含めて丸洗いしました。

スタンダード文字盤丸洗い

 例によってお風呂に入ってもらい、浴槽用洗剤とスポンジでよく磨きました。(※私は一緒に入っていません・笑)
 ついでに、所有していなかった書体のかな集合文字盤のサブプレートも見付かったので、まとめて洗いました。

スタンダード文字盤洗浄後

 素手で触るのが嫌なぐらい汚れていた文字盤が、新品の輝きを取り戻しました。

スタンダード文字盤ケース洗浄後

 よく乾かし、同じく洗っておいたケースに収納し直しました。昭和30年代から40年代の写植の風情です。
 幸いスタンダード文字盤をサブプレートの枠に嵌めて使用できるアタッチメントも多数頂いたので、これらの文字盤も印字が可能です。

 岐阜の元写植屋さん、お譲りいただきありがとうございました!


2016.10.8(土)

 以前取材した、岐阜市にある廃業した写植屋さんに行ってきました。(→2016.6.25の記事を参照
 前回に引き続き文字盤を頂くということで、今回を以て全ての文字盤を運び出すことができました。メインプレートが65枚、サブプレートが877枚ありました。前回伺った時に探していなかった場所に文字盤が埋もれていて、大幅に枚数が増えました。
 会社には動作が確認できた写研の手動写植機「PAVO-KY」とリョービの自動写植機(手動機の文字盤を使用する方式)「LP250U」とその入力校正機「EP220K」が複数台あります。
 82歳になる社長さんは「ここにある機械は全部償還したんですよ。名古屋にも会社があるんだけど、そこだけじゃなくて全国と仕事してました。写植機はこのままにしておきますから、好きにしてくださいね。全部持っていっていいですよ。リョービは高かったよ。1500万円ぐらいしました。随分仕事させてもらいました。だから勿体ないです。これは多分使えるよ。持ってってください。」と、リョービの自動写植機にお気持ちを傾けていらっしゃいました。けれども、この機械に掛けるロール状の印画紙も、入力校正機で使う5.25インチのフロッピーディスクも、もう作られていない……。それを社長さんに伝えることはできませんでした。
 社長さんから大切なことを告げられました。
「この建物ね、12月上旬に壊すことになったんです。それまでに持っていってくださいね。
 2階には製版カメラも現像機も残ってます。これも処分するんです。写植機はまだ使えるから、特にリョービのはもう日本のどこにもないでしょう? だから持っていってくださいね。持って行けなかったら、建物と一緒に潰してしまうので……。」

 この写植機たち、あと1ヶ月半の命かもしれないのか……。

 特に PAVO-KY は生きているので何とかしたい、でも、自分は既に1台 PAVO-JV を持っていて写植室に入れることはできない。どうしたらいいのだろうかという気持ちが駆け巡り、大きな焦燥感と無力感に包まれました。
 一方で、この廃墟のようになった社屋に取り残されていた写植機や文字盤は、私が見る限り長い期間使われた形跡がなく、埃を被り、書類に埋もれ、ここに書けないような状態になっているものもありました。私から見れば、全然大切にされていないじゃないか、と思うことは簡単です。しかし、ある意味で執着を離れ、価値はあるけどもう惜しくないから放っておかれ、私にくださると仰っているのかもしれません。
「もし私がいなくなっても、これ私の息子ですから、息子に全部任せますから、よろしくお願いします。今後も、建物がなくなっても、連絡してきてください。」と息子さんを紹介してくださいました。
 取材当日は文字盤の搬出で気を張っていたのですが、こうして文字にしてみると、社長さんのお気持ちがとてもよく分かり、どうしようもなく寂しい気持ちになりました。

 写植機たちをどうしたらいいのか。それだけで頭がいっぱいです。


2016.8.27(土) 

 活字書体設計師の今田欣一さんから写植の印字の依頼を頂きました。

亮月写植室のPAVO-JV

 午前の涼しいうちに、頂いた原稿を基に印字の指定を作りました。

写植の印字指定

 バラ打ちは何度も現像するのが大変なので、大抵の場合は一体印字で済ませてしまいます。私の場合、原稿が印画紙に収まるよう割り付けた後は、各行の縦横の座標値を指定紙に書いておき、印字中に逐次点検できるようにしています。こうしておくと、採字のミスはともかくとして、印字位置の間違いはなくすことができます。

PAVO-JVのレンズと文字盤

 PAVO-JV の緑色に浮かぶ文字。PAVO-KY の白よりも気に入っています。

PAVO-JVの点示板

 点示板に並んだ印字位置を示すインクの点。位置は正しく印字できたようです。誤字なく印字できたかどうかは現像してからのお楽しみ……。

印画紙乾燥中

 現像から上がったばかりの濡れた印画紙は、文字の黒さに深みと艶があってなんとも美しいのです。
 誤字もなく、完全な状態の印画紙を作ることができました! 写植室を始めた頃は採字ミスやレイアウトのずれがよく起こりましたが、最近は一発で仕上げることができるようになりました。

 この印字された内容は今田さんが主宰する typeKIDS の特別セミナー「和字書体のたゝずまい」の後半戦である申刻ノ部(15時30分~16時30分)「石井書体のアナザー・ストーリーから」の資料として使用されるとのこと。とても興味深い講演テーマです。
 今田さんの Facebook にこの印画紙のスキャンデータが掲載されていますので、よろしければご覧くださいませ。


2016.7.30(土)

 暑さがとても苦手な管理人にとって、梅雨明けから8月一杯までは慢性的な睡眠不足と集中力の欠如により活動休止期間としています。ただ、今年の夏はまだ暑くない方のようで、朝晩は涼しく、日中も外出できなくもないという、子供の頃のような穏やかな夏を過ごしています。
 とはいえ、記事の執筆のような集中力をかなり必要とする作業は殆どできないため、文字盤の精査を行いました。
 2013年7月に保有している全ての文字盤をリスト化し、分類して書体順・コード順に収納しましたが、文字盤の所在とリストが1対1になっていませんでした。そのため、使用頻度の低い文字盤が急に必要になった際に探し出せないなど、印字に支障が出ていました。

 そこで、今月の用事のない休日を利用して、写植室にある全ての文字盤の所在を丸2日(文字通り朝から晩まで)かけて確認の上、文字盤コード・文字盤に記載された丸Cの年・製造年月・写植室内での所在・譲渡元をリストとして書き出し、平日の夜に2週間かけて手書きリストを入力しました。
 亮月写植室が保有する文字盤は、メインプレートが310枚、サブプレートが3021枚と判明しました。思ってもいなかったようなとんでもない枚数で驚きました。
 今迄も法則性を持って収納していましたが、「大体ここにしまった筈だけど……」と迷うこともありました。これでようやく、「品質改良前の石井中ゴシック体の MG-KL で改正記号cの文字盤はどこにある?」と思った時に「暗室のキャビネットの中にある」とすぐに取り出せるようになりました。
 自己満足かも知れませんが、文字盤の一枚一枚がどこにあるかを把握し、すぐ使える状態にしておくことは、多くの写植屋さんから託された大切な文字盤を死蔵せず活かすために必要なことだと思ったのです。


2016.6.25(土) 

 進行中の案件である、某県某市の廃業した写植屋さんに行ってきました。

廃業した写植屋さん

 現像液の匂いがまだ残る中、沢山の機材や書類、文字盤をそのままにして全てが終わってしまったかのような社屋の片隅に、写植機はありました。

埃をかぶった写植機

 この PAVO-KY は10年以上使用されていなかったとのこと。時の過ぎゆくままに、文字盤や本体は厚く埃をかぶっていました。私にとって一番見たくない、しかし何度も何度も見てきた風景です。
 今回は手動写植機のメンテナンスに通じた方から、長年放置されてきた写植機の点検方法を事前に教えていただいていたので、正しく動作するかどうかを確認しました。
 これだけ放置され、無惨な状態になっている PAVO-KY。果たして動くでしょうか……。

 電源プラグは差し込まれっぱなしでした。電源を投入します。
「ガシャン!」という文字枠固定の音。通電はしました。
 ファンの回転が高まる音がし、光源ランプと採字用の蛍光灯が灯りました。
 ウイーン、ウイーンという PAVO-KY 特有の少しふにゃっとした原点復帰の音がしました。
 操作パネルの赤いLEDも点灯しています。
 起動は成功したようです。

 画面は……。

動作したPAVO-KY

 生きていました! この PAVO-KY は生きていたのです!!
 最初の起動では画面表示が出鱈目な砂嵐のような画面でした。写真は「長年放置されてきた写植機の点検方法」に従って処置した後のもので、メインの表示スペースも画面下部のコメント欄も正常に動作しました。

動作したPAVO-KY(近景)

 送りボタン各種も印字キーも正常に動作しました。Q数選択のキー入力をすると、初回はモーターが唸って主レンズターレットが回転しませんでしたが、手で介添えしたら動き出し、次の回からは介添えなしで動くようになりました。
 レンズに埃が大量に積もっているようで、画面に表示される文字は掠れ気味でしたが、綺麗に掃除すれば正しく表示されることでしょう。(※いずれも完全な動作を確認したものではありません。)

 放置されて動かなくなってしまった写植機も沢山見てきましたが、それでも PAVO-KY という機種は(画面以外は)丈夫だという印象です。こんなに過酷な状況に10年以上置かれていながら、それに耐え、生きていたのですから。
 写植機も機械なのでこう言うのも何ですが、人が操作すると音を出しながら一連の動作をするのを見ていると、写植機には血が通っているのではないかという気持ちになります。

 写植機の動作確認だけでなく、様々な出来事がありました。今後もこの元写植屋さんの取材を続けていきます。


2016.5.21(土)

 故・布施茂さんの『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』が届きました。

『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』

 発売日から10日以上経っての到着でした。表紙には自動写植機の文字円盤や手動写植機・電算写植機の写真が使われています。
 邦文写真植字機の発明から写研が開発した手動写植機・電算写植機までについて殆どを網羅し、その歩みを主に技術的な面から詳しく解説した本です。写研の機関誌などの公式な印刷物にもそれらの記録は残されており、かなりの部分は判るのですが、本書では更に踏み込んで解説されています。誰でも入手できるという意味でも、本書は写真植字史を探る上でたいへん貴重な存在です。
 自費出版だったようで、本文ページはMS明朝とMSゴシックが使われた Microsoft Word によると思われる組版で、図版の縦横比の改変や解像度の低さ、不足などがあちこちにありますが、巻末に記されている他の既存資料によって十分に補うことができます。
 私の立場としては、これまで研究してきた内容が、写研の開発者ご本人の著書によって正しさを保証できたり、足りなかった部分を明らかにすることができたりと、非常に有用でした。
 布施茂さんの長年のご活躍に心から敬意を表するとともに、ご冥福を深くお祈り申し上げます。


訃報

4月28日に布施茂さんが亡くなられたとの報がありました。

写研で常務取締役・開発本部長として写真植字機や電算写植システムの開発にご尽力され、退職後もタイポグラフィを技術的な面から支え続けてこられました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

なお、布施さん最後の著書『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』が5月9日に発売されるとのことです。 →Amazonの該当ページ

4月上旬に布施さんから「写植の記事を読ませていただき、大変参考になりました。ありがとうございました。亮月写植室を読ませていただいたお礼に、同書をお送りいたします。今後ともよろしくお願いいたします。」とご連絡を頂いたばかりでしたので、とてもショックです。

情報を提供くださった今田欣一さん、ありがとうございました。


写植展のお知らせ(終了しました)

2015.3.6 掲載

moji moji Party No.12 「接点」
マカオ 渡(と)長崎 写真 渡(と)写植

moji moji Party No.12 会期 2016年328日(月)〜42日(土)
 会場 表参道画廊+MUSÉE F
     〒150-0001 東京都渋谷区神宮前四丁目17番3号
      アーク・アトリウム B-02+B-03
 時間 正午~19時(最終日は17時まで)
 主催 株式会社文字道(→moji moji Party 公式サイト

 今回も手動写植機「SPICA-AH」を提供させていただきました。
 会場ではこの写植機を使って写植の印字体験ができます!
 詳しくは moji moji Party 公式サイトをご確認ください。


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