亮月写植室

学校に忘れ去られていた“幻の銘機”PAVO-J詳細解説
2021年4月26日
於:愛知県北名古屋市 名古屋芸術大学西キャンパス


●亮月の役目は終わるんだな、と思っていた矢先に

 2021年3月、写研が待望の公式ウェブサイトを開設し、ウェブ上でアーカイブを公開予定であることを発表した(→2021.5.26公開済)というとても画期的な出来事がありました。
 筆者が20年以上前から写植について独自に資料を集め、取材し、写植機を所有し、自家印字をして、その成果をウェブ上にまとめてきたのは、写植について知りたくても過去の資料や写植に携わっていた人に頼るしかなく、写研がインターネット上で公式に情報発信をしないので自力でするしかなかったからです。しかし写研の動きを機に「これで亮月の役目はようやく終わるんだな」と思い、写植に関する活動を縮小することを考えていました。
 その矢先、1通のメールが届きました。

「名古屋芸術大学の印刷工房を改装するにあたって清掃していたところ写植機が2台あることが分かりました。活用することができずこのままでは4月中に廃棄することになるかと思います。それは忍びないため、色々と調べているうちに亮月写植室に行き当たりました。もし関心がおありでしたらご一報ください。」

 メールに添付されていた写真を拝見すると、1台は写研の最終機種PAVO-KY、もう1台は機械式でPAVO型初代のPAVO-Jでした。PAVO-KYはこれまで何十台と見てきました。しかしPAVO-Jは実機を見たことはありません。十数年程前に知人から写真を頂いたことはありましたが、まさか2020年代に入ってPAVO-Jが現存しているとは全く思っていませんでした。
 とても貴重なPAVO-Jがこの4月いっぱいで廃棄されてしまう……かといって引き取ることは難しい……。とても悩みました。また、筆者は子供がまだ小さく自由にならない身です。何とか取材して記録として残すことだけでもできないものかと悶々としました。
 そのような状況の中、先方様と何度かやり取りさせていただいて取材をご快諾いただき、授業のない日を空けてくださることになりました。私も休暇を取り、平日に取材させていただくことにしました。
「亮月の役目は終わるんだな」と肩の荷を下ろそうとしつつ寂しさも感じていた中で急遽決まった約1年振りの取材。当日が楽しみでたまらない筆者がいました。私の中にある写植の火を弱めていくことはできず、自分の中で熱く燃えるものを久々に感じていました。

●印刷工房の片隅に

 2021年4月26日。午後に名古屋芸術大学の西キャンパスにお邪魔しました。
 出迎えてくださったのは芸術学部デザイン領域の片山准教授。学術・教育関係の方にお会いするのは2013年に情報科学芸術大学院大学(岐阜県大垣市)に残された写植機を見させていただいた時(未レポート)以来です。専門的な学問を学ぶ中で写植機がどのように活用されていたのかを私は把握しておらず、また、教壇に立つ方からじっくりお話を伺うことも写植以外を含めて殆どなく、私には全く未知の領域でした。
 学内の建物の大きな一室が「印刷工房」になっているとのことで、案内いただきました。授業がない日ということで人気(ひとけ)がなくがらんとしていましたが、学生の賑やかな声が聞こえてきそうな、私にとっては懐かしい感じがする風景でした。
 印刷工房に入ると、広い部屋の奥の方に大きな木製の机があっていかにも工房という雰囲気でした。隣の部屋にはシルクスクリーン印刷の資機材が沢山並んでいました。 印刷工房に所属する石田さんにもご挨拶。
 お二人の専門は版画ということで、40代後半の片山さんは学生時代に何度か写植屋さんに足を運んだくらい、私より少し若い世代である石田さんは「写植は全く分からない」とのことでした。 工房に残された写植機は暗室や印刷機とともに30年くらい前まで使われていたようですが、動いているところを見たことがある人は学内に誰もおらず、現在動作するかどうかも分からないとのことでした。


左がPAVO-KY、右がPAVO-J

 早速、写植機の前で簡単に写植機の仕組みを見ていただきました。ちょうど写研の最終機種のPAVO-KYと機械式のPAVO-Jが並んでいて対照的なのでより理解していただきやすかったと思います。
「写植は文字の写真です。フォントに相当する文字盤に光を当てて、レンズで文字の大きさや形を変えて、シャッターを切って、印画紙に焼き付ける。それを一文字ずつ、印字する位置を変えて文字を打っていくものです。写植機は写真の原理で文字を写すことと、写す文字の位置を変えることだけをする機械です。」1工程ずつ写植機を操作しながら説明しました。
「ガラスの板はどこで使うのですか?」写植機に装着されたままになっていた文字盤を拭うと、文字盤のネガ状の文字が現れました。それを見た石田さんが「埃で分からなかった! すごい!」と感心していました。「オペレータの方は初めに写研の写植教室で写植機の使い方を覚えて、文字盤の文字の配列(一寸ノ巾)を叩き込まれて、打ちたい文字の位置まで手が勝手に動くようになるんですよ。」と話すと更に感心していました。

●学生と写植・今昔

 写植に関する資料も出てきました。写植機のカタログや書体見本、一寸ノ巾配列表など。それとともに写植機で印字した印画紙も見付かりました。

「あ、これ〇〇さんのです。1986年。○歳や、私。」現在大学に勤められている方が学生時代に印字したものだったようです。印字の指定をした原稿用紙や、漢字が文字盤のどこにあるかを記したメモも一緒に見付かりました。学生が作品の制作のために自分で原稿を作成し、写植の指定をし、写植機を使用して印字していたようです。

 試しにPAVO-KYの電源を入れてみることにしました。1988年製。この機種は他の取材先でも、放置されて埃まみれになりながらも通電すると起動動作に入り、ディスプレイが点灯し、簡単な作業で使えるようになったことが何例もあります。PAVO-KYはとても丈夫なのです。
 電源を接続してスイッチを入れてみると……
 ガチャン! ウイーン、ウイーン
「えーっ! すごーい! 生きているんですか?」「この音は生きている音ですね。」予想通り、このPAVO-KYは起動しました。

 片山さんが、他の用事で来ていた学生さんを写植機の前に集めてくださいました。「コンピュータのように出来上がりが見えているのではなくて、工程を経ないとできないんです。頭の中に完成形があるんです。」
 再度写植機を操作しながら原理を説明しました。たまたまマガジンに現像された印画紙が入っていたので、白黒写真に例えて説明すると分かりやすかったようで、「へえーっ! おー、すごい! なるほど!」と感嘆の声が聞こえてきて私の方が感激しました。写植でこんなに反応があるなんて!
「36枚撮りフィルムは36齣撮り切らないと勿体ないですが、印画紙は1枚ですよね。使いきれないとどうなりますか?」「フィルムだと一齣撮影したら戻れませんが、写植機も逆戻りはできませんか?」「この仕組みだと、多重露光のように二重に印字してしまうこともありますか?」という鋭い質問もありました。
 スマートフォン一つで何でもできてしまう(ように感じる)時代に生きている若い人達であっても五感を働かせていて、かつて私が初めて写植機に触れた時と同じ感動と好奇心を味わっていることをとても嬉しく思いました。

 このPAVO-KYは残念なことに画面表示が砂嵐状で、キー操作や機械的な動作はするのですがシャッターを切った文字がディスプレイに表示されません。何とか画面表示を正しい状態に戻すよう試みました。
 エラーが出ているようで写植機から笛のような鳥の鳴き声のような「ピョッ」という音が出ます(→写植機の音)。現代の電子機器から出るような音色ではありません。キーを操作する度に「ピョッ」と鳴り、レンズや送りの動作がモーター音とともに機敏に反応します。その様子を見ていた石田さんが「可愛いなぁ」と。私も写植機が命を持ったもののように感じてしまい、同じ思いを抱くことがあります。

●初対面の機械式写植機、PAVO-J

PAVO-J全景

 続いてPAVO-Jの動作を試みることにしました。1976年製、この学校に来たのは1983年でした。PAVO-Jの発表が1969年、PAVO-KYの発表が1987年ですから、20年足らずで大きく進化したことがよく分かります。
 PAVO-Jは埃にまみれた状態です。電源ケーブルをコンセントに差し、いきなり火花が散ったり大きな音がしたり煙が出たりするんじゃないかと恐る恐る電源スイッチを投入します……。

PAVO-Jの電源スイッチ
PAVO-J本体右袖のスイッチ
左が電源スイッチと赤いパイロットランプ、右が照明用蛍光灯スイッチ。
下は外国文字歯送り種別ダイヤル。欧文のプロポーショナル送りに使用する。E欧文文字盤(種類1、2)のみ対応していて、つめ組み用かな文字盤(種類3)は非対応。パネルの上にある青緑色のボタンは空印字用ボタン・スイッチ(主レバーを操作してもシャッターは切らず字送りをするだけになるのでジャスティフィケーションの計算などに使用する)。


本体左袖のスイッチ(光源調整ダイヤルなど)

→PAVO-J 何十年振りかの起動の様子(MOV形式、38秒、38.6MB)

 ブーンという定常的な低い音が鳴る中、ガチャン……ガチャンという金属同士が接触する音が繰り返され、主レンズのターレットが回り始めました。


PAVO-Jの主レンズターレット
文字盤は厚く積もった埃によって見えない。


手前左から、Q数選択ボタン、カウンター(印字数を数える)、電圧計(光源の明るさの目安)

 ターレットが回ったままなのはQ数選択ボタンが選択されていない状態だからなのを思い出し、62Qのボタンを押すと4秒ほどで回転が止まり、62Qのレンズが選択された状態になりました。いやまさか、ここまで動作するとは思いませんでした。
 まずは初めて見るこの機種をよく観察しました。

PAVO-J操作パネル
PAVO-J 操作系全景


PAVO-Jの操作パネル
数字が刻まれたものがダイヤルインジケータ。次に大きなつまみ二つが、左からバック歯数ダイヤル、横送り歯数ダイヤル。ダイヤルインジケータの上にある黒いつまみは、左から送り方向切替ノッブ、倍送りノッブ(引くと設定の2倍の歯数を送る)。バック歯数ダイヤルの下にある涙状の黒いつまみは固定つまみ(行頭位置を固定)。そのすぐ下のダイヤルはスタートライン・ダイヤル(行頭位置を設定)。横用はつまみが一つ多く、歯送り自動セットつまみ。
残念ながら縦送り用の各種ダイヤルとつまみは失われている。


PAVO-Jのレバー類
一番左にある大きなものが主レバー。そのすぐ右から順に、横空送りレバー(歯数ダイヤルで設定した歯数だけ空送りする)、横任意歯送りレバーと任意歯送りダイヤル(1〜10H
)、縦空送りレバー、縦任意歯送りレバーと任意歯送りダイヤル、横バック送りレバー(バック歯数ダイヤルで設定した歯数をバック送りする)、縦バック送りレバー。その右にある黒いハンドルは、歯送り自動セット・ハンドル(欧文プロポーショナル送りの際に使用する)。


PAVO-Jのレバー類・角度を変えて
空送りレバーの下には人差し指を掛けておく白い突起があり、レバーを親指で弾くことで1H送る機能がある。


PAVO-Jの主レバー
主レバーの握り部分の根元に黒い突起があり、左側が縦・横送り切換えレバー、右側奥がシャッター・レバー、右側手前が空打ちレバー(空送りレバーと同じ機能。全角送りなどに使用する)。


歯送り自動セット・ハンドル
欧文プロポーショナル送りを行う時、印字するQ数を設定しておくと横送りの歯車比が変換される。設定できるのは7〜16Qだが、それ以上のQ数を印字する場合は倍送りノッブを併用する。和文のみ印字する場合は16をセット。

PAVO-Jのペダル
左から、横爪外し用ペダル(踏むと行頭復帰する)、光源電圧降下用ペダル採字マスク移動用ペダル(ルビなどの印字に使用)、縦爪外し用ペダル。


PAVO-Jのマガジン
初期のPAVO型(PAVO-8、-J、-K、-JP)は後年の機種のように305×254mmの印画紙を縦横自由に装填することはできず、マガジン内のドラムの幅が254mmであるため、縦長にしか装着できない。


PAVO-Jのマガジン・クラッチ部拡大
本体側にミリメートル単位の目盛とバーニア(副尺)が重ねて刻まれており、縦位置を1H単位で読むことができるようになっている。横位置用は点字板の下にある。


おまけ・ユレーヌ
初期のPAVO型は電源を切っても文字枠が固定されない。そのためそういった機種が活躍していた時期に起こった大地震の際、文字枠が暴れて損害を蒙る案件が多発した。対策として、写植機を使用しない際に文字枠が動かないよう固定するために「ユレーヌ」が開発された。しかしここでは使い方が伝承されなかったのか、ユレーヌは外され、文字枠がガムテープで止められていた。

●機械の塊

 起動はしましたが私もこの機種の操作方法はよく分かりません。PAVO-Jの取扱説明書は持参したのですが、すぐには要領を得ません。 ただ機械式なのでおおよその仕組みは感覚で分かります。主レバーや送りレバー、ダイヤルやつまみなどを片っ端から操作してみました。ガチャン、ドスンという機械式ならではの大袈裟な音が工房内に響きます。しかし印字位置を自由に変えるには至りませんでした。あらゆる操作系がとても硬くなっていて、手の力では動かせそうにありませんでした。長年使用されなかったことにより油が切れて固着しているか、過去の無理な操作で動力の伝達ができなくなっているようでした。
 そこで、片山さんにお願いして、操作パネルを開けて油を差してみることにしました。

PAVO-Jの機械仕掛け

 操作パネルを外すと、複雑怪奇な機械仕掛けが剝き出しになりました。紛れもない「機械式」の手動写植機です。「ホント機械やな……。」「かっこいい。」お二人も写植機の中身を観察し、撮影されていました。


横ダイヤルインジケータ
一周200Hで、印字位置の目印を黒いダイヤルの周りにある銀色のリングに鉛筆等で記しておく。写真ではインジケータの14と15の間に赤い指示針が見えるが、機械の油切れのため正しい位置(真上)まで回り切っていない。


縦ダイヤルインジケータ

 ダイヤルインジケータの裏側にある回転部分に油を差し、歯車のラチェットの噛み合いを手で外すと、「ぐるぐるぐる……」と滑らかに動くようになりました。と同時に点示板上の印字位置を示す点示器も上下左右に動きました。手で持っていたラチェットを元に戻してダイヤルインジケータのつまみを回すと、昔の機械から聞こえてきたような「ギーッ」という歯車の歯を渡る音がして自由に回転できるようになりました。石田さん「かわいい」を連発。

→PAVO-J ダイヤルインジケータを回す(MOV形式、10秒、9.5MB)
→PAVO-J 点示板の動作状況(MOV形式、5秒、5.5MB)
→PAVO-J 主レバー押下とダイヤルインジケータの連動(MOV形式、26秒、27.3MB)
→PAVO-J 横送りレバーとダイヤルインジケータの連動(MOV形式、12秒、13.5MB)

 主レンズのターレットがQ数ボタンを検知して止まる仕組みは、レンズの鏡筒にそれぞれ電極が付いていて、本体側の電極と擦り合うようになっていて、Q数ボタンを押すことで回路が通じた所で主レンズターレットの回転が止まるようになっているようでした。簡単な電気回路で作られた原始的な方法でした。

「実際に印字するならこっち(PAVO-KY)で貴重さではこっち(PAVO-J)ですか。写植機を実用することは学校ではないかもしれませんが、教育という面では、歯送りの歯の意味はデジタルだと全く分からないとかもどかしさがあって、教える時にどちらが分かりやすいかで残す機種を選んだ方がいいかもしれませんね。」

●PAVO-KY、復活!

 画面が乱れているだけでキー操作は全て受け付けるPAVO-KY。もう一息だと思い電源の入り切りを繰り返し、復帰方法を思い出しつつ様々な操作を行って復活を願いました。結果……

 画面が直った!!
 画面の砂嵐は私が操作して消すことができましたが、採字した文字が画面に映るのは文字盤や光学系が光源ランプの光をきちんと透過しているからです。PAVO-Jの確認中に石田さんがPAVO-KYを綺麗に掃除してくださっていました。きっとKYはそれに応えてくれたのでしょう。「写植機には血が通(かよ)っていると思う。」……私が以前講演会で話したことを思い出しました。

 以前、手動写植機のメンテナンスに通じた方から、長年放置されてきたPAVO-KYの点検方法を教えていただいていたので再度掲載します。

1. オペレーション・ロックが掛かり、全く動作を受け付けません。
 (バッテリィ切れで、設定が保持されていない為に毎回おきます)
 【対策】 → パネル右上の赤いスイッチ「OL/E」スイッチをOFF
     (スイッチのランプが消え、操作全般の動作が可能になります)

2. テレビの全画面が黒いシマシマになります。
  (画面記憶のバッテリィ切れで、データが異常でシマシマです)
 【対策】 → 「OL/E」隣の「DE」(デリート)を押します。
      続いて、キーボードの赤い「C」を2秒以上押し続けます。
      画面のシマシマが消えます。

3. H送りや縦横の送り方向・記憶字面など全ての設定がデタラメになっていますので、主レバーで印字しようとしても、エラー「ピピピッ」でシャッターが切れないハズです。
 【対策】 → 記憶や送り方向、その他の設定を正しくします。

4. TVに文字盤で押さえた文字だけが写らない場合(コメントは写る→TVは生きている)
 【対策】 → 光源ダイヤルの光量を確認(50~60位が一般です)
 【対策】 → ファインダーを引っ張り、文字が写っているか?
        (写っていなければ、光源ランプがNG?)
 【対策】 → TVのピントボリュームを右に回しながらシャッターを切る

 上記、対策で原点復帰さえ行えば動作するものと思いますのでお試し下さい。
 なお、上記対策はバッテリィを交換しない限り【毎回必要】な儀式です。

「写植機のメンテナンスの方はいらっしゃるのですか? 印画紙はどうされているのですか?」と石田さん。
 写研の手動写植機のメンテナンスは終了していることが公式に発表されています。ただ非公式であればその知識を持つ方が僅かにいらっしゃり、私もご教示いただきながら写植機を維持しています。 印画紙は黒白写真用の硬調(コントラストが高い)のものが使用できます。
 幸い名古屋芸術大学には写真工房があり、あとは印画紙さえ用意できれば写植の印字ができそうです。「需要があればここでバイトができる。」と片山さん。

●「書体が場所を取る」という感覚

 メールを頂いた時から気になっていた文字盤の棚「サガサーヌ」を石田さんに案内していただきました。

名古屋芸術大学印刷工房の「サガサーヌ」

 本来の位置は写植機の傍だったそうですが、大掃除をして少し離れた場所へ移動したとのこと。撮影した写真から推定してメインプレートは70枚程度、サブプレートは1000枚程度ありそうです。写植屋さんとして仕事をしても書体に困らないと思われるほど充実していました。
 作品作りに文字は欠かせないものです。また、1990年代前半まではデザインの仕事に就くとしても、現在のようにコンピュータから簡単に品質の高い文字を打ち出せる時代ではありませんでしたから写植は必須でした。文字表現とその手段を学ぶために多くの書体を確保していたのかもしれません。

サガサーヌのサブプレート

「授業に組み込むことは難しいと思います。こんなのがあったんだよというのを見せるぐらいかなぁ。使ってくれる人がいれば差し上げるのがいいと思いますけど。」かつてはカリキュラムに組み込まれていたであろう写植。二度と製造されない貴重なものといえども学校では活用の方法が難しく、苦慮されているようでした。
「“モノ”感がすごいですね。フォントって物質だったんだよって教えてあげられるね。場所を取るんだよ、置く場所がいるんだよって(笑)。増やせば増やすほど置いていくという感覚が久し振りすぎて不思議な気分です。」と石田さん。文字盤は集めたくなる何かがあるようで、写植屋さんを取材した時も、仕事で使う道具なのに自分の道楽のように文字盤を揃える方もおられました。私は文字盤もそうですが、本やCD、レコードを今でも買い揃えているので「場所を取る」という感覚は当たり前だと思っていましたが、どうやら今の世の中はそうではないようで、それも私に近い世代の人にもそういう人がいることが判り、私は世の中と違う世界へ行ってしまったんだなあと思いました。

「写植を仕事で打っていた方で一番多いのはどのくらいの世代でしたか?」と片山さん。「今だと60〜70代くらいの方、一番若い方で50代くらいでしょうか。1995年くらいまでは写植の印字を頼むのも普通でしたね。」「僕もMacが高くて買えなかったし、簡単な印刷物だったら写植を打ってもらってましたね。」「おおよそ50代以上の方だったら懐かしいと思うでしょうし、若い方だったら『何だこれ』というところから始まって、『文字が場所を取る』みたいな、体で感じるものが今どんどんなくなっているので、それを感じることができるのはいいと思いますね。」

スポット罫線の文字盤
スポット罫線の文字盤(BB-LB)

「例えばこれは罫線を引くための文字盤なんです。文字盤には点しかないですけど、点に光を当てておいて、印画紙をシャーっと動かすと、光が線になって引けるんです(スポット罫線)。そういう原始的な方法で罫線を引いていました。」「えーっ!? すごい!」「その一言を聞くだけで違う!」お二人とも写植機でスポット罫線を引く原理を聞いてとても感心していました。写植は文字の写真であることや、光が当たった所が黒く映ることを最大限に活かしていたのです。
 石田さんからは自作の文字盤の発想も出てきました。「文字だけでなく絵をガラスに描いて、写植機で印画紙に写したら面白いですね。」
 つめ組み用かな文字盤デステップ文字盤の仕組み、果ては写植の発明のことなど、 深く掘り下げてお話してしまいました。「集中講義で来てもらったらいいかもしれない。」「きっと呼ばれると思います。」とお二人。私の写植の話なんて誰も聞いてくれないので、こうしてお邪魔した時ぐらいしかお話できず、普段は悶々としているのです(笑)。

●写真植字のこれから

 2台の写植機の動作確認と撮影が大方終わったので、私がいなくても学内の他の方に説明できるよう、PAVO-KYの簡単な使い方をお二人にお伝えしました。
 打ちたい文字を文字盤から探して選字ガイドの中央に持っていき、印字キーを半押しして文字枠を固定させると画面に文字が現れます。そして全押しするとシャッターが切れて印字されます。印字する位置を変えるのは印字キーの右側にあるキーボードで歯数を入力するか、送りI、IIキーなどにプリセットされた送り量をキーを押すか、フリーランキーで自由に移動させるか。文字の大きさはテンキー+Qキーを入力して変更。これが基本的な操作方法です。印字が終わったら電源を切ってからマガジンのクラッチを切り、暗室でマガジンを開けて印画紙を取り出して現像します。
「1字戻す時はどうするんですか?」と石田さん。「Rキーを押しながら送りIキーを押すと全角戻りますよ。」と説明したら話が噛み合わず、どうやらそういうことではなく、「字を消したい時は……」と石田さん。「写植は写真なので、シャッターを切ると消せないんですよ。」「おおー。」「衝撃やね。」今では後で編集できることが当たり前になっているので、打った文字を消せないのは驚きだったようです。私もたまに写植機で「コマンド+Z」をしようとしてしまうことがあります。

 一通り取材させていただいたので、より詳しくお話をお聴きしました。
「写植機をどうするかはまだしばらく時間がかかるので、また来ていただいても構いません。」と言っていただけました。4月いっぱいの命ではなく、少し生き長らえそうでほっとしました。
 この写植機を貰ってくれる人がいるのが一番良いのですが、残すとしても学校としてどう活用するかに苦慮されていました。文字組を教える教材にするのか、公開して使ってもらうのか、別の方法があるのか……。
「現像というハードルがありますね。それから版にするというハードルも。写植機を残すなら技術も伝えていかなければいけないですね。定期的に写植機を使える人が来て教えてもらうか、私達ができるようになるか。使うことはできる状態だけど使える人がいないなら資料として保管するか。」
「学校の中でもここに写植機があることを知っている人がいないくらい、日の目を見なかったんですよ。掃除をしていたら沢山の物の中から出てきました。今は全部処分して部屋は空になってしまいましたが、写植機の裏にある入口から暗室に入って、現像して、製版して、印刷してという動線がこの工房にあったんですね。」
 何十年も忘れ去られていた機械がふとしたきっかけで現れ、どうしようかと困っていたところへ、更に私が来たことでこの機械が何者であるかや動作することが判りました。今回取材させていただいたことで、学校として写植機をどうするかのヒントが少しだけ見えたような気がしました。
 私も久し振りの学校への取材で、学校と写植機との関わりや今の若い人達の反応を見ることができました。「こんな大きな機械を使って、文字しか打てない。それが面白い」。それもまた写植への一つの見方で、新たな見識を得ることができました。写植というと、以前は当時を知っている方が懐かしむような印象がありましたが、最近は若い人達が現代にはない興味深いものと捉え始めているように感じています。写植は次の時代を迎えようとしているのかもしれません。

 写植機の方を見ると、傾いた陽の光を浴びていました。今回の写植にまつわる物語を象徴しているように思いました。
 筆者自身も、「写研がアーカイブを公開するなら自分は写植の活動を辞めようか」と思っているところへこのような貴重な写植機に巡り逢うことができました。それはまるで写植機に「辞めないで」と引き止められ、「これからも活動を続けてください」と励まされたようでした。何と絶妙なタイミングだったのでしょう。それも、殆ど取材経験がない学校で、一度も見たことがない貴重な写植機に逢えたなんて。活動を続けることを決意させるために、私は強く引き寄せられたのだと思います。
 私は写植を通して、本来は知ることができない筈だったあちこちの人達の営みや思い、記憶を分かち合ってきました。私と今迄関わりがなかった人達の話を聴き、現場に立つことはとても鮮烈で、どこへ行ってもそこにしかない物語があります。そこにいる人達にとっては何気ないものかもしれませんが、私にとっては自分の世界を超えるもので、宝物のように尊く感じます。写植の活動をしていなかったら、私はこれほど多くの豊かな経験をできなかったと思います。だからこそ、こうして記録に残し、誰でも見ることができる状態にしておきたいと思って活動してきました。
 写植が生きていた姿とその記憶を残すことは私が活動の軸にしてきたことです。写研にできなくても私にできることはまだまだ沢山ありそうです。

 名古屋芸術大学の片山さん、石田さんを始め、当日関わらせていただいた皆様、本当にありがとうございました。

【完】


→写植レポート
→メインページ

 
© 亮月写植室 2011-2021 禁無断転載