●過去だより1176〜1200
2021.8.3(月) 1200 自分のものになる
【日録】昨年2月に購入した腕時計が修理から返ってきました。
購入した当日に土岐市駅前の時計店の老店主(敢えてほぼ実名で書きます)に傷を付けられた上開き直られ、悲しい思いをしたあの時計です(→2020.2.19の記事参照)。しかも同年8月には徐々に遅れるようになり、気になりつつもようやく今年6月10日に修理に出し、ついでに傷も消してもらうことにしたのです。
修理の依頼先は例の時計店ではなく、土岐プレミアムアウトレットのセイコーでした。返還していただく時に仮化粧箱に入れてくださいました。
遅れの原因はムーブメントに使われている油の劣化(部品の摩耗により金属粉が混入していたらしい)でした。オーバーホール(分解清掃)すると聞いていたのですが、ムーブメントごと交換したとのことでした。「次回は交換ではなくオーバーホールすることになると思います。」とセイコーの方。
時計を見る度に傷が気になり、そしてあの店主のことやその時の悲しい思いを思い出してしまったのですが、傷は綺麗に無くなっていました。傷消しはできない機種とのことで、ケースごと交換されていました。
竜頭の反対側も無傷です。やっと本来の状態に戻りました。
久し振りに見ることができた白い清楚な文字盤。飾り気がない訳でもなく、かと言って「どうだ!」と威張って見せびらかすような主張はなく、それでも独自の個性を発揮しているところが私の好みです。
この時計を購入した当時は仕事がとても酷い状況にあり、心身ともに疲弊しきっていました。その中でも良い兆しを感じていて、節目になるようなものをと思い購入したものです。
現在は、家庭では戦場のような状況が続き余裕は全くありません(不和ではありません)が、仕事は職場が変わったこともあり、私の心の“焼け野原”は随分復興したように思います。“大きな穴”は少し小さくなったように思います。
今迄、この時計はどことなく他人のもののような気がしていたのですが、修理が終わって新品のように甦った時計を見てやっと「自分のものになった」と思うことができました。忙しくも充実した日々にこの時計が寄り添ってくれるよう、大切に使っていきたいです。
2021.7.31(土) 1199 ファンシーなお庭♪♪
【イラスト制作部】また思わず子供のおえかき帳に描いてしまいました。
同行人氏が貰ってきた生活の木の「魔法の庭のアロマスプレー」(廃盤。→ポプラ社による紹介)に付いていた絵柄が可愛らしかったので、真似して描いてみました。
あんびるやすこさんの『魔法の庭ものがたり』という作品の主人公「ジャレット」です。
ほんわかした絵柄にハーブガーデンの世界観……すきです。私の家のお庭もあんな風にできるといいな。
2021.7.28(木) 1198 よく働いた
【日録】長年使ってきた炊飯器がうまく御飯を炊けなくなっていました。
本体の炊飯機能は全く問題なく、機械を買い換えるまでもないため、釜を交換することにしました。
左が今回購入した新品の釜、右が数年間毎日働いてきた釜です。フッ素コートが剝がれてアルミの地金が露出してしまっています。毎日見る分にはあまり気になりませんでしたが、並べて見てみるとその劣化具合がよく分かります。私達のためによく働いてくれました。本当にありがとうございました。
これだけのことですが、再び美味しい御飯を食べられるようになりました。
2021.7.28(木) 1197 絵本の中に
【写真植字】子供の絵本を見て驚きました。
よく読まれている童心社の『いないいないばあ』(1967年初版、2017年改版第251刷)。ページをめくると……
本文の書体が写研の「(読売)新聞明朝」(YLM)なんですよ! 初版の年代から言えば使われていてもおかしくないのですが、版を重ねても生き続けているのが素晴らしいと思います。
こちらはポプラ社の「世界名作ファンタジー」シリーズ『いっすんぼうし』(1998年第1刷、2012年第33刷)。何と題名がモリサワの「見出丸ゴシック体MBD501〈快調〉」!「快調」の使用例なんて久しく見たことがなかったのでとても驚きました。しかもDTP化が進展しつつあった1998年初版で敢えてこの書体とは。
絵本は内容を変える訳にいかないことや何十年も繰り返し読まれることからか写植書体が生き残っている率が高いように思います。これからも密かに楽しみにしていきたいです。
2021.7.23(金休) 1196 それでも描きたい
【イラスト制作部】なかなか絵を描く時間が取れず、それでも描きたくなり描いてしまいました。
子供のおえかき帳と8色のクーピー(さんかくクーピーペンシル8)を借りて思わず描いたのは『聖剣伝説2』(1993年)の「ポポイ」。私がイラストを描き始めるきっかけになったキャラクターです(→「十年展」第1回参照。2003年の企画です)。ポポイなんて20年くらい描いていないし勿論手元に資料はありません。うろ覚えでも何とか描けました。本当は○○○○が描きたいけどじっくり描ける時間も環境もないので、どんなに制約があっても描けるものがあればとりあえず何か描きたかったのです。
2021.7.18(日) 1195 かたちあるもの
【日録】昨年度の子供の写真を集めたアルバムを作りました。
写真を撮るのは元々好きで、撮影したデータをきちんと管理しているのですが、所詮はデータであり消失の恐れがあることと、長年保存するためきちんと形のあるものを残しておきたいという考えで毎年度作るようにしています。
時間的に手作りはできないので、今年も富士フイルムの「フォトブックハードカバー」を活用しました。印画紙写真なのにページが分厚く、表紙は簡易ハードカバーで本格的なアルバムのような仕上がりになるので気に入っています。
6月29日に昨年度撮影した数千枚の写真からアルバムに残すもの百数十枚を選び始め、7月3日からネット上でアルバムのレイアウト作業をし、10日に発注、昨日到着しました。殆ど自分の時間が取れない中でしたが、子供の昼寝の時間や早朝を活用するなどして短期間で完成することができました。
それにしても、子供の成長の早いこと。気付かないうちに背が大きくなり、できることや話す言葉が多くなり、人格が形作られつつあります。かけがえのない今の子供の様子を形あるものとしてずっと残しておきたい。そういった思いもあります。
ところで、久々にとても欲しいカメラがあります。
ニコンのミラーレス一眼カメラ「Z fc」です。
ミラーレスカメラはファインダーが実像ではなく映像なので私には見辛くてずっと敬遠していたのですが、Z fcの外観を見てぐっと来てしまいました。大きさや意匠は私も所有しているフィルムカメラ「(New)FM2」
を踏襲したもので、ダイヤルによる操作を前面に出しています。このオーソドックスなカメラらしさがとても恰好いいです。
かつてニコンから同様のフィルムカメラ風の意匠を纏った「Df」というデジタル一眼レフカメラが発売された時もとても気になりましたが、当時D800を買ったばかりだったこともあって見送っていました。ベース機がD600でやや心許なく、外観はFM2がぶくぶくと肥大化したような姿だったのであまり美しいと思えなかったことも購入しなかった理由です。
そう思うとFM2のままのデザインと大きさで出してきたのはすごい。しかもDfの3分の1ぐらいの金額で買えてしまいます。ファインダーが実像でなくても、レンズがFマウントでなくても、撮像素子がDXフォーマット(APS-C)でもいい。こういうデジタルカメラが欲しかったんだという気持ちが止めどなく溢れてきます。
今日もD800で撮影してきて不足は全くなかったのですが、それでもZ fcが欲しくてたまりません。どうしたらいいのでしょうか。(←買っちゃえばいい。)
2021.7.12(月) 1194 あの日のことは
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
やまがたすみこさんの初期の作品を聴き込んでみました。
1〜4枚目のアルバムに目星をつけ、CDと、CDで購入できなかったものはLPレコードを入手しました。中でも気に入ったのが1枚目の『風・空・そして愛』と2枚目の『あの日のことは…』(いずれも1973年)です。3枚目以降はニューミュージック方面へ舵を切り始めていて私にはあまりしっくりきませんでした。
1・2枚目ともやまがたさんの透明感溢れる歌声を十二分に活かした明るく素朴なフォーク作品群で、当時の若者が感じていたであろう希望に満ちた爽やかな空気感を味わうことができます。
多分私の心の中には、穏やかで牧歌的で前向きな気持ちでいたいという強い気持ちが根底にずっとあって、素朴で清澄で豊潤で希望に溢れるものを求め続けているのだと思います。その答えが1970年代前半の音楽にはあるように感じています。この2枚のどの曲を聴いても、ひととき本来の自分を取り戻したような充実した気持ちになります。
2枚で一番好きな曲は『あの日のことは…』に収録された『まつり』です。
夕方から夜にかけてお祭りが終わっていく様子を描いた作品です。ゆったりとした三拍子で、各パートがスケールの大きなフレーズを演奏していて、やまがたさんの歌声は特に高く、深いリバーブがかかったストリングスと男声コーラスがお祭りで盛り上がった気持ちを残したまま寂しさが増していくような機微を描いています。それでいて莫大な多幸感があり、お祭りで火照った心と体の充実感とそこから離れて落ち着いていく気持ちを疑似体験できます。夜寝る前に聴くと心が満たされ、穏やかな気持ちで眠れます。
「ジャケットが秀逸(好み)なものは内容も素晴らしい」というのが私の経験則です。今回たまたま『あの日のことは…』はCDではなくLPを入手することになったのですが、ジャケット裏面のやまがたさんがとにかく可愛い。LPの大きなジャケットでよかったです。楽曲とともに、所有することができてよかったと思える名盤でした。
本当は3月に入手していたのですが、ようやく紹介することができました。
2021.7.5(月) 1193 たったそれだけで生きていける
【日録】とても嬉しいことがありました。
他の人には取るに足らないほど些細なこと。誰にだって当たり前に起こること。客観的に見ればそうなるだろうこと。それでも私には、何年も待ち望んでいたことでした。「たったそれだけでいいから、それ以上は望みませんから、私に機会をください」と何度も何度も心の中で願ってきました。
その機会は今日やってきて、少しの躊躇いの後、少しの勇気を出して機会を使うことができました。
たったそれだけで世界が明るくなって、希望が見えて、抱えていたものを下ろしていいと言われたような気持ちになって、そのことを考えなくてよくなって。自分から踏み出して本当に良かったと思いました。
それだけで私は、生きていける。
2021.6.21(月) 1192 変えないという意思
【日録+写真植字】子供が文字や時計に興味を持ってきた(アルファベットと数字の大半を覚えた)ので、玩具を購入しました。
ニチガンの「もじあそび(ミッフィー)」とLearning Resourcesの学習時計です。
表裏に平仮名と絵が描かれた積み木は各社から出ているのでじっくり比較検討しました。初めに目についたのは公文出版の「NEWひらがなつみき」でした。文字が写研のゴナB辺りをベースにしたもので、これだけで一択にしてしまおうかという衝動に駆られました(笑)。しかしここは冷静になり、もう少し他のものも見てみることにしました。 絵柄が平成初期で止まっているものや、書体の癖が強過ぎて文字を覚えるのに適さないものなど、候補が現れては消えました。
最後に現れたのがこの「もじあそび(ミッフィー)」でした。ディック・ブルーナの絵柄は昔からある定番で新しくも古くもなく、すぐに“卒業”することもないような普遍的な作品です。シンプルな絵柄で色数も抑えられており、床に転がっていてもあまり気になりません。何色も使われているものはどうしてもがちゃがちゃしてしまいます。ブルーナの作品は子供も好きで、それも購入の決め手になりました。
文字は石井教科書体ファミリーをベースにしているようです。骨格のバランスが良く抑揚(太さの変化)もよく分かり、文字を覚えるには最適な書体です。数字はナールDでした。写研書体が使われた製品を図らずも選んだことに嬉しくなりました。
一部は石井中明朝体NKLでした。
石井太教科書体のメインプレートから。
こちらは石井太教科書体低学年用かなのサブプレート。
積み木では「か」の3画目のはねが削除されているなど、一部の文字は「低学年用かな」を採用しているようですが、「に」の2画目は下に凸の形状なので標準でも低学年用でもないようです。旧かな(K-BT-O)のような気もしますが、文字盤を持っていないので確かめようがありません。
パッケージはDTPで制作された現代的な作風なのに積み木本体は改訂しなかったようです。絵柄も文字も完成されているから変える必要がない。作り手の意思の強さと志の高さを感じました。
そんなことを気にすることもない我が子はとても気に入ったようで毎日遊んでいます。
私のようにやたら文字に拘るような人間にならないことを切に祈ります……。
2021.6.7(月) 1191 40年前の私
【日録】40年程前に実家を新築する前に大手住宅メーカーが間取りと生活のプランを父に提案したフィルム(実写動画)が見付かり、皆で観た。
実家のある土地にコの字型の家が建っていて、中庭があった。当時は珍しかったカウンター式の台所と居間が繋がったLDKになっていた。1980年代初頭とは思えない洗練された内装と調度品が並べられていた。LDKからはすぐ玄関に続いていた。LDKから駆け出す6歳ぐらいの子供。玄関を開けると道路までが長いアプローチになっていて、ハーブや花など、綺麗な緑に彩られていた。アプローチに誰か来ているようだ。住宅メーカーの人が何年か振りの点検のために来たのだ。二人の男性はこの子を見ると、「ああ! あの時の……こんなに大きくなって……。」と涙を流していた。この子は私なのだが、姿は成長した私の子供だったのだ。私の子供は、40年前の私なのだと解った。
……というところで目が覚めた。何もかもが私自身が作り出した架空の物語だったのに、涙が止まらなくなっていた。40年前から見て少し将来を描いたフィルム。その将来を遙かに過ぎて、こんな歳になってしまった。それでも私の両親は今でも元気で、毎日のように会うことができる。時間の残酷さと、今まで両親が自分のことを大切にしてきてくれたこと。そして今、その役割を今度は私が担っていること。子供のこの歳は今しかない。すぐに大きくなってしまい、私のような年齢になってしまうだろう。あと何年この子と一緒に居られるだろうか。あと何年両親と話ができるだろうか。そう思うと、日々の大変さに押し潰されそうになりながらも、一日一日を丁寧に生きることが、後になって自分の来た道を振り返った時に還ってくるのだろうと思った。
2021.6.6(日) 1190 音楽の原点に
【日録】久々に音楽機材を購入しました。
機材といっても私が使うのではなく、家族共用のオーディオです。
子供が通う園では昼寝の時間に音楽をかけるらしく、自宅で寝かせる時間帯にも音楽をかけたいという同行人氏の提案でした。家族共用のオーディオといえば、実家から持ってきたソニーのラジカセ「CFD-V1」(1979年製 →2019.1.31の記事参照)しかなく、再生できるものはカセットテープとラジオと外部入力。スリープタイマーは付いていない。ということで、CDやタブレットなどの曲を楽に再生できないかということでした。
初めはCDラジカセのようなものを検討しました。ソニーの「ZS-RS81BT」が良さそうでした。しかし店頭で実機を見て思ったのは「軽すぎる! ちゃちい!」でした。明らかに耐久性はなさそうで、中身がスカスカでは音質も全く期待できそうにありませんでした。Amazonなどのレビューでも散々だったので、ラジカセタイプのものはやめることにし、奥行き15cmのキッチンカウンターの壁際に置ける薄型のステレオシステムを検討することにしました。
オーディオはソニー党なので薄型オーディオはすぐ決まりそうでしたが、他社のものも比較のため検討したところ、ソニーの「CMT-X3CD」は音は良いものの筐体の奥の見えない部分が出っ張っており、しかもその先から電源コードが出ているという構造的欠陥を抱えており壁際に置けず、東芝のCDラジオ「TY-C250」辺りはすぐ壊れるとの評判で論外、残ったパナソニックの「SC-HC320」は音質が良く壁際に置くことを想定した造りで故障の悪評もないので、これにすることにしました。デザインがシンプルで虚飾がないのもポイント高し。
できるだけ早く入手したかったので、地域の大きな家電量販店で現物を見て購入することにしました。300番台が基本モデル、400番台は出力が2倍で低域再生に物理的な配慮がされ、内蔵メモリへCDを取り込める機能が付加されているということで店頭で悩みました。
結果、型落ちではあるものの上位モデルである「SC-HC410」にしました。置ける場所、音質、金額のバランスをとってこうなりました。本当はHC320のような真っ白が良かったのですが、この機種は明るい銀色なので、白い壁に程良く溶け込んで存在を主張しないので良かったです。
想定よりも上位の機種にしたのは、子供の耳は中高年である私達よりも遙かに高性能であり、しかもこの時期に聴いたものが音楽観の基準になるなので、再生能力が高い方が良いと思ったからです。音楽は主要な音だけ聴ければ良いのではなく、ベースはコード感とグルーヴ、ギターはコードそのものなど音(パート)に役割があるので、音楽に込められた全ての音が聴こえる必要があるのです。特にベースの音の運びは重要で、これが聴こえることでどのような雰囲気の音楽であるかが決まります。私の父は楽器(ジャズドラム)をやるので、小さい頃から生演奏を聴かせてくれたり、大きなステレオでレコードを聴かせてくれたりしました。その経験が今の私に大きく影響しています。
早速設置して音楽を聴いてみました。
出荷状態ではスカスカな音しか出ないのですが、音質調整が細かくできるので、私が普段聴いているフラットな音質に近付けることができました。それでも中域が弱めで人の声が一歩前に出ていない感じですが、全体には落ち着いていて居間で聴きやすい音質です。高域は繊細で、低域は物理的な構造(ツイステッドポート)のお蔭でベースラインがはっきり判り、必要な分が出ています。重低音のような演出は要らないので出ていなくて構いません。高性能な機器と比べてはいけませんが、私でも十分聴ける音質でした。
機能面で便利なのはCDの音声データを本体に取り込んで5枚分ないし圧縮して25枚分をボタンで呼び出せることです(CD-DAに限る。MP3CDは不可)。寝かしつける時の音楽を毎晩再生する時にわざわざCDをかけなくても聴くことができます(因みに湯川潮音さんの『わたしの子守唄』です) 。
子供はというと子守唄ではなかなか寝てくれないのですが、音楽が好きなようで全身を動かして反応しています。一番好きなのは南沙織さんの『そよ風に乗って』です(1971年。→原曲〔冒頭の広告に注意〕) 。何度も「『ホーホーホー』聴きたい!」と私にせがんできます(ホーホーホーはこの曲のコーラスの声のこと)。音楽観の原点がこの曲だとすると、これからどんな音楽を聴くようになるのか……。長い人生、新旧問わず幅広く音楽を楽しんでほしいな。
2021.5.14(金) 1189 3年目ともなると
【園芸部】毎年恒例となったサツマイモ畑を作りました。
Nikon D80+AF-S NIKKOR 24-120mm f/4Gで撮影(以下同じ)
昨年(→2020.4.30の記事参照)と見比べるとかなりすっきりしています。人工芝を張ってクローバーがモサモサに茂っていないからでしょう。
昨年の安納芋は市販のものに遜色ないほど甘くてねっとりしていたものの、焼き芋以外に料理するとねっとりしすぎると指摘があったため、今年はほくほく系で甘みが強い「紅はるか」にしました。
草を取り、固まった土を耕し、培養土を混ぜ、畝を立て、形を整え、マルチを敷き、苗を植える。3年目ともなると流れ作業でできますが、各工程がかなりの重労働です。昨年よりもひと畝増やし、トマトやきゅうりを植えられるように準備だけしたので、作業時間は昨年よりも増えて3時間かかりました。
今日は最高気温が31℃ということで今年初めての30℃超え。熱中症の恐れがあったため、1時間毎に休憩を入れてスポーツドリンクを飲みながら作業しました。
運動選手でもないのに粉末のポカリスエットを購入して、水に溶かしたものを1リットル飲み切ってしまいました。ペットボトルよりも断然安くてごみ処理にも困らないので、粉末タイプはとてもいいです。
庭のバラも満開を迎えました。
数年前に出掛けた可児市の「花フェスタ記念公園」や東京の「旧古河庭園」のバラ祭りで広大なバラ園を見て、その色彩の豊かさや種類の多さに感銘を受け、庭を持ったらバラを植えるんだと思っていました。新居の入居の年から少しずつ苗を植え、なるべく色や種類の異なるものを選んで配置してきました。3年目は1・2年目のものが大きく成長し、次々と花を咲かせて目を楽しませてくれます。
今年植えた青いバラ(正確には青紫か)は再び花を咲かせてくれました。
昨年植えた黄色いバラは蕾を沢山付け、次々と咲く気満々です。アブラムシが蕾を吸汁するので酢由来の農薬と指で退治しました。
こちらも昨年植えた「ノスタルジー」。背は高くありませんが横へ広がって、30輪くらい一度に咲かせてくれました。かつて見たバラ園のイメージです。
ピンクと白、緑の対比が美しい。
同行人氏には「お花が好きなんて、乙女みたい」などと言われることがありますが、自分でも自覚するところがあります。新居の備品選びにもその傾向があります。描く絵もかつて少女漫画の影響を受けているのでそんな感じがします。案外そういうものが好きで、実は乙女なのかもしれません(よしなさい)。
今回は15年前のデジタル一眼レフ「Nikon D80」で撮影しました。桜を撮影した時にも感じましたが、花や葉の色の出方がD800よりも透明感があって好きです。空の青さも好きです。同時期に発売されたD40シリーズも同じ傾向です。もうカメラ沼に嵌るつもりはありませんが、被写体によってカメラを選ぶのもまた楽しみの一つです。
2021.5.4(火祝) 1188 違いの分かる人
【日録】友人が自宅へ遊びに来てくれました。
コーヒー豆を自家焙煎したそうで、豆を挽いてくれました。私もやらせてもらったところ手動なのでかなりの重労働でしたが、肌理の細かい粉が出来上がりました。
家事にどうしても手間暇をかけられないので亮月家では簡易な機材でコーヒーを淹れています。どこにでも売っているカリタのドリッパー102と台形の紙フィルターです。これにスーパーで一番安いレギュラーコーヒーというのが定番なので、挽きたての豆でコーヒーを頂くのはとても久し振りでした。
原液は成分を凝縮したような重さがあり、これを2倍に稀釈すると口当たりがまろやかになり、すっと飲みやすくなりました。それでいて甘みのある香ばしさは変わらず、十分美味しいと思っていたスーパーのレギュラーコーヒーとは全然違うものでした。「本当に美味しいコーヒーは水のように飲める」と友人がかつて語っていたことを思い出しました。
この友人と直接会って語らうのは随分久し振りでした。お互いとてつもない苦境にあったこと、そこから何とか生き延びたこと、そこで得られたもの、考え方など、分かち合いたいと思っていたことをようやく掘り下げて話すことができました。苦境の只中にある時はひたすら辛さに耐えるだけでしたが、俯瞰して見ることができるようになった今、それは自分の大きな糧になっていることに気付きました。こうして人間としての深みを増しながら歳をとっていくことはあながち悪くないなと思いました。あんな経験はもう二度としたくありませんが。
お互い新しい場所で良き日々を過ごせるよう、心と体を大切にしていきましょう。対面で話をするのは何よりも良いです。来てくれて本当にありがとう。
*
友人が来るに当たって取り急ぎ室内の景観を何とかしなければならないと思い、来訪寸前まで悪あがきをしていました。出しっ放しのものを収納にしまったり、箱ティッシュを布製のティッシュケースにしまったり……。その中でも最大のものが子供の玩具でした。
新築して以来元々厳しい“景観条例”を施行しているので、備品の意匠は意味や統一感があるものに限り採用することにし、玩具や絵本は極力収納するようにしているのですが、大きな立体物は収納できず、1年以上床に置きっぱなしになっているものもありました。
小さな子供の玩具は原色系の派手な色遣いであることが多く、遊んでいる時はあまり気にならないのですが、使わない時はその圧倒的な存在感が物凄く気になります。自然な色味に統一した我が家の中でとても浮いて見えるのです。使っていない時に主張しなくてもいいのに、とそれらを見る度に気になり、気が散ってしまうことが多々ありました。家の中で見る景色には意味(機能美)があってほしいと思うのです。
また、子供にも「物を床に置きっぱなしにしない。使い終わったら片付ける。色には役に立つ時のための意味がある。使わない時の色は必要ない」というようなことを日々暮らす中で理解させ、片付けの習慣と色彩感覚を養ってほしいと思っています。私自身、小さな頃から暮らした実家が雑然としていて備品の色味の統一感がなかったため、色彩感覚が30代に入る頃まであまりなく、身に着けるものや自室にある物の色に全く無頓着でした。それではいけない(色そのものや配色には意味がある)と気付いたのはここ10年足らずのことです。自室にある備品を全て見直すことになり、とても大変でした。でも、がちゃがちゃした雰囲気を脱した先にあったものは、見える物に無駄に囚われなくて済む心の余裕でした。余裕のある中で何かをするととても捗ります。
そういった苦労を子供にしてほしくないと思い、友人が来訪するのもきっかけに、簡単な整理を行いました。
調達に費やせる時間がごく少なかったので白いカラーボックスと植物の葉の籠しか用意できませんでしたが、床置き状態が解消され、どぎつい色味が占める範囲も少なくなりました。本当は完全に見えなくしたかったのですが、大分気持ちは落ち着きました。
友人が来訪した時、カラーボックスが組み立てきっておらずみっともない姿を見せてしまいました。大変失礼しました。
*
【文字関係】モリサワの「A1ゴシック」の仮名の原典って、モリサワで一番古いゴシック体の「中ゴシック体BB1」(1955年発表)だったのですね……(→株式会社モリサワ『温もり感じるゴシック体「A1ゴシック」』)。
BB1の見本を見たことがなかったため、複数の書体の寄せ集めや一部の文字の改悪を疑って「キメラみたい」だと感じていました。元々こういう形だったと判ってすっきりしました。でもまあ、書体デザインとして纏まっていないというか、あまり好きなデザインではありませんが。
漢字の骨格はA1明朝ということで「A1ゴシック」と決まったのでしょうが、個人的には「BB1」のコードを引き継いで欲しかった。「BB1ゴシック-M」みたいになってもよかったので。モリサワの書体コードが混沌としているのは今に始まったことではなく写植時代からそうだったので、これもまたモリサワらしい現象なのかもしれません。
2021.5.3(月祝) 1187 初夏の開放感
【日録】家族で県内の某公園へ出掛けました。
Nikon D800+AF-S NIKKOR 35mm f/1.4Gで撮影(以下同じ)
5月らしい爽やかな天候の中、人混みは苦手なので人が多い場所へはなるべく近付かず、まばらな場所でお弁当を食べました。
子供を屋外で遊ばせるためだったので特に何かをした訳ではありませんでしたが、ちょうどよい日差しの中、広い公園で新緑と涼やかな風を感じるだけでとても開放感がありました。
2021.4.25(日) 1186 気になっていたあの人
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
原田知世さんのアルバムを買い揃えました。
以前から、たまにラジオで原田さんの最近の楽曲がかかる度にいいなぁと思っていましたが、
活動が長い分掘り下げるのが大変そうで、なかなか手を出せずにいました。
最近は1970年代の音楽ばかり聴いていたので趣向を変えたいと思い、今回思い切って、毎月音楽に対して確保している“音楽予算”の枠一杯で(いや、はみ出しました・笑)1990年から現在までの中古のCDを買い求め、年代を追ってじっくり聴いてみることにしました。
率直に書くと……1990年から1991年までの作品群はその時代らしいシティポップという趣でマイナー調のものが多く、私にとってはどうにも陳腐で辛気臭くて2度目は聴けませんでした(当時の曲が好きな人にはすみません)。1992年から1995年までの鈴木慶一氏プロデュースの作品群は独自色が出て面白味はありますが、エスニック風の凝りに凝った編曲と、時代の限界だったのかMIDI音源(SC-55や-88辺り?)そのものの出音がどうにも気恥ずかしく、聴けるには聴けるのですが自分の見たい景色とは異なるものでした。打ち込みの音楽は私も作るので嫌いではありませんが、音楽に触れ始めた高校生の頃、あの頃の音源特有の安っぽい(失礼)伴奏の曲ばかり耳にして「ああ、これも打ち込みか。生演奏の時代に戻らないものか」とうんざりしていたので、当時のMIDI音源剝き出しの曲にはアレルギーのような抵抗感があるのです。
原田さんの楽曲に劇的な変化があったと感じたのは、1996年発売の『clover』でした。こうしてCDを買い揃える動機の一つでもありました。というのは、スウェーデンの音楽家であるトーレ・ヨハンソン氏が本作以降しばらく原田さんの作品をプロデュースしていることを知ったからです。トーレ・ヨハンソンの楽曲には自分にもかつて接点があって、声優の飯塚雅弓さんやつじあやのさんに提供された作品の感触は自分好みでした。そういったこともあり、原田さんにも間違いなく良い作品が提供されている筈だと確信したのです。
四半世紀を越えてようやく出逢った作品群は……とても好みでした!
『clover』の1曲目『Metro』からもうとても気に入りました。生演奏の濃厚なサウンド、よく晴れた春の日に散歩するような明るさ、キャッチーでありながらひと捻りもふた捻りもしたお洒落なメロディー。ポップスとはこういうものだという普遍的で洗練されたサウンドは、今の耳で聴いても全く古臭くなく、この灰色の時代にはむしろ活き活きとして聴こえます。
膨大な原田作品で唯一リアルタイムで聴いた記憶があるのは『ロマンス』でした。当時を生きる中で耳にした音楽なので懐かしさはありますが、だからと言って色褪せてしまった訳では決してなく、今聴いても頭の中で繰り返し再生してしまうほどとても魅力的なのです。少し哀愁味のあるメロディーと爽やかで暖かい風が駆け抜けるような伴奏が心地良いです(→YouTube 原田知世公式チャンネルの『ロマンス』)。
その頃私は高校生。当時から、流行りものの押し付けられる感じとみんなが同じものをいいという風潮が嫌いで、作風も私の好みに合わないものばかりだったので、歌番組や街で頻繁に流れるようないわゆるJ-POPは一切買いませんでした。その上アニメにはまり始めた頃で一般の音楽は聴かずアニソンばかり聴いていて、音楽的な好みを養う素地や鑑賞のための見識は全くありませんでした。また、お小遣いが月3000円でCDは高級品だったので、音楽の主な収集源はAMラジオの番組でした。それもアニラジ番組ばかりだったので、洗練された音楽が入ってくる余地は殆どありませんでした。それでも入ってきたのが先に述べた飯塚雅弓さんで、ラジオ番組で「スウェディッシュポップが好き」と話して度々そういう曲をかけていたことから「J-POPとは全然違う」と感じ、カーディガンズのCDを入手する程度には興味と好感は持っていました。遠く遠くから今日に繋がっていたのです。
“トーレ”後、21世紀に入ってからの楽曲も素晴らしく、特に『Music & Me』(2007年)辺りからは原田さんの変わらない清澄な歌声を活かした穏やかで居心地の良い楽曲が続き、かといってポップさが失われた訳ではなく、私達のようにある程度歳をとって耳が肥えた(と自分自身に言い聞かせている)大人が聴くのにちょうどよいように感じます。本当に本当に上質な音楽群です。カフェで美味しいコーヒーを頂いている時のような気持ちになります。
かつて偶然ラジオで聴いて「いいなあ」と思った曲は『Music & Me』の『色彩都市』だったことが、CDを買い揃える中でようやく判りました。 あれから14年、原田知世さんの作品はやっと自分の心の中にいる音楽になりました。
余談ですが、『a day of my life』のブックレット表紙の下の方で流し目している原田さんが好きです。
2021.4.18(日) 1185 庭の春だより
【日録】気が付くと庭も随分春らしくなっていました。
Nikon D800+AF-S NIKKOR 35mm f/1.4Gで撮影(以下同じ)
昨年自作した花壇(→2020.5.5の記事参照)のユーカリとライラックが新しい葉を付け始め、背が高くなりました。
ライラックは赤紫色の小さな花を沢山付け、控えめに香ります。
ユーカリは旺盛に新しい葉を出し続けています。
別の自作した花壇(→2020.6.13の記事参照)に植えたチェリーセージは1m程度に成長し、赤い花で一杯になりました。
3年目のバラは早い春の訪れに敏感に反応して葉を沢山付け、ゆっくりと蕾を蓄えています。こちらは黄色。
朱色の蕾もひっそりと。
食べるために植えたいちじくも、若芽とともに実(花?)を沢山付けています。
ねぎ坊主も盛りです。
時間の余裕が殆どなく、庭を眺めるくらいしか楽しみがありませんが、毎日ほんの少しずつ変化があり、季節の移ろいを実感することができます。どんなに忙しくてもこういう感覚は大切にしています。
2021.4.10(土) 1184 まるで5月
【日録】天気が良くて4月とは思えない暖かさ。絶好のお出掛け日和だったので、家族で恵那市の恵那峡公園へ行ってきました。
Nikon D800+AiAF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8Sで撮影(以下同じ)
国道19号からは中央アルプスがはっきりと見えました。
恵那峡公園では「さくらまつり」が開催されていましたが、桜はほぼ散ってしまい、代わりにミツバツツジが満開でした。大井ダムの青緑色の湖面に映えます。まるで5月の風景です。
順光で撮影。ミツバツツジは逆光で撮る方が色と艶が出て美しいような気がします。
恵那峡といえば、公園対岸(北)の恵那峡ワンダーランド。私が子供の頃からずっとある、一番近い遊園地です。
ちょうど遊覧船が通りかかりました。レンズを望遠端にすると、乗客の方がほぼ全員こちらを見ているのが分かりました。あまり混んでいない公園の岸辺から大砲のようなレンズで狙っているのに気付いたら身構えてしまうものなのかもしれません。
子供にとっては来たことがない場所だったのでかなりはしゃぎ回り、カメラとレンズで2.5kg超に加え500mℓの水分をぶら下げていたので追いかけるだけでへとへとになりました。帰宅すると快い疲労と充実感がありました。
2021.4.3(土) 1183 近所のメルヘン
【日録】近所の桜が例年よりも10日程度早く咲き、この土日で散り始めそうな様子だったので、散歩がてら撮りに行ってきました。
Nikon D80+AiAF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8S・絞りf/2.8開放で撮影(以下同じ)
連れ出したカメラは15年前に買ったNikon D80。かなり古いデジタル一眼レフですが、花の写真はNikon D800よりも綺麗に撮れるので、こうして積極的に使っています。レンズは先日購入したAiAF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8S。こちらも30年ものの古いレンズですが、さすがは当時の高性能レンズ。撮りたい風景をより美しく写してくれました。ただ、絞りf/2.8通しの望遠レンズであることが嬉しくて、f/2.8開放絞りばかりで撮ってしまいました。今回についてはメルヘンな感じが出て、結果として良かったかもしれません。
今年は桜を見に遠くへ行くことはできませんでしたが、こんなに近くにも美しい風景があるのです。そのことに気付くことができました。
2021.3.27(土) 1182 庭につくし
【日録】庭に思いがけないものが生えていました。
富士フイルム X20で撮影
ひょろりとしたつくしが数本顔を出していました。確かにスギナだらけではありましたが、まさか庭に生えてくるとは……。
さすがに玉子とじにして食べることはしませんでしたが、春は確かにやって来ているのだなあと実感しました。
2021.3.16(火) 1181 さようなら「おたよりコーナー」
【お知らせ】長らくご利用いただいていました掲示板「おたよりコーナー」が、本日突然消滅していました。毎日不正な書き込みがないか点検していたので、今日突然消えたのは間違いありません。元のCGI提供サイト「abc-cgi.com」ごと消えていますので、サービスを突然終了したのだと思われます。
たいへん残念なことに、書き込みNo.834〜859とここ最近の数件はログを保存しておらず、完全に消滅してしまいました(→その他のログは「おたよりコーナー・もくじ」の下の方に保存してあります)。
どなたか「おたよりコーナー」の書き込みNo.834〜859について保存されている方がいらっしゃいましたらお知らせください。写植に関する興味深いお話もあったと思います。ご協力いただけますと嬉しいです。
(2021.3.17追記)No.849〜859と最新のNo.884、885はご厚意により復活できました。ありがとうございました!
2021.3.9(火) 1180 株式会社写研、公式サイト公開!
【写真植字】写研が公式サイトを公開したとの報せが、ネットの辺境にある私のもとにも聞こえてきました。
→株式会社写研 公式サイト https://sha-ken.co.jp/
ウェブ上で滑らかな写研書体を沢山見るのはとても不思議な感覚です。変な夢でも見ているのではないかというひねくれた感想を持ってしまいます。それでもこれが現実で、着実に写研書体が遠い所から戻って来ようとしているのがよく分かります。私は写研の「書体と組版は一体である」という考え方に強く賛同しますので、組版言語「SAPCOL」や、それに代わる組版の仕組み(ソフトなど)も残して欲しいと思っているのですが、まずは書体からということなのでしょう。
公式サイトによると、「2021年5月に写研の歴史と沿革、これまでの写研書体や写植機、および各種資料をご覧いただけるデジタルアーカイブサイトを公開する予定です。」とのこと! やっとやっと、写研自ら写植について纏めたものをウェブ上で公開してくださるようです。
私は写植が大好きな若者でした。大好きな写植のことがただただ知りたくて、世の中からなくなりつつあって、誰も教えてくれなくて、それでも自分で取材したり資料を集めたりして、写植について分かったことを自分の覚えのために少しずつウェブ上に記録してきたのが始まりです。それから22年間、亮月製作所・亮月写植室としてたった独りで写植について纏め続けてきましたが、私(桂光亮月)の役目が終わる日がようやく訪れそうです。人生の半分以上を写植と共に過ごしてきたので、もうやらなくていいんだと思うのはとても寂しくもありますが、肩の荷が降りてほっとする気持ちも半分あります。
写研公式サイトの「写研アーカイブ」の動向を見ながら私の活動を少しずつ整理し、いつかは亮月製作所のサイト開設当初からあった「イラスト制作部」「音楽制作部」ぐらいになっていくのかな、と思っています。あ、あとこの「亮月だより」も続くと思います。写植以外にも書きたいことがまだ沢山あります。
2021.2.27(土) 1179 望遠ズームがやってきた!
【日録】一眼レフカメラ用の交換レンズを購入しました。レンズをお迎えしたのは2014年の「AF-S NIKKOR 20mm f/1.8G ED」以来で、本当に久し振りでした。
Nikon D80+AF-S NIKKOR 35mm f/1.4Gで撮影
「Ai AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8S」です。
型番から判るように新品ではありません。
1988年から1992年にかけて製造されたという30年ほど前の古いレンズです。それでもこのレンズが欲しかったのです。
望遠ズームレンズは持っていたのですが、「Ai Zoom-Nikkor 80-200mm f/4.5」(以下「f/4.5」)というマニュアルフォーカスレンズでした(→2009.10.19の記事参照)。蚤の市で4000円で買ってたまに活用していました。
f/4.5は写りが良く、特に不満はなかったのですが、ここ何年かで被写体が大きく変わり、以前は主に風景や動きが少ない人物を撮っていたのが動きが激しい人物を頻繁に撮る必要が出てきました。やはり自分でピントを合わせるのは大変で失敗が多く、うまくはまれば素晴らしい写真が撮れるものの、子供の二度とない瞬間を残すには厳しいものがありました。
そこで思い立ったのが、オートフォーカスの望遠ズームレンズを購入することでした。
Ai Zoom-Nikkor 80-200mm f/4.5はズームリングを回して画角を調整するのではなく、直進ズームといってトロンボーンのようにズームリングを前後させて画角を決めます。この直感的な操作がとても気に入っているので、今回も直進ズーム方式のレンズを選ぶことにしました。
折角の機会なのでより明るい(F値の小さい)f/2.8通しのレンズにしました。f/2.8通しの望遠ズームといえば一眼レフ使いの多くが憧れる存在です。私も高性能レンズの世界を知りたかったのです。
ニコンのSWM(超音波モーター)搭載レンズはAF鳴きといって、しばらく使用しないとキーキーと音を出すようになるので、SWM搭載ではなくカメラボディからレンズを駆動させる旧来の方式(AF-SニッコールではなくAFニッコール)にしたいと思いました。そうすると最新型の「AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8E FL ED VR」などは候補から外れます。そもそも用途や費用対効果からいって勿体ないので買いませんが。
そういった訳で中古のオンラインショップを探すと、直進ズームでf/2.8通しのAFニッコールが沢山出ていました。
人気がないのか、同等のレンズの新品の価格の10分の1以下で購入できました(15500円)。かつては高嶺の花だったであろう高性能レンズがこんなに安く買えるなんて……。
私の手元に届いた個体は傷も殆どなく、限りなく新品に近い状態でした。前所有者様は大切に使ってこられたのでしょう。
f/4.5と並べてみるとf/2.8はふた回りくらい大きく、ものすごい存在感です。現代のレンズと違って鏡筒が金属製でひんやりと冷たく、一分の隙もなくがっちりと作り込まれています。日本が元気だった頃の製品特有の感触で、触っているだけでとても良いものだということがよく分かります。これはf/4.5にも言えることです。
D800に装着してみました。いや〜格好いい! 金属フードも付けるとまるで大砲のようです。『天空の城ラピュタ』でパズーが持っていた銃(グレネードランチャー?)を思い出しました。
今日も子供が遊んでいる様子をこのレンズのみで撮影しました。その場の情景をそのまま閉じ込めたような、臨場感ある写真が沢山撮れました。勿論ピンボケ写真は殆どありません。D800は内蔵AFモーターが強力なのか、合焦する時に「ヒュイーン!」と軽快な音でレンズが動作し、シャッターを切りたいと思ったその瞬間を切り取ってくれます(D80だと「ウイイイイン!」と苦しそうに動作する)。D800なら超音波モーター搭載レンズでなくてもオートフォーカスが十分実用できます。
上の写真はピクセル等倍で切り出したものです。絞りf/2.8開放ではこのようにフレアがかかってふわふわした感じになりますが、細かな毛までしっかり解像しています。人物を撮る場合はここまでフレアが目立たず、f/2.8で全く問題なく撮れます。30年も前のレンズなのに絞り開放が安心して使えるなんて!
もう一つこのレンズで素晴らしいのはぼけの美しさです。背景の滑らかに溶けるようなぼけは美しいグラデーションを作るだけでなく、被写体の立体感を大きく増してくれます。色も繊細かつ濃厚に出て、様々な面で「いいレンズなんだな」としみじみ思います。
高いお金を出して最新レンズを買わなくても、古い高性能レンズで全く問題なく良い写真が沢山撮れるようになりました。とても良い買い物をしました。機械式のレンズなので、これまで30年生き残ってきたように余程な事がない限り故障しないと思います。末長く大切に使っていきたいです。
2021.2.11(木祝) 1178 置き土産はリュウノヒゲ
【園芸部】庭の一大整備事業である人工芝張りが終わったので、細かな所を整えることにしました。今回はお金をかけないで整備しました。
余っていた煉瓦を人工芝の際に並べて、畑の土が人工芝の方へ流れ込まないようにしました。
人工芝の施工後、花壇に緑色の繊維屑のようなものが置き去りになっていることに気付き、職人さんがごみを処分するのを忘れたのだろうと思っていました。しかし拾い上げてみると根っこがついていて、リュウノヒゲという植物だと判りました。リュウノヒゲは花壇や駐車場などの縁取りによく見掛ける常緑の細長い植物で、過酷な環境でも育つとのこと。
人工芝を敷く前に除草したと聞いていましたが、職人さんがリュウノヒゲを見付けて残しておいてくださったのでしょう。
並べた煉瓦と畑の間の際にリュウノヒゲを植えました。うまく育てば綺麗な緑の帯ができる筈です。
以前作った花壇のように新しく資材を買い込んで作るのも楽しいですが、既にあるものをどのように活用するかを考えて形にするのも好きです。
2021.2.9(火) 1177 持ち味・2
【イラスト制作部】寝る前に絵が描きたくなってしまい、再び睡眠時間を少しだけ削って落描きしてみました。
1月16日付の記事に載せたイラストと同じお嬢さんだと思いますが、少しだけ表情を付けることができました。この表情を意図して描いたというよりは、描いたらこうなりました。まだリハビリは始まったばかりで、うまくコントロールできません。
前髪ぱっつんの人は昔から好きですが(→オリジナルキャラ「ナールさん」など) 、前髪の下ろし具合は眉毛辺りまでというのが今の気分のようです。目の辺りまで伸ばすと髪が目に刺さるのではないかと思ってしまうのです。
短時間でカラーイラストをこれだけ描けるなら、今年の年賀状は7年振りにイラスト作品にしても良かったのではないかと今更ながらに思いました。でもそれすらも分からないくらい全く絵を描いていなかったのです。
絵を描くと心の中に溜まったものを昇華させるようで、気持ちがすっきりして落ち着くような気がします。
これからも時間を見付けて描いていきたいです。
2021.2.7(日) 1176 雑草対策・最終章
【日録】自宅の庭に人工芝を張りました。
庭は元々山砂が敷いてあるだけの更地だったのですが、雑草対策にクローバーの種を蒔いても次第にスギナやイネ科の植物が勝り、暑い時期に4〜5回は草刈機で全面刈らないといけなくなっていました。特に昨年は雑草の成長が著しく、熱中症になりかけながら繰り返し草刈りを行い、大変な思いをしていました。
そうなると雑草対策は物理的に生えなくする方法を採るしかなく、覆ってしまうことにしました。順当にいけば防草シートを敷き詰めることになるのですが、それだけではあまりにも殺風景ですし、せっかく広い庭があるので子供に安心して駆け回ってほしいと思い、防草シートの上に人工芝を張ることにしました。
外構業者に依頼し、小型重機を使っての雑草除去と整地に1日、防草シート(ザバーン240)と人工芝を張るのに半日かかって完成しました。
※一部画像処理しています
荒れ放題だった庭に真っ平らな緑の平面が出来上がり、何となく殺伐としていた庭の雰囲気が明るくなりました。
完成した日にすぐ子供と靴を脱いで走り回って遊びました。とても喜んでくれて、昨日は30分、今日は1時間も人工芝の上で遊んでいました。その後疲れ果てて私だけ昼寝してしまいました。
子供は元気だ。
それなりに費用はかかりましたが、今後当分の間あの辛い草刈りをしなくてよいのと、公園などへ外出しなくても子供が目一杯遊べる場所ができたのはとても大きな利点だと思います。一応費用対効果は計算して実施しましたが、それ以上にやった甲斐があったと思います。一面緑の庭を見て清々しい気持ちになりました。 |