●過去だより1301〜1325
2024.8.9(金) 1325 パントリー区画整理事業
【日録】台所のパントリーを大幅に整理しました。
富士フイルム X20(2枚目も)
新居に移ってきて数年経ちますが、パントリーの使い方が最近まで定まっておらず、ようやく食材等を分類して白い樹脂ケースに入れて整理したところです。しかし最下段はそのままで、たまに使用する消毒用の容器と袋のままのお米が床に直接置いた状態になっていました。
このままでは掃除が大変なので(今迄もずっとそう思ってきたのですが)、やっと整理に着手しました。
収納の寸法を入念に測り、低くて2段のキッチンワゴンを入れ、下段には消毒用容器、上段には山崎実業の10kg米櫃を設置しました。
写真は暫定設置状態なので袋入りのお米はそのままです。大きな空間が確保できたので、炊事中にちょっと座れるようにするための椅子も購入しました。
Nikon D800・Ai AF-S Zoom-Nikkor 28〜70mm f/2.8D(IF)・絞りf/2.8開放
画材メーカー・MEEDENのスツール(椅子)です。本来画家が絵を描く際に使うものですが、木製で簡単に高さ調整ができ、頑丈でシンプルな意匠のものが欲しかったので、これ一択でした。組み立て式ですが木材も金属のねじ部分もとても造りが良く、何十年も使えそうです。ねじのピッチ(間隔)が狭く、高さを微調整できるのがとてもいい。一番座り心地が良い高さに合わせることができます。良い物はよく考えられているなあと思いました。
2024.8.4(日) 1324 初めての花火
【日録】我が子にとって初めての花火をしました。
Nikon Z fc+FTZ・AF-S NIKKOR 20mm f/1.8G ED(以下同じ)
花火の先端から勢いよく炎が飛び出すと我が子は一歩下がって怖がっていましたが、何回かやっていると少しずつ慣れていきました。
初めは手を添えていましたが、
一人で花火を持てるようになっていました。少し引き気味の姿勢ですが。
最後はやはり線香花火。
夏らしい夕暮れを過ごせました。来年もまた花火をやろうね。
2024.7.27(土) 1323 暑さには肉で勝つ!
【日録】再びバーベキューに行ってきました。
Nikon D200・タムロン SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)(以下同じ)
岐阜県瑞浪市の「きなぁた瑞浪」。予約が必要ですが、道具や食材は店側で用意してくれるので、その時間が取れない私達にはぴったりです。7月14日に親戚を呼んだ際にとても美味しかったので、日頃の感謝を込めて両親を招きました。
今年は梅雨がとても短く、35℃を超える酷暑が長く続いています。今日も外出を控えた方がよい暑さでしたので、暑さ対策を万全にして臨みました。
4人前でこの多さ。食べきれるか心配でしたが……
父が無類の肉好きで、次々に網へ投入していきました。
どんどん焼き上がり、息つく間もなく食べ続けることに。
焼肉のたれで焼きおにぎり。脂っこさを収めて満腹となりました。
撮影データを見たら、焼き始めから撤収まででたったの1時間でした。私達は美味しいものはゆっくり味わいたいのですが、両親はいつも物凄いハイペースで食べてしまいます。両親はとても喜んでくれたのでこれでよいのですが、今度は涼しい頃に家族でゆっくり食べに来たいな。
2024.7.15(月祝) 1322 輝け! 初めての自転車
【日録】昨日親戚が来訪した時、我が子のいとこが使わなくなったという自転車を譲り受けました。
Nikon D200・Ai AF Nikkor 35mm f/2D(以下同じ)
そのいとこが2歳(!)の時に私の義母が購入したという自転車。購入があまりにも早過ぎて義母宅の外に留め置かれ、背が高くなってから慌てて引き渡したらしく実際に乗った期間は短かったそうな。どうしてそうなった。
使用感は少ないのに、放置された期間が長かったため錆だらけでした。
私の金属用品修理の相棒、ピカールで磨くことにしました。
車体の隅々まで磨くこと1時間。錆はおおよそ取れて輝きを取り戻しました。
錆取りの様子を見ていた我が子も喜んでくれて、21日に自転車の練習に出掛けることにしました。
Nikon D200・タムロン SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)(以下同じ)※ぼけ写真しかなかった
道具の使い方はその仕組みを把握してどう使うかを体で知ることが大切です。まずブレーキの掛け方を教えて我が子の不安を取り除き、それからバランスの取り方を教えました。「遠くを見て、地面を蹴って少しずつ進んで。出来るようになったら地面から足を離して勢いで進んでみて。」すると、自転車の練習でよくあるような「後ろを持ってて!」というのを経ずに、自分でバランスを取りながら地面を蹴って進めるようになりました。素晴らしい吸収力! まだペダルを漕ぐ脚力はありませんが、もう少し成長すれば自力だけで走れるようになるでしょう。
おまけ。ここの所努めてD200で撮影するようにしているのですが、ようやくCCDらしい透明感のある自然な写真が撮れるようになってきました。
仕上がり設定:標準、輪郭強調:やや強、階調補正:オート、カラー設定:モードI、彩度設定:標準が私の好みの設定です。結果としてほぼD200の標準的な設定が私の思い描く透明感のある自然な絵作りだったということが判りました。CCDはD80と共通だったと記憶していますが、D200の方がダイナミックレンジ(撮影できる明るさの最大から最小までの幅)が広く、色の出方に深みがあるように思います。ますますD200のことを気に入ってしまいました。
2024.7.6(土) 1321 心を通わせる過程
【日録】先日手に入れたNkon D200、上質なのは間違いないのですが、なかなか思うように撮らせてくれません。
7月6日。
Nikon D200・タムロン SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II(A016)(以下同じ)
全体には無難に写っていると思います。コントラストは低いかも。しかし……
(画像をクリックすると拡大します)
等倍に拡大すると細部はもやもやしていて、どんなに絞りを絞ってもカメラの輪郭強調(シャープネス)設定を上げても改善しませんでした。
うまくはまればこのようにいい感じの写真も撮れるのですが。
逆光で撮ると雲の影が白飛びし、「昔のCCDカメラだな」という写真が撮れました。階調が出ている部分も平坦な印象です。色味も私がCCDカメラに抱く印象とは程遠い、地味なものでした。
7月7日。
もやもやにしか映らないのはレンズが社外品だからかと思いましたが、カメラの設定をあれこれ触っていると
仕上がり設定が「ソフトに」になっていることに気付きました。これを「標準」に設定し直しました。D80では「標準」だとコントラストが高すぎるので、階調補正は「コントラスト弱め」にしました。彩度設定は標準。もやもや対策のため念押しで輪郭強調を強めにし、レンズも純正のAF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VRにしました。
Nikon D200・AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR(以下同じ)
昨日よりは綺麗に撮れているように感じます。もやもやは解消。やはり仕上がり設定が「ソフトに」になっていたのが原因でした。
トンボもくっきり解像しています。(※虫が苦手な方のためにモザイク処理してあります。それでも見たい方は画像をクリックしてください。)
コントラストは低いものの、深みがあっていい色合いだなと思いました。ということは階調補正は「標準」か「オート」でいいんだ。私の好みの絵作りまであと一歩。
7月13日。
コントラストは私好み(やや軟調で暗部まで見える)になりましたが、曇り空だったこともあってか彩度がまだ低く、透明感はあまり感じません。
黄色は飽和するほどよく出るのですが……。「ニコン色」というやつですか。
次回の撮影では思い切ってカラー設定を「モードIII」(風景向けの彩度が高いモード)にしてみることにしました。
7月14日。
親戚を招いてバーベキュー大会をしました。
いや〜、美味しかった!
写真の写りも良く、透明感や質感があって肉がとても美味しそうに撮れました。但し植物の緑は蛍光色になって不自然な感じがするため、「モードIII」は私にはやり過ぎだったようです。次回の撮影では「モードI」に戻し、彩度設定を「強め」にすることで狙い通りの色味が出せそうです。
現代のカメラであれば設定をあまりしなくても綺麗な写真が撮れますが、20年前の上級機は簡単には撮らせてくれませんでした。何度も試行錯誤をしてやっと自分が思うように撮れるようになる。端的に言えば「取っ付きにくく、気難しい」のです。初心者だった私がいきなりD200を購入したら挫折したかもしれません。中級機で初めから見栄えのする写真が撮れ、初心者向けの機能もあるD80が初めてのデジタル一眼レフで良かったと思います。
でも、D200は対話を重ねると心を開いてくれて、最高のものを提供してくれるようになります。D800もそうですが、細かなメニューまで熟知してそれぞれ設定してやると、思い通りの写真が撮れるようになります。長く付き合える、信頼できる相棒になる。それが上級機の醍醐味です。
(余談)思えば私の家人もそうでした。まだ友人と言ってよいか分からない頃、話の流れで食事に誘ったら、「そういうことは、何度も会ってよく話して、お互いのことをよく知ってからした方がいいと思う。」とはっきり言われたことがありました。たいへん落ち込みましたが、そこから話を沢山して、同じ時間を過ごして、人となりを知って、自分の振る舞いを修正して、心を通わせて、共に歩むことに合意した。やはり自分にとっての“本物”は、そういう存在なのだなあと思いました。
2024.7.2(火) 1320 D200様がやってきた!!
【日録】長い間気になっていたカメラを購入しました。
と言っても「Nikon Zf」ではありません。
Zfも勿論とても欲しいのですが……
Nikon D200様!!
2005年発売ですから19年も前のデジタル一眼レフカメラです。何故こんなに古いカメラが気になっていたかというと、撮像素子にCCDを使用したカメラで撮影した写真の透明感溢れる色味の出方がとても気に入っているからです。初めて購入したデジタル一眼レフのNikon D80(2006年)は今でも晴天の日に花を撮るには最高のカメラだと思っています。それで、D80の上位機種かつ最後のCCD搭載D三桁機(上級機)であるD200だったらどんなに素晴らしい写真が撮れるだろうと思っていました(きっかけはカメラブログ「記憶カメラ」の記事)
。
上級機なのに現行の機種の10分の1ぐらいの金額で入手できるのも大きな魅力でした。
20年近く前のカメラとはいえ上級機です。中古で購入した個体は欠品があったので、それらを補充し、シンプルな本革のストラップを付けました。
専用のセミソフトケース「CF-D200」は奇跡的にデッドストックの未使用品を入手できました。箱のボロさが20年の歳月を物語ります。
このD200は底面に小傷はありますが全体的には綺麗でした。グリップは例によって加水分解でねちゃねちゃになっていたので、無水アルコールで拭き上げ、シリコンスプレーで仕上げてさらさら感を復元しました。前所有者はホワイトバランスボタン付近を下にしてこのカメラを落としたようでその部分にひびがあり、同ボタンだけは機能しませんでした(画面のメニューからも設定可能なので問題なし)。シャッターカウントは16459。私がメインカメラとして使用している「Nikon D800」(2012年)が21653ですから、あまり酷使はされてこなかったようです。総じて、大切に実用されてきたんだなと思いました。
カメラを顔に近付けると“おじいちゃんのにおい”というか、古い家にしまい込まれていたような匂いがしました。このカメラの来し方を何となく察し、無水アルコールでボディ全体を丁寧に拭きましたが匂いは多少残っていました。これから私が長く使えば私の匂いに変わっていくでしょう(笑)。
一通り用具を揃え、清掃したらいよいよ試写です。
まずボディを摑み、グリップを握ると、マグネシウム合金製のひんやりとした緻密なな塊感に「このカメラは信頼できそうだ」と直感しました。ファインダーはD80と同等の大きさと品質だと言いますが、実際に覗くとより見やすいように感じます。流石にオートフォーカスのエリアは11点で時代を感じますし合焦に迷いがありますが、D80でもこれなので工夫して乗り切ります。シャッターは「バシャン!」という乾いた軽快な音。どんどん写真を撮りたくなるような本能に響くシャッター音です。ボタンやダイヤルの操作感もしっとりしていて上質さを感じます。
つまり、D200はD800のような上質な使用感だったのです。ニコンのカメラとしての作り込みは20年前に既に完成していたと言ってもよいでしょう。本物だけが持つ品格と質感は、長い年月を経ても全く色褪せないのです。簡単に触ってみただけでD200に惚れ込んでしまいました。
さて、肝腎の写り具合は……
暗い? コントラストがない? ピントが合わない? 色がおかしい!?
どうなる、D200との写真生活!?
2024.6.30(日) 1319 お姉さんパワーよ三度(みたび)
【日録】愛知県犬山市の日本モンキーパークへ行ってきました。
目的は勿論(?)あつこお姉さん(小野あつこさん)です。風の便りでこの日にお姉さんがコンサートを開くと知り、整理券の予約を取って臨みました。
開演は11時。1時間前の時点で推定1500席のうち3分の1くらいが埋まっていて、ステージの真ん前には強めの雨にも関わらず傘を差してその時を待つため耐え忍ぶ人達がいました。ものすごいあつこ愛だ。1時間の待ち時間は家族で話したり以前撮った写真を見たりして、思ったよりも短く感じ、子供がぐずることもありませんでした。そうこうしているうちに満席になっていました。
日差しはないのであまり暑くなかったのですが、お姉さんを待つ1500人の濃厚な湿気に包まれていました。
11時にコンサートが始まると、我が子もお姉さんの歌に合わせて歌ったり踊ったり、掛け合いを楽しんだりしていました。こんなに幼いのにライヴの醍醐味を知っている……いや、ライヴには人間の感覚に直接訴えかける魅力があるのだと思います。私も若い頃は何度も好きな音楽家の公演に行きました。
今回もあつこお姉さんの圧倒的な歌唱力とやさしさで胸いっぱいになり、また生で歌を聴きたいと思いました。我が子が小学生になったら行かせてくれなくなるのかな(←私が行きたいのか)。
コンサートが終わったら遊具を楽しむのかと思いきや、我が子は「お腹がすいた。帰りたい。」と。本当にあつこお姉さんの為にモンキーパークへ行ったことになってしまいました。
昼食は同じく犬山市内の「tona cafe」へ。
子供大歓迎のカフェで、小上がりの席でゆっくり過ごしました。涼しくて快適だったからか、我が子はいつの間にか寝ていました。
お店のお姉さんの手書きメニューの筆跡が可愛かったので撮ってしまいました。
私には絶対に書けないので、このような字にとても心惹かれてしまうのです。そして書いた人の人柄を想像し、更に惹かれてしまうのです。筆跡でその人のことを好きになってしまうことってありません?
2024.6.17(月) 1318 良い仕事は良い環境で
【日録】新しい職場に変わって2ヶ月余り。デスク周りも整理しました。
ドリテックの「小さい温湿度計 O-420」。
熱中症とインフルエンザの危険性をアイコンの表情で教えてくれます。いくつか種類がありましたが、画面の下に置ける小ささで、お顔が一番可愛かったのでこの機種にしました。自宅用に白も購入し、居間に置いたり鞄にぶら下げたりして冷房や給水のタイミングを図る為に活用しています。
私のデスクは壁の時計が見にくい位置なので、卓上の時計も置くことにしました。セイコーのKR328K。作業中に時計を気にせず集中できるよう、なるべく主張がないものを選びましたが、黒くて小型で電波時計でデザインがシンプルなものは選択肢が殆どありません。何故か書体や装飾が派手なものが多いのです。シンプルなものが好きな人は少数派で、世の中の大半の人達は主張が強くがちゃがちゃしたものが好きなのでしょうか……。
私のデスク周りです。画面、その台、キーボードが黒だったので黒で統一しました。右手のメモパッドも表紙が派手だったので気になり、黒いカッティングシートを大きさに合わせて切って貼りました。
良い仕事をするにはその環境も大切です。私は仕事が出来る人という訳ではないと思っていますが、少しでも良い仕事が出来るよう、整えた環境で頑張っていきたいです。
2024.6.12(水) 1317 本物だけの特権
【日録】前回「床に物を置かない」と書いていましたが、まだ完全になくなった訳ではありませんでした。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
図書館から借りてきた絵本を床に直接置いているのです。
本棚にしまうと自宅の本と混ざってしまい返し忘れてしまうので、敢えて分かりやすい場所に置いてあるのですが、借り物を床に置くのは次に借りる人に申し訳ないような気がして気になっていました。
かと言って本棚を設置してしまうと部屋が狭くなり、本が際限なく増えてしまうので設置したくない。よく考えた末、図書館から借りた本だけをしまえる可搬型のマガジンラックを置くことにしました。
前回の薄型本棚同様、市販品はどうしても生活感が出てしまい、天然木を主体とした我が家の雰囲気に合わないので、例によって「Creema」で相応しい作品を探してみました。すぐ見付かりました(→該当ページ)が納期は2ヶ月とのこと。価格も市販のものより高いのですが、家の雰囲気に合いデザインが古臭くなりようがないことと、我が子が大きくなっても家族皆んなで何十年も使えることを考え、思い切って発注しました。
そうしてやって来た私達のマガジンラック。とても可愛らしく、部屋の隅にあっても全く違和感がありませんでした。作りも頑丈かつ丁寧で、本当に何十年も使えそうです。昔(昭和時代まで)の木製品はこんな感じだったと思います。時間を掛けて作ってくださった作家さんの良心を感じます。「パイン(松)は、子供さんの成長と共にもっと深みのあるいい風合いに変わっていくと思います。」とのこと。同じ時間を長く共にできるのは、本物だけに与えられた特権だと思います。
我が子も喜んで絵本をここへしまってくれました。絵本を読まない年齢になっても、図書館に自分で通い、借りてきた本をここへしまってくれたらいいな。
2024.5.26(土) 1316 なければ自分で作ればいい
【日録】居間で気になっていることがありました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
私の家では「床に物を置かない」という鉄則があるのですが、大量のスケッチブックと「らくがき教室」が我が子の物入れからはみ出し、部屋の隅の床が定位置(?)として置きっ放しになっているのです。特に「らくがき教室」はA4判よりも大きくどのような向きにしても本棚に入らないし厚みもあるため、置き場に困っていました。掃除機を掛ける度にこれらを一旦どかし、また元に戻す作業が必要で、色味も派手で目立つので、何とかならないかと1年近く思っていました。
思い付いたのは、薄型の本棚を目立たない場所に設置することでした。
しかし市販されている既製品では、必要な寸法かつ私の家に合う雰囲気のものは見付かりませんでした。「らくがき教室」が入らないか、生活感が思い切り出てしまうかの二択でした。手作り作品の通販サイト「Creema」も見てみると、デザインが素敵で寸法も合いそうな作品はありました(→該当作品)が、鉄製の横棒が高めの位置にあり、果たして本当に出し入れ可能なのかは判らず諦めました。
仕方がないので、作品の構造を真似て自分で作ることにしました。
幅90mm、長さ900mm(白松)・450mm(桂)の板材と木ねじ、面取り鉋をホームセンターで購入し、全ての材に面取りをして木ねじで組み立てました。 インパクトドライバーは元々所有していたものです。
材料費4000円程度、1時間余りで完成しました。
居間から見えにくい和室の出入口の脇に設置してみると、無垢の木の雰囲気がなかなかいい感じでした。
床に置いてあったものを収納してみました。色味は派手なものの、棚に置いてあると保育園の風景のようでうまく馴染んだように思います。
我が子に「今日からここにしまうよ」と教えると、「◯◯の棚を作ってもらった!」と、この棚をとても気に入ってくれて自分からここへ片付けてくれるようになりました。今までこんな事はしなかったのに。
私達もすっきりしましたし、我が子も片付けの習慣を身に付けることができました。自作で何とかなるもんだなあと、新しい発見もありました。
2024.5.23(水) 1315 この花は何の花
【園芸部】自作の円形花壇に少しだけ動きがありました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
花の季節は終わり、緑の季節が始まりました。よく見ると……
3株植えたチェッカーベリー(→2022.1.3の記事参照)は1株だけ何とか生き残り、
若い芽を出しました。成長した大手毬の根元で、日陰なのが良いようです。
こちらは植えた記憶がないものの、昨年葉を付けたまま越冬していたので気になりそのままにしてあった植物です。白く小さな花を沢山付け、1週間足らずで全て散ってしまいました。私の乏しい知識ではこの地域(岐阜県東濃地方)の固有種であるヒトツバタゴではなく、シマトネリコでもないと思われます。どなたかご存知の方いらっしゃいませんか? このまま生やしておいてよいものなのか、雑木なのかよく分かりません。幸い成長は遅いので、もう1年ぐらいは様子を見ようと思います。
※2024.7.22 この植物は「セイヨウイボタノキ」と判明しました。一昨年に植えた「シルバープリベット」の抜根をしきれず、残ったものが白斑を失って先祖返り(?)したのかもしれません。Aさんありがとうございました!
2024.5.18(土) 1314 東芝洗濯機 AW-(KS)7D2の修理
【日録】我が家で使っている洗濯機の調子が悪くなってしまいました。
東芝の「AW-KS7D2」という2014年製の家電量販店用モデル。通常の品番は「AW-7D2」というようです。インバータ制御のモーターによるダイレクトドライブで動作音は非常に静か。夜中に洗濯機を回しても気にならず気に入っています。
しかしここ1ヶ月程度、洗濯は問題なくできるのですが、風呂水の給水ポンプから大きな異音がするようになってしまいました。
→20240518_before.mp3
(不快音に注意! SONY PCM-D100+Roland CS-10EM、2分04秒、192bps、3.7MB、バイノーラル録音)
早朝から洗濯機を回すので大きな音がするのは辛いものがありますし、洗濯機が苦しがっているような感じがして居たたまれません。
かと言って、これだけの為に修理に出すのもどうかと思い(修理中は洗濯できなくなり、おそらく万単位の修理費を請求されるか、修理不能で返されるかのどちらかと思われる)、自力で修理することにしました。
洗濯機の機種から風呂水ポンプの型番を特定し、取り寄せました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
「洗濯機用バスポンプ 420-45-113」です。送料込みで3830円でした。
早速修理です。まず水栓ホースやコンセントを外し、洗濯機本体を作業のできる場所に引き出します。ついでに洗濯機パンも綺麗に掃除しました。
本体の背面に廻り、奥のカバーを外します。背面から見て左側のアース端子を兼ねたねじと、
右側にあるねじを外します。
給水の穴などが嚙み合っているので、隙間を少しずつ広げるようにしてカバーを外します。
中央にあるのが風呂水ポンプです。チューブが2本接続されており、黒いゴム系の接着剤で固定されているので、カッターで接続箇所を回し切りして外します。黒いモーターに繋がっている赤と灰色の線が電源を供給しているので、白いソケットを慎重に引き抜きます。
風呂水ポンプを外しました。底面にある黒い貝柱のようなものは防振用のゴムで、接着されていないのでそのまま存置します。
左が9年余り使用した個体、右が今回購入した個体です。当たり前ですが前者には経年による黒ずみがあります。
新しい個体を元通りに接続し、チューブはゴム用の防水接着剤で水漏れしないように繋ぎました。
洗濯機を元の位置に戻し、水栓ホースと電源を接続しました。さて、動作するでしょうか……。
→20240518_after.mp3
(SONY PCM-D100+Roland CS-10EM、1分27秒、192bps、2.6MB、バイノーラル録音)
直った!! 会話も難しいぐらいの大きな音がなくなり、定常的な動作音だけになりました。洗濯機の購入当初はこういう音だったように記憶しています。
とはいえ思ったよりも静かにはならず、玩具のような甲高い回転音とジリジリという定常音が聞こえます。ポンプに内蔵されているモーターが性能不足だと思います。非力なモーターをわざと採用し、繰り返し強い負荷を与えて故障させ、何も分からない消費者に本体ごと買い替えさせることを考えているのではないかと穿ってしまいます。また10年ぐらいしたらこの風呂水ポンプも故障することでしょう。
洗濯機を元の位置に戻す際に脚の調整もしたら、洗濯中の音も以前より静かになりました。10年近く毎日使ってもまだ衰え知らずの洗濯機。こうして保守しながら大切に使っていきたいです。
2024.5.16(木) 1313
【日録】作曲家のキダ・タロー氏が亡くなったとの報せを目にしました。
「だより」ではあまり訃報は取り上げないのですが、子供の頃からキダ氏の音楽に触れ、筒美京平氏とともに私の音楽観の根底にあり、大きな影響を受けているもので……。長い間あたたかな音楽を届けてくださって、本当にありがとうございました。
2024.5.14(月) 1312 あの日の思い出と同じように
【日録】家族と私の両親の休みを合わせ、名古屋市の東山動植物園へ行ってきました。
「私の両親が元気なうちに、我が子が小さいうちに、楽しい思い出を沢山作りたい」という考えでいます。
そう強く思うに至ったにはきっかけがありました。
今年の春先、私の家を訪れた父が「今日は何月何日か。何の為にここに来たか。」というようなことを何度も尋ねていました。表情もぼんやりしており、普段の口が達者で舌鋒鋭い父と全く違っていました。我が子とは普段通りに遊んでいましたが、車の運転も危うい為、母が運転してきていました。
まさか、認知症になってしまったのではないのか……。
私は母に父を医者に連れて行くよう強く勧めました。
翌日父に会うと、普段の父に戻っていました。「◯時から◯︎時までの記憶が全くない。母ちゃん(私の母)に、その時どうだったと教えてもらっても心当たりがない。」父は一体どうなってしまったのか。
何週間かして、医者の診断結果が出てきました。「脳は至って健康で、死ぬまでボケることはありません。一過性健忘です。50〜70代の人なら一度はなってもおかしくありません。再発はしません。」
その結果を聞き、心から安心しました。
「ボケてしまったと思った。これから介護とかどうしようととても心配になった。まだ聞きたいことや話したいことが沢山あったのに、もう話もできないんじゃないかと、凄く後悔した。こんなことなら元気なうちに思い出を沢山作っておけばよかったと思ってた。何事がないことが判って本当に良かった。こんな思いをしなくていいように、これからはもっと父の話を聞きたいし、沢山話をしたい。父の若い頃の話、生き方の話、好きな音楽とかの話もしてほしい。皆んなで楽しい思い出を沢山作りたい。」……思いを打ち明け、両親や家人、我が子の前で泣いてしまいました。両親と家人は涙ぐみ、我が子は「泣かないで」と慰めてくれました。
そういった大きな出来事があり、私達亮月家は掛け替えのない日々を積極的に過ごそうと決心したのです。その一環としての今日の動植物園行きがありました。
Nikon D800・AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR(以下同じ)
実に10年振りの東山動植物園(→2014.3.21の記事参照)。その時同行した人と、その後生まれた我が子と、かつてここへ連れて来てくれた私の両親と。何とも感慨深いです。
休日は物凄い人混みなので平日を選びました。程良い疎ら具合です。
午前中なのにカンガルーは早くもへたっていました。脇腹を搔いただけなのに我が子は逃げる。
早目に昼食にしました。
5月の快晴の日が一年の中で一番好きです。
キリンも出て来てくれましたが、我が子は大きな動物が苦手なようで、足早に去ってしまいました。アジアゾウもダメでした。
我が子は園内の高架を走る「スカイビュートレイン」(モノレールの遊具)がずっと気になっており、その駅を目指すことにしました。
植物園内にある国指定重要文化財名古屋市東山植物園温室前館。中に入って美しい建物と植物をじっくり観たかったのですが、我が子はおかまいなしにモノレールの駅へ走っていきました。
モノレールに乗ると我が子は大喜び。冷房なし、車体やレールがガッタガタで大きく揺れ、速度が電力の制御によりガクンガクンと変化するような大味な乗り物ですが、そこに味わいがあって楽しかったようです。
その後山の上にある遊園地で過ごしているうちに陽が傾いてきました。
慌ただしかったものの充実した一日になりました。きっと我が子の幼い頃の記憶としてずっと残っていくことでしょう。私が両親に連れて行ってもらったあの日の思い出と同じように。
2024.5.11(土) 1311 鮮やかな季節へ
【園芸部】大型連休が明けると、庭のバラが咲き始めました。
Nikon D80・タムロン SP AF17-50mm F2.8 XR Di II・絞りf/2.8開放(以下同じ)
赤と朱はまだですが、大きな花を付けてくれています。特に黄は虫の食害で殆ど枯れかけたもののこの春に勢いよく芽を伸ばし、ここまで復活しました。
エリナカスケードは一見枯れたような色ですが、赤茶色の新芽を沢山付けました。この2年間余り成長しませんでしたが、時間をかけてこの環境に馴染んだようです。
エリナカスケードと同時に植えたソヨゴも鮮やかな新緑を身に付けました。
先日植えたサツマイモ(紅はるか)はあまり動きがありませんが、枯れてはいないようです。
真っ赤なチェリーセージは相変わらず元気。
サルビアも綺麗な紫の花を沢山咲かせています。
サツマイモと同じ日に植え替えた紫陽花も、今の所は枯れずにいます。
壁を這って傷めたため一掃した筈のアイビーは地面に生き残りがあったようで、少しずつ復活してきました。その場所なら生えてていいよ。
柏葉紫陽花は購入した時には既に蕾を付けていました。消費者に「花が咲きそうだ」と期待させるための促成栽培だとは思いますが、無理に蕾を作らせず自然に任せればよいのでは。適期に調子が悪くなりそうで。
額紫陽花も蕾付き。何とか相応しい時期までもってほしいです。
初夏は空気がからっとして気候が良く、鮮やかな花が沢山咲くので好きです。こうして写真を撮りたくなります。晴れた日に植物を撮るなら、撮像素子がCCDのNikon D80(2006年)が一番いい色が出ます。購入から20年近く経ってしまいましたが、これを超える色を出すカメラになかなか出会えず、今でも愛用しています。写真の良し悪しはカメラの新旧で決まるものではないのかもしれません。
2024.4.29(月祝) 1310 期待の植え込み、今年こそ
【園芸部】毎年恒例、サツマイモの苗を植えました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
植え付けは例年よりも1週間程早く、ホームセンターへ苗を買いに行くと品種も量も豊富にありました。亮月家で一番評判がよかった「紅はるか」にしました。畝起こしから植え付け完了まで約1時間弱。あとは秋の収穫を待つだけです。
職場でサツマイモの苗を植えた話をしたら、「うちも毎年やってます」とか「アパート暮らしでもプランターならできますか」
など、同じことを考えている人が多くいました。手軽で失敗もなく確実に収穫が期待できるのが、誰にでも愛される理由なのでしょう。
サツマイモ畑のすぐ横にある自作の円形花壇のオオデマリは薄黄緑から真っ白になり、愛らしさが更に増しました。ほんの2〜3週間程度で茶色くなってしまうのが惜しいです。毎日じっくり観察しています。
モッコウバラも沢山の花が咲きました。甘い香りが辺り一杯に広がっています。
写真は撮り忘れてしまいましたが、外壁沿いの花壇に植えた紫陽花(→2023.5.3の記事参照)は枯れてしまったので、代わりの紫陽花を植えました。白い花を咲かせる柏葉紫陽花と額紫陽花です。今回こそは枯れずに成長してくれると良いのですが。
2024.4.20(土) 1309 お庭の花だより
【園芸部】庭のオオデマリ(大手毬)が満開を迎えました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
2年前の冬に植え(→2022.1.24の記事参照)、昨年の開花時期は1m弱の高さしかなかったのですが、この1年で大きく成長して幅・高さとも2m程度の中木になっていました。枝一杯に咲く何百輪の花……圧巻です。この場所を気に入ってくれてとても嬉しい。
2年前に植えたエリナカスケード(→2023.2.25の記事参照)も小さな花を沢山咲かせ、遠くから見ると花柄のワンピースのようでした。
左から、ホンコンエンシス(常緑ヤマボウシ)の赤い若芽、真っ白なイベリス、真っ赤なチェリーセージです。2020年の6月にこの花壇を造って(→2020.6.13の記事参照)4年近く。こんなに賑やかになりました。
どこかから種が飛んで来たと思われるポピー……だと思ったらナガミヒナゲシなのですね。特定外来生物ではないにしても、要注意です。今の所余り増えていないので様子見しています。
2年前に植えたモッコウバラ(→2022.4.30の記事参照)はすっかり馴染み、テラスの屋根を覆い始めています。物凄い生命力。白い蕾を沢山付け、満開が楽しみです。
こうして見ると、何年か前に近い将来の姿を思い描きながら植えた植物達がそれに応えてくれて、私の“お庭”の世界観を形作ってくれているのは不思議でもあり、時の流れの速さも感じます。これからどのような世界が広がっていくのか、ますます楽しみです。
2024.4.17(水) 1308 必要があれば使う
【日録】新しい職場に変わって2週間余り。仕事の内容は勿論変わりましたが、他にも大きな変化がありました。
業務連絡の手段として、チャットツールを使うことが決められていたのです。(海外から来た緑色のアレではない。)
現場から写真を送るなどするため、出先でもそれを使うことになっており、即ちそれはスマートフォンにアプリケーションを入れて使うということでした。
しかし私はスマートフォンを所有していません。3Gの折り畳み携帯電話を使い続けています。通話とメールしかせず、ネットは自宅か職場でできるからです。時間がなさすぎて、携帯端末でネットを見たりその他の機能を使う余裕がなく、スマートフォンにしても持て余してしまうということもあります。四六時中スマートフォンを手放さず画面を見ている人の時間が欲しい。切実です。また、あらゆる履歴が収集されてしまうのも嫌です。アプリケーションによっては電話帳に入っている他の人の情報も抜かれるなんて恐ろし過ぎる。
そのような個人的状況でしたが、どうしてもスマートフォンを所有せざるを得ない状況に追い込まれた(?)ため、導入することにしました。とは言っても今使っている折り畳み携帯電話を機種変更するのではなく、業務用携帯として新しく契約しました。電話帳には何も入れず、Googleにもログインせず、アプリケーションもチャットツール以外はインストールしません。いつでも「トカゲの尻尾切り」ができるようにするためです。
端末はSONYの「XPERIA 10 IV」。高性能機種である必要は全くないので、型落ちで電池が持つものを選びました。一足先にスマートフォン化した家人と同じシリーズでもあります。教え合えるのがいい。(後日譚:1回充電したら2週間持ちます。折り畳み携帯でも1週間がやっとなのに、凄い!)
外での業務もあるので、耐衝撃ケースで覆いました。白が好きなのですが汚れそうなので、淡いベージュにしました。こういったシンプルな色彩のケースが殆どないのは何故だろう。世の中の人達は派手なものが好きなのか。
レンズカバーを購入したら、怪しい説明書きが付いていました(笑)。
ストラップは上質なものにしました。「伊賀くみひも」の濃紺と黒の組み合わせ。これも汚れが目立たないよう濃い色のものを選びました。
絹による細かな織りと滑らかな手触りで首に掛けても擦れず、頑丈な作りで、一般的なストラップより長持ちしそうです。
肝腎の回線は「ロケットモバイル」の「神プラン」にしました。高速通信なし(200kbps)ですが、SMS付きで月500円程度です。本来は遠隔監視などに使うプランらしいのですが、私は端末を業務連絡だけにしか使わないのでこれで十分です。
こうしてスマートフォンを導入した訳ですが、拒否反応がある訳でもなく、すんなり馴染めました。元々興味はあって情報は追い掛けていましたが、本当に使い道がなくて使っていなかっただけなのです。どんなに世の中が進んでも思考停止で流されず、「必要があれば使う」という姿勢は大切にしたいです。
2024.3.31(日) 1307 これが本来の自分だ!
【日録】今日限りで今の職場を去り、新しい場所でお世話になることになりました。
思えば、「焼け野原」に例えた心身で今の職場にやって来ました。経験や知識が活かせ、人間関係も良好で助け合う風土があったので、
そのお蔭で少しずつ少しずつ自分を取り戻していった4年間でした。焼け野原に花が咲いていくように。宵闇に灯りが点っていくように。
多くの人のお世話になりながら次第に自信を取り戻し、何十年も放置し続けられた困難な仕事も進めることができました。「自分ってこんなにできたのか」と驚くこともありました。恐らくは自分の心が変わったから周りの人や出来事が変わったように感じたのだと思います。
職場は気候的(夏冬ともエアコンが効かない)・音響的な環境(私にとってかなりうるさい)は良くなかった為しばしば体調不良ややる気の減退(疲れ過ぎ)に悩まされ、随分上司や同僚、部下に心配をかけてしまいました。それでも出来ることを精一杯やり続け、助けを頂きながら大過なくこの日を迎えることができました。
仕事以外でも目に見えて良くなっていきました。
4年前は休日に寝込むこともあり、家庭では余裕がなくてイライラし、子供の相手もうまくできない日が多くありました。
しかしそれも少しずつ解消していき、子供の成長もあってか自然体で無理なく振る舞えるようになり、心の余裕ややる気を取り戻していきました。そして穏やかな心が還ってきたように思います。
これが本来の自分だ!
そう言える自分がいます。本当に長かった。ここまで取り戻せるとは思っていなかった。むしろ病に罹る前よりも高みにいるような感覚さえあります。やる事の出来栄(ば)えと思慮の広さ・深さがかつてと全然違うのです。それは苦しい思いをしたあの3年間と、そこから立ち直った4年間の経験の賜物だと思います。嫌な思いをしたあの仕事にも、何度も夢に出るあの人にも、あたたかく前向きに接してくださった周りの人達にも、感謝しかありません。
明日、4月1日からは新しい職場でお世話になります。
かなり大きな計画を抱えた責任の重い仕事を担当すると聞いています。これまでとは全く異なる立場の業種です。今の私が堪えられるのか分かりません。それでも我武者羅にやってみるしかないのですが、不安の中でのスタートとなりそうです。
これまでに得られた知識や経験を糧に、感謝を忘れず進んでいきたいです。
2024.3.24(日) 1306 突然の再会
【日録】我が子の絵本を借りに図書館へ行くと、何か見覚えがある気がしてその本を手に取りました。
長野ヒデ子『とうさんかあさん』(石風社・2005年初版、2008年2版)です。
しかしこの作品を読んだ記憶はありません。何が気になったのでしょうか。
これはかつて私が制作したフォント「亮月ごちっくDB」!
このフォントを公開したばかりの頃、デザイナーさんが見付けて使ってくださったのでしょう。背表紙だけかと思ったら……
本文も全て「亮月ごちっくDB」でした。とても驚きました。20年近く経って“再会”を遂げることができ、何とも感慨深いです。
公開当時は「石井ゴシック体」のような味のあるゴシック体がごく少なく、そのような書体を目指して制作したものです。あれから味のあるゴシック体のデジタルフォントは次々と発表され、「亮月ごちっく」の役割はすっかり終えたように思います。写植研究の他にあれこれ活動していた若い頃の思い出の一つが、こうして形として残っていることをとても嬉しく思います。
2024.3.14(木) 1305 黄と青
【園芸部】2月の終わりに咲き始めた庭の水仙が満開を迎えました。
富士フイルム X20で撮影(以下同じ)
水仙は2年前に植えて以来(→2022.1.3の記事参照)、順調にその数を増やして大きくなっています。春の訪れを真っ先に教えてくれる、家族の一員のような存在になりました。
常緑ヤマボウシ(ホンコンエンシス)の花壇。冬でも葉を付けたままで、花壇を作った当初(→2020.6.13の記事参照)と思うと随分賑やかになり、庭として落ち着いてきました。過去に何度か定点観測をしているので、その変化と発展具合を見ていると楽しいです。
そんな花壇の中に、一輪だけムスカリが青紫色の顔を出していました。
この花が満開になる頃、外は優しい温もりに包まれます。そして、出会いと別れの時も近付いてくるのです。
2024.3.10(日) 1304 身近なタイムスリップ
【日録】家族で明知鉄道を乗りに行きました。
時間の関係でJRからの乗り継ぎができなかったので恵那駅まで車で行き、明知鉄道に乗り込みました。田園風景の中をひたすら上り坂で進む気動車。古い車輌はとても味がありました。
Nikon Z fc・NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR(以下同じ)
走行中に緊急事態発生! 家人がトイレを我慢しきれなくなりました。ちょうど目の前が車掌さんの座席だったので「車輌にトイレはありますか」と尋ねると、「トイレはないですね。子供さん?」「いえ、家人が……」「途中でトイレのある駅に停車します。乗られるまで待っていますから。」
途中駅で無事家人はトイレを済ますことができました。車掌さんの温情に心から感謝。そして家人は「明知鉄道を止めた」と笑い話になりました。
目的地は岩村駅。恵那市岩村町に用事や観光に行ったのではなく、「乗る為」に出掛けました。所謂“乗り鉄”ですか。
岩村駅は開業当初で時間が止まっているかのような趣が魅力です。
駅前広場には、駅に似合う恰好いい車が停まっていました。黒いハコスカ!
お昼は駅前の「かわい」へ。名物肉つけそばが美味しかったです。
映画に出てきそうな情緒溢れる風景。岩村の街全体に、長く生き続けてきたものへの尊敬の念が込もっているように感じました。いつまでもこのままであってほしいです。
2024.3.6(水) 1303 なんとかなーるなる
【日録】我が子がNHK『おかあさんといっしょ』の歌『なんなん、とかとか、なーるなる』に熱中していて、私も癖になってしまいました。
この歌の魅力は、昭和時代の特撮物の主題歌のような熱い曲調に殆ど意味のない歌詞が乗り、お兄さんとお姉さんが魔法使いのような格好で怪しい振り付けを踊る所にあります。特にあつこお姉さんがサービス満点で、何とも惹き付けられてしまうのです。「なんとかなーるなる」と口ずさんでいると、じわじわと励まされてきます。
そんな我が子が絵を描いてくれました。
私と我が子、あつこお姉さんに魅了されるの図。何故か私達は猫らしい。
我が子には、あつこファン同士という仲間意識があるようで、家人に私が窘められると私を庇います(笑)。いやぁそんな日が来ようとは。お互いあまりお熱を上げないように気を付けよう。
2024.3.1(金) 1302 母の決意
【日録】長年勤めてきた母が「もう仕事を辞めることにしたの。」と打ち明けました。
聞くと、職場に他の部署から入ってきた人がおかしな人で、自分のやり方で仕事を進め、注意しても直さないし、逆ギレまでする始末で、サポートして出来たことなのに自分の手柄にするなど、多くの人に苦痛を与えているようでした。
いつも穏やかで辛さを表に出さない母ですが、余程大変なようで「仕事のことはもういい。人事にも言わない。もうおかしな人は相手にしない。これからは楽しいことだけをする。」と強い口調で話しました。意思は固いようです。
何十年も同じ職業で頑張ってきた母。これからの人生は、心穏やかに、母の好きなことだけをやって楽しく過ごしてほしいです。
2024.2.27(火) 1301 花達が教えてくれた春
【園芸部】居間から庭を眺めていると、黄色い点があることに気が付きました。
花壇に一輪だけ、小さな水仙が花を咲かせていたのです。
寒い冬でした。ずっとこの日を楽しみにしていました。
クリスマスローズも節分明けぐらいから花を咲かせ始め、満開を迎えました。
どんなに季節が厳しくとも、花は咲かせる時期を覚えている。
暖かい季節がすぐそこまで来ていることを花達が教えてくれて嬉しくなりました。 |