●過去だより1001〜1025
2016.10.1(土) 1025 MDサルベージの長い長い道
【日録】長年の懸案だった、MDの録音データの吸い出しを1ヶ月かけて行いました。
メインの録音媒体はずっとカセットテープでした。MDはあまり好きではなく、録音される音がスカスカで鑑賞できたものではないし動作が緩慢すぎて道具として使いにくいと思っていたのですが、カセットではできないような長時間や荷物を増やせないような状況でも録音できるようにするため、2001年に初めてMD録音機「MZ-R900」を購入ました。
また、MDやHi-MDは「収録した媒体イコール保存する媒体」というのが楽で、コンピュータに音声データを取り込んでCD-Rなどに保存し直すのは面倒だと思っていたので、2011年にMZ-RH1とHi-MDディスクの生産終了が発表されたのを機にリニアPCMレコーダー「PCM-M10」を購入するまで使ってきました。
最後に購入したHi-MD録音機「MZ-RH1」は2006年に発売され、私は2007年に購入していました。それから10年近くが経ち、機械が動作しなくなって録り溜めたMDとHi-MDを再生できなくなる懸念が強くなってきたので、録音データを吸い出すことにしたのです。
MZ-RH1 を使ってあらゆるMDのデータを吸い出すには Windows 機に接続するしかありません(MacからだとRH1で録音したディスクのデータしか吸い出せない)。私の MacBook Pro はインテルMacなので BootCamp に対応しているのですが、昨年全データが消失した際にハードディスクのパーティション分けの手順を間違い、BootCamp のインストールができない状態になってしまったので、 Windows のノートパソコンを購入して対応せざるを得ませんでした。
ソニーの「X-アプリ」は Windows7 以前でしか MZ-RH1 を扱うことができないようなので(Windows8 以降でも扱えるようにする裏技はあるようですが私は確実な動作を最優先した)、Windows7 で動作するコンピュータを探すことにしました。
ちょうどその頃、フォーインクという会社が「大企業や官公庁で使用されリース終了となったパソコンをお譲りします」というパソコン譲渡会を開催するというチラシがポストに入っていたので、購入するつもりで会場に行ってみました。そこそこ使えればいいので、私の狙いは CPU が Intel Core i3の機種。NECの15.6型・ハードディスク500GB・メモリ4GB・Core i3 2.0GHz で49800円というものが出ていました。申込書に記入しかけた際に「OSのディスクはつかないのですか?」と尋ねたところ、「ありません。故障は当社のサポートにご連絡いただき対応いたします。」と係員の方。私は自力で復旧させたいしサポートでしか直せずその都度お金がかかるのは非常に困るのでOSのディスクは必要です。ここで購入を辞退しました。危なかった!
ネットをよく調べたら、新品で上記とほぼ同じ値段・性能の Windows7 にダウングレードした機種(東芝 DynaBook B35)があったので購入。勿論OSのディスク付き(Windows8.1)。パソコンは中古で買うもんじゃない! ともかく、長い経緯を経て吸い出し作業を始めることができました。
MDとHi-MDに録音してあったのは殆どが生録音です。友人・知人の演奏、文字関係の催しや取材の収録が大半、あとはFMラジオの長時間録音や作曲の素材でした。CD等からダビングしたものは、貰ったもの以外はありませんでした。CDはCDプレイヤーで直接聴いていたし、レコードはカセットに録音していたからです。
ディスクの内容を記録したリストが残っていたので、失われたら悲しいと思うものから優先して取り込んでいきました。忘れかけていた懐かしい演奏や声が聞こえてきて、思わず聞き入ってしまうこともありました。
MDの吸い出しは1枚7分半、Hi-MDだと30分程度かかります。吸い出されると oma 形式というソニー独自の ATRAC3 データになるので、このままではこのコンピュータでしか音声データを利用できない状態です。長期間保存するものはできるだけ汎用的にしておかないと読み出せなくなるので、全て自動でWAV形式に変換しました。
9月上旬に始め、9月いっぱいで終了。数十枚分の録音を救うことができました。
長い作業を通して思ったのは、歳を取るのはあっという間だということでした。
最近だと思っていた録音が10年近く前のものだったり、知人の声が少しだけ若かったり、二度と揃うことがない人達が集まって楽しくやっていたり、もういない人の元気な声が聞こえたり。鮮明な録音であればあるほど、そこにいた時の感覚を思い出すことができ、懐かしさが胸に迫ってくるものがあります。そう思うであろうことを若かった自分は見通していて、大切なものはできるだけ鮮明に残しておこうと思っていたし、今も思っているのです。
2016.9.25(土) 1024 秋はきっとやってくる
【日録】豊田市の逢妻女川に咲いている彼岸花を見に行ってきました。
富士フイルム X20・プログラムAE(以下同じ)
川の両岸の土手が真っ赤に染まっていました。
花はまさに見頃でした。
青、緑、赤の縞模様が鮮やかでした。
赤色の世界がファインダーいっぱいに広がります。
此岸から彼岸を眺めるになぞらえ、物思いに耽るのもまたよろし。
この秋口は雨がずっと続きましたが、今日だけは夏を思い出したように気持ちよく晴れてくれました。それでも彼岸花は時季を忘れず咲くのです。まだまだ蒸し暑いですが、涼しくて乾いた秋はきっともうすぐやって来るでしょう。
2016.9.10(土) 1023 最近見た写植書体
【写真植字】今年の4月以降に見付けた写植書体の使用例を振り返ってみます。
一つ目は、4月から6月頃に放映されていた「ママイズビューティフルメリット」のコマーシャルです。
ロゴ以外の文字が全て写研書体のように見え、目を疑いました。幸い何度も放映されたので、確証を得ることができました。
画面ではごく短い時間しか映らないので、静止画にして比較してみました。印字位置が若干異なりますがお許しください。こうして比べてみると、やはり「石井中明朝体OKL」(MM-OKL)であることが判ります。
同種のDTP用デジタルフォント「A1明朝」は MM-OKL よりも画線のストロークが短く、起筆部の筆押さえが小さく、「リ」の懐が広いなど、緊張感が少なくおおらかな印象です。
しかし、「処方」を見てみると、MM-OKL でもA1明朝でもありませんでした。1画目の払いの深さからして、「筑紫Aオールド明朝 M」辺りではないかと思います(フォントを持っていないので未確認)。「処方」が仮名の字面よりも小さく見え、どうしてこのような混植をしたのか、意図がよく分かりません。
「ニオイのもとを含む汚れ」「汗や皮脂汚れ」「イメージ」は明らかに石井ゴシック体ファミリーであると判ります。
石井中太ゴシック体(DG-KL)でした。
コマーシャルの最後に出てくる下の方の小さな文字も調べてみました。
上段が画面のキャプチャー、中段が MM-OKL、下段がA1明朝です。検証するには厳しい解像度ですが、「か」の3画目の位置や句点「。」の大きさから、MM-OKL であると判断しました。漢字の字面率も正常なので、同じく MM-OKL でしょう。
このコマーシャルは7月に『夏を楽しもう篇』という続編へ変わりましたが、筑紫A明朝オールドあり、小塚明朝ありで統一感が全くなくなってしまいました。折角第一作で構築された雰囲気が失われてしまい残念です。
*
次に、6月頃から掲示が始まった「ルールがあるから、自由になれると思う。」という日本たばこ協会の未成年者喫煙防止活動のポスターです。
「石井太明朝体OKL」(BM-OKL)です。初めて見た時はとても驚きました。「この時代に BM-OKL がこんなに大きく使われているなんて!」と。とても嬉しくもあり、不思議でもあります。ルールと自由との関係という真剣な題材に対して、BM-OKL は力強くも柔らかく、真摯に応えています。他の築地系の明朝体には癖や整え方の傾向があり、隙が出来るのではないかと思います。
インパクトが大きかった割に掲示箇所が限られていたので、人目を忍んでポスターの撮影をしてきました。端から見たら相当怪しかったのではないかと思います。
写真の歪みを修正して比較したので若干ずれはありますが、間違いなくこの書体です。音引き「ー」は短く、長体がかけてあるようです。輪郭がシャープなので手動写植機による印字ではなく、書体アウトラインサービスに依頼したのでしょう。
*
最後は7月から放映されているフジテレビのドラマ「好きな人がいること」のロゴです。
これも何かでちらっと見掛けて驚きました。
上段が実際のロゴ、下段がモリサワの「A1明朝」による再現です。ロゴの太らせ処理はともかく、A1明朝と形状が微妙に異なることが判ります。
ロゴを白文字、A1明朝をマゼンタにして重ねてみました。
Q数と印字位置を揃えても、完全に重なりません。特に「が」は全く異なります。そう、ロゴに使われている書体は写植用の「太明朝体A1」なのです!
「書体のはなし」でも触れていますが、同じ築地系明朝の石井明朝体OKLよりもくだけていて人間臭く、輪郭が曖昧でとろみがあるのが特徴です。形のあまり整っていない「が」には体温さえ感じます。このロゴには写植用の太明朝体A1の文字が好適だと思います。整えられ、人為的な加工(ぼけ足)が加えられたA1明朝ではうまく表現できなかったのではないかと思います。
太明朝体A1の使用例は、2005年にA1明朝としてDTP用にデジタルフォント化されて以来激減していました。そんな中で、手動写植機での印字を依頼してまでして敢えてこの書体を多くの人の目に触れるものに選んだことには、制作者の確固たる意志を感じます。
3例とも、通常のDTP用デジタルフォントを使用するよりもかなりの手間がかかっている筈です。書体を選んだ方にその理由を詳しく聞いてみたいです。
2016.9.1(木) 1022 MDR-CD900ST イヤーパッド交換
【日録】2009年6月に購入したソニーミュージックの業務用モニターヘッドフォン「MDR-CD900ST」。
音が明瞭で、軽くて取り扱いがしやすいのでほぼ毎日使ってきたのですが、イヤーパッドがぼろぼろに劣化してしまいました。音もぼんやりしてきたように思います。
毎日使っているとあまり気になりませんが、写真に撮ってみると気持ちが悪いことになっていました。
パッドの表面はひび割れてぐじゅぐじゅになり、中身のウレタンが見えています。
こうなったら、自力修理です。
SONY のヘッドフォン「MDR-Z900」を2014年8月に修理しているので(→2014.8.27の記事)、同じように部品を取り寄せました。
MDR-CD900ST は業務用機種のため、保証がつかない代わりに全ての部品が購入できるようになっています。サウンドハウスにて、イヤーパッドが片耳1080円、その中にあるドライバー(音を出す部分)の周りのウレタンリングが1個118円。合計約2400円でした。
早速、今まで付いていたイヤーパッドを取り外します。
本体のハウジングに溝があり、そこに嵌まっているだけなので、イヤーパッドを引っ張って脱がしていくような感じです。
新品のイヤーパッドはさらさらで、見た目にも気持ちがいいです。
上が新品、下が今まで使っていたもの。これほど劣化していたとは……。
イヤーパッドを取り外すとこのようになっています。
銀色のドライバーの周りにある濃い灰色のものがウレタンリングですが、ご多分に漏れず加水分解を起こして変形し、べたべたになっています。
古いウレタンリングを取り外します。ウレタン部分だけがぼろぼろと取れてしまいますが、基部は粘着性がある透明なプラスチックの輪になっているので、そこまで取ると綺麗になります。
ウレタンリングを剝がすと、ドライバーの周りに黒いプラスチックの部分が現れます。ここへ新しいウレタンリングを貼ります。
新品のウレタンリング。ふかふかで数ミリの厚みがあります。
ウレタンリングの裏面は「綜研テープ」の剝離紙がついていて、剝がすと両面テープになっています。
ウレタンリングにはリング状の切れ込みが入っています。
これをドライバーの周りの黒い部分に合わせて貼り付け、中心部だけを取り去ります。
ウレタンリングの厚みと弾力が復活しました。
両耳とも綺麗になりました。
新品のイヤーパッドを装着します。イヤーパッドのひだのような部分をハウジングの溝に沿わせるよう、ひだを広げて伸ばすような感じで嵌め込んでいきます。
ハウジングの形に合わせて装着完了。
見違えるように綺麗になりました。
ここまで、写真を撮りながら約45分でできました。
早速音を聴いてみました。
修理前は「何だか CD900ST らしくないな、音に角がなくて物足りないな、低音も殆ど出ていないな、こんな風だったのだろうか」と思いながら聴いていたのですが、やはり本来の音は出ていなかったようです。修理後は、全ての音が完全に分離されて聞こえるようになり、それぞれの粒が立っていて、細かな音程の揺れやユニゾンした演奏のタイミングのずれまで判るようになりました。引き締まって聴きやすい低音も復活しました。
私は普段から全ての音が平等に聞こえています(感音性難聴に近い?)。賑やかな場所や電話(特に携帯電話)で、相手が何を言っているのかを聴き取ることがうまくできません。反対に、全ての音が平等に聞こえるがゆえ、音楽の耳コピーはあまり実績がない割には再現できてしまいます。
そういった耳を持ってしまったため、分離の悪いぼんやりとした音しか出ないヘッドフォンでは「何の音が出ているのか?」ということばかり気になって聴き疲れしてしまうので、できる限り高解像度で中立的な音のヘッドフォンが必要なのです。
モニターヘッドフォンはもっと高性能なものがあるでしょうが、自分にとってはこれで全く支障がないと言えるほど充分な性能です。また、物保ちが良くて10年超の長い付き合いになるので、今回のように安価で自力修理ができるのが必須条件です。この機種以外は選びようがないと思っています。CD900ST の本来の音が戻ってきてほっとしました。
イヤーパッドだけを交換して「あまり変化がなかった」と評する記事がネット上に散見されますが、ウレタンリングも同時に交換してください。
2016.8.27(土) 1021 夏休みの宿題
【亮月写植室】活字書体設計師の今田欣一さんから写植の印字の依頼を頂きました。
午前の涼しいうちに、頂いた原稿を基に印字の指定を作りました。
バラ打ちは何度も現像するのが大変なので、大抵の場合は一体印字で済ませてしまいます。私の場合、原稿が印画紙に収まるよう割り付けた後は、各行の縦横の座標値を指定紙に書いておき、印字中に逐次点検できるようにしています。こうしておくと、採字のミスはともかくとして、印字位置の間違いはなくすことができます。
PAVO-JV の緑色に浮かぶ文字。PAVO-KY の白よりも気に入っています。
点示板に並んだ印字位置を示すインクの点。位置は正しく印字できたようです。誤字なく印字できたかどうかは現像してからのお楽しみ……。
現像から上がったばかりの濡れた印画紙は、文字の黒さに深みと艶があってなんとも美しいのです。
誤字もなく、完全な状態の印画紙を作ることができました! 写植室を始めた頃は採字ミスやレイアウトのずれがよく起こりましたが、最近は一発で仕上げることができるようになりました。
この印字された内容は今田さんが主宰する typeKIDS の特別セミナー「和字書体のたゝずまい」の後半戦である申刻ノ部「石井書体のアナザー・ストーリーから」(10月16日15時30分~16時30分・新江戸川公園内にある松聲閣・集会室にて)の資料として使用されるとのこと。とても興味深い講演テーマです。
今田さんの Facebook にこの印画紙のスキャンデータが掲載されていますので、よろしければご覧くださいませ。
2016.8.20(土) 1020 応援し守る歌
【日録】友人宅で音楽の会を開くということで、参加させていただいた。
いつものように演奏好きが集まっておもむろに合奏が始まるようなものだろうと思っていたが、ライヴハウスのオープンマイク(っていうんですか)形式で行われるということをこの場所に来て初めて知った。つまりは順番にステージに立って演奏するという、本気で臨む音楽の催しだったのだ!
籤引きの結果、自分達の順番は5番目。今日は今までで一番緊張していることが自分でも分かった。胸が苦しくなって両腕が泡立つような感覚だった。いつもは緊張しないのに。
出番になりステージに立つ。演奏前の挨拶でやたら喋ってしまう。まずい と思った。
演奏は2曲。声が掠れて出ない。自分が弾いているベースの音が返しのスピーカーから聞こえない。近くにあるミキサーの音量をどれだけ上げたらいいのか分からない。何だか分からないうちに進行し、聞き苦しい演奏と歌声を残して出番が終わった。大失敗だった。間違いなく練習不足だった。相棒氏に迷惑をかけたと思った。フォローの言葉に居たたまれなくなり、このまま帰ってしまいたかった。それ以降の皆さんの演奏は、申し訳ないけどあまり覚えていない。
全員の順番が終わり、余興の時間に入った。
以前人前で一緒に演奏したことがある友人達が、私の唯一演奏できる楽器であるカホンを叩いてほしいとそれとなく誘ってくれた。演奏に参加しているうちに、落ち込んだ気持ちは少しずつ解けていった。
今日初めてお会いしたTKさん(芸名のイニシャル)が私のカホン演奏を気に入ってくださったのか、急遽二人で演奏することになった。おそらく即興だっただろう『パーカッションを応援し守る歌』を歌うTKさんにその場で伴奏させていただいた。1990年代のロックとフォークが融合したような熱い歌。激しいセッションだった。失敗のことを忘れて無心で叩いた。沢山の拍手をもらった。
きっとTKさんは分かっていたのだと思う、私の悔しい気持ちを。友人達もきっとそうだったのだろう。そして自身が同じ気持ちを何度も経験してきたのだと思う。だからこそ、駄目になってしまった人の励まし方をよく知っていて、私が抵抗なく輪の中へ戻ることができたのだと思う。
帰宅後に気持ちが落ち着いてから、そのことが分かった。とても有難く、かたじけないと思った。失敗の悔しさを糧にして、いつかは駄目になってしまった人をさりげなく応援し守れるような人間になりたい。
2016.8.14(日) 1019 夏の終わりの再会で
【日録】所属している写真サークルの写真展の季節が今年もやってきた。
12日までは松本へ出掛けていたので、翌日の13日に会場へ伺った。
Nikon D800・AiAFニッコール35mm f/2D(以下同じ)
今回から会場を主催者Rさんのカフェスペース(っていうんですか)に移し、備品も充実して、よりサークルの方向性を明確に打ち出していた。
今までは公共の場をお借りしての開催だったので通りすがりの方も多かったけれど、今回は本当にここへ来たい人だけが来たということで、長居する人も多かったのだそう。私もその一人だ。
写真展ではあるが、合奏が始まったり、お菓子を食べたりと、今までと同じく自由で寛げる場所だった。
構図の取り方、色や明暗の出し方、被写体の選び方。自分では撮れないような写真を沢山見るのはとても良い刺激になる。
*
この日の晩はもう一つ用事があり、学生時代の友人達と毎年開催している“美食倶楽部”の集まりがあった。美味しいものを食べて語らうのが定例。
普段買わないような百貨店の惣菜を買い込み、宿で食事会を開催。半年分の近況をしみじみ語らった。この晩はこれ以上飲んだら危険だと自覚する二歩手前まで飲んでしまったので記憶が所々曖昧だが、今のこと、家族のこと、これからのこと、それらについてどう思っているのか……。そういったことを沢山話した。
友人は一人でいることを選んでいるのだと言うけど、夜の街に消えるのは、寂しさ故のものではないと本当に言えるのだろうか。私には、ついに解ることがなかった。
*
翌14日は宿のチェックアウトをしてすぐ解散してしまったので、そのままもう一度写真展の会場にお邪魔した。
Rさんが昨日持参した松本土産を切り分けてくれた。林檎の実がまるごとパイに包まれていた。二十数年前に父が信州土産で買ってきた「正直村のりんごパイ」は中身が殆ど白餡だったので、また騙されるのではないかと思っていたが、今回は本物だった(笑)。
久々にMちゃんと再会。同じく長く会っていないN嬢は元気にしていると聞き、自分の心の中にある“その人の場所”が埋まったような気持ちになって何だか心が温まる。ネットで近況がある程度分かる世の中になったといえ、そういう感覚が失われることはない。
この写真展が終わると、夏は終わりに向けて表情を変えていく。
既に夜には虫の声が聞こえる。涼しくなるのが待ち遠しい気持ちと、お祭りが終わりを迎えるような寂しさとが綯い交ぜになりながら、帰りの電車で微睡んだ。
2016.8.12(金) 1018 信濃の国へ。2
【日録】
隙のなさと擬洋風のぎこちなさが明治の建築らしい。
細かな造作にも目を奪われる。
やはりみんな階段の外側を通ったようだ。
扉だけでも作品だ。
透き通って腰のある蕎麦が火照りを癒す。
完璧な美しさを目の前にしてできるのは、残しておきたいと思うことだけだ。
♪ぼん ぼん 松本 ぼん ぼん ぼん! 生で見たかったっ!!
クラシック音楽、民芸家具、やや寒いエアコン、苦〜いコーヒー。これぞ喫茶。
展示されている沢山のぜんまい時計達がバラバラと時を報じる。生きているんだと思った。少し切なかった。世の中何でも、機械仕掛けが姿を消し、擬似的なものばかりになってしまった。私が今の世に感じている味気なさの根底には、決して懐古ではなく、感覚が満たされないことに対する本能的な欲求がある。
*
今回の旅は急遽決まりました。
昔のテレビ番組が好きな管理人。4月から6月にかけて放映されていた黒柳徹子さんの自叙伝ドラマ『トットてれび』に熱中し、その再現度の高さに惹き込まれました(書体の時代考証はやっぱり駄目だったけど)。
そして、元々子供の頃から「ザ・ベストテン」や「世界ふしぎ発見」で親しんできた黒柳さんの人柄や、テレビの歴史をもっと知りたいと思い、父が持っていた『窓ぎわのトットちゃん』『トットチャンネル』を借りて熟読。黒柳さんの生い立ちやテレビと歩んできた道について深く感じ入るものがありました。父が今の私と同じくらいの歳の頃、まだ小さかった私を育てながらこの本を読んでどう思ったのだろうかと。その頃父は、テレビの世界にいました。
松本にはぜひ一度行ってみたいと思っていました。
絵葉書のようだと評される美しい松本城や「松本ぼんぼん」の郷愁を誘う独特な歌。安曇野の爽やかな風景。木曽福島よりも東は私にとって未知の領域でした。その東はどうなっているのだろうかといつも思っていました。
そこへたまたま「7月23日、安曇野ちひろ美術館にトットちゃん広場が出来て、電車の教室が再現された」と風の便りが舞い込みました。
松本へ行くならこのタイミングしかないと思い、同行人氏と協議を重ね、特急や宿の予約も満員ぎりぎりに取れて、この旅の2週間前に全行程が決まったのです。
初めて踏んだ松本の地は、あたたかく迎え入れてくれました。
ガイドブックに載っているような店なのに、すんなり入れる所ばかりでした。
松本駅レンタカーのおじさん、飛び込みで車を借りる相談をした時から返した後に忘れ物を取りに戻った時まで、ずっと親切にしていただきありがとうございました。
穂高のガルニで一緒だった高山のご家族、目を細めながら楽しく過ごさせていただきました。
松本のガソリンスタンドのお兄さん、3ℓしか入れなかったのに気持ちのよい笑顔がとても素敵でした。
開智学校で写真を撮ってくださったおじいさんとおばあさん、これからもずっと仲良く元気でいてください。
そして同行人さん、ここを見ているかは分かりませんが、長い旅路をありがとうございました。
11〜12日の写真機 比率3:2はNikon D800・AF-S ニッコール35mm f/1.4G・AF-S ニッコール20mm f/1.8G ED、4:3はNikon COOLPIX S01
(BGM:夏木マリ『夏のせいかしら』/1974年作品……レンタカーのカーラジオから流れていた。)
2016.8.11(木祝) 1017 信濃の国へ。1
【日録】
特急で2時間弱、辿り着いたのは安曇野。広い芝生にちひろ美術館。
飛騨山脈が近いからか、からっとしていてあまり暑くない。
7月23日に出来たばかりの「トットちゃん広場」。ここに行きたいと思ったのだ。
『窓ぎわのトットちゃん』の電車の教室だ!
どこかの駅に停車しているかのようだ。
これまで大切に遺してくださった先人の方々に感謝。
沢山の人に愛され続けるであろう電車の、最初の姿を見られて幸せだ。
ここまで深くトットちゃんの世界を再現してあるなんて。
少し日が傾いてきた。ゆっくり松本へ戻ろう。
穂高の森の中で一休み。緑の匂いがする。
松本で夕食。この街に住む人達の日常に少しだけ溶け込んだような気分になった。
2016.7.30(土) 1016 夏は活動休止期間
【亮月写植室】暑さがとても苦手な管理人にとって、梅雨明けから8月一杯までは慢性的な睡眠不足と集中力の欠如により活動休止期間としています。ただ、今年の夏はまだ暑くない方のようで、朝晩は涼しく、日中も外出できなくもないという、子供の頃のような穏やかな夏を過ごしています。
とはいえ、記事の執筆のような集中力をかなり必要とする作業は殆どできないため、文字盤の精査を行いました。
2013年7月に保有している全ての文字盤をリスト化し、分類して書体順・コード順に収納しましたが、文字盤の所在とリストが1対1になっていませんでした。そのため、使用頻度の低い文字盤が急に必要になった際に探し出せないなど、印字に支障が出ていました。
そこで、今月の用事のない休日を利用して、写植室にある全ての文字盤の所在を丸2日(文字通り朝から晩まで)かけて確認の上、文字盤コード・文字盤に記載された丸Cの年・製造年月・写植室内での所在・譲渡元をリストとして書き出し、平日の夜に2週間かけて手書きリストを入力しました。
亮月写植室が保有する文字盤は、メインプレートが310枚、サブプレートが3021枚と判明しました。思ってもいなかったようなとんでもない枚数で驚きました。
今迄も法則性を持って収納していましたが、「大体ここにしまった筈だけど……」と迷うこともありました。これでようやく、「品質改良前の石井中ゴシック体の MG-KL で改正記号cの文字盤はどこにある?」と思った時に「暗室のキャビネットの中にある」とすぐに取り出せるようになりました。
自己満足かも知れませんが、文字盤の一枚一枚がどこにあるかを把握し、すぐ使える状態にしておくことは、多くの写植屋さんから託された大切な文字盤を死蔵せず活かすために必要なことだと思ったのです。
2016.6.25(土) 1015 生きていたPAVO-KY
【亮月写植室】進行中の案件である、某県某市の廃業した写植屋さんに行ってきました。
現像液の匂いがまだ残る中、沢山の機材や書類、文字盤をそのままにして全てが終わってしまったかのような社屋の片隅に、写植機はありました。
この PAVO-KY は10年以上使用されていなかったとのこと。時の過ぎゆくままに、文字盤や本体は厚く埃をかぶっていました。私にとって一番見たくない、しかし何度も何度も見てきた風景です。
今回は手動写植機のメンテナンスに通じた方から、長年放置されてきた写植機の点検方法を事前に教えていただいていたので、正しく動作するかどうかを確認しました。
これだけ放置され、無惨な状態になっている PAVO-KY。果たして動くでしょうか……。
電源プラグは差し込まれっぱなしでした。電源を投入します。
「ガシャン!」という文字枠固定の音。通電はしました。
ファンの回転が高まる音がし、光源ランプと採字用の蛍光灯が灯りました。
ウイーン、ウイーンという PAVO-KY 特有の少しふにゃっとした原点復帰の音がしました。
操作パネルの赤いLEDも点灯しています。
起動は成功したようです。
画面は……。
生きていました! この PAVO-KY は生きていたのです!!
最初の起動では画面表示が出鱈目な砂嵐のような画面でした。写真は「長年放置されてきた写植機の点検方法」に従って処置した後のもので、メインの表示スペースも画面下部のコメント欄も正常に動作しました。
送りボタン各種も印字キーも正常に動作しました。Q数選択のキー入力をすると、初回はモーターが唸って主レンズターレットが回転しませんでしたが、手で介添えしたら動き出し、次の回からは介添えなしで動くようになりました。
レンズに埃が大量に積もっているようで、画面に表示される文字は掠れ気味でしたが、綺麗に掃除すれば正しく表示されることでしょう。(※いずれも完全な動作を確認したものではありません。)
放置されて動かなくなってしまった写植機も沢山見てきましたが、それでも PAVO-KY という機種は(画面以外は)丈夫だという印象です。こんなに過酷な状況に10年以上置かれていながら、それに耐え、生きていたのですから。
写植機も機械なのでこう言うのも何ですが、人が操作すると音を出しながら一連の動作をするのを見ていると、写植機には血が通っているのではないかという気持ちになります。
写植機の動作確認だけでなく、様々な出来事がありました。今後もこの元写植屋さんの取材を続けていきます。
2016.6.18(土) 1014 元気にしています。
亮月だよりへの速報以外の投函が2ヶ月振りになってしまいました。
過去の分を下に書いたように、元気にしています。
有難いことに亮月写植室の活動がとても活発で、4月から挙げても、写植室の見学(記事執筆中)、廃業した写植屋さんの取材(進行中)、印字の依頼(量が多過ぎて辞退)、某社の写植機復活の助言(点検の結果再起不能)など盛り沢山で、そちらに掛かりっきりでした。
まだ完結していない案件が多くありますが、少し落ち着きましたので、一気にこの2ヶ月の記録を掲載しました。
すっかり夏の空気に入れ替わってしまいましたが、体調を崩さぬように暮らしていきたいです。
2016.6.12(日) 1013 鮮やかに開く
美濃加茂市の「みのかも健康の森」に行ってきました。
Nikon D800・Aiニッコール80〜200mm F4.5(1・2枚目)・AF-Sニッコール35mm f/1.4G(それ以外)
バーベキューや運動もできる森の中の公園です。我々の目的は最奥の紫陽花群。「あじさい祭り」の直前でしたが、斜面一杯に満開でした。
目に滲みるように鮮やかな青い紫陽花が所狭しと咲いていました。
青葉の中に紫色の花は鮮烈です。一番好きな組み合わせ。
山の中腹には生き物の小屋が。人が近付いてくる度に、孔雀が羽を広げてくれました。鮮やかな首と羽の目玉。自然がこの色を与えた不思議。
孔雀は鶏に向かって「どう?」と羽を見せていますが、鶏は「う〜ん……よく分からん。」という表情。仲が良さそうで微笑ましかったです。
*
毎週のようにカメラを持って出掛けると、たった一週間の違いだけでも季節が少しずつ移り変わっていっていることがはっきりと分かります。毎年のことと分かっていても写真に収めるのは、被写体への思いと同時に、その時ファインダーの前にいる自分の境遇や心境を撮っておきたいと思うからです。
4月頃からは、撮影のお供として D80 や Aiニッコール80〜200mm F4.5 といった古い機材を積極的に使っています。それぞれ10年前と35年前のものですが、明るい単焦点レンズ(AF-Sニッコール20mm f/1.8G ED)や優秀なカメラ(D800)で補えば全く問題なく使えます。私は物保ちが良すぎるぐらい良いので、何でも最新のものに更新してしまうのではなく、道具の持つ力を最大限引き出すことを大切にしています。
2016.6.5(日) 1012 梅雨入りの彩り
関市の「岐阜県百年公園」に行ってきました。
岐阜県に生まれ育ったにも拘らず、この公園に行ったのは初めてでした。
Nikon D800・AF-Sニッコール35mm f/1.4G(1枚目)・Aiニッコール80〜200mm F4.5(それ以外)
菖蒲が見頃を迎えていました。
菖蒲園の周りには紫陽花も満開でした。
涼しげな色合いは梅雨の初めならではです。
イロハモミジの青葉が光に透けて、複雑な模様を描いていました。
赤くなった葉が重なって陽に透けて、影絵のようでした。
こちらの公園もとても広くて人は疎ら。ゆっくりと梅雨入りの彩りを楽しむことができました。
2016.5.29(日) 1011 紫陽花の庭
春日井市都市緑化植物園に行ってきました。
Nikon D80・AF-Sニッコール20mm f/1.8G ED(以下同じ)
ちょうどバラが見頃でした。
カメラが捉え切れないほど真っ赤なバラでした。
併設の動物園には一頭だけ毛刈りされていない羊がいました。勝手に「モコちゃん」と名付けてしばらく愛でる。
温室には、少しだけ早く紫陽花が咲いていました。
広い敷地には四季の植物がバランス良く植栽されていて、どの季節に行っても楽しめそうでした。広さのお蔭で人は疎らで、火が使えないからか穏やかな客層で落ち着きました。心身共にゆっくりできる良い植物園でした。
2016.5.22(日) 1010 秘密の練習場所
楽器の練習をしに、某市の公園へ。
Nikon D80・AF-Sニッコール20mm f/1.8G ED(以下同じ)
整備が行き届いた広い公園なのに、人は殆ど来ない。
どれだけ大きな音や声を出しても聴く人は誰もいない。
日陰は涼しく、絶好の楽器日和だ。
久し振りに大きな声で歌った。鼻の調子が悪いようで、声が鼻から抜け切らずに籠って息苦しい。高い声も出しにくくなっていた。病院に行った方がいいのかもしれない……。
2016.5.21(土) 1009 『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』
故・布施茂さんの『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』が届きました。
発売日から10日以上経っての到着でした。表紙には自動写植機の文字円盤や手動写植機・電算写植機の写真が使われています。
邦文写真植字機の発明から写研が開発した手動写植機・電算写植機までについて殆どを網羅し、その歩みを主に技術的な面から詳しく解説した本です。写研の機関誌などの公式な印刷物にもそれらの記録は残されており、かなりの部分は判るのですが、本書では更に踏み込んで解説されています。誰でも入手できるという意味でも、本書は写真植字史を探る上でたいへん貴重な存在です。
自費出版だったようで、本文ページはMS明朝とMSゴシックが使われた Microsoft Word によると思われる組版で、図版の縦横比の改変や解像度の低さ、不足などがあちこちにありますが、巻末に記されている他の既存資料によって十分に補うことができます。
私の立場としては、これまで研究してきた内容が、写研の開発者ご本人の著書によって正しさを保証できたり、足りなかった部分を明らかにすることができたりと、非常に有用でした。
布施茂さんの長年のご活躍に心から敬意を表するとともに、ご冥福を深くお祈り申し上げます。
2016.5.15(日) 1008 自分勝手
自分は自分が思っている以上に自分勝手だ。手綱を緩めた瞬間に暴れ出す。
相手からの抗議されて受ける心の痛みは、相手が受けた痛み程ではないだろう。
今日のことを、消えないぐらいに深く刻み込むぐらいでちょうどいい。
2016.5.3(火) 1007 江南藤まつり
Nikon D800・AF-Sニッコール35mm f/1.4G(以下同じ)
愛知県江南市の藤まつりへ。
真っ白な藤も、
藤色の藤も。
藤はどのように撮ったらいいのかまだよく分からず、自分にとっては難しい被写体だ。でも、規模が大きくてどこを観ても絵になる場所だった。
2016.5.2(月) 1006 あの街にも、写植は生きていた。
【亮月写植室】某市で最近廃業したという写植屋さんから「一度見に来てください」と依頼があり、様子を見に行ってきました。その街にはもう写植は全く残っていないと思っていたので、とても驚きました。
80代の前社長さんが直々に案内してくださり、その長い道のりの一端をお聴きしました。旧社屋には書類の山の奥に疲れ切った様子の手動写植機と貴重な自動写植機の姿があり、文字盤も最後の仕事をそのままに埃を被っていました。
「写植レポート」の記事にするかはまだ決めていませんが、今後何回かに分けて取材させていただく予定です。
2016.5.1(日) 1005 知らない人の街で、青春の続き
親族に映画館へ行こうと誘われる。以前から何となく気になっていた『ちはやふる』を観ることに。
原作は読んだことがなかったが、以前大津に出掛けた際、至る所に同作との合同企画が見られ、それ以降何となく気になっていたのだ。予想以上に熱い作品で、その瑞々しさや一生懸命さ、不安や葛藤が全部入り交じりながら、部活に熱中していたあの頃の自分を重ね合わせて(大きな大会に進むことはなかったけれど)楽しめた。
好きなことをとことん追求する彼女らの姿に感情移入し、自分も青春の続きなのかもしれないと、ふと思った。パンフレットを劇場で買わなかったことを後悔した。
映画の前、昼食に並んでいたら突然「○○クン!」と声を掛けられてとても驚いた。こんな遠い所で会う筈がないと思っていた方。休日の姿を見られるのはとても照れくさいけど、知った人が誰もいないような場所に知っている人がいると分かると、何だか嬉しくて心強い。
2016.4.30(土) 1004 好日
遠方にて、泊まりがけで親族の結婚式に参加した。
新婦の衣装がずり落ちそうになる、緊張して呂律が回らなくなった来賓の社長さん、泣きっぱなしの友人スピーチ、胴上げで新郎が落下、お酒が注がれっぱなしなど、見所が多くて二人らしい、賑やかで楽しい宴だった。
まるで長年連れ添ったかのように、既に息が合って馴染んでいる二人。末永くお幸せに。
訃報 |
4月28日に布施茂さんが亡くなられたとの報がありました。
写研で常務取締役・開発本部長として写真植字機や電算写植システムの開発にご尽力され、退職後もタイポグラフィを技術的な面から支え続けてこられました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
なお、布施さん最後の著書『技術者たちの挑戦 写真植字機技術史』が5月9日に発売されるとのことです。 →Amazonの該当ページ
4月上旬に布施さんから「写植の記事を読ませていただき、大変参考になりました。ありがとうございました。亮月写植室を読ませていただいたお礼に、同書をお送りいたします。今後ともよろしくお願いいたします。」とご連絡を頂いたばかりでしたので、とてもショックです。
情報を提供くださった今田欣一さん、ありがとうございました。 |
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2016.4.24(日) 1003 熱中に共感
蘭を二株頂いた。
「石斛」(せっこく)という日本の蘭を育てている方。その由来や育て方、花の色の微妙な違いなど、とても詳しく熱く話してくださった。
一つの好きなことに熱中し、深く造詣がある方のお話は、どのようなジャンルであっても共感できるものがあり、自分も頑張ろうという気持ちになる。
2016.4.17(日) 1002 「父は写植オペレータでした。」
【亮月写植室】遠くからお客様が来てくださいました。
お父様が写植オペレータだったそうで、その子供から見た写植とは何だったのか、父はどういう人だったのか、どのようなことを残し、そしてどう感じたのかを話してくださいました。写植以外の話題も幅広くお話しし、あっという間の6時間でした。
この時の対談の模様は「写植レポート」にて連載予定です。お楽しみに。
2016.4.16(土) 1001 こんな感じだったでしょ?
果てしなく続く名曲発掘の旅。
吉澤嘉代子『幻倶楽部』。
最近の音楽家のCDを購入するのは本当に久し振りです。この作品は2014年の秋に発売されていますが、その頃から集中すべき事項があり、そちらへ専念していたため新しい音楽にまで気持ちが向いていませんでした。本来リアルタイムで買っていただろうCDですが、存在を知らないまま最近ラジオから流れてきて作風に非常に驚き、買い求めたものです。
吉澤さんといえばデビューアルバムを購入した際にも大きな衝撃を受けたのですが(→2014.5.12の記事参照)、本作は彼女の持ち味を更に凝縮した究極的なアルバムでした。
1970〜1980年代のポップスを咀嚼しきっていて、それを現代の楽器、演奏者の癖、作り手の感性、グルーヴ感、時代の匂いで再構築したような、安心できるけれど古臭くはないという、私にとってとても聴き心地の良い音楽群でした。
際立って驚かされたのは4曲目の『恋愛倶楽部』。ラジオで流れていたのがこの曲で、一瞬で心が奪われてしまいました。1980年代前半のアイドル歌謡曲“そのもの”だったからです。メロディーも曲の展開も、編曲の各パートが演奏する細部に至るフレーズも、歌詞の世界や言い回しも。全てが「ああ、こういうのあった!」とあの頃を思い出させるような部品が曲全体に散りばめられ、敢えて強調され、見事に組み立てられているのです。吉澤さん自身の心境を吐露した歌ではなく、作り上げられた世界観を演じているという点でも実に歌謡曲的です。
ただし本物のアイドル歌謡曲と異なるのは、吉澤さん=アイドルではないということ。歌詞の世界観に歌い手が同化していない……端的に言えば、歌を通じた疑似恋愛の対象になっていないような客観的な面があるということです。勿論吉澤さんはなりきって歌っているように思えるのですが、「昔のアイドルってこんな感じだったでしょ?」というどこかネタ的というかB級的というか、アイドル歌謡曲を作っておきながらその要素を自分で楽しんでいるような雰囲気があるのです(主観的な所感です)。それを聴き手も「そうだよね」と共感しているような感覚もまた、とても心地良いのですが。そこまでさせることができるのは作り手や演者の力量が十分にある証です。おそろしいほど作り込まれています。
ジャケットもどういう訳か癖になるような良さがあって、何度でも見返してしまいます。ジャケットが秀逸(好み)な音楽作品は名盤という格言が自分の中で出来上がりつつありますが、本作もかなりの名盤でした。歌謡曲好きと今のメジャーな音楽がつまらないと思っている人はぜひ聴いてみてください。 |