●過去だより1026〜1050
2017.2.18(土) 1050 数年振りの復活
【日録】友人Rさん宅で開かれた定例の音楽会に参加させていただいた。
楽器のできる仲間と内輪で楽しむことが多かったが、今回は友人の友人を介して集まった人が殆ど。知らない方も当然いる訳で、どうにも緊張してしまった。元々人見知りではあるが、知っている人の知っている人という関係は、どのように振る舞ったらいいのか未だに悩む。
参加者は年齢が上の方(かた)が多く、その歳まで音楽を続けられたらいいなと思った。あたたかな声で歌われるフォークソングや歌謡曲が心に沁みた。
自分達はというと、数年前にRさんとNさんとで結成し、一度だけ演奏活動をしたユニットが復活。練習の為に集まる時間もなかったので、3人とも知っていて練習しなくてもある程度演奏できる曲をやることにした。私は以前この音楽会でベースを弾き語りしようとして大失敗したので、曲を知っていれば演奏できるカホンで参加した。
『夢の中へ』と『スーパーマリオブラザース』のBGM。終わり方で引っ掛かってしまったが、数年のブランクの割にはうまくいったと思った。他の参加者の方の受けも良かったようで、「打楽器の人の手捌きがいい」というような感想が聞こえてきて嬉しかった。
終演後、Rさん夫妻とNさんと私が残る。そのなかで、音楽活動に復帰したばかりのNさん「このメンバーで気楽に集まれる場があるといいですね」と。私もそう思った。発表に向けて作り込んでいく音楽があれば、即興の中から生まれていく音楽もある。勿論技術は必要だが、私はどちらかといえば後者が性に合っているのかもしれない。
2017.2.5(日) 1049 良き友よ・3
【日録】夜に地元の長い友人と会う。2年近く会っていなかったかもしれない。
同年会(中学時代までの同級生で構成される同窓会のようなもの)の次期役員を頼まれ、その仕事の内容を確認し意思表示する、というのが主目的だったが、お互いの近況についても語らった。仕事をする中で積み重ねてきたものは何か。
かつての同級生とは中学卒業以来殆ど会っていないし、記憶が断片的にしかない。その後私が作ってきた人間関係から見ると、近くにいる人達とべったりするよりも、遠くに分散している人達とそれぞれたまに会うような付き合い方や距離感が好きなのだと思う。ゆえ、地元への帰属意識は薄く、一生住み続けたいともあまり思わない。むしろ大学時代以降に慣れ親しんだ街や場所への愛着が強い。
とはいえこの友人との関わりは中学以降から数えても20年を超える。私のどのような姿も知っている彼を無条件に信頼しているので、役員を引き受けさせていただいた。信頼関係の長さから言えば、地元の友人に敵うものはないのだ。
この3日間は、地元から遠方まで、全く異なるきっかけで出会った友人と連続で会った。これだけ集中することは滅多にない。積もっていた思いが一度に解消されたような清々しい気分でいる。
2017.2.4(土) 1048 良き友よ・2
【日録】「スタジオジブリ・レイアウト展」を観に行くために、現在開催されている静岡市美術館へ出掛けることにした。
とはいえ岐阜から静岡はなかなか行けるものではない。しばらく会っていない静岡在住の友人に声を掛け、3年半振りに再会することになった。
静岡駅新幹線改札口。お互いにすぐ分かった。変わっていなかった。元気そうでよかった。駅の中にある飲食店で昼食。静岡名物だというかき揚げ丼と黒おでんを頂いた。3年半の間にあったこと、趣味のこと、旅行のことなど、時間を惜しむように沢山話した。1時間ちょっとの再会だったが、3時間は話し込んだような気分だった。ありがとう、Tさん。
続いて向かったのは静岡市立日本平動物園。静岡駅からの路線バスで遠くに富士山が見えて喜ぶ。
ここの動物園の目玉はレッサーパンダ。写真を撮る時にこっちを向いてくれた。最近リニューアルされたようで、旭川市の旭山動物園のように行動展示が多く、中堅の規模ながらとても見応えがあった。2時間ほどかかり、静岡駅に戻る頃には日が沈みそうだった。
肝腎の「スタジオジブリ・レイアウト展」は17時半の時点で60分待ち。入場した時点で閉館の19時まで30分しかないことになる。館内に長い行列ができていたので諦め、ミュージアムショップで図録を購入した。3240円と高かったが、縮刷とはいえジブリの殆どの作品のレイアウトが大量に掲載されていて、詳しく鑑賞することができ、購入してよかったと思った。
帰りの新幹線も各駅停車のこだま。いつの間にか気持ちよく夢の世界に迷い込んでいた。
2017.2.3(金) 1047 良き友よ・1
【日録】大学時代の友人達と美味しいものを食する恒例の「美食倶楽部」。
普段は遠征や名古屋で開催するが、今回は私が住む地域にある店で開いてくれた。
名古屋では安いと言われる値段で、この店で最高の材料と料理を出していただいた。これまでの会でも味わったことがないような美味しさ。シェフは「食材が『料理されている』と分からないうちに料理する」のだという。根っからの職人というか料理が大好きな方だった。普段駄目出しばかりする会長が絶賛し、最後にはシェフと意気投合していた。
会長からは前々から気になっていた重大発表があった。自分達の価値観では想像もつかないことだが、非常に彼らしいと思った。万歳とは言わないけれども止めはしない。それは、相容れない部分があっても理解しているからこそできる、長く続いてきた友情の証だ。
2017.1.25(日) 1046 こねこ文字ふぉんと
【文字関係】「ことり文字ふぉんと」(→書体のはなし)等、可愛らしい手書きフォントの作者であるあやさんが久し振りに新作フォントを発表されました!
「こねこ文字ふぉんと」。
あやさんによると、「1970~80年代の丸文字をイメージとしている」ということで、当時の若い女性が書いたような、字面(っていうのかな)いっぱいにまるっこく広がった文字のデザインです。当時の丸文字は難読なものも多くありましたが、この書体は丸文字の印象を保ちつつも読みやすく、絶妙な匙加減です。
1980年代の女の子の手紙をイメージして組んでみました(協力:望月花耶)。時代考証など細かなツッコミは無しで……。当時を思い起こさせる単語を並べてみても違和感はなく、こねこ文字ふぉんとはあの頃の空気をたっぷり吸い込んだ手書きフォントだと分かります。
あやさん、第一水準までの制作本当にお疲れ様でした! これからも応援しています!
2017.1.22(日) 1045 還ってきた友人
【日録】長い勉学期間の末、新しい就職先が決まった友人のお祝い会を開いた。
以前から一緒に音楽を楽しんできた仲間でもあった。大好きな音楽を封印してまでこの道を目指し、努力を積み重ねて達成した姿にはただ頭が下がるのみだった。
どれだけ大変だっただろう。その感慨をあまり表には出さない友人だったが、以前と同じように音楽を一緒にやろうという話になり、とても嬉しかった。
以前も同じことを書いたが、自分の心の中には“その人の居る場所”というものがある。その人がその人らしく生きているんだと分かることは、自分にとっても喜びだ。
ところで久し振りに名古屋(駅)に行ったら、高島屋はチョコレートの催しのようでものすごい混雑(時期が早過ぎるような気がする)、三省堂書店名古屋高島屋店も通路を通り抜けられないようなとんでもない混雑で、しかも大幅に縮小していて残念な事この上なかった。中部地方では随一の蔵書数だったのに……。4月に同じような大きな規模で近くにもう一点できるとのこと、心待ちにしている。
2017.1.21(土) 1044 新築に学ぶ
【日録】妹夫妻が家を建てたというので、そのお披露目会に行ってきた。
かつて新築住宅を観る機会が大量にあったので目が肥えているつもりだったが、最新の住宅は当然現在の技術が投入されたもので、予想もつかない設備があったりしてとても楽しく興味深く観させていただいた。
採光、断熱、防音に非常に気を遣っていて、空調がなくても寒くなく、静かなことに驚いた。また、生活者の視点からも気遣いが行き届いていた。脱衣室に、洗濯機から直接ハンガーに掛けられる仮の物干竿が吊り下げられていたり、台所の蛇口の先に水を一時停止できるボタンのようなものが付いていて手が汚れていても水を止められたり。新築する際は是非参考にしたいと思った(いつのことやら)。
一方で不思議に思う設備もあった。交流電源が必要で、ボタン操作で点火や火加減等を調節するガスコンロ……機械式のボタンやつまみでいいじゃない。便座に人が近付くと蓋が開き、便器内が照明され、立ち上がると洗浄されるトイレ……人が操作すればいいじゃない、そして“出したもの”を明るく照らす意味は何なのか(あまり鮮明には見たくないぞ)。電動でゆっくり昇降する日除けの幕……紐で上下させればいいじゃない。
わざわざ電気なんて使わなくても、機械にやってもらわなくても自分でできるのに。そして“演出”の意図がよく分からない……。私が、不必要な電子制御や電動化、過剰な装備や無駄な演出を好まないこともあるかもしれないが、長期間酷使される物をこのようにする必要性が理解できなかった。
最新の住宅を詳しく観察することができるのは貴重な機会だった。そして自分が住宅や住むということに対してどう思っているのかもよく分かった。
2017.1.15(日) 1043 くるみ×クルミ
【日録】別々の方から頂いた、別々の場所で売られているお菓子。
大畑食品(金沢市)の「くるみのおやつ」と鎌倉紅谷(鎌倉市)の「クルミッ子」。本当にたまたま、胡桃を使ったお菓子を近いタイミングで頂きました。前者は飴煮、後者はキャラメルサンドですが、どちらも尻尾が大きいリスをモチーフにしているところが面白いです。「くるみのおやつ」が入っていた缶も手触りがよくてまるっこく良いデザイン。お二方ともありがとうございました!
2017.1.7(土) 1042 ものがたりは今日はじまるの
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
吉澤嘉代子『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』(2016.8.3発売)。
彼女のCDは以前から順次購入していて、前回購入したのは『幻倶楽部』と『箒星図鑑』でした(→2016.4.16の記事参照)。発売の古い順に行けばその次の『秘密公園』『東京絶景』と購入することになる筈でしたが、試聴してみてもどうにも好きになれませんでした。編曲は相変わらず素晴らしいものの、メロディーがコードの変化に寄り添わず、音楽的に展開も解決もしないので聴いてて煮え切らず、その曲のキーのIの和音のコード感を持った旋律しか使われないような単調なものばかりだったので購入しませんでした(この説明で分かるかどうか……。最近のJ-POPはそんなのばかりで、吉澤さんの場合はチャットモンチーとメロディーの傾向がよく似ている)。好きな音楽家だとしても、心地良くならないものにお金を出すのは勿体ないです。
そういう訳で、2作品飛ばした本作を試聴し、『幻倶楽部』に収録されていた『恋愛倶楽部』に匹敵する強力な歌に衝撃を受けて購入に至りました。
1曲目の『ものがたりは今日はじまるの』(→YouTubeの公式PV)です。
ここの管理人のことなので歌謡曲なんでしょうと言われると、その通りです。1970〜1980年代の音楽、特に大滝詠一辺りに影響を受け、それらを十分咀嚼した上で現代に蘇らせたような夢見心地な歌でした。素直で抑揚のあるメロディー、最近の歌では殆ど聴けなくなってしまった豊潤で少し哀愁のあるコード進行、そして曲や歌詞の感情を汲み取って丁寧に昂揚気味に歌い上げる吉澤さんの歌声も心地良いです。吉澤さんにはこういう歌をもっと作って歌ってほしい。
この歌さえ聴ければいいと思っていましたが、コラボレイションアルバムということで他の曲も表情豊かに作り込まれて聴き応えがあり、何度でも繰り返し聴ける良盤でした。
2016.12.29(木) 1041 一年の終わりに
【日録】亮月写植室・亮月製作所の今年の活動はこれでおしまいです。
簡単に2016年を振り返ってみたいと思います。
「書体のはなし」の記事を8本全面改稿し、筆者自身もこれらの書体に対する見識を深めることができました。
写植室へのご来訪は1件ありました。お父様が写植屋さんだった方から見た写植とは何か、父親とは何かという、新たな視点から写植を考えることができました(残念ですが写植レポートはお蔵入りしました)。
また、岐阜市にある廃業した写植屋さんの取材にも伺いました。残念なことに写植機を引き継ぐことは叶わず、あの街からも写植の灯が消えました(亮月だよりで逐一レポートしました)。
10月には東京で写植に関する講演が2日連続で開催され、2年以上振りに上京して聴講しました。小宮山博史さん、正木香子さん、今田欣一さんから、それぞれの立場から見た写植書体の姿を聴き、錆び付いた見識を磨き直すことができました。
同じく2年以上沈黙していた写植レポートの新作は、年内の公開は間に合いませんでしたが、現在1本執筆中です。
このように、執筆・取材・聴講とバランスが取れていたとはいえ満足のいく成果だったとは言えませんでしたが、それは私の活動姿勢に課題があることと裏表だったように思います。
それは、「相手の意向を汲み取れるか」です。もっとよく相手の思いを理解して言葉にすれば、もっと密に先方と意思疎通し、早く対応すれば、もっと早くに写植機を引き取る方法を考えていれば、引き取り手を募っていれば……。私の独り善がりな不作為が原因だったように思います。
更に足元を固めつつ、相手を大切に、積極的に動く。活動を進歩させるに当たり、これが大切だと分かりました。
管理人個人としては、今年も穏やかな日々が基調にありました。
しかしながら、上記の活動と通ずるものがありますが、積極的に動かなかった分だけ後悔したような一年でした。拓かれていない道は、痛い思いをしなければ、進むことができないのだから。退いた方向に戻るのは楽だけど、過去に通った道筋しかないから、同じことを繰り返すだけです。
重要な選択を迫られた場合、「こちらだ」と直感するのは困難で痛みを伴う方です。それを選びたくがないために言い訳を考え、それを実行してしまったとき、進歩はそこにはありません。うまくいかない場合、原因はそこにあります。
心の弱さは体調にも影響しました。10月におそらく東京で拾った酷い風邪。そこから波及したと思われる、11月から12月下旬にかけて悩まされた左耳の突発性難聴。そして11月下旬に風邪をもう一度。活動が思うように進まず、かといって自分の意志ではどうにもならず、歯痒い思いをしました。
幸い、突発性難聴はほぼ快復しました。12月半ばには聞こえ方が自然になり、続いて高音の聞こえが良くなり、26日を最後に重低音の耳鳴りも聞こえなくなりました。まだ予断は許されませんので、この冬休みはゆっくり過ごしたいと思います。
今は心身共に快く、以前のように前向きな気持ちでいます。
その状態は何もしなくても在り続けるのではなく、自分の意志で維持しなければならないのだとよく分かりました。そして今、心と体に故障がないことの有難味をじっくりと噛みしめています。決して、当たり前のことではなかったのです。
この一年に関わらせていただいた全ての物事、そして人達に深く感謝。本当にありがとうございました。
2016.12.18(日) 1040 過酷な環境で
【亮月写植室】(後日記録)年賀状に使う写植の印字をしました。
今回は、電算写植でも使える書体はアウトラインサービスを発注し、手動写植機専用の書体は自家印字することにしました。殆ど忘れ去られてしまったであろう、非常に美しい細身の書体です(ナールではありません)。
亮月写植室の気温は数度。以前、石油ファンヒーターを焚いたら写植機の金属部分や基板が結露して大変なことになったため、上着を着込んで電気ストーブで足元を温めながら印字を進めました。
年賀状用以外の印字も含めて約2時間。現像に取りかかりました。
通常は1分も経てば印画紙に黒い文字が浮かんでくるものですが、全然文字が現れません。裏表を間違えて印字してしまったのか、いやそんな筈はない……と我慢すること数分。じわ〜っと文字が浮かんできました。現像液の温度は適正よりやや高い25度でしたが、マガジンの金属製のドラムが冷えきっていたため、印画紙も冷たくなり、化学反応が進まなかったのかもしれません。
現像と定着を終え、乾燥を進めると、印画紙は紫に変色してしまいました。
昨年の秋には真っ白なまま真っ黒な文字が印字できた写真用の印画紙です。確かに亮月写植室は夏は暑く冬は寒い過酷な環境ですが、写植用の印画紙よりも写真用の印画紙の方が足が早く、使用限界は2年程度のようです。尤も、今回使った「フジブロWP KM4」は、パッケージに記載された使用期限が2014年7月でしたが……。
年賀状は毎年枚数を限って送っています。届いた方はご笑納くださいませ。
2016.12.11(日) 1039 遠方から後輩来る(きたる)
【日録】(後日記録)遠方から後輩が遊びに来てくれた。
近況を聞くと、瑞々しくもどちらの道を選ぼうか迷っているようだった。それでも話を聞いているともう彼女の中で答えは出ているような気がした。話を聞いてもらって気持ちの整理をしたかったのかもしれない。しかしまだ左耳の調子が悪く、賑やかな飲食店では話の半分も聞き取れなかった。一般論だけを持ち出して、掘り下げてコメントできず申し訳なかった。
テレビドラマを殆ど観ない自分が第1回からはまった『逃げるは恥だが役に立つ』の良さを語れる人となかなか出会えないと思っていたら、後輩も熱心に観ているとのことでとても嬉しかった。初めは、昨年の『掟上今日子の備忘録』が良かったので本作も観ようと思っていただけなのに、心理描写が素晴らしく、カタルシスを得つつ意表をつく展開を毎回楽しみに観ていたら、いつの間にか世間で人気ドラマになっていてとても驚いたのだった……。
私の誕生日が近くに迫っていたので祝ってくれたが、知らない人がいる前で年齢を何度も言われてとても恥ずかしいと思った。それは何故なのだろうかと数日間気になっていたが、この一年はどちらかと言えば消極的な行動をする傾向があり、年齢に相応しい振る舞いができてなくて情けないと思っているからだと分かった。こんな思いをしないよう、新しい歳は日々より良い自分にすべく積み重ねるしかない。
2016.12.4(日) 1038 高音が聞こえない
【日録】(後日記録)11月7日頃に突然発症した左耳の難聴ですが、耳の詰まった感じはかなり軽くなりました。しかし重低音の耳鳴りが続き、11月23日から1週間ほどはもう一度風邪をひいてしまい、耳が完治する兆しはまだ見えていません。
耳鼻科のオージオメーターによる測定結果では、左耳の500Hz未満が右耳に比べて10〜15dB低い値でした。聞こえ方としては、低音の腰がなく、高音も音の角が取れて細かな音がぼんやりとごまかされているような感じです。音楽は聴けなくはないですが、左耳だけはっきり聞き取れないのであまり楽しくありません。
可聴周波数をこの動画で定点観測しているのですが、今年の6月29日、高音までよく聞こえると思って記録したのが約15250Hzだったのに比べ、今日は左が約13700Hz、右が約15100Hzでした。やはり左だけ高音が聞こえなくなっていたのです。
耳鳴りも低高音の難聴もいつになったら治るのか……。薬を飲んでできるだけストレスをかけないように過ごしていくしかなさそうです。
2016.11.23(水祝) 1037 この世の中の片隅に
【日録】(後日記録)11月に公開されると聞いていた映画『この世界の片隅に』を観に行きました。一番好きな漫画家のこうの史代さんの作品がアニメーション化されるのをずっと待っていたので、いち早く観に行きたいと思っていたのですが、ようやく都合を付けて行くことができました。最寄りの映画館まで40キロ、約1時間。
映画館でポスターを探しましたがどこにも貼ってなく、ロビーの片隅にすずさんのポップが置いてありました。嬉しくて一緒に記念写真を撮ってしまいました。
上映時刻が近付き劇場に入ると、客席は7割ぐらいの入り、客層は50代以上が大半で、次いで30〜40代、20代以下は殆どいませんでした。こうの作品の作風や本作の内容から言えば、若い人よりもある程度人生を歩んできた人の方が味わえる(味わいたい)のかもしれません。
素晴らしい映画でした。
見終わってしばらく、同行人氏にどう感想を伝えようかと言葉を探しましたが、様々な気持ちが押し寄せてきて何も言うことができませんでした。
戦時中の呉や広島の風景や暮しが丁寧に描かれ、今の私達が送っているような日常と、少しずつ深まっていく人と人との関わりと、その愛おしさがたっぷりと描かれていました。それでも私達は、あの日が徐々に迫っていることを知りながら映画を観ているのです。もうすぐ愛おしい日常は終わってしまうのかもしれない、という焦燥感に駆られながら、すずさん達の日常を見続けるしかありませんでした。日に日に戦争の色が日常を染めていきつつも、毎日を生きていくしかなかった。感情移入は既に高まっていて、とうとう愛すべき日常と人達が失われてしまった時、ぐじゃぐじゃになった気持ちが押し寄せてきました。
すずさんはこの映画の中で様々な出来事に出会いながら年を重ねていく訳ですが、それぞれの場面を自分に当てはめ、「自分はこういう思いを持っていたのか」と気付きながら観ていました。数年前に本作の漫画を読んだ時に感じたものが生き続けていて、今はこの胸の中にあるのだなあと感じ入るものがありました。
あらゆる感情が心に突き刺さります。こうの作品を知らない人にも是非見ていただきたいです。
2016.11.19(土) 1036 あなたの名前は
【文字関係】(後日記録)日本タイポグラフィ協会『日本のタイプフェイス』(2000.9.11発行)を入手しました。
この書籍は、当時の日本に於けるタイプフェイスを網羅しようとし、書体の識別や権利の保護に資するためにまとめられたものです。ただし、存在する全てのタイプフェイスが掲載された訳ではなく、掲載募集要項に従って申し込みがあった約730書体のみが記録されています。写研やモリサワの書体の殆どや、大半のデジタルフォントメーカーの書体は掲載されていません。
しかしながら、一般的な書体(フォント)見本帳に掲載されていない書体が本書に掲載されているため、何とかして入手できないものかと数年間悩んでいました。
今回、運良く古書店に在庫があることが分かったので取り寄せることができました。
最も大きな収穫は、和文タイプライター用に古くから使われてきた明朝活字「イワタ特細明朝体」がこの名前で確かに存在すると分かったこと、そしてその鮮明な姿を知ることができたことです。
本書にこの書体の見本が掲載されているのではないかというのは、以前ネット上で見た書体見本の画像と、日本タイポグラフィ協会のサイトに掲載されている登録タイプフェイスの一覧にこの名称があることから何となく(野生の勘で?)感じていました。
今回、ささやかではありますが、「岩田細明朝体」の記事にイワタ特細明朝体に関する言及を追加することができました。
2010年、この書体を使いたいがために和文タイプライターを購入し、中古の盤面活字を2枚追加購入し、正式な書体名を知るために本書を入手した……という“数年越しの恋”が叶ったような気持ちです。私の気持ちを強く動かす魅力的な書体です。書体を語る上で名前は重要ではないのかもしれない、けれども、私はあなたの名前を知りたかったのです。
2016.11.14(月) 1035 あの友人へ伝えたいことがある
【日録】(後日記録)音信不通になってしまった友人の近況を人伝に知った。
友人らしく元気に暮らしていると分かってほっとした。その一方で、気がかりな状況にあることも分かった。
今、会うことができるのなら、伝えたいことがある。
本当に大切なことは、相手に伝えなければ駄目だ。
人生の大切な局面を迎えると、失敗して辛い気持ちになるのは怖いから、言い訳をして避けようとしたくなるけど、それを乗り越えないとうまくいくものもいかなくなる。うまくいっている人はそれを乗り越えた人だ。
もう辛い思いをしたくないのなら、辛さを避ける言い訳をするんじゃなくて、勇気を出して乗り越えなればならない。そうしないと何度でも同じ思いをすることになる。人生は、そのタイミングで選択肢のうちの一つしか選べない、とても残酷なものだから。
最善を尽くせば、失敗しても後悔しない。だから、勇気を出して。いつかまた会いたい。
2016.11.13(日) 1034 写植機がなくなっても
【亮月写植室】(後日記録)写植機の持ち主の方に、引き取れない旨のご連絡をしました。
社長さんは怒りも悲しみも表されず、「建物の解体が迫っていますので、処分の手続きをします。自動写植機の中に残っている文字盤はまだ使えますから取り出しておきます。その時また連絡しますので引き取ってください。写植機や建物がなくなっても今後ともよろしくお願いします。」とおっしゃいました。たいへん恐縮でした。
自分の意志で写植機を使えないようにする(ようなものだと私は思っている)のでとても悔しいし、勿体ないことだと思います。それでもどうしようもなかったとも思います。ご縁はあったもののタイミングが良くなかったのかもしれません。
都合が付けば写植機が欲しいという方が日本にどれだけいらっしゃるかは分かりませんが、できればそういった方にこのような写植機を使っていただきたい。その方法をよく考えていきたいと、今回の活動を深く反省しております。
2016.11.11(金) 1033 突発性難聴
【日録】(後日記録)7日頃から左耳が聞こえにくくなってしまった。
音がぼやけて聞き分けにくくなり、がやがやした場所ではその音ばかりが強調される。楽器の音色、特にピアノの音が歪んで、半音の4分の1ぐらいずれて聞こえる。そして、耳が詰まっている訳ではないのに耳に何かが詰まっているような気が絶えずしている。
今日、耳鼻科に行く時間を何とか取って診てもらった。
突発性難聴 だった。
500Hz以下の低音の感度が−30dB以下まで低下し、低い音が聞き取りにくくなっているという結果だった。物が詰まっているのではなく、内耳による難聴らしい。原因はよく分からないが、神経系統がウィルスに感染したか、ストレスによってやられているのではないかとのこと。
仕事では賑わしい所でも会話をしなければならないので、聞こえにくい耳で言葉を聞き取ろうとするのはとても神経を消耗する。会話の半分はモゴモゴとしか聞こえず、相手の意図を充分に聞き取れていないと思う。すぐ治療できるものではなく、薬を飲んでよく休むぐらいしかできないので辛い。早く治ってほしい。
2016.11.5(土) 1032 次の季節へ進む前に
【日録】(後日記録)2年前(→2014.11.1の記事参照)に見に行った、羽島市のコスモス畑を再訪。
Nikon D80・AF-S ニッコール 20mm f/1.8G ED(以下同じ)
数百メートル四方の休耕田がコスモス畑になっていて、感覚的には見渡す限りコスモスだけの景色が広がっている。前回来訪時は雨上がりで寂しい印象だったが、今回は快晴。
花もほぼ満開だった。
蜜蜂も沢山集まっていた。晩秋の蜜源は貴重なのかもしれない。
ここのコスモスは間もなく刈り取られてしまうという。低くなった昼間の太陽に照らされ、次の季節へと進もうとしている。
2016.11.3(木祝) 1031 写植機を残すということ
【亮月写植室】(後日記録)進行中の写植機引き取りについてです。
伝(つて)を辿って写植機を引き取っていただけないか打診するも、どなたも都合が付きませんでした。自分達で運び出して保管することも考えましたが、現状の写植機は埃や汚れが酷く、今回は動作を確認できた仮の保管先へ移動させたとしても次に写植機が動作する保証が全くないこと、私自身写植室の拡大は当分見込めないこと、そもそも運び出す日程を取ることができないことなどにより、この写植機は自分達で引き取ることができないことが確定してしまいました。(そのためもありこのサイトでも引き取り手を募集しましたが、問い合わせは1件もありませんでした。書体デザイナーの佐藤豊様、メールマガジン「タイプラボ・フォントNEWS」第155号で取り上げてくださってありがとうございました。)
依頼主様には引き取りを期待させておいて本当に申し訳ない思いです。写植機がどこかで復活すればという希望があったと思うと本当にむごい。そして、日本中で今すぐどうしても写植機を使いたい人は誰もいないということが分かってしまいました。勿論、引き取るには場所や金銭の都合をつける必要があり、その為には時間がかかることは承知しているのですが……。
写植機を引き取って使うには、その状態を把握することが必要です。このことについて、ある写植経験者の方は「写植機が大切にされていたかは、文字盤を見れば分かるよ」と言っていました。文字盤が綺麗に磨いてあれば、大切に使われて仕事も丁寧にしていた証であると。そういう会社に置いてある写植機は状態が良かったのだそうです。確かに私が今使っている PAVO-JV は画面以外は完動です。大きな印刷所から頂いたもので、分厚い保守点検の納品書が付いていて、大切に綺麗に使われていたのです。
今回の件はとても残念ではありますが、写植機を残すことの過程やその困難さ、何を準備すべきかや、写植機の需要のなさなどがよく分かり、今後の活動の大きな糧になりました。
2016.10.29〜30(土〜日) 1030 感謝の横浜家族旅行
【日録】(後日記録)久々の家族旅行で横浜へ。
Nikon D800・AF-S ニッコール 20mm f/1.8G ED(以下同じ)
中華街の大きな料理店。2時間かけてゆっくり味わうことができた。
かつてと殆ど同じ景色。10年以上前にこの辺りを歩いた時のことを鮮明に思い出した。懐かしく、とてもあたたかな思い出。
海の上は特別席だった。
翌日。10月末らしい景色があちこちに。私は見てるだけだけど。
新しい建物も、
古い建物も、どこか楚々としていて横浜らしいなと思う。
この二日間、両親からは至れり尽くせりの待遇だった。その力強さと有難味が、この年齢や境遇になってとてもよく分かってきた。今の自分には到底できることではない。深く感謝しています。
2016.10.19(水) 1029 心の中の指定席
【日録】(後日記録)17日の昼頃から鼻の奥と喉の間辺りが痛くなり、18日の晩には体に力が入らなくなるほど悪化してしまった。熱、だるさ、節々の痛み、鼻詰まりなど、様々な風邪の症状に襲われた。東京旅行でもらってしまったらしい。二日間の強行軍で疲れていたし、あの晩に泊まった宿ではあまり眠れなかったこともあると思う。
治る様子がなかったため、今日は休みを取って病院へ行った。
診察を待っていると、聞いたことのある名前が呼ばれた。10年近く前にとてもお世話になり、随分可愛がってくださった方の名前だ。
確信が持てずそわそわしていると、しばらくして私に近付いてくる人がいた。
「○○さんですよね? お久し振りです!」と小さく声を掛ける。間違いなかった。近況や共通の知人のことなど、話のやり取りのペースや雰囲気はかつてと変わっていなかった。懐かしい。その人でないと埋められない、心の中の指定席が埋まったような気持ちになった。
ずっと気に掛けていた方だったが、この日にこんな場所で会うことになろうとは。風邪をひかなかったら、朝一番に病院に行こうと思わなかったら、いつ再会できたか分からなかったのに。少しだけ元気が出て、気持ちの上ではとても楽になった。
PAVO-KYゆずります(終了しました) |
2016.10.17 掲載
2016.11.13 募集終了
「父が会社を廃業したのですが、建物も老朽化し取り壊すことになりました。内部に手動写植機や電算写植機、文字盤が残っています。ゴミとして捨てられる前に引き取っていただけませんか。」とのおたよりを頂きました。
そこで、手動写植機を今後使用される方・動態保存したい方等、ご活用いただける方を募集します。詳細は下記のとおりです。
〆切:(2016.11.13 募集は終了しました。)
※置かれている建物は12月上旬に解体されます
機種 写研 PAVO-KY(1989年10月製)→主な仕様
現況写真(クリックすると拡大します)
現況動画(2016年6月25日撮影)
→起動の様子(MOV形式、42MB)
→画面の様子(MOV形式、107MB)
動作状況
★本機の完動は確認できておりません。
・キー入力・主レンズ選択・縦横送り・印字キーの動作確認済。
・主レンズ・JQレンズ・コンデンサーレンズ・反射鏡は要清掃(ユーザで可能)。
・光源ランプおよび採字用の蛍光灯点灯。
・ディスプレイはやや薄暗いが点灯し、写研の方によれば明るさは調整可能とのこと。
・ 本体のバックアップ電池切れのため起動時に画面が乱れるが回避方法あり。バッテリー交換で復旧可。
・コメント1と2は正常表示。
・空印字やスポット罫線等種々の機能の動作は未確認。
・マガジン及び本体光学系の光線漏れや光軸のずれ等は未確認。
機器の所在 岐阜市中心部
その他
・譲渡希望のご連絡やお問い合わせは亮月写植室までメールにてお願いします。
・譲渡希望のご連絡を頂いた場合、現所有者に亮月写植室からその旨連絡し、その後は現所有者と直接連絡を取り合っていただきます。
・現状有姿の引き渡しとなります。必ず事前に現物をご確認ください。
・使用による傷や汚れ、約10年間使用されなかったことによる埃があります。
・印画紙及び現像用の薬品はありません(どちらも写真用で代替可・新品で購入できます)。
・文字盤多数及びキャビネットが数台あります。こちらも譲渡可能です(文字盤は亮月写植室が引き取っております)。
・機器はビルの1階の奥に設置、クレーンを入れることはできません。
・機器の搬出や輸送その他、及びそれに関する費用負担や日程等については現所有者とご相談ください。
・亮月写植室は写植機の動作や譲渡に関する一切の責を負いません。悪しからずご了承ください。
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2016.10.16(日) 1028 2年振りの文字の旅!
【文字関係】15・16日と泊まりがけで東京に行ってきました。
両日とも写植にまつわる講演が開かれるということで、「これはどうしても行かねば!!」という気持ちに駆られて上京しました。
前回東京へ行ったのは2014年9月に文字道の伊藤さんが表参道画廊で開催した「moji moji Party」。それ以降、遠方へ出掛けることがなくなっていたため、実に2年振りの催しへの参加でした。
2日間をダイジェストで振り返ってみます。
15日は阿佐ヶ谷美術学校で開催された連続セミナー『〈タイポグラフィの世界5―小宮山博史との対話〉「対話2 文字を味わう」』を聴講しました。
小宮山博史さんと『文字の食卓』の正木香子さんとの対談。
写植書体についてあれだけ話を聞くことができてとても幸せでした。読者としての写植と作り手としての写植、それぞれの見え方感じ方の違いが興味深かったです。そして、講演では滅多に聴けないであろう本音トークも!
懇親会でも、10年越しの対面、文字盤プレゼント、錚々たる方々とお話する、私自身が声を嗄らして写植について語ってしまうなど、2年の月日を埋めるような楽しい時間でした。正木さんが「今日のセミナーは亮月さんにぜひ来てほしいと思っていたんです。来てくださってとても嬉しいです!」と言ってくださってとても嬉しかったです。
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16日は午前に予定がなかったので、大塚に寄ってご本尊もとい写研の本社を外から拝見しました。
日曜日ということもあってひっそりとしていましたが、敷地の隅にある青い看板が最近作り直されたのではないかと思えるほど鮮やかでした。
本社の東にある「写研トライアルセンター」も健在。青い看板にはひびが入っていましたが……。
大塚と言えば都電荒川線。ここから早稲田駅まで乗りました。
私が乗った7000形7002。吊り掛け駆動のモーターの唸るような力強い音、発車の伝鐘の音色、車体のびびり、停車中の静けさなど、昔ながらの電車の雰囲気がたまらなく良かったので、聴講用に持ってきたレコーダーで生録音してみました。
→学習院下駅附近〜早稲田駅降車(MP3、320kbps、5分25秒、12.41MB)
早稲田駅から少し歩いて向かったのは、新江戸川公園の松聲閣。
かなり早く着いてしまったので、公園内で昼食を摂り、昨日の聴講メモを見直したり懇親会の様子を書き留めたりするなどして過ごしました。
庭園が見える和室が会場でした。ここでは、活字書体設計師の今田欣一さんが『和字書体のすがたカタチ Ⅰ・Ⅱ』と題して、今田さんが制作された書体と元となった古い書物との関係やその分類、写研の石井書体の系譜について詳しく解説されました。写植の時代の前にも当然書体はあった訳で、過去からの流れがあっての石井書体であることを知ることができ、たいへん興味深く聴講しました。
ここでも文字盤プレゼントをさせていただき、写植の文字盤を見たことがない方から写植をご存知の方までお分けすることができました。帰宅の都合で懇親会は参加できなかったのですが、帰り道が同じ方々とお話しできて楽しかったです。
2年振りの文字の旅はとても充実していました。関わってくださった方々に心から感謝申し上げます。
2016.10.8(土) 1027 もういちど光を
【亮月写植室】頂いた文字盤は、その日のうちに写植室へ運び込み、ある程度分類しました。
メインプレートとサブプレートを合わせて自分の車のトランクと後部座席にいっぱいになるほどありました。
どのような文字盤があるのかをリストアップするため、全ての文字盤に目を通したところ、非常に貴重なものがありました。
機械式手動写植機「SK-3RY」等に使用する「スタンダード文字盤」のケースに、使用頻度が少ない四級漢字の文字盤などが収められていました!
貴重なのものにも拘らず保管状況はここに書けないほど悲惨なものだったので、ケースも含めて丸洗いしました。
例によってお風呂に入ってもらい、浴槽用洗剤とスポンジでよく磨きました。(※私は一緒に入っていません・笑)
ついでに、所有していなかった書体のかな集合文字盤のサブプレートも見付かったので、まとめて洗いました。
素手で触るのが嫌なぐらい汚れていた文字盤が、新品の輝きを取り戻しました。
よく乾かし、同じく洗っておいたケースに収納し直しました。昭和30年代から40年代の写植の風情です。
幸いスタンダード文字盤をサブプレートの枠に嵌めて使用できるアタッチメントも多数頂いたので、これらの文字盤も印字が可能です。
岐阜の元写植屋さん、お譲りいただきありがとうございました!
2016.10.8(土) 1026 PAVO-KYゆずります
【亮月写植室】以前取材した、岐阜市にある廃業した写植屋さんに行ってきました。(→2016.6.25の記事を参照)
前回に引き続き文字盤を頂くということで、今回を以て全ての文字盤を運び出すことができました。メインプレートが65枚、サブプレートが877枚ありました。前回伺った時に探していなかった場所に文字盤が埋もれていて、大幅に枚数が増えました。
会社には動作が確認できた写研の手動写植機「PAVO-KY」とリョービの自動写植機(手動機の文字盤を使用する方式)「LP250U」とその入力校正機「EP220K」が複数台あります。
82歳になる社長さんは「ここにある機械は全部償還したんですよ。名古屋にも会社があるんだけど、そこだけじゃなくて全国と仕事してました。写植機はこのままにしておきますから、好きにしてくださいね。全部持っていっていいですよ。リョービは高かったよ。1500万円ぐらいしました。随分仕事させてもらいました。だから勿体ないです。これは多分使えるよ。持ってってください。」と、リョービの自動写植機にお気持ちを傾けていらっしゃいました。けれども、この機械に掛けるロール状の印画紙も、入力校正機で使う5.25インチのフロッピーディスクも、もう作られていない……。それを社長さんに伝えることはできませんでした。
社長さんから大切なことを告げられました。
「この建物ね、12月上旬に壊すことになったんです。それまでに持っていってくださいね。
2階には製版カメラも現像機も残ってます。これも処分するんです。写植機はまだ使えるから、特にリョービのはもう日本のどこにもないでしょう? だから持っていってくださいね。持って行けなかったら、建物と一緒に潰してしまうので……。」
この写植機たち、あと1ヶ月半の命かもしれないのか……。
特に PAVO-KY は生きているので何とかしたい、でも、自分は既に1台 PAVO-JV を持っていて写植室に入れることはできない。どうしたらいいのだろうかという気持ちが駆け巡り、大きな焦燥感と無力感に包まれました。
一方で、この廃墟のようになった社屋に取り残されていた写植機や文字盤は、私が見る限り長い期間使われた形跡がなく、埃を被り、書類に埋もれ、ここに書けないような状態になっているものもありました。私から見れば、全然大切にされていないじゃないか、と思うことは簡単です。しかし、ある意味で執着を離れ、価値はあるけどもう惜しくないから放っておかれ、私にくださると仰っているのかもしれません。
「もし私がいなくなっても、これ私の息子ですから、息子に全部任せますから、よろしくお願いします。今後も、建物がなくなっても、連絡してきてください。」と息子さんを紹介してくださいました。
取材当日は文字盤の搬出で気を張っていたのですが、こうして文字にしてみると、社長さんのお気持ちがとてもよく分かり、どうしようもなく寂しい気持ちになりました。
写植機たちをどうしたらいいのか。それだけで頭がいっぱいです。 |