亮月だより

●過去だより576〜595

2010.5.1(土) 20:55  595 さようなら 

 現行のこのサイト(infoseek)から書く最後の「亮月だより」になりました。

 在学していた大学のサーバから移転してきて満7年。私にとっても亮月製作所にとっても、今に至るための大きな出会いが多くあった場所でした。文字関係、音楽関係、写真関係……と、色々な人のお世話になりました。ありがとうございました。
 ここへ越してきた時は新鮮な風が吹き込む真新しい“社屋”でした。自由に使えるこの場所で何をしようかと心躍らせていました。色々な特別企画や別館を作りもしました。
 しかし、今となっては老朽化が進みきって解体を待つばかりという状態です。11年前の開設当時から変わらない内容の記事もあります。写植ファンサイトなのに写植関係の記事は増えず、情報量の少なさを指摘されたりもしました。

 亮月製作所や桂光亮月がどれほど周囲に影響を与えているのか、写植ファンとしての活動を発表してきただけの私にはよく分かりません。しかし時間の経過とともに世間の情勢が変わり、「このまま放っておいたらまずいのではないか」という気持ちが日増しに強くなりました。現行サイトには、少なくとも作った本人が納得いかない箇所が沢山出てきました。十代の学生が書いた文章がそのままでいいのか。よくないと私は思うのです。それが“老朽化”と喩えたことです。
 補修をしようにも全体を改修しないことにはどうにもならず、限界に達している社屋(レンタルスペースの容量)の中で、閉鎖と新サイト移転のために半年間取り組んできました。

 昨日、新サイトのURLが http://ryougetsu.net/ (りょうげつネット)と決まり、こまごまとした整理と最後の仕上げをしています。
 この間知人に「移転したらどうなってしまうの?」と訊かれましたが、文字関係の記事以外は殆ど変わらないと思います。見た目も殆ど同じです。また、移転と同時に現行サイトを置いているサーバ上の記事を全て消します。今月上旬に解体です。
 現行サイトを閉鎖した上で移転するといっても、本質が大きく変わる訳ではありません。少しだけ規模を小さくします(自称)が、その分濃くしたいと思っています。扱うものが「写植」であるが故、需要が多くあるとは思えませんが、新サイトは管理人も納得がいく運営をしていきたいと思っております。

 長らくご愛顧いただきありがとうございました。新サイトでお会いしましょう。


2010.4.30(金) 23:59  594 

(※今回は完全に個人的な日記です。残さずにはいられなかったこと。読みたい方だけどうぞ)

 26日(月)深夜。
 就寝したところに電話が鳴り、家族が起き出した気配を察知して目が覚めた。ただ事ではないと思った。「おばあちゃんが危ないらしい」と父。
 急いで病院に到着した時、既に祖母の息はなかった。1時15分に亡くなったばかりだった。あまりにも急で、悲しむこともできなかった。前日の昼に話をしてきたばかりだったのだ。
 すぐには通夜の会場の用意ができないということで、碌に眠らないままいつも通り仕事に行った。職場の人と会ったら気分が落ち着いた。
 この晩から3日、仮通夜、通夜、葬儀。誰もが心身共に参りそうになっていた。
 葬儀で挨拶をした父。平然と言葉を紡いでいると思ったら、途中で声を震わせて泣いた。それを聴いた参列者も皆泣いた。祖母の生前、祖母に「死ぬのは順番」と達観した事を言っていた父だが、それは悲しむとお互いに耐えられなくなるからだったのだとようやく分かった。
 祖母が骨だけになると悲しみが強く押し寄せてきた。生前いつも持っていてよく父らへの連絡に使っていた携帯電話が一緒にお棺へ入れられていたらしく、焼け焦げた基板が残っていたのを見付けて切ない気持ちになった。(※私の愛用品は、どうか一緒に燃やさないでほしい。他の人の役に立ててほしい。)
 こんなに早く亡くなるとは思わなかった、と誰もが言った。癌に冒されたとしても、薬物を少しずつ強くされて意識が朦朧としてゆく中、2〜3ヶ月をかけて闘病し痩せ細っていくのが通常だという。しかし祖母はガリガリに痩せることも会話が成り立たないようなこともないまま旅立っていった。
 丸々として艶があり、若々しいのが「□□(屋号)の○っちゃん」だという祖母の自覚と、周りの人にそうではない姿を見せたくないという強い意識があったのかも知れない。そういう意味では、祖母が苦しみながら死んでゆく無惨な姿を見なくて済んだのは良かったのかも知れない。多分私がその姿を見たら、元気な時とのあまりのギャップに耐え切れなかっただろう。
 しかしその“2〜3ヶ月”があると思い、再会できるだろうと思っていた私には、伝えられなかった思いや言葉が沢山残った。亡くなったことが「悲しい」というより「残念」と言った方が近い。もう祖母は二度と帰って来ない。だから残念である分手厚く供養したいと思う。


2010.4.23(金) 23:59  593 冗談から本気へ

 【音楽制作部】ピアノの師匠と組んで地元のライヴハウスを借りて定期的に演奏させてもらっているのですが、師匠が『みくみく☆ダイアリー』を楽譜にしたと言って持ってきました。
 冗談かと思ったら本気でした。うわー、なんかすっごく照れくさい! せめてタイトルは格好良く変えておきたかったのですが、そのままで披露されてしまいました(笑)。コード進行が意外と曲者で、自分で弾くのはかなり難しかったです。
 という訳で、師匠が代わりに弾いてくれました!

 →『みくみく☆ダイアリー in Bossa』(MP3/192bps、6.3MB)
 作曲:桂光亮月 編曲:市川清
 Piano:市川清 Bass:浅井憲光 Drums:渡辺ヒロスケ
 録音:Hi-MDウォークマン MZ-RH1、マイクロフォン ECM-MS957、Hi-SP録音

 自分の曲じゃないみたい! というのが率直な感想です。自作の曲を生で演奏してもらう機会は今まで一度もなかったので、たぶん作った本人が一番感動したと思います。原曲は未完成なのに、こんなに出世して……(違う)。
 作者よりも演奏者の方が本気で、明らかにオーバースペック(?)です。勿体ないぐらいです(本当にありがとうございました!)。これが自分で弾けるようになったらどんなにいいだろうと思いつつ、細々と音楽活動に励みたいと思います。


2010.4.18(日) 23:30  592 新陳代謝

 妹が8月の結婚に備え部屋を片付けていたら、私の物が見付かったと言って色々と置いていった。
 写植関係の資料の置き場にも困っている状況だったので、ついでに自分の部屋の整理をしたら、使わないものや持っていても仕方がないものが沢山発掘された。具体的には、昔はまっていたアニメ・ゲームグッズの死蔵品……。

 今日は天気がよかったので、サイト再建作業の気晴らしも兼ねて名古屋へ。肩掛け鞄にモノを詰め、1メートル四方の大きな紙袋一杯分も持って売りに行った。
 1時間の順番待ちののち、全部で1300円と言われた。2000年代後半のものしか値がつかなかった。人から貰ったけど使い道がなかった抱き枕(500円×2)、某ソフトのTシャツ&リストバンドセット(200円)、某店でタダで貰った整理ボックスのようなもの(100円)。値段の付かなかったものは引き取ってもらった。査定0円かと思っていたので、えらい思いをして持ってきた甲斐があった。鞄が文字通り空になり、気分も軽くなった。
 査定待ちの時間に他の店を梯子して、eufoniusや霜月はるかさんの新作(ジャケ絵が秀逸)、『かみちゅ!』のDVDやら東方projectの同人誌やらをうっかり買ってしまったが……。それでも体積は10分の1以下だ(そういう問題ではない)。

 死蔵されていたのは人生の半分前から2000年あたりまでのものが大半。好きでたまらなかったんだよなぁ、自分の歴史なんだよなぁ(大袈裟)と思うけど、今の自分に合わなければ取っておいても仕方がない。
 自分は意外と飽きっぽいことにようやく気付いた。その中で長く付き合える「好きなもの」と出会って、あとは新陳代謝していくしかないんだな。そうして厳選されたものだけが、製作所内(自室)にある。
 今回の死蔵品の大量処分は長年の懸案だったので、自室も気分もとてもすっきりした。ものを買う時はもっと長い目で見よう……って無理だな。人間は絶えず変わりゆくものだし、その時出会う必要があったものがあるかも知れない。


2010.4.16(金) 23:59  591 拭ききれない雨

(※今回は完全に個人的な日記です。残さずにはいられなかったこと。読みたい方だけどうぞ)

 13日(火)、祖母が入院した。
 翌日父がお見舞いに行ったとき、話をしている途中で突然呂律が回らなくなったらしい。すぐに治療してもらったというが、小さな脳梗塞だったらしい。

 16日(金)。冬のような冷たい雨。仕事帰りに病院の祖母の部屋に寄った。
 ベッドに寝かされていた祖母は会話はできるものの口調は弱々しく、左手があまり動かなくなっていた。従兄弟のDちゃんが看病に当たっていた。
 祖母とは文化系の趣味(祖母は俳句と書道)でよく話をしていた。俳句の雑誌に載ったことを度々話してくれた。先週の日曜日に祖母が私の家に来た時も全国誌に載ったから見てほしいということだった。一緒に家の前の桜並木で花見をした。「この桜とも今生の別[こんじょうのわかれ]かもしれん」と言って次々に俳句を詠んでいたのを思い出した。「俳句は日記と一緒」と祖母は言っていた。
 1ヶ月前に祖母が書道の作品を見せてくれたときに撮った写真が現像から上がってきたので、プリントを手渡した。「美人に写っとるわ」「撮った人が上手いもんで」なんて冗談が交わせる。元気だった頃と何も変わらない。見せることができてよかった。
 写真を撮った日に祖母が貸してくれた、戦死した若い画学生達の遺作の絵画が展示された美術館「無言館」の図録を読み終わったので返すため持参したら、「ええ本やったやら。旅行で行った時誰も買わなんだけど、おばあちゃんだけ買ったんやよ。あげる。形見や。」と祖母。
 この本を読んで、毎日を精一杯やり切ることの大切さや生きていることの有難さ、戦争に対するやり切れなさを感じたということを伝えたかったが、子供の頃からずっと、自分の思っていることの僅かしか言葉にできない私には「ありがとう」としか言うことができなかった。もっと伝えたい、話したい、と思っていても、どうしても言葉が出てこない。こんな大切な時に……。
 仕事帰りだったこともあって私はスーツを着ていた。多分祖母には初めて見せたスーツ姿。「立派な孫になってくれて嬉しい」と祖母。堪らない気持ちになった。
 帰り際、祖母に「○○(本名)ええ人が見つかるようにおばあちゃん祈っとるで。死んでも祈っとるで。」と言われ、思うことを言葉にしようとすると目から何かが出てきそうで、Dちゃんの居る手前「ありがとう。また来るでね。」と言うことしかできなかった。
 病院を出ると雨脚は強まっていた。車のワイパーが拭ききれないのか、それとも他の理由なのか、車窓の風景はうまく見えなかった。

 17日(土)。家族で病院へお見舞い。
 祖母は昨日よりも元気そうだった。喋りが弱々しいと感じたのは、半分は入れ歯を外していたのが原因だった。
 同年代の人達よりも若々しく、つい最近まで自分で歩いていた祖母からしたら、左手が自由でないことはさぞ悔しいことだろう。「□□(屋号)の○っちゃんはもうお終いや」と言っている。街の中心にある店を何十年も切り盛りしてきた誇りと、そこから想像できなかった現状だからだろうか。
 それでも看護士さんのお世話にならざるを得ない。彼女たちは小さな子供をあやすかのような口調で祖母に話しかける。私にはそれが何だか遣り切れなくて、「祖母はそんなんじゃない(精神的にはしっかりしている)」と思った。私だったら嫌だ。あるいは年を取ったらそういう話しかけられ方の方が良く思うようになるのだろうか。
 誰もが順番に老いていなくなってゆく。それが世の理である。しかし周りの人達がしているように、私には達観することができない。全身で受け止めて辛いと思い、残念がることしかできない。寧ろ、残念がりたいのかも知れない。


2010.4.11(日) 23:40  590 全力投入

 昔のテレビコマーシャルについて調べていたら、「スキャニメイト」というアナログCGのシステムを使ったCMをたまたま見付けました。単色の映像がうにょ〜んと変形するアニメーションがとても懐かしく、他にスキャニメイトを使った作品はないかと探してみました。
 それで発掘し、衝撃的だったのが、『カリキュラマシーン』という日本テレビが1970年代に放映していた教育番組です(放映当時私は生まれていない)。
 スキャニメイトをフル活用し、目にしみるような極彩色が高速で変化するオープニングはテーマソングも格好良く(児童合唱団にスキャットさせている)、当時すごく新しかったんだろうなと興奮しました。
 番組の内容は幼児教育の衣を着せたナンセンスギャグの応酬(逆か?)で、朝に子供が観るものか? と不思議な気持ちになるシュールさや毒々しさにまず目が行きましたが、数の数え方や五十音、鉛筆の使い方といった幼児教育の基本について太い筋が一本通った丁寧な説明が必要な時にされていて、このギャップが面白くてあっという間に惹き込まれてしまいました。
 キャストは非常に豪華で、宍戸錠、常田富士男、藤村俊二、桜田淳子、岡崎友紀といった私でも知っている人達がバカバカしくもためになるコントを全力で繰り広げています。時折挟まるアニメーションも、宮川泰による挿入歌も一度視聴したら心に残り、全く手抜きがありません。
 30年以上前に大人たちが全力で作り上げた作品は、“未来”に大人になった私が観ても陳腐だと感じることはなく、むしろ自分に子供ができたらぜひ見せたいと思うものでした。
 普段なかなか100パーセントの力を投入する機会はありませんが、この番組がそうであるように、何かを全力で取り組むことの大切さを教えられたような気がしました。
 亮月製作所は写植ファンサイトの再建……というよりは、もっと本気になって、写真植字の研究という領域に入ってもいいかも、と発奮させられました。

 新規記事の作成が一通り終わり、「書体のはなし」の記事をゼロから書き直していますが、少し書く度に資料を参照しなければならずかなり骨が折れます。推敲を含めると1書体で休日が半日潰れます。本気とはこういうものなのか。


2010.4.4(日) 23:52  589 岡崎桜だより

 東海地方はこの土日が桜の満開の時期なので、桜の名所に出掛けてみました。
 愛知県岡崎市「桜まつり」。

 岡崎を訪れるのは初めてでした。このごろは殆どの土日をサイトの再建作業に費やしていたので、よい気晴らしになりました。最近お留守になっていた写真機(Nikon D80、CONICA C35)をお供に。
 岡崎城から東、乙川沿いに数えきれない程の桜が植えてあり、見たこともない程長い桜並木に感動しました。

岡崎城と桜
(以下すべてNikon D80+タムロンAF 17-50mm F2.8で撮影)

 岡崎公園には立派な岡崎城があり、神社も併設されていてとても賑わっていました。桜の植栽は少なめでしたが、このような撮影ポイントに人が群がっていたので桜との組み合わせで撮ることができました。

乙川と殿端

 岡崎公園から東を目指すと、菜の花畑の土手が迎えてくれます。この黄色いラインに導かれて視線を移すと、乙川には屋形船。その向こうには昭和2年建造の美しい「殿橋」があります。

殿橋と桜・菜の花

 殿橋は片側2車線。昭和初期にしては非常に立派な橋で、親柱は綺麗な状態で残存、橋脚は補強工事がされるなど、岡崎の人々に愛されている様子が伝わってきました。

乙川でひと休み

 河原にはコンクリート製の段が設けてある場所があり、ひと休みできるようになっています。なんだかとってもいい感じ。

桜と菜の花

 殿橋から東は桜と菜の花が密集していて、淡い色の桜と鮮やかな黄色の菜の花との対比が美しかったです。

 日が傾く頃、西陽に透ける桜越しに岡崎城を観て今日の桜見物は終わり。
 昭和40年代で時間が止まっている名鉄東岡崎駅に心惹かれ、ここから電車で帰りました。長く歩いたので車中ぐっすり眠れました(笑)。
 思いつきで急遽午後から訪れたのですが、とても充実した時間を過ごせました。

サイト閉鎖・移転について」のお知らせを掲載しましたので、ぜひご一読ください。


2010.3.27(土) 23:59  588 発破をかける

 サイト移転のための記事作りは一向に先が見えず、挫けそうな管理人です。
 毎日記事作りしかやってませんが、近況報告を。(って、更新が終了したサイトを定期的に覗きに来る人がいるか分からないけど)

 21日は学生時代の友人との飲み会と習っているピアノの発表ライヴが重なってしまい、「じゃあ会場まで送迎する」ということになった。聴かせる腕ではないけど……。付き合ってくれてありがとう。
 で、何とか発表が終わって帰ろうとしたところ、所属の写真サークルのRさんとMさんが最前列に! 知らなんだ!「よかったよ〜」なんて言ってくれたけど、最初から居たことが分かって緊張で全身震えた。楽器の上手い人に聴かせるのは心苦しいよ。
 この晩は学生時代の友人にお世話になった。うち一人が恋の病にかかっていてまるで(自粛)ようだったり、翌4時まで“人生最大の問題”について語り合ったり……。我々はまだまだ若いと実感(?)。

 この友人たちに貰ったり自分で買ったりした本。

最近買った本。
左上から:永江衣玖合同本『FEVER』、アリス=マーガトロイド合同本『Alice』
雉子捏造『同人作家のためのフォントの本4』、大沖『まとめ』

 上2冊は私の趣味なのでアレですが、右の『Alice』は絵もさることながらデザイン処理がとてもいい。文字にまみれて十ウン年の私が言うのは実に情けないことですが、サボってきてしまったことなので、見習いたいと思います。
『まとめ』は大沖氏の過去の四コマ漫画の総集編。この人の作品は初見でしたが、可愛らしいデフォルメと言葉遊びのようなネタがツボでした。妹に読ませて布教。
『同人作家の〜』はいつも友人が“祭典”で買ってきてくれるもの(全号持ってます)。今回は「ゆず屋」の山王丸榊さんとの対談があり、興味深くて面白かったです。通常の記事も情報量が多く、いつも(どんな人なんだろう……すごいな)と思いながら読んでます。私は書体についてこんなに語れんよ、多分。お二人を見習いたいと思います。
 というわけで、色々なところから発破をかけてもらっていますので、へこたれずに励みたいと思います。

 (追伸)しまった! 25日に游ゴシック体が全ウェイト揃ったのにスルーしてまった! 近いうち1ウェイト買います。


2010.3.15(月) 23:20  587 なにごと?

 【音楽制作部】土曜日に某動画サイトへ投稿した作品の閲覧数が1日でえらい事になっていたので何事かと思ったら、「生放送」の中で“世界の新着動画”として(無作為に選ばれて)紹介されていたようです! かなりびっくりしました。川のように流れるコメントを見て手が震えました(笑)。
 初音ミクに昔のCMソングを歌ってもらい、私もリコーダーで参加している動画なのですが、コメントを見る限り好評だったようでとても嬉しいです。
 某動画サイトでは全く見ず知らずの人が視聴する訳で、こうして自分の作品に対しての客観的で率直な感想を知ることができてとても励みになりました。コメントくださった方ありがとう!
 よっしゃー! また新作作るぞー!


2010.3.12(金) 23:59  586 写植機修理の現状

 【写真植字】写植レポート番外編。小ネタ(?)です。
 7日、「写研の手動写植機を修理できる所はありませんか」というおたよりを頂きました。
 私にはそういった伝がないので、知り合いの写植屋さん等に聞いてみたところ、写研サービスOBの方に修理してもらっているとのこと。連絡先を教えて頂き、その方に直接尋ねてみました。以下、電話でのやり取りから差し支えなさそうな範囲で記録しておきます。

 手動写植機の修理の現状として、古い機種については写研にも部品が残っていないそうで、「一度実際に見てみないと直せるかは分かりませんが、もし部品交換が必要な場合、修理はできません」とのことでした。特に操作パネル等の電子制御部の挙動がおかしい場合は難しいそうです。最後の機種PAVO-KYの生産終了からも10年以上が経ち、この機種でも部品がある範囲でしか修理できないとのことでした。
 ただし、写研本社に修理の担当者が若干名残っておられるそうなので、まずは写研に電話して担当者に話をしてほしいとのことです。

 現在亮月製作所では写植機の歴史をまとめ中ですが、電子制御化によって機能が飛躍的に向上したという輝かしい面が、後年になって維持に支障を来たす原因になっているというのが皮肉で遣る瀬ないです。
 SK型やSPICA型の中期まで、あるいはPAVO-J、PAVO-8といった機械式(電子制御でない)の写植機であれば修理は比較的しやすいと思いますが、これらの機種はそもそも殆どが廃棄され残存していません。
 活版印刷よりも写植が先に消えてしまう、なんて冗談めいて言うことがありますが、それは本当のことなのかも知れません。

 左手の親指にできたささくれを引っ張って取ったら赤く腫れ出して?疽[ひょうそ。ひょうはヤマイダレに票]になってしまい、先日外科で手術をしてもらいました。
 手当の時の麻酔がめちゃくちゃ痛かったのは一時のこととして、親指の自由が奪われた生活はとても不便です。
 私は右利きですが、物を取ったりつかんだりする(財布のお金、ドアノブ、携帯電話のボタン、書類等々)のは殆どが左手だったようで、右手で同じことをしようとするとうまくできません。普段無意識にしていたことがここで明らかになって、初めて左手の有難味を知りました。
 実は?疽は1年振り2度目の経験なので、ささくれは絶対に手で取らずに鋏や爪切りで切るよう心に誓いました……。

 最近の落描きから。

ジト目のさとり

 相変わらずの古明地さとり。アホなコメントを残してますが、リハビリの一環で好きなキャラを書いてるので許してやってください。(許さん。)


2010.3.6(水) 23:26  585 うさぎとかめ

 1月16日付の投函で取り上げた「赤りんご」さんの同人誌『0』(LOVE)と、あるイベントで配布されたというショッパーバッグを入手しました。
 初めてこの絵描きさんのイラストを見た時、あまりの上手さに体調を崩すほど衝撃を受けたのですが、それ以来すっかりはまってしまい中古で作品を探し求める日々です。

az+play『0』とショッパーバッグ

 繊細で細やかな作画と絶妙な色彩感覚がこの上なく好きです。そして媚びを売らない絵柄が実に素敵です。やっぱり私に“萌え”は合わなかったみたい。
 友人にこの本の表紙を「いいでしょ!」と見せたら、「この人はきっと美術系のグラフィックデザイナーに違いない」と言う反面「このアリス、三段●でむっちりしてる」ととんでもない感想が。

むっちりアリス?

 確かに彼の描くキャラは生々しいから私もちょっと思ったけど、アリスが三●腹の筈はないっ! ただの服の皺だっ!(←アリス好き)
 私が買った時は定価の倍以上という値段がついていましたが、そのぐらいの価値はあると思います。“その界隈”ではトップクラスの絵描きであるなんて最近まで知らなかった体たらくですが……。「ここまで辿り着ける筈」なんて以前書きましたが、ホントにできるんでしょうか!?

 ここからちょっと真面目な話です。
 ノートに14年間書いてきた日記がかなりの重荷になっていたことが最近分かり、去年の3月付で1年分溜まってしまったので日記を付けるのを止めました。
 日常をビデオカメラで撮ったようにはっきり甦らせられるので面白かったのですが、読み返すことがなくなり、手帳に要点を記録するようになったので役目を終えたと思ったのです。
 亮月製作所が10年間“昼寝状態”だったのは日記にかなりの時間を割いていたからというのが一因で、日記を書いていなかったら今頃は絵も音楽も……と思うのですが、「若い時代は一度しかないから記録しておく」と考えた中学3年の自分は間違ってなかったように思います。年齢が進んでしまった今だから思える。
 若いからこそ出来ることが沢山あったでしょうし、これから好きな事を存分にやってその“失われた10年”を取り戻せるかは分かりませんが、時間を大切に大切に、丁寧に生きていくしかないと思っています。
 この人の絵を見て気持ちが足下から揺らいだのです。私はきちんと生きているのか? と。

 【写真植字】備忘録。サイト再建作業は第2段階の1項目目が大体終了。2+3項目目を同じ数だけ作って、レイアウトを決める。そのあと第3段階へ行きたい。第4段階と引き継いで掲載する記事のチェックが終わったらサイト閉鎖・移転……
 というわけで、先はまだまだ長そうです。このごろは写研の発行物など根拠のはっきりした資料が集まってきて、少しずつ写植の歴史が分かってきました。今まで写植を知らなすぎたまま放置してきたのは恥ずかしいことですが、移転を機に充実させるつもりです。入手困難な資料なのでただのコレクションとして死蔵するのではなく、サイト上で広く還元できたらと思っています。移転が終わったらまた「閲覧会」もやりたいな〜。
 たぶん、今年の前半にここを閉鎖して新しいURLに移転すると思います(目標)。
 毎日写植とサイト移転のことで頭がいっぱいなのは幸せなことですが、やっぱりそれだけでは息が詰まるので、並行してこっそり某動画サイトに作品をアップして気晴らしをしてます。見かけたらご笑納ください。


2010.2.24(水) 23:59  584 ほかほか

 ここ2日間はとても暖かかったですね。
 上着なしで外を歩いたり、オオイヌノフグリが咲いているのを見付けたり。
 このまま春が来るのかな〜などと思ってしまいます。
 この期待感のようなもの。まだ見ぬ遠くのものに思いを馳せ、それの周りやこれまでを想像したくなる。全てを知りたくなる。うまく言葉に表現できないけど、そんな感じ。
 これってまさか、○○!?(当たらずとも遠からず)

 【写真植字】サイト再建用の記事作りの第1段階目が終わり、一休み。
 とは言っても記事を作れるだけの情報がまだ足りないので資料集めに励んでいます。以前紹介した伝記以降に入手したのは……
『写植タイムス〔縮刷版〕』創刊号(1971年8月)〜第30号(1974年1月)
『写研』21、22、25、28、29(1970〜1973年)
 これまで聞いたこともなかった話題が事細かに載っていて驚きの連続でした。スピカQDに新聞用の機種が存在するとか、現行の石井ファンテールは戦前にデザインされたものを改刻したもので1971年の新書体扱いだったとか、SK-3RYの文字枠の微調整方法の詳細とか……。興味深い話が数えきれないほど出てきてえらいことになってきました。
 紙面のデザインが年を追うごとに少しずつ洗練されていく様子を見ているだけでも面白いです。


2010.2.20(土) 20:34  583 ほくほく

 左眼の近視矯正手術(レーシック)を受けてから1年経ったので検診に行ってきました。
 この1年、ものすごく見える日とぼんやり見える日が気まぐれにあって大丈夫なのだろうかと不安になりつつも、日中は遠くの山の木の枝の形まで判るのでさほど近視化はしていないだろうと思っていました。
 結果、両眼とも視力1.5、度数+0.75Dのやや遠視とのこと、院長先生からも「角膜の変形はなく、度もちょうど良い所で落ち着いていますね」とお墨付きをいただきました。
 日常で見るものが全てはっきりと見えるのは気持ちがいいものです。レーシックはまだ完成された医療技術ではなく、私の場合は運が良かっただけなのかもしれないので万人にはお薦めできませんが、術後の手入れや眼の負担軽減(近接用の眼鏡を作る・極力パソコンを使わない←時間を有効に使う)をしっかりすれば(少なくとも1年は)手術の恩恵に与れるようです。今後も実験台として(?)レポートしていきたいと思います。

 【イラスト制作部】コピックスケッチ(カラーマーカー)を買い足しました。

所有コピック全景
コピックレインボー☆
Nikon D80・タムロンAF 17-50mm F2.8・絞りF2.8開放(以下同様)

 数年振りの買い足しです。売り場で欲しい色を見定めて手に取っていく時、10年前に初めてコピックを買った時のようにわくわくしました。「あの絵のこういう時に使えるな」なんて想像するのです。
 欲しかったのは約20本。レジへ持って行って精算すると8000円強……。しまった、1色400円だった。学生だった頃、少ない日用費の中から捻出して本当に必要な色だけ2本、3本、と買い足していった“高級画材”だったのです。
 イラストを描く人が殆どデジタルに行ってしまったのは画材代が初期投資(ソフト+ペンタブレット)だけで済むからなのだろうかと思ってしまいます。しかも最近は無料のソフトがあるという。
 今私が持っているコピックスケッチは123色。それだけ沢山持っててあれだけの画力というのはコピックに申し訳ない。デジタルで描く気は当分ないので、どういう風に彩色したいかをよく研究し、それに向かって精進したいです。
 こんな動画を見ると、同じ画材を使ってるのに……と泣けてきます。

 逆にこれだけすごいのを見ると、表現したいものがはっきりしていれば画材は手描きでもデジタルでも関係ないのだろうなと思います。多分色数が足りないんじゃないんだな、私の場合は。

 友人宅でお菓子作りの巻。

ヌガティーヌとチョコレート菓子各種
ヌガティーヌとチョコレート菓子各種

 今回挑戦したのはヌガティーヌという木の実類を刻んだものを水飴で固めたもの、チョコトリュフ、いわゆる生チョコ、ガトーショコラの4種類。とは言っても私はアシスタントでした……。
 人にあげるため大量に作りましたが、部屋中にあま〜い香りがたちこめて幸せな気分になりました。友人の下ごしらえも含めると午前に作り始めて夕方に完成。分けてもらったら市販のものよりも美味しかった☆ きっと材料以外のものも沢山込められていたのでしょう。

 お礼に、行きがけに買っておいたぬいぐるみをプレゼンツ。(←唐突)
 友人兄弟が好きだという東方Projectのキャラ・八雲藍[やくもらん]と橙[ちぇん]。

ふにふにぬいぐるみ八雲藍・橙
ふにふにぬいぐるみ 八雲藍・橙

 大須へ行った時に店頭で見かけ、あまりに可愛すぎるので買っちゃいました。はじめ藍だけにしようと思いましたが、式神の橙が寂しがると思った(事情は各自調べていただきたい)ので一緒に。
 それで兄弟に1匹ずつプレゼントしたら、一緒に布団に入って寝たり股に挟んだり(笑)してとても喜んでくれました。
 藍は九尾の狐ということで、前々から「沢山ついたふわふわのしっぽに埋もれてみたいね」などと話していたので、こういう立体物はとても嬉しかったようです……というか、私も一度触ってみたかった!

ふにふにぬいぐるみ 八雲藍のしっぽ

 しっぽが9本も生えているのは何とも不思議な造形ですが、触っているとえも言われぬほんわかした気持ちになりました。


2010.2.8(月) 23:57  582 写植伝記3冊

 サイトの更新を休止して以来、写植の勉強をゼロからしようと資料集めに励んでいます。
 先週は石井茂吉・森澤信夫各氏の伝記とも言える書籍を古書店から取り寄せました。
『追想 石井茂吉』(1965年4月5日写真植字機研究所発行)
『石井茂吉と写真植字機』(1969年6月写真植字機研究所発行)
『写真植字機五十年』(1974年7月24日モリサワ発行)
以上3冊です。

石井茂吉と写真植字機ほか

『石井茂吉と写真植字機』 が最初に届いたので一日かけて読破しましたが、拙速を嫌い慎重かつ着実に写真植字を発展させてきた石井氏の人柄を見ることができました。寡黙な中に最後までやり通す意志の強さがあり、三恩(親の恩、師の恩、隣人の恩)を重んじた石井氏の人生を振り返った本書の読後感は爽やかなものでした。

 一方『写真植字機五十年』は“機械のモリサワ”らしくオフセット印刷や写植機についても多くのページを割いて解説しています。伝記部分は、写植の発明者であることを誇りに思う森澤氏が力強く描かれ、時には共同発明者の石井氏について罵倒せんばかりの表現もされています。『石井茂吉と〜』と同じ場面もありますが、それぞれが正反対の記述をしていることがあり(但し石井氏側が森澤氏を否定するような文章はごく少ない)、同じ物事でも見る人が変わるとこうも違うのかと驚かされました。

 また、出色だったのは多くの関係者の追想録『追想 石井茂吉』でした。
 本書を通信で購入する際、「ソノシート付」となっていたので何だろうと思っていました。発行年からして『写植のうた』ではなさそうだとは思っていましたが……。

『追想 石井茂吉』付録ソノシート

 何と、石井茂吉氏が1960年3月6日に菊池寛賞を受け、NHKラジオ番組『朝の訪問』に出演された時の放送インタヴューから抜粋したものが収められていました!
 幸いレコードプレイヤー(YAMAHA YP-D5)を常備しているので、バックアップのためメタルテープに録音しながら聴いてみました。
 石井氏は優しい語り口調で写植の仕組みや“石井文字”への取り組み、書体の効果などについて語られています。まさか石井茂吉氏の肉声が聴けるとは……感慨無量です。
 このソノシートは通常のそれより一回り小さく、私のセミオートプレイヤーでは後半にさしかかると進まなくなり再生がうまくできません。現役でマニュアル式のプレイヤーを使っている方、どなたかいらっしゃいませんか……。
 デジタル化して配信するなどは権利関係をクリアする必要がありそうですが、できることなら多くの人に聴いていただきたいような現代にも通じる内容でした。


2010.1.31(日) 23:01  581 おかえりの場所

 昨日は所属の写真サークルの写真展の打ち上げに行ってきました。
 まずはRさん、Kちゃん、Tさん、私の4人でカラオケへ。カラオケ自体が半年振りぐらいでこのメンバーでは初披露でした。
 “お題縛り”で選曲。ジャニーズ、ラップ、アニソン、90年代(なぜか小室ファミリー限定になった)、アイドル、デュエットなどなど。ラップはよう知らんので歌えんよ(泣)。でも石川ひとみ『まちぶせ』と藤谷美和子・大内義昭『愛が生まれた日』で挽回しました(笑)。『愛が〜』があんなに気持ちよく歌えたのは初めてだった。Tさんありがとう! みんなのレベルの高さに脱帽。
 続いてRさん邸で打ち上げパーティー。Nさん夫妻とMちゃんも加わり、仕事途中のMっさんも駆けつけ大所帯に。Rさんが最近買ったという角形の火鉢を囲んで、おでんと焼き餅の夕食でした。鍋をつつき、火鉢の炭火をおこし、ほのぼのと更けてゆく昭和のような夜。“欽ちゃんファミリー”ならぬ“Rファミリー”という感じ♪
 家に来た人に「おかえり」と言ってみたり、「おかーさんごはんまだー?」と言われたRさんはお母さんのように振る舞ってみたりして、いいな、あったかいなと思いました。
 食事の合間には例によって即興で合奏が始まります。思い思いの楽器を手にして、合いの手を入れたりして。今回はいつもに増して燃え、暖房が要らないぐらいあつくなっていました。カラオケのあと歌の仕事に行って戻ってきたTさんがそれを感じ取るぐらいに。
 宴の後半はまったりモードで、お酒が入っていたこともあり帰らんでもええかな〜と思ってしまったり。誰かが「こういう時間がとても幸せ〜」って言ってた。そうだよね。

 年末に買ったにも関わらず前ピンでカメラごと入院していたレンズ「タムロン SP AF17-50mm F/2.8 XR Di II」がこの日に帰ってきました。F2.8通しの明るいズームなのに純正品の4分の1以下の値段というすごいレンズで、前々から気になっていたので買っちゃったのです。
 早速昨日の打ち上げで撮ってみたらジャスピンに直っていて、ピントが合った所はとてもシャープです。そして背景が大きくボケる。これを待っていました! それにトップ写真のようなごく暗い場面でも手持ちで撮れてしまうのでありがたいです。
 社外品なので気まぐれで露出がオーバー気味に撮れたり色調が転んだりしますが、コダックのフィルムで撮ったときのようによい方向の味になるのでこのレンズの癖も私は気に入りました。
 しばらくはカメラに着けっぱなしにすると思います。もーこれで充分! 他のレンズは買わないっ!(と言ったらRさんに「いや〜また買うんでしょ?」とツッコまれた……レンズ沼突入決定?)
 打ち上げは人ばかり写っているので、手近なもので試写。

figma博麗霊夢
figma博麗霊夢

Nikon D80・ISO 320・絞り優先AE(絞りF2.8開放・1/30秒)

ねんどろいど博麗霊夢・霧雨魔理沙・figma博麗霊夢
ねんどろいど博麗霊夢
同霧雨魔理沙
Nikon D80・ISO 1600・絞り優先AE(絞りF2.8開放・1/13秒)

 あまりに可愛いのでうっかり予約して買っちゃいましたが、世間では品切れでプレミアがついているようですね。魔が差しておいてよかった(?)。figmaもねんどろいども可動式で色々なポーズをつけられるので、絵の勉強にもなるし(←こじつけ)。


2010.1.28(木) 20:00  580 マイナスの位置

 日の入りが少しずつ遅くなり、夕方が明るくなってくると、春が近付いているのかなあなどとわけもなく期待感が湧いたりします。
 こちらでは池が凍る日があったり冷気で目が覚めたりするなどまだまだ寒い時期は続くわけですが、この期待感をエネルギーにして何かしてみたくなります。
 サイト再建作業は順調に進んでいますが、それに必要な記事の数が現行サイトの記事数と比べてかなり多く、なかなか先が見えないところです。でも文献を確認しながら纏める作業はとても楽しいです。
 それに加えて曲を作りたくなったり絵を描きたくなったりするので、そちらも真面目に(?)取り組んでいます。
 毎日何かしらの活動をするのは今迄には考えられなかったのですが、サイト再建は自分の中である程度締め切りを決めているし、何か作りたいという気持ちは膨らむ一方だし、最近のテレビは見るものがないしでこのような生活サイクルが定着したようです。毎日少しでも「前進した」という気持ちを持って布団に入るとよく眠れます(そして早朝に寒さで目が覚める……)。
 いいなと思う絵や音楽を作る人とか文字関係の活動で成果を挙げている人を見て羨ましく思うことがよくありましたが、こうして時間を大切にして活動することがそれに繋がっていくのではないかと信じています。
 今はまだマイナスの位置からゼロに向かうところなのです。


2010.1.24(日) 18:18  579 これはいける!?

 今使っている MacBook Pro 15" 2.2GHz の動作が緩慢なので、思い切ってメモリを増設してみました。
 アップルの仕様では4GBまでとなっていますが、ネット上を探してみると6GBまで増設・認識可能だと判り、折角なら限界までやってみようということにしました。「Vintage Computer」で21,800円也。

6GB増設成功!

 ちゃんと認識した! ばんざい!
 今までの2GBの状態で特に動作が重かったアドビ製のソフトがきびきび動くようになり、増設したなりの効果があったようです。
 けど先代の iBook/600 が快適に使えていたのを思うと、OSやアプリケーションがハードウェアの進化以上に肥大化しているんじゃないかと思ってしまいます……。

 【音楽制作部】たまたま聴いた『日本海みそ』(キダ・タロー作曲)のCMソングにいたく感動し、初音ミクに歌ってもらいたい衝動に駆られて耳コピーで作ってしまいました。
 1970年代の作品と思われるので私には楽にコピーできました。GarageBandで鳴らしてもすごく和風な雰囲気が出て、「これはいける」と思いました(何が)。ミクの扱いにも慣れ、短時間で違和感なく歌わせられるようになりました。制作4時間。
 しかし手持ちのGarageBandにはリコーダーの音源がないので、やむなく自分で吹くことに(笑)。

録音機材

 上からGarageBandが動作しているMacBook、白いソプラノリコーダー(ヤマハYRS27III)、焦茶色のアルトリコーダー(アウロスNo. 209N)、ステレオマイク(SONY ECM-MS957)。隅に誰か居る。
 先の写真サークルで中学時代のアルトリコーダーを持参して以来リコーダーにはまってしまい、とうとうソプラノリコーダーを買ってしまいました。小学生が使う1200円ぐらいの安いものですが。
 しかし伴奏に合わせて正しく吹くのは実に難しいです。楽器の演奏が苦手だからコンピュータで曲を作るようになったとはいえ、リコーダーぐらいはマスターしたいです。

 年末に買ったタムロンのF2.8通しズームレンズ「TAMRON SP AF 17-50mm F/2.8 XR Di II LD」 が前ピンでD80ごと入院し、デジタルで撮れるのは31万画素の携帯電話(DoCoMo N600i)しかない状態です。早く戻ってきて……。


2010.1.16(土) 13:00  578 起点・終点

 【写真植字】モリサワの機関誌『たて組ヨコ組』55号(2000年12月28日発行)を入手しました。

たて組ヨコ組表紙

 たて組側は『聞き書きデザイン史』として、グラフィックデザインについて大御所デザイナー5人にインタヴューしたものが収録され、全56ページ(たて35、ヨコ19)という薄い冊子にも関わらず文章・図版とも豊富でたいへん読み応えがあります。
 ヨコ組側ではこの年4月27日に100歳で亡くなったモリサワ創業者・森澤信夫氏を悼み、森澤氏の人生、すなわち写真植字の歴史を振り返っています。

たて組ヨコ組55内容

「機械のモリサワ」と言われた同社側の視点から見た写植史は、写研側からの研究を進めている私にとっては新鮮でした。森澤氏自ら開発の現場の先頭に立ち、新しい技術を柔軟かつ精力的に受け入れ、常に写研の一歩前をゆき写植機を発展させてきたという自負が感じられました(大袈裟に言えば、モリサワという会社の印象が変わった……勉強不足を痛感した)。
 同社が開発した写真植字機が殆ど網羅されているので、一昨年手に入れたカタログとともに詳しく纏めてみたいです。

 【イラスト制作部】今年の年賀状の一人反省会。(ここから敬語なし)
 背景では初の試みが大体達成されたけど、最後の最後、ボブ子さん(仮名)の頭部の彩色をしたら何か違和感があったのでどうしたものかと思った。

ボブ子のどこがマズかったのか?

 取り敢えず「こう描きたかった」見本を描き、年賀状との違いを検証。そういえば描いた絵の反省会って去年の夏(イラスト制作部→KM 1)まで一度もやったことがなかった。「どう理想に近付けるか」について考えることをしてこなかったのは痛い。こうやって検証してゼロから積み上げていくしかないか。

 最終的にはこのぐらい描けるようになりたい。

博麗神社例大祭ポスター
イラスト:赤りんご氏(az)

 この人は数年で絵柄が一新し、デザイン処理も格段に洗練された。私とはレベルが違いすぎるが、時間をかけて取り組めば自分にも到達できそうな気がしてきた。
 ただし、私の場合はアナログ一本(合成なし)でここまで描きたいのだ。ライトボックスを使うようになってから作画がかなり楽になったように、そういう工夫を続けていきたい。(それとも、デジタル彩色をするようになるのだろうか? 自分がやったらどうなるか興味はある。)

 高校時代に絵が上手で好き(ファン)だった先輩から届いた年賀状で「絵が上達したね。毎回楽しみにしてる」と言われ、進歩のお墨付きを貰ったようでとても励みになった。
 こうして自分の世界を少しずつ表出していけたらよいと思っている。

 昨年末、友人と出掛けた時にうっかり魔が差して買ったものの一つ。いや“絵の資料”です。

東方恋色飴(茜屋版)
サクマ製菓「東方恋色飴」(茜屋ぐーたら店版)

 サクマ製菓がこんな缶ドロップの製造を受注しているのはすごい(MORISAWA PASSPORTのドロップも作っている)。しかしおかしいなぁ、伊吹萃香は好きじゃない(No.558参照)筈なのになぁ……。萃香を見る度、祖父が節分の時(以下略)。
 ちなみにこの「茜屋ぐーたら店」さんの描く絵はデフォルメ具合が絶妙なので、絵の資料を買い集めるほど好きです。


2010.1.9(土) 23:06  577 未来探訪

 明けましておめでとうございます。
「2010年」という響きは未来に来たという感じがとてもします。年賀状のイラストでその気持ちを表現してみました。(たぶん現行サイトには掲載しないので、もし送付をご希望の方がいましたらご連絡ください。)
 元日に描き上げた年賀状のやり取りが今週に終わって、2009年が本当に終わったという気持ちになりました。今日は年末にできなかった大掃除と書類の大きな整理もできて人心地がつきました。
 去る2009年を簡単に振り返ってみるとこんな感じでした。

2月 近視矯正手術
4月 游ゴシック体導入
5月 亮月製作所サイト10周年、「文字盤プレゼント」企画
6月 モニターヘッドフォンMDR-CD900ST導入
7月 所属写真サークルの第2回写真展に参加
8月 ルイカ導入
9月 コニカC35導入
…… 以後、写真サークル活動とイラスト描きが活発になる

 近視を矯正して16年振りに鮮明な世界が見えるようになったことと写真サークルの活動が活発になって楽しくて仕方がなかったことが2009年の自分にとって画期的でした。

 私には毎年何かにどっぷりはまるという変な癖(?)があったのですが、去年はそれもはっきりとは無かったような気がします。ついでに過去のはまり履歴を思い出せる限り書いてみたいと思います。
 1994:ツインビーPARADISE、1995:赤ずきんチャチャ、1996〜1997:スレイヤーズ、1998:マリーのアトリエ、1999:エリーのアトリエ、2000:テイルズオブシリーズ、2001:フルーツバスケット・中古オーディオ、2002:猫の恩返し・つじあやの、2003:手書き風フォント、2004:SWING GIRLS、2005:ハチミツとクローバー、2006:富田靖子、2007:湯川潮音・一眼レフカメラ、2008:狼と香辛料、2009:(強いて言えば東方Project?)
 ジャンルに節操がないような気がしますが、15年で好みが別人ぐらい入れ替わっているので纏めるとこうなってしまいます。一旦オタクから足を洗ったかのように見えて戻って来てしまったのも興味深い(?)。 脈絡のないものに突拍子もなくはまって振り回されるのもアレですが、そういうのが何もないというのも寂しいです。歳なんでしょうか(禁句)。

 【写真植字】7日、自分宛の郵便物を見てとても驚きました。

筒状の郵便物

 カレンダー在中、亮月製作所 ○○(本名)宛とあります。誰?
(※私宛の郵便物は本名を書かないと届きません。ご注意ください)

写研

 しゃ、写研んー!?
 なんで? と思ってよく見てみたら、文字道の伊藤さん(写植レポート『文字の引力』を参照)のご紹介だったようです。それにしても写研からカレンダーが届くなんて……。

カレンダー全景

社長ご近影

 カレンダーには石井社長とカレンダーの絵柄を描かれた103歳の脇坂終[ただ]さんの写真が載ったメッセージの紙が添えられていました。勿論写研書体のみで組まれています。
 社長は、100歳を超えてもなお創作活動をされる脇坂さんに感銘を受けてカレンダーの挿絵を依頼したとのこと。やる気があれば年齢は関係ないということをこのカレンダーから感じ、私も今年こそ頑張ろうという気持ちになりました。
 写研さん、伊藤さん、ありがとうございました!
(BGM:藤枝あかね全集/私製)


2009.12.31(木) 0:51  576 怒濤の年末進行

 【お詫びと訂正】
書体のはなし」内の書体に関する記事中、発売年が正確でないことが判明したものがありました。
 タイポス:1969年、ナール:1972年、ゴカール:1985年です。また、「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」の第1回は1970年に開催されました(以上、写研『文字に生きる』による)。
 先日「ゆず屋」さんから、コミックマーケット等で頒布される新刊『書体の研究』Vol.5 にて当サイトの記事を参考にされたとのご連絡をいただきました。この訂正が本の内容に影響すると思います。主宰の山王丸榊様をはじめ『書体の研究』読者の皆様、および当サイトの記事を読まれた方に、この場を借りて深くお詫び申し上げます。

 2009年もあと1日、ここ10日は怒濤の如く用事が押し寄せてきて何をするにも余裕がない状態です(>_<)

  23日は年賀状の原稿描きで缶詰め、26日は“美食倶楽部”のささやかな忘年会、27日は所属の写真サークルの写真展の中打ち上げでした。色々なものを買って散財したり遅くまで語り合ったり合奏で燃えたりして詳しく書きたいのですが時間の都合で割愛します……。それ以外の日は地元の行事があったりしてバタバタで、空き時間には年賀状に使う絵を描いていました。
 年賀状の絵は延べ十数時間かけて線画が完成してこれから彩色というところなので、その合間にここへ投函しています。おかしいな、今年はもう年賀状送り終わってる筈だったのに……。

 2009年は一言で言えば「転換期を迎えた」と思わさせられる一年だったように思います。今迄のやり方を変えなければならないと思う場面が多くありました。
 亮月製作所としては殆ど何もしていなかったような気がする反面、“非亮月”(写植、イラスト、作曲以外)の部分としては所属の写真部の活動が活発になってとても充実した一年でしたし、今迄と吹く風が違うように感じました。
 冒頭のようなこともあり内容の老朽化が進んだ現行サイトを掲載し続けるのは忍び難いのですが、2010年の閉鎖・移転に向けての作業に伴い訂正以外の更新を行わない予定でいます。写植ファンサイトの内容として一番納得していないのは管理人の私なので、なるべく早く新しい記事を書き上げて移転したいです。
 ともかくも、2009年中にお世話になった物事や人達に感謝しています。ありがとうございました。




→おたよりコーナー

→メインページ


(C) 亮月製作所 1999-2024 禁無断転載
 

管理人

桂光亮月
(かつらい・りょうげつ)




●過去だより

2024 1301〜1325 
 1276〜1300 
2023 1251〜1275 
2022 1226〜1250 
1201〜1225 
2021 1176〜1200 
1151〜1175 
2020 1126〜1150 
2019 1101〜1125 
1076〜1100 
2018 1051〜1075 
2017 1026〜1050 
2016 1001〜1025 
953〜1000 
2015 926〜952 
901〜925 
2014 876〜900 
851〜875 
2013 826〜850 
801〜825 
豊郷・京都 
2012 776〜800 
旧豊郷小 
751〜775 
726〜750 
701〜725 
2011 676〜700 
651〜675 
2010 626〜650 
596〜625 
576〜595 
2009 551〜575 
526〜550 
2008 501〜525 
476〜500 
451〜475 
2007 426〜450 
401〜425 
376〜400 
351〜375 
2006 325〜350 
301〜324 
2005 251〜300 
201〜250 
151〜200 
2004 101〜150 
51〜100 
1〜50 



→さがしています
→おたよりコーナー
→メインページ