●過去だより876~900
2014.10.12(日) 22:59 900 幻想から現実へ
【日録】お世話になっている方達のお誘いで、山梨は八ヶ岳へ旅行に出掛けた。
近付きつつあるという台風はまだ遠く、暑くも寒くもない絶好の行楽日和だった。
(自分の為の記録なのでかなり端折ります。撮った写真は人物が写り込んでいるためあまり掲載できません。悪しからず。)
11日。朝早く出発し、最初に到着したのは昇仙峡。
長潭橋付近で、どの観光地でも見たことがないような客引きに困惑し、そして「これ以上車で行けないから停めてって」と騙された(笑)。但しその店で食べたほうとうは人数分が大鍋でよく煮込まれていて、そこそこ美味しかった。
富士フイルム X20・プログラムAE(以下同じ)
新道(グリーンライン)を使えば自家用車で上流まで行けることが他店への聴き込みで判り、「山梨は恐ろしい所だ」と冗談交じりに言いつつ上流へ。
「昇仙峡影絵の森美術館」に入る。影絵家の藤城清治氏と言えば私の中では「パルナス」のコマーシャルの印象が強烈だったが、細かな切り貼りだけで表現された立体感のある色彩豊かな作品が数多く展示されており、長い時間見とれていた。しかし、この美術館は最後に売店を通過しないと出られない。展示作品は素晴らしかったが、やっぱりなと思った。
続いては昇仙峡ロープウェイでパノラマ台から富士山を眺め、中腹の駐車場に移動して仙娥滝を目指す。片洞門を始めとした荒々しい渓谷の風景に目を奪われ、滝を観た時はここまで来て良かったと思った。
土産物店群が始まる辺りの「ここから歩いて滝まで絶景」という看板が一同ツボにはまった。ここも客引きがなかなか強烈。しかし一番奥にある茶店風の佇まいの店はそういった強引さがなく、景観としての雰囲気も相俟って好印象だった。……そういう訳で、昇仙峡は景色はこの上なく美しいのに、現実的な必死さがあからさまで損しているという印象が残った。
宿へ向かう高原の道。少しずつ暗くなっていく車窓。ぽつぽつと灯る家の明かり。幸福感と寂しさが綯い交ぜになったような気持ち。今は遠くにある自分の住まいのことやこれまでのこと、これからのことなど、色々考えた。行き着くものが何なのかは、もう判っている。
宿の屋上には小さな天文台があった。風呂上がりの浴衣姿で冷たい秋風に晒される。望遠鏡で見えたのは、アルビレオの二重星と天の川だった。……冷えきった体で部屋に戻ると、夢から醒めたかのように一気に現実に引き戻された。
*
翌12日。台風はまだ近付いていないようで、時折晴れ間を見せた。
本来の目的地がまだ開いていないということで立ち寄った「吐龍の滝」。細い滝筋が何箇所も流れるという変わった滝で、しかも身近で観られた。滝への行きがけにJR小海線の列車が橋梁を渡り、気分が良かった。
滝を堪能して向かったのは清里。「若者が集まる一大観光地」という子供時代の印象を持ったままその後の状況を知らなかったので、1980年代で時間が止まっている寂れきった清里駅前の様子を見てとても驚いた。同行人さんのうちの一人が「ミルクポット。」と声を出したので何故かと思って調べてみたら、ブームの当時とても賑わった店らしい。
私は“浮かれている”デザインがどうも苦手で、この街並みを直視できなかった。地に脚が着いていないというか、絵空事のようで意義がないというか。そういったものがかつて根拠もなくもてはやされ、本来持っていた景観を駆逐して大量に造られ、乗せられる人達が大勢いた。
そして、お伽話の世界なのに衰退し放置されて朽ちつつあるという矛盾した現実感を持つこの場所は、見てはいけないものを見せられているようでとても居たたまれなかった。(ここで書くのを中断して就寝したら、案の定うなされた。)
そういう訳で駅前通りはただ通過し、到着したのは「萌木の村」だった。公園のような地形に、工芸の店や雑貨店、レストラン等がぽつぽつあるような複合施設。山小屋のような建物や庭園は飾り気がなく素朴でとても落ち着いた。その土地に相応しい姿というものが確かにある。こちらの方(駅前通りではない所)が「清里」なのだろうと思った。
同行人さんの希望で入ってみた、村内にある「オルゴール博物館」。ちょうど備え付けの大型オルゴールが実演中だった。オルゴールの音色は、なぜだか少しかなしくて、未来の自分が今を俯瞰しているような不思議な気分になる。実際に俯瞰した時、今のことをどう思うだろう。
美しい風景と現実が交錯した目まぐるしい二日間。色々な出来事があった。とても楽しかった。
同行人の皆様にはたいへんお世話になりました。ここを読んでいるかは分かりませんが、本当にありがとうございました。
2014.10.8(水) 21:43 899 茶色い月は雲の上
【日録】日本では3年振りという皆既月蝕。
私が観るのは子供の頃以来、20年以上振りだった。
Nikon D800・Aiニッコール80〜200mmF4.5・ISO 160・絞りF11・AE(−2段補正)・トリミング
18時代半ばから地球の影に隠され始めた月。
そして19時半頃、皆既状態へ。
タイミング悪く雲が出始め、茶色い月はどんどん暗くなり見えなくなっていった。カメラの感度を最大に上げて撮った写真が最後だった。
そんなとき、しばらく音沙汰がなかった人から連絡があった。
「こんばんは。月、見ましたか? きれいですよ〜」。
遠く離れた所から同じ月を観る。こういうのもいいものだと思った。
2014.10.7(火) 7:56 898 どうか
【日録】
Nikon D800・Aiニッコール80〜200mmF4.5・ISO 100・絞りF8・AE(-2段補正)・トリミング
※ローパスフィルターにシャッター機構の油が付着し、灰色の丸として写り込んでいる。
自宅から見えた、御嶽山の噴煙。
こんなに遠くからでも肉眼で見えてしまうような大きさ。とても恐ろしい。
残された方々が山の下へ戻って来られるよう、祈るしかない。
2014.9.28(日) 23:59 897 やがて青春
【日録】もう一度、「かなの里」へ。
今回は料理人の友人たっての希望で、環境や条件の良いこのバーベキュー場へ行くことになった。少人数でじっくりというのもいいものだ。
富士フイルムX20・絞り開放・AE(以下同じ)
アスパラベーコンと茄子の丸焼きは私達の定番。アスパラに巻くベーコンは安いものの方が焼いたときに美味しいと教えてくれた。茄子は焼き上がったら皮を剝いて生姜醤油で食すべし。
「牛肉に松茸は意外と合う」と言って友人が用意してくれていた。普通のバーベキューでは味わえないものを食べられる贅沢。まあ、会費も相応だったけど。
なんと笹とかぼすも準備してきていた。バーベキューの範疇を超えている。料亭にいるような心尽くしだった。
今日は友人が飲みたいが為に、あまりやらない運転係に徹した。都会の渋滞や横着な走り、エアコンを入れると途端に鈍臭くなる自分の車に、行きから疲れ果ててしまったが、「幸せだなぁ。こういうバーベキューがしたかった。」という、滅多にこういうことを言わない友人の言葉に心がほぐれた。こちらこそ、心から感謝。
食後に川へ下りて語らったり写真を撮ってはしゃいだりした。「いい時間を過ごしている」と自覚した。そんな日々も、やがて青春。
2014.9.20(土) 23:59 896 ここは童話の世界
【日録】愛知県半田市の矢勝川堤で彼岸花が満開と聞き、出掛けてみた。
14日の「養老天命反転地」と同じく、所属の写真サークルで2012年10月7日に行っている。
富士フイルムX20・絞り開放・AE(以下同じ)
今年は涼しくなるのが早く、彼岸花の開花も例年より早まったようだ。
白い彼岸花も咲いていた。
近くには眼に沁みるような強いマゼンタ色の花畑もあった。こんなに印象に残る花なのに、恥ずかしながら名前が分からない。
満開の彼岸花とコスモス畑。秋なんだなぁ。この美しさは緑があってこそ。
ここは新美南吉の故郷。『ごんぎつね』の「ごん」が拝んだというお地蔵様と矢勝川の彼岸花。童話の世界がそこにはあった。
半田を離れ、現実の世界へ。
しかしそれでも、「これは本当に起こっていることなのだろうか?」と確かめてしまうようなことも、稀に起こる。
2014.9.16(火) 23:59 895 写植展に参加しました。
【亮月写植室】15日から16日にかけ、写植展『moji moji Party No.8「言乃葉展」写植、光と影の創作』のお手伝いで、東京は表参道へ行ってまいりました。
会場は昨年12月の No.5 と同じ「表参道画廊」。
今回は版画家の田中彰さん、紙工家の名手宏之さんとともに、主催の株式会社文字道・伊藤義博さんが「写植家」としてこの二人とのコラボレーションを試み、また、これまで誰もやらなかった写真植字の新たな表現方法を創出していました。
恒例の、写植機「SPICA-AH」による印字と現像の体験もあり、体験された方に詳しい解説をさせていただきました。美大生をはじめとした学生の方や出版関係の若い方が多く、熱心に質問されるなど、私の立場としてとても嬉しく、楽しみながらお役を果たすことができました。
この写植機は「岐阜の山奥では見学が難しいので東京に置いてもらい、生きた写植に触れられる機会を作り出したい」という意図で貸し出しています。写植展への参加は点検と使用状況のチェックも兼ねています。積もった埃を取り除いたり、注油して動きの渋りを解消させたり、点示インクを補充したりなどなど、所有者として簡単なメンテナンスも行いました。稼働する写真植字機は貴重な産業遺産だと思うので、傷めることなく大切に使っていっていただきたいものです。
会期中の写真は moji moji Party 公式サイトにあります。
写植展のお知らせ(終了しました) |
2014.8.25 掲載
◉moji moji Party No.8
「言之葉展」写植、光と影の創作
会期 2014年9月15日(火)〜9月20日(土)
会場 表参道画廊+MUSÉE F
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3
アーク・アトリウム B-02+B-03
時間 正午~午後7時(最終日午後5時)
パーティ 9月20日(土)午後3時〜
企画・主催 株式会社文字道(→moji moji Party 公式サイト)
2013年12月に表参道画廊で開催され、好評を博した写植展が帰ってきます。
「写植家 伊藤義博、版画家 田中 彰、紙工家 名手宏之。三者が光と影をテーマに作品を展示。会場では写真植字機 SPICA 体験のほか、 写植文字で名刺の活版印刷のご注文も承ります。」とのことです。
稼働する手動写植機に触れることができるたいへん貴重な機会です。ぜひお出掛けください。 |
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2014.9.14(日) 22:59 894 反転した。
【日録】岐阜県養老町の「養老天命反転地」へ行ってきた。
前回は所属の写真サークルで2010年10月に行っている(亮月だよりは未収録)ので、4年振りの訪問だ。例年よりも空気がからっとしているとはいえ、まだまだ暑い。
傾斜した壁に家具がめり込んでいるなど概念が崩壊した建物や、水平・垂直がどこにもない地形を体感するという特異な芸術作品であるが、実感としては凹凸の激しい公園を歩き廻ると言った方が近い。
とても大きな芝生広場があったり、知らない間に頂上まで登り詰めたり、難解な人工物が横たわっていたりと眼に愉しく、快晴ということもあって沢山写真を撮った。ごちゃごちゃした物が少なく、背景そのものが絵になるので、撮影の腕がすごく上がったような錯覚に陥った。(が、「だより」に掲載できそうな写真は殆ど撮っていなかったようだ。)
暑くて涼しくて明るくて暗い。上にあるように見えて下にある。近くの物が遠くに見える。この場所で、長年生きてきたことによって作り上げられてしまった思い込みや先入観から自分自身を解放してみて、自分の本当の声を聞けたような気持ちになった。
反転地を出て涼しい場所で休憩。同行人氏としばらく話をした。「いや〜、今日はよく反転した。」と訳が分かるような分からないような事を言いつつ、生きていくことについて重要な鍵を渡されたのではないかと思った。
2014.9.7(日) 22:59 893 日中の蒼さ・夕凪の時間
【日録】友人Nさん主宰のウクレレ教室のバーベキュー大会にお邪魔してきました。教室の方以外はお馴染みのメンバーが参加、総勢10人超の賑やかな会でした。
富士フイルムX20・絞り開放・AE(以下同じ。最後のみ Nikon D80 で撮影。)
岐阜県山県市(旧美山町)にある「かなの里」は、武儀川畔のバーベキュー場。天気は快晴。炉のあるテーブル席からすぐの所に蒼く透明な川が流れていて、真夏のような今日の暑さも相俟って涼やかな眺めでした。
参加人数が多く、準備を周到にしてくださった方がいたので、見たこともないような豪華な調理風景が目の前に広がっていました。
全員(私以外?)楽器が主たる趣味の人なので、食事が落ち着き始めた頃、「そろそろやる?」と演奏を始めました。最初は控えめに合奏していましたが、いつの間にか周りのグループの人達も巻き込んで、合いの手や合唱の輪が広がりました。見ず知らずの人達との心地良い一体感を感じました。
食事が終わったら腹ごなしに武儀川へ。水切りに興じたり、何となく始まった演奏に何となく合奏したりするなど、ゆるやかな青春を感じさせた昼下がり。
入場者の証として装着するリストバンドチケット「GiG-BAND」。野外フェスで着けてたなぁと思ってよく見てみると、使用書体はタイプラボさんの「ルイカ-07」「ルイカ-03」でした!
日が傾き始めた頃には閉園してしまうため解散せざるを得なかったのですが、お馴染みのメンバー2人と私にとってはやや消化不良でした。名残惜しかったので、大きな公園へ行き、そこで日没まで(主にその2人が)合奏したり歌ったりして溜飲を下げました。
若い頃聴いた音楽を同世代の人と共有できたり、楽器の腕を身につけられたりしていない私がその場に居合わせて感じたのは、心のどこかに大きな穴が開いているような感覚と、それを埋めることはできないだろうかというもんやりした気持ちでした。
「お祭りのようだった日中の蒼さがゆっくりと落ち着いてきた夕凪の時間。夜の前に、あったかいベンチに座って」……などと、昨年のこの時期に読んだ『ヨコハマ買い出し紀行』のイントロダクションをもじってみたくなったのでした。
2014.8.27(水) 23:25 892 MDR-Z900 イヤーパッド交換
【日録】ソニーのヘッドフォン「MDR-Z900」を学生時代から13年愛用してきました。
ソニーが当時発売していた民生用モニターヘッドフォンの最高峰。高解像度と強力な低音が魅力で使い続けてきたのですが、ずっと気になっていることがありました。
13年の愛用でイヤーパッドがぼろぼろのねちゃねちゃになっていたのです。自分しか使わないからいいと思っていましたが、限界でした。数年前に音が出なくなって修理で交換されたヘッドバンドのビニールレザーもどんどん剝がれ、地肌のウレタンが露出してしまっています。
そこでソニーへ修理に出したところ……
「この製品は修理できません」としてそのまま帰って来てしまいました。
しかし、何とかならないものかと思いネット上を検索してみると、部品を販売している業者があり、取り寄せて自分で修理した様子を記事にしているサイトやブログが幾つか見付かりました。
私もやってみることにしました。「サウンドハウス」にて交換用イヤーパッド(1280円)左右1枚ずつと「前面フロント」(120円)というドライバーの前に貼る黒いウレタン2枚。ヘッドバンドは何故かハウジングのアームまでついてくる ASSY(アッセンブリー、構成部品一式)でしか買うことができず高額なので今回は見送りました。
まずは今付いているイヤーパッドを外します。
参考にさせていただいた多くのサイトには「引っ張れば簡単に外れる」というような事が書いてありましたが、私の個体は全然外れてくれませんでした。
新しいイヤーパッドをよく観察しているうち、溝にはまっている深さが浅い箇所があることに気付き、そこから引っ張って外すことができました。ヘッドフォンを裏向き(LRの表示が見えない側)に置いて手前側です。
イヤーパッドを外すと、ドライバーに貼り付けられている筈の黒い「前面フロント」がぐじゅぐじゅに溶けて中心部がなくなっていました。アルコールでよく拭いて全て取り除きました。
溶けた「前面フロント」を取り除いた後。黄色い接着剤の跡が残りましたが、除去にはとても手間がかかりそうなのでそのままにしました。
新品のイヤーパッドと13年使ったイヤーパッド。新品を見てしまうと、使い込んだものは自分の仕業だと分かっていても触りたくないような惨状です。
新品の「前面フロント」。直径約56mm、厚さ約1.8mmです。
ドライバーの穴に「前面フロント」を置いた状態。接着はしませんでした。
いよいよイヤーパッドの装着です。イヤーパッドに付いている赤や青の縁を写真の黒と灰色の部品の隙間に嵌めていくのですが、取り外しと同じく「簡単に」とはいかず、あちこち触っているうちに、写真の一番薄い部分を最後に嵌めるようにすると上手くいくことが分かりました。
イヤーパッド交換後の様子。
ヘッドバンドはぼろぼろなままですが、イヤーパッドは新品のふかふかさを取り戻しました。ここが綺麗になると心情は大きく違います。慎重に取り扱いながらこのヘッドフォンを被り、耳を包み込む感触を味わっていた、買ったばかりの頃のことを色々と思い出しました。
修理前後で同じ曲を聴き比べてみましたが、修理前は中高域が弱く低域は出るには出るもののもっさりしていたのが、修理後はモニターヘッドフォンの肩書きに相応しいキレキレの中高域と塊感のある太い低域が復活し、学生の時感動したあの音が甦りました。
このヘッドフォンを購入した二十歳の頃はブラウン管テレビの「キーン」が聞こえていたので低くとも16kHz附近までが可聴範囲だったのですが、今は14kHz弱がせいぜいです。歳は取りたくないものですが、確かに購入当時の音が聞こえていると感じられるほどの歴然とした変化でした。
この機種の交換部品が今後どのくらい供給されるかは分かりませんが、最後の修理だと思って今まで以上に大切に使っていきたいと思います。
2014.8.26(火) 18:45 891 秋の入口
【日録】帰り道、東の空に半円の虹が見えました。
Nikon COOLPIX S01・プログラムAE(以下同じ。1枚目のみ合成)
街を取り囲むような、大きな大きな虹です。
左側には副虹(二次虹)も見えます。
右側は街の中へ降りているのがはっきりと見えました。
雨上がりの西空は、秋の表情を湛えていました。
涼しくなった夕方の、次の季節への入口でした。
2014.8.17(日) 22:59 890 夏の終わりの始まりに
【日録】所属の写真サークルの写真展に行ってきた。
(写真は一部画像処理しています)
毎年恒例のこの催し、私も出展したり案内葉書のデザインをしたりして関わっている。初回から参加して、もう6年も経ってしまった。
久し振りに長い友人と会って、近況の話に花が咲いた。
友人に大きな動きがあったことは知っていたが、私にも伝えたい近況があった。
20年以上の繋がりの中で私の性格や特性を熟知していて、それに寄り添った冷静な意見と惜しみないエールを送ってくれた。一人では踏ん張りきれないと思っていた坂道を、そっと後押し。歳を重ねることの良さというか、これが生きていく醍醐味なのだなと思った。
この談話と会場の撤収でエネルギーを使い果たし、打ち上げの夕食会では脱力していた。日中あんなに蒸し暑かった街も、帰る頃には車の窓を開けて走れば涼しく感じられた。
ツクツクボウシ、トンボ、白い百合の花、虫の声。また夏が終わろうとしている。
2014.8.16(土) 22:59 889 懐かしの?アイドル三昧
【日録】この週末は昔のアイドル歌謡曲に関することが集まってきて、たっぷり満喫することになりました。物心ついていなかったどころか自分が存在しなかった時代の曲もあるので、懐かしむというよりは未知の音楽を探究するという方がしっくり来ます。
今年の春辺りから音楽を聴く意欲がなくなってしまい、しばらく“名曲発掘”が停滞していたのですが、第886回の投函で紹介した大橋恵里子さんのアルバム『恋に大接近』で歌謡曲熱が復活し、止まらなくなってしまったのです。
出掛けた先の、待ち合わせ時間調整のために寄った駅の書店で偶然見付けた『レコード・コレクターズ』2014年9月号の特集は「1970-1979 日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」! 私にとってはど真ん中の特集でした!
選ばれた100曲それぞれに選者の詳細な解説や所感が記され、深い共感や新たな感じ方を得ることができました。他にもインタヴューや考察、作家名鑑や選外曲のマニアックな解説など、非常に読み応えがありました。
因みにこの100曲中、歌の内容を知らなかった(脳内で再生できなかった)のは12曲。「シングル・リリースされ、なおかつトップ30位以内に入ったA面曲」とのことなので、まだまだ聴き込みが足りないということでしょう……。
一方、通販で取り寄せた『スター誕生! アイドル・メモリアル 幻のデビュー曲コレクション』はその名の通りのアルバム。“スタ誕”出身者の初シングル曲を集めただけあって、マイナー曲ばかりでもかなり力を入れて制作されたことが分かります。
1枚目の1曲目、柴葉子さんの『白い羽根』(1974.12.20発売)がすばらしい。三木たかし氏作編曲の、1970年代アイドル歌謡曲の模範と言えるような素直なメロディーと清楚でドラマチックな編曲。序盤のゆったりした静けさからサビでランニングベースとともにどんどん盛り上がる雰囲気。そしてそれを最後の8小節でがらりと変え、羽根がふわりと空に浮かぶようなコード進行で締める*。これぞ三木たかしマジック! 感動で鳥肌が立って胸が一杯になりました。
多くの人に聴いてもらいたいほどいい歌なのですが、シングルレコードか“スタ誕”関連の音盤でしか聴くことができません。とても残念ですが、これが“名曲発掘”の醍醐味でもあります。
16日はNHK-FMの「今日は一日“なつかしのアイドル”三昧」の放送日でもありました。過去3回に比べて薄めの味付けで、1980年代のアイドル重視でマニアックな曲は殆どなし、そしてゲストの話が長過ぎる(笑)など消化不良な所もありましたが、1980年のアイドルポップスで一番新しい編曲だったと思われる(伴奏の様式が数年先取りしていて、80年代後半の匂いがする)甲斐智枝美『スタア』が聴けただけでも良しとします!
*転調しているのか何なのか黒鍵を押さえる位置が変わり、どうやってもコードを突き止めることができない。“絶対コード感”が欲しかった……(泣)。
2014.8.10(日) 22:59 888 そんな日もある音楽の夜。
【日録】日曜日、台風まっただ中に、出勤でした。そんな日もあります……。
今日の20時05分から NHKラジオ第一(AM)で放送された『ナニワの編曲塾』、敬愛する作曲家のキダ・タロー先生が珍しく全国放送に出演するということで楽しみにしていました。私の中では筒美京平氏とキダ・タロー氏だけは「先生」と敬称したいほど強く影響を受けた特別な存在なのです。
編曲をテーマにした番組で、既存の曲を編曲した作品を募集して番組で流し、講師陣が論評するというものでした。それもまたラジオ番組としては斬新な試みでした。作編曲を楽しむ者の端くれとして興味深かったです。
キダ・タロー先生の「編曲とはメロディーに似合う曲を着せること」という明解な考え方にはとても共感するものがありました。私は、ひとつのメロディーには最も相応しい編曲があると考えています。それを見誤ると、どんなにいいメロディーでも編曲のせいで違和感が生じたりつまらないものになったりしてしまう。「編曲は作曲よりも難しい」ともおっしゃっていましたが、私もその通りだと思います。メロディーが持つ世界観をどうしたら魅力的にすることができるか。それを構築し、実際に音として表現することは非常に難しいのです。私には殆どできません。
講師のサカモト教授氏が若い投稿者に対して「曲を解析的に聴くこと。どういうコードがいいのか、どういうベースラインなのか。好きな作家の曲だけでもいいから聴きまくって、沢山曲を作ること。好きな人のエッセンスを感じさせながらも、自分らしさが出てくる」というようなことをアドヴァイスしていました。自分もやってきたことだったので、これでよかったのだと安心しました(大した編曲はできませんが)。
実は私の編曲作品についてNHKから問い合わせが来ていたのですが、残念ながら放送は叶いませんでした。おそらくは作品がCMソングだった(歌詞に商品名がある)ことと、私のハンドルネームが問題だったのではないかと……(笑)。
この番組の録音を残すために、久し振りにカセットテープを使いました。ラジオ番組の録音をするにはカセットが一番扱いやすいと思っています。単品チューナーから録音するにはアンプを経由してデッキに録音するという昔ながらの方法が一番楽だし、録音した媒体がそのまま保存する媒体になるという直感的で無駄のない作業もいい。パソコンが間に入ると私には面倒臭いです。
チューナーは SONY 最後の高級機「ST-SA50ES」。東海地方で唯一AMステレオ放送を実施しているCBCの音楽番組を聴いたら、このチューナー特有のAMとは思えないクリアな音で聴き入ってしまいました……。10年近く前はほぼ毎日AMラジオを聴いていたのでそれが当たり前でしたが、いつの間にかその世界からはかなり遠ざかっていました。
2014.8.2(土) 23:59 887 夏をともに
【日録】「第69回長良川全国花火大会」(通称「岐阜新聞花火大会」)に行ってきました。(※翌日記録)
昨年は「全国選抜長良川中日花火大会」に行きましたが、今年はその翌週に開催されるこちらを観ることにしました。
渋滞でなかなか進まなかった立ち乗りのシャトルバス。台風の息がかかった蒸し暑くて重い空気。夕食を買うために入ったコンビニエンスストアの涼しさと長い列。そして会場を埋め尽くす人混み。あぁ、あれから一年経ったんだ……。
小雨が降る中で少しずつ暗くなっていく空。小出しにしか上がらない花火。食事をしたり話をしたりして待っていると、19時半、一斉に花火が打ち上がりました。 観客席から自然と湧き起こる拍手。
「中日花火大会」と比べると、正統派の花火が多かったように思います。ただし、複数箇所で同時に上がったり、突然すごい作品が上がったりするなど、油断していると見逃すような緊張感もありました。
日中はものすごい蒸し暑さでしたが、小雨のお蔭か日が落ちると涼しくなり始め、割と快適に観覧できました。無風だったので煙で花火が見えにくくなり残念でした。
今年こそはと撮影のために高さ40cmぐらいの三脚を持参しましたが、折り畳み椅子を出している人の背中に阻まれて用を為しませんでした。この広場、皆が地面に直接座れば、誰もが後ろの人の視界を遮ることなく観覧できる筈なのですが……。
昨年は花火の終了を見届けてから会場を離れたので、シャトルバスの待機列や渋滞がとても長く、帰り道が大変でした。その反省を活かしてクライマックスが始まった頃に会場を後にしたところ、バスの待機も渋滞もなく、快適に帰ることができました。まあ確かに、最後まで観たいのが人情というものですが、疲れない方がいいです。
会場では思いがけない人に会ったり、来ていることを知っていた友人達とは会えなかったり。それでも同じ花火を観て楽しむができました。
7月は夏らしいことをあまりしていませんでしたが、今日は満喫できました。同じ境遇だったという同行人氏と、「これが夏だよね〜。」とその感覚を分かち合うことができました。
とても蒸し暑い中ほぼ一日行動を共にしてくれた同行人さん。ここを見ているかは分かりませんが、本当にありがとう。
(BGM:大橋恵里子『恋に大接近』アルバム/1978年作品)
2014.7.31(木) 22:59 886 凪
【日録】亮月製作所/写植室としての活動を全くしなかった1ヶ月でした。
この10年ほどはほぼ毎日のように何らかの活動をしていたので、動きも成果もない期間が1ヶ月もあることはごく珍しいことです。
ただやはり、私にとってはこの活動は自分と切り離せるものではなく、活動を再開したら気分が落ち着いたり、日常に心地良い緊張感が出たりと、振子時計の振子のように自分のリズムを刻み続けるために必要なものだったということがよく分かりました。
自分の状況がどんなに変わろうとも、本当に好きなことは続けるものだし、必ずそこへ還ってくるのだ。……と他人事のように管理人自身を観察してみたりもしています。
何もしなかったから分かった。離れて見てみたから分かった。そういうことも確かにあるのです。凪いだ1ヶ月に。
*
果てしなく続く名曲発掘の旅。
“エル”こと大橋恵里子さんの唯一のアルバム『恋に大接近』(1978年作品)。
ジャケットが秀逸(好み)なものは楽曲も名作であることが多い、とは昨年のこの時期に水沢アキ『娘ごころ』を取り上げた時にも書きましたが、このアルバムも1970年代終盤特有の爽やかなサウンドと彼女の飾らない歌声を聴かせてくれます。感想は長くなるので割愛しますが、きっと2014年7月後半から8月にかけての記憶を鮮明に思い出すことになるでしょう。
2014.7.24(木) 22:59 885 朔
【日録】しばらく振りの投函になってしまいました。
6月末の「moji moji Party」終了後、私が燃え尽きてしまい、買ったばかりだった折り畳み傘を会場で取り違えられたこともあって、士気が大幅に下がって何もやる気が起きなくなっていました。
また、個人的に進行している案件について天王山と考えていた局面があり、どうしてもそちらに集中したい状況でもありました。これについては今後も継続しますが。
そんな中、夏の暑くて重い湿った空気へと急激に入れ替わり、精神的負荷とともに絶えず晒されたことによりこの3週間ほどで消耗しきっていました。複数の人に「痩せた?」と訊かれたので体重を量ったら、1.5kg減っていました。
まあ、毎年夏は梅雨明けから9月いっぱいまで活動がかなり抑制されるのですが、今回はものを考えられなくなったり、呂律が回らなくなったりと顕著でした。
何とかここに戻ってくることができてよかったです。
「moji moji Party」の写植レポートを遅まきながら書き始めています。ここのところ今田さんご本人のブログで新しく挙げられている写研書体の解説が非常に詳しく、果たしてレポートを書き上げられるのか自分でも心配ではありますが。
以前のようにこの「だより」でも書体や写植の小ネタを取り上げては問題を投げかけたり面白がったりしてみたいです(反語的な文脈)。先日新聞に掲載された書籍の広告に「丸ツデイ」と「丸アンチック」の混植が使われていて、書籍の装幀には「石井太丸ゴシック体」が使われていたので現物を見ながらあれこれ言いたいことがあったのですが、切り抜いておくのを忘れてしまいました。
こうやって活動から遠ざかっていると、引き戻すかのように驚くような話が入ってくるんですよね、と何度も書いたような気がします(謎)。
2014.7.6(日) 22:59 884 禊
【日録】5日、恒例となった中古屋での売却処分。
紙袋とバックパックにそれぞれ1杯、約10kgの書籍。持って行くのが辛かった。片道の電車代にもならなかったけれども、その重さ以上に心は軽くなった。
部屋の状態にはその主の頭の中の状態が投影されていると私は考えている。今回の処分では、既に執着していないものがまだ残されていて、それを見る度に心に引っ掛かっていたのだということが分かった。物への執着は全部無くせばいいというものではない。節度を持って執着しているのが健全だと思う。そして執着がなくなったものを手放せばいい。それだけのことだ。
*
6月上旬からの1ヶ月は絶不調だった。心が波立つものを正面から相手にしてしまい、随分心を腐らせた。あってほしくない事態を呼び寄せたりもした。既に存在していることや起こってしまったことはどうしようもないが、取り入れば建設的には進行しないので、できるだけ距離を置いて相手にしないようにする。そういうことがよく分かった。
思えばそのようなものを引き寄せてしまう土壌が自分の中にあったのかもしれない。自分の希望を対象に都合よく当てはめていたり、思い上がっていたり、当初前提としていたものを忘れていたり、感謝していなかったり。
よく反省し、これを禊として過ごしていきたい。
2014.6.30(月) 20:56 883 今田欣一展、終了しました
【文字関係】活字書体設計師・今田欣一さんの個展「moji moji Party No.7 今田欣一の書体設計 活版・写植・DTP」が昨日盛況裡に閉幕しました。
私は28日(土曜日)の午後から訪問しました。
今田さんの書体設計の歩みをご本人が詳しく語られるトークイベントがあり、これまで決して明かされることのなかった書体設計の裏話や秘密の写真など、打ち明け話が満載でした。
会場のギャラリーにも多くの人が訪れ、特にトークイベント終了後は中に入れないほどの超満員でした。高校生から元写研社員の方まで、書体を通じて垣根のない交流が生まれていました。
この日の夜は近所のお店で懇親会を開き、この場でしか聞くことができないとっておきの話やマニアック極まりない話などで和気藹々と盛り上がっていました。
翌日は開場から撤収まで会場のギャラリーにいました。
日本の書体デザイナーの個展は他に類がなく、来訪された方がとても興味深く観覧されている様子が印象的でした。今田さんの書体人生が凝縮された会場はお人柄が伝わるような居心地のよい楽しい場所でした。
本展では今田さんが関わられた書体の写植の印字を一部担当させていただきました。また、今田さんが制作された写植や写研に関する歌を亮月製作所で編曲して20年以上振りに甦らせ、BGMとして流していただきました。『写研音頭』『涙のボカッシイ』『一寸ノ巾の呪文』『きょうは写研祭』の4曲です。
以上、ざっと振り返りましたが、とても思い出深い取材と参加となりました。会場に於きましては今田欣一さんをはじめ、主催の株式会社文字道の伊藤さん、オーナーのGallery cafe 華音留さん、著名な書体デザイナーさんからお馴染みの文字好きの皆さん、そして初めてお会いした方までたいへんお世話になりました。本当にありがとうございました!
この催しの「写植レポート」は追って執筆したいと思います。
写植展のお知らせ(終了しました) |
2014.4.28 掲載
2014.5.15・6.18 追記
東京は根津で恒例となった写植の催し、またやります!(2014.6.29 終了しました。)
◉moji moji Party No.7
今田欣一の書体設計 活版・写植・DTP
(それぞれ画像をクリックすると別窓で拡大します)
会期 2014年6月24日(火)〜6月29日(日)
会場 Gallery cafe 華音留
東京都文京区根津二丁目22番4号 1階
東京メトロ千代田線根津駅より徒歩3分
時間 12:00〜19:00(最終日17:00まで)
企画・主催 株式会社文字道(→moji moji Party 公式サイト)
今回の moji moji Party では、書体デザイナーの今田欣一さん(→琴棋洞)が60歳を迎えられるにあたり、その功績を振り返る展覧会を企画しました。案内はがきの・(中黒)60個は、満60歳ということをあらわしています。
「いまりゅう」「ボカッシイ」といった写研在籍時代の書体は勿論のこと、その後「欣喜堂」ほかにて制作してこられた書体に至るまで、今田さんの長きに亘るご活躍を間近でご覧いただくことができます。
今田さんの制作した書体をじっくりお楽しみいただくため、今回は moji moji Party 恒例の写植印字体験はお休みです。今田さんに関連した写植書体の文字盤等の展示はあります。
根津の路地裏にある居心地のよいギャラリーで穏やかな時間を感じながら、今田さんの書体の世界に触れてみませんか。写植時代を知る方から学生の方まで、会場では垣根のない交流が生まれています。ここだけのとっておきの話が聞けるかも。
(2014.6.18追記)本展のオープニングコンサートとして、「桂光亮月プレゼンツ 初音ミク『写植のうた』を歌う」と題し、『写植のうた』をはじめ関係者にしか知られてこなかった楽曲たちを上演します(私はいません)。
楽譜の提供を受けて亮月製作所にて編曲を施し、VOCALOID の初音ミクを使用して、長い間記憶にしか残されていなかった歌を数曲再現しました。
たいへん貴重な展示です。ぜひお出掛けください。
→展示の詳細(欣喜堂通信の該当記事) |
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2014.6.25(日) 23:00 882 別世界にいる
【日録】時間を見付けては花の撮影に出掛けているような気がする……。
今日は旧谷汲村の「谷汲ゆり園」に行ってみた。
檜林の中に色とりどりの百合が整然と植えられていて、林のずっと奥まで明るく見渡せるのが心地良かった。
山腹は色の違う花が散りばめられていて、別の世界にいるような不思議な光景だった。
山頂の遊歩道にも、満開の百合……。
一眼レフを持って来ている本気撮りの人の殆どは年配の方だった。というか、ここに来ている人の年齢層はかなり高かった。非日常の世界に入り込むことができて、若い人でもほんわかとした気持ちでゆっくり歩いて楽しむことができると思うのだが……。(まあ、私も若くはないのでしょうが。)
今回は次の用事があったため、手荷物はできるだけ軽く。“相方レンズ”の「AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G」はお休みしてもらい、「AiAF Nikkor 35mm F2D」を装着。ぼけが硬い(縁取りが出る)とか、多少もやっとするのも、レンズの小ささを思えば気にならない。作品を撮りにきた訳ではなかったので、楽しんだ雰囲気が写っていればそれでいいのだ。
夕方からは友人Nさんが主催するウクレレ教室の生徒さんの発表会へ応援に。同じくウクレレ弾きのRさん夫妻も来ていた。半年前と同じように、Pさん達による力強くて流れるような演奏も健在。Kちゃんとも久々に再会。元気な姿を見せてくれて、お互いの近況を話し合った。私は大型カホンを持参していたので、手拍子に混じって観客として伴奏(?)させていただいた。生徒さんには物珍しかったのか、声を掛けていただいたり、実際に叩いてもらったりした。大荷物だったけど持って行ってよかった。会場を出た帰り道、主催側ではなかったのにやり遂げた感があって清々しかった。また近いうち、合奏しましょう!
2014.6.18(木) 23:00 881 幻の写植ソング、よみがえる
【音楽制作部】6月24日から開催される「moji moji Party No.7 今田欣一の書体設計 活版・写植・DTP」にて上演するための写植関連の歌の編曲が終わり、主催者様に納めました。
楽譜が残されているものは問題ないのですが、公式な譜面や録音物が存在せず制作者の記憶にしかない歌もありました。記憶を基に書かれたという楽譜を見ながら打ち込みで編曲を施してゆくにつれてその歌の世界が見えてくるのは、感慨深いものがありました。忘れ去られて消えてしまうしかなかった筈の歌を後世に伝えるための一端を担うことができ、光栄でした。
作品の趣旨上、関係者以外には決して知られることがなかった歌ばかりです。写研が全盛の頃の空気を感じていただけることかと思います。
会場では24日のオープニングコンサートの他、会期間に上演予定です。拙い編曲ではありますが、お聴きいただけましたら幸いです。
2014.6.15(日) 23:00 880 紫陽花の庭
【日録】友人から蒲郡の「形原温泉あじさい祭り」がいいと聞き、足を伸ばしてみた。
名古屋からはJRとシャトルバスを乗り継いで1時間半ぐらいの小旅行。会場に近付くと駐車場に入れない車の渋滞が続いていて、車で来なくてよかったと思った。バス停から歩いて5分ほどの所に会場はあった。
見渡す限り、全部紫陽花!
大きな溜め池の堰堤全体と池の周りに紫陽花がくまなく植えられ、どこを観ても絵になる風景が広がっていた。夜はライトアップされるらしい!
溜め池の上側には花壇が整備されていて、人々の絶好の撮影スポットになっていた。
途中で、会場の近くにある「昔ばなし」という店で昼食。デザートに紫陽花が添えられていた。和風の古風な雰囲気でとても落ち着いた。この日は快晴で、よく効いた冷房と冷たい食事がとても気持ちよかった。
会場には様々な品種のあじさいが植えられていた。控えめながらちょっと変わった白いこの花が一番気に入った。
会場のほぼ一番高い所からの眺め。会場全体だけでなく、蒲郡市街や海に浮かぶ竹島も見ることができた。このあと長くて急な階段を下りることになり、同行人氏が転んでしまった。眺めに感動した後は要注意!
たまたま見付けた“特等席”から。木陰でずっと陽が当たらず、風通しが良く、入口に気付きにくいので人もごく少ない場所。歩き廻って熱くなった体を冷たい風に当てながらゆっくり休憩した。
気付いたら昼のバスの最終便の時間になっていた。思っていたよりずっと見応えがあり、長居をして楽しめた。長い時間暑い日向で歩き廻ってくれた同行人さん、ここを見ていないかもしれませんが、どうもありがとうございました。
(BGM:湯川潮音『紫陽花の庭』/2006年作品)
2014.6.14(土) 23:00 879 今なら使える
【亮月写植室】知人から依頼のあった写植書体の印字を行いました。
※つめ組み用文字盤使用。当室のPAVO-JVは画面が使用できないため、微調整はしておりません。
書体は「石井太ゴシック体」と「ゴナB」。
石井太ゴシック体は私の書体観の基準と言ってよく、最も違和感なく目に入ってくる書体です。手本を側に置かなくても空で描けそうなほど馴染んでいる存在です。
一方で、ゴナB。この書体を見掛ける頻度はこの20年ほどで激減し、名古屋へ出掛けた時に地下鉄のサインに使われているのを見てほっとするような、遠くなってしまった存在です。
写植を追いかけ出した頃、ゴナに代わって使われるようになったモリサワの「新ゴ」が酷似していると感じ、どうしても許せませんでした。印刷物を見ては「何でこんな書体が存在し、使われているんだ……。」と溜め息をつく日々でした。
長い時間が流れ、久し振りに印画紙で見たゴナB。
新ゴとは全く別物でした。極めて安定した骨格。不均等がなく節度のある懐。均質な太さに見える、よく調整された滑らかで引っ掛かりのない輪郭。無理な描き方をしない漢字、特にはねが直角でなくゆったりとやや広がる感じ。小さめのQ数でベタ組みした時の品の良さ……。ゴナをよく知っている人こそ、新ゴでは代わりにならないことをよく分かっていることでしょう(※DTPでは新ゴを使わざるを得ないということは、ここでは差し置きます。書体そのものがどういう性質であるかということです)。漢字を並べるだけでも、受け取る雰囲気に大きな違いがあります。
新ゴには新ゴの書体としての特性があり、ゴナでは発揮しきれない陽気さやおどけた感じ、はち切れんばかりのエネルギーを持っています。この書体でないと生きない場面があることは間違いありません。
ただ、この新ゴばかりになった今を受け止めていると、心のどこかに足りないものがあるということを実感するばかりです。書体は道具です。今回のように使いたい書体を実際に使うこと。その書体が「ある」ということをこの世に示し、問うこと。それが唯一の手だてなのではないかと思っています。「今なら使える」のです。使わなければ、世の中からも、人々の無意識の記憶からも、本当に消えてしまいます。
依頼者様はスキャンしたデータをご希望でしたので、印字に際しては若干ぼけ足がある黒白写真用の印画紙ではなく写植用の印画紙のストックを使用しました。
この依頼では、印画紙は成果品ではなくあくまで素材です。そのため、私の環境ではどのように現像条件を変えてもカブリ(未使用の印画紙が感光等して黒くなる現象)が起きてしまう「三菱PTS-MR75」(廃番)を使用しました。2年ほど前に譲って頂いたものです。
印画紙全体がカブリで灰色になるものの、印字は非常にシャープで、スキャン後に色調を補正すれば納品する文字の品質に全く問題はありません。未使用のものを大量に頂いたので当分大丈夫です。Nさん、とっても助かっています! 譲って頂いて本当にありがとうございました!(←私信)
2014.6.1(日) 23:00 878 レフティー対大正琴
【日録】5月24日の楽器ピクニックへ楽器を持って行くことができなかったメンバーの希望で、もう一度自主的に楽器ピクニックを実施した。
訪れる人が少なく、音を出すにはちょうどいい穴場の公園が某市にあるというので訪れてみた。今年一番という真夏並みの強い日差しのためか予想通り人は少なく、木陰に陣取って演奏した。
あまりの暑さに15時過ぎには退散、日陰に居た筈なのに、肌が出ている部分は赤く日焼けしてしまった。涼しい喫茶店で冷たいものを食べながら火照った全身を休ませた。
今回は暫く練習していなかったベースを持参していた。当然ながら殆ど弾けない。ところが、ベースを置いて順手でフレットを押さえると、結構弾けてしまう*1。
そこで思った。
慣れ親しんできた鍵盤楽器は、手の甲を上にして右に行くほど高い音が出る。弦楽器はその逆だ。私はそこでかなり混乱している。そして右利き用の弦楽器は、不器用な筈の左手でフレットを押さえ、複雑に指を動かすことを強いられる。何故なんだ? レフティーと呼ばれる左利き用の弦楽器こそ右利きにとって合理的なんじゃないか!? レフティーのベースを買えばええやん*2、などと。
きっとあまりの暑さに頭がおかしくなっていたのだろう。どうにもしようがない周りの状況に対して文句が出るということは自分の至らなさを表明することと同じ。練習が全く足りていないということを痛烈に思い知ったのであった。
某さん、ここを読んでいるかは分かりませんが、至らぬ同行人ですみませんでした……。嫌がらずにまた合奏してやってください。
*1 これって大正琴なのでは、と思った。しかも「ベース大正琴」なるものが存在し、かなり魅力的だ。しかし大正琴も、何故か不器用な左手で弦(キー)を押さえて右手で鳴らすことになっている。
*2 管理人が好きな某作品とは無関係にこの論が導き出されている。念のため。
2014.5.24(土) 23:00 877 それが青春
【日録】所属の写真サークルで恒例の「楽器ピクニック」に出掛けた。
少し離れた街にある、かなり大きな公園である。午後に到着すると、芝生広場の周りにある木陰には沢山のグループが場所を確保していてとても賑やかだった。
その中でちょっと異質な雰囲気を醸し出しているのが我々である。10人弱のメンバーよりもずっと多くの楽器が溢れているのだ。合奏していると、見知らぬ周りのグループの人達からリクエストを貰ったり、お礼にと食べ物を分けてもらったりした。
今回は近しい人から大型のカホンを借りることができた。電車移動だったのでかなり目立ったが、腰の据わった深みのある音色は小型カホンでは出せない。持って行ってよかった。
このメンバーで音を出すのは久し振りだった。新しく入ってきた人達とも演奏を通じて楽しい時間を共有できた。仲良くなればきっとまた音楽や世界の幅が広がる。これから少しずつ親交を深めていけたらいいと思う。
気が付いたら、あんなに大勢いた周りのグループは殆どが解散していて、日没までいたのは私達だけだった。青春だなぁと思った。後日貰った集合写真もまた、青春を感じる良い雰囲気のものだった。いつの間にかこのサークルでは古参・年長の部類になってしまったが、青春に年齢は関係ない。心から熱中できる前向きなものがあれば、それが青春なのだと思う。
2014.5.18(日) 23:00 876 印字の一日
【亮月写植室】6月に開催される今田欣一さんの個展に備え、今田さんにまつわる写植書体の印字をしました。
→今田欣一さんの twitter 該当記事(5月22日付)
今回の印字は作品の意味合いが強いので、光沢があって見映えがする黒白写真用印画紙の「フジブロWP FM4」を採用しました。
指定さえ作ってしまえば、あとはそれに従って写植機を正確に操作するだけです。とはいえものすごく集中力が必要で、今どの文字まで打ったか、次に打つ文字はどこか(採字)、写植機をどのように操作するのかといったあらゆることを同時に考えながらの作業です。少しでも気が散ると打つ文字を間違えたり、主レンズを変え忘れたり、字づら検出機能を切り忘れたり、光源ランプの強さを変え忘れたりして一巻の終わりです。何枚も反故にしてしまいました。
丸一日かかって、今田さんに納める印画紙が完成しました。
つやつやで純白の印画紙に真っ黒で滑らかな文字。写真植字の真骨頂です。印刷原稿の部品という本来の用途から距離を置いた素材を使ったことで、写真植字そのものの魅力をうまく引き出せたように思います。
「moji moji Party No.7」にて展示の予定です。ぜひご覧ください。 |