●過去だより1076〜1100
2019.2.3(日) 1100 潮音さんの子守唄
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
湯川潮音さんの『わたしの子守唄』。
サイトの整理をしていて湯川潮音さんの最近の動向を調べたところ、このアルバムの受注販売を始めていたことを知りました。潮音さんの直営で、しかもアルバムの3曲目『○○の子守唄』は名前を指定すると彼女がその名前で歌ってくれるとのこと! 何度もライヴに脚を運んだ潮音さんが、自分達の子のために歌ってCDを作ってくれるなんてどんなに嬉しいことだろう! そのタイミングを待つ日々でした。
満を持して、CDの制作をお願いしました。
しっしし潮音さんのじじじき直筆だァーっ!!!(管理人、興奮しすぎ)
もうこれだけでも胸が締め付けられてドキドキするほど嬉しいのですが、冷静を装いつつ開封してみます。
薄いメッシュの袋に包まれた手作りのパッケージ。中身の装幀は伏せておきます。
なんとCD-Rの盤面にも潮音さんの直筆が! デーッ!(←泣き声)
アルバムは昨年の春に母親になられた潮音さんが書き溜めてきたという歌が入っていました。最近のアルバムのようなプラスティックな感じではなく、潮音さんの歌声を活かした生演奏によるあたたかな曲調がまず嬉しい。お母さんになられて声の優しさが増しているような印象です。僅かに枯れた丸い声はとても穏やかで、慈愛に満ちていて、子供だけでなく一緒に聴いている親も眠ってしまいそうです(実際に寝た)。
3曲目『○○の子守唄』。潮音さんが私達の子のために時間を作って、心を込めて、名前を歌ってくださった。まるで「小部屋ライヴ」で目の前にいる潮音さんが歌っているかのようで、とても感激しました。
このタイミングでしか聴くことができなかったであろう一枚。とてもよい記念になりました。十何年潮音さんファンでいて本当によかった。同じ時代を生きることができる喜びを噛み締めました。一生の宝です。
2019.1.31(木) 1099 生活のお供
【日録】再びオーディオの話ですが、新居にラジカセを置くことにしました。テレビは思わず手を止めて見てしまいますが、ラジオはあくまでこちらに行動の主導権があるような感じがします。
新しく買ってしまうよりまずは今あるものを活用するということで、実家の片隅にあったソニーのステレオラジカセ「CFS-V1」(1979年製)を使うことにしました。他にも2台ほどあるのですが、1990年代生まれの彼らよりも1970年代生まれのこのラジカセの方がずっと頑丈で、操作が確実で、外観も好みなのです。2010年代のソニーデザインも虚飾がなくて結構好きですが、長く使うものは質実剛健である方を選びます。
このラジカセ、しばらく放置されていたにも関わらずAM・FMチューナーは生きていて、外部入出力も使用可能でした。40年もよく耐えてくれました。昭和の日本製はやっぱり頑丈だ! しかしカセット部は機械ものの宿命で動作せず、アンテナは折れていました。
このまま使い続けるに忍びないので、これを機に修理に出そうと思いました。修理業者は沢山あり、その中でも確実に直してくれそうな会社に全面修理の見積を依頼しました。結果……
93000円!
あまりにも高いので当然辞退し、整備した中古を販売している個人の方に修理(整備品と手持ちの故障品を有償で交換)してもらいました。
直線的で無駄のないデザインで、金属が多用された強固な筐体です。大きなチューニングダイヤルと5連レベルメーターもいい。カセット・AM・FMステレオ・VHF/UHF(現在はアナログ放送なし)だけでなく、外部入出力端子が備えられていて、デジタルレコーダーやタブレット等、ヘッドフォンジャックが付いている機器なら何でも受け入れるという懐の深さです。それもまた修理しようと思った理由です。
居間でラジオを流すと、昭和生まれの私には何とも落ち着く音が、何かを邪魔することなく流れてきました。じっくり聴く時は前々回のようなオーディオに任せる訳で、ラジカセはまさに生活の“お供”のような存在です。
私が生を受けてから過ごしてきたのと同じだけ時間を共にし、酷使に何とか耐え、完動品として甦ったラジカセ。これからも長生きしてくれそうです。
2019.1.30(水) 1098 そよ風ジュンちゃん
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
桜田淳子さんのアルバムを聴いてみたくなりました。
ベストアルバムでシングルA面の曲は把握していましたし、『追いかけてヨコハマ』や『花占い』は2009年の時点で気に入っていました。しかし彼女の音楽を深く追いかけるのは何となく王道過ぎる感じがし、天邪鬼が災いして手を出さないままでいました。
今回掘り下げようと思い立ったのは、たまたま改めてデビュー曲『天使も夢みる』を聴いたことからでした。軽やかで夢見心地な世界がやや前時代的に感じるような編曲で描かれていて、古き良き時代の幸福な音楽に聴こえたのです。きっと沢山の人達に大切にされて送り出されたのではないかと。
イントロのベース+鉄琴による「ブリ〜ン♪」というユニゾンとやや高めのチューニングの前時代感、チューブラーベル(『NHKのど自慢』の鐘)の平和で世界が拓けるような響き、深いリバーブがかかったストリングスの繊細さ、チェンバロとピアノの軽やかなフレーズに清潔感を感じ、サビの「♪もう泣かないわ さびしくないわ」の半音ずつ上昇するクリシェ(F→Faug→Gm7→Cに聴こえる)で胸がいっぱいに。「♪天使も夢みる春だから」でふんわり着地して心の中が春になります。デビュー作にしてなんという名曲を与えられたのだろう。(文章がめちゃくちゃですがお許しください。)
アルバムはCDでも復刻されているのですが、定価の何倍もするため試し聴きするには高過ぎ、安価なLPを買い揃えることにしました。『そよ風の天使』『わたしの青い鳥』『淳子と花物語』『三色すみれ』『スプーン一杯の幸せ』『わたしの素顔』と、1975年までに発売されたほぼ全てのスタジオアルバムを聴いてみました。
ジャケットの愛らしい姿から、爽やかでポップな作品が多いのだろうと想像していましたが、意外と湿度が高く、和のテイストが強い曲が目立ちます。これは当時の音楽全体がそうだったのか、歌謡曲の聴き込みが足りず何とも言えませんが、それでも他の歌手の作品から見ると新しさよりも古風さを感じました。同じ時代のビクターなら麻丘めぐみさんの曲の方がずっと先進的で洗練されて聴こえます。
だからといって物足りない訳では決してなく、聴けば聴くほど好きになっていくような独特な節回しというか編曲の傾向というか、「桜田淳子の曲だなぁ」という安心感があります。そしてそれは彼女の生真面目さが歌声からも伝わってくるからかもしれません。生真面目な人が好きだ。(←誰も訊いてない)
好きな曲を一曲ずつ解説する時間がないので題名だけ挙げておきます。桜田淳子的としか言いようがない独特な世界観と音楽観を持った作品群で、同じアルバムの中でも目立つのです。★は特にお気に入り、☆は名曲だと思っています。
・そよ風の天使……『ちいさな花の恋』『乙女の祈り』『虹のほほえみ』『☆天使も夢みる』
・わたしの青い鳥……『わたしの青い鳥』『☆あなたの瞳わたしの瞳』『気になる男の子』『☆妖精のつばさ』
・淳子と花物語……『★わたしの早春賦』『日ぐれの少女』『☆ふたりはふたり』『☆のっぽの恋人』
・三色すみれ……『三色すみれ』『三つの約束』『☆あなたのひとりごと』『★水色のハンカチ』
・スプーン一杯の幸せ……『ひとり歩き』『★今日から私は』
・わたしの素顔……『十七の夏』『だからわたしは』
『あなたのひとりごと』の「♪真夜中 十二時 雨だれぽっつん」というフレーズと歌い方が好き。
「そよ風ジュンちゃん」の可愛らしいイラスト。その時代に戻ることは決してできませんが、45年の時を越えてそよ風を届けてくれました。
3ヶ月以上ひたすら桜田淳子を聴き込んでしまいました。多幸感溢れる音楽たち。いつかまた聴いたとき、きっとこのころのことをはっきりと思い出させてくれるでしょう。
2019.1.26(土) 1097 20年越しの更新
【日録】新居のためにアンプを更新しました。
ソニーのプリメインアンプ「TA-F3000」です。
今まで25年以上使ってきたのは親戚から貰ったサンスイの「AU-207II」(1979年製)でしたが、ボリュームにガリがあり、ヘットフォンとスピーカー出力にはハムノイズが乗り、レコードプレイヤーはMCカートリッジのものしか増幅できないなど難が多く、気に入ってはいないものの、騙し騙し使っている状態でした。
TA-F3000は小型の中級アンプで、高校生の時にカタログで見て以来気になる存在でした。小型で、音が良くて、デザインがシンプルで、MCカートリッジにも対応している……。大きくて重いESシリーズのアンプよりも、凝縮されたF3000に惹かれていました。
最近はCD化されていない(またはCDにプレミアがついて買うのが躊躇われるような)音楽を聴くためにレコードを再生する機会が増え、新居が建ったこともあってこのアンプのことを思い出し、中古で安く出ていたので更新に至りました。
更新したF3000自体も1996年製で20年以上生き続けてきた代物です。しかし不調は全くなく、透明感溢れるレコードの音を聴かせてくれました。操作部はヴォリュームの重さやスイッチの手応えなどが心地良く、小さくても丁寧に作られている印象です。恐らくはもう、アンプを買い替えることはないでしょう。
2019.1.14(月祝) 1096 写植機使用休止のお知らせ
【亮月写植室】一昨年末から計画を進めてきた新しい自宅が完成し、少しずつ引越しの作業を進めています。
写植室も新居に設けることができ、“新社屋”での活動に向け備品を移し始めました。亮月写植室は法人でも個人事業主でもありませんが、新社屋と呼びたくなってしまいます。
車のトランクは文字盤でいっぱいになりました。
2ℓペットボトル6本入りの段ボール箱が最適ですが、30枚近くメインプレートを入れると運ぶ時に腰を悪くしそうなくらい重いです。写っている箱は全てメインプレート入りで、満載しては新社屋へ運ぶのを数回繰り返します。サブプレートは蓋付きのボックスコンテナ(アイリスオーヤマの「B-21」にちょうど6ケース入る)に収め、車に満載して3往復しました。まだ現像用品やメンテナンス部品、書籍などの資料、書棚が残っているので、完全移転には時間がかかりそうです。
愛用の PAVO-JV も移転に向けて一部解体しました。幸い搬出入を引き受けてくださる業者さんがあり、その日を待っています。
そのため、亮月写植室の活動のうち、写植機を使った実作業ができなくなりました。印字のご依頼は当面受けかねますので、写植屋さんをご案内いたします。
その他の活動はできる限りこれまで通り続けます。ここ2〜3ヶ月は写植に関するお問い合わせがかなり多い状況です。引越しの都合上、資料がしまい込まれて一時的に参照できないなどはあるかもしれませんが、私の頭の中に入っていて裏が取れる限りは対応いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
現在の写植室は2011年1月に完成しました。広く知らせず、個人で細々とやっているにも関わらず、これまでに国内外から40名もの方が訪ねてくださいました。ここから始まったご縁も多くあります。初めて自分用の写植機を導入し、写植について実感を持って深く知ることができました。全国の方から沢山の文字盤や資料、そして写植機を頂き、写植への思いを引き継ぐことができました。真夏の蒸し暑い中も、年末の冷たい中も、このちいさな一室で写植とともにある日々でした。実り多き、そして思い出深い8年間でした。
さようなら! 思い出の写植室
ありがとう! 初めての写植室
“新社屋”への完全移転と印字再開の時期は未定ですが、いつかまた写植機の音を響かせ、写植の文字を新しく生み出していきたいです。
2018.12.23(日) 1095 よき年末を
よき年末をお過ごしください。
2018.12.16(日) 1094 PAVO-JVの仕事納め
【亮月写植室】某所から依頼があった写植の印字をしました。
写植オペレータの方はまだまだ東京にいらっしゃいますので、何社かをご案内したのですが、恐れ多いことに「亮月さんに印字していただきたい」とご指名を頂戴しました。来年早々に印刷物で使っていただけるとのこと……ありがとうございます!
夕食後に印字を始め、ついでに自分自身が発注者の印字もしたので、終わったのは22時半でした。12月の寒い中で写植の印字をするのが亮月写植室の年末恒例行事です。
この PAVO-JV の2018年の仕事はこれでおしまい。お疲れ様でした……。
2018.12.1(土) 1093 新しさよりも優しさを
【日録】照明を新しく用意することになったので、全てペンダントライトを採用し、なおかつ時代に左右されないような意匠のものを努めて選びました。この場所に長い年月あり続けるものなので、「今の時代」に合うものを選ぶと必ず古臭くなってしまうと思ったからです。シーリングライトを採用しなかったのも、私が生まれ育ってきた昭和後半から平成の生活の匂いがどうしてもしてしまうという理由です。生活感が溢れかえった空間はもう嫌じゃ。
LED電球を試しましたが、目に刺さるような強い光が耐えられず、そうではない機種(パナソニックの100Wのみ)は価格が割に合わないため、結局電球型蛍光灯に戻してしまいました。この蛍光灯が寿命を迎える頃には、きっと目に優しく財布にも優しいLED電球が普及していることでしょう……。
2018.11.25(日) 1092 ふれあいの痛み
【日録】一度は行ってみようと思っていた、「中津川市ふれあい牧場」。
高原の牧場のイメージそのままの景色が広がっていた。
秋の終わり、うさぎ達は寒そうで動かない。
人のあまり来ない場所に日溜まりを見付け、そこでお弁当にした。長い距離を歩いたので、特別に美味しく感じた。
猫がどこかで鳴いていると思ったら、いつの間にか近くに座っていて、「ニャーオ」と哀れみを誘うような声を出す。同行人氏が手で竜田揚げをやろうとしたら、猫は爪を出して「シャッ!」と奪い取った。指から出血し、通り掛かった職員の方に手当をしてもらった。聞けば野良猫で、ここで弁当を食べた観光客や職員は軒並み同じことをやられているという。もう猫には食べ物を与えまいと心に誓った。
その点、犬は人と気持ちを通わすことができると思った。指を丸めてハイタッチ。
山羊は本能の赴くまま、ただただ餌を欲しがる。
「え〜っ、もう行っちゃうの〜?」という声が聞こえてきそうだった。
2018.11.22(木) 1091 終着駅の先には
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
好きな音楽をどんどん掘り下げていくとよく知られた歌手だけでは物足りなくなり、CD化されていなかった曲や珍盤を集めたようなアルバムを漁るようになっていました。
それらの中には隠れた名曲も多々あり、耳を楽しませてくれるのですが、掘り下げれば掘り下げるほど、ディープになればなるほど、「自分の好みとは違うな」と思うものも多くなっていきました。そして次のアルバムを買い求めたくなるという……。
いわゆる“和モノ”の文脈や、B級・C級などカルト的な作品群、やさぐれ系など、歌謡曲なら何でも聴いてみたのですがしっくり来ず、その終着駅にあると思われる、海道はじめ『スナッキーで踊ろう』(1968年、船村徹作曲。→YouTube)を自力で発掘し、日本のポップスのどの曲にも似ていない独特な音楽性に震撼し、仕事中も頭から離れなくなり、そして妙に納得したのでした。
珍しい音楽を聴きたいんじゃない、オーソドックスでも潑溂として多幸感のある、牧歌的な音楽が聴きたいのだと。聴いていて心穏やかに、元気になる音楽を聴きたいのだと。その探求をしているのだと。(まあ、そんな堅苦しく考えているのではなく、気になった作品を直感で選んでいるのですが。)
いつの間にか手段が目的になってしまっていました。幸い、『昭和歌謡職業作曲家ガイド』『昭和歌謡ポップスアルバムガイド』という書籍に巡り逢い、あの頃の音楽を感覚ではなく言葉で把握することができるようになりました。作曲家毎に異なる作風がどのような所から来ているのか、どのようなアルバムがどういう文脈で存在し、どういう音楽の傾向なのか。解説を読んで「聴いてみたい!」と思うものもあり、今後レコードを購入する参考に大いになりました。中には持っているアルバムが紹介されていて嬉しかったです。「あぁ、やっぱりいいアルバムだったんだ」と。
もう一度原点に立ち返り、よく知られた歌手の作品から少しずつ始めていきたいと思います。
2018.11.11(日) 1090 子供の頃には見えなかったもの
【日録】
両親に日頃の感謝を込めて。
父が若い頃の仕事の話、よく名古屋へ連れて行ってくれたこと、その道中にあった面白い看板の思い出……などなどを話したり聞いたりした。大切に育ててくれて、沢山の思い出を作ってくれたんだと今になって分かる。子供の頃には見えなかったものが少しずつ見えてきた。
親にとっては思い出話にできるような楽しいことだけではなかった筈だ。大変なことも山ほどあって、それを一つずつ乗り越えてきたから今こうしていられるのだ。歳をとることは悪いことばかりが見えがちだが、醍醐味もあるのだ。そのことを両親の姿から見ることができた。
2018.10.28(日) 1089 半年経ったら
【日録】久し振りの用事がない休日だったので、少し足を伸ばした。
恵那市の阿木川ダムの脇から車が苦しむような長い急坂を上りきり、初めて東濃牧場に入る。
山羊がお店の前に繫がれて、触り放題になっていた。生えている草を与えようとしても食べてくれず、買った餌を見ると愛嬌を振りまくのが分かりやすい(笑)。
牛達は人の笑い声に反応して牛舎の奥から一斉に押し寄せ、餌が貰えないと分かると今度は一斉に奥へ戻っていくのを繰り返している。牛にも集団心理というものがあるのだと思った。
東濃牧場の近くには岩村町がある。『半分、青い。』の舞台になったふくろう商店街だ。ドラマが終了してどうなったか、半年振りに行ってみた。
日産グロリアスーパーデラックス!! 恰好いいことこの上ない。ドラマではブッチャーの父上がこの車(そのもの)に乗っていた。
商店街の五平餅屋さんには長蛇の列ができていた。半年前には全く考えられなかったことだ。私達東濃地方の住民にとってはどこにでもある食べ物だけど、それが全国の人々に知れ渡り、わざわざ現地まで食べに来てくれるのは嬉しいことだ。朝ドラの力を見せ付けられた。『半分、青い。』自体は中盤から雑な作りになって結末も変わらずテキトーだったので、「東濃を馬鹿にされた」と思っていたが……。
2018.10.20(土) 1088 赤い風船
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
浅田美代子さんの1枚目のLP『赤い風船』(1973.5.21発売)です。ジャケットがとても良く、名盤なのではないかと直感しました。
A面はシングル曲とカヴァーも含めた筒美京平作品がメイン、B面は洋楽のカヴァーという当時のアルバムによくある構成で、このアルバムのためのオリジナル曲は『愛のキューピッド』『愛の花咲かせるために』の2曲でした。しかしアルバム全体がよく作り込まれていて、各曲とも音楽としてじっくり聴かせるものでした。浅田さんの歌唱も世の中が言うようなものでは決してなく、安定して音程が取れている上に表情豊かなものでした。特に『いつかどこかで』はとても楽しそうに、表情たっぷりに歌われていて、“歌手・浅田美代子”の魅力に気付きました。といってももはや過去に残されたレコードを聴くことしか叶わないのですが。
個人的にとても気に入ったのが『愛のキューピッド』です。スケールの大きなゆったりとした16ビートのハネるリズムで、青空のように澄んだストリングスが広がるような伴奏です。素朴なコード進行ですが、優しさが溢れるメロディーが乗って、Bメロ(サビ?)の一番盛り上がる箇所(「それさえ わからないけど」の「ら」)には泣きの短6度の音を持ってきてコードが IV→IVm→V7 とドラマティックに変化するなど、筒美京平氏の力の入れようが伺えます。ささやかでも忘れられないあの人への片思いを歌っていて、聴いていて心が洗われるような幸せな気持ちになります。
B面の洋楽カヴァーでは『そよ風に乗って』がたまらなく好きです。南沙織さんのアルバム『17才』にも収録されていたのですが、朝日の中を駆けるような雰囲気と、コーラスとストリングスの掛け合い(I→VIm の繰り返し)のがものすごく郷愁を誘い、大切な人と遠い旅から家に帰りたくなるような懐かしい気分に包まれるのです。
このアルバムは残念ながらCD化はされておらず、LPで聴くしかないのですが、浅田さんの本当の表現力と高い音楽性を堪能できる素晴らしい一枚でした。歌謡曲が好きな人ならプレイヤーを買ってでも是非聴いていただきたいです。
中古で購入したこのLPには手紙が入っていました。昭和48年の夏に物損事故を起こした青年の念書でした。どんな気持ちでこのLPに託したのでしょうか……。
私もこのところ辛い気持ちの日々が続いていました。このアルバムを繰り返し聴いては何とか心を保っていました。きっとそんなことも鮮明に思い出すでしょう。
2018.10.18(木) 1087 便利さは脆い
【日録】今年は地震や台風など災害続きなので、備えの一環として防災ラジオを購入しました。
東芝の「TY-JKR5」です。手回しハンドルがあり、ラジオを聞いたり携帯電話を充電できる、よくあるものではあります。それでもこの機種を指名買いしました。
蓄電方式が日本のメーカー唯一の電気二重層コンデンサ(キャパシタ)だからです。
災害ラジオには、普段使うというよりは、いざという時に確実に役に立たなければならないという使命が課されているのですが、従来使われてきたニッケル水素充電池では繰り返し充放電しても長期保管しても必ず劣化してしまいます。それではいくら性能が良くても意味がない訳で、原理的に劣化しようがないものを電源にしている本機を探し出しました。デザインはソニーの「ICF-B09」の方が好みなのですが、災害に遭った時はデザインがどうだと言っている場合ではないのです。その時役に立つことが何よりも優先です!
同じことを考えている人は多いようで、注文してから1ヶ月半経ってようやく手元に届きました。
災害がニュースになる度に、携帯電話の充電に困る人々が映し出されるのですが、携帯電話の充電ができる場所をいち早く作ることが大切なのでは決してなく、携帯電話に頼らないで災害を乗り切る方法やルールを社会全体で予め考えておく方が早くて確実だし混乱も少ないと思います。
発災したら真っ先にやられるのは「便利さ」です。便利さは電気と多くの人達の絶え間ない努力で何とか成り立っているとても脆いものです。災害が起こってそれが破壊され、原始時代のような生活になっても便利さを追い求めようとするのは無理なことだと思います。
2018.10.14(日) 1086 天空レストラン
【日録】遠くではない場所にも、素晴らしい景色はある。
岐阜県瑞浪市大湫町の「カフェー清涯荘」。
車も苦しむほどの急坂の途中から山道に入り、景色が開けた場所にそれはあった。切り開かれた尾根一帯からの眺めは、東は恵那山、西は多治見と、見たことがないような角度の景色だった。
肉を一切使っていないというが、穀物や野菜本来の美味しさを引き出す調理法で深みのある味だった。
「ピヨピヨ」という声が離れた所から聞こえるので、食後に敷地の中を散策すると……
烏骨鶏の子供だった。コッコチャーン!
鶏好きなのでしばらくその様子を見ていた。いるだけで愛おしい。
2018.10.6(日) 1085 今度は、自分達の番
【日録】ごく珍しく、車で名古屋へ出掛けた。
高速道路でも国道19号でもない。愛岐道路から守山、大曽根、今池を経由する道のりはその多くが片側1車線で、時間はかかるが落ち着いて運転できるのだ。自分が子供の頃、父が名古屋へ向かうのはこのコースで、国道を使うことはあまりなかった。だからか今でも愛岐道路経由で名古屋へ向かうと特別感があってわくわくするということは以前書いた。
栄の百貨店を何軒か廻り、机などの備品や照明を探す。丁寧に作られた本物が沢山揃っている。両親もそうやって自分を名古屋へ連れてきてくれた。その時は、地下街を歩き、丸栄で買い物をし、レストランでお子様ランチを食べたんだった……。もう30年以上前のことになってしまった。
今日は食事も特別だった。某牛肉店の食事券を貰ったので、個室で大きなしゃぶしゃぶをゆっくり頂いた。量は多くない筈なのに満腹だった。今度は両親と一緒に……と心に誓った。 両親がしてくれたことを、今度は自分達がする番だ。
2018.10.4(木) 1084 太ゴシック体B1の印字
【写真植字】ある大手デザイン会社様から「太ゴシック体B1の印字はできませんか」と問い合わせがありました。
亮月写植室は写研の手動写植機しか保有していませんし、B1の文字盤も持っていませんので印字することはできません。
しかし現在でも印字できる所があります。
会社名などの公開は控えてほしいとのことでここに書くことはできませんが、お尋ねいただければお答えいたします。
太ゴシック体B1がどうしても使いたい方はぜひご連絡ください。
2018.9.24(月振) 1083 あれ、何で新ゴに熱くなっているんだろう
【写真植字】「書体のはなし」の「新ゴシック(新ゴ)」の記事を全面改稿し、本日公開しました。
全面改稿は2012年に1本、2014年から年に数本行い、6年かけてようやく28本全ての記事を書き換えることができました。書体について深く学び直す、とても良い機会でした。これで落ち着いて他の書体の記事を書けそうです。
新ゴシックの当初の記事の公開は2001年8月でしたので、17年振りに書き下ろしたことになります。亮月製作所で閲覧できる最も古い記事だったかもしれません。削除する前に読み返しましたが、とても恥ずかしかったです。しかし現在とは比べ物にならないほど資料がなく、公開されている情報も乏しかったのですから、学生だった私があれくらいしか書けなかったのも無理はなかったのかもしれません。
この17年で、写植時代の「新ゴシック」やそこに至るまでの資料に出逢うことができたり、モリサワや小塚昌彦さんのような新ゴを生み出した側の文献や記述に恵まれたりし、満を持して充実した内容にすることができました。まだ語りたいことがありますが、程々にしました。
これまで漠然と「新ゴはあまり好きじゃないなぁ」と思っていたのですが、改稿するに当たって資料を読み進めていくと、新ゴが生まれるまでにどういった経緯があり、どういう考えがあってあのような書体になったのかを詳細に知ることができ、新ゴの長所を見出すこともできました。
そして、私は単純に「新ゴが嫌い」なのではないということも分かりました。なぜなら「書体のはなし」で最も長い記事になってしまったくらいなのですから……。1ヶ月以上かけて少しずつ執筆を続けていると、「あれ、何で新ゴに対してこんなに熱くなっているんだろう」という不思議な気持ちになりました。新ゴは長く語りたいほど興味深い書体だったのです。
「新ゴはあまり好きじゃない」と思っている方にこそぜひお読みいただきたい。好きじゃないことに変わりはないかもしれませんが、新ゴの良さも分かると思います。そんなに悪い子じゃないんですよ。
*
「チャンピオン」のテレビCM『自由で、ごめんね。』(→公式サイト)にモリサワの「太ゴシック体B1」が使われていて驚きました。まだ印字できる所があるとは聞いていましたが、こちらは田舎ゆえ新しい使用例を確認できる機会が少ないのです。
前回の投函で「NPGクナド」のことを書きましたが、B1の切れの良さや凄みはやはり別格です。モリサワさん、太ゴシック体B1を“墨だまり”なしでフォント化してください! お願いします!
2018.9.1(土) 1082 本命現る
【文字関係】写研の「石井太ゴシック体」の前身である「太ゴシック体」やモリサワの「太ゴシック体B1」といった写植黎明期のゴシック体の系譜を継ぐ書体が誕生したと、風の便りで聞きました。
nipponia さんの仮名フォント「NPGクナド」です。
早速購入し、戦前から1950年代までの広告のキャッチコピーを再現してみました。全く違和感なく当時の言葉を紡ぐことができました。筆遣いが感じられ、品が良く、少し苦さや凄みもある。完成されきっていない過渡期のゴシック体の魅力が詰まっています。
私もこの系統のゴシック体の魅力に取り憑かれ、大阪DTPの勉強部屋さんの『写植の時代展2』のパンフレットに寄稿したように足跡を追いかけてきました。できれば印字したいとずっと思ってきました。しかし写研の旧「太ゴシック体」は文字盤が未だ見付からず、モリサワの「太ゴシック体B1」も印字できる写植屋さんが廃業してしまい、それでもどこかで細々と提供していると聞いています。
そのような非常に厳しい供給状況の中で2017年に耳にしたのがモリサワの「A1ゴシック」の発表でした。
初めは「B1ゴシック」と見間違えて、「遂にモリサワがB1を出してくれたか!」と大喜びしましたが、よく見ると「A1」。「A1明朝」の骨格を受け継いだゴシック体だったのです。モリサワの写植の書体コードの「A」は明朝を表す(→参考)のにゴシックとは何なんだ……。と、もう写植の時代ではないと分かっていながらも憤慨して書体のデザインを見てみると、A1明朝以上に強いぼけ足(墨だまり)があり、B1と現行のゴシック体の特徴を混ぜ、そして字形をやや崩して作ったような書体でした。
B1を知る者としてはA1ゴシックは「キメラのような」不気味なゴシック体だと思いました。B1を知らなければちょっと心惹かれたかもしれません(笑)。現に、発表当初から使用例をよく目にしています。独自の個性を発揮している、今までになかった書体だと思っています。でも、B1のあの切れ味の良さや昔の人が描いた文字の凄み、完成されていないながらも真面目さを秘めているところが好きだったのです。「A1ゴシック」は、私にはちょっと残念な書体でした。
そこに登場した「NPGクナド」は、nipponia のデザイナー・山田和寛さんが写植黎明期のゴシック体の特徴を充分に研究・咀嚼して丁寧に作られている印象です。原典と少し異なる箇所もありますが、違和感なくデザインされています。また OpenType の機能を活かして「し」「と」「を」などの文字のデザインの変遷にも追従しています。原典には決してできなかったウェイト展開もしていて、W100(細)からW900(極太)まで25ウェイトでこのデザインの文字が使えるのも有難いです。先人の遺産に敬意を表しつつ、現代の技術で未来に引き継ごうという姿勢が、文字から伝わってきました。真摯な書体です。
2018.8.13〜15(日〜火) 1081 三たび、長野へ。
【日録】13日
Nikon D800・AF-S ニッコール 24-120mm f/4G ED VR(以下同じ)
信濃追分。去年お世話になった方と再会を喜んだ。
ハルニレテラスで一番空いていたお店。静かで蠟燭のような暗さが敬遠されているのだろうかと思ったが、こういう場所が落ち着く。豊かな食卓で満足。
燈りのある森。「シオーネ(湯川潮音さん)が出てきそう」と呟く。誰も分からんか。それでもいいと思う。
夜の教会は、包まれている感じがして安心する。
14日
森の中の宿。小川のせせらぎと鳥の声。
朝霧の中、キャベツが収穫を待っていた。
できれば、夕べもここで食べたかった。
定番のタリアセン。
夏の終わりは近いと思った。
ここにもヴォーリズ建築が。
あたたかで落ち着く雰囲気。
真夏でもバラが咲いていた。平日だからか人が少なく見放題。こういう場所が好きだ。
行きに車で通り掛かって目に入り、帰りに寄ってゆっくりと。
このあと、大雨と大渋滞に巻き込まれ、疲れ果てて長野へ泊まる。
15日
暑い長野市内。歩き廻っても行きたかった店が見付からず。かんてんぱぱに二度救われる。
こんな所にもすずさんがいた。丁寧な作りで、毎週楽しみに観ている。
昭和で時間が止まってしまったかのような駅に入る。
「あなたも駅も美しく」
ひんやりとしている。ぐるっと見回しても、誰もいなかった。
旅の後半はやや煮え切らなかったと思いながら長野駅へ。疲れが溜まっていて急ぐのも煩わしく、1本後のしなのに乗った。雨が降っていた。
JR篠ノ井線の姨捨山辺りで「日本三大車窓」のアナウンスが。
善光寺平に二本の虹の橋が架かっていた!
急いで1本早いしなのに乗っていたら、この美しい景色は観られなかった。
この三日間、色々なことがあった。旅の終わりを鮮やかに締め括ることができた。
2018.8.12(土) 1080 夏のエピローグ
【日録】毎年好例、所属の写真サークルの写真展に参加した。
家主でありサークルリーダーでもある友人Rさんが、コーヒーを豆から、しかも焜炉で炒って淹れてくれた。全く酸っぱくなく、お茶のようで口に残らず、すっきりとしてとても飲みやすかった。
今年は例年になく大勢のお客さんが来ていた。出入りが絶えることはなく賑やかだった。サークル発足から10年、いつの間にかこんなに大きくなっていた。メンバーも随分入れ替わった。私はその様子をずっと見守ってきた。Rさんのその情熱と人柄から生み出される人脈にはいつも感心させられる。
そろそろ帰ろうかという頃にお馴染みのNさんも来た。人が大勢でなかなか話すことができなかったが、元気そうで良かった。また楽器を合わせることができたら、と挨拶しておいとまする。
写真展を終えると「今年の夏も終わるなぁ」と思う。夜には虫の声が聞こえ始めた。道端に白い百合が咲き始めた。トンボが飛び始めた。ツクツクボウシが鳴き始めた。……自然界はその時期をもう知っている。今年の夏は本当に本当に暑かった。何とか乗り越えることができそうだと、次の季節の訪れを今から楽しみにしている。
写植に関する催しのお知らせ |
2018.8.9 掲載
株式会社文字道の伊藤義博さんが、写植機の実演を行われます。
同日13:00-13:50には、書体設計師の今田欣一さんが
「活字書体をつくるひと」と題して講演されます。
學のまち kawagoe
講演&ワークショップ
「文字のこと、本のこと。」
■写植機(スピカ)の実演!
日時/8月17日(金)12時~16時30分
場所/ウエスタ川越 多目的ホールA・B
川越市新宿町1-17-17 Tel. 049-2449-3777
◎会場の関係上、薬品を使用する事ができないので暗室はなく
現像や体験しませんが、少しでも写植文字を知ってもらえばと思います。
以下関連のHPです。ご参考ください。
https://manabinomachi-kawagoe.jimdofree.com/
●お問い合わせ/
文字道
Tel: 090-4963-0599
E-mail: info@mojido.com |
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2018.7.28(土) 1079 もっと早く再会すれば
【日録】今年はできるだけ多くの人に会いたいと思っている。
10年程前に3年位たいへんお世話になった方と再会した。
ある事業のために方々(ほうぼう)から集められたメンバーのうちの一人だった。10人くらいの集まりで、事業を進めるに当たり、皆で真剣に議論し、叱られもし、何度も遠くへ行き、打ち上げは必ずカラオケで盛り上がる仲間達だった。初めは嫌々だったが、最後には別れ難くなるほど一体感があった。しかし、再会を誓ったまま全員で集まることは叶わなかった。
この方とは歌の好みの傾向から個人的に仲良くなり、随分ご指導いただき、可愛がっていただいた。当時は「○○(この方)チルドレン」だとか「可愛がりという名の×××(自主規制)」なんて茶化して言っていた。それでも許される間柄だった。結婚式にも皆で出席した。しかし事業の任を解かれてからは年賀状だけのやり取りになってしまい、不義理を重ねてしまったと気に掛けながらも年月だけが経っていた。
今回たまたま事務連絡を頂き、それをきっかけに再会することになった。「LINE のアカウントが乗っ取られた」という深刻なものだった。今でも私のことを気に掛けてくださっているのだと思い、「会いませんか」と声を掛けてみたのだ。
約束の場所で待つと何故か緊張した。何故かではないかもしれない。遠くの人と会うときは必ず緊張する。その待っている間の浮き立つような感じは心地良いものでもある。前回会った時の記憶を辿りながら、今回はどんな感じなんだろうと楽しみで堪らなくなる。
……あの方だ。奥さんと成長したお子さんもご一緒だった。その長い時間を共にすることができなかった無念さが込み上げてきたが、同時に無事に暮らしてこられたことも分かった。「お父さん、お母さん」と日本語で呼ばれているのを聞いて、心の中でうんうんと頷いた。私が親になるとしたら、きっとそう呼ばせる。
容姿も人柄も全く変わっていなかった。お互いにそうだと言った。話のやり取りの調子もかつてと変わらなかった。話を進めるにつれ、数年間の空白がどんどん満たされていくようだった。もっと早く再会すればよかったと思った。
数年間の来し方を語り合うだけでは足りず、定番だったカラオケに出掛けた。好きな歌、歌声、歌う時の振り付け。かつては本気で歌う様子を皆笑っていたが、私は内心凄いと思っていた。そんなことを思い出していると心の中は10年前に戻っていた。
お子さんが、私も知らないような1980年代のマニアックな歌を暗譜で歌う。親の好みは子供に強く反映されるものなのだと改めて思った。子供が自分の鏡のようになっていく姿はきっと愛おしいだろうなと思う。それは親が自分自身のコントロールができてこそでもあるのではないか。良いものも悪いものも子供は吸収してしまうから。
空白が続いたとしても、こうして人間関係が復活することもあるものなのだと感慨深かった。これから再び時間を共にすることができる。たった数時間でも、再会が叶ったことでこれからの世界の広がり方は大きく違ってくるだろう。Tさんとご家族の皆さん、ここを見ていないとは思いますが、本当にありがとうございました。
2018.7.18(水) 1078 秋風の気分で
【日録】毎日の日課になった『半分、青い。』の鑑賞。鈴愛達が住んでいた「秋風ハウス」の調度品の雰囲気が良く、特に玄関に灯るペンダントライトが電話の場面などで度々映り、ずっと気になっていた。
そして、見付けてしまった。
実物はどんなに探しても見付けることができなかったが(10年前に購入した人の未確認情報はあり)、限りなく近いものを探し出して購入してしまった。ジャパンブリッジという照明店が取り扱う「アンダルシアコレクション CHALO」。上の青いステンドグラス部分の横線が省略されて高さが短くなっていることと、底面の折り返しがない以外は「秋風ハウス」のものとほぼ同じに見える。ただし、大きさは二回り程小さく、縦横十数センチぐらいである。
造りは本物よりも雑で、黒い金属部分はガタガタ、白い部分はガラス製ではないが、近寄って見るようなものではないので気にならない。これはこれで手作り感があってなかなかいい雰囲気だ。
点灯。ソケットはE17で60Wなので暗めで玄関でも2灯必要だが(それを見越して2灯買いました・笑)、現代的ではなく過度に装飾的でもないので古臭くならず、程良いシンプルさと可愛らしさ。これで我が家も秋風ハウス(違う)。
最近の『半分、青い。』はというと、秋風羽織先生の下を離れてしまい、あまり面白くなくなってしまった。6月辺りから鈴愛は(作者から)さんざんいじめ抜かれて泣きっぱなし、新天地では取っ散らかった展開で何を言いたいのか分からない。登場人物全員頭がおかしい。必要がないように思えるだらだらとしたやり取り。100円ショップの考証はするのに時代考証は相変わらずしない。「早く次回が観たいでしょ?」という臭い演出とその割に大したことがない翌日冒頭のオチ。まるで違う作品になってしまった。いや、敢えてダメな展開・ダメな人達を描き、こういう感情を持たせるために計算された演出であって、最後の最後には莫大なカタルシスが得られるに違いない!
という訳で、秋風塾が恋しくてたまらない。少なくとも同じような灯りを買ってしまうほどに……。
2018.7.14(土) 1077 古時計
【日録】大変な酷暑の季節が一足早くやってきた。
暑さから逃れるために訪れたのは、
名古屋市守山区の小幡駅近くにある喫茶店「古時計」。
その名の通り店内の壁にはぜんまい式の時計が沢山掲げられ、その多くが生きていていた。入店した瞬間、常連さんらしき人達の注目を浴びた。入ってはいけない店だったのかと思ったが、親切な方がマスターに声を掛けてくださり、よい席を頂いた。
長い時間を帯びた調度品に包まれた店内にはジャズのスタンダードが流れ、とても落ち着く。人懐こくて親切なマスターが一人で切り盛りされている。丁寧にコーヒーを入れてくださり、色々サービスしていただいた。古くからこのお店を知っているかのような錯覚に陥るほど、自然に心を開く感じがした。
コチコチと時計の動く音がする中でゆっくりしていると、突然ボーン、ボーン(音色としてはジャーン、ジャーンが近いか)と気ままに時報を告げてびっくりさせられる。それでも電子音と違い、物理的に出される音は全く耳障りではない。この古時計達には血が通っていると思った。人間の手によって作られ、大切に手入れされ、今日まで生きてきたのだ。
常連さんが多かったが、若い人が一人で入ってくることもあった。本当に落ち着ける場所とはどういうものなのかを、ここに来る誰もが知っているかのようだった。
2018.7.12(木) 1076 消せる色鉛筆
【日録】
仕事で使っている硬質色鉛筆。自宅用にも購入してしまった。普通の色鉛筆は消しゴムで消えないし、フリクション色ボールペンだとすぐに乾いて駄目になってしまう。細かな色文字を書いたり消したり……ということが多いので、消せる硬質色鉛筆に落ち着いた。
名古屋に出掛けたついでに、初めに見付けたのは三菱の「消せる色鉛筆 2451」と「同 2453」(朱色と紺)。そして本命、同じく三菱の硬質色鉛筆「7700」の赤、橙、黄緑、水。2015年に赤以外の生産終了が謳われるも、アニメーション業界からの要望により4色だけ生産が継続された、あの色鉛筆だ。
普通の鉛筆と同じ感覚で書けて消せるのがいい。簡単なお絵描きができてしまうのもいい。中学生時代から色ボールペンを使い潰してきた(使い切れないまま乾いてしまうことの繰り返し)が、ようやく色文字用の筆記具が落ち着いた。 |