●過去だより1101〜1125
2019.12.2(月) 1125 12月の彩り
【日録】11月に収穫したサツマイモの蔓でリースの骨組みだけを作ってあったので、クリスマスリースを作りました。
地元の大型書店の文房具売り場に材料はなく、売っていそうな雑貨屋さんは近くになく、ニトリにクリスマス用品を売っているのを思い出して行ってみたものの目指しているものと違っていたため、多治見市にある植物と古道具のお店「カトリエム」と手芸店で調達しました。
サツマイモの蔓を巻いたものと、赤緑のリボンと、麻の紐。
手芸店で買った飾りの部品。
麻の紐などで結びつけ、カトリエムで購入した藁製のオーナメントをぶら下げて完成です。オーナメントは角度によって光を反射して金色に見えます。
素朴でキラキラしていなくて、好みのものができました。
余った部品を組み合わせたものと、カトリエムで購入したドライフラワーも一緒にコート掛けへ飾ってみました。やり過ぎのような気もしますが、実物は居間の一角をささやかに彩ってくれるような控えめな感じで、12月の我が家の雰囲気をそれらしくしてくれました。
2019.12.1(日) 1124 輻輳
【日録】近況です。重い内容です。ご注意ください。
仕事がとても大変な状況にあり、私生活に波及しています。
あまり詳しい事情は書くことができませんが、以前から自信喪失状態にあり、その中で人員が少なくなり、必死でこなす中で重い仕事を立て続けに任され、更に突発的な仕事も次々と降り掛かり、それら全てを同時進行でやらなければならないという状況で、人間の処理能力の限界を完全に超えた状態に置かれています。先を見通すだけの余裕は全くなく、目の前にあるものをとにかく片付ける日々がずっと続いています。この状況がいつ終わるのかは分かりません。
一言で言えば、「輻輳」状態にあります。脳の回線がパンクしています。
日中のことは殆ど覚えていませんが、多くの人達に迷惑をかけ続けていることだけは覚えています。帰宅してからも、自分なりに精一杯家事と育児をするのですが、家族には申し訳ないけれど、前向きに接することができない時もよくあります。気が休まるのは睡眠時間のみですが、翌朝起きても心身共に回復しきっていないように思います。
余裕がないので、自分がする色々な事の品質が下がって、簡素化されて、できなくなって、したい事をしたいという気持ちがどんどん失われていきます。自分を構成しているものを削り取っていくようで、何の為にいるのか分からなくなってきました。
あまりにも希望を持てない状況に「このまま病気になったり頭がおかしくなったりしてしまっても構わない」と思いながら仕事を続けてきました。しかし、病気にもおかしくもなりませんでした。布団に入れば5分も経たずに眠れて、食欲もあります。こんな酷い状況に置かれても、人間は壊れないようで、案外頑丈にできているようです。
しかし「最近どれだけ追い込まれても『辛い』と思わなくなってきた」と人に話したら、「危ない領域に入っているからですよ」と何人かに言われました。
好きなこともできなくなっていきました。その中でも最後まで寄り添ってくれたのは音楽でした。短い時間でも何とか聴くことができ、覚えてからは頭の中で何度も再生して生きる励みにしています。仕事中もよく脳内再生を繰り返しています。
一年の終わりがけ、一時(いっとき)だけその波が引いたので、8月5日付で止まっていた「だより」を一気に書きました。一番大事な時期を仕事で滅茶滅茶にされた無念さ。集団(組織)になったときの人間の慾の深さ。その不条理さに抗議する為にも、どうしても、ささやかな楽しかったこと、好きなことを書きたかった。希望がない中にも小さな希望を見出して生きていることを残しておきたかったのです。
2019.11.27(水) 1123 ジーナと一緒
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
松尾ジーナ『気ままなジーナ』(1971.12.1発売)です。
彼女のことは筒美京平氏作曲の洗練されたソフトロックであるリバティ・ベルス『すがおのあなた』(1973)で台詞を担当していることと、『明星』の1972年5月号で表紙を飾っていることぐらいしか知りませんでしたが、きっと人気者だったのだろうと思っていました。名前がとても印象的で、歌謡曲関連の書籍に度々このシングルレコードのジャケットが掲載されていて、膝を出して横座りする彼女に何か惹かれるものを感じていました。例の「惹かれてはいけないのに惹かれてしまう」感じ(←わからん)ですが、うっかりレコードを入手してしまいました。
17センチ四方の実物はやはり良いものです。レコードに針を落としてみました。
A面は歯切れの良いブラスセクションから始まってユーモラスなエレキギターとの掛け合いのイントロから本編へ。快活なメロディーと伴奏に乗せて、甘ったるく舌っ足らずで色っぽさもあるジーナの歌声は想像通りでした。1980年代のアイドルの声質に近い印象です。癖になるアブナイ歌声です。
特筆すべきは全く手を抜かない「東芝レコーディング・オーケストラ」の演奏で、当時流行したソフトロックの影響を感じるホーンとモノラル収録の流れるようなストリングスがまずいい。そして序盤の手堅いドラムスのリズムキープとテヌート気味のベースからサビで一気にタンバリンとともに16ビート感を押し出し、上下に動き回るベースと一体になって心地良いグルーヴ感を出しているのが素晴らしい。1970年代初頭の日本のポップスの魅力に溢れている一曲でした。
未確認情報(確認のしようがない?)では、この歌は「グンゼパンティストッキングヤング」のCMソングで、CF(コマーシャル・フィルム)ではヘリコプターに吊るされた空中ブランコにミニスカート姿のジーナが跨がっていたとか。「空から突然ゴメンナサイ」というシュールな歌詞にも納得がいきます。
B面『背中見せないで』はジーナの甘え声を更に強調するような世界で中毒性が高い。歌声は薄くディレイがかかっているもののA面よりも前に出ていて、目の前で甘えられているような錯覚に陥ります。サビ「♪おーとーこーだもーのー」では歌声のリバーブが深くなり、ストリングスが加わって酔いが回ったかのような感覚とともにジーナの甘々な世界へ惹き込まれます。
ブラスセクションはA面よりも一層高らかに鳴り響き、ベースはイントロから縦横無尽に暴れ回る。リズム隊は突っ込み気味でドラムスとベースのグルーヴ感はA面よりも強く、右チャンネルで小さめに演奏しているピアノは楽譜を無視しているんじゃないかと思うほど即興性の高い名演奏を繰り広げています。
両面とも作詞:阿久悠、作編曲:森田公一という強力な作家陣で、『気ままなジーナ』は森田氏にとっては初めてのヒットシングルだったとか。演奏のレベルも非常に高く、歌手デビューするジーナの未来への期待が強く伺える一枚でした。
歌詞カードには「松尾ジーナ略歴書」が掲載されていました。本名は松尾ジニー。1953年4月25日、神奈川県葉山生まれ。ドイツ系アメリカ人の父と日本人の母とのハーフで、1969年6月からモデルとして活躍していたようです。
余談ですが、『気ままなジーナ』のジャケットに使用された写真よりも、東芝音楽工業所属の歌手のオムニバスLP『リクエスト・ベスト16』のジャケットの写真の方が可愛いと思います。
『リクエスト・ベスト16』(東芝音楽工業・LP・TP-8168・発売年月日不詳)ジャケットより
2枚目にして最後のシングル『月影のメロディー』(1972.5.5発売)も聴きたくて探しましたが、高価だったのでコンパクト盤(33 1/3回転の17cmLP。東芝での名称は「コンパクト7」)の『ジーナと一緒』(発売日不詳)を手に入れました。2枚のシングルの4曲を1枚に収めたお徳盤です。
『月影のメロディー』がまたいい歌で……。洋楽のスタンダードナンバーのような普遍的で覚えやすい曲と、殆どのフレーズが5音で構成され、月夜の風景が見えるような美しい歌詞です。「♪こんな夜 月の夜 夢の夜/結ばれた ふたりには 哀しみが ないという」。この歌がヒットせず、ラヴソングの定番にもならなかったのが不思議なくらいの名曲です。
作詞作曲は1枚目と変わらず、編曲は川口真氏が担当しています。初めて聴いたときの印象は「ウルトラマンの主題歌みたいだ」でした(笑)。実際にはそのようなことはなく、全体にはブラスセクションが華やかに鳴り、鉄琴や休符でのバスドラムなどヨーロッパ的な雰囲気です。それでいて、メジャー調とマイナー調が交互に展開するメロディーをはっきりと場面転換させ、各パートに分かりやすいリフを沢山盛り込んでいるので力強く安心感があり、いかにも歌謡ポップス的です。音の味わいは実家で母の夕食を待つ感じというか、当時生まれていない私でも懐かしさを感じる、本当に愛らしい一曲だと思います。そんな中でジーナがややたどたどしく歌うのがまたこの上なく愛おしくて。
B面の『そよ風に乗って』は、A面のイントロの感じから同名の洋楽のカヴァーかと思いましたがオリジナル曲でした。ジーナ唯一の哀愁味がある歌で、繊細な序盤から始まって四度進行で駆け抜けるような情熱的なサビというアイドルが歌うような佳曲でした。ジーナの歌声も甘え声を抑えて一生懸命歌っています。
阿久×森田といえば桜田淳子さんの全盛期の作品群がそうでしたが、作品への力の入れようはジーナへ提供したものの方が上のような気がします。淳子のときのようなワンパターンさが全く見えません。
(2019.12.15追記しました)すっかりジーナの歌声と優れた楽曲の虜になってしまいました。この4曲以外にも聴いてみたいと思い見付けたのが唯一のLPアルバム『気ままなジーナ』(1972.8.5発売)です。ジャケットは表裏ともオールカラーで海外ロケでの写真が使われており非常に力が入っていますが、中古市場で1万円を超える金額でやり取りされており、なかなか手を出せません。このアルバムはシングルの4曲とカヴァー曲で構成されており、ジーナが歌った市販作品が全て網羅されています。CD化を心から希望します!
また、非売品のシングル盤が2枚存在するとされているため(シンコーミュージック『Hotwax presents 歌謡曲名曲名盤ガイド 続歌謡曲番外地Vol.2』p.71より)、そのうちの1枚は武田薬品工業の「ハイシーA」の販売促進レコード『わたしハイシーAと申します』、もう1枚は先述の『すがおのあなた』のことと推測します。
『わたしハイシーAと申します』はたまたま動画サイトで一部が紹介されているのを聴くことができました。テレビ映画『シルバー仮面』(1971.11.28〜1972.5.21放映)に春日はるか役で出演していた際のスポンサーがタケダで、ハイシーAのCMに出演していたようです。歌の前にジーナのコメントが吹き込まれているので採録します。
こんにちはージーナでーす。あたしってどんな女の子かというと、えーと身長164センチ、体重はーえーちょっとん〜、バストは秘密、ウエストは58センチでヒップもひみつー、名前は松尾ジーナと申す女の子で〜す。
え? これだけじゃつまんないって? エートデスネー、今、テレビ映画の『シルバー仮面』で、末っ子のはるかちゃんになってまーす。あ゛〜っ、観てくださってるの〜? ウワァ〜オ、話が合うじゃな〜い? あたしテレビ映画って初めてでしょ? でもスゴーイ一生懸命頑張ってるのよ? シルバー仮面は毎週日曜日、時間は夜の7時、TBS系列で観てねー。応援しちゃって〜?
あのね〜、ジーナの歌知ってる〜? 知らないデショ〜? すっごーくゴキゲンな歌なのよ? コマーシャルでお馴染みの「ハイシーA」の歌です! とってもジーナの感じなんだもん、気に入っちゃってるの。じゃあ聴いてね〜! |
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唯一聴くことができる、役ではない状態の話し声です。50年近く前でもハーフタレントの喋り方って今と同じような感じだったのね。全盛期のローラみたいだ。でも声はとても可愛いし、色気を振りまいている訳でもなかったようです。『シルバー仮面』は9話を最後に降板してしまったといいますが、本当に勿体ない……。
肝腎の歌は、阿久悠作詞、森田公一作曲は変わらず、バート・バカラックのようなソフトロック路線を更に極めた作風で、そこへジーナのたどたどしくも可愛らしい(他のシングルと違い色っぽさはない)歌声が乗ってくるという素晴らしいガールポップでした。当時を生きて、ブラウン管でその様子を見てみたかった。
松尾ジーナさんは『シルバー仮面』降板後も仕事を続けていて、調べた限りは1973年いっぱいは雑誌の表紙などを飾っていました。1974年4月2日にF1ドライバーの高原敬武氏と入籍し(『週刊平凡』1974年月日不詳発行など)、以降の仕事の形跡は見付からず、高原氏を献身的にサポートしていたようです。現在はどう過ごされているかは分かりませんが、私の母と同世代なので、きっと素敵なおばあちゃんになっていることでしょう。
こうして追いかけていく中で、何となく寂しい思いに駆られ、ジーナにしか埋められない心の隙間があると感じました。名曲発掘は心の隙間を埋める為の欠片を探す終わりのない旅のようなものです。
2019.11.20(水) 1122 本物の音を
【日録】久し振りに楽器(?)を購入しました。
ボーネルンド社の木琴「おさかなシロフォン」です。8鍵1オクターブです。
いや、私がこれを演奏するのではないですよ(笑)。
子供向けの楽器は造りも値段も多種多様ですが、未来がある人のことを考えると選択肢は限られてきます。ここからは私の考えですが……
・電気・電子式ではなく、まずは物理式のものを触れさせたい。本物の音がどうやって出るかを直感的に理解してほしい。五感全てを使って、音だけでなく手触り、匂い、時には味などを感じ取ってほしい。スイッチを押したら低解像度のサンプリング音が出るようなものでは、それらは分からない。
・子供の耳は大人の耳よりもずっと性能が良く、吸収も早い。初めて与えるものが基準になるので、正しい音程の美しい音色のものを聞いてほしい。文字通り「子供騙し」のものではいけない。優れたものが基準になれば良し悪しの判断ができるが、その反対ではできない。
・堅牢でなければならない。子供は壊れるまで遊び倒すので、簡単に壊れないような単純な構造で頑丈な材質のものがよい。
・デザインはシンプルなものがよい。これは私の好みでもあるが、「これは何のためのものだ」というのが一目で判るものがよい。世の中の多くのものは意味のない装飾ばかりでがちゃがちゃし過ぎていると思う。
そうして選んだのがこの楽器なのですが、新品で買ってもやがてはぼろぼろになってしまうだろうので、叩き痕が付いた中古を安価で譲り受けました。
音を聞くこと全般が好きな子なので、バチを振り回してこの木琴を鳴らしています。でも一番楽しんでいるのは、私と同行人氏なのかもしれません……(笑)。危うく32鍵半音付き2オクターブの木琴を入手しそうになりました。
2019.11.2(土) 1121 芋掘り大会
【日録】亮月製作所園芸部。5月に植えたサツマイモ(→2019.5.4の記事参照)の収穫の日がやってきました。
苗を植えた範囲を大きく超えて蔓が育ってしまい、収拾がつかない状態になっていました。葉が黄色くなり始めた頃が収穫の時期とのことですが、11月初めなら十分育っているだろうと判断し、家族総出で芋掘り大会を開催しました。
蔓を切って土を掘ると、小さな芋が出てきました。初めて育てたのでこのぐらいだろうとは思っていましたが……。
そう思っていたら、簡単には掘り出せないような大きな芋がいくつも出てきました。
写真では分かりにくいですが、一番大きいものは直径20cm余りの丸いものでした。苗を植えてからは水しかやらず、夏からは全く世話をしていなかったのに!
巨大なものから根っこのようなものまで、10本の苗から合計50個ほど収穫できました。畑として耕していなかった所からもごろごろ出てきました。収穫量を全く期待していなかったのでとても嬉しいです。
掘った芋は2週間ほど乾燥させると澱粉質が糖に変わるといいます。焼き芋、蒸かし芋、干し芋、芋御飯など、どのような味がするのか楽しみです。
サツマイモは戦時中に学校のグラウンドで育てることができたように、このような山砂の痩せた土地でよく育ちます。これだけうまくいくのであれば、来年は範囲を拡大して育ててみたいです。
後日、乾燥させたサツマイモを蒸かし、干し芋にしてみました。
品種は金時。丸々としていて店で売っているものと遜色ありません。
たわしでこすりながら水洗いすると、鮮やかな赤紫色の皮が現れました。
濡れたままの芋をラップに包み、700Wの電子レンジで3分半加熱すると蒸かし芋ができます。
蒸かすと断面は真っ黄色になりました。皮を取って薄切りし……
ホームセンターに売っている干物用の干し網に広げ、2〜3日天日干しすると干し芋の出来上がりです。干し過ぎるとβ澱粉化が進みカチカチになってしまいます。
早速食べてみましたが、市販の干し芋よりは甘くないものの、充分に甘みがあってちゃんと干し芋になっていました。そのまま食べても火で炙っても良し。掘り出した芋はまだ沢山あるので、当分楽しめそうです。
2019.10.19(土) 1120 文字と組版、印刷展
【文字関係】大阪DTPの勉強部屋さんの催し「文字と組版、印刷展」に行ってきました。
展示会の会期中には多くの講演会が開かれるということで、できれば泊まりがけで参加したかったのですが、都合で10月19日(土)のみの日帰りになってしまいました。
大阪へ行くのは2014年1月以来(→写植レポート・鳥海修の文字塾[特別編])で、6年近く経っていました。いつの間にかそんなに月日が過ぎていたのかと、時間の流れの速さを感じ、前回のことを懐かしく思い出しました。
モリサワの機械式手動写植機 MC-6 も健在でした。
貴重なモリサワの電算写植システム用の入力校正機 MK-110。8インチのフロッピーディスクを挿入してシステムを起動させることができ、キーボードで入力もできました。右手側のキーには9つの漢字が割り振られていて、左手のキーと同時に押すことで文字を選ぶようになっています。入力に慣れると仮名漢字変換方式よりも早かったとか。
電算写植機から印画紙出力されたもの。複雑な組処理が殆ど切り貼りなしで行われています。
書体デザイナー・中村征宏さんが書かれたテロップカード。極細の文字にナールの起源を見ました。
中村征宏さんの原字がこんなに沢山! バランスの良い骨格と滑らかな曲線を作るために、丁寧な修整が施されているのがよく分かりました。
黄ばんでしまった懐かしのタワー型 PowerMacintosh。私の父は 8100/80 が相棒でした。メモリをフル装備し、G3カードを装着して限界まで使い切っていたのを思い出しました。
時代が進みましたが、これらも懐かしい機種です。妹がこの貝殻型の iBook を使っていました。最近のことの筈なのに、随分時間が経ってしまったと思いました。
私自身を振り返っても、幼少の頃は写植版下や活版印刷で作られた印刷物が当たり前で意識もしなかったこと、中学生時代に父の仕事についていった時に写植の魅力に取り付かれたこと、すぐにその時代が去りつつあると知ったこと、いつの間にかパーソナルコンピュータで印刷物を作る方が大勢になりつつも出来上がったものに違和感しかなかったこと、それでも少しずつ完成度の高い書体が増えて以前よりもずっと良くなったと思っていることなど、時代の移り変わりとともに感じるものがあり、展示されているものに自分の生きてきた道を重ねて見ていました。
この展示会のパンフレットは紙版の16ページのものが頒布されていて、巻末に電子版の URL が記載されています。大勢の方がそれぞれの立場で見た「アナログからデジタルへの変遷」が綴られた貴重な資料です。私も『ヒットメーカーを支えた書体たち』と題して書かせていただいております。お読みいただけましたら嬉しいです。
主宰の宮地さん、大石さん、お馴染みの人達と数年振りに再会したり、京都で今でも電算写植をしている方と話したり、大石さんが「亮月さんに会いたい」という方と引き合わせてくださったり。講演も堅苦しくなく、大阪の人達のあたたかさを感じました。所属している訳ではありませんが、何となく「帰ってきた」と思えるような、ほっとする場所なのです。お会いできた皆様、本当にありがとうございました。
帰りの新大阪駅でこのようなものを見付けたので、お土産に買って帰りました。
2019.9.25(水) 1119 写植機を持っていても
【亮月写植室】写植オペレーターの駒井靖夫さん(プロスタディオ)に写植を打っていただきました。
「文字と組版、印刷展」の寄稿に添える図版です。1970〜1980年代のレコードジャケットを飾ったタイトルをそのまま再現していただきました。細かな調整が入っていて、しばらく印画紙に見とれてしまいました。
写植機も文字盤も所有していて自分で印字しないの? と思われるかもしれませんが、私には写植機を使って「美しく印字する」ことはできません。写植文字は物としてずっと残るものです。写植オペレーターの方がいる限り、大事な印字はこうして対価を払ってお願いしていきたいです。
2019.9.1(土) 1118 若い人達へ
【亮月写植室】東京から見学のお客様が来てくださいました。
学びの中で写植を知ったという学生さん。熱心に質問をされ、印字を体験していただきました。写研の見本帳を差し上げたり、暗室へ一緒に入っていただき現像で写植の文字が印画紙に現れる様子を見ていただいたりし、目を輝かせて感動されている様子でした。
私が大学生の時、知り合いの写植屋さんに入り浸って写植のことを訊いたり、写植機を借りて印字したりしていたことを思い出し(→写植レポート・写植屋さんに行こう)、いつの間にか自分がそれを受け止める立場になっていたことを感慨深く思いました。若い人達へ伝えていくことも、これまでの活動と平行してやっていく必要があるという年代になるまでやってこられたのだということが嬉しくもあり、また身が引き締まる思いでもありました。
2019.8.24(土) 1117 夏休みの宿題
【亮月写植室】大阪DTPの勉強部屋さんが10月に開催する催し「文字と組版、印刷展」のパンフレットに寄稿させていただくことになり、6月から執筆を進めてきましたが、今日〆切の日を迎え、ぎりぎりで提出することができました。
「アナログからデジタルへの変遷」がテーマとのことだったので、私がずっと気になっていた事柄を調査し、統計を取って分析してみました。
調査対象は1000点を超え、毎日睡眠時間を削って早朝に少しずつ取り組みました。とにかく時間との戦いでした。計画的に進めても調査に時間がかかり、分析と執筆に使える時間が足りなかったため、道半ばで何とか纏め上げたような状態です。
会期迄は校正などで手直しが必要になりそうで完全に手が離れるのはまだまだ先になりそうですが、〆切迄に提出できてひとまずほっとしました。他に原稿を寄せられる方がどのようなものを書かれるのか、どのような顔触れなのか、とても楽しみです。
2019.8.5(月) 1116 SEIKO バス時計 KS474Mの修理
【日録】旧亮月写植室竣功時(→2011.1.18の記事参照)に購入した SEIKO の掛時計「KS474M」の調子が悪く困っていました。電池を新しいものに入れ替えても1年ともたず(取扱説明書によると電池寿命は約1年)、3ヶ月に1回程度、季節の変わり目辺りに連続秒針(スイープセコンド)の動きが鈍くなってしまうという症状です。ムーブメントを見ると、連続秒針を回転させるための歯車が噛み合ったり外れたりして、うまく動力を伝達できていないようでした。過酷な環境に耐えられる筈の時計なのに、繊細なことで動作しなくなるなんて……。
この症状は5年以上前から起こっていて、気付いたら遅れていることがよくありました。この時計を購入した時に、装着されている SKP 製ムーブメントについて心配していました。修理方法を調べていると、この時計のムーブメントの不調や交換に関するネット上の記事が沢山見付かり、私の個体でも心配した通りのことが起きていたのです。
自分でムーブメントを交換することにしました。有限会社岡山時計部品センターの「時計部品と工具の専門店」(→楽天通販サイト)で取り寄せました。送料込みで2000円弱。SKP 製のムーブメント本体から軸の先端までが12mmのものが KS474M に適合します。これのステップセコンド(秒毎に止まりながら動くもの)にしました(→同サイトの該当ページ)。本来の仕様ではなくなってしまいますが、連続的に長くて重い秒針を動かすこと自体に無理があるのではないかと思ったのです。
分解前の KS474M。居間の一番よく見える場所で使っていますが、度々遅れるので、同じ部屋に小さな電波時計を置いています(→2019.6.9の記事参照)。
裏蓋を開いたところ。中央に小さなムーブメントが装着されています。
白い円盤の四隅が金属の筐体にねじ止めされているので、ねじを全て外します。
悪名高き(?)中国製 SKP スイープセコンドムーブメント。中央付近の白い歯車がうまく噛み合っていませんでした。
文字盤を取り出しました。針は裏から出ているムーブメントの突起に差し込まれているだけです。
文字盤の表から針を慎重に引き抜きます。柔らかい布などで針を包みながら傷めたり曲げたりしないようにします。時・分・秒針ともアルミ製です。
針を抜いた文字盤。裏から出ているムーブメントの突起が、2箇所に切り欠きのある銀色のリングでねじ止めされています。切り欠きにドライバーなどを入れてそっと回すと固定が外れ、ムーブメントを引き抜くことができます。
左が本来のムーブメント、右がこれから装着するムーブメントです。タイ製でした。歯車が1枚少なく、コイルも短くなっています。いずれも SEIKO の各種掛時計に共用されているものです。
新しいムーブメントを装着したところ。附属のリングは金色でした。分解する際と逆に回して固定します。
ムーブメントの軸に、短針、長針、秒針の順にそっと押し込んで完成です。この状態で電池を入れて試運転。無事動作することが確認できたので、筐体にねじ止めして使用を再開しました。
KS474Mの近影
壁に穴を開けたくないので、無印良品の「壁掛時計・壁掛式CDプレーヤー用スタンド ホワイト」を使って、置けるようにしてある。ホワイトは残念なことに廃盤になってしまった。右下にあるのは BARIGO の温湿度計「915-1」。
新品で購入した時計がムーブメントの不調で止まってしまうのは初めてでした。
2006年10月15日に購入した SEIKO SOCiE シリーズの電波時計「XS201/W」(→2006.10.19の記事参照)は一度も電池交換をした記憶がなく(一度は交換したかも)、ずっと動き続けています。
SEIKO SOCiE XS201/Wの近影
この電波時計のムーブメントは裏面の大半を覆うほど大きいなど、技術的には古さを感じるが、飾り気のない清楚な外観は普遍的で、全く古さを感じさせない。
2012年4月12日に購入した CITIZEN のバス・船舶時計「4MG293-A10」(リフレM293 →2012.4.16の記事参照)は購入してから長らく実家の台所に掛けていて、KS474M の不調で代打として手元に戻ってきたのですが、母によると「今迄ずっと電池を交換したことがない」とのことでした。7年半で2分進んでいたので、年差+24秒、月差+2秒で、クォーツ時計としてはかなり精度が高いと思います。
CITIZEN 4MG293-A10の近影
結露するほど湿度が高い実家の台所に7年半掲げてあったため、外装のクロームめっきは傷んでしまったが、動作には全く問題がなく、「バス・船舶時計」の看板に偽りはなかった。素晴らしい耐久性だと思う。文字盤の6時の文字の下には小さく「JAPAN」とある。たいへん残念なことに廃盤になってしまった。
2016年3月16日に購入したカシオの電波目覚まし時計「TQ-720J-7JF」(→2016.3.16の記事参照)はまだ購入後3年半で、勿論電池を交換したことはありません。
10年ほど前に購入し、トイレに置いてある無印良品の「ミニクロック」(廃盤)はボタン電池 LR44 で動作し、3〜4年毎に電池交換をしています。ムーブメントは日本製です。
そのように、最近の電池時計(のムーブメント)は優秀で、不調になるどころか電池切れも長期間起こらないものだと思っていたので、KS474M の不調はとても残念でした。旧型の KS451M 以前は日本製のムーブメントでした。本当にバスや船舶などの過酷な環境で使用したり、10年以上使い続けたりするなら、中古で程度の良い KS451M 以前の機種を探すのも良いかもしれません。
KS451Mのムーブメント
「SEIKOSHA NO(0)JEWELS JAPAN」と読める。現行のSKPムーブメントではスイッチが省略されていることが分かる。
精工舎……日本製……我が国がものづくりのトップを走っていた時代の製品である。
※ムーブメントの説明のためオークションサイトの画像を拝借しました。
2019.7.30(火) 1115 進化か、退化か
【日録】住まいが広くなり、扇風機1台では足りなくなったので新しく購入しました。日立の「HEF-AL100A」という機種です。7000円程度の、従来の交流(AC)モーター機では「中の上」に位置する機種です。
扇風機は風の強さが3段階あってタイマーが付いていれば充分です。リモコン不要、多機能不要、直流(DC)モーターでなくてよい(微風は不要)、首振りの切替は電気式ではなく機械式(この時点で直流モーター機は除外される)、かつ飾り気がなく堅牢な機種ということで、家電量販店で実際に製品を触って決めました。本当は電子ボタン式ではなく、出っ張った押しボタンとダイヤル式タイマーが装備された機械式のものが欲しかったのですが、見るからにすぐ壊れそうな機種しかなかったのでやめました。
家で使い始めると、気になることがありました。運転中は「ブーン」という低音が常に聞こえ、少しだけ持ち上げるとその音が消えるという現象です。モーターの回転からくる唸りが首振りの軸受け辺りで共振しているようでした。
元々使っていた1977年製のシャープ「PJ-307ZS」(→2011.6.29の記事参照)はそのようなことは全くなく、モーターそのものも静かです。ぐらぐらすることはなく、本体の頑丈さも動作の滑らかさもそちらの方がずっと上です。
新しい扇風機が少なくとも40年以上前の同等機並みであることを期待したのですが、もはや枯れた技術で質の高いものを作る気はないのかも知れません。こういった基本的なことが大切だと思うのですが、安さだけを追い求める人の方が圧倒的に多いから作らないということでしょうか。そしてメーカーとしては「そこまで言うなら高機能・高価格の直流モーター機を買え」ということなのでしょうか。いや、そもそも売値7000円程度では、原価的にこのぐらいのものしか作れないのかもしれません。
また、店内はBGMが大きく、運転中の音を聞き比べることができませんでした。それもまたとても残念なことでした。静粛性や動作音を見極める必要がある電化製品は沢山あると思うのですが……。
とはいえ、必要最小限のボタンのみで色も真っ白なので外観は気に入っています。防振対策を念入りにして長く使っていきたいです。
2019.7.20(土) 1114 収穫の喜び・2
【日録】亮月製作所園芸部。親戚から貰ったモロッコインゲン(地元では「タワケマメ」というらしい。誰でも育てられるという意味。)の苗が大きく育ち、毎日のように収穫しています。
見えない所に大量に莢ができていて、一度に収穫しきれない時もあります。
今日だけで30本くらい採れました。このあと莢ごと煮て一口大に刻み、甘い味噌を和えて美味しく頂きました。
2019.7.15(月) 1113 自分でやってみよう
【日録】亮月製作所園芸部。庭の雑草がどうしようもなくなってしまったので、電動刈払機(コメリ BIG-M KDC3650Li)を購入しました。刈払機は仕事でよく使っていたので心得があり、自分で刈ることにしたのです。
住宅地のため、エンジン式は騒音が大きくて使いにくく、燃料やエンジンの管理など維持の手間が大きいため、電動式にしました。本機は36V仕様でエンジン式の25cc相当とのことで、仕事の時と同じ感覚(重使用)で刈れると思い、18V仕様の簡易なものではなく本機を選びました。大抵、私が道具を選ぶと重使用に耐えるものになってしまうのですが……。
(※写真は一部画像処理しています)
手刈りではどうにもならないほどモサモサになってしまいましたが……
一日かけて綺麗にすることができました。刈った草が大きなごみ袋7枚分出ました。ひと袋が20kgくらいあり、集積所へ捨てに行くのが大変でした。その後3日間、強い筋肉痛に襲われましたが、大きな達成感がありました。
2019.7.1(月) 1112 夏の予感
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
桜田淳子『ベスト・コレクション’75』。LPは1974年12月5日発売でした。
「またジュンペイか」なんて言わないでください(笑)。
オリジナルアルバムのLPを揃えていくと、それらに収録されていない曲がいくらかあることに気付き、なおかつ好きな曲はノイズなしで聴きたいと思い、当時のアルバムを復刻したCDでは唯一定価に近い金額だったこのベストアルバムを入手しました。他の復刻CDは定価を遙かに超えた金額で取引されていて手が出しにくいのです。
このアルバムにはシングルB面曲やこのアルバムで初めて収録された新曲が多くあります。『気になるあいつ』『白い貝がら』『特別な気持』などシングルB面曲は、楽曲的にも歌唱的にもA面曲よりもクセが強く、知らなかった彼女の一面を見るようで、惹き込まれてはいけない(?)のに惹き込まれてしまい、何度も聴きたくなるようような魅力があります。お気に入りの『あなたのひとりごと』もシングルB面曲。ちょっと甘えるような歌い方は『気になるあいつ』とも共通していて、感情移入して聴くととても良い。淳子に好きになってほしいと思ってしまう(←ちょっと危ない人かもしれない)。いや、アイドル歌謡曲とはそういうものです。
特筆すべきはこのアルバムにしか収録されていない『16才の夏』(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士、編曲:あかのたちお)という歌です。
夏への期待感が溢れる歌詞だけでも、それまで彼女が歌ってきた世界から一歩進んだような開放感があるのですが、それを盛り上げる作編曲にも素晴らしいものがあります。眩しいほど潑溂とした一曲です。
きらきらとした鉄琴とハープで始まり、軽快なコーラスとアタックの強いトランペットが鳴り響く中で駆け出すようなイントロが夏の風景を描いています。本編の序盤は静かに始まるものの、「きらきら」「見ている」が1/4拍後ろへずれていて、次のフレーズが食い気味に入ってくるような強烈なフックになっています。ここまでの8小節を繰り返し、「何だか少し」からは一旦マイナー調の進行になってサビへの力を蓄えていきます。コードはサビ直前の「気持ちで私は駆け出す」からIIが2小節→Vが5小節→サビでIというようにセカンダリードミナントを取り、盛り上げて更にじらすように盛り上げるという徹底ぶりです。サビ直前「あゝあゝ」はストリングスの16分音符による駆け上がるような3小節の長いフレーズ。入道雲がもくもくと大きくなるような、ものすごく高揚感がある箇所で、夏への期待を描いた歌詞と一体化しています。サビで一気にそのエネルギーを放出し、聴き手は莫大な開放感と多幸感を得る訳ですが(私だけか?)、「16の夏は何かが〜」と2小節進むと伴奏はマイナーコードの分散和音を奏でて哀愁味を出します。真っ直ぐ開放するのではなくて反対の要素でもって昇華する。ここがいい! その後はベースに躍動感があったり、シンガーズ・スリーと思われる女性コーラスが曲の終わりの「起りそう」を「♪お・こ・りそ・おぅ!」とチアガール風に歌ったりと、1974年としては先進的な表現で、1970年代後半の、例えば榊原郁恵さん辺りが歌いそうな歌という印象です。当時聴いた人は新しさを強く感じたのではないでしょうか。音楽的にはとても凝っていて聴き応えがあると思います。歌謡曲好きなら是非聴いていただきたいです。
『16才の夏』は題名からしておそらく1974年の夏の初めに向けて書かれた作品と推測しますが、シングルAB面とも収録されることはありませんでした。
当時発売されたシングル曲は『黄色いリボン』(1974.5.25発売、B面は『気になるあいつ』)でした。この歌は、『16才の夏』のように自分の心情を描くというよりは「あなた」に向けたメッセージ(「ラブサイン」)で、先に書いた「淳子に好きになってほしい」という聴き手の気持ちを引き出すような歌詞です。作曲は森田公一。桜田淳子らしい曲調はひねりはないものの抑揚ははっきりとしていて、こちらも多幸感溢れる曲です。サビの手前の「急いで行きたいの」からは4ビートでグイグイと坂を登っていくような気持ちの高まりを味わえます。
『16才の夏』は計算され尽くされ、先進的で音楽的に優れた作品ではあるものの、こうして後世でマニアックに語られてしまうような取っ付きにくさがあると思います。一方で、多くの人に気に入ってもらうようなヒットを狙うのであれば、分かりやすい『黄色いリボン』がシングル曲に選ばれたのは適切だったと思います。当時にしか歌えないような作品がLPの片隅に追いやられて広く知られなかったのはとても残念ではありますが、これもまた歌謡曲の一面でもあり奥深さでもあると思います。
2019.6.30(日) 1111 収穫の喜び
【日録】亮月製作所園芸部。畑で採った野菜を朝食にしてみました。
ピザ風トーストにバジルを刻んで入れ、サラダにミニトマトを添えただけですが、どちらも甘みがあって美味しく、自分で育てた野菜を食べられる喜びに浸りました。
コンポスター(樹脂製で枯れ草などを堆肥にする樽のようなもの)を購入したり、サツマイモの芽に大量に付いたアブラムシを退治したりと、いよいよ本格的になってきてしまいました。
2019.6.25(火) 1110 風を受け流す
【日録】以前仕事でお世話になった方と再会した。
「僕も大分大変な思いをしたけどね、仕事は正面から向かうとえらい(しんどい)で。こうやって(肩を左、右と後ろに下げる仕草)風を受け流すようにするとええ。自分が潰れないように。」と励ましてくださった。
生き残るには真面目さだけではなく、ある程度の狡さのようなものが必要なのかもしれない。周りの人や世の中の出来事を見て、何となく分かった。
2019.6.22(土) 1109 ねえ、ムーミン
【日録】近くにあるあの店へ行ってみました。こういう外出自体久し振りでした。
土岐プレミアム・アウトレットにある「ムーミンスタンド」。
同行人氏がムーミンが大好きで、何とか3人で出掛けられそうだったので決行しました。
「ニョロニョロのたね」という飲み物は、キャッサバ芋を玉状にしたものをそれに見立てたものでした。2017年の冬にこの店が出来たばかりの頃、両親が「ニョロニョロのたねを是非飲んでみるといい」と勧めていて、一体何だろうと思っていたので、ようやく解決しました。
ムーミングッズも色々購入し、同行人氏はとても喜んでくれました。まだ涼しい6月の午前、清々しい気持ちになりました。
2019.6.15(土) 1108 それぞれの場所で
【日録】亮月製作所園芸部。手間をかけないで野菜が採れたらと思って始めた畑にも、少しずつ変化が訪れています。
プランターのミニトマトは赤い実をつけ始めました。
ラベンダーの後ろにあるさつまいも畑は、本来蔓がかなり伸びていてもおかしくない時季ですがまだ30cm程度です。戦時中も学校の運動場で育てられたというのに、やはりこの場所は過酷なのか……。
大葉は色が浅く、育て方を勉強する必要がありそうです。
肥料のやり過ぎで枯らしてしまったブルーベリー。もう駄目だろうと思い鉢から外そうと思ったら、若芽があちこちから顔を出していました。
それぞれが、与えられた場所で生きようとしている姿を見ると、何だか励まされているような気持ちになります。
2019.6.9(日) 1107 備品を厳選する家
【日録】新居で暮らし始めて何ヶ月かが経ち、「自分の家」という感じが少しずつしてきました。
家の意匠や設計は、それぞれの実家や借り住まいの使いやすい部分や不便な所、反省点を全て書き出し、それらを踏まえて「ここはこうする」と、同行人氏と決めました。無垢の木が見えて、合理的で、虚飾はなく、質実剛健で、(それでも)可愛らしい家です。
30年以上、恐らく一生使うことを思うと、備品を厳選する家になりました(それを望んでいましたが)。家の景観に合うこと、無駄がないこと、生活感が出ないこと、耐久性が高い(頑丈または古臭くならない)こと。
玄関には例の“秋風ランプ”を取り付けました(→2018.7.18の記事参照)。
蓋付きのごみ箱はブラバンシアのものに統一しました。構造が単純で、堅牢で、生活感がなく、蓋が静かに閉まり、密閉性が高いという条件を満たすものを探したらこれに辿り着きました。
テレビは居間の主人公ではないので部屋の隅に寄せ、できるだけ目立たないようにしました。台は遠くのホームセンターで見付けた組み立て式のもの(TWO-ONE STYLE シュレア85FD)です。これが一番家の雰囲気に合いました。
置き時計も一つ新調しました。木製の枠で電波時計で文字盤がシンプルなのは「Morteau」一択でした。大手メーカーのものは何故か無駄に飾り気があるので候補から外れました。備品全体に言えることですが、虚飾がないものってあまり選ばれないのかなあ。
2019.6.2(日) 1106 園芸部はじめました!?
【日録】5月の大型連休に始めた庭の畑が親戚の目に留まり、沢山の苗を貰いました。
急拵えの畑。さやえんどう、ねぎ、大葉です。親戚は「どれも簡単に育つ」と言っていましたが、スギナばかりが育つ過酷なこの庭、果たしてどうなることでしょうか……。
畑をここまでやるつもりはなかったのですが、思いの外本格的になってしまいました。他にも薔薇や紫陽花、ラベンダーなどの花も植えています。頭の中に庭の全体構想もあり、「亮月製作所園芸部」が発足してしまったようです。
2019.5.26(日) 1105 20周年
【写真植字】LampLighters Label さんが、機械式の卓上手動写植機「SPICA-QD」を譲り受け、自家印字を成功させたとのお知らせを頂きました!
同世代の方が新たに写植機を所有し印字を始められたことに驚き、又とても心強く思いました。これまでは親世代の方から写植経験者としてのお話を伺うことが殆どでしたので、同じ視点から写植を語ることができるようになることは、自分が写植機を所有して印字を始めた時と同じくらいの大きな出来事です。まさか稼働する写植機が「増える」とは……!!
SPICA-QD の長所は、小型の機械式であることです。
高度な機能はなく必要最小限の送り操作しかできませんし、光源など一部は電源が必要ですが、動作の殆どが機械的な連動で行われているため、構造が単純で、メンテナンスさえしっかりすれば電子制御式の機種よりもずっと長く使い続けられると思います。そして、小型軽量で置き場所を選ばないため、ピアノほどの大きさ重さがある PAVO 型よりも維持管理の負担が少なくなります。PAVO だと、300kg以上の重量に耐えられる部屋を用意しなければならないですから。
写真植字の未来は、機械式の SPICA 型が担っているのかもしれません……!
機械式の SPICA であれば自宅に置けるという方も多い(?)のではないでしょうか。SPICA-S、-L、-Q、-AD、-QD、-A をお持ちでご不要の方、ぜひご連絡ください!
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亮月製作所のサイトは本日を以て20周年を迎えました。
率直に言うと、「とんでもなく未来に来てしまったな」と思っています。1999年、10代の学生には想像できなかった、40代目前の自分なのです。
何をしているだろうか。何が好きだろうか。どんな仕事をしているだろうか。誰と出逢っているだろうか。家族は元気だろうか。結婚しただろうか(多分できないだろうな)。子供はいるだろうか(左に同じ)……サイトを続けているだろうか。
20年という時間は「あっという間」では決してありませんでした。やはり長かったです。喜怒哀楽の全てが凝縮した、青春というべき充実した日々でした。10代の自分の予想を良い方へ覆すような思いがけない展開でした。難所は多々あれど、多くの人達に出逢い、助けていただいたお蔭で、自分には勿体ないほどの有難い境遇にあると思っています。
ここ数年は激動の展開でした。人生に同行してくれる人が現れ、家族が増え、自宅を新築するという大きな節目を迎えました。かつては「こんな自分だから、自力でロケットを造って飛ばすよりも難しい」などと思っていましたが、心の奥にある希望の燈火は消えることがなく、どうしても辿り着きたかった場所だったのです。
マイペースに進めてきた亮月としての活動は更にゆっくりになっているのですが、同行人氏の理解もあり、本当に細々とではありますが有難く続けることができています。
亮月の存在意義は何なのだろう? と思うことがあります。
世の中の動きの速さを見ていると、私の活動は何なのだろう、続ける意味があるのだろうか、辞めてしまって他の人にやってもらった方がいいのではないか、と思うことも多々あります。「世の中の動きの速さ」との間で葛藤を生み、自分がそこまで進めていないことへの悔しさを募らせることもありました。
しかし好きだから続いたのです。好きな時に好きなことをしてきました。したくない時や、他にしたいことや専念しなければならないことがある時は活動しません。そういった姿勢で活動してきました。自分にとって重荷にならず、楽しく続けられるからです。
ただ、サイトには執筆していない記事がまだ沢山残っていますし、写植に関する知識が十分備わっている訳でも決してありません。自身の存在意義を問うこと自体、謙虚さが足りていないのかもしれません。やっていないことをやってから考えることにします。
ここ数年は先述の事情もあり、表立った活動はあまりできていませんが、写植に関する質問や、写植機の処分の相談、写植専用書体の印字の相談は月に数件あります。こういった方達のお役に立てるよう、更に足場を固めていかなければと思っています。
一生活動を続けたいとは思っていますが、開花しないまま終わるかもしれません。それでも、少しずつ積み重ねるしかありません。制約のある身ではありますが、その中でできることを精一杯楽しく取り組みたいです。
節目毎に何度も書いていますが、亮月製作所は写植への思いを持つ方々から引き継がせていただいたものでできています。私一人では到底ここまでやって来ることはできませんでした。感謝してもしきれないほどです。だからこそ、「生きた写植」を正しく後世に残していかなければと思っています。恥ずかしながら不勉強や間違いがあり、20年をしてもまだまだ至らぬ点が沢山あります。マイペースではありますが、一層精進しますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2019.5.7(火) 1104 大型連休備忘録
【日録】長い長い連休でした。
全ての時間を自由に使える訳ではありませんが、やりたかった事ややらなければならなかった事を少しずつ積み重ねることができました。
・4.27(土)車についた傷を磨く。
・4.28(日)居間にしまってある取扱説明書と文書を整理、不要なものは破棄。必要なものを迷わず取り出せるようになった。
・同上 オーディオ一式を旧自宅から回収。
・4.29(月祝)オーディオの繫ぎ込み完了。1990年代の機器が今でも生きている。やはり聴き入るほどいい音だ。操作に多少の不調が出ている。機械ものは使ってやらないと維持できないのだ。取り敢えず新居で使えるようにしただけなので、ラックを購入して長く使っていきたい。
左上から、プリメインアンプTA-F3000、3ヘッドカセットデッキTC-K222ESL、同TC-KA3ES、レコードプレイヤーYAMAHA YP-D5、チューナーST-SA50ES、CDプレイヤーCDP-XA30ES。子供の頃からソニー派。アンプの上に乗っているのは、ミズホ通信のAMループアンテナUZ-77。
・同上 4月いっぱいで閉店してしまうお気に入りの店でゆっくり過ごす。
・4.30(火)新写植室の暗室に棚を作り付ける。暗室にあった物品が片付き、暗室作業が可能になる。
・5.1(水)新写植室での自家印字に成功!
・同上 引越しの段ボール箱に入ったままだった本や書類を整理して棚に収める。段ボール箱そのものがいけないのではないが、そのまましまい込まれて使われなくなることと、単純に見た目が良くないので、家中の段ボール箱は全て開けて破棄した。
・5.2(木)友人達来訪。外観や内装は可愛らしい家で、照明や備品もそれに合わせたのだが、「間取りに無駄が全くない。全ての造りに意味を感じる」とお褒めいただいた。私達の家の本質はそこにある。何十年も毎日過ごす場所だからこそ、時代に左右されず、過ごしやすく、合理的でなければならないと思っている。そのことを分かってもらえてとても嬉しかった。
・5.3(金祝)長らく空いていた新居脇の花壇に、数年前頂いた鉢植えの花を移植。
・同上 庭で畑をするため耕す。
・5.4(土祝)さつまいも畑完成。知人達来訪。
・5.5(日祝)力仕事が多く疲れが溜まっていたのでゆっくり過ごす。
・5.6(月振)亮月写植室の活動が停滞していると感じているので、今後の活動の在り方を検討。HTML サイトとメールのみでは、公開にも意思疎通にも時間と手間がとてもかかり「重い」ことが原因ではないかと思う。4月に iPad と Android タブレットを頂いたので、何かに使えないかと思っていた。それで、小回りが利くと思われる twitter を試験的に開始。何も考えずに時代の流れに乗るのは好きではないが、ゼロから考え直し、必要であれば今迄と違う方法も積極的に取り入れていきたい。
2019.5.1(水) 1103 自家印字再開しました
【亮月写植室】新しい時代を迎えました。
新居への引越しにより1月から写真植字機による印字を休止してきましたが、少しずつ“新社屋”の整理を進め、この長い休みを利用して自家印字の再開を試みました。
原稿を書き、書体とQ数を指定し、印字位置を決めるため割付計算をしたらいよいよ印字です。印画紙をマガジンに装塡し、PAVO-JV に装着したところで用事が入ってしまったので、翌朝に持ち越しました。
新しい時代の清々しい早朝、朝焼けを受けながら PAVO-JV の電源を入れ、印字位置をテンキーで入力……できない!?
「⇔」「4」「0」「H」と入力しても「ピコピコ」とエラー音を発して受け付けません。縦方向も同じ。フリーラン(印字位置を数値入力するのではなく自由に移動)はでき、主レンズの変更はできます。しかし印字位置を厳密に決めなければ、印字位置が印画紙をはみ出したり、文字同士が重なったりするなどの支障があります。
まさか、PAVO-JV、故障した……?
あれだけ前所有者様のところで手厚い整備を受け、私も写研の方のご助言を頂きながらできる限りの整備をし、埃を溜めないように綺麗に清掃し、旧写植室では8年間、画面以外は何ら問題なく動作を続けてきたのに……と背筋が凍る思いでした。
しかし印字位置「だけ」が入力できないのは不自然な故障の仕方なので、しばらく使用しなかったことでバックアップ用のニッカド電池の充電が切れたことを疑いました。電池切れや充電池が不調を起こすと写植機の設定が滅茶苦茶になり、正しく動作しないことがあるのです(→写植レポート「PAVO-JV バッテリー交換」)。
電子制御式の PAVO 型には、印画紙の大きさ(印字可能な範囲)を初期設定できる機能があり、この設定が電池切れで失われたり乱れたりしてマイナスの値が入ってしまうことがあります。これを疑いました。
マガジンの横にあるクラッチレバーを2秒間倒せば(写植機の歯車とマガジンの軸を切り離せば)印画紙の大きさの設定をクリアできます。
しかし……レバーが倒したままになっていました。倒したままというか、昨夜突然中断したのでクラッチを繫がないところで作業が止まっていたのです。
これが印字位置変更不可の原因でした。あまりにも間抜けです。写植機を8年も使ってきてこんな初歩的なミスに悩むとは……。という訳で戒めのためにここへ記録しておきます。
という訳で動作の不調は解決し、少し緊張しながら印字と現像を進めました。
よかった! 印字できた!
現像のときは何度やってもドキドキします。印字できていないんじゃないか、現像液が劣化してないか、印画紙が裏返しだったのではないか、と不安になってきた頃にじわっと黒い文字が現れてくるのです。今回こうして新しい写植室でも印字できることを確かめられて本当によかったです。
印字を終えるとすっかり明るくなっていました。
朝日を浴びる PAVO-JV。写植も共に令和という新しい時代を迎えることができました。新しくなった写植室でも末永く活躍できるよう、大切に使い続けていきたいです。
2019.4.10(水) 1102 今太陽をあびなきゃ
【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。
夜のラジオから流れてきて、心に残る音楽がありました。
みねこ美根『太陽』(2019.1.23)。
例えるならば、雪が降る深夜、やりきれない気持ちを抱えながらエネルギーをじんじんと発し続けるような強さを携えて両足で立ち尽くすような、冷たくも熱い音楽です。初めて聴いた時、今の世の中に溢れる音楽に与(くみ)しない異質さに打ち震えました。静かな空間が徐々に波立ち、次々に押し寄せるような見えない力にぞくぞくとし、「怖い」とさえも思いました。
内省的であることを恐れない、むしろそれを肯定し原動力とする、苦しみの中に希望を見出せる歌詞。マイナースケールを主としながらも時折メジャーコードが顔を出し、その複雑な感情を炙り出し増幅させるまでのダイナミックでコード感溢れるメロディー、歌の世界を音として“見る”ことができるような丁寧で厚い編曲。
新しい音楽をずっと探し求めてきましたが、こういう心に届く作品はしばらくありませんでした。それで、新しい発想を常に求めていた歌謡曲の発掘に傾きがちでしたが、そこに溜飲を下げるような作品が飛び込んできました。
アルバム『心火を従えて愈々』が発売されています。しかしCDでの発売はライヴ会場に限られているらしく、一般発売はデータ配信のみでした。データ消失の防止と歌詞カードが欲しいので、音楽は必ずCDなど形のあるもので購入しているのですが今回はやむを得ません。生まれて初めてデータ配信の音楽を購入しました。それだけどうしても聴きたい音楽だったのです。
管理人はこの記事の日付現在、労力を要する境遇に二重三重に置かれ、心身共に限界に近い状態にあります。その中で希望を見出そうと何とか踏ん張っています。そこに寄り添っているのが、この音楽なのです。
写植書体に関する催しのお知らせ |
2019.4.4 掲載
名古屋では初めての書体に関する催しが開催されます!
「中村書体と筑紫書体」
写植書体『ゴナ』『ナール』等の作者である中村征宏さんと、筑紫書体シリーズの作者である藤田重信さんが、それぞれの書体についてお話しし、しかも対談もされるとのこと!
中村さんは愛知県在住で名古屋はまさにお膝元です。名古屋市営地下鉄には「ゴナ」によるサインシステムもまだ生き残っています。
終演後には懇親会もあります。
名古屋では滅多にないたいへん貴重な機会です。ぜひご参加ください!
●開催日
2019 年4月21日(日)14:00〜(13:30受付開始)
●開催地
国際デザインセンター 6F セミナールーム3
名古屋市中区栄三丁目18番1号
●受講料
3,000円
●申込締切
4月19日(金)
●お問い合わせ
名古屋意匠勉強会ナルホ堂 事務局(TIPTOP内)
TEL:052-229-8445
e-mail:naruhodo.nagoya@gmail.com
→申し込みフォーム |
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2019.3.8(金) 1101 あの場面の舞台裏
【亮月写植室】“新社屋”への移転作業が一段落したので、「写植レポート」にまとめました。現在トップページを飾っている、あの場面についてです。
個人で大型の手動写植機を運ぶのは不可能ですが、大型機械を得意とする運送業者さんが比較的安価に(小規模な引越し程度の代金で)やってくれます。レポートした内容はあくまで私の場合であって普遍的な方法ではないかもしれませんが、参考にはしていただけるかと思います。
写植機の搬出に困っている方や、写植機が欲しい方(いてほしい)にお薦めのレポートです。私も初めて写植機を譲り受ける時は写植機のことがよく分からず不安しかありませんでしたが、その時調べたことが今回の移転でもとても役に立ちました。写植機の外部的な構造や移転のノウハウはお教えすることができますので、ご希望の方はご連絡ください。
移転した写植機の動作は確認することができましたが、備品や資料、文字盤が非常に多く、整理にかなり時間がかかっていますので印字はまだすることができません。気長にお待ちいただけたらと思います。 |