亮月だより

●過去だより1226〜1250

2023.2.25(土) 1250 「お庭」らしくなってきた

【園芸部】庭に植木を追加しました。


富士フイルム X20(以下同じ)

 ソヨゴを1本と、

 椿の一種「エリナカスケード」を5本です。
 バラを生垣のようにするつもりでしたが密植ではうまく育たず、バラとバラの間に空きがあったので、そこへ植えました。 スカスカで遠くからでの自宅の庭が見えてしまう状態だったのが見えにくくなり、自宅から外を見るとある程度視界が遮られ、いかにも「お庭」らしい落ち着いた雰囲気になりました。
 物置、人工芝、植栽と大掛かりなものが数年かけてやっと一通り終わったので、あとは自分で細かな部分を作っていく作業を続けていくことにしたいと思います。

 花壇のクリスマスローズはこの1ヶ月で驚くほどの満開に恵まれました。周りの緑色の長い草のようなものはムスカリの葉です。3月の終わりには沢山の開花が期待できそうです。


2023.2.22(水) 1249 石井書体・令和の改刻!

【亮月写植室】写植レポート」の新作『写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト』を公開しました。

 2022年11月24日に印刷機材の展示会「IGAS 2022」のモリサワブースで開催された講演会「写研書体の開発プロジェクト “至誠通天” 受け継がれる石井書体」の聴講レポートです。
 この講演会が開催されると風の便りで聞いた時、歴史的な出来事を同時代の者として体験できる貴重な機会だから聞き逃す訳にはいかないと思いました。DTP用に書体を開放しなかった写研がモリサワや字游工房と手を結び、改刻をも許してOpenType化を図るというのですから。俄には信じ難い、夢のような出来事です。
 聴講して歓喜し、驚き、そして落胆さえもしました。とても心を揺さぶられる、鮮烈な講演でした。 書体は写研のオリジナルのまま開放されるのではなく、現代的に再設計され、特に石井ゴシック体ファミリーは目に見えて変化することが判りました。時代の流れに抗ってもいられないのですが、長年オリジナルの「あの形」に慣れ親しんだ私にとってはショックでした。そうは言ってもDTP化が進展して写植が衰退したおよそ30年間使用が難しかった写研書体が(対価を払えば)誰でも使えるようになることは悲願と言ってもよいことであり、大きな喜びと不安が綯い交ぜになった複雑な心境になりました。だからこそどうしても記事にしたかったのです。
 講演の内容を書き留め、私の視点から補足することで、どうしてこのような心境になったのかが整理できました。そして未来の様子も何となく見えました。そういった意味で、今回のレポートはとても有意義なものになりました(私にとっては)。

 聴講直後からどうしても記事に纏めたいという気持ちは止めどなく湧き上がっていたのですが、家事と育児をこなすだけで時間も処理能力も限界まで使い切っていて余裕がありません。言ってしまえばほぼ「引退状態」です。亮月としては、もう動けないも同然です。
 活動に割ける時間は一日15分程度がやっとで、文章を一段落書けるぐらいです。簡単な図版であっても数日に跨って作らなければならない状況でした。連続した時間が必要な作業は睡眠時間を削ってやらざるを得ませんでした。そのため、執筆に3ヶ月もかかってしまいました。しかし限られた時間を毎日積み重ねてでもこの出来事を自分の言葉で残しておきたかったのです。
 どのくらい需要があるかは判りませんが、いち写植ファンから見た石井書体の改刻とはどのようなものなのか、よろしければお読みください。

→写植レポート*写研が動いた日2022 石井書体の改刻プロジェクト


2023.2.21(火) 1248 悪さの原因は

【日録】自宅を新築してから4年経ち、気になることがありました。
 トイレがとても臭うのです。便器の内側にカビキラーを噴射しても、便器と床の隙間をクエン酸水溶液で洗い流しても、床を拭き上げても臭うのです。そんな日々が昨年の夏頃から続いていました。
 その他の原因を疑っていたところ、風の便りで「トイレの脱臭機能が悪さをしている」と知りました。脱臭のための活性炭フィルターに悪臭が蓄積し、脱臭機能が働くたびに悪臭を撒き散らしているというのです。
 早速フィルターを取り寄せて交換してみることにしました。

 純正の脱臭フィルター。ネット通販で2000円程度でした。
 新品に交換してみると……悪臭が全くなくなりました!
 私はたまたま対策方法を知る機会がありましたが、そうでなかったとしたらどうしていたでしょうか。それにしても脱臭機能が逆に悪臭を撒き散らしていたとは恐ろしい。フィルターも補修用部品保有期間を過ぎてしまえば調達できなくなるでしょう。そうすると便座ごと交換をせざるを得なくなり、大きな出費になります。それがメーカーの思惑か。換気扇を回せば便座が脱臭する必要はないような気もします。果たして便座に脱臭機能は必要なのか、何とも複雑な心境です。


2023.2.4(土) 1247 春待ち花壇の1年後

【園芸部】毎日居間から眺めている花壇に変化がありました。


富士フイルム X20(以下同じ)

 昨年2月に植えたクリスマスローズ(→2022.2.4の記事参照)が開花を始めていたのです。

 1年間でこんなに大きく成長しました。当初は15cmほどの小さな苗で、何度も霜や夏の日照りにへたっていましたが、ここまで何とか育てることができました。あまり手を掛けることはできませんでしたが、この環境を気に入ってくれて嬉しいです。

 昨年のお正月休みに新しく作った花壇(→2022.1.3の記事参照)も整理しました。
 夏場に紫色のサルビアが高さ1mほどに大きく成長し、他の植物が日陰になって枯らせてしまい困っていました。冬に入るとサルビアの地上部は枯れたので、これを機に別の場所へ植え替え、その他の小さな植物を花壇に配置し直しました。オオデマリの隣で大きくなり過ぎたシルバープリベットも別の場所に移動させました。
 残ったのはラベンダー、大手毬、水仙、チェッカーベリー、ムスカリです。いずれも窮屈そうに何とか生き残ったような感じでした。

 中でも嬉しかったのは、夏に枯れてしまったと思っていた水仙が芽を出したことでした。 暑さや日陰に耐え、冬の寒さに耐え、春の足音を感じて出て来てくれたのです。

 どの植物も余裕をもって配置し直したので、今年こそはのびのびと育って綺麗な花を咲かせて欲しいです。


2023.1.29(土) 1246 豊かな時間のお供に

【日録】お茶の時間用に、ちょっといいマグカップを購入しました。
 私の住む地方は焼き物の産地で、幾らでもあるものなので普段は焼き物をあまり意識しませんし、自分で買うというよりはタダで貰うものという印象があります。初めは数百円で買えて割れても惜しくないものを選ぶつもりでした。しかし専門店で意識して見てみると、他の工芸品と同じように丁寧に作られた上質なものが見えてきました。

 同行人氏があれこれ手に取って気に入ったのが、陶芸作家・福井信義氏(岐阜県土岐市)の作品でした。土や釉薬の色味に穏やかな表情があって、艶やかな中に貫入があるなど細部まで目を楽しませてくれました。数百円のものにも似た意匠のものはありましたが、作り込みの程度が全く異なります。上質なものを知ると物の良し悪しが分かるようになります。反対に上質ではないものだけを見ていては、良し悪しはいつまでも分かりません。焼き物だけでなく、工芸品や工業製品などものづくり全般に言えることです。
 勿体なくて普段使いにはできませんが、週に何度かのお茶の時にだけ出して、今までよりも豊かな時間を過ごせるようになりました。


2022.12.30(金) 1245 普遍的な魅力

【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。

「ザ・ドリフターズ」の音楽作品を集めたアルバム『ドリフだョ!全員集合』です。
 ドリフは私にとって娯楽作品の根元にある存在です。若かりし父は美術大学を卒業後舞台の製作会社に入社し、テレビ番組の大道具などを製作していました。『8時だョ!全員集合』の大道具も手掛けていたと聞いています。現に台本が父の手元に残っており、ドリフのメンバーとは何度も会ったと話しています。「あの回の時、倒れそうになった小道具を支える自分の手が画面に映った筈だ。そのVTRを見たい」と事あるごとに話します。
 そんな父は『全員集合』や『ドリフ大爆笑』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『志村けんのバカ殿様』など、ドリフターズものは欠かさずにテレビのチャンネルを合わせて私に見せてくれました。気付けば私はドリフ大好きな子供になっていました。
 そして私も大人になり、相変わらずドリフターズものを録画して観るくらい好きなままです。ドリフの音楽作品を総覧できるものを持っていてもおかしくないくらいなのですが、友人からダビングしてもらった全集のカセットテープしかありませんでした。
 アルバムを買い求めたきっかけは、やはり父でした。
 両親は私の自宅に孫目的で毎日のようにやって来ます。夕方に我が子をお風呂に入れるのですが、その時父は入場曲(?)として『誰かさんと誰かさん』(→YouTube)を振り付きで歌いながら我が子を従えるのです。父は私が子供だった頃にも同じことをしていて、当時私は元ネタがドリフだとも知らずやっていました。 お風呂に入れば当然『いい湯だな』(→YouTube)です。
 そういう訳で元ネタを我が子に教えるためと、私がおさらいするためにCDを購入しました。子供はいたく気に入り、現代の曲よりも童謡よりも圧倒的な早さで歌詞とメロディーを覚えてしまいました。ドリフの音楽群は理屈抜きで本能に響く普遍的な魅力を持っているということなのでしょう。
 私も初めて聴き込んでみて、決してコミックソングと侮れない音楽性の高さに驚きました。歌詞はまあアレですが、人気者で当然予算も潤沢にあったが故でしょうけど、一流の作詞家・編曲家・演奏家が持てる力を十二分に発揮した物凄い完成度で、特に演奏に隙がなく、ドラムスやベースは縦横無尽に暴れ回り、魂を揺さぶるグルーヴを感じました。1960年代後半から1970年代特有の生楽器のみによる演奏の熱さがありました。元歌は民謡や軍歌など古典的なものですが、それをここまで当時の最新の音楽に溶け込ませ、昇華させていたことに心を打たれました。
 中でも、ある程度音楽を聞き込んできた者の端くれとして良いと思ったのが 『会津磐梯山』(→YouTube ※冒頭に広告あり)。メロディーや詞は民謡そのものですが、演奏がとにかく素晴らしい。和の雰囲気を持ちながらここまでスリリングに格好良く聴かせる曲はなかなかありません。
 もう一つは『ほんとにほんとにご苦労さん』 (→YouTube ※冒頭に広告あり)。長さん(いかりや長介氏)の掛け声に引っ張られる勢いの良さが本能に訴えかけ、それでいて哀愁もあるのがたまりません。ドリフ調のコミカルな編曲ですが、この曲もドラムスやベースのグルーヴ感やしゃきっとしたホーンセクションがとても癖になります。

 我が子はすっかりドリフの虜になってしまい、居間や車の中では「ドリフを聴きたい」とせがんできます。やり過ぎたか……と思いましたが、きっとこれは血なのでしょう。ドリフに携わった父からドリフを観て育った子、そして子から孫へ。遺伝子にドリフに反応する何かが刻み込まれているのかもしれません。


2022.12.27(火) 1244 悲願叶う

【日録】※今回はごく個人的な出来事です。興味のある方だけどうぞ。

 数年間心の片隅に残って悩み続けていたことがありました。自力では解決のしようがなく、これが未解決のままだったら一生悔やむだろうなと思っている程自分にとっては重大なことでした。解決した場面が何度も何度も夢に出て来て、目が覚めて現実に引き戻され落胆することを繰り返してきました。あまりにも心の負担になって苦しいので信頼の置ける複数人に相談し、この問題については放棄したことにして、出来るだけ他のことに力を注ぐようにしてきました。ここ半年でようやく苦しみが和らいできたと感じるようになりました。「ああ、これで楽になれるな」という所まで心境は変化していました。

 今日。突然その時はやって来ました。
 何気ない日常の中、するりと機会が訪れました。私が対応するしかない状況ではありましたが差し迫った感はなく、いつもの私のままで動き出しました。あれっ? 普通にできてる? ……動いてみれば全く呆気ないといえども、その瞬間を振り返ると不思議でしかなく、今まで何でこんなことが出来なかったんだろうとも思いました。端から見ればほんの小さな出来事です。しかしそれでも私にはそれが達成できたことはものすごく画期的で、ここ数年で一番嬉しかったです。どうにもならないと思っていた悲願が達成された瞬間。心の中で万歳を繰り返しました。あまりにも嬉しくて家人にも話してしまいました。家人にも以前からよく相談していたので、苦しみから解放されたことを労ってくれました。「自分から動くことが大切って話してたもんね。よかったね。」2022年も殆ど終わりになった所で、大きな贈り物を頂いた気持ちになりました。
 数年振りに明るい世界を見たような気がしました。何かが変わった訳ではない。変わったとすれば私の心境が変わっただけ。嬉しい気持ちを外へ表現する訳でもなく(ここには書いてしまいましたが)、今まで通り自分がすべきことに力を注ぎ、人間を磨く。 今日はやっとゼロの位置に立てた日として、誠意を持って、前向きなものを積み上げていきたいです。


2022.12.21(水) 1243 私達らしいお正月飾り

【日録】玄関のお正月飾りを購入しました。
 これまでは玄関にはそれらしいものは特に置いていなかったのですが、頼んでいないのに母が自主的に持って来るようになっていました。しかし必ず純和風の生花で色味が強く、北欧風の我が家に合わないのがずっと気になっていました。毎年もやもやしていたので、自分達で調達することにしました。
 お正月らしく、でも和風過ぎず鮮やか過ぎず、洋風の家に合うような私達らしいものを探しましたが、店頭にそのようなものは全くなく、ネットでも既製品はいかにもなものが多く、ようやく辿り着いたのが手作り作品の通販サイト「Creema」でした。 そこでようやく気に入るものを見付け出しました。手作り作品は盲点でした。数えきれないほど作品が出品されていて、私達の好みに合うようなものが幾らでも見付かりました。私達の好みは世の中の標準から外れているのか、とも思いましたが、私達らしさを出せるのと、人と重ならない手段を手に入れたのはとても嬉しいことです。
 鏡餅も毎年用意するのは手間なので(本物のお餅だとプラスチック容器のごみが出る)、木製のものを見付けました。 木製品会社のものです。

 2022年ももうすぐ終わります。良き新年をお迎えくださいませ……。


2022.12.19(月) 1242 自分で塗り壁

【日録】自宅の外壁をアイビーが這ってしまい、塗り壁から根を除去しきれず、しかも過剰に削って下地が見えてしまい困っていました(→2022.11.18の記事参照)。
 自宅を建てた建築会社に相談したところ、根の跡が残った箇所だけの一部塗り直しは色が変わってしまうためお薦めできないと言われました。 そうなると全面塗り直しなのですが、高い見積書を貰うと思っていたら、「ちょうど他の現場で同じ色を使って余りがありますので、ご自身で塗られるなら差し上げます」と連絡があり、塗り壁の缶を頂くことができました。

 現場で使用されたと思われる20kgの大きな缶とローラーを頂きました。珪藻土用の小手は自分で用意しました。

 塗り壁材はもちもちしていて簡単に伸びるものではなく、かなりの技術を要しそうです。私は塗装も左官も経験がないので、やりながら感覚を摑むしかありません。

 慎重にローラーを転がすこと1時間。薄く薄く伸ばしていったところ、根の跡を殆ど消すことができました。未施工の箇所よりも若干明るい色味ですが、アイビーを撤去して高さがある植栽に置き換える予定のため、見えなくなるのでまあ良しとしました。

 塗り壁が乾くと、うっすらと根の跡が浮き出てきてしまいました。透明水彩のように地の色が出る塗料なのでしょう。それでも以前よりはかなり改善することができました。反対に未施工の箇所との色味の差はなくなりました。あと1、2回塗りを重ねて、跡が完全に消えるのを目指したいと思います!


2022.12.17(土) 1241 一足早くクリスマス

【日録】両親を呼んで、皆でクリスマス会を開きました。

 父がケンタッキーフライドチキンのセット(ウィンターパック)を買ってきてくれました。大きなバーレルは初めて見ました! シャンメリーは私が調達しました。私が子供だった時も、やはり親がこれを用意してくれていました。

 食後は例によって演奏会が始まり、父はギター(エレクトリックアコースティック)と歌、私はキーボードを担当しました。カシオのMIDI鍵盤「GZ-5」です。本来はMIDIデータのリアルタイム入力をするためのものですが、我が子が楽器に興味を持っているようでピアノを弾く真似をよくするので、父から譲り受けたものです。子供は良いものもそうでないものも何でも吸収するので、子供騙しの(音程や音色が不正確・不安定な)玩具ではなくて最初から本物の楽器を使って正しい音感を養ってほしいと思っていたのでとても有難かったです。GZ-5は10種類の音色があり、1990年代らしい良い雰囲気の音が出るので自然と音色に合うものを弾きたくなります。
 私は楽器を弾けません(公称)が、父の演奏と歌に合わせて音色を変えながら音を出してみました。「はたらくくるま」(→原曲のYouTube ※冒頭に広告あり)のストリングスをほぼ再現でき、子供も気分が乗ってきたのか、以前中古で購入した「おさかなシロフォン」(→2019.11.20の記事参照)を演奏に合わせて叩いていました。誰かと合奏をしたのはいつ振りでしょうか。その楽しさを思い出しました。

 一通り演奏会が終わったらクリスマスケーキの出番です。隣町のケーキ屋さんで、本来誕生日ケーキ用のものにクリスマスのコメントを入れてもらいました。子供の誕生日ではありませんが、灯った蠟燭を吹き消すのをとても喜んでしました。

 一足早くクリスマスの催しを終えると、世の中のこれから盛り上がる感じと違って年末に向けて気分が落ち着いてしまいました。それでも、ケンタッキーもケーキ屋さんも並ぶことなく、私達の貴重な時間を減らすことなくゆったり過ごせたのは良かったです。


2022.12.5(月) 1240 日常に溶け込んだ音楽

【日録】果てしなく続く名曲発掘の旅。

 ハンバートハンバートのアルバムを一気に買い揃えました。
 このユニットの音楽はかなり以前から気に入っているのですが、私はアルバム4枚目の『11のみじかい話』までしか持っていませんでした。しかも何故か長い間未開封で保管していました。同行人氏も似たような状況で、レンタルCDから収録したものをばらばらと持っている状況でした。

“ハンバート”を知ったのは、5枚目のアルバム『道はつづく』(2006.8.30発売)の時でした。たいへん思い出深い一枚です。
 部活の後輩だったあの子と10年以上振りに思いがけず再会し、何度か会った時にくれたCD-Rの中にこのアルバムの曲が幾つか入っており、その素朴さ、真っ直ぐさ、あたたかさ、情緒の豊かさに心酔してしまったのです。もうあの子とは会うことはなくなり長く経ち、今頃どうしているだろうか……と思うと個人ウェブサイトがお互い生きていて、近況を知ることはできるのですが、きっとあの子はこのサイトを見ていないだろうな、と思うと少し切なくなります。
 そういう訳で『道はつづく』のアルバム原本は長らく所有しておらず、今回初めて手にしました。音楽が素晴らしいだけでなく、ジャケットも秀逸です。私のハンバート観を具体化したような、歴代で一番の出来だと思います。「ジャケットが秀逸(好み)な音盤は音楽も素晴らしい」という私の信条を逆説的に証明してくれました。因みにこのアルバムで一番好きな曲は『1時間』です。

 歴代のアルバムを通して聴いていくと、殆どぶれることなくその世界観を貫いていて安心して聴くことができます。中には、流行りとされている(マスメディアが推してくる)音楽におもねるような作品もありましたが、そういうものは正直言ってつまらない。独自色がないものは誰が歌っても(≒存在しなくても)ええやん、と思ってしまいます。でもそういうものはごく一部です。ぶれません。
 また流行りの音楽を持ち出して恐縮ですが、最近は男性が甲高い声で歌う曲が多く私はうんざりしています。生理的に聴くに堪えられないのです。だから“ハンバート”で佐藤良成氏が地声の高さで歌うのが、自然で心地良く感じます。
 “ハンバート”が作る作品は、奇抜さはなくポップでもなく、どちらかと言えば地味な音楽群ですが、毎日食べる御飯のように飽きることがない、私達にとっては日常に溶け込んだ存在なのです。


2022.11.18(金) 1239 アイビーは要注意

【園芸部】家の壁際に植えていたアイビー(→2020.5.5の記事参照)が成長し過ぎて大変なことになってしまいました。

 アイビーは気根によって這うように伸びていくので、家の壁を登り始めていました。放置すると壁を覆うような勢いだったので思い切って茎を壁から剝がすと、壁に気根の跡が残ってしまいました。

 焦げ茶色の蜘蛛のようでちょっと気持ち悪く、しかもとても目立ちます。手では取り除くことができません。
 何とかならないかと思い、ホームセンターで道具を買ってきました。

 鉄などの塗装前に行う外連(けれん)用のパッドです。樹脂に研磨剤が練りこまれていて、錆をがりがりと落とすためのものです。これで壁をこすってみたところ……

 かなり除去できたものの、完全に消すことはできませんでした。しかも残念なことに塗り壁の下地が見えるようになってしまいました。どうやら塗り壁の色彩がある厚さはほんの2ミリ程度で、その下は灰色の珪藻土のようなものが塗られているようでした。これもまたみっともないので、新築からまだ年数は浅いですが、この部分の壁の塗り直しをお願いしようと思います。本当に残念です。

 結論! 壁際にアイビーを植えるのはやめましょう! 壁を傷めます!


2022.11.11(金) 1238 可哀想なレンズよ蘇れ

【日録】修理に出していたレンズが返ってきました。

 タムロンの「A16」ことSP AF 17-50mmF/2.8 XR Di IIです。

 このレンズはD80(2006.12.23購入・→2006.12.26の記事参照)がメインカメラだった頃、背景を大きくぼかしたいと思い、明るいズームレンズが欲しいと思い2009年に購入したものです(亮月だよりの記事なし)。
 しかしその後35mm判フルサイズのD800を購入(2012.11購入・亮月だよりの記事なし)したことにより、APS-Cサイズ専用のこのレンズの出番が激減、父に無期限で貸し出していました。
 そのレンズを今回返してもらいました。APS-Cサイズといえば昨年購入したNikon Z fc→2021.10.16の記事参照)がそうなので、このレンズが使えるのではないかと思ったのです。

 返ってきたレンズは無惨な状態でした。父は借りたはいいが何回か使って以降しまい込んでいたようです。実家の押入れの奥のような強烈な匂いが染み付いていました。それだけではなく、レンズ内にはカビが大量に繁殖していました。私がなけなしの給料から新品で買った大切なレンズだったのに……他人の物をこんな目に遭わせるなんて酷い!!

 父は昔から物の扱いがぞんざいで、すぐ傷めたり壊したりしては次のものを買うような人です。私が子供の頃、父は腕時計を何度も買い替えていました。ごくありふれたクォーツ式のものでしたが、電池切れになっては、電池交換をせずに次の時計を買っていたのです。風防のガラスを割ってしまったこともありましたが、修理することはありませんでした。使われなくなった腕時計の山を見て、私は子供心に「腕時計が可哀想」と思っていました。
 私が頑なに「多少高価でも上質なものを買った方が大切にするから高い満足度で長く使えるし、買い換える必要がないので結果としてお金がかからない」という考え方を実践しているのは、間違いなく父の影響(反面教師)だと思います。
 父がそんな人だと分かっていたのに、私が使わないからといって貸すんじゃなかった……。心から後悔しました。

 可哀想なレンズをそのまま私が使うのは気持ちの良いものでは決してないので、きちんと修理に出して「私のもの」として生き返らせることにしました。11月1日に発送して4日にタムロン着、修理を終えて11日に私の手元に帰ってきました。修理代は送料込みで20790円。中古で買う方が安いのですが、そういう問題ではありません。直せば使えるものを捨てる方が勿体ないです。
 修理されたレンズはカビの除去だけでなく隅々まで清掃されていて、私が使用していた頃とほぼ同じ状態に戻っていました。それだけでなく、修理箇所ではなかった部分も点検・修理されていて、オートフォーカスの音が小さく、動作も機敏になっていました。タムロンの良心を感じました。
 Nikon Z fcにFTZを介して装着し、試しに撮ってみました。
 しかしシャッターの半押しの際にオートフォーカスが迷い、同時に露出も迷うためうまく撮影できません。D80の時は正常に動作していましたし、D800に装着しても正常でした。Zマウントのボディは社外品に厳しい(タムロンがニコンのカメラやレンズの仕様を完全に解析しきっていなかった)のかもしれません。仕方がないのでマニュアルフォーカスで使うことにしました。

 明るいレンズらしくぼけは大きくふんわりしているのに、合焦した箇所は鋭く感じるくらい鮮明です。とても優秀なレンズだと思います。動き回る子供もZ fcのフォーカスエイド(ピントが合うとファインダー内のフォーカスポイントの色が変わって教えてくれる)のお陰でマニュアルフォーカスでも何とか撮影できますが、これがオートフォーカスできたら本当に良かったのに。惜しいです。

 10年振りに私の手元に戻ってきたレンズ。せめてこれからは大切に使っていきたいです。


2022.10.29(土) 1237 今年も芋掘り大会

【園芸部】毎年恒例、芋掘り大会の季節がやってきました。両親と妹家族も呼びました。妹の息子が毎年この日をとても楽しみにしているのだとか。


Nikon Z fc・NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR(以下同じ)

 まずは鎌でさつまいもの蔓を刈り取り、黒いマルチを外しておきます。

 ソフトボール大の大きなシルクスイートが沢山掘れました。

 1時間ほどで全て収穫しました。子供達は宝物を見付けたかのように喜んでいました。収穫が終わってからは、庭の人工芝で靴を脱いで走り回っていました。

 さつまいもが約40個、いちじくが4個、お隣さんから許可を頂いて収穫した、自宅敷地に張り出した柿の枝の実が11個でした。

 母が作ってくれた沢山のお弁当を皆で食べました。母の味御飯(甘辛味の五目御飯)はやっぱり美味しい。運動会の日の昼休みのように、和気藹々としていました。

 すっかり寂しくなってしまった畑。さつまいもを収穫すると秋が深まり、寒くなっていく印象があります。来年もまたよろしくお願いします。


2022.10.23(日) 1236 6年たったら

【日録】愛知県春日井市の都市緑化植物園へ行ってきました。
 これまで子供が小さく県外への外出はできなかったのですが、先日の鳥羽旅行では大人しくすることができていたので、少しだけ足を伸ばしてみました。


Nikon Z fc+Nikon FTZ・AF-S NIKKOR 20mm f/1.8G(以下同じ)

 前回行ったのは2016年5月29日(→亮月だより第1011回参照)。6年以上も経っていました。もっと最近訪れたと思っていたのに、月日の流れは早いです。

 月日が流れ、季節が違っても、変わらず美しい花が迎えてくれました。

 ぽかぽかと暖かい一日でしたが、紅葉が始まっていて、本格的な秋の足音はすぐそこまで聞こえてきています。

 連れていった子供は花よりも動物よりも遊具が楽しかったようで、一心不乱に遊んでいました。案の定帰りの車内ではぐっすり眠ってしまいました。走り回る子供に振り回されっぱなしでしたが、美しい風景も楽しむことができ、充実した一日になりました。


2022.10.13(金) 1235 積み木の文字

【日録】

 我が子が「もじあそび(ミッフィー)」で作った漢字らしきもの。月・火・金?・水・日。
 何だか私の子供だなぁという感じがします。漢字に興味を持っていて、一部の文字は読んだりこうして積み木で作ったりしています。積極的には教えていないのですが……。


2022.9.24(土) 1234 初めての旅行

【日録】23・24日、とても久し振りに旅行に出掛けました。
 行き先は三重県鳥羽市。子供と一緒に旅行に出掛けたことはありませんでしたし、旅行自体が子供にとって良い経験や思い出になるのではないかと考え、参加することにしたものです。本当は企画した義父母と私達家族で行く予定でした。しかし義父母が体調不良になってしまい、急遽実父母が義父母の代わりに行くことになりました。
 子供にとっては初めての他県、初めての旅行、初めての鉄道で、道中騒いだりしないか心配でしたが、目に見える全てのものが初めてだったからか大人しくしていてくれました。特急の車内で駅弁を食べる。これもまた旅行の気分を盛り上げてくれました。

 鳥羽駅に降り立つと、強い雨が降っていました。台風がここに向かっている、その最中でした。バスは1時間に1本、タクシーは一向に来ず、駅の周りには使われていない建物がそのままになっているなど、鳥羽の街は昭和で終わってしまった感が強く、歓迎されていないように感じました。
 何とかタクシーを拾い、鳥羽水族館へ向かいました。運転手さんは「こんな台風の日に水族館に行ったらダメですよ。室内で遊べる所に皆さん集中しますから。」と言いつつも渋滞の列を避けたコースで走ってくださり、水族館に入りやすい場所で降ろしてくださいました。

 案の定水族館は物凄く混んでいて、台風が接近していることもあり室内の展示に人が集中していました。子供は初めての水族館に喜んでいるものの観覧のペースが速く、はぐれないようにするのがやっとでした。
 観覧中に土砂災害警戒情報が発表され、移動手段が危うくなってきたので早目に水族館を出ることにしました。 外は大雨。近鉄は運休、鳥羽駅へのシャトルバスはいつまで待っても来ず、タクシーを呼びようがないほど渋滞は酷くなっていて、小雨になったのを見計らって鳥羽駅まで歩きました。子供は交代で抱っこ。しんどかったです。やはり鳥羽は観光客を歓迎していないようだ……。
 鳥羽駅に着くと、予約しておいた送迎バスがタイミングよく現れて宿まで向かうのですが、橋が水没の恐れとかで通行止になっており、渋滞に巻き込まれながらかなり迂回して宿に到着しました。

 ようやくほっとできました。大きな窓からは海と対岸が見え、晴れていたらさぞいい景色だろうなと思いました。

 年季の入った金庫にぐっと来ました。この宿、意外と古そうだ。

 お風呂に入ってから食事という流れが好きです。海の幸も山の幸もとても美味しかったです。日中大変な思いをしただけあって、格別でした。

 夜は子供も疲れ切って寝てしまうかと思いきやなかなか寝ず、父(子供にとって祖父)の膝の上でずっと揺られていました。父はお風呂にも一緒に入ってくれました。一緒に泊まるのは初めてだったので、父も子供も良い思い出になったと思います。

 翌朝起きると台風一過のいい天気! 海辺の街に朝陽が当たっていてとても清々しい気持ちになりました。

 朝食は和食が好きです。自宅でも平日は和食ですが、宿の朝食は何か特別な味がする気がします。

 それでも外観や内装は擬洋風という、不思議な宿でした。恐らく昭和後期に建築され、1990年代後半に改装されたのではないかと。
 宿で働く人はベテランさん揃いでした。子供に「可愛いねぇ。真っ白だねえ。うんうんうん。」と“ひとみ婆さん”のように声をかけてくださいました。若い人は日本語が堪能な外国人でした。鳥羽には若い人がいないのか、出て行ってしまうのか……。昨日歓迎されていないと感じたのと相俟って、鳥羽の将来が案じられました。

 帰りの列車では、子供は全てをやり遂げたかのようにぐっすり眠っていました。
 何かと大変な道中でしたが、良いお宿で心地よかったですし、皆にとって思い出に残る楽しい旅になったと思います。初めての旅行、初めての鉄道、初めての水族館、初めてのお泊まり……。きっと我が子の朧げな思い出として、この二日間のことがずっと心に残っていくことでしょう。


2022.9.10(土) 1233 再会・その3 〜居場所〜

【日録】長い間会っていなかった友人に再会した。8月27日とは別の友人だ。大学のサークルで知り合って以来、20年以上の繫がりだ。私は足を洗ってしまったが、ヲタク繫がりでもある。前回会ったのは2017年2月3日(→亮月だより第1047回参照)。5年半も前のことだ。以来色々な事があって会うことが叶わず、それでもどうしているのか気になっていた。
 今年も半ばに入り、しばらく会っていなかった人にどうしても会いたくなり、会いたいと思う人へ思い切って連絡を取ってみたところ、この友人も返事をくれた。とても嬉しかった。そして今日、ある所へ一緒に行きたいと誘ってくれたのだ。

 愛知県知多郡美浜町の野間埼灯台。ここのごみ拾い+コスプレイベントがあり、それに参加するという。早朝に待ち合わせ。コスプレイヤーの友人は衣装を着た状態で現れ、車で現地まで連れて行ってくれた(私はコスプレしていません)。
 道中この数年間にあったことを語り合った。友人にも大変なことがあったようだが、次々と活動の日々を楽しそうに話してくれた。こうして人生の楽しみを続けていて、友人らしさを失わないでいることを嬉しく思った。


Nikon D800・AF-S NIKKOR 24-120mm f/4G ED VR (2枚目を除き以下同じ)

 現地に着くと、真っ白な美しい灯台が海に突き出すように建っていた。周囲には同じ目的で集まった人達が数十人いた。ご当地アイドルの女の子達もいて、アニメ声で挨拶しながらごみ袋とトングを手渡してくれた。な、なんか、味わったことがないような、久し振りのような感覚だ……。


Nikon COOLPIX S02

 コスプレをする、アイドルに会う、ごみを拾う。何となくあたたかな雰囲気があって、同じものを好きな人達が皆んなで作る世界は良いものだと思った。ご当地アイドルさんも何度か声を掛けてくれて、じんわりと嬉しかった。

 ごみ拾いが終わった後は、普段は公開されていない灯台が見学できるとのことだったので、上らせてもらうことにした。

 ボランティアの方がこの灯台のことについて沢山教えてくださった。1921年竣工で築101年という歴史ある灯台。大正末期は鉄筋コンクリート造りの建築は既にあった時代だが、厚さ90cmの無筋コンクリートで造られている。逓信省の設計図は関東大震災によって失われてしまい、なぜ無筋コンクリートなのかは分からないという。壁の中は人一人がやっと上り下りできるだけの空間で、とても急な階段が5階分あって慎重に上った。灯台守が配属されていた時代、嵐の時は灯台のすぐ傍にあったという住居に妻子を残して灯台に入り、床にある蓋を閉めて海水が上がってくるのを防ぎ、灯を消さぬようずっと詰めていたのだとか。灯台守の矜持を感じる話だった。灯台の中はその時代のものがそのまま残されていた。

 上り詰めて外に出ると、水平線が180度見えた。しばらく観ることがなかった海の景色に感動した。あんなに遠くまで見えるなんて。世界は本当に広いんだ。夜は590カンデラの灯りが15km先まで見えるという。100年以上の長い間独りで誰かに居場所をそっと示し続けてきたこの灯台に心を打たれた。

 友人は道中全ての行程をコスプレのまま過ごした。私は撮影係などでずっと一緒だったが、食事に寄った店でも、高速道路のパーキングエリアでも、どこでも違和感なく受け容れていた。この友人はそういうものなのだということと、自分自身もそうであることを忘れていなかったのだ。しまい込まれていた居場所をもう一度表に出してきたような感じがした。そしてその居心地は良かった。
 好きなものを好きだと言えて、それを行動で示せることはとても幸せなことだ。私がすっかりできなくなっていたことだ。それを友人は目一杯楽しんでいることを嬉しく思った。友人は私の境遇を羨ましいという。かつての自分にとって実現不可能な、それでもどこかで探し求めていたものだったから、この境遇になったことに後悔はない。お互いの無い物ねだりなのかもしれない。それを超えて繋がっていけるものがここにあった。

 1週間置きに会いたかった友人に会うことができた1ヶ月だった。関わり方は友人によってそれぞれ異なるけれども、自分が持っているものを分かち合い、自分が持っていないものや世界を見せてくれた。見える世界はとても広く、その友人にしか埋められない場所が自分の中にあると思った。人と直接会うということは本当に大切だ。それを叶えることができてとても嬉しかったし、元気に再会することができて本当に良かったと思った。
 そしてそれを許してくれた同行人さん。ここは見ていないと思いますが、本当にありがとうございました。


2022.8.27(土) 1232 再会・その2 〜似た者同士〜

【日録】長い間会っていなかった友人に再会した。
 高校以来25年以上繋がりがあり、アニメの話から生きることの悩みまで、私にとっては数少ない本音で語れる存在だ。 それでも年賀状のやりとりさえ途絶え、ここ何年かは連絡を取り合っていなかった。そこで先日暑中見舞い(→イラスト制作部・KM23)を出したところ、連絡をくれたのだ。この暑中見舞いを出したことで大切な人達からそれぞれ反応があり、とても嬉しかった。

 喫茶店で、ちょっといいお店の昼食で、友人の自宅でこれまでのことを語り合った。友人にも色々と大変な事があったようで、お子さんもすっかり大きくなっていて、時の流れを感じた。それでも、何年も会っていなかったのに、昨日も会ったかのような口調で話す友人。長い時が経っても変わらずにいてくれたことも嬉しかった。一方で「○○って知ってる?」と聞かれたことを私は知らなかったり、世の中で主流と思われることを全くしていなかったり、「お得だから」と言われてもピンとこなかったりして、私が家事育児で余裕がないばかりに、世の中の人達が関わっているであろう多くのものを削ぎ落として生きている事も分かった。世間やマスメディアに振り回されないので、暮らしや考え方がシンプルでいい事も沢山あるけど……。

 私も自身のことを話した。始めはちょっと遠慮して、子供や庭のことなど楽しい話ばかりをしていたが、やはり避けては通れないので、ここ数年はとても厳しい状況に置かれ、心身ともぎりぎりまで追い詰められたことを伝えた。そして今迄誰にも言えなかった自分の根幹に関わる部分のことも打ち明けた。辛い状況に置かれては相談に乗ってくれたこの友人になら言えると思った。今日はどうしてもこのことを伝えたくて会いに行ったようなものだ。
 友人も私と同じような性格と境遇なので、私が説明すると「ああ、○○ちゃん(私)が△△そうだね。」と深く共感してくれて、全て分かち合うことができた。そして的確な意見もくれた。今の自分にとっては苦味のある意見ではある。でもきっと一番効き目があるのだろう。似た者同士だから分かる。「10年ぐらい経って、『あんな事もありましたよね』とお互い笑って言えるようになるといいね。その為にもこうしなかん(こうしなければならない)よ! くれぐれも××しちゃ駄目ですよ!」優しくも厳しく、背中をぐっと押してくれるような言葉を沢山くれた。誰にも言えなくて何年も溜め込んでいた苦しみが一気に解放されたような気持ちになった。

 会いに行って本当に良かった。友人には感謝しかない。
 なぜもっと頻繁に会おうと思わなかったのだろう。心が壊れてしまう前にできることがあったかもしれない。進む道が違っていたかもしれない。でもきっと今迄は人と会う気力も湧かなかったのだと思う。かつて出来ていて出来なくなったことがまた出来るようになってきた。自分は随分立ち直ってきたと思った。友人の力を借りながら、より良い未来を歩いていきたい。


2022.8.11(木祝) 1231 再会・その1 〜広い世界へ〜

【日録】友人が主催している美術展を見に行った。
 会場は名古屋市。子供が生まれて以来行動範囲が著しく制限され、ここ数年は県内から出たことがなく、名古屋へ出たのは本当に久し振りだった。電車に乗ったのも数年振りで、車窓の風景も少し変化していた。何より驚いたのは駅の時刻表が撤去され、QRコードを手持ちの端末で読み取ってネット上で閲覧させるようになっていたこと! ネットに繋がる携帯端末を持っていない(持つ必要がない)私は世の中から切り捨てられたのだとはっきり判り、ショックを受けた。
 久々の名古屋の街はとても賑やかで、世の中にはこんなに多くの人がいるのかと思った。お洒落な人も沢山。ここ数年の自分はごく狭い世界で生きていて、その中だけで見聞きし感じているのだと痛感した。 それでもかつて持っていた感覚を取り戻すような、眠っていたものが甦るようなわくわくする感じもあった。

 美術展の会場は市内の住宅地。何度も訪れた場所だったが、すっかりご無沙汰していた。恐る恐る扉を開けると、お馴染みの雰囲気をすぐに感じ取った。

 友人は私の訪問をとても喜んでくれた。「何とか生きて還って参りました……。」これまでのことと現在置かれている状況の端々を伝えることができた。他のお客さんの手前、深く掘り下げることはできなかったけれども、私の言葉の断片や表情からきっと汲み取ってくれたと思う。

 私の知らない人が入れ替わり立ち替わり出入りする交差点のような場所。人見知りの私がそれでもこの集まりにかつて居続けたのは何故だろうか。しばらくここから離れたことによって、自分にとってのこの場所がどういうものだったのか、分かったような気がした。そして、止まってしまった(実際は激動の日々だったが、活動は停滞しているという意味で)自分が再訪した場所達を見て、時代は確実に流れ、絶えず変化しているのだとも思った。私は取り残されたのだ、とも思った。
 何か忘れ物をしてしまったような気持ちになった帰り道。私も次の時代の準備をしなければならないのかもしれない。


2022.8.7(日) 1230 再会タイムマシン

【イラスト制作部】1997年から2007年までの年賀状・暑中見舞と、主要なイラストも1800pixelsに高解像度化しました(→イラスト制作部)。

 今回掲載に当たって新たにスキャンしたものではなく、当時の印刷用のデータが遺されていました。一番古いもので25年以上も前のデータが保存されていることに驚きました。当時私は高校生。Mac(Macintosh Performa 630)が父の仕事用と私の趣味用を兼ねていて、機材やソフトがとても充実していたので遺ったのだと思います。
 媒体は今では目にすることがなくなってしまったMO(光磁気ディスク)。ディスクとドライブが実家の旧自室に置き去りになっていたので救出しました。1993年から1作前までの全ての手描き原稿が保存されているA4ファイルも置き去りにしていたのでついでに持ち出しました。

 2003年から2007年までメイン機として使っていたiBookにMOドライブを接続し、データの取り出しを試みると、15年は動作していない筈なのに何事もなく稼働し、MOに保存されている全てのデータを見たりコピーしたりすることができました。MOの耐久性は素晴らしい。
 MOの中身はまるでタイムマシンでした。若かりし自分のあらゆるデータがMOに保存されていて、イラストや作曲のMIDIデータ、サイトのHTMLファイルだけでなく、未熟さ溢れるメールのやり取りや当時好きだった人の何某など、今から見れば“黒歴史”となったものまでもが遺されていました。自分の歩いてきた道は隂も陽も全て保存しておくという考え方だったと思います。当時の自分に戻った気分になって本当に懐かしい、でも決して戻りたくない、複雑な気持ちになりました。

 結果、1997年から2007年までに制作したイラストのうち、スキャンしたものをPhotoshopなどで編集してデータが遺っているものは全て現在使用しているMacへ保存することに成功しました。
 1997年以前の作品は絵の情報量が少なく、高解像度化する意味はあまりありませんでしたが、それ以降の年賀状などの主要な作品はかなり描き込んでいます。前回の記事でも書いたように、今では考えられないほど時間と労力を投入していました。高めの水準と困難な題材を設定し、当時の自分には技術的に描けるか描けないかのぎりぎりの所を狙っていたと思います。当時好きだったものや服装・髪型など意匠面での好みの傾向や審美眼、色遣い、文字のレイアウトなど、25年余りで大きく変遷してきたように思います。
 そういったことをつぶさに観察・鑑賞できるようにしたかったのは、先日8年振りにイラスト作品を描いた時に、作品はその時の自分を表現していると気付いたからです。自分の移り変わりを鮮明に残し、振り返ったり見比べたりできるようにしておきたかったのです。つまりは管理人自身のためというのが殆どです。このサイトを見ている方で2003年以前の作品を見たことがある(年賀状を貰ったり、作品を印刷物で見たりした)方は恐らくいないでしょう。かつての自分も知ってほしいという気持ちもあります。まあ、そこまで深くサイトを辿る方はいないでしょうけど……。

 今回は既に公開している作品の高解像度化を図りましたが、未公開の古い作品も多数見付かりました。公開して差し支えなさそうなものは順次掲載していこうと思います。(2022.8.13追記 1986年から2001年までの未公開作品も多数追加しました。


2022.7.23(土) 1229 お元気ですか

【イラスト制作部】8年振りにイラスト作品を描いたので、コーナーに展示しました。ついでに2008年以降の年賀状と暑中見舞に限り、長辺1800pixelsに高解像度化しました。(→イラスト制作部)。
 長らく本当にイラストを描いていなかったので、「今の自分はどのような絵を描くのだろう」と自身に興味を持っていました。昨年は顔だけ落描きをするなど何となく状況を摑んでいましたが、作品の制作には至らず、きちんとイラスト作品を描きたいという気持ちが燻っていました。
 今回イラスト作品を描くことにしたのは、今年の年賀状を作って送ることができなかったからです。ごく親しい人にだけは、同行人氏に頼まれて制作したものを代わりに送ったのですが、殆どの人にはご挨拶ができなかったのです。それで、暑中見舞を利用して「お元気ですか」と伝えたいと思いました。

 暑中見舞を何故イラスト作品にしたのか。それは先述のように「イラスト作品を描きたい」という気持ちがあったのが原動力ではあります。そこに色々な内的要素が重なりました。
 一つは、“意匠課”の活動を作品に反映させたかったこと。意匠課とは亮月製作所の中の部署で、美しいものや好ましいものを観察して自分の中で取捨選択し、「こういうものがよい」という感覚を蓄えていく活動をしています。多くの人がしているのでしょうけど、私は意識的に活動として捉えています。その蓄積したものはこうなのだということを目に見えるものにしたかったのです。
 もう一つは絵を描くことによって昇華させたいものがあったこと。これは若い頃からずっとそうで、私の場合、幸福度が高い時は良い作品は生まれず、何かが足りないと感じた時・失われた時・哀しい時・不幸だと思った時などに思いがけない作品が出来ます。自分の中にあるものを、絵や音楽、文章などの形にしたいという強い気持ちが働くのです。そうして心の均衡を保ってきたのだと思います。(家庭の不和ではありません。)

 そのために使える時間は一日の休日のうち6時間だけでした。6時間で形にしなければならない。形にしたい。描けるだろうか。描きたい。私はこういう絵を、こう描きたいんだ。拙くても「こうです」と言いたいんだ。
 かつては何日もかけて描く時間的余裕があり、技術的にも速く描くことはできませんでした。ラフを描いて、下描きをして、線画を何度も描き直して……としか進めることができませんでした。しかし今回は6時間というとても厳しい制約の中で描き上げることができました。「イラスト制作部」の作品解説でも書きましたが、描きたいものが明確であり、その気持ちが強かったことが理由だと思います。その成果があのイラストだというのは恥ずかしく思う面もありますが、夏のご挨拶や情緒のある清楚な風景を自分なりに表現できたと思います。はがきへの印刷で情報量は大きく減ってしまい、原画の印象は充分表現しきれていません。サイトに高解像度で掲載しても表現できていないほど、原画は魅力的に描けていると思います(自画自讃)。

 喜ぶ人がいるかは分かりませんが、併せて2008年以降の年賀状や暑中見舞を高解像度化しました。当時の好きなものやなけなしの美意識が強く反映されています。お手元にはがきが遺っている方は、それよりも鮮明にお楽しみいただけるかと思います。画材のタッチや線画の細かな部分、表情、写植の美しさなどがよく分かると思います。イラスト作品に充分時間と労力を投入できていた時期(2012年初頭まで)は、かなり細かく描いていることが分かります。以降は写植の研究に力を注ぐようになり、かつてのような“労作”は出来なくなってしまいました。今では描けないような作品群に「頑張っていたんだな、自分。」と思いました。
 そうして8年振りに描いた作品はやや寂しい感はありますが、これもまた自分の“世相”を反映しているようで、きっとまた何年か経って見てみたら感慨深く振り返ることができるようになるのかもしれません。

「♪心を込めて言いたいの お元気ですかと 私はあなたに」
(三条アンナ『お元気ですか』1972年 作詞:山上路夫、作曲・編曲:中村八大 →YouTube
 この歌は歌詞とメロディーが本当に素晴らしくて、溌剌とした演奏が心地よくて、ふと大切な人を思い出した時に心の中に流れてきます。


2022.6.14(火) 1228 Nikon COOLPIX S01の分解・SDカード救出

【日録】2012年に購入し、同行人氏に貸し出していたデジタルカメラ「Nikon COOLPIX S01」を最近見ないなと思ったら、1月に氏が落下させて動作不能になっていたことが判りました。引き出しの奥から発見した時のショックたるや……。

 レンズを伸ばした状態で落としたらしく、鏡筒が歪んだ状態で固着していて、電源を入れても「レンズエラー」と表示され動作しません。おそらくはモーターと鏡筒の歯車等の噛み合わせが落とした衝撃でうまくいかなくなったのだと思われます。
 落ち込んでいても仕方がないのでNikonへ修理に出しました。しかし2018年に補修部品保管期限を迎えていて修理不能で返ってきました。そこでカメラ修理業者に出しましたが一社は同じ理由で修理不能、別の修理業者にも見積もりを出しましたがやはり同じ理由で修理不能でした。つまりは分解してまで修理はしてくれないということです。それが判ったこともショックでした。業者のサイトには「メーカーに断られた古いカメラも修理できます」と書いてあったのに……。

 S01はメモリーカードが内蔵され交換できないという仕様ですが、これまで10年撮ってきた大切な思い出や子供の成長記録が残されているのでデータを救出しない訳にはいきません。どこも修理してくれないならと、自分で分解してみることにしました。(※以下、文体が常体に変わりますがご了承ください。)


富士フイルム X20で撮影(以下同じ)

 精密ドライバーで、本体側面のストラップ穴の横のねじと、

 反対側の側面のねじを外す。

 USB端子のそばにあるねじも外す。

 レンズの上下を強く押すのを繰り返すと少しずつ隙間ができてくるので、ポイントカードなどの薄くて丈夫なものを隙間に入れてストッパーにしておき、根気よく何度も上下に押して隙間を広げる。

 前面カバーの底面側が少しずつ外れてくる。

 底面側が外れると、次はボタン側が外れてくる。

 前面カバーが外れた。専用バッテリーではなく「EN-EL11」が半田付けもされず嵌まっているだけだった。

 ストラップ穴の近くにあるもう一つのねじは画面側のカバーに繋がっているので、これを外す。

 画面側のカバーも外れた。

 そうすると底面にあるマイクロSDカードスロットが現れるので、携帯電話のように細いものでカードを一回押し込むとカードが出てくる。SanDiskのCLASS4の8GBだった。つまりは分解さえすればメモリは救出できるし、交換できるということ。

 更に分解を続ける。ストラップ穴のもう一つのねじを外したところ。金具がぽろりと取れる。

 ストラップ穴の金具を外したところ。上半分に画面のタッチセンサーと基盤を繋ぐフラットケーブルが接続されているのが見える。

 タッチセンサーを液晶画面から外したところ。レンズユニットは画面の奥にある筈。何とか画面を外そうとするが、じっくり見ても手掛かりがない。

 ここで事故発生! 画面を引き出そうと力をかけたところ、手が滑って本体が床へ落下、タッチセンサーを繋ぐフラットケーブルが切断されてしまった。これでは仮にレンズが復旧できても全く操作できない。これ以上の分解は意味がないので諦め、この個体の復旧はこれで断念した。バッテリーとマイクロSDカードは取り出して、元通りに組み直した。

 今まで撮った写真のデータを引き継いでカメラで見られるよう、S01の中古を調達した。白は稀少らしく全く出回っておらず、やむなく黒にした。許しておくれ同行人氏。

 一枚も撮影していない場合、3099枚撮影できるようだ。

 同じように分解してしまった。

 折角ならと32GBのマイクロSDカードを用意し、そこに今までの写真を入れて8GBと入れ替えた。

 9654枚撮影可能なようだ。今まで撮った写真は約1600枚、メモリの容量は4倍になっているので、計算上の撮影可能枚数3100×4−1600≒10800枚。動画も数十本入っているので、32GBフルに使用できているようだ。

 実は私もこの小ささのカメラが再び欲しくなっていた。通勤用の鞄には今までCanonのPowerShot Nを入れていたがかなり嵩張り、革製の鞄が伸びてしまって不恰好になってしまうので困っていたのだ。S01は私が使っていた時は一眼レフカメラのサブとして常時持っていて、大きなカメラでは撮れない写真を撮るのに活躍していたので、それもこのカメラを必要とする理由だ。
 幸い後継機種のCOOLPIX S02の白(これもとても稀少!)を手に入れることができた。S02はフラッシュの設定が記憶できるので、S01のように起動毎にフラッシュ発光禁止の設定をしなくて良いところが大きな利点だ。センサーもCCDからCMOSになって画質が向上している。

 S01(左)とS02を並べたところ。S02は角張っている。S01の石鹸のような丸みのある意匠の方がより好きだ。どちらも必要最小限のデザインで美しい。

 S02(下)の画面は少しだけ大きくなった。画面の解像度は同じなので、見易さはあまり変わらない。

 S02(下)は上から見ても角張っている。電源ボタンが横長から丸型になった。

 という訳で、同行人氏は黒いS01、私は白いS02を使うことになった。

 純正の白い革ケース(本体以上に稀少!!)も入手してしまった。黒は元々S01で使っていたもの。カメラの色と同じ色のケースでお揃いにできた。
 もう落とさないでね、とここに書いても同行人氏は読んでいないと思うけれど、2台とも末永く活躍してほしい。


2022.6.8(水) 1227 夏を戦い抜くために

【日録】子供が通う園で水筒を持参することになり、新しく購入することにしました。
 コップと肩紐が付いたステンレス製という条件が提示されていたので、それに沿うものをあれこれ検討しました。
 確かにそういった水筒はあるのですが、何故か決まって目を刺すような派手な柄が描かれていて買うのを躊躇いました。子供は大人の何倍も好みの変遷が速いので、仮にキャラクターものを選んだとしてもすぐに使わなくなってしまうでしょう。折角購入するなら長く使いたいので、そういった面でも寿命が短いものは選びたくありません。
 冷たいものを飲むためのものという機能の面からも、あまり派手な柄が付いていると飲むのに集中できないのではと考えました。事実私の子供は、キャラクターものの食器は絵柄ばかり気にしていて、なかなか食べてくれません。
 子供用品店や雑貨店を廻りましたが、納得のいくものは見付かりませんでした。

 ネットで探し廻って見付けたのが、サーモマグの「TRIP BOTTLE_TP20-50」でした。絵柄はなく、差し色などもない単色の水筒です。この潔さがいい。これなら小学生になっても使えそうだと思いました。
 子供に渡してみたところとても気に入ってくれて、出掛ける用もないのに肩に掛けたり、買い物に出掛けるだけなのにお茶を詰めて持って行ったりと、これを選んだ甲斐がありました。

 ついでに私の水筒も購入しました。
 職場へは500mLの水筒を持参していたのですが、夏は水分が足りなくなるので水道の水を足すなどして凌いでいました。しかしそれでは冷たいものは飲めないので、容量が大きいものを用意することにしたのです。
 750〜1000mLで、飾り気がなくて、冷たさが長持ちして、堅牢なもの。古くも新しくもないもの。そして他の人と被らないもの。
 TAKEYAの水筒がシンプルで使いやすそうだと思ったのですが、上端に取っ手が付いた形式は現代的で、決して悪くないものの「つるんとして今時やなぁ。情緒がないなぁ」と思ってしまい、天邪鬼な私は更に深く探求してしまいました。

 結果、STANLEYの「クラシック真空ボトル 0.75L」にしました。
 今まで使ってきたTHERMOSの水筒は全く漏れず保冷性も高く信頼性が高いので、同社のアウトドア仕様のものが良かったのですが、容量が0.47ℓの次が1.2ℓで中間がなく、次点の堅牢そうなこの水筒を選びました。いかにも昔ながらの水筒という情緒のある色と形がいい。
 1週間使ってみた感じでは、朝入れた冷たいお茶の氷が夕方になっても残っていて保温性は問題なく、外装も見た目よりも重めでかなり頑丈に作ってあるようです。
 大きくて通勤鞄に入れられないので、asobito「ボトルホルダーM」に入れて肩に掛けて通勤しています。 それを見た会社の先輩が、「いい水筒持ってるね! サバイバルに行くのか?」と反応してくれました(笑)。職場は戦場です。気概を持って、水分をよく摂って、熱中症に負けないようこの夏を戦い抜いていきたいです。


2022.5.15(日) 1226 お庭日和

【日録】可児市の「ぎふワールド・ローズガーデン」(旧花フェスタ記念公園)へ行ってきました。
 高めの入場料が必要だからか客層は穏やかで、家族連れ、若い男女、お年寄りが圧倒的に多く、人が多い割に落ち着いた印象でしたが、お弁当は人の少ない森の中のベンチで食べました。涼しくて静かでとても快適でした。


Nikon D800・AF-S NIKKOR 35mm f/1.4G(以下同じ)

 多くの種類の花が沢山咲いていて目を楽しませてくれました。

 この公園の目玉である薔薇も盛りを迎え、良い香りに包まれました。

 中でも良かったのはナチュラルガーデンです。宿根草を主体としたあまり作為のない造りの庭園です。私の自宅の庭の目指す姿がここにありました。

 四季の移ろいを自然に感じることができるお庭。とても参考になりました。ここまで育て上げるのには長い時間がかかるでしょうけど、その時間も楽しめるのがナチュラルガーデンの魅力だと思います。子供を連れていてあまりじっくり見学できなかったので、何度も再訪したいです。




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